16日(09年5月)の民主党代表選は民主党国会議員のみの投票で、鳩山124票、岡田95票で決着がついた。各種世論調査では岡田が鳩山を上回り、国民レベルでは岡田の方が人気が高く、多くの支持を得ていた。麻生も首相になる前は国民の人気が高く、「国民的人気」とまで称された。だが発足当時の内閣支持率は福田発足当時の内閣支持率よりも10ポイント近くも低い50%を切っていた。現在では敵失に助けられて、やっと30%そこそこの支持率に回復した程度である。
だが、岡田は95票獲得して予想されていた鳩山の過半数獲得を阻止、次の代表に王手をかけたと言える。立候補の目的をお釣りがくる程に十二分に果たしたのではないのか。惨めな負け方をしていたなら、次の目を失って、次の代表選では候補者の席を前原とかその他に譲らなければならなかったかもしれない。
小沢グループを除いた若手議員の支持を多く得た模様だが、岡田の一般国民の高い支持を横目に見ながら、それと重ねて、数年後には自分たちも在職年数と経験共に重ね、それなりに築いていく地歩にふさわしい要職・肩書きを必要とする利害から、岡田の“次”に1票を投じたといった側面はなかったろうか。
逆説するなら、4~5年も経てば、小沢や鳩山だけではなく、同世代の二人に対する党内支持者たちは民主党集団の中枢から降りているか、背景に退いていていて、代わって岡田世代が集団中央に場所取りしているだろうから、去り行く者たちに何も心中立てすることはないといった利害損得の計算も働いたのではないのかということである。
国民の選良だとの名誉を仰々しくも奉られ、自分たちも自負しているだろうが、所詮、国会議員とて利害の生きものであることから免れることはできない。
このことは自民党総裁選時の安部雪崩、福田雪崩、麻生雪崩を見れば、簡単に証明がつく。安部、福田、麻生では選挙が戦えないとなれば、かつての雪崩は面影もなく、ウソと化す。
今回の民主党代表選で利害行動の具体例を挙げるとしたら、鳩山が選挙区としている北海道選出の民主党議員の鳩山を除く13人のうち9人が鳩山に投票(「毎日jp」)、逆に岡田が選挙区としている三重県選出民主党議員6人のうち、5人が岡田1票で足並みを揃え、小沢の地盤岩手では小沢氏を含む県内7議員とも鳩山といった投票行動は地元利害からだろう。地元利害がそれぞれの議員の人間利害に相呼応し撥ね返り合う。
検察にしても、利害の生きものたる人間集団である自民党や民主党と同様、利害の生きものの人間集団・検事たちの集まりであることに代わりはない。検察に絶対正義を求めることは自民党や民主党といった政治集団に絶対正義を求めることに等しい。その逆もまた真なり。絶対正義とは程遠い、それぞれの利害によって生じることとなる様々な矛盾を抱えている。
いわば如何なる組織・集団であろうとも人間集団である以上、絶対は存在しない。絶対正義も存在しない。
5月14日付の「時事ドットコム」≪鳩山、岡田氏の記者会見詳報≫を読んで、岡田氏が記者の質問に答えて次のように言っていることに気づいた。(一部抜粋)
-代表になった場合、西松建設の違法献金事件について小沢氏に説明を求めるか。
代表を辞めるなら、政党ではなく個人として説明責任を果たしていくべきだ。また、政党が国家権力の中核にある検察を否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ。
小沢氏や鳩山氏、その他は「検察を否定するような言い方」をしていたのだろうか、ふと疑問に思って調べてみた。
3月4日の「毎日jp」がこのことに関する記者会見全文を報道しているから、全文とも参考引用してみる。
≪小沢・民主代表:秘書逮捕 記者会見 冒頭発言(全文)/質疑応答(要旨)≫(毎日jp /2009年3月4日 東京夕刊)
民主党の小沢一郎代表の4日の記者会見は次の通り。
◇冒頭発言(全文)
今回の問題について、私から報告と説明をいたします。まずこの度、私の秘書である大久保(隆規容疑者)の逮捕を含めて、西松建設からの政治献金にかかわる関連のことで強制捜査が行われたわけですけれども、強制捜査の根拠を聞きますと、その政治団体からの献金か、あるいは企業からの献金か、その認識の違いを根拠にし、企業からの献金を認識した上で虚偽の記載をしたという検察の言い分のようです。
このようなこの種の問題で今まで、逮捕、強制捜査というようなやり方をした例は全くなかったと思います。まさに検察の強制捜査の、今回は、普通の従来からのやり方を超えた異常な手法であったと思っております。また、衆議院の総選挙が取りざたされているこの時期において、このような今までやられたことのなかったような異例の捜査が行われたことに関して、私は非常に政治的にも法律的にも不公正な国家権力、検察権力の行使だというふうな感じを持っております。
