西松違法献金事件の説明責任問題で民主党代表小沢辞任、鳩山由紀夫新代表選出を受けて各マスコミが行った世論調査は自民党の思惑を裏切って、「一転、逆風」に絶句--自民」(「毎日jp」)と表現さえつける衝撃を与えたようだ。
鳩山由紀夫の対抗馬だった岡田克也の世論人気の高さから、鳩山代表決定に、「岡田より戦いやすい」と癖球の牽制球を一大合唱して投げつけていたが、それさえ裏切られが格好だ。
自民党にどの程度の「逆風」となっているのか、その吹き具合を朝日新聞と毎日新聞の世論調査インターネット記事から拾ってみた。
≪緊急世論調査―質問と回答〈5月16、17日実施〉≫(asahi.com/ 2009年5月17日22時52分)
(数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略。◆は全員への質問。◇は枝分かれ質問で該当する回答者の中での比率。〈 〉内の数字は全体に対する比率。丸カッコ内の数字は、4月18、19日の前回調査の結果)
◆麻生内閣を支持しますか。支持しませんか。
支持する 27(26)
支持しない 56(57)
◇それはどうしてですか。(選択肢から一つ選ぶ=択一。左は「支持する」27%、右は「支持しない」56%の理由)
首相が麻生さん 14〈4〉 7〈4〉
自民党中心の内閣 40〈11〉 24〈14〉
政策の面 28〈7〉 53〈30〉
閣僚の顔ぶれ 10〈3〉 12〈7〉
◆どの政党を支持していますか。
▽自民党 25 (25)
▽民主党 26 (21)
▽公明党4(4)
▽共産党3(2)
▽社民党1(1)
▽国民新党0(0)
▽改革クラブ0(0)
▽新党日本0(0)
▽その他の政党0(0)
▽支持政党なし33(40)
▽答えない・分からない8(7)
◆仮に、いま、総選挙の投票をするとしたら、比例区ではどの政党に投票したいと思いますか。
▽自民党 25(27)
▽民主党 38(32)
▽公明党5(4)
▽共産党3(3)
▽社民党2(2)
▽国民新党0(0)
▽改革クラブ0(0)
▽新党日本0(0)
▽その他の政党1(1)
▽答えない・分からない26(31)
◆今後も、自民党を中心とした政権が続くのがよいと思いますか。民主党を中心とした政権に代わるのがよいと思いますか。
自民党中心の政権 28(29)
民主党中心の政権 45(41)
◆麻生首相のこれまでの仕事ぶりをみて、どう思いますか。(択一)
期待以上だ 3
期待通りだ 17
期待外れだ 26
もともと期待していない 50
◆麻生首相の景気対策に期待しますか。期待しませんか。
期待する 31
期待しない 64
◆民主党の小沢代表が、代表を辞任しました。辞めたことはよかったと思いますか。よくなかったと思いますか。
よかった 68 よくなかった17
◆小沢さんは辞任するのは党の結束のためだとし、西松建設の政治献金問題については「一点のやましいところもない」と述べました。辞任にあたってのこの説明に納得できますか。納得できませんか。
納得できる14 納得できない78
◆民主党の新しい代表に、鳩山由紀夫さんが就任しました。鳩山さんが率いる民主党に、期待しますか。期待しませんか。
期待する 47 期待しない 43
◆代表が小沢さんから鳩山さんに代わったことで、あなたの民主党に対する印象は、よくなりましたか。悪くなりましたか。変わりませんか。
よくなった 16
悪くなった 6
変わらない 75
◆麻生首相と民主党の鳩山代表とでは、どちらが首相にふさわしいと思いますか。
麻生さん 29
鳩山さん 40
≪毎日新聞世論調査:「辞任効果」、民主安堵 「衆院選で期待」最高56%≫(毎日jp /09.5.18)
<世の中ナビ NEWS NAVIGATOR>
毎日新聞が16、17日に緊急実施した全国世論調査結果は、小沢一郎前代表辞任後の代表選を終えたばかりの民主党を安堵(あんど)させた。代表選前の前回調査(12、13日)で鳩山由紀夫新代表への世論の支持が低かった影響や「小沢かいらい」批判が新体制の船出に水を差すことを懸念していたからだ。民主党は「小沢辞任」効果で党勢回復の足がかりを得る一方、鳩山新代表の就任に歓迎ムードもあった与党側には衝撃が走った。【田中成之、高山祐】(以下中略)
◇「一転、逆風」に絶句--自民
一方、与党側にあった鳩山新代表への歓迎ムードは「政権交代」を求める民意の強さの前に吹き飛んだ。麻生太郎首相のもとで衆院選を戦うことへの懸念も再燃し「早期の衆院解散はとてもできない」(公明党幹部)との声も出ている。解散時期を巡り麻生首相はさらに厳しい判断を迫られることになった。
自民党の細田博之幹事長は17日、島根県斐川町の出雲空港で、鳩山氏の人気について「代表選出のご祝儀的なものがあるのではないか」と述べ、あくまで一時的なものとの認識を強調。ただ、自民党の政党支持率は民主党に逆転を許し、上昇機運にあった内閣支持率も微減に転じた。調査結果を聞いた自民党幹部は数字を聞き直し、一様に絶句した。
