2012年4月14日、石原当時都知事が訪米、ワシントンで記者会見している。
野田政権は大飯原発再稼働要請に踏み切る決断をしていた。
石原慎太郎「(経済に於ける)原発の比重を考えず、反対と言っても自分の首を絞めるようなものだ。原発を全廃した途端に、生活が貧乏になっていいのかという話だ」(スポニチ)
原発稼働徹底推進の姿勢を示している。
当時の橋下徹大阪市長は大飯原発再稼働に反対していた。
2012年4月24日、橋下大阪市長と藤村官房長官の会談。
橋下市長「科学者や原子力安全委員会のコメントがないなかで、安全性の問題を政治が判断するのはいかがなものか。政権が安全宣言したのは絶対におかしく、福島の事故前の平時の再稼働の手続きで進めるのは納得いかない」
大飯再稼働徹底反対の姿勢を示している。
会談後のそれぞれの記者会見。
橋下市長「政権が政治家の作った手続きをそのまま進めているだけで、安全かどうか誰も判断していない。これは国家運営の重大な危機だ。藤村官房長官は『今の手続きは変えられない』と言っていたが、それを変えるのが政治主導ではないか」
藤村官房長官「橋下市長も関西の電力需給の現状については理解しているようにみえた。お互い対立しているわけではなく、今後もさまざまな説明や遣り取りをするなかで認識は共通になってくると期待している」
2012年4月26日
橋下市長「具体的にこれから府県民に負担を示したい。去年のような節電の呼びかけではなく、ここまでやらないと無理だという負担案を示して、あとは政治感覚を研ぎ澄ませて、府県民がどう思うか、感じるしかない。産業には影響を与えないようにするので、家庭に負担をお願いしようと思ってる。
快適な生活を求めて、そこそこの安全でいくのか。しっかりと安全性を確認するために不便な生活を受け入れるのか、二つに一つだ。不便な生活が無理なら再稼働するしかない」(NHK NEWS WEB)
会談での藤村官房長官の「橋下市長も関西の電力需給の現状については理解しているようにみえた」の発言からすると、会談で藤村官房長官に説得されて、その気になったのかもしれない。
だとしても、大飯再稼働徹底反対であったはずが、4月24日の藤村官房長官との会談から2日足らずで再稼働容認姿勢に変心したことに変りはない。
停止の場合の「不便な生活」を強調して、それが嫌ならと、「そこそこの安全」=少しの不安を代償とした再稼働を勧めている。
あれ程再稼働徹底反対であったのに再稼働容認に変心したことに後ろめたさ感じたのか、今度は再稼働容認から再稼働期間限定容認にシフトさせる変心を見せている。
2012年5月19日発言。
橋下大阪市長「なぜ政府が原発問題で国民の信頼を得られていないか、よく分かった。福島と同じレベルの対策では、安心できないというのが多くの国民の感覚だ。
原発がどうしても必要だという場合にも、動かし方はいろいろある。臨時なのか1か月なのか2か月なのか。ずっとフル稼働していくような政府の説明に、国民は信頼を寄せていない」(NHK NEWS WEB)
要するに最も電力需要の大きい夏限定にして、後は停止させるべきだとの主張である。
政府にはそんな考えはなかった。
2012年5月21日記者会見。
藤村官房長官「運転再開の必要性については、電力需給の厳しさもあるが、これまで電力供給の30%を担ってきた原子力を直ちに止めた場合、LNG=液化天然ガスの膨大な買い増しなど、現実の日本経済、国民生活が大変大きく影響を受ける。需給の厳しさだけを踏まえた臨時的な稼働を念頭に置いているわけではない」(NHK NEWS WEB)
橋下徹市長の再稼働容認はあくまでも容認である。停止が必要な何らかの事故・故障が起きるまで、起きなかった場合、次の検査まで続く稼働までを含めて容認したのである。
但し大飯原発再稼働を一旦は容認したものの、維新の会としての脱原発の看板は降ろさなかった。