事実関係について申し上げますけれども、私ども政治家は皆、国民の皆さんから、法人であれ、個人であれ、献金をいただいて、その浄財でもって政治活動をやってきているわけです。私は、その皆さんからの浄財を、収入、献金の入りも出も、支出も含めてすべて公開してきております。従いまして、この二つの政治団体から献金を、寄付を受けたということについては、これも政治資金規正法にのっとって適法に処理し、報告をし、公開されているところです。献金を受けたということはその通り事実です。私は、秘書からの報告につきましても、この政治団体が寄付をしてくれる、ということでしたから、政治資金管理団体で受領することにしたということで、私は最も当たり前の、当然のことだろうと解釈をしております。
もし、これが西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば、政党支部は企業献金を受けることが許されておりますので、政党支部でそれを受領すれば何の問題も起きなかったわけで、私どもの資金管理団体の担当者は、それは政治団体からの寄付という認識のもとであったから、政治資金管理団体として受領したということであったと報告を受けておりますし、また、私はそれはしごく当たり前のことだろうと思っています。献金していただく皆さんに、そのお金の出所や、いろいろな意味において、そういうことをお聞きするということは、それは好意に対して失礼なことですし、通常、これは政治献金の場合だけじゃなくして、私は、そのようなせんさくをすることはないだろうと思っております。
私どもとしては、全く政治資金規正法にその通り忠実に、それにのっとって報告をして、オープンになっている問題で、このような逮捕を含めた強制捜査を受けるいわれはないと考えております。このような、いわゆる検察権力、国家権力が、こういう形で強制捜査を行う。この種の問題でこういう形で行うということは、私は、普通の民主主義社会においてはあり得ないことだと思います。日本の場合でもこのようなことは前例がなかったわけであります。
私が今回のことで一番心配していますのは、このように強制力を持つ公権力が、思うままにその権力を行使するというようなことが今後もまた行われるということになれば、私は本当に国民の皆さんの人権を守ることができませんし、社会は暗たんたるものに陥ってしまうだろうと思っておりまして、日本の民主主義の成熟の、ということを考える上におきましても、今度のこの種の問題で逮捕、強制捜査というやり方は、大変民主主義を危うくするものであり、公正さを著しく欠くものであると考えています。
私としては、なんら政治資金規正法に違反する点はありません。さらに付け加えて言えば、その献金が何らかの形で、私や、私の秘書が相手方に対して便宜を供与したとか、あるいは何らかの利益を与える行為を伴っていたということがあるとするならば、それは私は甘んじて捜査を受けます。しかしながら、私も私の秘書も全くそういう事実はありません。従いまして今回の強制捜査については、その公正さについて納得がいかない。疑いを抱かざるを得ない、というのが私の現時点での認識です。
事実関係は皆さんもご存じの通り、ごくごく単純簡単なものですから、おわかりのことと思います。これ以上の事実関係の説明は、ありませんし、不要だと思います。
◇質疑応答(要旨)
--代表辞任が不可避という声があるが。
小沢氏 私自身として何らやましいこともありませんし、また、私の秘書の行った行為は政治資金規正法にのっとって適法にきちんと処理し届け出た。そして公にされていることですので、私としては、それによってどうこうということを考えてはおりません。
--献金を受けた時に、お金の出所が西松建設と知らなかったか。
小沢氏 大久保の話によれば、政治団体からの献金という認識だったから、政治資金管理団体でそれを受領したということに尽きると思います。
--公設第1秘書逮捕の事態は民主党に大きな衝撃。次期衆院選への影響は。
小沢氏 私は、政治献金については収入、支出、入りも出もすべて公開しています。今回問題になっている献金も全部報告してきちんと処理しています。従って、遠からず嫌疑は晴れると信じており、そのことで少なくとも私自身と民主党に対する国民の皆さんの疑念は晴らすことができると思っております。
--なぜ小沢代表の秘書がターゲットに?
