Cogito

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少子化を乗り越えた

2007-03-17 20:42:55 | 日記・エッセイ・コラム

「少子化をのりこえたデンマーク」湯沢やす彦著 朝日選書を買ってきた。この間から気になっていた本である。

少し前になるが、子どもが育つのに適した国のランキングが発表されていた。確かデンマークがトップか、トップに近いところにあったような気がする。夫は「子どもの権利条約」の研修に、スウェーデンとスイスに行ったことはあるが、私は旅行者として北欧4国を歩いたに過ぎない。しかし、電車にしても、船にしても、ホテルにしても、ミュージアムにしても、人の集まる施設には子供用の遊びが出来ていて感心したことがある。そうそう、デンマークの空港にもあった。

デンマークは小さな国である。人口も少ない。このデンマークで80年代から出生率が上がってきている。出生率を上げるその裏側には、全て社会的条件がかかわっていることがわかる。要はここなのだ。

仕事は全て4時に終わる。みなさっさと家に帰る。残業なんてしない。家ですることがたくさんあるからだ。

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まなづる

2007-03-16 08:51:04 | インポート

真鶴関連の記事はこちらに入れることにした。よろしく活用ください。

http://mamasan.blog.ocn.ne.jp/manazuru/

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ファウスト

2007-03-15 12:58:39 | アート・文化

ファウストといえば、言うまでもなくゲーテの作品である。ゲーテのファウストはいくどとなく読んでいる。内容の深い、すばらしい作品だと思っている。ゲーテがファウストの構想に入ったのは20代だそうだ。そして第一部の悲劇が40代に完成、そして二部を書き上げるのは80代に入ってからである。いろんな人の訳を読んだが、今手元においてあるのは大山定一さんのものである。大山定一さんの訳は詩集などでもおなじみだからだ。

ファウストがメフィストフェレスに、自分が満足して「時よとまれ、お前は美しい」と言ったらファウストの魂をメフィストにやるという契約で、若返り、さまざまな経験をする。一部はマルガレーテと恋に落ち、子どもを産ませ、捨て、マルガレーテはえい児殺しの罰を受ける、が魂は救われる。子どもの頃、モノクロのこの映画を見た。この場面は牢獄に天上から光が降りそそぎ、ドラマチックであった。

二部は言ってみれば神話や空想の世界が入り混じり、最後は所有した土地を開墾し、働く人々の姿に満足して「時よとまれ、あなたは美しい」と叫んで息絶える。ただしメフィストに連れ去られる魂は、かつての恋人マルガレーテの手により地獄へ行かずに天国に運ばれる。

ゲーテの「永遠なる女性」は最終の歌にある。「すべて常ならざるものは映像に過ぎず、人がねがいも求める全きものは天上で叶えられる。永遠に女性的なるものによって、われらはそこにひきあげられる」

いままたファウストを引っ張り出したのは、手塚治虫の「ファウスト・百物語」「ネオ・ファウスト」を買ってきたからである。「ネオ・ファウスト」の方は「アドルフに告ぐ」とおなじくハードカバーの新刊を買ってある。

目を通すと、「ファウスト」も「百物語」も読んだ覚えがある。「ファウスト」を手塚が子供用に漫画化したのは21歳のときだったという。「百物語」は42歳、そして「ネオ・ファウスト」は未完のまま絶筆。生涯を通してファウストと付き合ってきたことになる。もちろんファウストから触発をうけてはいるが、手塚の世界は自分のものだ。

ゲーテのファウストを読み始めたら、図書館から頼んでおいた本が届いたという電話があった。こちらには期限がある。先ずはファウストを戸棚に入れて、借りた本を読み始めた。

私は目が悪くなったせいもあって、本を読むのが遅い。そこでたいていは買ってしまうのだが、手に入らないものは図書館にお願いして探してもらっている。その時ばかりは期限内に読みきるためにせっせと読む。

