橋下徹の「今の政治が動かない最大の原因は憲法だ」は事実か

2012-11-04 12:44:42 | Weblog

 「MSN産経」が、橋下徹維新の会代表が読売テレビの報道番組で、「今の政治が動かない最大の原因は憲法だ」と憲法改正の必要性を主張したと報道していたから、果たしてそうなのかと疑問に思い、録画しておいた11月3日(2012年)土曜日の読売テレビ「ウエークアップ!ぷらす」から、憲法に関するコーナの主要部分を文字に起こしてみた。

 果たしてそうなのかと疑問に思った点は、小泉政治は憲法を原因とせずに日中関係を除いて動いていた。但し格差社会をつくり出した。

 政治が動かない状況は国民生活や経済活動に様々な障害を与えるが、逆に政治が動いていたとしても、その政治が全て正しいとは限らないという点に留意しなければならない。

 11月3日「ウエークアップ!ぷらす」

 出演者 橋本徹日本維新の会代表 細野豪志民主党政調会長 中江有里

 テーマ「憲法改正をどう考えるか」

 第三極結集の争点になっているとしている。

 日本維新の会は「憲法改正」を公約に掲げている。

 一方、連携を模索している石原前東京都知事は「現憲法破棄」を主張。

 10月25日(2012年)、石原慎太郎発言。

 石原慎太郎「占領軍が一方的に与えた、あの醜い日本語で綴られた憲法だと思います。全部変えたらいいんじゃないですか」

 10月26日(2012年)、橋下徹記者会見発言。

 橋下徹「憲法を何とかしなきゃいけないっていう、そこは(石原慎太郎と)同じですから。あとはその手法、僕は第96条の改正ってところが、先ずいの一番。

 参議院は不要です。廃止、要りません」

 日本維新の会の憲法改正を必要とする公約

 第67条――首相公選制
 第43条――参議院の廃止
 第96条――憲法改正発議要件を2分の1に緩和
 第94条――法令よりも自治体の条例が優先される「上書き権」創設

 辛抱司会者「憲法を改正するには96条を変えなくてはならない。96条を変えるには物凄くハードルが高い。道筋はどう考えるのか」

 橋下徹「ですから、今までの憲法論議というのは中身の議論してしまうでしょ?そうすると、やっぱりね、そこに思想が入ったりとかね、色んなものが入ったりして、国民全体がやっぱり憲法論議しようっていう雰囲気にならない。

 だから、中身の議論よりはね、そこは価値中立的に手続きを変えようっていうことを先ず国民全体でそこを共有して、そこが変わったあとに、そこが変わったあとにね、中身の議論、いろんな思想とかね、考え方とか、価値観とかをぶっつけ合って、中身の議論に入ればいい。

 僕は、あのー、行政の長をやって、よく分かったのは、その中身の議論をする政治家って、やりますけどもね、ホントーは、手続きを先ずきちんと整えて、そこから中身の議論をしないと、何も動かないわけです。

 で、国会議員のみなさんはね、行政の責任ある、まあ、そういう立場についた人が少ないから、すぐ中身の話ばっかしちゃうんですよね」

 細野「あの、憲法改正はですね、戦後50年以上、手続きが定められていなかったためです、ですよね。それが――」

 辛坊「そこの仕組みがなかった。それは安倍政権でやっと法律ができた」
 
 細野「2000、確か7年だったですね。国民投票法ができまして、あと幾つか課題が残っていますので、それを解決すれば、手続きは整うんですね。

 色んな議論があってもいいとは思います。ただ、まあ、これを一つ一つ考えていきます。憲法を変えないとできないことは勿論あるんですが、憲法を変えずにしっかりできることもありましてね。

 例えば、あの首相公選制なんですけども、これなんかはね、やっぱり国民が直接選んだ方が、そのー、総理に対しても国民も非常に、まあ、何と言いますか、信任も直接置くわけですから、いいんじゃないかという議論もあるんですけども、実際総選挙は、ほぼ首相公選制に近くなってるんですね。

 例えば民主党に投票するということは野田総理を国民は選んでいる。自民党の立候補に入れているときは安倍さんを総理にしたいと思っている。

 で、まあ、維新の会を選ぶときは、誰を総理に得られるか、少なくとも――」

 辛坊「決定的な違いは、そうして決まった総理大臣が公選制がないんですから、あとから国会議員の勝手でどんどん代えられるというところが――」

 細野「コロコロ代えるのが最大の問題で、やっぱり一回任せたら、そのひとにしっかりやって貰うっていう仕組みを、これは我々野党時代のことも反省しなければならないし、率直に言って、今の自民党にも若干ですね、やり方を考えないとならないところもありますね。

