そんなわけで、早朝家を出た娘は合宿へ行ったわけですが。
私は分かってはいるはずなのに、うろうろ、
駅はでかいし、路線も複雑、到着駅までの乗り継ぎが複雑な上に、特急、急行、乗り継ぎなど、うーん・・・・・
ただ、一度出てしまえば親の力は届きませんから、自分でなんとかするしかないわけですが、
連絡を受けた家内の話では、すべて自分で解決したようです。
とうぜんに他人とのかかわりが出てきますから、たった一日のあだに、いろいろな人に出会ったようです。
これが大切な事なのですが・・・・・
親の心配は過保護でもあって、故に子供をだめにするわけで、成長は親がさせるのではなく、社会がもたらしてくれるもの。
しかし、駄目ですねー・・・・・自分は。
と、ここで某掲示板に記載する文を一応書いておこうかとおもいます。
私の書いている、しょうもない日記を読んでくれている方はすでにご存知だとおもいますが、娘が再びウインド合宿に参加しています。
中学入学前の春休み限定、短期合宿です。
日の出と供に家を出て、重い荷物を自分で持ち、高速バスで目的地近くの駅まで行って電車を乗り継ぎ、無事に着きました。
基本的な注意と経路を教えただけで放り出した訳ですが、実は着いたという連絡があるまで私はうろうろしてました。 私も親ですから(^^:)はは
「春休みを無駄にしたくない」と言っていた、その言葉を自分で有形化した合宿参加ですが、合宿が楽しくて仕方ない?娘にとっては、こうした長い休みをそこで過ごすのが普通のことになりつつあります。
* そういえば、今年の夏に行われるかもしれない、小学生を対象とした特別キャンプが実施されたら、トレーナーとして子供たちにウインドを教えたいといってますが・・・・・。
女の子ですから、早速キッチンチームに配属されたようですが、短期参加とて特別扱いされませんから、他の生徒とまったく同じ生活をします。
自分から行けば楽しいところ、意思とは無関係だと苦しいだけのところなのですが、
多くの生徒が、合宿生活の厳しさに耐えられずに一度や二度は逃げ出すことがあるのは、訓練が厳しすぎるのではなく、“甘えの象徴である親元で好き勝手な事をしたい”というだけの事でしかないのですね。
月日を過ごした生徒達が、在校中に生活全体を楽しいものとしてとらえる事が出来るかは難しいですが、卒業後に帰宅した家で無気力的な状態に一時なる事があるのは、合宿生活で存在していた濃い(楽しい)人間関係から、突然切り離されるためです。
後になれば本当に楽しかったと思えるのが合宿卒業生。
物事をどういった方向で解する事が出来るかということはとても重要で、
入校前であれば、いつまでもぶつぶついい続ける人間性、
卒業後はそうした事を前向きに考える事のできる人間性、
入校から卒業までの間に学ぶ事は、将来自分の人生をどう切り開いていくかという、生き方の差となるわけです。
よく、勘違いされるのは、卒業してきた子が、すぐにその変化を目に見せてくれるものと思い込んでいる親御さんがおられますが。
子供が立ち直りを演じているならそれも可能ですが、そういった事をする子はいません。
生き方の差は、形として見えてくるまでに時間がかかるものだからです。
いま合宿を過ごしている私の娘も、その結果としてどうだったのか?
というのが現れるのは数年後になるでしょう。
子を育てることは、テストで100点を取るというように目に見えるものなら容易です、故に形として見える成績ばかりに固執してしまう親が多いのですが。
そのときに100点でも、5年後にはどうなっているかはまったく分からないわけです。 というのは成績だけがその子にとっての幸せではないからですね。
ゆえに私は、本能論で人格を育てることを最優先としています。 満開の桜の花に、全身で香りを?を感じる取る事の出来る、幸せな感性を持つ娘になることを願っての事です。 意味が分かりますでしょうか・・・・・