明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日制作した惨劇現場数カットの中から1カットを数人にメールで送り、そのままにして実家に帰った。思った以上のできだったが、データを持って帰ったら余計なことをしてしまうと思ったので持ってこなかった。 今のままだと数人の、しかも絞りきった、というくらいの血の量である。クーデターに失敗した青年将校を配した後に出血量を按配したい。だがしかし、私のことだからきっと減らすのが惜しくなって、ああだこうだと身悶えした挙句、本当のことなんてどうでもいいや、どうせ作り物だし。と開き直るに決まっている。こんな出血などありえない、という人もいるだろう。そんなことより、先生どちらがよろしいですか?と尋ねたならば、先生は「こっち」とおっしゃるに決まっている。

“僕は人を殺したくて仕様がない。赤い血が見たいんだ。作家は、女にもてないから恋愛小説を書くやうなもんだが、僕は死刑にならないですむやうに小説を書きだした。人殺しをしたいんだ、僕は。これは逆説でなくつて、ほんたうだぜ。(昭和二十三年十二月座談会『小説の表現について』)”

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昨日の撮影は、現場に着いた時には雨にかわっており、雪が撮影できなかった。こうなったら作るしかない。帰宅後、その前に雪より重要な作業を始めた。 三島は映画『憂国』の撮影時、クライマックスの割腹のシーンにもっと血を、と“増血”を要求したらしい。三島の好みからいえば当然のことであろう。乱歩同様、無惨絵が大好きな三島である。そこで撮影した現場を血だらけにすることを始めた。方法は『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)制作時に、『盲獣』の風呂場ですでに考え出している。しかしあまりに陰惨な仕上がりに、趣旨に合わない、と没にしていた。いや正直にいうと、その風呂場を使わなかった本当の理由は、文化財だったからである。リアル過ぎて乱歩作品には使うことはなかった、というのは本当で、切断死体も切り口は常にスッパリと綺麗に、切断面は極力こちらに向けず、風呂場は元銭湯を使った。悲惨な状況も、どことなく笑えることを心がけた。同じ無惨絵好きでも、乱歩は本当の血など大嫌いである。その点三島はまるで違い、血に目を輝かせ恍惚とするタイプである。それは近年あきらかにされた様々な証言でも確かであろう。制作に熱中していると、あまりに上手くいき、雪はもう、二の次でどうでもよくなってしまっていた。

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昨晩、Kさんはあと1日苦しんでいるはずなので、飲酒に誘われることもなく、調べ物と読書で寝たのは5時近かった。朝、雪が降っているという田村写真のHさんの電話で起こされる。 春一番の後で雪? 前回は過度に飲んでしまい、雪を撮影するといっていたことも忘れ、翌日の「雪はどうだった?」のメールや電話に、いつ買ったか覚えていない溶けたアイスクリームを頭にくっつけたまま、僅かに残る雪を見て、これで雪とは大袈裟な連中だ、と不思議がってしまう失態を演じた。 今日はたいして積もりそうもないが、とにかく雪を撮ろうとまず日比谷へ。戒厳令下の帝都といきたい。ところが駅を出るとすでに半分雨。目星を付けたビルに到着したときはタダの雨。積もった雪も見当たらず。 普段なら明け方まで起きていても、3、4時間で目が覚めるのだが。そのまま帰るのも悔しいので撮影する。“私は待ったんだ雪が降る日を。私に雪を撮らせるつもりがないと見極めがついた。”私はきびすを返し総監室へ、ではなくラーメン屋に入った。寝坊した私が悪い。しかし濡れた壁面、路面は撮った。光線具合は二・二六並。来年の降雪を待つつもりであったが、待つのは止め、雪を作ることに決めた。戒厳令下、反乱軍の一将校として、三島はここに倒れることになるだろう。 雨が降る寒い中の撮影であったが、いつも撮影中はカッカしてきて汗をかく。そのままにしていて風邪をひくことがあるので気をつけなければならない。実際体温が上がるのかどうか知らないが、撮影中蚊に刺されにくくなり、さされても軽く済むのと関係があるのだろうか?