 お互いに反省をして、そこはしっかり与野党あってもですね、総理はしっかりとやって貰うっていうの、重要なことだと思います」

 中江有里「あのー。私はやっぱり、中身の議論っていうのをどうしても拘ってしまうんですね(笑いながら)。そのー、えーと、何て言うんですか、やっぱり憲法改正って言われても、はっきり言って、何か生活に結びつかないんですね。

 具体的にやっぱ、もっと、どうしたらどうなるのかっていう、その、憲法改正と中身っていうのが結びつくように話をして頂きたいなというのが思いですね」

 橋下徹「憲法はね、生活に、あのー、直接結びつくようなものではありません。これ、憲法っていうものは元々国家権力を縛る、そういう法律的な枠組みですから。

 要は行政組織とか政治をどう動かしていくかっていうルールなんでね。ただそういうところを今まであまり国民の皆さんに伝わっていないかと思うんですよね――」

 中江が、頷きながら、「えー、えー」と聞いている。

 辛坊「日常生活の中で憲法を感じることって、確かあまりないっちゃ言えば、ない・・・・」

 細野「今おっしゃったのは非常に、私は重要な指摘だと思うんですね。確かに憲法改正は議論するに十分値する、ジュウヨーなテーマです。

 ただ、2007年の安倍政権の議論で私が若干違和感を覚えたのはですね、ちょうどその時に消えた年金問題というのがあって、あれは国民的な大変な関心事だったんです。

 ところが、えー、年が明けて、暫くしてからすぐに指摘されたんだけども、正直言うと、当時の安倍総理の感覚はちょっと鈍くて、まあ、憲法改正の方にご関心があったんですね。で、結局、それ(消えた年金問題)が段々大きくなって、もうなかなか対応がままならなかったという状況がありました。

 つまり、一つの政権であれ程というのはそんなになくて、あのー、憲法改正ということになると、それに物凄いエネルギーを使うんですね。もう殆どそれにかかりきりになります。

 そのことを考えたときに、国制の現状がですね、例えば社会保障制度改革も、これも非常に重要なテーマとしてありますし、経済も非常に危うい状況にある。

 安全保障だってですね、ホントーにこれは際どい、色んな問題っていうのが出てきていますよねぇ。

 そういった問題があるときに憲法改正議論、私いいと思うんですが、次の政権の最重要テーマが憲法改正かと言われると、ちょっと私は国民の多くのみなさんにね、違和感を覚えられるんじゃないかというふうに感じています」
 
 橋下徹「そこはね、そこは細野さんと決定的に違うのはね、今の政治が本当に動かない最大の根本的な原因は憲法なんですね。

 政治がね、政治的なリーダーシップを発揮するとか言っても、仕組みがそうなっていないんです。今の議院内閣制とか、二院制のもとでは政治がリーダーシップを発揮できません。

 これは高度成長時代に官僚組織がしっかりとね、ある意味政治・行政を引っ張ってくれて、その上に政治が乗っかっていた時代だったらいいんですけどね、今のように政治がリーダーシップを発揮しなければいけないような時代に突入したときはね、今のこの憲法のもとでは、絶対に、誰が、どんな政治家がリーダーになっても、これは無理なんです」

 辛坊「確かに現状、憲法が衆議院、参議院、ほぼ同等の力を持たしておいて、調整機能がないということになれば、それはねじれたら、何も決まらないことになりますね」

 石原慎太郎が「憲法破棄」を唱えていることに対して。

 橋下徹「僕はここは石原さんとは絶対に相入れません。あの、先程も言いましたように憲法というのは権力をね、縛る最後の砦なんですよ。

 だが、憲法9条の議論は色々ありましたけどもね、あれがあったから、だから、自衛隊の、その在り様とかね、えー、海外派遣の在り様っていうものが、やっぱり、あの、憲法9条があったからこそ、ああいう議論になったわけですね。

 そこをもし権力者がね、この憲法はこうこうこういう理由でもう要らないんだと、破棄だっていうことを、もし許してしまえば、次の権力も、その次の権力も、自分の都合のいい理由をつけて、破棄だなんていうことを認めたら、もーうこれはね、民主国家でなくなります」

