だいぶ前のことですが、のび太の宿題が難題過ぎて解けないと話題なった事があったようです。
たまたま、それを見つけたのでURLを紹介。
記事の中で紹介されているその問題ですが、以下の様な物です。
●難しすぎるのび太の宿題
・テレビの上にみかんが1つありました。さてテレビの上にりんごはいくつあるでしょうか?
・君がここにいます。さてだれがここに何人いるでしょうか。
※どちらも算数の問題
この問題、本当に難しいのか?というなら、僕にはまったくそうは思えないのですけれど・・・・・ 変かな?
まず一問目のりんごの個数ですが、結論から言って正解は0個。
その答えの根拠ですが、まず ”テレビの上にみかんが一つ有る”と問題前半に書かれています。
そして後は、リンゴはいくつ? と 極めて問題文は簡単ですが、読んで分かるように非常に不安定な問題です。
この問題を解くのに、大抵は曖昧な部分について現実的に考える、想像まじえて考えるというのが普通なのですが、
現実的に考えるとしたら、普通の、しかも正常な思考と運動能力を持つ人間にとって、テレビの上にあるものを見て情報確認することは特別難しいものではなく、
ただ首を向けてそちらを見えさえすれば容易にリンゴのある無しは確認しうるものです。
となると、やたらと積み重ねられていない状態の、さらに複雑な計算無しに得られる数というのが回答の範囲になると考えるべきかと思いますが、
これは問題の中に、テレビの上の状態を回答者が容易に見ることの出来る情報が問題中に再現されているか、感覚的に受け取ることの出来る状態として有らねばならない事は、
特別な注釈が附則的に無い以上、当然の事と考えてよいわけです。
しかしながらのび太君が解いている問題には実態を認識しうる画像なり何なりがないわけで、これでは回答を導き出すことは出来ません。
どういう意味?と思われるかもしれませんが、 現実的に考えるとは、実際にリンゴが有るならそれを初めから確認でき、しかも回答者も当然それを認識できねばならないわけですから、
現実的な回答は不可能と言うことにないます。
そうなると、後は想像力を働かせて回答と言うことになるのですが、ここで問題なのは のび太がこの問題を算数問題として解いているという点(算数問題と注釈まで付いている?)。
すると回答する側はどうにもならない鉄則に縛られることになる。
もしそれを差し置いておいて、回答者が容易に想像を働かせることが出来る物と仮定して考えると、もしみかん以外にリンゴ等が複数ある場合は
テレビの上にみかん等が乗せられていました、そのなかでみかんの数は一つですと提起せねば、数学的問いとしてははなはだ不安定となり、想像を働かせても正解を導き出すことが困難となる。
なぜなら、数学的な問いにおいてテレビの上と書かれれば、テレビそのものの上に乗せられているのか、それともテレビの後ろに棚などがあり、そこに乗っているのか、はたまた空中浮遊をしているのか?
と想像を基に回答をしていくなら答えの範囲は際限なく広がり、結果的に回答が無い事になる。
回答が無い以上、算数問題として成り立つことがゆるされず、その点から想像による回答方法そのものは否定されるわけです。
もっとも、算数のテストですという注釈が付いた段階で、想像は全て排除されているのですが・・・
問題は、回答が無いという物も 回答として含む場合があります。 しかしながらあくまでも算数のテストとして出題されると、答えのない問題そのものが許されません。
数学問題をとく際には、絶対ねじ曲げてはいけない基本ルールというものが有り、それは回答者が問題そのものを勝手に解釈してねじ曲げたり自分勝手に問題文を改竄したりしてはいけないという鉄則で。
この鉄則からしても想像は絶対に許されない。
*注意 想像は許されないが創造は許されるのが数学。
参考 http://blog.goo.ne.jp/freedomeagle/d/20110510 の算数問題を解いたブログ
さて、そうなると唯一残る回答方法は、その問いの中で提示された情報範囲でのみ回答を導く事で、又それがもっとも正解な答となってくる。
ここでもう一度、問題文を見直してみるなら、文の前半に提示してあるのは みかんが一つある と書いてあり、問いとして りんごはいくつ とある。
テレビそのものの台数に指定無い以上みかん一つが乗る、テレビが一台と考えねばならないわけで、さらに重ねて みかんが一つ有りましたとされていれば 、おかしな事だけれど
それだけしか乗っていないことがすでに回答として書かれてしまっています、
問いとして りんごはいくつ?と書いてあったとて、 上記のように、答えはその問いの範囲から回答者が勝手に想像して広げたり、三段論法よろしく解釈をねじ曲げたり、ましてや改竄してはならないわけですから、
それら踏まえれば、リンゴはいくつありますか? の回答は0個となる。
ただ、これには落ちがあり、 小学生では実数だけを教える事になっていて、0という概念は教わらない事から、のび太君が0と分かったとしても、回答に0を記入することは許されず、現実的にのび太君は回答できないことになります。
すなわち問題として成立しないと言うことです。
はて?そうなると一体どちらが正解なのかと考えるわけですが、問題がある以上、答えが無い算数問題は問いにならないという性格から、答えの出る方を優先して考えるべきで。
そうであるなら 答えは0が正解となるわけです。
次、二問目、 君がここにいます、さて だれが何人ここにいるでしょうか?
これも上と同じ回答方法となるわけですが、まず問題の中に君がここにいます、と一人目の存在を明らかにしています。
そして だれが何人ここにいるでしょうか? と問いを投げかけているわけですが。
君がここにいますという言葉がある以上、君以外に問題を提起している人間が存在していると記載されているわけで、それを問題文として明らかにもしています。
後は、上記の問いの回答と同じで提示された条件の中でのみしか答えは導けないわけですから。
答えは回答者と出題者。 そして人数は回答者一人、それ以外に出題者が一人となり、合計二人。 それが答えです。
どうでもいいか へへ