帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

エアコン配管長採寸&

2014年04月19日 | Weblog

ノンビリした土曜日。 

朝掃除を終えるとすぐさま、新古品で買った"背負子"の布地部分を全部取り外し、浸け置き洗い後に脱水。

 

リビングのお膳敷き布 3枚を車に積み込んで家を出ると、まず近くのコインランドリーに持ち込んで23Kgの洗濯機に放り込んでセット。

そして清掃局周りで息子の家に向かいます。    エアコンの配管長測定があるんですね、今日は。

長さ3mで事足りるな~        後は取り付け工事ですが、息子が五月に入ってからが都合良いというので、そうします。

 

さて、本日のビジット目的のもう一つは、 その背負子 (ベビーキャリ-)なのですが、以前から息子夫婦がほしがっていたものでして、 

もう年齢的に2歳半になる孫には少ししか使える期間がありません、 ただ次の子の時に十分使えるのでプレゼント。 

普通は2万近い価格の物で、 幸運にも3800円で入手したものです。

 

アメリカ製の輸入新古品ですが、 形としては下のドイツ製ファウデに似ています。  

実は最近流行? の体と体がべたりと密着するタイプのは、女性ならまだしも、 男がつかうには メチャクチャ格好が悪すぎなうえに重大な欠陥がある。  

これは息子も全く同意見。

あんな物誰が使うかと 例えるならこれ・・・    

http://www.baby-smile.jp/items/01010450.html

http://store.shopping.yahoo.co.jp/koten/bjorn-miracle.html

 

体と体が密着して、おそらくは女性の目から見れば、そうした男性の姿は微笑ましいのかもしれませんが、自分みたいな男尊女卑タイプの人間には、

”ふざけるな!” と思わず言いたくなる。

 

実は遙か昔、このファウデみたいな背負子を僕は使っていた事があります。   

息子を背中に乗せて海外旅行等で大活躍。  山歩きやタイのくそ暑い町を背中に乗せてガンガン歩いた記憶が今でも鮮明に残っていて、

背中で飲み物を飲んでいた息子の姿が懐かしい。

 

「なんで~密着が駄目なのか?」というなら、 単純に体温の問題。   

それでさえ子供は火の玉、それを昨今の不要に”プロテクトウレタン”がぎっしり入ったあたかも鎧&防寒具のような物で全身を覆うようにして、さらに親の背中にべたりとくっつければ

どうなるかなど?    馬鹿でもわかるだべ    我が子を、 熱中症にしたいんか?・・・・

 

それでさえ体温の高い子供を背負えば、当然に親の背中は汗をかく、その汗臭い蒸気ムンムン(男の汗に至っては最悪)を子供はもろに浴びつつ、熱放出の悪い密封空間に置けば当然にぐっしょり汗をかく。 へたすりゃ風邪を引く原因。

母親や真冬ならばともかくも、いちばん良い季節の春から秋にかけてそんなものを使えば、一日サウナに我が子を放り込んでいるようなもの。

夏になれば事態はさらに子供にとって過酷になる。   あほかいな? 

このファウデの様な構造の物は、親の背中に当たる部分がメッシュの通気性高い材質でできているので、”当然”背中にかく汗の量は少ないし、かいても蒸発してすぐに逃げていく。

これまた”当然”に子供は蒸されない    親父の体臭から解放~~~!    あ! 参考までに僕には体臭がありません。

 

子供の乗る部分も、適度な隙間と最低のプロテクトのみで構成され、自由度が高い=通気性に優れる で肝心なのは首の後ろであるが、 しっかり後頭部を支えている。

寝たりしたときに後ろに頭が反っくり返るような構造の物は、歩くたびに子供の首と脳に負荷がかかるわけで、下手すると深刻なダメージを与えるので、それは重要。

特に男の場合は歩幅も大きいし、ガシガシ歩くのが普通なので、 女性のように穏やかな歩行などあり得ない(最近の草食系は知らんが・・・)。

このファウデの様に後頭部までバックが立ち上がっているのがGooD!。

 

基本的に子供の体温調整は着る物を重ねて調整できる為に、不要に包むような保温等は全く必要ないんです。  通気性こそが一番  体小さくても汗腺の数は大人と同じ。

さらに、大人にとっては柔らかいウレタンに感じても、子供にとっては堅い反発物質であり、動くたびに自重の衝撃が自分にはね返ってくるなど良い事等、何ひとつない。

その点昔のおんぶひもは最高性能なんです。

 

息子にもっていったのはもう少しシンプルで、 重量の軽いアメリカ製で名前なんだっけかな???? 

 

何考えて日本では父子”ベッタリ”が流行っているのか知りませんが、 幼心に母親におんぶされて楽しかった記憶は確かに自分にもある。

ただ、短時間のおんぶならまだしも、おんぶひもで親父の背中にくっつきたい、くっついて良かった等という、気持ちの悪い思い出等、僕は一度たりとも持った記憶がない。

女の子はともかくも、男の子は本能的に、自分との間に於いて確立した個としての独立性を父親に求める、 おかしな物で、体を密着して”母お父さん”下で育とうものなら、本能に反した気持ち悪い母性を厳しい父性に混ぜ込んだ異様な無意識を精神のバックボーンにするようなものであり、悪いが将来の自立はまずかなわない。

結果として 男になりきれない中性ができあがるということだ。   これは教育を研究してきた僕には明確に言い切れることだ、具体例を挙げるならオウム事件時の信者達のような輩ができるということ。

”男”としての人間性を確立できず、 幼心に造りあげられた”母性的な父親の姿”のイメージそのものに、自らの中に異様な母性を求める様な行動は、思春期以降に精神的に女性化して外見も女性的なファッションをとなって現れる。

失恋しても、男らしくやせ我慢と忍耐で乗り切ることあたわず、女性的面が露呈したストーカー男となり、最後には首を締めたり刺したりと、そんな男になる。

 

それだけは覚悟して置いた方がよい。    三つ子の魂百までも は一番わかりやすい現実そのものである。 

男は男の子を男になるように育てるから らしくて優れた男に成長する、 そうした心構えが両親に無ければたんにペットであり、中性となるだけなのだ。