 石原慎太郎は、橋下徹が言うには現実主義者だから、「憲法破棄論」から「改正論」に変更したと言っている。

 【上書き権】〈地方公共団体が条例によって国の定めた政令や省令を修正する権限。地域の実情に応じた機動的な施策が可能になる半面、「地方公共団体は法律の範囲内で条例を制定することができる」(第49条)などと定めた憲法に違反するとの見方もある。〉(コトバンク

 「上書き権」を与えた場合、地方を国家の上に置くことにならないだろうか。中央集権体制打破はあくまでもどちらかの上下関係に置き代えることではなく、水平の対等関係に持っていくことを言うはずだ。

 先ず最初に「日本国憲法 第96章 改正の手続」を見てみる。

 〈(1)この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 
 (2)憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。〉――

 「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」ではハードルが高過ぎるから、中身の議論は後回しにして、手続きの議論を先にしようという橋下徹の説明となっている。

 だが、この主張は憲法改正論者の主張であって、現憲法を平和憲法と価値づけて改正する必要がないとする立場を取る国民にとって、手続き変更は不要で、価値中立的にはなれないはずだ。

 また、いくら憲法改正のハードルを低くしようとも、改正前に国民の信を問う必要がある重要テーマであるのだから、憲法の何条をどういった理由で変える必要があり、変えた場合、国民生活や社会形成、あるいは日本の経済活動、政治運営にどのような利益があるのかの納得のいく説明がなければ、信を問う選挙で撥ねられて、手続き変更に移れないのではないだろうか。その必要性に国民の多数が納得して、その納得が選挙の票に結びついて初めて手続きに入る順序を取ることができるはずだ。

 手続きを経て改正法が成立したあとに待ち構えている国民の「過半数の賛成」にしても、政治の側の説明にかかっている。

 つまるところ改正の必要性の説明に納得すれば、国民は早期改正のために手続きのハードルを下げる動きに出て、国民「過半数の賛成」のハードルも容易に乗り越えることができるはずだから、優先順位云々よりも全てに亘って政治の側の国民に対する説明にかかっていることになる。
 
 安倍政権が「国民投票法」を成立させたと言っても、国民が承認する「過半数の賛成」を得る憲法上の規定・法律が存在しなかったために、その法律を設けたということで、憲法96条を「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」から過半数に改正したとしても、国民の「過半数の賛成」に変更はない。

 いわば中身の議論を後回しにして手続きの議論を優先させハードルを下げたとしても、最終的には中身の議論と国民に対する説明が最重要となるということである。

 橋下徹の中身の議論よりも改正手続きの変更を優先させるべきだとする主張に対して中江有里が、国民の生活に結びつく中身の議論の必要性を訴えた。この訴えに橋下は次のように発言している。

 橋下徹「憲法はね、生活に、あのー、直接結びつくようなものではありません。これ、憲法っていうものは元々国家権力を縛る、そういう法律的な枠組みですから」

 確かに憲法は国家権力を律する国家最高法規である。

 だが、律する対象は政治及び行政、司法に関する分野だけではなく、「国民の権利及び義務」に関しても国家権力を「縛る」規定・制限をも含んでいることは誰も承知していることで、橋下徹の主張は矛盾している。

 誰もが承知していることをわざわざ例を挙げると――

 「第3章 国民の権利及び義務

 第11条 基本的人権の不可侵

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 第12条 自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 第13条 個人の尊重

 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 第14条 法の下の平等

 (1)すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治
    的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 

 (2)華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 

 (3)栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、
    又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 第25条 生存権、国の社会的使命

 (1)すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 (2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めな
    ければならない。

 第26条 教育に関する権利と義務

 (1)すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を
    有する。 

 (2)すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を
    負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 第27条 勤労の権利・義務、労働条件、児童酷使の禁止

 (1)すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
 (2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 
 (3)児童は、これを酷使してはならない。

 第28条 勤労者の団結権

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

 第29条 財産権

 (1)財産権は、これを侵してはならない。
 (2)財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。 
 (3)私有財産は、正当な保障の下に、これを公共のために用ひることができる。

 第30条 納税の義務

  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 「第10章 最高法規

 第97条 基本的人権の本質

 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 第98条 最高法規性、条約及び国際法規の遵守

 (1)この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその
    他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 