《橋下市長「2030年原発ゼロ」を支持、次期衆院選で争点化》(MSN産経/2012.8.9 23:27)
2012年8月9日、大阪府市エネルギー戦略会議開催。政府担当者を招いて、政府検討の2030(平成42)年電源構成に占める原発比率について説明を受けた。
3選択肢。
「0%」――(懸念される電気料金上昇)一般家庭負担1カ月当たり1・6~2・3万円
「15%」――(懸念される電気料金上昇)一般家庭負担1カ月当たり1・3~1・8万円
「20~25%」(記事掲載なし)
橋下大阪市長「原発ゼロの実現に可能性を感じる。
(負担電気料金について)そんなに変わらない。国民は許容してくれると思う」
その上で次期衆院選で争点化すべきだとの意向を示したという。
さらに、〈原発ゼロへ移行する工程を詰めた上で、自ら率いる大阪維新の会で策定中の維新八策に盛り込む考えも示唆した。〉――
「2030年原発ゼロ」の目標に対する本気度を窺うことができる。
2012年11月17日、日本維新の会と太陽の党の合流合意文書。
原発
(1)ルールの構築
(ア)安全基準
(イ)安全確認体制(規制委員・規制庁、事業主)
(ウ)使用済み核燃料
(エ)責任の所在――
脱原発の文言の記載も、脱原発目標年代の文字の記載もない。石原慎太郎の看板を必要とする政治的配慮を優先させて、石原慎太郎の原発稼働徹底推進姿勢に妥協したのである。
いわば原発維持に姿勢転換の変心を演じた。変心とは心変わりである。
2012年11月27日、嘉田由紀子表現県知事が新党「日本の未来の党」の結成表明。「卒原発」を前面に打つ出して総選挙を戦う姿勢を示した。
日本維新の会の第三極に「日本未来の党」が新たな第三極として割って入ってきたのである。
2012年11月29日、日本維新の会衆院選公約を発表。
《維新八策(各論)VER1.01》に於ける原発に関わる約束。
〈先進国をリードする脱原発依存体制の構築〉の文言のみである。
諸外国に脱原発の範を垂れるということなのだろう。立派な姿勢である。
公約と同時に「政策実例」を発表したとマスコミが伝えているが、維新のHPを探しても見つからなかった。多分、次の文言は「政策実例」に記載されているのだろう。
「原発政策のメカニズム、ルールの変更。既設の原子炉による原子力発電は2030年代までにフェードアウト」(MSN産経)
「フェードアウト」とは映画やテレビの場面が次第に暗くなっていき、最後には消えてしまうことを言うから、2030年代に向けて徐々に削減していき、最後はゼロにするという意味となるはずだ。
太陽の党との合流合意文書に石原慎太郎の原発稼働徹底推進姿勢に妥協して一旦は「脱原発」政策を放棄する変心を見せたものの、衆院選公約で、「脱原発」を再び持ち出した。
しかも「卒原発」を前面に打ち出した「日本未来の党」の結成表明2日後である。
太陽の党との合意文書で「脱原発」政策を放棄、原発政策が後退したとマスコミやその他の方面から批判も受けている状況下で、日本維新の会の第三極に新たな第三極として割って入ってきた「日本未来の党」の「卒原発」に対立軸となる脱原発相当の政策がない場合、多くの国民が脱原発を望んでいる手前、果たして国民の投票行動に有利に働くか、不利に働くか、答は自ずと出てくる。
要するに一旦は放棄した脱原発を再び掲げたということは、選挙を有利に運ぶ選挙戦術から、止むを得ず国民と契約することになった公約と見做さなければ、これまでのブレにブレまくっった経緯と整合性がつかないことになる。
もしそうでなければ、ブレることなく脱原発を終始一貫、貫いたはずだ。
当然、太陽の党との合流はなかった。
しかし、一貫性を捨て、逆を行った。
一貫性のない橋下徹が選挙公約に何をどう立派な政策を書こうと、〈先進国をリードする脱原発依存体制の構築〉と言おうと、その一貫性のなさゆえに信用を失うことになる。