Cogito

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オシアン

2007-03-25 22:12:47 | アート・文化

「オシアン」中村徳三郎訳 岩波文庫

どうやら貸し出し期間内に読み終えた。読み終えたというより最後の方は斜めに読み飛ばしたといった方がいい。しかし、オシアンの世界にとっぷりとつかり、堪能できた。はじめは訳文の文語体の文章が、散文になれてしまっている私にはなじめなかったが、でもすぐに世界に浸れるようになった。戦いで、次々と死の世界に行ってしまう悲しい物語なのだが、全編には甘美な優しさがあふれて、とてもロマンティックである。

この物語がヨーロッパに紹介されたとき、センセーショナルになったのがうなづける。まさに新古典主義からロマン主義的な世界へ移行して行くちょうどその時、大きな影響を各方面に与えたのもむべなるかなである。原文を読んでみたいと思うが、どう逆立ちしたって、これからゲール語を勉強して、原書を読むなどとても無理な話だ。この歌は本来竪琴に合わせて歌われたものだという。平家物語を琵琶法師が吟じたようなものだったのだろう。映画の中で吟遊詩人が竪琴を奏でながら、吟じているのを見たことがある。ああいうものだったのかも。そしてお抱え歌人は自分達の歴史を歌って、伝えていたのだろう。どこかで片鱗に触れてみたいものだ。はじめ読んだときはアイルランドの伝承を連想した。同じケルトだし、と思ったのだった。

オシアンの内容は、3世紀ごろ、スコットランドの北部モールヴェンに、フィン、またはフィンガルと呼ばれる王がいて、戦いで、一族の者たちが次々と戦場に倒れ、最後に生き残った王の息子オシアンが、高齢で失明してしてしまってから、戦死してしまった息子オスカルの許婚マルヴィーナに一族の戦士たちの思い出を語って聞かせた話である。マルヴィーナは竪琴の名手であった。

キリスト教の伝わる以前の、スコットランドの荒涼とした高地、そこで活躍するフィン王一族の勇壮にして優しい人柄、白い胸の美しい娘たちの悲しい物語。枕詞のように形容の言葉がつく、たとえば、白い胸の娘、緑深きエリン、荒波のロホラン、激しい剣のフィンガルといったように。

オシアンが紹介されるとヨーロッパにセンセーションを巻き起こしたことは前にも述べた。もう少し詳しく言うと、フランスではルソー、スタール夫人、シャとブリアン、ラマチーユたちに感動を与え、ナポレオンは愛唱する余りパリ大学にケルト学部を作ったという。ドイツではゲーテ、ノヴァーリス、クライストなどが、特にゲーテはオシアンに傾倒し、「若きウェルテルの悩み」に反映したという。当時の人たちとは違う時代環境にいる私ですら、一読して、その気持ちはよく分かる。

さて、このオシアンの名声が高くなると、思わぬところから論争がわき起こった。それはオシアンの古歌など存在しない、これを採取して発表したマクファーソンの創作だ、とイギリスから。アイルランドからはこれはアイルランドの古歌の盗用だというのであった。国内からもオシアンなど実在しない、歴史的人物ではない、だからオシアンの歌など存在するはずがない、というものだった。イギリスで反対の先頭に立ったのはあのサミュエル・ジョンソン博士だった。これを知ったときはジョンソン博士を買っていただけに残念に思った。

スコットランドの歴史等を読むと、当時の歴史的背景、事情はいろいろあるが、かなり民族蔑視が含まれているように思われる。イングランド、スコットランド、アイルランドという確執、さらにスコットランド内でもローランドとハイランドとの差別。ハイランドには文字もない、未開の地であったというのである。もうひとつキリスト教が入って来て、こういう世界観が拒否され、排除の対称になったのではあるまいか。アングロサクソンの言い分のように私には思える。どっちにしても、オシアンのこの文学性は重視されてもよかったのではなかろうか。ヨーロッパ人がアフリカに文明などなかった、だからジンバブエやマリの文明があったわけがないと主張したのに似ている。

訳者の中村徳三郎さんはこれに対してひとつひとつ反論している。私はそれをどうのこうの言う知識は持ち合わせていないが、この物語を読んだ感想としては、実在かどうかは別にして、一人の人間の手によるものではなく、伝承の歌だろうと直感したのだった。とはいえ、これをマクファーソンの創作だとする説はまだまだ強く残っている。

中村徳三郎さんの解説によると、この民族の思想は「とき」の観念が根底にあるという。この民族の心には未来と過去だけがあって、現在はないよう、あってもごく軽いもの、急流のように近づいてくる未来は、そばに来るともう過去になり、すべては過去に吸収されてしまう。ゲールという語は「風」という言葉から来ているそうだが、まこと風のように、とどまるときは消えている。すべては消えていくが、高貴な行為だけは「とき」の流れの堤の上に残ると考え、そういう行為をすることに生きがいを感じている。高貴な行為とは報酬を求めない行為。ただ祖先や子孫たちが歓んでくれる行為。

