小沢辞任/「一点の疚しいところもない」と言っている人間に「説明責任」は存在するのか

2009-05-13 00:17:36 | Weblog

 

 「私は無実です」と言っている人間に「自白」は存在しないのと同じであろう。

 犯罪を犯していないにも関わらず、犯した疑いで逮捕された容疑者が犯行時間には一人で過ごしていた、それを証明する者が誰もいない、アリバイがないからと言って、取調べの刑事から本当のこと(=事実)を喋れと言われても、「私は無実です、言われている犯罪は犯してはいません」以外のどのような自白を事実として喋ることができるだろうか。

 ウソ偽りなく犯罪を犯していなかった場合、「私ではありません。無実です」以外の 「自白」は存在しないということである。

 勿論、両者とも嘘のケースもあり得る。「自白」、「説明責任」を共に存在させるためには、本人自身は「一点の疚しいところもない」、あるいは「犯罪を犯したのは私ではありません」とする立場を取っている以上、本人以外の他者が本人自身の証言を偽りだとする事実の提示を必要とするはずである。

 小郎一郎の場合、検察はその公設秘書を政治資金規正法違反容疑で逮捕、西松建設前社長やその他の会社幹部から様々な証言を得て、公設秘書と前社長を起訴したが、小沢氏自身の検察による事情聴取さえ、公設秘書の政治資金規正法違反容疑に関与した形跡がないとし見送っている。

 いわば検察は公設秘書その他に対する取調べ・捜査を通して小沢氏に関する違反事実を見い出し、本人の「一点の疚しいところもない」としている「説明」を覆すことができなかった。

 検察が「一点の疚しいところもない」以外の「説明責任」を必要だとすることができなかったということは小沢氏自身の側からすると、「一点の疚しいところもない」の説明で「説明責任」は果たしている、それ以上の「説明責任」を存在させ得ずともいいと言うことであろう。

 犯罪を犯した疑いで事情聴取を受けていた、あるいは容疑者として逮捕された者の否認を警察が覆すに足る事実(=証拠)を見い出し得なかった場合、本人は小沢氏が「一点の疚しいところもない」と言っていることと同等の「私ではありません。無実です」以上の“自白”を存在させる必要はないことが証明されたことを意味するのと同じである。

 西松からの多額の献金を何に使ったのか説明責任を尽くすべきだという声もあるが、それが裏ガネとして渡ったという証言も証明もなく、そうでなければ西松からの献金は何々に使う、他からの献金は何々に使うと決めているわけではあるまい。全部をプールしておいて、必要に応じて振り分けるだろうから、説明自体が不可能となる。

 一頃騒がれた資金管理団体等の事務所費の光熱費などを項目とした架空計上問題はかかるはずもない何百万円という金額を光熱費として政治資金収支報告書に記載して届けてあれば、一般常識に反する事実が存在することとなって、光熱費の内訳を明かして計上金額と整合させる説明責任は生じる。

 自殺した元農林水産大臣松岡利勝は家賃ゼロの議員宿舎に主たる事務所を構えていたにも関わらず、2003年から2005年まで2600万円、3000万円を超える事務所経費と、水道代、冷暖房費が無料であるにも関わらず、2005年に500万円を超える光熱水費を計上していた。

 収支報告書に記載されているのだから、消し去ることのできない金額上の事実が最初に提示されている以上、「一点の疚しいところもない」だけで事実と実際(=内訳)の一致は証明不可能で、「説明責任」は存在しないとすることできない。実際の内訳に対する説明責任を果たすことによってのみ、収支報告上の事実との整合を図ることができ、「一点の疚しいところもない」が証明される。

 だが、自殺するまで松岡は自らに生じた説明責任を果たすことができなかった。事務所費問題外にも数々の疑惑を抱えていたが、自殺することが彼なりの説明責任の方法だったのではないのか。

