「1億総活躍社会」の対立概念は「格差社会」であって、アベノミクスの否定によって実現に近づく

2015-10-14 10:26:08 | Weblog

 2015年10月11日の日曜日のNHK「日曜討論」は改造内閣の閣僚(菅義偉、林幹雄、石井啓一、丸川珠代、中谷元、加藤勝信)が出席して、「安倍改造内閣 経済・安保 閣僚に問う」 をテーマに据えていた。

 「日曜討論」の公式サイトには、〈安倍改造内閣が掲げる“一億総活躍社会”とは?「GDP600兆円」「出生率1.8」目標の実現は?また安全保障関連法成立後の外交・安保政策は?6人の閣僚に問います。〉と宣伝している。

 で、初入閣ながら、1億総活躍担当相という重職を担った加藤勝信が「1億総活躍社会」についてどう認識しているのか、その個所に関する発言を文字起こししてみた。

 司会はいつもの通りに,島田敏男と中川緑。

 中川緑「視聴者からの意見で、『1億総活躍社会の意味が分からない』とか、『スローガンはいいが、実際に現場がよくなる見通しがあるのだろうか』、こういった声がある一方で、『人口減少や経済が先細り、日本の未来は決して明るくない。安倍総理のリーダーシップに期待したい』、こういった意見も寄せられています。

 加藤さん、伺いますが、『1億総活躍社会』、なかなか初めて聞く言葉で、視聴者からもちょっと分かりにくいという言葉が寄せられているんですが、この『1億総活躍社会』、どういう社会を目指していくのかと言うこと。そのためにどういう具体策を考えているのでしょか」

 加藤勝信「『1億』という意味ですが、まさに先ず『国民一人ひとりが』という意味であります。『総活躍』、まさに若い方も高齢者の方、女性も男性も、そして障害者や難病等、色々とハンディギャップ等を抱えていられる方々もですね、誰もが、また地域や職場や家庭、そういった場に於いてですね、その持っている力を発揮して頂く。

 そして今よりもさらに一歩踏み込んでですね、自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける。まさに一人ひとりが活躍して頂く。それがまさに強い経済、あるいは日本の人口を1億保っていこうと、そういったことにつながっていく。

 そういった社会を作っていきたいということです。

 そして具体的な政策についてはそれぞれ三つの具体的な目標を実施していくために、経済で言えば、これまでの3本の矢をしっかりと実行していく。あるいは希望出生で言えばですね、育児や出生をしやすい環境、そして介護離職で言えば、介護しながらですね、働ける。

 そうした環境をどう作っていくかということを具体的にこれから作り上げていきたいと思います」

 島田キャスター「この具体化のためにですね、国民会議というものを作るということなんですが、そこにはどういった人たちに参加して貰って、そしていつ頃検討をスタートさせるのか。どんなお考えですか」

 加藤勝信「全体として年内のできるだけ早い時期、緊急に取り組むべき政策の第一番という話もございますから、そのため、そういったことを議論して頂く場として、この『1億総活躍国民会議』、できるだけ早期に立ち上げたいと思います。

 具体的な中身ですが、構成メンバーで有りますけれども、一つは関連する大臣、たくさんいらっしゃいますから、そういった方にも入っていただく必要もあるかと思います。広範囲なことを議論する場でありますから、それぞれの分野についてですね、色んな意見を集約してお話頂けるような方、そういった方にも入って頂いて、国民のコンセンサスですね、また併せて理解を求めて行きたいと――」

 島田キャスター「経済界も入りますね」

 加藤勝信「勿論経済界の方も入って頂かなければなりません」

 島田キャスター「一方で労働界は」

 加藤勝信「具体的に経済界とか労働界とか、経済のこと、あるいは労働のこと、あるいは福祉のこと、あるいは障害者の皆さんのこと、そういったことをしっかり分かっている方、そういった方に入って頂きたいと思います」

 島田キャスター「人選に注目していきたいと思います」(以上)

 加藤勝信は先ず最初に「1億総活躍社会」の「1億」の意味は「国民一人ひとり」のことであり、その「総活躍」だと説明している。つまり全ての国民が活躍できる日本の社会を思い描いていることになる。

 2015年9月28日の当ブログ記事――《安倍晋三の言う「1億総活躍社会」とは初期的な所与条件で「矛盾ゼロ社会」と言うことでなければならない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈「1億総活躍社会」とは、断るまでもなく、日本人全員が一人の洩れもなく活躍できる社会の実現の公約である。まさか現在1億2千万余の人口の内、1億人のみが活躍できる社会を作り、あとの2千万余の日本人は切り捨てるという意味での「1億総活躍社会」ではないはずだ。〉と書いた。 

