第3次安倍改造内閣行革担当河野太郎は決して国民を騙しているとは思っていない信念を曲げない大臣である

2015-10-08 09:10:33 | 政治


 第3次安倍改造内閣の閣僚が昨日10月7日(2015年)発表され、安倍晋三の夕方6時からの記者会見で閣僚それぞれが簡単に紹介された。

 信念の人、河野太郎が初入閣している。どんな紹介のされ方なのか見てみる。

 安倍晋三「河野大臣は、大勢に迎合することなく、常に改革を強く訴えてきた情熱の持ち主であります。閣内でも改革断行の総元締として、これまでの経験をいかしてあらゆる改革を一気に加速してもらいたいと期待しています」――

 「大勢に迎合することなく、常に改革を強く訴えてきた情熱の持ち主」とは信念の人そのものであることの言い替えでなければならない。

 ではなぜ、そのように今時稀有な信念の固い人物を今まで閣僚に用いなかったのだろうか。第2次安倍内閣発足早々に大臣に用いていいはずだが、今になって用いたことに奇異な感じさえする。

 ブログ上には記載されていないが、河野太郎の公式サイトを紹介する検索サイトは、「国民(みんな)のために力を合わせる政治を」名となっていて、アクセスするとタイトル個所に、「貫くべき信念があります」と書き入れてある。
 
 自分から信念の人であることを名乗っている。大体が「国民」という漢字を「みんな」と読ませる辺り、大衆目線を感じさせる。「河野太郎は国民の味方です」と言っているのと同然である。

 国民の味方が格差拡大のアベノミクス経済政策を推し進める安倍晋三の内閣に入閣するのは些か矛盾を感じるが、その点は目を瞑ろう。少しはブレーキ役を任ずるのかもしれない。

 ところが、河野太郎が“信念の人”であることを嘲笑うが如き記事を見つけた。飛んでもないことである。《入閣の河野太郎氏「脱原発」どうする ブログの公開中断》asahi.com/2015年10月7日23時55分)

 主なところを拾ってみる。

 〈河野氏はこれまで安倍政権の原発推進の方針に異議を唱えてきたが、7日の初閣議後の記者会見では持論を封印。〉

 〈原発再稼働を批判してきたブログは同日夜現在で「メンテナンス中」として、閲覧できない状態になっている。〉 

 〈河野氏は自身のブログ「ごまめの歯ぎしり」で、安倍政権の川内原発(鹿児島県薩摩川内市)再稼働について「核のゴミには目をつぶり、やみくもに再稼働しようというのは無責任です」と批判してきた。

 7日の記者会見で持論と政権方針との整合性を問われると「2012年の総裁選の時に、当時の安倍晋三候補は長期的には原子力への依存度を下げるとはっきりおっしゃっていた。ベクトルとしては同じ方向を向いている」と説明した。〉

 河野太郎(ブログを閲覧できなくしたことについて)「今までは外から言っているだけだった。今度は政府内の議論でしっかりと言うべきところは言っていく」――

 結局のところ、記事の殆どを紹介してしまった。

 先ず公式サイトだが、トップページにはアクセスできるが、「ごまめの歯ぎしり」などの各コーナーはクリックしても「メンテナンス中」となっていて、記事が読めなくなっている。

 河野太郎は段階的脱原発を原発政策として掲げているから、「ベクトルとしては同じ方向を向いている」としても矛盾はないが、2012年当時は2011年3月11日の東日本大震災を受けた福島第1原発事故から日が浅く、国民の間で現在以上に脱原発ムードが高まっていた。安倍晋三のことだから、党員票獲得の選挙戦術と言うこともある。特に最近の停止中の原発再稼働推進の姿勢やベトナム、トルコ、UEAに対する原発輸出積極姿勢を見ると、選挙戦術の疑いが濃厚である。

 尤も河野太郎は日本からトルコとアラブ首長国連邦(UAE)への原発輸出をそれぞれ可能にする「原子力協定承認案」の衆院での採決に賛成しているから、安倍晋三の段階的脱原発がニセモノ臭くても、案外河野太郎もニセモノ臭く、ニセモノ臭さいという点で「ベクトルとしては同じ方向を向いている」と言うことで、何ら矛盾はないのかもしれない。

 いや、脱原発の信念を持ちながら、「原子力協定承認案」の採決では自身の信念を曲げたということなのだろうか。

 つまり、信念というものに対してときには曲げることもあり得るという柔軟性を与えているとしたら、例えばウソを悪としていながら、人間、ウソをつくこともあると必要悪のウソを認めているように必要悪の信念の変節を認めている考えているとしたら、公式サイトを閉じたことは今後国会や記者会見で口にする発言との整合性を問われる場面が生じないよう、前以て「今までは外から言ってい」た発言と発言に込めた信念を隠す意図からの措置――必要悪の信念の変節と解釈できないこともない。

 但し必要悪からだと自覚していたとしても、信念を一本貫くことから程遠いことだけは確かである。貫く固い意志を持っていたなら、公式サイトの各コーナーを閉じることはしなかったはずだ。 
 
 河野太郎は自身のツイッターに9月20日、〈ブログ更新:使わない船に年間12億円。 http://bit.ly/1LGaU2J 〉と投稿、29件のリツイートと24件のお気に入りを獲得している。

