稲田朋美の2016年12月29日戦前日本国家正当化の靖国神社参拝は安倍晋三の真珠湾慰霊と和解の口直し

2016-12-30 09:24:31 | 政治

 安倍晋三がハワイを訪れ、日本時間2016年12月28日午前(現地時間12月27日午前)、オバマと共に真珠湾のアリゾナ記念館で献花を行って、日本軍攻撃によ米側犠牲者を慰霊、その後日米和解のスピーチを行った。

 そして翌日の2016年12月29日、安倍晋三と歴史認識に於いて近親相姦関係を密かに結び合っている防衛相の稲田朋美が靖国神社を参拝した。そのときの記者団に語った発言を2016年12月29日付「産経ニュース」記事が伝えている。

 記者「記帳は?」

 稲田朋美「『平成28年12月29日 防衛大臣 稲田朋美』と記帳いたしました」

 記者「玉串料は」

 稲田朋美「玉串料は私費です」

 記者「公人としての参拝か」

 稲田朋美「防衛大臣である稲田朋美が一国民として参拝したということです」

 記者「このタイミングとなった理由は」

 稲田朋美「いつも申し上げていることですけども、今の平和な日本は、国のために、祖国のために命を捧げられた方々の、その貴い命の積み重ねの上にあるということを私は忘れたことはありません。

 戦後70年に安倍晋三首相が談話を発表され、また今年は原爆を投下した国の大統領が広島を訪問され、また、真珠湾に首相が行かれ、慰霊の言葉を述べられました。私も同行したわけですけども、最も熾烈(しれつ)に戦った日本と米国が、いまや最も強い同盟関係にある。

 どのような国であったとしても、敵方として分かれた方々、国であっても、例えばミズーリ号には私は行きましたけれども、たくさんの特攻の青年たちの遺書と写真が飾ってあります。また、飯田房太中佐の慰霊碑は米国方が建てたものであります。その飯田さんは真珠湾攻撃で引き返して、基地に撃墜した方ですけれども、米国方でしっかり慰霊をしております。そういったことなども報告をし、未来志向に立ってしっかりと日本と世界の平和を築いていきたいという思いで参拝をしました」

 記者「中国や韓国の反発が予想される」

 稲田朋美「私は、如何なる歴史観に立とうとも、いかなる敵味方であろうとも、祖国のために命を捧げた方々に対して感謝と敬意と追悼の意を表するのは、どの国でも理解をして頂けるものだと考えております」

 記者「参拝について首相と真珠湾で話をしたか」

 稲田朋美「しておりません」

 記者「真珠湾での慰霊と靖国神社参拝は意味合いが異なる」

 稲田朋美「私自身は、先程も申し上げました通り、いかなる歴史観に立とうとも、また敵味方として熾烈に戦った国同士であったとしても、祖国のために命を捧げられた方々のその命の積み重ねの上に今の平和な日本がある、そして、そういった方々に感謝と敬意と追悼の意を表するということは理解いただけると思います」

 記者「心の中には特攻隊員で訓練中に亡くなったおじへの思いもあるのか」

 稲田朋美「そうですね。おじは21歳で、しかも、終戦直前の5月25日に特攻隊員として訓練中に亡くなり、そして靖国神社に合祀(ごうし)されております。そういった将来ある青年たちが、決して日本は勝つと思っていたわけではないけれども、自分たちの出撃したことによって、日本の未来を、平和な日本というものを描いていたと思います。そういった青年たち、また戦争で家族とふるさとと国を守るために出撃した人々の命の積み重ねのうえに今の平和な日本があるということを忘れてはならないし、忘恩の徒にはなりたくないと思っています」

 記者「8月15日に参拝できなかったことへの後悔もあるのか」

 稲田朋美「それはありません。私は今までも海外視察を優先して8月15日に参拝しなかったのは、今までも、8月15日に拘っていたわけではありません。そして、このタイミングでというのも、真珠湾の訪問のことや、また、さまざま公私ともにあったことなども報告をしてきたところです」

