明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



母が白内障の手術のため入院。まずは左目。新しくきれいな病院である。続けて右目も、といってもらいたいところだが、それは無理らしい。とりあえず二日間は母と喋らなくても良い。 11月早々のグル一プ展に出品する作品を制作中。三遊亭圓朝を考えないではなかったが、高座に黙って座る圓朝は、被写体として基本になる予定なのでまだ出せない。制作中の人物では他の方達とのバランスはどうか、と思わないではないが、だったら圓朝ならいいか、というと私の場合どこに参加してもピッタリ、とはいかないので考えないことにする。 歌舞伎関連の催事に九代目市川團十郎を出品できないかと以前、打診があったが、写る部分しか作っていないし、すでに予算も決まっているところに中途から余計な予算が出る訳ないので話し半分に訊いていたら、予算が出ることになった、という。間に合うのかどうか。出品できるとしても、舞台姿だけは避けたい。紋付にシルクハットという“明治スタイル”がいいかもしれない。


アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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一日  


抗生物質のせいか、ようやく熱が醒めて来た感じだが、腫れはあいかわらずである。脚をかばうせいであろう、腰が痛い。午前中サイゼリヤにて読書。前の席に祭半纏の四人組。いずれも鉄工所のバ一ナ一で炙ってハンマ一で叩いたような顔の老人だが、そろってチョコレ一トかけたアイスクリ一ムを食っている。笑わそうとしているならともかく。 三遊亭圓朝は松岡容の小説仕立ての『圓朝』で、勘違いしていたことが判った。林家彦六の残された写真でしか観た事がなかった芝居噺。背景画を配し、鳴り物入り芝居の場を声色を交えて演ずる、という物だが、私はてっきり圓朝以前にすでにあったものだと思い込んでいたら、圓朝二十一歳の時に、圓朝が始めた物だと知った。増々偉い男である。歌川国芳のところで画工修行をしているから背景画も自分で描けた。苦しみながら次々と変化していくところが偉い。人間変わってこそである。 銀座の青木画廊が55周年の記念本を制作中とのことで一作品選ぶ。11月にはグル一プ展もある。ただ今30年ぶりに四谷シモンさんの個展をやっているが、今のままだとあの階段は厳しい。


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昨日、ようやく外へ出て医者を探すも歯科と内科ばかり、日頃看板をよく目にするから、と適当に出発したのが悪かった。二つ見つけた外科は木休ばかり。しかたなく30年以上前にアルバイトで作った洲崎パラダイス入り口の銅像向かいのモツ焼きセンタ一で飲んで帰った。 今日は昼近くに調べておいた整形外科へ、“桜色の音楽”こと照国万蔵のようなフクラハギを引きずって行く。未だに赤く発熱している。考えたら怪我で医者に行ったのは小学生時代の突き指以来な気がする。いや高校の柔道の授業で脚払いで親指の爪をはがしたときは医者にいったかもしれない。太腿に彫刻刀が刺さった時はガムテ一プを貼っておいた。 とりあえずはレントゲン。骨折はなし、それはそうだろう。折れていたらうろちょろできない。抗生物質を処方してもらう。知人が骨董屋を借りて撮影したいので、一緒にロケハンに行ってくれと頼まれていたが、今日はなんとか行けそうなので、サイゼリヤで二時間程正岡容著『小説 圓朝』(河出文庫)を読んで待った。タクシ一で行って程良い場所。ここで自然光で撮りたいという。圓朝のせいで頭が幕末明治になっている。つい博打用のツボを購入してしまう。こちらの趣味は全くないが一応サイコロ買ってみよう


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自分の声が他人の声のようである。まあ風邪自体はその程度であるが、問題は琴風の脚か、というくらい腫れ上がってしまった右脚である。熱さまシ一トを数箱貼りまくって安静にしていた。なにしろ立つだけで足の裏まで痛いので、外出というわけにもいかず。まったく予想していなかったトラブルである。風邪悪化中といえども寝ぼけてコケて、という年寄り臭い.ところが実に凹ませてくれる。 そういえば自分から役割も終わった、と終了を申し出た『タウン誌深川』のエッセイ“常連席にて日が暮れる”の最終回をまだ書いていなかった。慌てて書く。下町の居酒屋といっても様々であるが、河本といえば、煮込みと女将さんである。特に女将の真寿美さんによって、あらゆる年齢層の客達をすべて“10歳”にしてしまう店。といってよく、得難い店である。30数年前に引っ越して来た時ちらっと見えた真寿美さんの割烹着、あれでその後の道筋が決まってしまったとさえ思える。なにしろ大事な3冊目の出版を、人形と常連客だけで作ってしまったくらいである。 ここ一週間、飲んだのは缶ビル一本のみであった。本日ようやく脚を引きづりながら。カウンタ一で本を読む。 寺山修司は、私が知らないだけなのか、ジャン・コクト一のことをあまり書いていない気がする。どう考えても日本のコクト一になろうとした人だろう。コ一トの羽織り方なんて日活映画調だと本人はいっていたらしいがコクト一でしょう。作っていてそう思いました。


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先月末以来のブログである。その間ずっと家にいたのだが、パソコンまでたどりつけなかった。 10月1日国際フォ一ラムに母と向かう『岩崎宏美 with 国府弘子”ピアノ・ソングス・スペシャル”ゲストに岩崎良美』。『いのちの理由』『聖母たちのララバイ』には相変わらずウルッときたが、そんな歌手は私にとって宏美さんとあがた森魚さんくらいである。 しかし異変はそのときから始まっていたようで帰宅後風邪で寝込む。ひたすら寝た二日目、真っ暗な中呼び鈴。さらにドアをドンドン叩く音。母のはやく出てよの声。私は夜中だと思い込んで寝ぼけながらこの怒りをこめた叩き方は水が階下にもれたか?しかし頭フラフラ筋肉関節痛でなかなか立ち上がれない。暗い中ころんで膝と肘を強打。数分かかって玄関にたどり着くと外で母がカ一トに座っていており荷物中に入れてよ。実はまだ五時で外出からかえったところであった。「荷物は慌てなくてもあとで入れればいいんだから自分だけ中に入ってりゃいいだろ!」 おかげで膝から右半身が腫れ上がり立ち上がる事もさらに困難に。先ほどようやくパソコンにたどりついたのだがお尻がいたい。母が男子高校生だったらお小遣いあげるから一発殴らせてくれといいたい。いやいちいちそんなことをしていたら、私の小遣いが間違いなくなくなる。


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