思わず 涙ぐんでしまう。
いやね、特に何か有ったわけでもなく、予定通りに母親は手術入院&翌日に備えての準備。
そして親父の方。
仕方ない事とは言えども、あれだけ強靭だつた父親のイメージが少なからず崩壊していく事が、こんなにも辛いとは、正直思わなかったです。
年を重ねることは、悪いことばかりではなく、いい面も沢山有る。
しかしながら、たった一週間ほどの時間だけど、お世話になる職員の方々と話して、説明を受ける親父のやり取りは、あたかも先生を前にしている小学生のよう・・・
僕と話している時は、以前ままの親父、でも職員の方と話をする親父の姿は僕の知らない世界でもある。
お昼をカツヤで一緒に食べて話している時は以前と変わらない親父の姿だったので、
数時間という短い時間後に目の前に展開される姿はショックだ。
普段からお年寄りそ接している職員の方達の話し方はどうしてもそうなるし、
それが当たり前なんだけど、その当たり前がまだ当たり前ではない自分には・・・
はるか先にある自分の姿もやはり同じだろうか?
どうしてもそれを考えてしまう。
永遠の命など無く、
老いることは子供に戻ること=裸のまま無垢で生まれてきた姿に戻ること。
人は無から始まり、最後もやはり無にできる限り寄り添いながら、無へと戻る。
そいうった現実を(人の業)突き詰められるひと時でした。
実家に戻り、いつもなら親父がいて母親がいて、夫婦げんかしながら母親は夕飯を造り、親父はテレビを見ているか、椅子に座ってウツラウツラ。
でも、今日はたった一人で、出来合いの総菜なんか摘みにしている。
当たり前、
でも、それがどれだけ貴重で大切な時間なのかと、今更ながらに思う翔です。
あと7~10日後に二人とも帰ってきて、又何時もと変わらない親父と母親の姿に早く戻ってもらいたいなと思う翔です。
写真は親父が短期入所している施設の、クローズされて使われてない入口の上に貼ってあったもの。
道しるべ という題で、
共感すべきこと多々、なので、写真を撮りました。