 アドレスにアクセスしてみると、「ごまめの歯ぎしり」に書き入れた一文であるらしく、当然、「メンテナンス中」で覗くことができない。

 ところが、河野太郎は同じ9月20日付け、同じ題名で「The Huffington Post」投稿していて、記事が残っている。
 
 内容は文科省の概算要求の中に「国立研究開発法人日本原子力研究開発機構運営費交付金に必要な経費」が入っていて、福井県敦賀市明神町にある廃炉中の原発「ふげん」の使用済み核燃料の輸送に当たる輸送船の維持管理に必要な予算として原燃輸送株式会社を支払先とする12億3200万円が組み込まれている。

 その予算で核燃料輸送船「開栄丸」を47億円で建造。この47億円は原燃輸送株式会社が負担。その90%を日本原子力研究開発機構が15年年賦で支払い、残りの10%はその後の10年年賦での支払いとなっていて、金利と固定資産税を加えると、合計60億円の負担になる。さらに毎年9億円の維持費がかかって、原燃輸送に支払う。

 しめて年間12億3200万円が税金からの負担になる。

 「開栄丸」は日本原子力研究開発機構が使用しない間は電力会社が使うことになっていた。ところが日本原子力研究開発機構が利用したのは2006年10月と2007年5月と2007年6月の3回のみ、それぞれ5.2トンの使用済み核燃料を「ふげん」から東海研究所に輸送しただけで、その間の電力会社が利用したのはただの1回。計4回しか使われていない。

 「ふげん」にはまだ70トンの使用済み核燃料が残っていて、フランスに持って行って処理する話が有力となっているが、「開栄丸」は使用済み核燃料を海外に輸送するために必要な防護措置がないために海外には輸送できない。

 つまり「使わない船に年間12億円」のムダを出しているというわけである。

 確かに河野太郎が書いたこの記事はThe Huffington Postに残ることになるが(永遠にかいつまでかは分からないが)、自身の公式サイトについてい言うと、「無駄遣い撲滅プロジェクト」自民党行政改革推進本部長として河野太郎が知り得た情報の国民に対する説明責任を一旦は果たす信念を示したが、その説明責任を自ら遮断してしまう信念の変節を自ら演じ、説明責任とは逆の情報の隠蔽に走ったことになる。

 国民に対する説明責任の自分の意志からの遮断は必要悪の信念の変節であるとすることは決してできないはずだ。

 The Huffington Postの記事も抹消したいと願ったのかもしれないが、一旦他紙に投稿した以上、自分の意志から抹消も遮断もできない。

 河野太郎は父親が発表した「河野談話」に対する姿勢はどうするのだろうと思っていると、記者会見で案の定問い質されている。

 記者「父の河野洋平氏が官房長官時代(平成5年)に発表した、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話についてどのようにお考えか」

 河野太郎「個人としての見解を申し上げるのは適当ではない。政府として村山談話、河野談話を継承すると首相が申されているので、その通りであって付け加えることも引くこともない」(産経ニュース) 

 要するに個人的な見解は別にして内閣の一員として内閣の方針に従うというわけである。

 安倍内閣の方針とは、安倍晋三個人は、他の閣僚も何人かは「村山談話」が示している歴史認識も「河野談話」が示している歴史認識も真っ向から否定、逆の歴史認識に立っているが、内閣としては受け継ぐという見せかけの形式を取っている。

 だが、河野太郎が「個人としての見解を申し上げるのは適当ではない」と個人的見解を隠している以上、「村山談話」と「河野談話」の歴史認識は認めるが、内閣の一員として安倍内閣の見せかけの方針に合わせますと、必要悪と認識しているのかどうか分からないが、やはり信念の人らしく、信念の変節を見せていることになる。

 国会で追及されることになったとしても、一議員として外で発言してきたことと今後の内閣の中での発言とは別だと言ったり、個人的見解と政府方針を区別することで逃げ切ることになるだろう。

 高市早苗も2014年10月3日の衆院予算委員会で自身の歴史認識を安倍内閣の方針に合わせる信念の変節を必要悪としてか、平気で犯している。

 辻元清美「『正論』にかつてこういうことをお書きになっています。村山談話を指して、この不見識な見解をこのまま放置するならば、犯罪国家の国民として子孫を縛り続けることになる」

 高市早苗「現在私は内閣の一員でございます。一政治家としての信念、思想、これまでの主張はございますけれども、内閣のメンバーが、国民の代表であります国会に対しまして、みんながばらばら、めいめいに好きなことを言い出しては、それは内閣として機能しないと考えております。私は、内閣の方針に従わせていただきます。それが国民の皆様への責任だと思っております」

 安倍晋三にしてこの高市早苗ありで、信念の変節とは思わせない見事な言い抜けを行っている。

 河野太郎にしても高市早苗にしても、それぞれが自分は信念の人だと信じ続けることになるだろう。自身の信念に反する国会答弁やその他の発言はすべて見せかけだとすることによって。

 決して国民を騙しているとは毛程も思っていないはずだ。安倍晋三がそうであるように。

 思っていたとしたら、河野太郎も高市早苗もあのような発言はできない。


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