今回探してもらったのは「オシアン」。スコットランドはハイランドのケルトの伝説的叙事詩といわれているものだ。このオシアンには歴史的事件がある。だからこそ読んでみようという気になったのだ。「オシアン」が発行されると、当時のヨーロッパではセンセーションを巻き起こした。オスカー・ワイルドのオスカーもオシアン由来だそうだ。ナポレオンも読んで感激したという。ナポレオンはゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んで、ゲーテその人と文学論争したというエピソードも残っている。これはまたいずれ読後感に入れよう。

県立図書館から貸してもらった「オシアン」は昭和46年の岩波文庫。中村徳三郎の訳だ。困ったことに字が小さい。おまけに紙も変色して赤茶けている。これは泣きものだ。岩波文庫をさがすと、「オシアン」はあったが、品切れ、再販の見通しなし、と書いてあった。叙事詩といえば「ニーベルンゲンの歌」も岩波文庫2冊だった。まだ若かったから、この字でも読めたんだな。

度の強いめがねに代えて、さ~読もう。

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人間国宝美術館

2007-03-14 12:24:30 | アート・文化

Tirasi_1 外灯の看板に「人間国宝美術館」というのがあるのに気がついていた。どこにあるのかな、人間国宝の作品を展示してあるのかな、それにしてもネーミングはいただけない、なんて思っていた。

昨日、ハンディに行こうとして、交差点で看板を見た。「人間国宝美術館って、どこにあるの?」と聞くと、「信号の向こうのあの丸い建物だよ」とPapasanが言った。「大昭和の事務所だったとこ?」「そうだよ」「じゃ~、寄ってみようよ」ということで、左に曲がらずに直進して、と言っても交差点をすぎ、駐車場を探すと建物の裏にあった。通路がすこぶる細い。裏手に車をおき、入口の方に歩くと、歩道沿いにコーヒー330円と紙が張ってあるガラスの入口があった。

中に入ると、受付に感じのいい和服の女性がいて、「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。右手には椅子とテーブルが置かれ、喫茶になっているようだ。「美術館、ここでいいんですか?」「はい、お抹茶つきで900円になります」「お抹茶つきとはありがたい」そこで、ドアを開け、向こうの入口の方に歩いていくPapasanを呼んだ。

展示場は2~4階。エレベーターで4階にあがる。ここはビデオコーナーになっていて、スクリーンで作品の解説がなされていた。解説されている作品はスクリーンの左手に今月の一点として実物が飾ってあった。金重陶陽さんの水差しだ。備前の田の土を使ったものだそうだ。重厚だが、温かみのある作品だ。今月の一点は毎月変わるらしい、来月は磁器だと言っていた。ということは来月も来なくっちゃね。サイドのガラスケースには染付けが並んでいる。

4階の窓からのぞくと、高さがあるので、見慣れた景色も変わって見える。海岸の高層マンションが視界をさえぎる。景色を共有するには高くても4、5階がいいところだ。

3階の広い部屋でまず目に入ったのは島岡達三さんの大皿だった。そっちに行こうとすると、「右手にも部屋があるよ」といわれた。あら~、見覚えのある椿の絵柄、魯山人だね。河井寛次郎、唐九朗、加藤卓男など、おなじみの作家の作品があった。奥にジンチョウゲが活けてあった。

そして広い部屋に入ると、お~お~、いいね~、ここにもおなじみの作家達の作品がぞろり。浜田庄司も島岡達三にならんでいる。柿右衛門もある。私は楽15代の作品は好きなんだ。

人形にはあまりお付き合いはないが、「児よろこぶ」という人形は、子どもの表情がとてもよく出ていて、思わず笑みが浮かんでしまった。

2階は色鍋島などの骨董が並んでいる。角には備前の花瓶に活けたランがあった。この階には細川護煕さんの陶器も書もある。7年間、陶芸に打ち込んでいるという。確かに美意識は高いし、別に売る必要はないし、美の探求に専心できるといういい環境にあるから、それなりの品はあるが、名工たちの作品を見た後なので、ちょっと心惹かれない。