 「一点の疚しいところもない」と言っている人間に「説明責任」は存在しないとする論理をあくまで正しいとして進める。

 小沢一郎は辞任記者会見で「一点の疚しいところもない」と断言している。
 
≪小沢代表辞意:【会見詳報6止】なぜ議員辞職しなければならないんですか≫毎日jp /09年5月11日)

 Q:離党や議員辞職はしないのですか。

 小沢代表:なぜ議員辞職しなければならないんですか。

 Q:献金事件というカネにまつわるイメージを民主党から離すために離党すべきじゃないかと。

 小沢代表:(質問をさえぎるように)私は、政治資金の問題についても一点のやましいところもありません。法律に従ってきちんと処理し報告してあります。また今回は、政治的な責任で身を引くわけでもありません。みなさんのお力添えのおかげで、私が3年前に代表職を引き継いだ時には(民主党の)支持率は1けた台だったと思いますが、今みなさんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず、20%以上の支持をもって自民党とほぼきっ抗しております。私はその意味において国民のみなさんのわが党に対する理解、そしてやはり政治は変えなくてはならないという理解が進んでおる調査だと思っておりまして、私も微力ながらそのことに多少なりとも貢献してきたのではないかなと思っております。あなたどこだっけ、会社?

 (質問者:日本テレビです。)

 小沢代表:日本テレビでもよく国民のみなさんの調査をしてみてください。

 Q:3月の西松報道以来、バッシングもあったと同時に小沢総理を求める声も多数あったと思います。その声に応えられなかったという無念の思いは?

 小沢代表:あのー、個人的に私を強く支持してくださる方は、私が 民主党代表として総選挙に勝ち、総理大臣になることを願っていてくれたことと思います。しかし私は、私自身が何になる、ならないということはまったく自分にとっては問題ではありません。民主党が中心に、とにかくこの長期政権、腐りきった政権を代えなくてはいけない、政権交代、それが果たされれば私自身にとりましては、まったく本懐でありまして、それ以上の期待をしてくれた支持者の方がおりましたら、それは申し訳ないことではありますけれども、私の政治家としては、まったくこの政権交代、国民生活第一の政治、国民サイドに立った政治、そして日本における議会制民主主義の確立、これが樹立されれば、少なくともそのスタートを切れるということを自分の目で確かめることができるとしたならば、それはまさに政治家の本懐、男子の本懐、そう考えております。

 (司会:はい、ありがとうございました)

 小沢代表:はい、ありがとう、ありがとう。

 だが、小沢一郎が「一点の疚しいところもない」とする立場を取っているにも関わらず、多くの人間がその証言を偽りだとする事実の提示を見ないまま、あるいは自ら行わないまま「説明責任」を存在させようとしている。

その一人宮崎県知事東国原。「FNNニュース」インターネット記事動画から。

 東国原知事「わたしは辞任というよりも、説明責任を果たしていただきたい。どうもあの辺の西松建設あたりの、そのつながりが、あやふや、うやむやなんですよね。あれは国民――にとってですはね、説明責任をされたとは到底思えない、じゃないかなあと、思うんですけども、あの多額の献金を1つの会社から来ていたということを知らないというのは疑問だと思いますので、辞めて臭いものに蓋、あるいは選挙に向かってイメージアップとか、そういったことをされると、民主党さんの逆イメージダウンになるんじゃないかなあと、感じがしますけどねー」

 「あの多額の献金を1つの会社から来ていたということを知らないというのは疑問だと思いますので」が例え多くの人間が抱える「疑問」であったとしても、現在のところ、検察がその解明の一歩である事情聴取さえ見送っていて、「疑問」であることから一歩も出ていない以上、「一点の疚しいところもない」以外に説明責任を存在させることはできないはずだが、東国原は得意気に説明責任を求めて、小賢しいばかりに見える。

 甘利行革相も同じである。

 「党首討論を13日に控えていて、突然、辞めちゃったと。敵前逃亡だと言われても、仕方がないんじゃないでしょうか。説明責任を果たしていない」といったことを12日夜7時からのNHKテレビが伝えていた。