 (2)日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 ――等々である。

 一見国民の権利・義務をも律しているように見えるが、「第97条 基本的人権の本質」が、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と謳っていることを敷衍すると、侵してはならない主体はあくまでも国家権力であり、侵されてならない客体は国民である。
 
 勿論国民自身も多種あの権利・義務を侵してはならない規定を守らなければならない。

 当然、憲法が律する国家権力の在り様が国民の存在性に直接的に影響を与えることになるから、橋下徹が 「生活に、あのー、直接結びつくようなものではありません」と言っていることに反して生活に直接結びつくことになる。

 細野は橋下維新の会の公約首相公選制を取り上げて、国民の投票が、投票した政党の代表者を首相に選ぶことになるから、公選制と近いと言ったものの、辛坊から、最初の首相は投票の対象になるが、解散しないで首相を交代させた場合、国会議員等の選挙で決まっていって、公選制とは言えないと否定されると、野党時代は自民党から同じく国民の選択を受けない首相交代を受けた時、散々に国民の審判を受けていない、正統性はないと主張していたことに反して、「コロコロ代えるのが最大の問題で、やっぱり一回任せたら、そのひとにしっかりやって貰うっていう仕組み」を主張し、民主党も反省するが、自民党もやり方を変えるべきだと言っている。

 要するに立場が変わると主張を変えるご都合主義を演じているに過ぎない。

 また細野は安倍政権が憲法改正が最大関心事で、消えた年金問題を疎かにしたから、国民の信頼を失っていったといった趣旨のことを発言しているが、要は政策の優先順位である。安倍政権は政策の優先順位を誤ったに過ぎない。

 民主党は日本経済の立て直し、国民生活の立て直しを優先順位上位の喫緊の課題としていて、憲法改正を政策の優先順位の上位に上げるつもりはないと短く言えば済むことを、要領を得ないことを長たらしく言っている。

 司会者の辛坊が出演者の紹介のところで、「民主党のプリンス」と持ち上げていたが、主張の的確性・言葉の的確性、さらにそのご都合主義から言うと、立場立場でいくらでも言葉を変え、詭弁に走る才能は十分で、プリンス変じて無能な首相になりかねない。

 最後に橋下徹が言っているように果たして、「今の政治が本当に動かない最大の根本的な原因は憲法」なのか、検討してみる。

 橋下徹「政治がね、政治的なリーダーシップを発揮するとか言っても、仕組みがそうなっていないんです。今の議院内閣制とか、二院制のもとでは政治がリーダーシップを発揮できません。

 これは高度成長時代に官僚組織がしっかりとね、ある意味政治・行政を引っ張ってくれて、その上に政治が乗っかっていた時代だったらいいんですけどね、今のように政治がリーダーシップを発揮しなければいけないような時代に突入したときはね、今のこの憲法のもとでは、絶対に、誰が、どんな政治家がリーダーになっても、これは無理なんです」

 既に憲法に関係なくリーダーシップを発揮してきた例として小泉政治を上げた。

 小泉政権は発足から退陣までを通して常に衆参両院とも自公合わせて過半数の数の力を確保していた。2004年の参院選挙では自民党自体は過半数割れであったが、公明党との数合わせで、やはり過半数を維持することができた。

 だが、安倍政権下の2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙で民主党が大勝、自公合わせても過半数を割り、ねじれ現象が生じて自民党政治は停滞することになった。

 民主党は2009年の総選挙で大勝し、政権交代を果たすが、菅政権下の2010年10月の参議院選挙で大敗、野党勢力に過半数を許すことになり、政治が停滞することになった。

 この経緯は憲法に関係なく、あくまでも参議院に於ける数の劣勢が政治の停滞に関係していることを物語っている。

 要は日本維新の会が掲げている公約実現に憲法改正が必要だということで、改正を果たして「参議院廃止」の公約を実現させ、ねじれという障害を除去して法律を成立させる力とはなっても、必ずしも政治が機能する保証とはならない。

 このことは政権交代を受けたかつての自民党政治が証明している。政策や法律に対する、あるいは政治手法そのものに対する時間を経た国民の審判が次の選挙の票となってそのまま反映されるからであり、実際にも2007年7月の参院選挙で自民党はその仕打ちを受けることになった。

 このことは公選制で選ばれた首相に於いても同じ経緯を辿ることになるはずだ。

 国民の最大の関心事は常に生活である。生活を困窮させる政治は選挙によって否定される。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする