
「生活の党と山本太郎となかまたち」
《10月21日 小沢一郎代表、「日韓親善友好の集い in Seoul」来賓者代表挨拶》
「韓両国が傲慢さや偏見を捨て、謙虚に誠意をもって」(日韓国交正常化50周年を記
念して)
ネット記事か何かで知ったのか、あるいはNHKの国会中継で知ったのか定かではなくなったが、自民党参議院議員の三原じゅん子が参議院の予算委員会で第2次世界大戦中の日本が中国,東南アジアへの侵略を正当化するためにスローガンとして用いた「八紘一宇」の言葉を持ち出して、言ってみればその理念で平等な社会を築くべきではないかといった質問をしていた。
三原じゅん子は現在51歳だそうだが、戦後生まれの彼女が戦争のスローガンを亡霊のように持ち出したことに驚いたが、文字化する元気もなく、20日ぐらい経過したら国会会議録検索システムに記載されるだろうからとそのまま放置していたら、すっかり忘れてしまっていた。
思い出させてくれたのはネットで他の情報を集めていたとき、偶然目に入った、《だから私は「八紘一宇」という言葉を使った》という題名の東洋経済オンライン記事である。
そこで国会会議録検索システムにアクセスして2015年3月16日の参議院予算委員会質疑をダウンロードした。
質問の趣旨は多国籍企業や富裕層が法人税や所得税等の優遇税制を設けているタックスヘイブン(租税回避地・ヘイブンは「避難所」の意だそうだ)に資産を移したり隠したりして不当な利益を得ていることで不平等な弱肉強食の世界をつくっている、こういった不平等世界を改める基本的理念が「八紘一宇」ではないのかというものである。
このことに関連する三原じゅん子の質問の幾つかを取り上げてみる。
三原じゅん子「今日、皆様方に御紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に、天の下覆いて家となさむとおっしゃったことに由来する言葉です。
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八紘一宇とは、世界が一家族のように睦み合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。
現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族を虐げている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができたとき、初めて世界は平和になるということでございます。
これは戦前に書かれたものでありますけれども、この八紘一宇という根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです」
三原じゅん子「税のゆがみは国家のゆがみどころか世界のゆがみにつながっております。この八紘一宇の理念の下に世界が一つの家族のようにむつみ合い助け合えるように、そんな経済及び税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを安倍総理こそがイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思うんですが、いかがでしょうか」
そして質問の最後に次の発言を行っている。
三原じゅん子「八紘一宇という家族主義、これは世界に誇るべき日本のお国柄だと私は思っております。この精神を柱として、経済外交に限らず、我が国の外交、国際貢献、こういったもの、総理には力強く今後とも進めていただけますことを最後にお願いして、質問を終わらせていただきたいと思います」
三原じゅん子は相当に「八紘一宇」にゾッコン惚れ込んでいるようだ。「八紘一宇」という言葉を思い出すだけで全身に快感の震えが走るのではないだろうか、
三原じゅん子にとっての「八紘一宇」の理解は「世界が一家族のように睦み合うこと」であり、「八紘一宇」の「一宇」とは、「一番強い者が弱い者のために働いてやる」「一家の秩序」ということになっている。
但し「一宇」という言葉から「一番強い者が弱い者のために働いてやる」「一家の秩序」を意味するのだといったことをどう導いたのか、不明である。最後に「八紘一宇」を家族主義と言い、日本の国柄としていることから、日本の家族は助け合いを精神として秩序を保っているとしていて、そこから導き出したのかもしれない。
だが、すべての家族がそういった理想の姿を取っているわけではない。
三原じゅん子のこの国会質問に幾つかのマスコミが戦時中のスローガンを持ち出したことを批判した。対してなのだろう、三原じゅん子はインタビューに答えて自己発言を正当化している。
それが《だから私は「八紘一宇」という言葉を使った》(東洋経済オンライン/2015年04月05日)と題した記事である。