あるものはすべて仮の姿で、敵も味方も善人も悪人も同じ人間だと考えている。だから倒れた敵のためにも石積みを建てねぎらう。この民族の民話にあるように、人が動植物や光や音や空気になるというような輪廻の思想に似通った考えになり、自然に対する親近感、一体感となる。この考えはケルトの思想ではないか、と。

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2007-03-24 12:07:35 | 日記・エッセイ・コラム

探し物をしていたら、天袋にぞうりや下駄に混じって中ヒールと書かれた箱があるのを見つけた。下駄も酒田の塗り下駄があった。酒田へ行ったときに買ってきたのだろうが、あることすら忘れてしまっていた。

中ヒールなんておよそ履くことはないのだが、何かのことを考えて一足だけ礼装用にとっておいたのだった。カビが生えているかもしれないと、箱を開けてびっくり。「ひゃ~、なんだこれ?」カビこそ生えていないが、靴はヒールの部分がボロボロになって、中のプラスチックががむき出しになっている。両足ともそうだ。皮の部分はなんでもないが。まるで鉄がさびてボロボロになるように、赤茶けてボロボロなものが箱に詰まっている。そのままゴミ箱に捨てたが、ヒールの材質はなんだったのだろう。コルクだったのかも。こんなことはじめて。

おしゃれではないから、洋服に合わせて靴を何足も持ってはいない。形も数十年来同じ形の、軽くて、革がやわらかい、同じメーカー(ハッシュパピーかエコ)のものである。それは皮膚が弱いから、すぐ靴擦れをして辛いからである。面の皮はあついのにね、と言いながら、流行の形の靴を眺めている。でも、ときどき、他のメーカーや、同じメーカーの新製品を買ってみたりする。シュー・フッターにあわせてもらって。でも結局はダメだと言ってはかなくなってしまう。もったいない、もったいない。

さらに困ったことに、靴は履きならしたものより、はきおろしたときが一番フィットする。ずいぶんと無駄をしているわけである。

                                              

金魚の水槽の掃除をして水を入れ替えた。この前掃除をしたのはいつだったかな、そんなに経っていないような気がするんだけど。こげ茶の藻がびっしりと付いてしまった。半年ぐらい水を替えないで放っておいても平気だったのに、何が原因かな。

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マグナムが撮った東京

2007-03-23 20:32:55 | アート・文化

「マグナムが撮った東京」写真展を見に恵比寿の都写真美術館へ行って来た。1955年から現代まで。マグナムの写真家による写真はよく見ている。東京を撮った物だって見ているんだが、いや~、おもしろかった。

私達日本人にとってはごくごく普通の見慣れていることが、外国人たちの目にはこんなに生き生きと新鮮に映ったんだ、と痛感させられた。私も、同じような目で外国を切り取っているんだな。

1955年あたりの東京は私達のとってはとってもなつかしい。日劇も数寄屋橋もある。

マグナム会員の中に2人の日本人の名前があった。浜谷浩さんと久保田博二さん。浜谷さんはもちろん知っている。なんと久保田さんは小田原在住と書いてあった。マグナムの紹介から。

http://www.magnumphotos.co.jp/ws_photographer/kuh/index.html

都写真美術館のHP:

http://www.syabi.com/details/magnam.html

ヨドバシでフィルムを買ったのだが、フィルムコーナーが縮小してしまってさびしい限り。デジカメに押されてしまっているのだろうが、写真のよさはまだまだデジカメはフィルムよりはるかに劣る。なのにねぇ。

一番腹が立つのはフィルムの箱。今までは20本入りの大箱があった。それを2箱、といったように買ってきていた。ところがこのごろは一つ一つ箱に入ったものしかない。それをラップで何本か包んで売っている。中身は同じだが、いちいち箱を取って、ケースに入れるのは面倒なんだ。それに箱がゴミになる。エコに逆行してるよ。それがほしいからわざわざ買いに来たのに、とはいったものの、今はもうないと言われてがっくり。いやだねぇ。ならもう買いに来るのはよそう、っと。

上野のしだれざくらはもう8分咲だった。不忍池の弁天さんも人でいっぱいだった。子どもが春休みになったからかも。

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春分の日

2007-03-21 15:16:10 | 日記・エッセイ・コラム

春分の日は「国民の祝日に関する法律」によると、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とある。ちなみに秋分の日は「祖先を敬い、なくなった人々をしのぶ」とある。

一般的には古くから定着しているように思われている彼岸の行事も、いろいろ知っていくとおもしろい。春分の日や秋分の日をお彼岸の中日として、お墓参りに行く。彼岸の中日を中心にして前後三日ずつ、計7日間を彼岸会、俗にお彼岸と言って、法要をする。もっともこれは日本仏教独自のもので、インドや中国にはない行事である。

