朝ご飯はハーシーのチョコスプレッドたっぷりのトーストを2枚、
ウインナー、目玉焼き、コーヒー。
ママから「いい天気、銀ブラ日和」とメール。
ダーは帰らず。ふだんより時間に余裕があったので、洗濯、掃除、モンチと遊ぶ。
パパから電話、「お金先に渡さなくて大丈夫?」って、
指輪代くらい立て替えられるっつーの。
それからこの冬イチのお洒落して、銀座へ。
ママが「遅れないでね」と2回もメールでいうので、
2時の待ち合わせの10分前に着いて待ってたらなかなか来ないので、
店内を見渡したら離れた席にすでに座っていた。お茶を1杯、ゆっくり飲む。
銀座は人が多いけど、新宿や渋谷と違って街がすっきりしてるし、
大人がほとんどだし、こぎれいな女の人が多くてブラブラするのが気持ちいい。
空が青くて澄み渡っていた。
松坂屋、三越、松屋のジュエリーショップ。
ママ「還暦は赤いものがいいっていうし、誕生石だし、ガーネットがいいと思うの」
といって探すが、カラーストーンはいま流行ってないそうで、
なかなかいいのがない。
還暦なんて考えたくもない、っていってたはずなのに、
どういう心境の変化か、還暦らしい指輪にこだわるママ、
店員の前で「こんなのやだ」と平気でいう。
アンティーク調のお花形の指輪と、
コンサバ風なきれいな指輪と悩みつつ、有楽町線で飯田橋へ。
ギャラリーで、S子の彫刻展。
見たことのない、でもどことなく懐かしい、
懐古とかじゃなくて、原初的な懐かしさ…を感じる作品だ。
ターンテーブルの上でグリースの五重塔がくるくる回って、
チラチラと光のゆれる作品の作者さんがいて、
ママが「芸術ですねえ」というと「芸術でしょう」といっていた。
後でママ「この人も作品売れなくて食べてくの大変なんだろうなあ、と思って見てた」、
私「この人も彼女に苦労かけてるんだろうなぁ、と思って見てた」。
向かいの、ホテルエドモントでオレンジジュース。
銀座の宝くじ屋で買ったスピードくじが2200円分当たっていて、
ママ「もとがとれたわ」と喜ぶ。
でもあとで「10万円当たってらNと山分けしたのに」とぶつぶつ。
銀座に戻り、阪急。
ママはいろんな指輪をはめながら悩む。
お店のお姉さんに説明すると、お姉さん、
ママの腕に手をかけて「とても還暦には見えません」と情感たっぷりにいう。
店員は阪急が一番だったかも。
西武で、ママも私も「これはかわいい、今までで一番」
という指輪をとうとう見つける。
今日は現金がないので取り置きする。
阪急で、セールになるまで待とうといってた私の誕生日プレゼントに、
黒のマフラーを買ってもらう。
有楽町の駅裏のビルの地下のエスニック店へ。
シークワーサーサワー。
席に着くなりママ、「こういうとこに来ると、デザートを最初に食べたい」
といってデザートメニューを見ている。
ヤムウンセン、トムヤムクン、タイ風お好み焼き、
タイ風ソーセージ、ガーリックポテト、タピオカココナツミルク。
隣の席の女性二人連れを見て、「姉妹だね、そっくり」。
巨女二人。
「モンチに会いたいわ~」といってたけど、
帰るかどうかわからないパパのためにママ帰る。
家に帰るとシーバがやぶかれてたので、
叱ると殿とビーはいじけて、モンチは知らん顔。
猫缶を出してもビーは遠くからじっと見てるだけ。
そのうちモンチがビーのお皿まで食べだすと、
恨みがましい顔でじっと見てる。
間もなく、ビーの食べてる音がした。
ダーから死にそうな声で電話。
「最後の1本があがらない…」、自分の担当の漫画。
寝る前、「カンバセーション・ピース」読了。
なんとなくわかったような気になりながら、
よくわからない部分もいっぱいあるまま読み続け、
読み終わった後で声を出して泣いたら、
周りで寝ていたビーや殿がびっくりして見ている。
「綾子の声がただ物理的にこの空間を振動させただけでなく、繰り返された光景と響き合ったのと同じようにただの物理的存在ではないという意味で、ポッコとジョジョとミケは私や妻にとってただの物理的存在でなく抽象的な存在なのだと思う。「猫一般の特性の中でポッコたちは生きていて、それだからポッコたちのすべての動作や表情や鳴き声には猫一般ということがいつも反映しているのだが、その猫一般という抽象は一匹一匹の具体的な猫にしか顕れようがない。「具体的であることは同時に抽象的だということでもあって、具体的というのはただの物理的な次元では収まりきらない「具体的なものがなれば抽象もなく、具体的なものが物理的な次元をこえて人の気持ちをとらえるのは抽象がたちあがっているから」
こうして書き写させてもらうと、なんとなくわかってくる。
殿もビーもモンチも私にとって「ぶ厚い存在」だ。
殿やビーやモンチを通して、猫一般や、
ほかの猫たちのことを感じとることができるから、
チャーちゃんの死の話で号泣してしまうのだ。
泣いているとき、チャーちゃんだけじゃなくて、
ヘッケや、ほかの白血病で死んだ猫のことを思っていた。
「音と意味の直接性を切り離して二つを遠ざけて、そこに別の体系を持ち込んだのが人間の言葉で「テルトゥリアヌスのあの言葉「言葉の両端を極限まで圧縮した結果で、「ありえないことは事実で、信じられないことは確実なことなのだ」。「寒いと感じる日が寒い日であるように、悲しいから悲しいと思うんで、世界で確かに起こっていることなんだよ」。
ラストまで来る頃には、いろんな思いがいっぱいになって、
涙が止まらなくなっていた。
アーヴィングの小説のラストで、
いろんな複線が片付いていくときに涙が止まらなくなるのとは違う、
周りで寝ている猫たちや、
実家の梅の木の下に埋められているキンタへの気持ちまで一緒になって、
涙がどんどん出てきた。
梅の下にあるキンタの骨も、
雨水に流れてもう溶けてるかもしれないけど、
ママがホースで花に水をやる音を聞いいて、
夏には家族が庭に集まってバーベキューしてることも知ってて、
3匹の猫たちが、キンタの分もかわいがられてることも知ってるんだ、と思えた。