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一日  


アダージョの4号を探している方から書き込みをいただき、なんとなく雑記から抜き出した物を読んだ。すでに懐かしい。『夏目漱石と本郷を歩く』指定された特集人物と指定の特集場所(このときは特に三四郎池を背景に、と具体的な指示があった)の組み合わせをこなすのにまだ精一杯であった。結局最後まで精一杯ではあったが。 漱石の真正面の写真は結局一枚も見つけられなかったので、あえて正面を向かせたのだが、それ以前に、馴染みのある写真の、まっすぐ通った鼻筋への修正の疑念が捨てきれず、横を向かせるのを避けた、というのが本当のところである。配布直後に江戸東京博物館で見た漱石のデスマスクは、はたしてジョン・レノン並みの見事なカギ鼻であった。デスマスクを見たアダージョ読者に笑われずに済んだ、と胸を撫で下ろした。想えばどこにいるか判らない誰かに向けて、作り続けた4年であった。私の場合、その会ったことのない人物が頭の中でこちらを向いて、口の端でフフと笑ったりするからやっかいなのである。

この時の撮影の日にも書いているが、集中していると蚊に刺されにくい。刺されても腫れがすぐに収まり、痒みもたいしたこともなく終る。撮影中は普段より汗を搔くので、より刺されやすいはずなのだが、周りばかりが刺される。これはしばしば経験していることだが、何故なのか理由は判らない。

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運送会社を定年のKさんは、退職金、年金など金はあるが、やることがないので飲む、打つ、買う。昨日は午前4時まで一緒に飲んだ。昔からなんであの人と付き合っていられるんだ、といわれがちな私だが、当然、何か良いことがないと付き合ってはいられない。おおよそ女性の話に終始し、同じ話しを何時間も繰り返し聞かされる。ロレツが回らないので、半分くらいしかいってることが解からない。しかしこのニコニコレロレロしている小さいオジサンは、本当に嬉しそうで楽しそうなので、それを見ているこっちもつられて笑ってしまうのである。嬉しそうで楽しそうな少女を見ているだけで楽しい、ということは想像が出来るだろう。これがオジサンだ、というところが問題なだけである。だけということもないが。 Kさんは好きな女性の前で別な女性の話をしてしまう癖がある。ご丁寧に一緒に写した携帯写真を見せながら。そしてそれをすっかり忘れる。私に口止めしておきながら、いずれみんなKさんの口から聞くことになる。今度始まったら止めてやるよ、といっているが、苦笑している女性の隣で、嬉しそうに身振り手振りを交えてレロレロしているKさんを見ていると、止める気になれないで放っておいている。近々故郷の九州に旅行するというのが最近の関心事で、酔っ払って中学校の同級生のまり子ちゃんに電話をしてしまい、数十年ぶりに会うことになったそうである。それもどうかと思ったが、今日は酔っ払って電話したらご主人が出て、迷惑がられるどころか、まり子も楽しみにしていますので、といわれたそうで、さすがKさんだと感心した。そして今年60歳のまり子ちゃんの話が延々と続いた。 しかし仕事はしないで飲んでばかり。飲むと肴をつまむこともしない。身体にいいわけがなく、大泥酔のあと、回復にまる二日かかる。写真は回復に二日半かかった時のものである。まるで射殺死体のようで面白くて撮った。この日は九州行きの飛行機チケットを二回落として私がその度ポケットに捻じ込んだのであった。

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一日  


高校時代の友人から何年ぶりかに電話。家はたいして離れていないのに、会おうといってもなかなか会えなかった。堅気のサラリーマンゆえ忙しければしかたがないと思っていたのだが。聞くと昨年9月に脳出血で手術したそうである。会社の検査でいくらか血圧が高い、といわれた数日後に様子がおかしいと救急車で入院、緊急手術。手術直後は喋ることも動くこともできなかったそうで、一から、それこそ子供からもう一度始めたような感じだったらしい。それ以前会えなかったのは体力がなくて、という。柔道部のお前が?握力自慢だったろう。男子高校では、廊下で相撲を良く取った。同級だった尾崎直道ともやったが、柔道部にはどこか掴まれるとほとんど勝てなかった。私が大ファンの放駒理事長、元魁傑は柔道出身だったが、嫌いな琴桜スタイルでないと勝てないところが私のジレンマであった。 Sはその後も頭痛が起き、間もなく放射線治療に入るという。電話の最初はたしかにいままでのSと違って、何かを確かめるような口調であったが、最後の方には、たまに単語が思い出せないことを別にすれば、昔と変わらない会話であった。積極的に会話を続ければ良くなるだろうと思えた。馬鹿話で良ければいつでも付き合うぜ。私は最近、馬鹿々しい会話の効能を感じている。馬鹿な話でケラケラしたぶん、一人閉じこもっての制作に集中できるというものである。
昨日某所から入ってきた、ある人物の死亡情報。一夜明けてもどこにもそんな気配がない。ガセだったのであろうか。