 加藤勝信の上記発言を聞いて、安心したのは私だけではないだろう。

 次いで加藤勝信は「1億総活躍社会」というスローガンから自身が把握していることになる「国民一人ひとり」について描いでみせる。

 〈若い方も高齢者の方、女性も男性も、そして障害者や難病等、色々とハンディギャップ等を抱えていられる方々〉だと。

 では、「1億総活躍社会」の「活躍」についてどう考え、把握しているのかと言うと、〈誰もが、また地域や職場や家庭、そういった場に於いてですね、その持っている力を発揮して頂く。

 そして今よりもさらに一歩踏み込んでですね、自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける。まさに一人ひとりが活躍して頂く。〉と説明している。

 要するに、〈持っている力を発揮〉し、〈自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける〉ことが「1億総活躍社会」の「活躍」に当たるとしている。

 だが、いくら持っている力を発揮したとしても、あるいは自分の夢や将来の実現のために取り組んでいったとしても、誰もが成功を保証されているわけではないから、全部が全部活躍に結びつくわけではない。

 だから、上記当ブログで、初期的な所与条件で「矛盾ゼロ社会」と言うことでなければならないと書いた。

 「初期的な所与条件」とは、初期的に他から与えられる条件のことであって、例えば同じ職場の同じ部署に於ける同一労働に正規と非正規で賃金差別があったとするなら、初期的な所与条件は平等とは決して言えず、矛盾が存在することになる。

 賃金差別は生涯賃金格差となって現れ、それはそのまま消費活動の格差へとつながっていく。

 例えば国税庁の統計によると、2013年の年間平均給与は414万円となっているが、正規473万円、非正規168万円で、その格差は305万円。

 この格差が30年も続くと、生涯賃金は1億円近い格差となる。

 年収の差からの消費活動の差、あるいは生涯賃金1億円の消費活動の差は消費の質の格差となって現れる。消費の質は人間活動の質そのものとなって現れるから、消費の質の格差は人間活動の質の格差そのものを指すことになる。

 消費とは人間が欲望を満たすために物財を費やす行為をいうのだから、人間生活のありとあらゆる行動が消費行動によって成り立っていることになる。テレビを見るにしても、テレビを買う消費が必要であるし、刻々と電気代がかかってきて、電気代の支払いという消費を介在させなければならない。

 例えば非正規で低い賃金での労働を強いられていたために結婚して、その生活を維持するだけの資金に自信が持てなくて未婚化する率が高くなっているが、一般的に言うと、生涯独身であるか、あるいは結婚して子どもを設けた家庭を営むかで自ずと生活の質が大きく異なってきて、賃金格差を受けた消費活動の格差が消費の質の格差そのものに影響を与えることになる。

 であるなら、国民一人ひとりが〈持っている力を発揮〉し、〈自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける〉ことが「1億総活躍社会」の「活躍」に当たるとするのではなく、格差そのものが〈持っている力の発揮〉や〈自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける〉計画を阻害することもあるのだから、もっと本質的単刀直入に日本の社会に蔓延(はびこ)っている様々な格差を解消することが「1億総活躍社会」の「活躍」に繋がっていくのだと認識しなければならないはずだ。

 加藤勝信は「国民一人ひとり」の中に、ごく当然のことだが、〈障害者や難病等、色々とハンディギャップ等を抱えていられる方々〉を入れていたが、彼らに対して健常者と同等の一般的な社会生活を送ることを阻んでいたのは、このことは一般的な消費活動にも繋がっていくが、物理的バリア、あるいは精神的なバリア(差別意識)といった社会生活上の格差であったはずだ。

 そういったバリアが作り出している社会的格差が彼らの社会生活を阻害し、結果、彼らが望む活躍を抑圧してきた。

 と言うことは、格差社会が「1億総活躍社会」の対立概念だとして、後者の実現を阻害する最悪の要因となっていると見なければならない。

 だが、加藤勝信にはこういった認識がない。そもそもからして安倍晋三のアベノミクス経済政策は格差の解消とは逆の格差拡大に役立っていて、加藤勝信は側近として格差拡大の一味であった。日本の経済を強くするために格差を意に介さずにきた。

 いくら「1億総活躍国民会議」を設置して、優秀な有識者を集めて議論しても、「1億総活躍社会」の対立概念が「格差社会」だと認識して、格差拡大の是正に本格的に取り組まなければ、「1億総活躍社会」の実現は覚束ない。

 日本の社会がアベノミクスの効果で格差拡大が急速に進んでいる以上、格差拡大の是正はアベノミクスの否定から入らなければならない。否定から入ることによって、「1億総活躍社会」への実現に近づいていくことができる。

 安倍晋三にしても、加藤勝信にしても、この逆説的設定にどう折り合いをつけるのだろうか。


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