 記者「真珠湾訪問が今回の訪問のきっかけになったのか」

 稲田朋美「いえ、そういうことではないです。ただ、真珠湾や飯田房太さんの慰霊であったり、またミズーリ号にも行ってきましたが、そういったことなども報告をしたということです」

 記者「大臣になって初めての参拝か」

 稲田朋美「そうです」(以上引用終わり)

 「防衛大臣稲田朋美」と記帳しながら、「一国民として参拝した」と例の如くの詭弁を用いている。一国民としての参拝なら、「一国民稲田朋美」と記帳して初めて整合性を内外に示し得る。

 尤も防衛大臣として参拝しようが一国民として参拝しようが、稲田朋美の右翼国家主義の歴史認識に変わりが出るわけではない。

 稲田朋美は参拝の基本的な理由を、「今の平和な日本は、国のために、祖国のために命を捧げられた方々の、その貴い命の積み重ねの上にある」ことへの「感謝と敬意と追悼の意を表する」ためだと言っている。

 だが、安倍晋三はアリゾナ記念館でのスピーチでは、「戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいたとき、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。

 皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。

 そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
 
 敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。

 私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう」と、今の平和な日本のその平和と繁栄へのスタートが米国の支援に多くを負っていることを切々と訴え、米国なる国家と国民に対して切々と感謝している。

 にも関わらず、稲田朋美は今の平和な日本はA級戦犯を含めて靖国神社に英霊として祀られている戦死者の貴い命の積み重ねの上にあると、日本の平和と繁栄の大本(おおもと)に旧日本軍兵士の国家への犠牲に置いている。

 安倍晋三と稲田朋美のこの違いは安倍晋三が日本の平和と繁栄の構築に米国の関与を重視していることへの口直しと見るべきだろう。

 いや、米国ではないんだ、英霊たちの「貴い命の積み重ねの上にある」んだと。

 安倍晋三の真珠湾でのスピーチが報道によって現在の日本があることへの米国関与に重点性を置いていることが流布し、定着したら困る。それで帰国早々に参拝して、改めて日本の平和と繁栄の基礎を築いたのは誰なのかを知らしめた。

 尤も安倍晋三にしても、現在の日本の平和と繁栄の精神的土台を靖国神社に祀られている英霊に置いている点では稲田朋美と考えに違いはない。

 安倍晋三は第2次安倍内閣発足から満1年となる2013年12月26日午前、靖国神社を参拝し、談話を発表している。    

 安倍晋三「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」――

 「今を生きる人だけ」ではないと断っているものの、靖国の英霊たちの「尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」と、彼らの国家への犠牲に日本の平和と繁栄の基礎を重点的に置いている。

 だが、真珠湾でのスピーでは今日の日本の平和と繁栄に関しては米国の役割のみを言い、靖国の英霊たちの国家への犠牲を代償とした役割については一言も触れなかった。

 日本の平和と繁栄の礎に靖国神社の英霊たちの国家への犠牲を置く発想は稲田朋美も同様だが、安倍晋三たち国家主義者の慣例となっている。当然、ホンネはここにあるはずだが、安倍晋三の日本国内での発言とアメリカでの発言が異なるということは内と外で発言を使い分けていることになる。

 だから、真珠湾のスピーチを息をするようにウソをついたスピーチだと昨日のブログに書いた。

 靖国の英霊たちは侵略戦争の「礎」となり、日本国家を敗戦の破滅に導いた「礎」となったのであって、日本の平和と繁栄の礎とはなっていない。

 戦争で生き残った敗戦直後の大半の日本人は戦死兵士たちが「尊い犠牲」となったとの思いから日本の再建を誓ったわけではない。彼らは国に騙されたと戦争を憎み、国を恨んで自分たちを戦争被害者の境遇に置いていたからである。

