野田首相の菅前無能の退陣路線を見習った解散路線選択

2012-11-01 12:28:04 | Weblog

 国民の生活が第一の東幹事長が代表質問で、「言葉遊び」と、言い得て妙の巧みな表現で的確に突いた野田首相の10月29日所信に対する代表質問が10月31日、衆院で開始された。

 代表質問のトップバーターは安倍晋三自民総裁。その中で野田首相は解散確約の履行を求められた。

 この解散確約は既にご存知のように8月8日の野田・谷垣・山口党首会談で、谷垣・山口から解散を求められて、「近いうちに国民を信を問う」と、さも実際に近いうちに解散に打って出るかのように発言した約束に端を発している。

 野田首相がなぜこのような約束をしなければならなかったかということも、既にご存知のように党首会談前日の8月7日、「国民の生活が第一」、みんなの党など野党6党が、「消費税増税は、民主党の政権公約に違反するもので、野田内閣は信任に値しない」(NHK NEWS WEB)を提案理由とした内閣不信任決議案を衆議院に、野田首相に対する問責決議案を参議院に共同提出していることと、衆院を通過した消費増税を柱とする税と社会保障の一体改革関連法案の参院採決が控えていることから、両決議案否決と増税法案等可決に向けて自公と妥協を図らざるを得なかったからである。

 「近いうちに国民の信を問う」の解散確約のお陰で自民、公明を除く野党6党が提出した野田内閣不信任決議案は、8月9日の衆院本会議で民主党などの反対多数で否決され、野田首相は命拾いした。

 同時に民主、自民両党は自公以外野党参院提出の首相問責決議案を当面採決しないことで合意。

 要するに野田首相が「近いうちに」の解散確約を守らなければ、参院問責賛成を予定していたのかもしれない。予定していなければ、だたちに採決に持っていって、否決に回っていたはずだ。
 
 消費増税関連法案は10日の参院本会議で可決、成立することになった。

 自公としたら、あとは「近いうちに」の解散確約の履行を待つばかりだったに違いない。

 だが、待てど暮らせど、野田首相は言を左右にして確約の履行を果たす気配を見せない。

 自民党は業を煮やしたのだろう。8月29日夜の参院本会議で野田佳彦首相に対する問責決議を自民党や新党「国民の生活が第一」など野党の賛成多数で可決した。

 いわば解散を迫る人質に取ったといったところなのだろう。

 自民党は谷垣総裁から安倍晋三総裁に代わり、前総裁を引き継いで解散確約の履行をうるさいくらいに求め、10月19日の野田・安倍・山口の党首会談に漕ぎつけた。

 《党首会談物別れで攻防激化へ》NHK NEWS WEB/2012年10月20日 7時0分)

 会談後の記者会見。

 野田首相「『近いうちに国民に信を問う』と言った発言の重みは自覚している。だらだらと政権の延命を図るつもりはなく、条件が整えばきちんと判断したいとあえて申し上げたが、理解をいただけなかった」

 「近いうちに国民の信を問う」の解散条件を「条件が整えば」に変質させた。

 だが、いくら変質させたとしても、「近いうちに国民の信を問う」と「条件が整えば」の両解散条件に整合性を持ち得ていなければ、前者をウソにすることになる。

 いわば近いうちに条件を整えることによって、整合性は保ち得る。

 だとしても、8月8日の野田・谷垣・山口党首会談の「近いうちに」から10月19日の野田・安倍・山口の党首会談まで2ヶ月以上経過しているうえに、今後さらに条件を整える時間を必要とすると、まだまだ先に伸びて、整合性は怪しくなる。

 政府関係者「赤字国債発行法案などが成立すれば、年内に解散する用意があることをギリギリの表現で伝えており、自民・公明両党にも読み取れたはずだ」

 整えるべき条件が赤字国債発行法案成立だと明かしたことになる。解散時期は年内。

 安倍総裁「2か月前に谷垣前総裁に約束したことと同じ言葉しかなかった。私たちが納得すると思っていたのだろうか」

 山口代表「『近いうちに』の約束をどうするのか明確にすべきなのに、何もないのは非常に国民をバカにした話だ」

 相当に頭にきている。

 そして冒頭に挙げた10月29日野田所信に対する10月31日衆院代表質問。《首相“経済対策も行い解散時期判断”》NHK NEWS WEB/2012年10月31日 18時58分)

