明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



頭部さえ出来てしまえば完成も同然だが、ほんの小さな物なので、数分で劇的に進む場合と、その逆がある。頭部を作っている間は楽しいことなど一つもなく、一喜一憂の日々なのだが、こんなときは、ほとんど外出することがない。外出中に、今作っていたら上手く行っていたんじゃないか、という思いに苛まれるので、出かけられないのである。K本やT屋では飲むが、イチローのけん制よろしく、すぐ塁に戻れる距離である。ストレスは当然溜まるが、作ることによって溜まったストレスは作ることによって解消するしかない。そんな中、『雀々・談春二人会』に行く。予約した時点で今の制作状況は判らない。発売日にすぐ予約したつもりが最後部。今の談春は取れただけ良かった、ということなのであろう。演芸好きのTさんと待ち合わせる。談春を何度も観ているTさんと違って私は始めて。噂どおりの大した噺家であった。雀々さんも絶好調。談春のいかにも江戸風の噺とのコントラストが、良く考えられていた。二人の表現力を最後まで堪能。雀々さんに笑わされ、制作のことをしばし忘れる。 客席には嘉門達夫と現在引退状態の帽子を目深にかぶった北野誠の姿。Tさんは薄暗い中、良く判ったと感心するが、人の姿形に関して私は敏感である。子供の頃、シルエットクイズが得意中の得意で大人を不思議がらせたものである。先日も某Vシネを観ていて、雀荘の客の中に、20年以上前に観た芝居の座長を発見。私に目撃された犯人は、かなり困ることになるはずである。 銀座に出て飲んで帰宅。帰って早々もしやと思って制作中の頭部を見たが、やはり出来上がっておらず。また明日から苦難の日々である。

『田楽喰い』 雀々
『三軒長屋』 談春
 中入り
『夢八』 雀々

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神奈川近代文学館から、図録に土蔵内の乱歩のタイトルを入れたいとメールをもらったが、私はタイトルを付けるのが昔から下手糞で、黒人作品の頃から、その場しのぎで適当につけたり、できるだけ避けてきた。タイトルだけでなく、作品の見せ方自体が苦手で、個展会場の飾り付けなど、ほとんど手伝いの知人や画廊の方にまかせっきりで、小学校の通信簿に書かれた“掃除の時間に何をやっていいか判らずフラフラしています”という状態なのである。判らないものは仕方がない。 案の定、いくら考えても陳腐なタイトルしか浮かばない。乱歩作品のタイトルをいただこうと一覧を眺めてもしっくり来ない。そこで、この件については学芸員の方とメールのやりとりをしていることをいいことに、おそらく『大乱歩展』での使用や出品に対し、推薦いただいたであろう文学館館長の紀田順一郎先生に命名をお願いしてしまった。そして5つの中から一つ選ばせていただいた。  
mixiというものがある。私のコミュがあるというので始めたが、さすがに自分のコミュには入れないが、何か起きていないかとたまに覗くと、水を打ったとはこのことで、小波ひとつ起たない鏡の如くの静けさである。立ち上げた人がいつのまにかいなくなり、打ち捨てられた状態だったのを、奇特なことに個展に来てくれていた方が引き継いでくれている。現在85名。たまには話題を提供しようと、紀田先生命名のタイトルをお知らせしたのであった。

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