明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



解体した段ボールの山。処分するため、まとめなくてはならないが、みるみる読書欲、制作欲が沸いてきてたまらなくなる。やるべきことがあるのに、他のことをせずにいられない人間を怠け者という、といったのは遠藤周作であったか。片付けから逃避するごとに、数々の作品を生み出してきた私である。 ○○堂(仮)から電話があり、永代通りに留めたバンに乗り込む。作品用に古い木箱など調達してもらったりしてきたが、特に今必要な物はない。せっかくなので、写真帖の中から『十一代目市川團十郎』の高麗蔵時代のサイン入り写真をいただく。  イベント屋のSが、いつも近所の店で、いつもの顔で飽きないのか。たまには西側に来い、というので午後1時に西荻窪で待ち合わせ『戎』へ。モツ焼きからスタート。長時間飲みにそなえ、ウコンの錠剤を飲むS。確かにSは生のウコンを齧ったり、錠剤飲むようになり悪酔いしなくなった。 Sとは昔、展示の仕事を通じて知り合ったが、考えてみると、仕事がきっかけで友人関係が続いているのは、後にも先にも彼とアメリカ在住のY君くらいである。Sは結婚したせいか歳なのか、すっかり丸くなり、恐妻家という立場に落ち着いている。私がこういう作品はどうか、というと、誰がそんな物を観に来る。止めておけ、などという。昔なら真っ先に、無責任に面白がったはずなのだが。奥さんは都心の公立の小学校の先生だが、小学生の娘を含め当たり屋で生計を立てている家族がいると訊き驚く。 4時を回り古書店を二軒巡り、第二ラウンドは沖縄料理屋へ。もう随分会っていない共通の友人に電話をかけたりして、ああだこうだ話す。適当に歩いて3軒目。 結局帰宅は11時半。最近顕著なのが、6時間を過ぎた辺りから、飲みながらも醒めてきてしまい、散々飲んだあげくに素面で終わったりして、馬鹿々しいことがある。K本を別にすれば、昨今の居酒屋のアルコールの含有量の少なさが原因であろう。自分の間で、ショットグラスでカクカクやって、短時間でパッタリンコ。これが一人飲みの良いところである。

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昼からうずたかく積んだ段ボール箱の解体。昨年届いた荷物の梱包用段ボールを、今になって始末をしている。昨年も1カットの撮影のために入手した、終わってしまえばただ邪魔なガラクタが随分届いた。しかし必要だからしょうがない。 ヤフオクで入手した太鼓がある。実に汚い破れ太鼓で、亀裂が入っているから当然叩いても情けない音が出るだけである。出品するほうもするほうだが、見た目のイメージはぴったりで、付いてきた埃もそのままである。これを持ってウサギが踊りだす。というシーンの為の物だが、当初あてにしていたウサギがいる公園は、昨年の猛暑のため、ウサギはお休みでピンチであったが、これを止めては、ただ汚い破れ太鼓が手元に残る。ウサギを飼ってる人をなんとか見つけた。  Mさんよりメールが着てT千穂で飲むことに。行ってみるとHさんも。私は昨年来、娘を持つ父親の生態についてかなり詳しくなった。特に婚約者を連れてこられてしまった場合の。よって、今日の召集のお題にもほどなく気がついた。寄せ鍋で暖まる。 帰宅後、昨年末より見続けている『孤独のグルメ』を観ながら飲む。冷徹なヒットマンが殺人現場に舞い戻り、今まで殺してきた人々に思いをはせながら飯を食らう。というドラマであるが、ようやくシーズン3を観終わった。主人公が全くの下戸という設定が良く、その分視聴者が代わりに酒を飲めるという具合になっている。ヒットマンのような人物は大酒飲みより、ウーロン茶やミルクを飲んでいるほうが怖いと昔から決まっている。

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実家より帰宅。編集者から“また良い本を作ってしまいましたね”という賀状が届いていたが一方、“見せる人みんなキモチワルイって言うんです”という賀状も着ていた。私にいわせれば妖怪は不気味で怖いものであってこそである。ゲゲゲとは趣の違う『墓場の鬼太郎』が墓場から這い出し、目玉の親父が本体から抜け出す不気味なシーンに鷲掴みにされた幼い私である。 そもそもとびっきりの潔癖症である鏡花が、べとべと生臭い、気持ち悪いものとして描いているのであるからあれで良いのである。制作当初から可愛いとはいわせないつもりで作った。 日本人は可愛らしいキャラクターが好きな国民であるが、可愛いものなど他にいくらでもある。怪獣や妖怪くらい、怖くて不気味専門の存在としてとっておけないものであろうか。 そういえば私が可愛らしい物として制作した唯一といって良い作品に、初個展で発表し、初日に最初に売れた黒人の少年がいる。当時、自分の作品を撮影して残しておく、ということなど考えもしなかったので、初期の作品は記録に残っていないが、おおまかな型を取って、素材を変えたりしていくつか作った覚えがある。型は探せば出てくるであろう。少部だったと思うが、量産したい、という申し出が二度あったが、二回とも参考品を受け取ったまま、先方と連絡がとれなくなったり疎遠になったり、とそれきりになってしまった。可愛いものとは縁がないようである。

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正月  


昨年は実家で河童の頭部を型取りした石膏から、泣いたり怒ったり等、数種の表情を作った。実家に帰る場合は粘土を持ち込み何かしら作ったり、少なくとも資料用の小説を読んでいたが、今年は一切何もせず寝正月を決め込んだ。 大晦日から元旦にかけて、名古屋の兄弟のもとに帰った、鏡花作品に登場する河童と、ご丁寧にもお揃いで左腕を折った河童状の酔っ払いから何度も、母の携帯にまで電話がきたのが実にうっとおしい。どうしても当ブログは酔っ払いの観察日記調になってしまうが、今年は恥ずかしい人達のことはできるだけ伏せていきたい。 頂き物の、私のもっとも好きな房総の酒『寿萬亀』を飲みながらぐうたら過ごした。母方の従姉妹から糠床が届いていた。いつ発祥の物かは定かではないが、関東大震災以降としても、軽く戦前由来は間違いがない。聖路加病院から近かったおかげで大空襲を免れた糠床である。私も祖母の糠漬けが懐かしく、分けてもらって一時はまったが、制作にかまけて挫折した。未だに糠床はどうしました、と聞かれることがある。糠床は母に養生してもらっておいて、いずれまた再開するつもりである。 TVでアイドルが『イシナギ』を釣る。という番組をやっていた。私の撮影には巨大な成魚とはいかないが、少なくとも実物は使おうと、東北の鮮魚店のHPを押さえていたつもりが、そろそろ撮影しようと注文のメールを出しても反応がない。HPの更新日を見て、震災により移転、もしくは廃業を伺わせ、慌てたのを思い出して観ていたが、結局釣れず。あの鮮魚店、無事に立ち直ってくれただろうか。

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