小沢氏 全く分かりません。私は今、野党第1党の党首をしています。そして政治献金に関しては何度も言うようにすべて法にのっとって報告し、オープンにしております。たぶん収支を全部オープンにしているのは私だけではないかと思ってますが、それにもかかわらず、このような一方的なこじつけたような理由で検察権力の発動ということは、政治的にも法律的にも公正を欠く行為ではないかと感じています。
--謝罪の言葉は。
小沢氏 私は何らやましい点もありませんし、政治資金規正法にのっとって正確に処理し、収支も全部オープンにしております。従って今回秘書が逮捕される、強制捜査を受けるという点については全く合点がいかない、理解できないことです。必ず近いうちに嫌疑が晴れ、私どもの正当性が証明されると思っておりますので、おわびする理由は見当たらないと思っています。
--起訴されても、考えは変わらない?
小沢氏 私は起訴などということがないと信じております。
--結果的にゼネコンから非常に多額な資金が出てきた。国民有権者の中に、自民党と同じような体質があるのではないかという声が広がっているが。
小沢氏 私は、大変大勢の個人の皆さんからも献金をいただいてますし、ゼネコンだけじゃなくその他の企業からも身に余るほどの献金をいただいております。私の考えですが、献金はどこから受けたってかまわないけれども、どこからいただいて何に使った、すべて公開しろ、そしてそれを国民が見て判断できるような仕組み。行政もそう。なかなか真実をオープンにしない。そういう社会の体質が良くないと思っています。私の主張はあくまでも明朗、公開、オープン。そしてそれが妥当かどうかは国民、主権者が審判を下す、というのが民主主義のあり方だと思っておりますので、今の自民党と同じ体質だという意見は全く心外です。私はずっと以前から全部公開しろと言ってきました。自民党はそれをひたすら嫌がってきたのです。年金や医療、社会保険庁の行政を見てもそう。全部隠してきたじゃないですか。日本社会をよりオープンにして、国民が判断する材料を提供すべきだというのが持論です。
--4年間で2100万円、背景は調べないのか。
小沢氏 一般的に言って、献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかというたぐいは、せんさくはしないのが大多数だと思っている。献金してくださる皆さまの善意を信じてやっているというのが現状だと思います。その献金そのものが違法であることが明らかになった時には返金するということでけじめをつけているつもりだ。西松建設の中で違法な形で作られたお金であったとはっきりした時点で、返却するつもりです。
--説明が今日まで遅れた理由は。
小沢氏 意図的に遅らせたわけでもありません。全く予期しなかったことで、大久保がどうなってんのかわかりませんし、そういったことを問い合わせたりしてる間に時間が経過した。今日は役員会でお話しし、そのすぐ後に皆さんにご報告しているということだ。
--捜査の過程で主張が覆った場合は。
小沢氏 私は覆ることがないと、必ず近いうちに嫌疑は晴れる、正当に適法に対応してきたということになると信じております。
--原資が不当であれば返却する。
小沢氏 そうです。過去にも水谷建設だったかな、嫌疑が確定した段階できちんと返却しました。今まだ確定してないでしょ。確定したときにはそのつもりでおります。
--陸山会の代表者、監督責任者としてチェックしているか。
小沢氏 政治家は1人で政治活動全部やることは不可能です。スタッフ、秘書のサポートを借りながら活動を続けている。民主党代表として、全国一生懸命国民に語りかけ、我々の政策を理解していただく努力が最大の任務と思って就任以来やってきた。細かな政治献金の一つ一つについて私が全部チェックすることはやってません。秘書を信頼してやる以外に不可能なことで、全体の報告は受けてそれを了としてきているが、個別の一つ一つに目を通す、時間的、能力的余裕はない。
--西松のにおいすらしなかったのか。
小沢氏 政治団体としての献金だという認識で処理したと報告を受けておりますので、私は、秘書がそのまま受け取ったということについて至極自然と思っております。
≪岡田克也と秋篠宮との近親性(2)≫に続く――
「このような、いわゆる検察権力、国家権力が、こういう形で強制捜査を行う」という言葉が象徴しているように、西松建設不法政治献金に絡んで小沢氏の政策秘書を逮捕・取調べた件に関してのみ不法・違法と言っているのであって、岡田氏が言うように「国家権力の中核にある検察を否定するような言い方」とは似て非なるものである。
言ってみれば、小沢一郎は検察だって間違いはあるということを言っているに過ぎない。
