昨日の、ウインド帰りに 頭の中に流れてきたのがこの曲。
当時は敵国、そして戦争。
おびただしい流血と、失われる命。
戦争が終わり、それなりの月日を通り越して命を授かって生まれ出た僕は、 戦争ごっこが好きな子供時代だった。
戦艦や戦闘機に憧れ、 やがて成長に伴い現実を知り、幼き日の強さに対しての憧れは薄れ、
やがてはビートルズやロックに気持ちを持って行かれた。
でも”自分は自分であれ!”と幼き日より自分に語りかけていた自分は、希望の高校(工業高校)に進み、戦後の日本の躍進と、
その背景との狭間に漂うことになった。
気付けば星条旗の下に自分がいて、デカイ基地の真ん中で迷子になったり、戦闘機のエンジンテストの爆音にビビったり。
まだ昔の慣習を引きずる先輩の厳しい言葉や、ドツキ?、気合い入れ?を経験しつつ18から29歳までただひたすら勉強をすることが仕事でもあり、 本来の?仕事は二の次であった。
世に存在するあらゆる技術を学び、 やがては法律も学び、それがほぼ完成された頃に職場が無くなり、先輩も居なくなり、職を変えたんだけど、
紛争の場に必ず存在していて、絶対に切り離せない金に固執する人々の業を知り、うんざりする毎日。
それに見切りを付けて飛び込んだのが今の職場。
意味不明の指図は無く、 干渉もなく、 自分に課せられたのは必要な性能を維持する事と、何時ぞやの敵国の若者に技術を教え、
そしてその敵国だった国の為に働いているという事実。
悲惨な歴史は、 新しい対立を生み出すための物では無く、 戦により互いに知り得た相互理解を元に未来へ供に歩んでいく事でプラスに転じる。
なんだかんだ言いつつ、今という一時はとても静寂で平穏で、 意味不明な砲爆で奪われていく命という物は存在していない。
セイルに風を受けて、時として爆風に吹っ飛ばされ、 骨折したり溺れそうになったり、 たかがスポーツ、されどスポーツ。
苦しい思いをしたからこそ得られる自然との語らいは、普通に生きていて得られる物とは明らかに異質で、でありながらわかりやすく説明することも不可能で、
ただ一つ事実として自分が得ているのは、沢山の言葉にならない自然からの贈り物で有って、普通では得ることの出来ない体験だったり、
健康だったり。
とにかくここでは書き切れない程の沢山の物をもらって、言葉にならない感謝は、いつもウインドの後にやってくる。
今の自分が漂う平和な時の流れは、 当時の先輩達が命をかけてこの国を守ってくれた結果で有り、今の日本はやはり、彼らの命の上に成り立っていて。
であるなら、ひたすら英霊達に感謝する、 翔なのです。