安倍晋三の経済好循環政権5年確実発生説と賃上げ要請の矛盾 そして「騒がしい1年だった」とする尊大さ

2017-12-30 12:00:54 | 政治

 安倍晋三が12月26日(2017年)経済団体相手にスピーチしている。先ず国内総生産(GDP)が「7四半期連続のプラス成長」だ、「業況判断が政権交代前のマイナスからプラスに転じた」、「バブル景気以来26年ぶりの好景気だ」等々、例の如くにアベノミクスの功績を並べ立る慣例化させたスタートを見せている。

 「7四半期連続のプラス成長」と言っても、個人消費がマイナスに転じて内需は力強さを欠き、外需主導だと言うから、「バブル景気以来26年ぶりの好景気」だろうと何だろうと、特に中低所得層を置き去りにしたアベノミクスの功績に過ぎない。上に厚く、下に薄い格差の構造を見ないわけにはいかない。

 「日本経済団体連合会審議員会」首相官邸/2017年12月26日)   

 安倍晋三「現在の景気回復は、第一次安倍内閣のときと一見同じように見えて、総理大臣が同じでありますから同じようには見えるんですが、実質は大きく異なっています。大企業、製造業だけにとどまらず、景気回復のうねりが、中小企業や非製造業の皆さんにも広がっています。正に、アベノミクスが目指してきた経済の好循環が、この5年間で確実に生まれている。そのことの証左だと思います」

 では、これも慣例化 している例の如くの「賃上げ要請」についての発言を見てみる。

 安倍晋三「賃金についても、連合の調査によれば、4年連続で2%程度の賃上げが実現しました。これも、(第1次安倍政権時の)2006年の頃を上回り、今世紀で最も高い水準の賃上げとなります。
 
 景気回復の結果、意欲ある人は誰でも働くことができる。そして、頑張った人の賃金が上がる。そのことで投資や消費が更に拡大し、中小・小規模事業者やサービス業の皆さんのところにも景気回復の温かい風が届き、次なる経済成長が生まれる。この経済の好循環こそが、アベノミクスによる景気回復の原動力であります。まず、この場をお借りして、5年間の雇用の拡大と賃上げに対する経団連の皆さんへの深甚なる感謝の気持ちを申し上げたいと思います。

 その上で、そろそろ勘の良い皆さんはお気付きのことと思いますが、いよいよ長年の懸案であるデフレ脱却を実現するためにも、来年、平成30年も、この経済の好循環を更に力強いものとしながら継続していかなければならない。

 そのために一つお願いをさせていただきたいと思います。毎年同じような話で、榊原会長、岩沙議長を始め、御列席の皆様方には、申し訳ない気持ちで一杯でありますが、是非、来春も力強い賃上げ、ずばり3%以上の賃上げをお願いしたいと、こう思う次第でございます。

 しーんとしてしまいましたが、当然、企業の皆さんが賃上げを行うためには、労働生産性を高めることが必要です。そのために政府としても生産性革命という新しい旗を掲げ、税制・予算・規制改革、あらゆる政策を総動員することとしました」

 安倍晋三は最初の発言で「大企業、製造業だけにとどまらず、景気回復のうねりが、中小企業や非製造業の皆さんにも広がっている」とする現状分析のもと、「アベノミクスが目指してきた経済の好循環が、この5年間で確実に生まれている」と自らの経済政策の正当性を誇示している。

 「うねり」なる言葉は大きく起伏する波の力強さについて言う。アベノミクスによってそのような波の力強いエネルギーを得て、大企業のみならず「中小企業や非製造業」にまで景気回復が確実に押し寄せていると現状分析したことになる。

 この現状分析に応じて、「アベノミクスが目指してきた経済の好循環が、この5年間で確実に生まれている」と誇ることができたはずだ。

 だが、経済の停滞から「経済の好循環」に向かう手順は、極く当たり前のことを言うことになるが、企業業績の回復、回復に応じた賃金への分配、分配による所得の余裕に応じた消費の拡大、これを受けた企業業績のさらなる拡大という出発点に戻って、再びそこをスタート地点として滞りのない循環をつくり出して初めて「経済の好循環」と言い得る景気状況が出現する。

 当然、この循環のいずれの段階も何一つ欠かしてはならないし、各段階共に自発性を欠いていたなら、いわばいずれかの段階で他からの強制が働いていたなら、「経済の好循環」とは言えなくなる

 だが、アベノミクス下に於いて日銀の異次元の金融緩和を受けた円安と株高で企業業績を回復させていながら、それが本業の活性化を受けた利益拡大でないために企業側が賃上げという形の分配を満足に行い得ず、安倍晋三からの賃上げの要請を受けて、本来の自発性とは異なる他発性の分配を辛うじて実現させることができた。

 それも大企業中心に偏っていたために高級品・贅沢品の消費は活発だが、中低所得層はより人数が多いために平均が抑えられることになって全体の個人消費が低迷することになった。

 安倍晋三はそれでもなお、アベノミクスによって企業側の自発性に基づいた賃上げを生み出す経済的状況を実現させるのではなく、「是非、来春も力強い賃上げ、ずばり3%以上の賃上げをお願いしたい」と他発性を力とした賃上げ状況を作り出そうとしている。