政府高官・内閣官房副長官漆間巌が西松建設の違法献金事件について「自民党議員に波及する可能性はないと思う」(「中日新聞」)と民主党のみをターゲットとした捜査と受取れないこともない趣旨の発言をし、民主党側が反発。鳩山幹事長が記者会見で、「検察から内閣に何らかのメッセージが(事前に)送られていたのではと疑わざるを得ない。・・・・なぜ検察捜査の行方にこんなに確信的な言動ができるのか極めて不思議だ。うっかり口を滑らせ、馬脚を現した」(「中国新聞」)と批判、国策捜査ではないのかという疑いを噴出させた。
検察にしても利害の生きものたる人間集団であり、絶対は存在しない以上、国策捜査が存在する可能性は否定できないし、国策捜査紛いも存在しないことはないだろう。あるいは政治を絡ませた一方の勢力に偏った捜査というものも存在する場合もあるはずである。
例えば日本という国では自由民主党が唯一絶対の政党だと狂信的に信じていて、政権党は自由民主党でなければならないことを絶対価値としている天皇主義者や国家主義者、いわゆる日本民族優越主義者にとっては自民党政権崩壊は絶対的に許すことのできない、あってはならない危機であろう。
絶対的に許すことのできない、あってはならない危機であるなら、崩壊が現実のものとなりそうな状況を目の当たりにしたとき、崩壊阻止のために手段を選ばない挙に出たとしても不思議はあるまい。
田母神のような日本の戦争は侵略戦争ではなかったとする狂信的な日本民族優越論者が自衛隊の中に存在していたように検察の中に存在して、手段を選ばない崩壊阻止の動きに出る場合もあれば、中からではなく、外から崩壊阻止を図るべく検察を動かし、検察がそれに呼応するといった可能性も否定できなくはない。
何しろ如何なる人間集団・組織にも絶対は存在しないからだ。また、絶対は存在しないのだから、見せ掛けに過ぎない絶対を存在させて、そこに自己を従属させてはならない。
岡田が言った「政党が国家権力の中核にある検察を否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ」は検察を否定してはならない、絶対的存在とし、「自制」、即ち「従え」と言って、そこに自己を従属させようということであろう。
「一定の」と制限をつけているが、「検察を否定するような言い方は絶対に避け」ろと「絶対」という言葉を使っている以上、「一定の」は前後相矛盾する言い方で、表現を和らげるための単なる修飾語に過ぎないだろう。「絶対に避け」るためには全面的・絶対的「自制」を条件としなければならないからだ。
あるいは裏返して言うと、「一定の自制」では「絶対に避け」ることはできない。「絶対に避け」るためには「一定の自制」では足りない。
「国家権力の中核にある検察を否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ」を正当性ある主張だとするなら、「国家権力」そのものとして君臨した戦前の軍部を絶対的存在と看做して「一定」どころか、絶対的・全面的に無条件に従属した国民の国家権力に対する姿を岡田は正しい「自制」ある姿だったとしなければならない。
このことは決して大袈裟な譬えではない。最初は気づいて反対したとしても、それを上回る相手の有無を言わせぬ自らを絶対とさせようとする圧力に対して「一定の自制」を存在させた場合、次第に次第に口を閉ざすこととなって全面的な従属の方向に流されることになるからだ。
矛盾多き人間集団・組織を、それが国家権力だろうと何だろうと、絶対的存在だと位置づけて絶対視する程、危険なことはない。自己を非自律の言いなりな存在に貶めることになる。岡田はそういった人間になれと言ったのと同じことを言ったのである。
岡田のこの主張を新聞記事で目にしたとき、秋篠宮の言葉を思い出した。
04年12月14日に自作HP「市民ひとりひとり」に「皇位継承権争奪の火蓋は切って落とされた」と題して書いたことでもあるが、皇太子が04年5月12日からのデンマーク、ポルトガル、スペイン3カ国訪問を前に、同年5月10日午後東京元赤坂の東宮御所で記者会見した。皇太子妃雅子は病気療養中で、皇太子一人の訪問となることの説明をした。
「殊に雅子には外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を、皇族として大変な重要な役目と思いながらも外国訪問をなかなか許されなかったことに、大変苦悩しておりました。・・・・それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