展示室は3階も2階もいい空間だ。作品が静かに語りかけてくる。それにわがままな私には、人がいないのがいい。

1階に戻って、お抹茶を頂いた。並んでいる、名工のお茶碗で、お茶がいただけるのである。私は志野を選んだ。私が選んだ志野は鈴木蔵(おさむ)さんの作である。Papasanは細川さんの茶碗をえらんだ。志野茶碗はデフォルメされているけど、両手にすっぽりと収まって、感覚がいい。お菓子は好きなものじゃなかったから、食べなかったけど。お茶を頂くと、アンケートのお願いをされた。素直に、期待していなかったが、内容はとても素晴らしくて、また来ようという気になった、と書いた。ほんと、そうなんだ。

人間国宝美術館HP

http://www.nikobi.com/

HPのご利用案内をあけ、割引券をプリントして持っていくと100円引きになるようだ。

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Happy Birthday

2007-03-13 10:43:25 | 日記・エッセイ・コラム

Anzu_1 Mokuren 今日はPapasanの誕生日だ。いつも誕生祝のように咲いていた桜桃は今年はもう散ってしまったし、白モクレンも散り始めている。しかし代わりにアンズがちらほらと咲き始めた。このアンズの品種は「平和」である。

朝、「Happy Birthday!」と言うと、「これで70の大台になった。後20年は生きるぞ」「え~、そんなに付き合えないよ。お釈迦さんだって、80だよ」娘からもメールでBirthdayカードが届いた。ただし私宛に。

なんとベラルーシのアンドレイさんからも電話がはいった。「お誕生日おめでとう」と日本語で。Papasan、幸せだよ。

神奈川県消費生活課から「暮らしのジャーナル」が郵送されていたが、これをなくしてHPに掲載する旨の通知が来た。郵送料の節約になるし、私は困らないが、だれしもPCを持っているわけではないし、私の年代ではネットを利用している人は少ない。電話料も郵送分は有料になって、自分でアクセスして見るしかなくなった。これで情報が行き届くのだろうかと、過渡期だとはいえ、心配になる。せいぜい情報センターを利用して、PC操作覚えなさいよ、と言っているが、60代はなかなかしない。

誕生祝にはならないが、Papasanの好きなフルーツケーキを焼いてやろうと準備に入った。ラムに漬け込んであるレーズンやプラム、アンズを細かく切った。このケーキはね、この漬け込んだフルーツが決め手なんだよ。市販のフルーツケーキはキャラメルソースで色づけしてあるけど、ウチのは漬け汁の色なんだ。しかもコクが出る。これは時間の賜物なんだよ。これは2年以上漬け込んであるからね。時間というものは本当に大事なものなんだよ。オレンジの皮は昨年のものだが、甘く煮てブランデーをかけて冷凍しておいた。その方が香がいい。

                                                  

夕べ湯川秀樹さんのメッセージを見た。平和と核廃絶を訴え続け、死ぬ3ケ月前まで、国際会議に出席して主張していた。その平和を訴え続ける生き様は見事だったし、頭が下がった。それに引きかえ、わが身を省みて、申し訳なく思った。

「核をなくし、戦争をなくそうなんて考え、当たり前のことなのに、どうしてみんな分からないのだろう」

「被爆国である日本の科学者が核廃絶の先頭に立て」

そうなんだよね、ごくごく当たり前のことが通じない世の中ではある。まして国際間では、基本がない。人類ということを基本におけばお互いに理解できるものなのだが、各国の利害が優先されているから、科学者といえども目先のことにとらわれて、科学ではなく非科学的な利害闘争に明け暮れてしまうわけだ。核抑止論はそのいい例だ。

74歳で、むしろ早い死を惜しんだが、湯川さんの生誕100周年になるそうだ。いい続けること、行動し続けること、たとえささやかなりとも。

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