 当然と言えば当然だが、安倍国家主義者はここでも解散を迫った。

 安倍総裁「野田総理大臣は、年内に衆議院を解散する約束を果たす気持があるのか。国家国民のために、一刻も早く信を問うことこそが、今や最大の経済対策だ。一度、解散を約束した政権は、その存在自体が政治空白だということを肝に銘じてもらいたい」

 野田タヌキは何のその。

 野田首相「先(10月19日)の党首会談で、『近いうちに国民に信を問うと申し上げた意味は大きく、環境整備をしたうえで解散を判断したい』という話をしたが、これは特定の時期を明示しないなかでのぎりぎりの言及だ。環境整備の中でも急がなければならないテーマとして、赤字国債発行法案や衆議院の1票の格差、定数削減の問題、それに社会保障制度改革国民会議を挙げているが、条件が整えばきちっと自分の判断をしていきたい」
 
 10月19日の野田・安倍・山口の党首会談後に野田首相は解散条件を「条件が整えば」と言っていたはずだが、ここでは、「環境整備」を持ち出し、「環境整備」の一つ一つの条件として、赤字国債発行法案成立、衆議院の1票の格差解消、定数削減の問題解決、社会保障制度改革国民会議開催だと具体的に上げている。

 最後の社会保障制度改革国民会議開催は単に開催に漕ぎ着けるだけではなく、議論が纏まって法案として成立するところまでを見届けたいと言い出すかもしれない。

 もはや「近いうちに」とは整合性を持ち得ていないが、以上の経緯を見ると、菅前無能の退陣路線を見習った解散路線を選択したことが明瞭に浮かんでくる。

 違う点は菅前無能の場合は退陣が終着駅であったが、野田首相の場合は退陣ではなく、解散を終着駅としなければならないということである。

 もし退陣のみで、次を誰かに譲り、解散を回避したなら、政治生命を失うほどの非難を浴びるはずだ。

 菅前無能の退陣路線を見習った解散路線選択であることを証明するために菅前無能の退陣に至る経緯を振返ってみる。

 2011年6月1日夕、自民、公明、たちあがれ日本の3党が菅内閣不信任決議案を横路孝弘衆院議長に提出。6月2日午後の衆院本会議で採決されることとなった。

 提出理由――「菅総理に指導者としての資質がない以上、難局にあたって、菅内閣とともに政策体系を積み上げていくことは到底できない。被災地の復興と被災者の生活再建を実現していくためにも、菅総理は一刻も早く退陣すべきだ」(asahi.com

 提出に遡る5月23日の記者会見。既に民主党内には内閣不信任決議案に同調する動きが出ていた。

 岡田幹事長「野党が菅内閣に対する不信任決議案を提出するのをだめだと言う立場にはないが、それに党内で賛同する動きがあるとすれば、国民の信頼に全く応えていない。今、重要なのは、被災者の立場に立って早く復興の段階に持っていき、東京電力福島第一原子力発電所を安定させることだ。

 (横粂勝仁衆議院議員の離党意向について)民主党の比例代表で当選したのに、離党するのは有権者の期待を裏切ることになるのではないか。離党届は受け取っていない。将来性のある若い議員であり、冷静に支持者と相談してもらいたい」

 党執行部がいくら一致結束を呼びかけても、造反の動きはやまず、民主党内から小沢一郎元代表に近い62人が不信任案賛成を表明、可決の情勢となっていた。

 これに対して、菅当時無能(現在も無能だが)は可決されたなら、解散する意向を示していた。

 いわば解散を覚悟していたわけである。

 採決の日の6月2日になって、その午前中、菅無能は首相官邸で鳩山当事前と会談。鳩山当事前は小沢氏に相談もなく、不信任案不同調の確認書を菅無能と取り交わした。

▽民主党を壊さないこと
▽自民党政権に逆戻りさせないこと
▽大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと

 〈1〉復興基本法案の成立
 〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること――

 要するに鳩山当事前は菅当時無能に復興基本法案を成立させ、第2次補正予算の早期成立ではないく、編成のメドをつけたなら、辞任して貰うと確約させたのである。

 菅無能の方は解散を覚悟していたと思いきや、解散回避の取引に出た。

 そして6月2日正午、不信任案否決に向けて一致結束を呼びかける必要があったのだろう、予定していた民主党代議士会を予定通りに開催。そこで菅無能は次のように発言している。

 菅無能「私に不十分なところがあったことが、不信任決議案の提出につながったと受け止めている。私の不十分さで大変ご迷惑をおかけすることになり、おわびしたい。

 震災に一定のメドがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」(NHK記事)

