なんでもそうだと思うが、人があり、組織があると、必ず行き違いというものが
生じる。
昨日のことで、仕事柄あまり詳しくは書けないのだけど。
ある機器をめぐって若衆と他の部署との間でもめごとがあった。
機器のトラブルがあり、その責任の問題の事だ
広範囲なシステムをいくつもの部署が運用している場合、必ず責任の分界点があり。
双方が接続されている状況下においては、トラブルについてどちらに原因であるかということに関して、こちら側からもある程度侵入するような形を取らない限りは、確実なところが分らないということが多々ある。
いうなれば、こちら側で向こうの仕事の負担をある程度荷なう形で職務を遂行することで確実性を高めるということになるのだけど、向こうのやるべき基礎的な測定などを行いながら、考察を行い、データと照らし合わせて。
100%を得るわけで、その上で向こう側に必要と見られる対処を求めることになる。
いうなればこちらの落ち度をどれだけ0%に近づけられるかということだ。
こういった形をとる場合、むこう側の機器の知識が当然こちらにも要求され。
ゆえにこうした考えが双方に作用する事で、本来なら互いの立場と知識を高めあうことが出来るわけだが。
こうした考え方は割と日本的で、彼らの考え方は、きっちりと線引きして、これ以上は絶対にやらないという傾向が強い。 現実にはこちら側が一方的にむこうの知識をまなび、むこうを助けてあげていることが殆どだ。
これは日本人という存在がいるかいないかという事が組織としての形にそのまま現れているかと思う。
今回は調査の結果、原因が相手側にあることがほぼ99%判明したために、相手の責任者に連絡をとり急遽来てもらったのだが、ちょうど私が帰宅するのと入れ替わるように来た為に、若衆(申し送りしていたのだけど)が相手にうまく説明できず、結果として相手がきちんと調査せずに帰ってしまったことで問題になった。
それどころか、来た人間は上司に、自分達の機器に問題なしとまで説明したようだ。
実はその前、彼らを呼ぶときに、状況を説明しながら若いやつが話していたが、らちがあかず、そのうち私が電話交代して、多少むこうの責任者と口げんか状態になった事も災いしているかもしれない。 あいての態度が非常に態度が悪かったためでは有るが、口げんか程度で負けていては、こちらも若いやつに示しが付かないこともある。
割と彼らの思考にあるのは、自分は悪くなく、相手を疑う傾向が強く、まず自分に厳しくという日本的な考えは無い事から、割と押しの強いものがどれだけ相手より上に立てるかというのがこの国の現実でもある。 会話の駆け引きで引けないと感じればあらゆる方法をつかって相手を威圧するが。
言い負かされた相手にしてみれば、何で日本人に英語で言い負かされねばならないのだと言うことなのだろうが、事はシステムの運用のもので、個人的な考えなど入る余地など本来は無く、そこが人間としてどれだけ熟成し大人であるかという事になる。 かといって私はすごい人間でもなんでもないことだけはこれを読んでいる人は分ってくれるとおもう。 故障したから修理をしてくれという、たったそれだけのことなのだから。
さて、私が帰宅していないのをこれ幸いとばかりに若い連中をいたぶったようで、可愛そうなのは、若衆が今朝私の上にいる上司からも散々叱られてしまったわけである。
むこうとこちらの上司同士の話で、こちらが悪い事でもしたかのようにクレームを入れられれば(機器の問題はいまだ継続している)、軍隊であるがゆえにノックダウンで叱られ、特に知識がまだ未成熟な部下は何一つ文句が言えない。
挙句の果ては私にまで電話をしてきて、説明を求めてきた。
もちろん言われる筋合いの無い事、また、こちらはほぼ完璧にやっているために。
証拠を並べ立てて、言いくるめた挙句、上司を反撃し、挙句の果ては責任ということについて説教までしなければならないはめになったが、とりあえず部下の冤罪は免れたわけで・・・・
そんなわけで、再度相手の責任者および昨日ここに来た人間を呼びつけたわけだが、早朝に出たと連絡があってから3時間、待っているのだが一向に姿をあらわさない。
このあたりは日本人とは異なり、強弱の差がそのまま恐怖のさであり、自分が何したか分っている事もあるのか、あからさまに逃げるようなところがあり、この辺が可愛いというか、面白いとことろでもある。
下手すると、また私のいない時間を狙って来るかもしれない。
若さは馬鹿さなんて言葉を言う人がいるが、後先考えずにやれば、当然になるようになるわけだが、もし彼らがきちんと責任というものを意識して調べさえすれば。 機器の故障等すぐにわかることで、しかしながらこうした責任という意識が日本人ほど強くないのが彼ら、といえばまたそれもひとつの文化ということができるであろうか。
日本人の素晴らしいところは、この自分に厳しく責任意識の強いところにある。
その日本人としての特徴たる責任と厳しさが崩壊したのが、今日の教育なのだとおもう事が最近おおい・・・・・