オリンピック東京招致委の支持率調査は情報操作・情報捏造に当たらないか

2009-05-03 15:39:05 | Weblog

 

 5月2日(09年)の「asahi.com」記事(≪東京五輪支持率、IOC調査は56% 招致委は70%≫2009年5月2日16時58分)は次のような情報を伝えている。

 1.国際オリンピック委員会(IOC)2月実施の2016年夏季五輪東京招致世論支持率は56%

 2.東京招致委が調査会社のモニター3千人を対象とした1月の東京五輪開催の希望有無調査で
   は「希望」が70%

 3.この直前に同様の調査を行ったが、結果は未公表。

 4.08年6月公表IOC支持率調査は、シカゴ(米)、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリー
   ド(スペイン)、東京(日本)4都市のうち、東京が59%の最下位。

 以上のことから見えてくる疑問はIOC調査と東京招致委の調査とでは結果数値に違いがあり過ぎることと、東京招致委は最初の調査結果をなぜ未公表としたのかという疑念である。

 結果の違いに関しては石原慎太郎都知事の言葉を記事は伝えている。

 「IOCの調査とか、聞いてみると500人とか限られた人数を対象にした調査で、支持率が本当に見極められるか心細い」

 いわば調査対象の3千人対500人の違いを上げて、500人程度の調査では意識は調査に正確に反映されないのかではないか、正確に把え切れないのではないかと、IOC調査の正確性に疑問を投げかけている。

 だが、最初の調査結果を未公表としたことについては記事は何も伝えていない。

 調査人数に応じて正確性に違いが生じることがあったとしても、IOCは他の候補地と同じ500人を調査対象とする同じ条件で調査したはずだから、08年6月公表IOC支持率調査のシカゴ(米)、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリード(スペイン)、東京(日本)4都市のうち、東京が59%の最下位だったという事実は動かし難いはずで、この動かし難さからしたら、石原の言い分は妥当性を欠くことになる。

 仮にIOCが調査対象を3千人に増やして東京招致委と同じ人数で調査したとしても、東京が4都市のうち最下位だという事実はそのまま維持されるだろうということである。

 ではなぜ東京招致委は1月調査の直前に行った調査の結果を未公表としたのだろうか。いわば時間を置かずに再調査したということだろうから、調査をやり直したということになる。

 もし最初の調査の結果がよければ、喜んで発表しただろうし、調査をやり直す必要も生じなかった。結果が芳しくなかったから、未公表とし、調査をやり直したと見るべきだろう。

 だが、最初は芳しい結果ではなかったにも関わらず、2回目の調査では「70%」という高い数値が出た。調査に手を加える操作があったことからの「70%」という高い数値なのだろうか。

 東京招致委の調査対象は3千人だが、電話番号から無作為に抽出したといった職業も性別も年齢も様々に異なる不特定多数の3千人ではなく、上記「asahi.com」記事が、<東京招致委は1月、調査会社のモニター3千人に東京五輪開催の希望の有無を聞いたところ、希望が70%だった。>と書いているように、調査会社に一定基準で採用されているモニターの3千人を調査対象としている。

 その調査は調査会社からしたら、東京招致委という大層な客からの依頼である。バックには東京都が控えている。あるいは閣僚や国会議員にも影響力を持つ石原慎太郎という表向きは大物扱いの政治家も控えている。調査会社は大事な客の意向を汲む意識が働かなかっただろうか。意向を汲みたい意識が雇っているモニターに対しても調査に正確を期する姿勢を取るよりも、いい結果を出す方向への協力に重点を置いた、少なくとも宜しく頼むよといった依頼となっていなかっただろうか。

 あるいはモニター自身が東京都の依頼だからと、どの方向に意識が働いた調査なのか前以て汲み取り、自分から相手の希望に添う項目を選択したといったことはなかったろうか。

 以上の推測を単なる勘繰りで片付けることはできない根拠を挙げることができる。それは調査の質問形式にある。

 一般的には支持率調査は「支持するか・支持しないか」、あるいは「賛成か・反対か」を形式として質問する。だが、既に触れたように<東京招致委は1月、調査会社のモニター3千人に東京五輪開催の希望の有無を聞いたところ、希望が70%だった。>と書いているように、「希望するか・希望しないか」を質問形式としている。その結果、「希望が70%だった」――。
 
 現在ある状況を「支持するか・支持しないか」、あるいは「賛成か・反対か」問うのではなく、現在未決定にあるが、将来的な実現を「支持するか・支持しないか」、あるいは実現が「賛成か・反対か」で問う質問は決定によって既成事実化を許すことができるかどうかの意志が回答者に求められる。

 対して「希望するか・希望しないか」は現在的な未決定事項の将来的な実現の決定・未決定の既成事実化そのものの選択に主体的・直接的に関わるというよりも、そこから一歩引いて、実現可能性に向けた意思表示のみにウエイトを置いた質問形式であろう。

 明らかに前者が二者択一的に判断(=既成事実化への欲求)を求めているのに対して(どちらとも言えないと二者択一を避ける回答も許されるが)、後者は二者択一的であることから程遠く、決定にまで距離を置いた(=既成事実化から距離を置いた)一定の判断を求めているに過ぎない。

 「支持するか・支持しないか」ではなく、「希望するか・希望しないか」と抽象的に問うことによって問われることへのハードルを低くした調査となっていなかっただろうか。

 つまり開催決定への明確な意思表示を求めた調査ではなかったから、「70%」ものモニターが忌避感もなく、また客の意向をも汲んだために一定判断の回答に過ぎない「希望する」とすることができた、ということではないだろうか。

 開催を「支持する」と開催を「希望する」とでは明らかに開催に向けた意思表示(既成事実化への欲求)に強弱があるにも関わらず、それを東京招致委は明確な意思表示を示す「支持する」と同じ扱いで公表した。

 これは情報の巧妙なすり替えに当たらないだろうか。情報を操作して別の情報につくり変える一種の情報の捏造を行ったことに。

 しかも最初の調査結果を公表せず、2度目の調査結果のみを公表したことも情報操作に当たるはずだが、これも公表しないことによって、多分都合の悪い情報を隠すことで、自分たちの立場をよくする(少なくとも悪くしない)情報の捏造にも当たり、二重の情報操作・二重の情報の捏造を行ったと言える。

 とすると、石原都知事の「IOCの調査とか、聞いてみると500人とか限られた人数を対象にした調査で、支持率が本当に見極められるか心細い」は妥当性を欠くということ以上に根拠を持たない言い分としか言えなくなる。

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