外交官の経験から、自らの意志・選択で自発性を持って自由に外国を訪問し、国際貢献を果たしたいと願っていたが、その自発性が許されなかった。そのことが「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動き」であった・・・・。
いわゆる皇太子の「人格否定」発言と呼び習わされることとなった記者会見での発言だが、皇太子のこの「人格否定」発言を宮内庁のよそ者いじめと把える取沙汰がマスコミ中心に行われ、様々に波紋を広げたものだから、宮内庁の要請を受けてのことだろう、それを鎮めるために皇太子は04年6月8日に補足説明の文書を宮内庁を介して公表した。
その中で「新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ、見直して行くべきだと考えます」と書いて、自発的・自律的な意志・選択による自由な外国訪問を、多分国内活動に於いても自己選択によるより自由な活動への渇望をも含めていたと思われるが、可能とできる状況への改革が「新しい時代にふさわしい皇室像」だと皇太子自身と雅子の望みをそこに置いていた。
皇太子は補足説明の最後を次のように結んでいる。
「私は、これから雅子には、本来の自信と、生き生きとした活力を持って、その経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っていますし、そのような環境づくりが一番大切と考えています」――
皇太子と皇太子妃はこのような場所──「新しい時代を反映した活動」を行える「新しい時代にふさわしい皇室像」──に行き着くことを願っている。悪いことは何一つないように見えるが、そのことを不都合とする勢力があり、行き着こうとすることを阻んでいたというわけである。
但し確実に一つ言えることは皇太子は自らの言葉を持っていた。「自制」とは自らの言葉を抑えることでもある。
対して秋篠宮は皇太子とは正反対の姿勢を示した。04年11月30日に39歳の誕生日を迎えるに当たっての記者会見の場での発言である。(一部抜粋)
【質問】皇太子さまが「宮内庁と、時代とともに変わる公務の在り方を考えたい」と述べたことには。
【秋篠宮】私個人としては、自分のための公務はつくらない。自分がしたいことが公務かどうかはまた別で、公務はかなり受け身的なものと考えています。 ――
皇太子は雅子共々自発的意志・選択による自由な「公務(外国訪問・国内活動)」を願い、そういった皇族のありようを「新しい時代にふさわしい皇室像」と見ていた。
だが、秋篠宮は「自分のための公務はつくらない」、公務と自分のしたいこととは別だ、公務は政府が決めたことに従って行うものだ(=「受身的なもの」)と、皇太子が望む自らの意志・選択に従う主体的な自発性・自律性を否定している。
いわば秋篠宮は憲法や皇室典範に決められた現在の皇室のありようを絶対として、それを「否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ」とばかりに自発性・自律性を否定し、自己を無意志的にまで従う存在としている。「公務」として認められた範囲内の言葉は持つが、「公務」外の自分の言葉は持たないと言うことである。
これは日本の歴史を通して如何なる時代もほぼ一貫して天皇が時の実質権力者の傀儡であった姿をそのまま踏襲するもので、そのあまりにも安穏無事な自発性と自律性の否定は平和の時代は許されもするが、戦前のように邪な権力集団が国を支配する時代が出現した場合、日本国民もそうであったように利用しやすい自発性・自律性の否定と化すだろう。
一見秋篠宮の発言は政治的には見えないが、皇族の行動を律しているのは政権党であることを考慮すると、非常に政治的な意味を持つ。政権党なる国家権力集団が憲法や皇室典範の規定を超えて天皇及び皇族の活動を好きに操るようになったら、民主主義は崩壊しているだろう。
検察が政権政党の言いなりに動く、あるいは自ら好き勝手な行動を取る、そういったことが罷り通る時代場面を迎えたなら、民主主義は影も形もなくしているに違いない。
岡田と秋篠宮は権力に対する自己抑制(「自制」や「受け身的」な姿勢)を思想としている点で、非常に合い通じる近親関係にあると言える。
検察がいくら「国家権力の中核にある」からと言って、不法・違法と見たなら、「一定の自制」を見せるべきではなく、徹底的に戦うべきである。責任は結果に対して取ればいい。
改めて言う。矛盾多き人間集団・組織を、それが国家権力だろうと何だろうと、絶対的存在だと位置づけて絶対視し、自己をそこに従属させようとすること程、危険なことはない。自己を非自律・非自発の言いなりな存在に貶めることになる。行き着く先は民主主義の否定であろう。