人事ではないなと・・・・・
親の介護というのは、本当に大変な物で、この方の生まれてきてからの人生、 母の思い、 現実、 様々な物が入り組みながら起きた悲劇。
記事を読んでいる間に、涙が止まらなくなった翔です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b48935480ee8ced12fd3d094a7b431526c83ec2c?page=1
果たして・・・、自分だって二人の親をこの先最後まで、そして又、親はもちろんのこと、自分も幸せな状態のままで看取れるかどうか?に関しては、常に不確定だ。
介護の沙汰は金次第でも有って、経済力が最後に物を言う。
贅沢等は無くても、 でもそれなりに人生の末期を迎えることが出来れば良いと思うのは、誰しもが同じく思う事だろう。
しかしながら、様々な現実が有るのも又事実。
自分もやがて迎える物ではあるが、その時に、どういった形で終わるのか?は全く判らない。
この記事の方に対し、逃げだとか、いい加減だとか、ひたすら厳しい言葉を浴びせる者達は少なくはないだろうが、
介護の知識も無く、学ぶ環境も無く、人と接することが苦手で、比較的内向的である、こうした人にとっての助け船であるはずの行政は、常にハードルが高い。
人間は、焦りと自分の心に蓄積し続ける”自分への苦悩”に耐えられなくなると、最後は、見えているはずの物が、
見えなくなってしまう(考える事や行動をやめてしまう)。
そういったことは、 特段精神医学に精通した人間でなくても、誰にでもわかり得ることだろうと思う。
子育てもそうだが、老いていく親の看護も、予行演習等は出来るはずも無く、人は常に一瞬一時が最初であって最後。
仕事等のルーティンワークや、日常生活の習慣などは、何度でも繰り返えし、工夫したり改善したりも出来るが、
それ以外の 小学校時代、 中学生時代、 高校生時代と、たった一度しか無く、 また卒業後に得る仕事も、人生も一度きり。
生きることは、常に人間関係と押し寄せる様々な難題との戦いの連続であり、 それから逃げずに戦うか、それとも逃げるか、もしくは避けるか後退するかになる?
戦い続けて居たら、”最後は豊かで幸福になる”なんていう幻想はどこにも存在せず、どの方法をとるにしても、
まるでベルトコンベアに乗せられたかのように、自分の分の役回りを感じながらだんだんと老いていく。
その役回りが不幸に落ちる様に見えても、何かのきっかけで好転することもある。 逆に順調だったのが、
思わぬ足払いで転倒したりもする。
それが人生だ。
僕の基本的な物の考え方は、”自分良ければ全てよし!”で有って、後にも先にもそれしか無い。
これをいうと、批判する人が居るが、自分が人を助けるには余力が要る。
自分のことだけで精一杯なのに、それが無い状況と環境で「人を助けましょう!」なんていうのは、
先生に模範として褒められたい学級委員長の理論でしかない。
現実というのは非常に厳しいのだ。
自分に余力が有って初めて人を助ける、そうではないだろうか!?
いずれにせよ、先が見えないのが人生であるのなら、一瞬一瞬を大切に生きていこう! 又それが僕でもある。
翔