三原じゅん子「そもそも『八紘一宇』の本来の意味は何なのでしょうか。この語源は、神武天皇が即位された際に作られたとされる「橿原建都の詔(みことのり)」に遡ります。
『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや』
つまりは『世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国にしていこうではないか』という建国の理念です。この詔を編入した日本書紀が完成したのは720年で、実に1300年以上も前に、国民を「おおみたから」と呼んで慈しみ、自分より他人を思いやる利他の精神、絆を大切にするこころや家族主義のルーツが記されていたのです」
三原じゅん子「さらに『八紘一宇』は二・二六事件の『蹶起趣意書』にも記載されていたために、軍事クーデターの原因となったとみなされがちですが、この事件が勃発するきっかけになったのも、農村の貧困問題でした。特に東北で長年農業恐慌が続いたことに加え、1931年と1934年に大凶作が起こり、少女の身売りや欠食児童問題が深刻になりました。
これらを見ると、多くの人々が困窮して国が疲弊している時こそ『八紘一宇』の重要性が叫ばれていたという歴史的事実が浮かび上がります。『八紘一宇』は混乱の時代にあって、人々を救済するスローガンだったと思うのです」――
そこで多国籍企業や富裕層の跋扈を許していることで現代世界を形成している不平等な弱肉強食の世界を公正化する理念、いわば「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける」精神的力学足り得る理念として「八紘一宇」を持ち出したというわけである。
言っていることは豪華なバスタブの香水風呂に首までゆったりと浸かってうっとりとした満足感に覆われているかのような理想主義にたっぷりと満ち満ちていて、夢のように素晴らしい。
確かに「八紘」は「四方八方、全世界」を意味し、「一宇」の「宇」は軒、屋根の意であって、「一宇」は「屋根を同じくすること。一つの屋根の下に暮らすこと」の意となって、三原じゅん子が言うように「八紘一宇」は「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国にする」意味であるとしても、日本開国の祖と言われている神武天皇が、神話上の人物とされていて、実在したのかどうかは分からないが、統治者の立場から発した言葉である以上、平等社会を装っているものの、国民を支配するための便宜(ある目的や必要なものにとって好都合なこと。便利がよいこと)として編み出し言葉だということである。
もし実在しない神話上の人物であるなら、後の天皇が統治者としての正統性を自身に置くために考え出した神話と理念であり、やはり自身が日本を統治する者としての支配便宜化の目的で編み出した言葉ということになる。
皮肉なことに歴代天皇は有力豪族によってその実権を奪われ、豪族たちの支配正統性の道具とされ、その名前だけが利用させる存在に成り下がっていた。明治に於いては薩長閥が、戦前は軍部が実権を握っていた。
「八紘一宇」が天皇(実際には天皇を操って陰で実権を握っていた豪族)を統治者、あるいは支配者として上に置いた国民支配のための便宜的なロジックであり、そのことは戦前、日本国を支配国として「世界を一つにする」という意味を込めた侵略と植民地化によって現れ、その実現のための戦意高揚のスローガンに利用された歴史を抱えている以上、その歴史的経緯を無視して、「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国にする」平等世界実現の理念だとの理解には無理がある。
大体が「八紘一宇」には日本国統治者の地位に置いた天皇、あるいはアジアの盟主に置いた日本国という主語があった。いわば支配者が上の価値観で下の価値観を統一することで可能となった「全世界が一つの屋根の下に暮らす」とする、正義を装った支配の論理であった。
支配の論理は支配側を常に正義とする。被支配側には正義を見ない。支配に従属して初めて被支配側の正義が認められる。
三原じゅん子の「八紘一宇」にしても、例えそこに支配者や支配国を置かなくても、あるいはいくら平等社会を謳ったとしても、「世界の隅々までも、一つの家族のように仲良く暮らしていける国」にするために何らかの価値観で他の価値観を統一しない動きに出ない保証はどこにもない。
価値観を統一しようする衝動を発した途端、そこに支配と被支配の関係が生じることになる。そして支配側の正義を被支配側に受入れさせようとする。
三原じゅん子は歴史の経緯を無視して「八紘一宇」の正義を持ち出して平等社会実現の理念にしようとしたが、「八紘一宇」自体に支配と被支配の構造を生み出す危険性を抱えていることに気づかなければならない。