 最悪は麻生太郎である。同じく「FNNニュース」インターネット記事動画から小沢辞任に対する感想の部分のみを拾ってみた。太字は語気を強めた箇所。 

 麻生「少なくともあさって(13日)にはー、党首討論と、いうのをやっと、できるということになりました、んで、その2日前にいきなり、辞められるということになりましたんで、正直驚きましたねえ。

 ただ、そのボートー(冒頭)発言?――っていうのしか聞いていませんので、よく内容がわかりませんけど、ボートー(冒頭)発言を聞いただけでは、なに・・・・の理由で、辞められるのか、よくわかりませんでしたね。

 やっぱり国民としては、何・・・・で、辞められるか、何について責任を取られよう、取られるのか、なぜ今なのか、っていうのは、理解ができなかったんではないですかねえ。

 私も正直、冒頭発言だけですけども、そこのところは、やっぱり、国民としては一番知りたいところです。わたし自身も、ちょっと正直伺ってみたい、ところでもありましたんで、そこのところは、分からなかった、だと思いますんで、いずれにしても、また党内事情の説明だけはありましたけども、党内事情っていうのは選挙事情ってことなんですかねえ?

 ちょっと、そこのところもわたしの理解を超えていましたんで、あのー、国民としてみれば、今申し上げたようなところが、疑問、として、残るんじゃないんですかね。

 私っから見ていると、ちょっとあとの、記者からのやりとりのアレを聞いてませんから、そういう質問は、ちょっと記者の方から、出たんでしょうから、その内容についた上で(ママ)、今、ちょっと答えようがありませんねえ」
 
 先ず第一に麻生太郎は「ボートー(冒頭)発言」だけを聞いて、すべての内容が理解できる頭の持ち主なのか。

 文芸評論を職業とした人間であっても、新作小説の最初の一ページだけを読んで、面白くない小説だ、駄作だと、知人・友人には吹聴してまわったとしても許されるだろう。だが、文芸評論家の立場で新聞・雑誌に文芸評論の形でたった最初の一ページだけを読んだ本を面白くない小説だ、駄作だと批評する文章を発表することは許されないはずだ。

 いわば個人的な立場から友人・知人に話すとしたなら許されることを麻生太郎は総理大臣・首相の立場で、「説明責任を果たしていない」とする多くの国民の声に便乗して得点稼ぎを企んだのだろうが、「ボートー(冒頭)発言」だけを聞いて、「理解を超える」とか何とか公の電波・情報網を使ってさももっともらしげに全国に許されない情報を流したのである。東国原に倍する小賢しさが顔にありありと浮かんで見えた。
 
 「一点の疚しいところもない」の事実を誰もが覆すことができていないのだから、「一点の疚しいところもない」以外の「説明責任」は存在しないはずだが、麻生太郎は「ボートー(冒頭)発言」を聞いただけの「説明責任」要求に飽き足らず、今日12日の衆議院予算委員会でも説明責任を求めている。

 麻生「政治とカネの話は長い間の懸案でもあり、国民の不信感に耐えるためには説明責任を果たさなければならない。人間の倫理やモラル、道徳に根源的にかかわる問題であり、国民の不信感に耐える努力は、政治家個人個人がきちんと果たすべき努めだ」(「NHK」インターネット記事)――

 自らの常識欠如は棚に上げて医者のことを大僭越にも「社会的常識がかなり欠落している人が多い」と考えているような人間に、あるいは「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本の他にはない」とことのことを以って合理性もなく日本人に優越性を持たせるような人間に「人間の倫理やモラル、道徳」といった言葉を口にする資格があるのだろうか。資格があるとは到底思えない。

 改めて言う。

 「一点の疚しいところもない」と言っている人間に「説明責任」は存在しないのだから、それが虚偽だと証明されない限り、みんなが考える「説明責任」の必要は生じない。

 それでも存在させ得ようとすると、刑事裁判に於ける「疑わしきは罰せず」の加罰規定の原則に立つなら、冤罪強要に当たることになると思うのだが、どんなものだろうか。 

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