昨夜(2012年11月11日)7時からのNHKニュースで、宮城県気仙沼市の漁港を含む南気仙沼地区を例に取って、1メートルも地盤沈下した沿岸部の嵩上(かさあ)げ工事で国の補助が適用されない“空白地帯”が生じていると報じていた。
その原因が省庁のタテ割りだという。いわば被災地に於いて省庁のタテ割りの弊害が生じていて、その犠牲となっている地域があるということになる。
「NHK NEWS WEB」記事と、記事は書いていないが、ニュースをそのまま動画にした記事付属のそれから見てみる。
記事は、《地盤かさ上げ補助に「空白地帯」》(NHK NEWS WEB/2012年11月11日 18時7分)
リンクを付けておいたが、ご存知のように何日かすると記事そのものが削除されてしまうから、要注意。
地盤沈下箇所は大潮の時間帯や大雨が降ると冠水して、通行は勿論、事業所や住宅再建等を含めた地域再生に地盤の嵩上げが必要となるが、自治体の財政では賄い切れない多額の費用を要することから、国土交通省の土地区画整理事業や、農水省外局である水産庁の漁港施設機能強化事業などを利用して国から補助金を受けて嵩上げ工事を開始、但し両事業の適用外の地区は補助対象から取り残される、復興のいわば“空白地帯”が生じているという。
気仙沼市の計画では南気仙沼地区で約100ヘクタールの嵩上げ工事を必要としているが、“空白地帯”は44%、水産加工業者などから、「このままでは再建は難しい」という声が上がっていると伝えている。
菅原茂気仙沼市長「国の補助メニューがない部分がまだ広大に残っている。必ずかさ上げが必要だとお願いしているが、いい案がなかなか国から出ず、街づくりが遅れる原因となっている」
自治体の要望に応えきれていない国の姿が浮かんでくる。にも関わらず、復興予算を被災地外に流用している。被災地はその苛立ちも加味させて国・政府に対する評価を確実に下げているはずだ。
記事結び。〈仙沼市や宮城県はこうした「空白地帯」を解消するため、国に補助事業の基準の緩和を求めています。〉・・・・・
記事は省庁のタテ割りに触れていないが、動画からニュースが伝えていたタテ割りについて拾い出してみる。
農水省の沿岸部に於ける補助対象地域は漁港区域として管理されている場所に限定。
国土交通省土地区画整理事業の補助対象地域は人口が1ヘクタール当たり40人以上が条件。
漁港地帯でありながら、漁港区域として管理されている区域から外れている場所で、なおかつ水産加工場、その他の工場立地地域は勤務時間外には勤労者が工場から引き上げて人口が1ヘクタール当たり40人以下となってしまう地域は農水省からも国交省からも補助金を受けることができずに復興・再生が浮いてしまうということらしい。
こういった“空白地帯”が市が嵩上げを計画した面積の44%にものぼるということである。
半分近くの取りこぼしということになる。
ニュース(動画)は、〈省庁の個別の事業に当てはめるタテ割りの形でしか補助が出されない現状〉という解説でタテ割りを伝えているが、要するに省庁ごとの各取り決めの壁を取り払わなければ現地の要望を順次埋めていく体制とはならないにも関わらず、各省庁それぞれの個別ごとの取り決めにそれぞれが閉じ込もって、そこから脱し切れないタテ割り状況にあることが復旧・復興促進の弊害を生む原因だということであろう。
省庁横断で、いわばタテ割りを排して、それぞれの個別の取り決めを乗り越え、現地の要望に応じ切れていない補助・支援の“空白”を双方向から埋めていく体制が求められているにも関わらず、タテ割りを当たり前としている。
復興庁「税金を投入する以上、費用対効果が明確ではない所は補助対象にできない。ただ、事業の隙間を埋める制度がないことは課題だ」
言っていることが矛盾している。大自然災害からの復旧・復興、地域の再生を「費用対効果」の面のみから判断していいのだろうか。被災地の二重ローン解消問題で政府要請によって金融機関が債権放棄する場合、「費用対効果」のみの価値判断からでは、とても応じ切れないだろう。
それとも金融機関に対しては「費用対効果」は無視しろ、自分たちは重視して、その判断からのみ何事も決定していくということなのだろうか。
個々の生活体・(企業等の)個々の活動体が機能し、成り立つことで地域全体が機能し、成り立っていたのだから、地域全体の復旧・復興、あるいは再生は個々の生活体・個々の活動体の復旧・復興、あるいは再生を待って初めて可能となる理屈から言って、個々の生活体・個々の活動体全体を復旧・復興の網にかけて、あるいは再生の網にかけてそれらを図らなければ、少なくとも可能な限りそのように心がけなければ、取りこぼしが生じて満足のいく復旧・復興、あるいは再生は望めないことになる。
時と場合に応じて、「費用対効果」のハードルを超えなければならないということである。あるいは復旧・復興、再生を優先させるためには「費用対効果」を犠牲としなければならないということである。
だが、復興庁は各省庁がタテ割りから抜け出ることができないように、「費用対効果」の価値観、その呪縛から抜け出れないでいる。