私は仏教にも神道にも密着していないので、客観的に物が見られる。とはいえ、日本人としてこの地に育ってきている。原点においてはかなり、双方がかかわってきているから理解も出来る。数年前、日本の仏教史を自分なりにまとめたが、その視点もどちらかといえば、歴史に置ける日本の仏教を客観的に見ることが出来た。ときどき、葬式に参列したとき、坊さんの言う言葉に、ええ~と思うことも度々ある。

日本に仏教が渡来してきたとき、日本には民族宗教の神道があった。外国人から見ると、神道は宗教とは認めにくいようだが、とにあれ、明治以降、国家に利用されはしたが、もともとは素朴な宗教であったと思う。当然、仏教も神道の方式を取り込んで行ったに違いない。最初から仏教は神道と融合していたのだとみてもいいだろう。

簡単に言えば、民族宗教とは自然発生的に出来た宗教、教義よりは儀式を重んじている。一方、仏教は世界宗教、普遍的な世界観を教えている。双方、世界観はまったく違う。しかし、おもしろいことに、「ほとけ」という訓はどこから出たのかわからないのだという。「神」という言葉も同じく、語源は不明だそうだ。

彼岸は仏教の「到彼岸」が省略された言葉。比喩として大きな川の向こう側に仏の世界があり、こちら側にわれわれ凡夫がいる。川の向こうの彼岸は、仏の世界、悟りの世界であり、こちらの岸は迷いの世界と言うことが出来る。要するに、この迷いの世界から、悟りの彼岸に到る、到彼岸、が仏教の目的である。

春分、秋分の日に彼岸会が行われるようになったのは、春分、秋分の日には、太陽は真東から昇って真西に沈む、古くから日本人には、死者の行く国は「根の国」、それは遠い海の彼方、または地底深くにあると考えられていた。それに浄土信仰が加わって、いつの間にか、死者の国は西方にあるというのが定説になった。だから春分、秋分の日、真西に沈む太陽に、ご先祖様を偲ぶ行事を行うようになったようだ。

学者によっては、彼岸は、到彼岸ではなく、日拝みの太陽崇拝から来たものだと説く人もいる。おそらく太陽信仰が大きく影響しているのは間違いないだろう。邪馬台国の卑弥呼の話など読むと、そう思う。

戦前の日本には宮中行事として、秋分、秋分の日に行われる、春季皇霊祭、秋季皇霊祭なるものがあった。ただし、これが制定されたのは明治11年、1878年のことである。廃仏毀釈までして仏教を排斥し、なんとか仏教色のない神道を確立したいという明治政府の思惑があったのだ。そんなこと土台無理な話だったのだが。

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2007-03-20 16:27:07

2007-03-20 16:27:07 | インポート

ピアノの調律に来てくれた。今年からは グランドとアップライトの2台だから、調律士さんも大変だ。去年返って来たアップライトのほうの調律が、ヤマハとは違うからと、時間がかかっていた。ふ~ん、そうなんだ。ウチのピアノは一度違う人に調律してもらったら、音が気に入らないと娘が言ったので、以来ずっとこのHさんに頼んであるからだけど。

今日は小学校の卒業式だ。天気がよくてよかったね。

3月に入ってから、庭では異変が起こっている。というのは、鳥の餌台においてあるご飯もパンケーキも減らないのだ。カラスはもう餌を貰いには来ない。たぶん、どこかで巣作りをしているのだろう。ぱったと姿を見せなくなった。

餌台の餌が減らない理由はヒヨのせいである。餌を当てにしてくるスズメやメジロを追い払っているのである。スズメは何とか隙を見て、と近くに寄ってくるのだが、ヒヨたちはピーピーを黄色い声を上げ、「ここはオレの縄張りだ」とばかりに脅かしている。「お前っちのではないぞ。元もとはスズメのショバだぞ」、ヒヨは知らん顔、耳も貸さない。でも餌を食べてくれればいいのだが、追っ払うことに専念して、餌は一向に減らないのだ。寒いから腐りはしないけど。

割を食っているのはスズメだけではない。イソヒヨドリも割を食っている。私の姿を見つけて側まで来るのだが、ヒヨのバリアーにひっかかり、餌を貰うことが出来ない。何とかイソヒヨにやろうと、こっちも陽動作戦を取るのだが、なんせヒヨの数は増えている。なんとかシフォンをくわえて飛び立ってもイソヒヨを執拗に追いけるのヒヨ。

こんなに意地悪だったかねぇ。いままではスズメといっしょに同じザルの餌を食べていたのにねぇ。こんな意地悪じゃなかったよ。

ウチのヒヨじゃないな。山から下りて来たいじめっ子だよ。いや、いじめっ子集団だよ。だから嫌われるんだぞ!お前達になんて、シフォンはやらないよ。

シフォンは小さくちぎって、木の根元に投げてやる。いち早く私の姿を見つけてくるのはソウシチョウ。次にメジロ。地面の上なので、ヒヨドリは見ている。ところがソウシチョウがくわえて飛び立つとそれを襲って取り上げている。まさにギャング。

天井から小さなクモが下りて来た。ユカタヤマシログモのチビみたいだけど。

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