2015年10月18日、高市早苗が秋季例大祭に合わせて靖国神社を参拝したという。記帳は「総務大臣 高市早苗」。一国務大臣に過ぎなくても、日本国家を代表している気分で参拝したに違いない。
玉串料は私費で納めたという。国費で収めて、公的参拝だ、政教分離に反するだと騒がれるのを避けたのだろう。だが、記帳の肩書は「総務大臣」と公的な肩書を使う。
参拝後、待ち構えていた記者団に発言している。きっと神々しさを自意識した誇りを内に秘めていたのではないだろか。
高市早苗「後世における(戦争の)評価と、国策に殉じられた戦没者の慰霊は分けて考えるべきだ。私は一人の日本人として、国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げた」(asahi.com/2015年10月18日12時50分)
「後世における(戦争の)評価と、国策に殉じられた戦没者の慰霊は分けて考えるべきだ」――
初めて口にした靖国参拝正当化理論に思えるが、不勉強で、過去にも口にしていたのかもしれない。
要するに日本の過去の戦争を後世、間違っていた戦争だと、どのように否定的に評価しようが、戦没者の慰霊は分けて考えて、後世の国民の正しい務めとしなければならないと認識していることになる。
この認識が既に証明していることだが、では、高市早苗は日本の戦争を否定的に評価しているのだろうか、肯定的に評価しているのだろうか。
「国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げた」――
断るまでもなく、「国策」とは日本の戦前の戦争政策を指す。
高市早苗が「心から感謝の気持ちを捧げた」参拝の対象は「国策に殉じられた御霊」である。つまり御霊が殉じた(任務や信念などのために命を投げ出した)「国策」を誤った戦争政策だったとしているだろうか。
誤った戦争国策だとした場合、御霊は誤った戦争の国策のために殉じた(命を投げ出した)ということになって、御霊の生前の判断能力に疑義を呈することになる。
それとも国策に関しても、「後世に於ける評価に関係せずにどのような国策に対しても国民は殉ずるべきで(命を投げ出すべきで)、正しい正しくないは分けて考えるべきだ」としているのだろうか。
だが、この主張は論理的に決して成り立たない。どのような政策でも国民は正しい、正しくないかを考えずに従えと命令することと同じになり、独裁性を意志していることになるからだ。
「国策に殉じられた」(命を投げ出した)としている以上、戦争の「国策」は正しかったと価値づけていなければならない。少なくとも間違ってはいなかったと認識しているはずだ。
要するに高市早苗自身は日本の戦前の戦争・戦前の戦争の国策を間違っていなかったと肯定的に評価していながら、だからこそ、「国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げ」る参拝行為が可能になるのだが、そうであるなら、「戦争の国策は間違っていなかったのだから、そのような国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持を捧げるのは正しいこととしなければならない」と言うべきところを、戦争の国策は間違っていなかったと信念していることを隠して、「後世における(戦争の)評価と、国策に殉じられた戦没者の慰霊は分けて考えるべきだ」としているのだから、ここにご都合主義を見ないわけにはいかない。
また、高市早苗自身が日本の戦前の戦争・戦前の戦争の国策を間違っていなかったと肯定的な評価を下していながら、それらに対する後世の否定的な評価と靖国参拝は分けて考えるべきだとするご都合主義は否定的な評価を下す国民に戦争自体・国策自体から何も学ぶなと宣告しているに等しい。
学んで得た否定的な評価をなかったこととして靖国神社を参拝し、「国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げよ」と言っているのと同然だからだ。
高市早苗のこの戦争自体・国策自体から何も学ぶなの宣告は、歴史認識で近親相姦の間柄にある安倍晋三にふさわしいことと言うことができるが、自著「美しい国へ」で書いていた、「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」の歴史認識論と極めて双子の関係にある。
一部を引用してみる。
〈たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任はときの指導者にある。だが、昭和17、8年の新聞には「断固、戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権とするなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持していたのではないか。〉
〈この国に生まれ育ったのだから、私は、この国に自信をもって生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっと大切なことではないか。学生時代、徐々にそう考え始めていた。〉――
要するに当時の日本国民は軍部を支持していた。そのような国民の視点で歴史を見つめ直すべきだと言っている。今の時代に生きている人間の視点は必要ではないと。
と言うことは、当時の新聞やラジオや政府が情報として発した記録資料をそのまま再現してそのままに歴史を組み立るのが正しい歴史解釈だとしていることになる。
歴史とは時代時代に生きてきた人間がどう生きてきたかの記録ではあるが、同時にその記録を次の時代に生かす学習資料でもある。
当然、学び、どう生かすかは後世の時代に生きている人間の歴史に向ける視点を必要とすることになる。
だが、安倍晋三が歴史解釈はその時代に生きた国民の視点のみで足りる、今の時代に生きている人間の視点は必要ではないとしていることは後世の人間は何も学ぶなの宣告と何ら変わらない。
安倍晋三であろうと、高市早苗であろうと、歴史から何も学ぶなとするのは国民の歴史認識に関わる正常な思考の停止を内心は望んでいるからに他ならない。戦前という時代に生きた日本国民の視点のままでいるべきだと。
天皇陛下のため・お国のために戦って尊い命を捧げ、靖国に英霊として祀られるとする戦前の日本国民の視点を支配していた靖国思想を後世に於いてもそのまま引き継ぎ、英霊の尊い犠牲を讃えよと。
国家権力側のこの何も学ぶな――思考停止への願望に国民に対する愚民視意識がないと言ったらウソになるはずだ。
大体が戦前の日本国家とその戦争の国策迄含めて肯定的に把えている自分たちの歴史認識を現在の日本に於いても通用させようとしていること自体が既に愚民視意識の現れと見る他はない。
そのような歴史認識者が一国の首相を務め、国務大臣を務めている。