 そして鳩山前と確認書で交わした項目を告げている。

 菅無能「大震災の復旧復興に全身全霊を挙げて最大限の努力をすること、民主党を決して壊してはならないという根本に立って行動すること、そして、今の民主党中心の政権を自民党に戻すことのないようしっかり対応することをみずからの行動の基本で進めて行くことを約束する」(同NHK記事)

 要するに午前中に確認書で交わしたばかりの辞任条件を超えて、その舌の根も乾かないうちに、「震災に一定のメドがついた段階」へと辞任時期を水増ししている。

 代議士会に出席していた鳩山前が収まるはずはない。発言を求めて、立ち上がった。

 鳩山前「復興基本法を速やかに成立させ、二次補正予算のめどがついた段階で、身を捨てて頂きたいと述べた。そのことに対して、菅首相から(一定のめどがついた段階で辞任するという)先程の発言があった。これは菅総理と鳩山との合意だ(YOMIURI ONLINE

 但し、この念押しで終わらせてしまったようだ。なぜなら、代議士会で示した菅無能の決断を評価しているからだ。

 鳩山前「重大な決意を自身の言葉で述べられた。首相には復興のためリーダーシップを発揮してもらわなければならない」

 ある意味権謀術数にも長けていることが政界の上層での活躍の条件となるはずだが、お坊ちゃん育ちで権謀術数に長けないまま首相に上り詰めた稀有な存在なのか、詰めの甘さだけが浮かんでくる。 

 この詰めの甘さは確認書に署名を求めながら、菅に拒否されると、無署名のままにしたところにも現れている。多分、確認書を交わしながら、菅は腹の中で舌をペロッと出していたに違いない。

 無能でありながら、権謀術数に長けている政治家ほど始末に悪い存在はない。

 6月2日午前の確認書で交わした退陣の条件である「復興基本法案の成立」と「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」が同日午後になって、「震災に一定のメドがついた段階」へと変化。

 「震災に一定のメド」の具体的内容が6月27日の首相官邸記者会見で明らかになった。

 菅無能「6月2日の民主党の代議士会において、私が震災と原子力事故対応に一定のめどが立った段階で、若い人に責任を引き継ぎたい、それまで責任を果たしたいと申し上げたところです。私としては第2次補正予算の成立、そして再生可能エネルギー促進法の成立、そして公債特例法の成立。これが一つのめどになると、このように考えております」

 「復興基本法案の成立」と「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」を大きく超えて、「第2次補正予算の成立」、「再生可能エネルギー促進法の成立」、「公債特例法の成立」を3条件とするに至った。

 野田首相の解散条件、最初の「近いうちに国民の信を問う」が「条件が整えば」へと変り、それが赤字国債発行法案成立、衆議院の1票の格差解消、定数削減の問題解決、社会保障制度改革国民会議開催へと変質していった経緯とそっくり重なる。
 
 菅は「職に恋々としない」と言いながら、延命を図り、野田首相は「だらだらと政権の延命を図るつもりはない」と言いながら、延命を図っている。

 勿論、菅の場合は、どうせ退陣しなければならないなら、野田首相の場合は、どうせ解散しなければならないなら、解散すれば政権の座から降りなければならない情勢なのだからと、少しでも法案を成立させてやれと開き直った点もあるに違いない。

 だが、野田首相が菅前無能の退陣路線を見習って自らの解散路線を選択し出したのは確かである。

 この親にしてこの子ありといったところか。

 野田首相がどういう形で法案を少しでも多く通そうと開き直ったとしても、最初に「近いうちに国民の信を問う」と解散を確約し、国民に総選挙を約束している以上、そのことがついてまわって、「近いうちに」と整合性の取れない日数経過の解散は最早結果的にはあの手この手を使った延命にしか映らず、菅退陣時の騒動と相まって、民主党政治に対する、あるいは野田内閣に対する政治不信のみを現在以上に高めることになるはずだ。

 これだけの法案を通したという自己満足だけはモノにすることはできるかもしれない。

 2011年8月26日、菅は退陣の条件としていた3法案の成立を受け、「本日をもって民主党代表を辞任し、新代表が選出された後に総理大臣の職を辞する」と辞任を表明した。

 菅無能「厳しい環境のもとでやるべきことはやった。一定の達成感を感じている。国民の皆さんのおかげ。私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい。

 (福島第一原発事故について)総理としての力不足、準備不足を痛感した」

 どれ程の国民がこの言葉を信じただろうか。原発事故対応に関しては「総理としての力不足、準備不足を痛感した」だけでは済まない無能を曝しているはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする