最近有った、ある生徒の脱走のことでいろいろと考えてしまってます。
親の複雑な気持ちと、スクールの気持ち。
20年前の事件は、起きた事実と、上記の二者のすれ違いから生まれたものには間違いはないと思うのですが、期待と失望、さまざまなことが入り混じる、そして動揺する心がさらにすれ違いを大きくさせる。
今思い出すに、自分が息子をスクールに預けたときどれだけ強い思いがあっただろうか・・・・、また貫く意志があっただろうか・・・・、そう考えてしまうのですね。
一度脱走したことのある息子を車でむかえにいったとき、どれだけ自分が動揺していたか、そういった色々なことが頭に浮かんでは消えていきます。
親なんか大嫌いだ、そういってた息子は脱走後に家へ連絡することもせず、しかし翌日朝には疲れきり、
電話をかけてきました。
嫌いなはずの親、しかし頼ったのは親、スクールから逃げ出した子達は必ず親へ連絡してきます。
親への甘えと、それではいけないのだという強い心、そのせめぎあいの中で子供は成長してきます。
親に頼らず、自分の力でかちとるのが卒業、それは入校時に遥か先におぼろげながらにしか見えないものであり、何度も無理だとあきらめながらも、なにくそと強い意志を持ち直して目指さねばならないもの、
いつしかその姿勢がその子の普通となり。 そして迎える卒業は親に勝つ事でもあり、自分の弱さに勝ったのを認識することでもあります。
この生徒が泣き、自分の弱さをさらけ出し、そして守るものが何も無くなって初めて一歩を踏み出すことができる。
それがその子の将来にどれだけ必要なことか・・・・・
私はそう思うのです。