少し冷めて残っていたコーヒーを掴み、 一気に喉へ流し込む。
ライディングジャケットのジッパーをあげ、グラブを右手、ヘルメットを左手に持つ。
静かに駐車場へ出ると、何とも言えない美しい香りが漂っているのをすぐに感じ取る。 この季節になると必ずやってくる早春の空気だ。
まだ星の光が瞬く空を見上げながら、深呼吸を大きく三回してみる。
清らかな水がミクロに砕かれて含まれたそれは胸一杯に広がるが、春と言うにはまだ早い冷気が少しだけ咳き込ませる。 不快は全く無い。
ひと呼吸する度に、眠気の残る肺の二酸化炭素は全て外に放出され、清水の粒子と酸素は血液の流れに乗り、春のエネルギーに全身に満ちてくるのが分かる。
視線を落とし、「こいつにも幸せ(春)をくれてやらないとな・・・・」とイグニッションキーを回す。
チョークレバーを手前に倒し、軽くセルボタンを押すと 少し呻くようなクランキングに続いて起爆する。
1100ccの 4シリンダーエンジンの弾くエクゾーストは低く、時折 ”ボフボフ”という音を軽く混ぜながらマフラーより絞り出されていく。
「こいつも、俺と同じで、春に噎せるんだ?」 と、おもわず笑顔になる。
「行こうか相棒!」と心の中で呼びかけ、ギアをローに蹴り込むと チェーンにトルクを与えて車体を滑らせる。
細くて薄暗い道を少し走り、開けた通りに出ると左折する、 進行方向は東の空。
あと30分もすると 朝日が顔を覗かせるであろうそこは、 まだ薄いオレンジ色のまま、濃紺の空に溶けている。
一年のうち、たった数日だけ感じ取れるこうした朝、 つくしんぼう、そして春一番まであと少しだ・・・・・