明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝7時位に朝定食を食べに某店へ。かみさんにあげることになっていた手あぶり火鉢を持って行く。灰が入っているし、炭壺も持って行ったので、そこそこ重かった。ここのかみさんはDIY女子であり、三階建ての家の内部を好き勝手に改造している。店舗はともかく二階から上が凄い。アメリカの50年代風や和風などテーマごとにディスプレイされている。飾り棚はそこここにある。なんといっても凄まじいのが、場所によっては、天井や壁を剥がしてまで何かしていることである。その改造を、阻止することができない、何らかの理由があるのかは知らないが、旦那は何もいわないという。撮影用に骨董じみた物を持っているので何か一つ、というとししおどしはないかという。屋上に上がる所に小さな畳を敷いたので、ホースで水を流して眺めたいという。そんな物あるわけかない。あれはそこはかとなく、どこからかコーンと聞こえてくるからいいのであって、眺める物なのだろうか。最近ベッドのスペースが空いたのて、いずれジオラマを作って鉄道模型を走らせたいそうである。女にしておくには惜しいが、放っておいて帰った。

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未だスマホに手こずっている。そもそも携帯電話を持ったのは、母が私が電話に出ないので、心配して持たされた。話が逆である。家で仕事をしているところにセールスが来て、ということなのだが、しばらくすると別会社のセールスが来て、もっと安くできると。一時流行った電話ファックス詐欺の如き物で、横のつながりでもあってか、『次は君んとこね』みたいに、ちょうど良い頃合いでやって来る。母が仕事を止め、ショップで私と二人分の法人契約から契約を変更した際、相手が年寄りと思って再契約させられ、以後四台分の機種代を払わせられることになってしまった。二度とあそこだけは御免である。先日つながらず大騒ぎだったようだが「髪が後退したんじゃない、私が前進したんだ」。なんて面白いこと言ってんじゃないよ。

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一日  


昨日は7時頃寝てしまい、夜中の1時に目が覚め片付け。某写真家に、8×10インチカメラ要りません?メールする。売った方が良いんじゃない?といわれる。オイルプリントは感度が低く引き延ばしができない。なので、作品大のネガが必要になる。操作方法も知らないのにタチハラ製作所に買いにいった。レンズはヘリアー、シャッターは茶筒の蓋。大正時代のテキスト通りやっても、なかなか思ったような絵が出ず。しかしどこに行けば話が通じる人がいるのか判らず。当時写真美術館に古典技法の本を出されていた荒井宏子先生がおられるのを知る。しかしこういう方にどうやって会えば良いのか判らず、興味もない写真講座に大量の申込みはがきを送った。講座の後に、台紙に貼るドライマウントなど知らないので、厚いゼラチンのせいで、スルメのように丸まったプリントを見ていただいた。という訳で思い出のタチハラなのだが、素人ゆえ、素っ気ないカメラ自体に飽きてしまい、船舶模型用のパーツで装飾?を施してしまった。“実は外観に問題があって”と、オイルプリント使用機材のページを見るようにいってから、今のところ返事がない。




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一日  


それにしても良く寝る。長年寝る寸前まで起きていて、ばったりと、ほぼ十秒以内に寝ていた。ピストルで撃たれたように、といわれたものである。しかしそれは力尽きて寝るのであって、できれば制作を続けたい。二日酔いしないことと、いくらモニターを見つめていても疲れのが有り難い。ただし乱視は酷くはなってきている。夕方最終日、ようやくフジイメージングギャラリーの『織作峰子“小山薫堂写真展』光という絵の具を求めて、を観る。オイルプリントは修験者の技のような分、額装が映え見違える。私が何度オイルによる個展をやるより、この展覧は伝搬力があったろう.会場を見て回り、ソファーに座り、私は写真の中の陰影や光や艶、ボケ、それらをすべて排除しようとしているのか、と改めて思ってしまった。こうして書くと良いとこ無しである。年内に一度はカラオケで『回転禁止の青春さ』の一番だけは歌っておこう。

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用済みのガラケーであるが、このまま無事に済ます気はない。腕ひしぎ逆十字の要領で、逆関節にへし折り、今までの鬱憤を晴らしたい。しかしただ折るだけでは面白くない、飲み仲間に、時計を見ては、お目当ての店の女性にメールをして落ち着かない爺がいる。ガラケーをしょっちゅうパタパタ開け閉めするので風が来て寒いよ、というくらいだが、相手にされないと腹を立て、ガラケーを放り出す。といっても、ちゃんと座布団の上なのだが。そこで、いい加減にしろよ、と爺さんいうところの“おなご”のデータが保存されているガラケーを取り上げ、同じ色でもあるし、目の前でへし折って見せるのはどうだろうか。救急車9回、バトカー2回乗車の酔っぱらい爺に、お灸をすえる良い機会である。

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先日、携帯電話がつながらず大変だったようだが、それとは全く関係なく、話している最中に突然切れた。とにかく携帯電話では良い事がなく、バソコンのプリンターと並び嫌いである。その大半は私が悪いのであったが、充填時の脈理のような物がなんとなく見えるな、と思っていたら、パリパリと割れ始め、今時の製品とは思えないことさあえあった。対応が悪くて二度とここは、と変えたので通じなくなる事には巻き込まれずには済んだが。幸い契約期間が切れるので ついにスマホデビューという事になった。最近の悪運の引きの強さを考えると、今日中に壊してしまう可能性大いにある、と、すぐにカバーを付けた。何しろ無くしたり壊したり、大半は、私のミスなのであった。深川警察に二度お世話になったのもいた。

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矛盾  


新版画の川瀬巴水が、陰影があったりなかったり、室内の人物と風景の場合を使い分けているのを見て、陰影を消すといっておきながら、行灯の灯りを半裸の女性に当てる誘惑に勝てず、その矛盾に身悶えしていた私は 目から鱗であったが、さすがに同じ場面内で矛盾があってはならないと思う訳だが、深川江戸資料館の『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』にも複製を展示していたが、日本人離れした夜の陰影表現で知られる北斎の娘お栄は『春夜美人図』で石灯籠の灯りを描写しているが、肝心の顔と腕には一番明るいという理由にかこつけ、陰影を施していない。輪郭線による従来の浮世絵調にリアルな陰影は、もはや限界というところであったろう。それにしても。本当のことなどどうでも良いといい続けてきた私は、そのわりに律儀に融通が利かないところがある。蝋燭の炎を筆で描いておきながら、水はどうするんだ?何て考えている。陰影を描かないということは、艶や反射も描かないということになるだろう。となると小川のせせらぎも滝の流れも、ただパチリとシャッターを切れば良いということになりそうにない。日本画の遠近法を写真に取り入れようと、グループ展に出品し、その矛盾に耐えられず、二回も差し替え、挙げ句に断念したのは昨年のことだった。

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube

『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』深川江戸資料館葛飾北斎と古今亭志ん生像展示


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隔月だと油断していたら12月になっていた。『タウン誌深川』に『大つごもり』樋口一葉を送る。大つごもりとは大晦日のことである。 工芸学校時代の友人からから忘年会に関する連絡。一年に一度顔を合わせるが、18~20で出会って、そう遠くない将来、誰かが誰かの棺桶を覗き込むことになるのであろう。 昔、独立することになり、新居、仕事場も用意万端、お祝いの晩に酔って吐瀉物を喉に詰まらせ亡くなった年上の同級生がいた。忘年会のメンバーも葬儀に出席したが、残された子供が意味も判らずはしゃいでいたのがいたたまれなかった。その子もすでに40くらいだろう。あの時のことを思うと、この中で誰が死のうと、すでにオッサンヅラぶら下げ、想定内の出来事、あれほどの痛々しさは無いに違いない、その点はなによりである。 高校時代のある日、徴兵制が敷かれる可能性について熱弁を振るう奴がいて、その日たまたまテレビで春風亭柳昇が『与太郎戦記』をやっていた。早く老いぼれて、使い物にならなくならないものか。そして気がついたらそんな域に達していた訳である。最も、あの当時でも、役立たずだったに違いないが。だがしかし、今週中にも懸案の撮影を予定しており、人にはいえないが、この期に及んで、まだ何も始まっていない気分でいるとは、御目出度いにも程というものがあるだろう。高校時代の私には、とても可哀想で伝えられない。結局、棺桶内の私の死に顔は‘最期まで苦労が足りねぇツラしていやがる’と通夜の席の酒の肴程度にはなるのであろうか。

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
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『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』深川江戸資料館葛飾北斎と古今亭志ん生像展示


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2、30代の頃は明け方まで制作し、昼頃起きる、というのが長きに渡り安定していたが、次第に早朝目が覚めたりして、これが加齢というものか、そうこうして昼まで寝ているなんてことは皆無になった。ここ20年は睡眠時間はおおよそ5時間平均。8時間寝ることなど皆無、起きてる時間が長い、すなわち長生きしていることと同義である、と解釈していた。忙しくなると、寝床に本を敷いて、寝心地を悪くし、さらに睡眠時間を削った。 私の場合、常に作りたい物が頭にあり、途切れることはない。最近こそ、いきなり襲いかからず、ちょっと考えるそぶりこそ見せているが。横道に逸れ、そこで何年も時間を費やしている時間はないからである。ところでここのところ私は風邪をひいたと思い込み、辛い物を食べては早めに寝ていた。気がつくと8時間に達し、日によっては2度寝、下手すると3度に及んだ。今まで風邪をひいてもそんなことはなかったが、身体が風邪を治すためにそうしているのだ、と感心していた。ところで今年は初めて2度の個展をやったこともあり、次に備えるためにも、部屋の片付けをしよう、制作に逃げないため、粘土の入手を我慢し、フォトショップの入ったPCの調子が悪いことにも乗じ、制作を休止している。いつまで片付けをやっている、どれだけ広い邸宅なのだ、というのは別な話として。そうこうして風邪ではないことが判明した訳だが、夕方頃寝てしまい、起きたら11時ではないか。しかも何ならそのまま寝ても良いくらいの心持ちである。そこで大変な事実に気がついてしまった。私は何も作らないと寝ている。ということである。長年作りっばなしだったので気が付かなかった。なんということであろう。慄然とし、腹を満たした後これを書いている。

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風邪ではなさそうだ、と思って以来、現金なもので、咳が収まってきた。もうずいぶん前から私がひく風邪には二種類あると思い込んでいて、熱が出ず、喉からくる風邪は長引き、病院でもらう薬も効かない。アレルギー性の喘息のようである。こういう場合 当初の水っ花の粘度が増し、青っ花に変じ終息を迎える。 夕方、打ち合わせと称して飲む。ビールばかり飲み、野菜が食えないこの人とは、だいたい毎回同じパターンである。前半こそ案件について話すものの、周囲に同好の士がいないものだから、好きなブラックミュージックの話しになり、本日は、しまいにそんな企画をいつかやってみたいという。そちらの施設、音楽と関係ないにも程があるではないか。そして後半、話はあちらこちらに飛び、終電前お開き。帰宅後、そういえば最初こんな話をしたけど、こういうことですね?と確認のメールが必要となる。

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久しぶりにオイルプリントをやってみて、身体に覚えさせることの大事さを実感した。難題に対した時に身体が“この場面知ってる”とコンマ何秒のタイミングで反応しているのが判った。寿司職人が、米粒一つ違わずに握るなんてことは、長くやっていれば誰でも可能であろう。私は学生の頃から長らくインスタントラーメンを常食していた。なるべく働かず、制作時間を稼ぎたいなんて了見の人間には有難い物である。もっとも後にビタミン剤の効き目を実感することになったが。愛用の片手鍋で水を入れる時に、チョロッとこぼす。計ったことはないがグラム単位で正確だったろう。スポーツも同様であろうが、日々の繰り返しがものをいう。頭で考えるのではなく、身体が反応してこそ。そうならないと話しにらないジャンルというものは間違いなくある。自転車など、子供の頃覚えたものは忘れないともいう。ただし例外はある。幼い頃、夏休みに父の故郷の茨城で竹馬を覚えた。帰ってきて、地元下町に竹馬を持ち込み流行った。近所に国鉄の官舎があり、おそらく踏切用ではないかと思うが、竹を沢山蓄えていた。もちろん勝手に持ってくるのだが。得意になってずいぶん遠くまで出かけたものである。 それから幾年月、私は四キロ四方人の住まない茨城の廃村に陶芸学校の先輩二人と暮らしていた。娯楽もない。土間に竹が生えてくるような所なので、竹馬でも作ろうということになったのだが、自信たっぷりのはずが、まったく上手く乗れない。小学生の時とは体格が違う。サドルに身体を預ける自転車と違って、全身を使うせいか身体に覚えているはずのデータが役に立たなかった。つまりラーメンで水をチョロッと、というのも愛用の鍋であったからで、鍋のサイズが違えばそうはいかなかった。鍋のサイズにかかわらず、なんていうのが名人というものなのであろう。

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