復興庁は「事業の隙間を埋める制度がないことは課題だ」と今更ながらに言っているが、省庁のタテ割りを排除させて個別ごとの取り決めを乗り越えさせ、各省庁一団となって現地の要望に応じることができるよう、「制度」をコーディネイトするのが復興庁の役割であるはずだ。
また、そのために復興庁は創設されたはずだ。
先ずニュース(動画)が伝えている自治体側の声を取り上げて、復興庁が自らの役割を果たしていない状況を見てみる。
気仙沼市(アナウンサーの解説から)「今の制度は地元のニーズに合わず、なりかねない」
菅原気仙沼市長「まだまだ、そういう(国の援助が届かない)所が残ってるんですね。そうすると、そういう所の街づくりはどうしたらいいのか。
10分の10(補助100%)というものを最後まで求めていかないと、街が立ち行かなくなるいうふうに思っています」――
東日本大震災からの復興の司令塔となる復興庁は2012年2月10日発足した。復興庁のトップは野田首相、実務統括の初代復興相は復興対策担当相を務めてきた平野達男。
被災地に対する出先機関として被災各地に復興局を設けている。
課せられた役割は予算要求から配分までを一元的に担う復興予算の管理、復興施策の調整、被災自治体の一元的な窓口担当等である。
「復興施策の調整」は当然、省庁のタテ割り排除が入っているはずだ。但し「復興施策の調整」はあくまでも「調整」までであって、補助事業・公共事業等の実施権限は関係省庁に預けたままだから、復興庁は関係省庁の権限以上の権限を発揮しないと、タテ割りを排除できないことになるが、上記「NHK NEWS WEB」記事が伝えていたようにタテ割りとタテ割りの隙間に復旧・復興から取り残された“空白”をつくることになっていることからすると、復興庁は関係省庁の権限以上の権限を発揮できていなかったことになる。
権限を発揮できず、“空白”を作り出していたから、その弁解に「費用対効果」を持ち出したのかもしれない。
野田首相が復興庁発足に当たって発言している。《首相 がれき処理全国で協力を》(NHK NEWS WEB/2012年2月10日 20時4分)
2月10日復興庁発足当日夜の記者会見。
野田首相「復興の司令塔になる組織で、大きな役割は2つある。1つは被災地自治体の要望にワンストップで迅速に対応することで、もう1つの役割は役所の縦割りの壁を乗り越えることだ。
私がトップになり、各省庁より格上の立場で迅速果敢に調整をすることが何よりも大事だ。強力な総合調整の権限と実施権限が付与されており、それを生かすことが被災地の役に立つかどうかのキモであり、私がトップとしてきちっとリーダーシップを発揮していく。
(さらに続けて)復興庁に魂を入れるのは250人の職員の志だ。現場主義に徹底し先例にとらわれず、被災地の心を心として粉骨砕身でやってもらいたい」
記事題名となっている瓦礫問題についての発言。
野田首相「仮置き場に集められているがれきを被災地で処理する能力は限界があり、自己完結できないので、安全ながれきを全国で分かち合う広域処理が不可欠だ。これまで東京都や山形県など積極的に協力いただいているところもあるが、すべての閣僚で各自治体に幅広く協力呼びかけをしていきたい」
「復興庁に魂を入れるのは250人の職員の志だ」だの、「被災地の心を心として粉骨砕身でやってもらいたい」などと、職員に対してだけではなく、聞く者をして心奮い立たせる物言いとなっているが、「被災地自治体の要望にワンストップで迅速に対応する」、「役所の縦割りの壁を乗り越える」、「強力な総合調整の権限と実施権限」、「各省庁より格上の立場で迅速果敢に調整」等々の役割を復興庁が十分に発揮していないことが原因の、被災自治体側が受け止めている復旧・復興状況であって、どの発言も威勢のよい言葉だけで終わっている印象を拭うことができない。
要するに、「私がトップとしてきちっとリーダーシップを発揮していく」という宣言自体が有言不実行の言葉倒れとなっている。
復興予算の流用を許したのも、野田首相のリーダーシップの欠如が大きな原因の一つとなっているはずである。
発足当日、「復興庁」の看板を野田首相と平野復興相を掛けたときの野田首相の発言。
野田首相「被災地の期待に応えなければならない責任の重さを感じた」(時事ドットコム)
これも有言不実行、言葉倒れ。
看板は岩手県陸前高田市の高田松原で津波被害を受けた松で作ったそうだが、どのような材料で作ろうが、肝心要は被災地の復旧・復興、再生に的確に貢献する運営方法である。
それさえ的確であったなら、例えダンボールに書いて、雨風に色褪せ、ボロボロにならないようにビニールをかぶせた看板であっても構わないはずだ。
高田松原からわざわざ取り寄せた津波被害の松製看板の体裁は、復旧・復興を印象付けようとしたとしても、復興庁の実質的な運営から見ると、野田首相の立派な文言を並べ立てた言葉の体裁とその体裁に反する有言不実行性・言葉倒れに対応しているように見えてしまう。