明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


材料を買いに御茶ノ水へ。『レモン画翠』のエレベーターはトイレの芳香剤のような匂いが臭い。 中古CD店を覗く。先日YouTubeで、来日時のELPこと『エマーソン・レイク&パーマー』の映像を観ていて、聴きたくなっていた。中学生の頃は、クラシックなど聞かないものだから、彼らがあそこまでクラシック曲をモチーフにしていることは知らなかった。ビートルズがR&Bの名曲をカバーしているとは知らず、みんな彼らが作っていると思い込んでいた頃である。 運送会社の定年を迎えたKさんと、Kさんご贔屓の近所の立ち飲み屋のYちゃんとカラオケに行ったとき、(このコンビに連れ込まれるまでカラオケ嫌いだった私は4回しか経験がなかった)60と30半ばの二人の、知らない曲を、とつい調子に乗ってP・モデルの『美術館で会った人だろ』を歌った。もちろんただ知っているということでチャレンジしたのだが、二人はこのカッコのイイ曲を、妙な曲だと思い込んでしまっただろう。『いや、違う。ピコピコいってはいるけど、こんな曲じゃない』。知らないということはお目出度くて、Yちゃんは無邪気に手を叩き、不思議そうにモニターを眺めるKさんであった。そんな詐欺を働きながらP・モデルを聞きたくなっていたが、なかったので帰宅後ネットで注文した。ELPは来日が72年だったようだが、あのパフォーマンスは未だ目に焼きついている。現在では前座の『フリー』を観たこと自体が“お宝”となった。ポール・ロジャースが『クイーン』のボーカルになったのは聞いたが、その後元気にしているだろうか。かみさんは野末ひとみの妹だったはずだが。 入手したのはELP未開封の二枚組みライブ。73年というから、内容はほぼ来日時に近いものであろう。70年代のロックは良かった。80年頃『ポリス』のデビューアルバムを聴き、大変気に入りながらも私のロックは終りだな。と感じたことまで想い出した。

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最近はブログの更新が主になり、HPのトップページのカウンターが意味を成さないので、外そうかと思っている。開設10周年を機に、デザインその他、リニューアルしようと考えていたのだが、10年も続けていると、増設、継ぎ足しと、かつての九龍城の如しで、腰が引けてしまった。当時は表示しやすいよう画像は軽く、といわれたものだが、現在ではネットの環境も変わった。今見ると無駄な物もあるし、せめて無駄な部分を削ってダイエットするべきだと思うのだが。 ダイエットといえば。昨日、本日と続けて夜、屋上を走り回る音がする。私が20数年住んでいるマンションは6階建てで、私は6階に住んでいる。安普請ゆえ、屋上を誰かが歩くと、足音が鮮明に聞こえる。数年前、夜中にドンドンという音がするので、屋上を覗きに非常階段を上がった。当時、誰かが入り込んで屋上に煙草の吸殻を捨てている、と注意書きがマンション内に掲示されていた。暗い中目を凝らすと想像と違って、高校生くらいの太めの女の子が、縄跳びをしていた。その呼吸音から、ただならぬ気配も感じた。 オジサンにそんな姿を目撃された乙女の気持ちくらい、私にも想像がつく。足音を忍ばせて部屋に戻った。夜中といっても私は起きているし、頭上で何が行われているか、判ってみれば気にもならない。あまり酷かったら他の住人が注意するだろう。 今回はというと、縄跳びでなく何周も走り回っている。昨日もそうだったが、今夜も11時頃から始まった。おそらく数年前と同じような状況であろう。だから今のところ注意しに行こうなどと考えていないが、だいたい彼女の決意が、残念ながら前回の乙女同様、三日坊主に終るだろうと踏んでいるのである。 

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芝田山親方(元横綱大乃国)から暴行を受け引退を強要されたとして、弟子だった元大勇武(だいゆうぶ)(本名=ダワードルジ・オンドラハ)が芝田山親方と日本相撲協会を相手取り、約7000万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしたそうである。 大乃国の師匠といえば、現理事長放駒の魁傑である。先日も書いたが、大ファンだった放駒親方の顔がTV画面に映るたび見入ってしまうのだが、あの真面目な放駒が、少しは遊びにでるくらいが、といっていたのがガチンコ“スウィーツ”大乃国である。その大乃国が髷まで切らせたというのだから、この大勇武とやら、よほどの粗相をしでかしたに決まっている。スリッパで叩かれて全治十日だそうだが、先日亡くなった土俵の鬼、初代若乃花に、余りの稽古の厳しさに、思わず膝に噛み付かれてしまったのが、後に力士からプロレスラーに転向した力道山だが、(その跡を隠すために黒タイツになったという)この力道山は、弟子の大木金太郎の鼻の穴にスリッパを押し込もうとしたというから、時代が違うとはいえ、叩かれて全治十日とはレベルが違う。もっともスリッパで叩くというと、コントでやるような使い方を想像してしまうが、大乃国は土俵上で張り手を受けて気を失っていたから、もうちょと違うやりかたがあるのかもしれない。

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自転車を担いで捕鯨基地のある、南房総の和田へ。今回は折りたたみ自転車でなかったので、収納、組み立てが少々面倒であったが、輪行バックという袋につめさえすれば、自転車と共に電車に乗ってでかけられるので楽しい。 しかし、9月に入れば暑さもいくらかマシだろうと考えていたが、とんでもない話で、毎日猛暑続きで、気楽なサイクリングというわけにはいかなかった。東京に較べれば多少はマシだったろうが、外で野良仕事をする人の姿も例年より少ないように感じた。そんななか、親類の別荘は、エアコンが二台とも故障していた。修理に来た電気屋によると、使わないでいると、室外機の基板が湿気により故障するということであった。おかげで前半はエアコンなしという有様であった。 暑さのため釣りをすることもなく、サイクリングもたいした距離も走らず、という状態で、子供であったらグズってしまうところだが、大人の場合は幸い、室内で飲酒さえしていれば笑っていられる。Tさんの持ってきた『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ 』を延々と観たりして過ごした。今回も冷凍された鯨肉をブロックで購入し、刺身やステーキにして、房総の酒『寿萬亀』。明治神宮に唯一収める蔵元なのだが、東京で飲むには取り寄せるしかない。これでグウタラしていれば、とりあえずは来た甲斐はある。他には漁港にある、手打ち蕎麦の『はなうら』で手打ち蕎麦やカマスの天麩羅。元は捕鯨船の船員の宿だったという『ぴーまん』の鯨カツカレー。青魚というえば『魚惣』のイワシで作った冷汁。など堪能する。バーベキューのついでにリンゴのチップでスモークしたチキンやイカを持って涼しげな滝を眺めにでかけた。 日曜に帰るつもりで支度をすませ、江見駅に向かう途中の『カネシチ水産』でアワビや金目鯛の刺身、ムール貝の塩茹でなどで飲んでいたら、面倒臭くなり、ムール貝やイカの沖漬けなどの肴、さらに『寿萬亀』を買って引き返し、月曜に帰ることにした、といういい加減さであった。美味しい空気や、美しいに景色に越したことはないが、美味い肴と酒があれば、何も観ないで目をつぶっていたって良い私なのであった。

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