実在した米国オリンピック代表選手ルイス・ザンペリーニの半生を描いたアンジェリーナ・ジョリー監督作の「不屈の男 アンブロークン」が2016年2月、ミニシアターの東京のシアター・イメージフォーラムで初上映、順次全国上映が決まったという。
大手配給会社ではなく、ミニシアターが初上映というのは非常に象徴的である。
旧日本軍に捕虜となった米兵が日本兵の執拗な虐待に強い意志で耐えぬく物語だとかで、2014年に全米公開されてヒットし、第87回アカデミー賞では撮影賞など3部門にノミネート、50カ国以上で公開されたが、日本では特にネット上で反日の批判が沸き起こって上映反対・上映ボイコットの動きも出ていたということだからだ。
次の記事がネット上の批判を取り上げている。《反日映画?捕虜虐待描いたアンジー作品 上映阻止の運動》(asahi.com/2015年3月17日07時41分)
「日本貶(おとし)め映画」
「事実無根」
「どんどん抗議の声を上げていくべきだ」
フェイスブック上には「アンジェリーナ・ジョリーの反日映画を阻止しよう!」名のページが開設され、1200人以上が参加、連日、映画批判が投稿されていると伝えている。
記事は「アンブロークン」は米国で昨年末から3千館以上で上映。興行収入は1億ドルを超え、「ラスト・サムライ」を上回ったと解説、一方で、〈虐待場面の長さから「意味のない拷問マラソン」(ニューヨーク・ポスト)「中国で反日感情をあおる可能性も」(ロサンゼルス・タイムズ)といった評もある。〉といったマスメディアの映画評、その他を伝えている。
戦後米国に帰国し、「日本兵に復讐(ふくしゅう)するため、金を貯めて日本に行く」と復讐心に燃えるが、次第に許しの心境に達していく経緯を、「毎日jp」、《ハリウッド万華鏡:(9)映画よりドラマチックなザンペリーニの生涯》(2015年01月09日)が詳しく伝えている。
「Wikipedia」に捕虜となったルイス・ザンペリーニが知名度があったことから、日本軍がアメリカへの宣伝に利用することを立案、1944年11月に対米宣伝放送に自ら用意した原稿を読み上げたが、再度の放送で日本側のプロパガンタ原稿を読むよう求められたことを拒否し、1945年3月に直江津捕虜収容所(東京俘虜収容所第四分所)に移送され、そこで終戦を迎えたとの記述がある。
プロパンダ原稿の読み上げを拒否したことが虐待に繋がったのだろか。
イラク戦争後、連合軍の統合尋問・聴取センターの管理下に入ったイラクのアブグレイブ刑務所で米兵によるイラク人拘留者に対する虐待が行われていた。
キューバにある米グアンタナモ基地ではブッシュ政権時代収容していたアフガニスタン侵攻やイラク戦争で捕虜としたアラブ人やアフガン人の捕虜に対する拷問、コーランを侮辱するなどの差別が行われていた。
確かに実体験のノンフィクション化や映画化には手を加えられて誇張や創作が混じることがあるが、例えそれが「反日」を目的にしていたとしても、歴史の事実を「反日」か、「親日」かを基準に評価し、日本人に不都合な歴史を全て「反日」で一括りして基本の事実から目を背けた場合、歴史を見る目を歪めることになる。
いわば基本の事実は確かに存在したこととして基本の事実としなければ、歴史から何も学ばないことになる。
日本軍の虐待は敵捕虜に対してだけではなく、新兵に対するイジメも虐待に入る。当時一般兵の供給源は満足に食えない農村が主で、食えないゆえに軍隊に流れていく傾向が生じていた。赤紙で都市の住民が入隊してくると、特に上流の生活者の部類に入るインテリに対するイジメ=虐待は、多分、妬みが憎しみに変じてのことだろう、執拗を極めたという。
そして日本軍は敗戦期を迎えると、海外の日本軍は、沖縄でもそうだったが、邦人保護の役目を放棄、部隊の維持のみを考えた撤退に終始したケースもあった。撤退部隊の中に民間人が混じっていたとしても、幼い子は撤退に支障があるからと母親に命じて殺させたりした。
中国に進出していた日本軍の日本兵が民間人である中国人住民に対して暴虐の限りを尽くしたことを伝えている記事、《元日本兵が伝える戦場の現実 「命の限り、語り続ける」》(asahi.com/2015年10月19日20時35分)がある。
「抵抗する住民は時にその場で殺し、家を焼いた。日本軍の通ったあとは焼け野原になった。それを中国のあちこちでやった」――
例えここに誇張や創作が混じっていたとしても、歴史に於ける基本の事実は見逃してはならないはずだ。