 企業による賃上げという形の所得の分配の段階で自発性とは言えない他発性を動力機関としたとき、果たして「経済の好循環」と真に言えるだろうか。

 循環構造に他発性が一つでも紛れ込んだとき、「経済の好循環」は自律性を欠くことになる。この自律性欠如が最も顕著に現れている局面が個人消費の低迷であろう。

 このことを裏返すと、個人消費の活発化は自律性をエンジンとした「経済の好循環」でなければならないということになる。

 自律性を欠き、賃上げ要請という他発性に頼っていながら、現実の話としても政府の月例経済報告が「景気は緩やかな回復基調が続いている」との判断据え置きが繰り返されているにも関わらず、「大企業、製造業だけにとどまらず、景気回復のうねりが、中小企業や非製造業の皆さんにも広がっている」と、さもアベノミクスが自律的な力強いエネルギーを持ち得て、景気回復を急速度で実現させているかのように言うことができる。

 この経済の実態を忠実に現状判断できない、現状とは乖離した安倍晋三の自信過剰な過大評価はどこから生じているのだろうか。国政選挙5連勝、しかもその多くがいずれも自民圧勝、あるいは与党圧勝をアベノミクスという経済政策の成果だと評価づけることになったのだろうか。

 選挙は政治の成果に対する審判だけではなく、期待に対する審判も含まれる。アベノミクスによってなかなか景気が実感できない成果を目の前にしていても、他の経済政策を考えることができずに、あるいは選挙のたびに景気を良くするといった巧みな言葉に誘導されてアベノミクスになお期待をかけて1票を投じるという投票行動は極く当たり前に存在する。

 当然、このような選挙の成果をイコールそのまま国民の信任と結びつけて、その信任がイコールそのままアベノミクスの成果に結びつけることはできない。

 だが、安倍晋三は選挙の成果を国民の信任にそっくりと結びつけ、その信任をアベノミクスの成果がつくり上げたと過大評価することになり、あまつさえ自信過剰を生み出すことになったに違いない。

 このことはスピーチ最後の発言が証明している。

 安倍晋三「相場の格言では、申酉(さるとり)騒ぐ戌(いぬ)笑う、と言うそうであります。本年の酉年は、余り多くは語りませんが、私にとっても本当に騒がしい1年でありました。

 来年の戌年は、どうか、日本中で笑いの絶えない1年であってほしい。そう願っています。実際に、来年の年末のこの審議員会が、本当に、笑顔で迎えることができるかどうか。それは、ここからの1年間、政府も、経済界も、どれだけ、果敢に改革に挑戦するかどうかにかかっている。

 私は、そう考えています。どうか、新年も、共に、頑張ってまいりましょう。戌笑う来年が皆様方にとりまして、すばらしい年となることを御祈念いたしまして、御挨拶とさせていただきたいと思います。本日は、御招待賜り、また、御清聴いただきましてありがとうございました」

 「本年の酉年は、余り多くは語りませんが、私にとっても本当に騒がしい1年でありました」 

 「騒がしい1年」とは安倍晋三が森友学園国有地格安売却と加計学園獣医学部新設に不正があり、それに関わったのではないかと疑惑を持たれて国会で野党から集中砲火的に追及を受けたことを指している。

 疑惑がすっかり晴れたわけではない。野党のみならず、国民の多くが世論調査で安倍晋三以下の「政府に説明に納得できない」が過半数を超えている。

 安倍晋三はこのような疑惑未解消な状況を受けて、2017年6月19日の通常国会終了を受けた記者会見では、「信なくば立たずであります。何か指摘があればその都度、真摯に説明責任を果たしていく」と疑惑解消に向けた努力を以後も真摯に果たしていく約束をしている。

 2017年8月3日の記者会見では次のように発言している。

 安倍晋三「先の国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設、防衛省の日報問題など、様々な問題が指摘され、国民の皆様から大きな不信を招く結果となりました。

 そのことについて、冒頭、まず改めて深く反省し、国民の皆様におわび申し上げたいと思います。

  国民の皆様の声に耳を澄ま、国民の皆様とともに、政治を前に進めていく。

 5年前、私たちが政権を奪還した時のあの原点にもう一度立ち返り、謙虚に、丁寧に、国民の負託に応えるために全力を尽くす。一つ一つの政策課題にしっかりと結果を出すことで、国民の皆さんの信頼回復に向けて一歩一歩努力を重ねていく」

 疑惑を受け、疑惑解消の説明に国民が未だ納得がしていないことに対して反省とお詫びの姿勢を示し、謙虚さと丁寧さを持って信頼回復に努めることを約束している。

 それを「私にとっても本当に騒がしい1年でありました」で片付ける。

 野党の国会での追及を「騒がしい奴らだ」とでも思っていたのだろうか。腹の中で「騒げ、騒げ、騒いだってどうにもならない」と高を括っていたのだろうか。

 「騒がしい1年でありました」で片付けることができる以上、口にした真摯さ、あるいは謙虚さと丁寧さは見せ掛けの姿勢であることを露見させることになるばかりか、このような姿勢とは正反対の尊大さが言わせた言葉としか窺うことはできない。

 やはり国政選挙5連勝の成果を国民の信任の直結と解釈、その信任を生み出した原動力をアベノミクスの成果であるが如くに経済の実態と乖離した過大評価が誘引の自信過剰がなければ、このような尊大さは生まれてこない。

 そもそもからして自律性を軽んじて経済団体に賃上げを要請する他発性に陥っているアベノミクス経済を「好循環」と表現すること自体が自己矛盾以外の何ものでもないのに、そのことを無視して「好循環」と言い、その経済状況を「景気回復のうねり」といった言葉を持ち出して強い勢いを持った景気回復であるかのように装う。

 まさに過大評価と自信過剰と尊大さが絡み合うことになったアベノミクスに関わる発言であり、そのような姿勢なくして現れることのない「騒がしい1年でありました」の回顧ということなのだろう。

 安倍晋三の本質的な人間性は尊大さを性格構造としているとしか見ることができない。

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