 当然、靖国の戦死者を「尊い犠牲」だなどと思っていたはずはない。思っていたら、国に騙されたという思いと矛盾することになる。戦争を憎んだ気持とズレが生じる。

 敗戦翌年の1946年5月19日の「飯米獲得人民大会」と名づけられた「食料メーデ-」は25万人もの参加者を集め、彼らが掲げたプラカードの一つには「詔書、国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね、ギョメイギョジ」(『昭和史』有斐閣)と、戦争中だったなら不敬罪でたちまち逮捕されてしまう不可能なことが書いてあったそうだが、国に騙されたという意識があったからこその天皇と国民との対比であったはずだ。

 生き残った日本人の多くは戦後の食糧危機の時代を兎に角生き抜くことしか頭になく、そういったエネルギーの総体が日本の経済を発展に向かわせる契機、あるいは礎となったということであるはずだ。

 経済的に苦しい時代は朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)が始まって数ヶ月するまで続いた。米軍が朝鮮半島に展開するに必要な物資を日本からも調達され、それは戦争特需としてたちまち国の経済と国民の生活を潤す僥倖となって現れた。

 その一例が、経営が瀕死の状態となっていたトヨタの息を吹き返させたところに現れている。

 兎に角食べていくことができる境遇を手に入れると、アメリカから発信されてくる様々な情報が伝える各種電化製品を用いたり、ハイカラな衣服を着飾ったりしている、いわゆる文化生活に憧れ、そこに一歩でも二歩でも近づこうと必死に働いた。

 戦後に生きた日本国民のこのような上昇志向を持たせた勤労と憎む気持からの戦争への反省が日本の平和と繁栄を築いていく、継続され、高まっていくエネルギーとなったというのが実際のところであろう。

 安倍晋三や稲田朋美が日本の平和と繁栄の大本に靖国神社に祀った戦死者たち(=英霊たち)の国家への犠牲を置くのは戦前の日本国家を正当化する方便に過ぎない。
 
 このことは稲田朋美の靖国神社を参拝して戦没者を慰霊することは「如何なる歴史観に立とうとも、また敵味方として熾烈に戦った国同士であったとしても」「理解頂ける」という発言に現れている。

 稲田朋美は歴史観に関係なく、あるいは敵味方に関係なくとご都合主義を働かすことによって歴史観と敵味方のいずれも区別せずに無視して、同等の価値観を置いている。その無視があるからこそ、正しい戦争だったとする自分たちの歴史観に立つことができ、そのような歴史観を前提としているからこそ、靖国参拝は理解できるとすることができるからである。

 もし間違った戦争だとする歴史観に立っていたなら、相互の歴史観も敵味方の区別も無視することはできない。当然、「如何なる歴史観に立とうとも」といったこじつけの理由で参拝は理解されるとするどのような言葉も口をついて出ることはない。
 
 安倍晋三と稲田朋美、その他の同類たちの国家への犠牲の顕彰を名目とした靖国参拝は戦前日本国家を正当化する儀式に過ぎない。
 
 戦前日本国家を正当化していてこそ、そのような国家への犠牲に対して「感謝と敬意と追悼の意を表する」ことが可能となる。

 当然、戦没者を日本の平和と繁栄の礎に置いて、彼らの国家への犠牲を忘れる「忘恩の徒にはなりたくない」という稲田朋美の思いにしても、戦前日本国家を正当化していてこそ可能となる発想に過ぎない。

 何のための戦前日本国家の正当化なのかと言うと、その線に添った歴史修正を自分たちの思い通りに謀ろうとしているからである。その重要な儀式の一つが靖国参拝であり、その道具にしようとしているのが第1次安倍内閣時代の教育基本法改正であり、2016年3月の安保関連法の施行であり、そのような道具の重要な一つとして見据えているのが日本国憲法改正である。

 全て戦前日本国家に近づけようとしている。靖国参拝がそういった類いの儀式であることを忘れてはならない。

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