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航空自衛隊浜松基地を舞台に、ジェット戦闘機F-86セイバー(旭光)からF-104スターファイター(栄光)へ、転換期の隊員を自衛隊協力のもとに製作された作品。劇中F-86からF-104へのパイロットの合格率は1000人に一人というセリフがある。それ程86と104は別の物、ということなのか。 初期怪獣映画といえばF-86セイバーで、アダージョの円谷英二の時に、中学生以来プラモデルを作った。実写映像にしびれる。一等空尉の佐藤允や二等空尉夏木陽介がワハハ、ワハハとやたら愉快そうだが何が可笑しいのか判らず。明るく健全な東宝映画というところか。司令官といえば藤田進と田崎潤二人がそろって出演。ゴジラと共に海の藻屑となった平田明彦が乗って登場のF-104がまたとんがっていて格好良い。いわゆる三菱エンピツである。翼を触ろうとした隊員に平田が慌てて駆けより「危ない!なまくら刀よりこっちのほうがよっぽど切れるからな!」「エエ~ッ!」に笑う。当時、最後の有人戦闘機といわれ、これ以降はミサイルとなるはずが、その後も新型戦闘機は作られ続けたわけである。酒井和歌子15歳のデビュー作だそうだが、この数年後、我が小学校6年〇組男子は、酒井和歌子派と松原智恵子派に別れた。この映画はDVDもなく、中古ビデオでようやく入手。なぜこんなビデオを観ているかというと、三島由紀夫がF-104に乗ったからである。

追記 某人物が亡くなったという噂。事実としたら、明日出るのか数日後なのか・・・。

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現在制作を考えているのは石塚版『男の死』である。三島の死の数日前まで篠山紀信により撮影が行われていた『男の死』は、篠山のインタビューや評伝などから拾ってみると、すでに『血と薔薇』誌上で発表済みの『聖セバスチャンの殉教』『溺死』以外に、魚屋が魚をぶちまけ包丁で切腹。片手で吊り輪にぶら下った体操選手が射殺されている。頭を斧で割られている。セメント運搬トラックの下敷き。ヤクザのリンチ死。その他、切断された首などがあるという。15カットはあるそうである。 企画発案者である元薔薇十字社の社主、内藤三津子さんにはすでにお会いしているので、直接伺っても良いのだが特に聞いてはいない。それは兄、左門豊作のために、完成間近の消える魔球を探りにいった弟の口を塞ぎ、「それをいったらアンちゃんは星君のライバルでなくなってしまうバイ!」といった左門豊作の心境である。というのはまったくウソである。 体操選手やトラックの下敷きなど、それは本人が演じたから良いのである。一方私はあくまで作品として創作するので今まで同様、三島の作品、言及したイメージの中に三島を描くべきであろう。共通しているのは“嬉々として”死んでいるところくらいか? 内藤さんから伺っているのは、『男の死』のなかに武士の切腹がある、という説に関して、それは絶対なく、すべて現代が舞台である、ということである。企画者としてすべて立ち会っているから間違いない、と仰っていた。私も侍のカツラをかぶって切腹している現場写真のベタ焼きを見た、という人物から、それは死のおよそ一週間前、カツラのサイズが合わなかったが、時間がなかったからか(それはそうであろう)そのまま撮影した。ということまで聞いている。没後40年といえば、伝説が熟成発酵するには充分な時間だということであろうか。

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映像  


小説を読んでいると私の場合、頭の中で常に映像が浮かんでいるのだが、必ずしも皆がそうではないと知ったのは、そのことを友人と話した中学生の時であった。私はそれが当たり前だと思っていたので、画が浮かぶことはあるけれど、映画みたい動きっぱなしの映像なんて浮かばないという友人を、内心、こいつ馬鹿なんじゃないか、と思ったのだが、聞いてみると、私のように上映されっぱなしという友人はいなかった。 小学校の時に日光に遠足にいったのだが、どう考えても、ここに来たことがある。という景色を目にした。それが十五少年漂流記の一場面だと気がついたのは、いつか読み返している時であった。 本日は逆に、ある文献を読んでいて、以前撮影したことがある場所とそっくりな場面が浮かんだ。1カット、わざわざ撮影に出かける手間が省けたのであった。

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