衆院選のカギを握りそうな無党派層の回答をみると、内閣支持率は10%に低迷し、鳩山氏の方が首相にふさわしいと25%がみている。ある派閥領袖は「党内には『麻生降ろし』のエネルギーも残っていない。傷が浅いうちに早く解散した方がいい」と述べたが、公明党幹部は「国会で民主党のあやふやな財源論や『小沢院政』批判を展開し、当面は様子を見るしかない」と漏らした。
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◇世論調査の質問と回答◇
◆麻生内閣を支持しますか。
全体 前回 男性 女性
支持する 24 (27) 26 22
支持しない 58 (52) 58 58
関心がない 18(20) 16 20
◇<「支持する」と答えた方に>支持する理由は何ですか。
自民党の首相だから 35(34) 35 35
首相の指導力に期待できるから 8(10) 7 9
首相に親しみを感じるから 21(22) 23 19
首相の政策に期待できるから 29(30) 32 26
◇<「支持しない」と答えた方に>支持しない理由は何ですか。
自民党の首相だから 9 (8) 12 5
首相の指導力に期待できないから 26 (28) 21 32
首相に軽率なイメージがあるから 19(21)19 18
首相の政策に期待できないから 45(42)45 45
◆どの政党を支持していますか。
自民党 23 (27) 27 19
民主党 30 (24) 36 24
公明党 3 (6) 2 3
共産党 3 (3) 3 4
社民党 1 (1) 1 1
国民新党 0 (0) 0 -
改革クラブ - (0) - -
新党日本 0 (0) 0 -
その他の政党 2 (2) 1 3
支持政党はない 37(36) 29 45
◆民主党の新代表が、鳩山由紀夫氏に決まりました。鳩山代表に期待しますか、期待しませんか。
期待する 49 52 46
期待しない 49 47 51
◆小沢前代表が辞任し、鳩山氏が新代表になったことで、あなたの民主党に対する評価はどうなりましたか。
上がった 17 18 17
下がった 13 16 10
変わらない 68 65 71
◆麻生首相と民主党の鳩山代表とどちらが首相にふさわしいと思いますか。
麻生首相 21 25 17
鳩山代表 34 36 31
どちらもふさわしくない 42 37 48
◆今の衆院議員の任期は9月に切れます。衆院の解散・総選挙は、早く行うべきだと思いますか。
早く行うべきだ 48 51 46
急ぐ必要はない 49 47 50
◆次の衆院選で、自民党と民主党のどちらに勝ってほしいですか。
自民党 29(34)30 27
民主党 56(45)61 51
その他の政党 11(17) 6 16
(注)数字は%、小数点以下を四捨五入。0は0.5%未満、-は回答なし。無回答は省略。カッコ内の数字は前回12、13日の調査結果。
◇調査の方法
16、17日の2日間、コンピューターで無作為に選んだ電話番号を使うRDS法で調査。有権者のいる1607世帯から、1009人の回答を得た。回答率は63%。
3月に小沢民主党代表公設秘書が政治資金規正法違反で逮捕されると、麻生初め各閣僚、自民党幹部は「小沢代表は説明責任を果たしていない」と散々に攻撃、追い詰めに成功して、麻生内閣は危険水域を遥かに下回って20%近くまで落ちていた支持率が危険水域の30%近くまでは回復、水中深く沈められた者がやっとのことで水面にまで顔を出して呼吸できる状態となり一息つけるところまで漕ぎつけることができ、「どちらが次の首相にふさわしいか」でも再逆転を果たして、10ポイント以上も引き離したが、小沢代表続投に対しては選挙がさらに有利と踏んで「説明責任を果たしていない」の攻撃の手を一段と強め、国民世論を麻生内閣・自民党側につけようと躍起となった。
まさか辞任するとまで思っていなかったのではないのか。辞任したなら、国民の「説明責任を果たしていない」とする6~7割の世論意識が果たすはずの選挙戦攻撃に向けた好材料を失うことになるからだ。ヘマな話で、照準を間違えてミサイルを撃ち込んだようなもので、ムダ弾となってしまった。
だったら、麻生太郎、解散権を行使してさっさと解散・総選挙に挑戦すればいいのに、挑戦するだけの勇気も決断も見せることができなかった。
小沢一郎が代表のまま選挙戦に突入して欲しかったがホンネだったろう。
だが、小沢代表が5月11日に記者会見を開いて辞任表明。5月12日の衆議院予算委員会で「政治とカネに関する集中審議」を行い、麻生首相は立派にも次のように述べている。
「政治とカネの話は長い間の懸案でもあり、国民の不信感に耐えるためには説明責任を果たさなければならない。人間の倫理やモラル、道徳に根源的にかかわる問題であり、国民の不信感に耐える努力は、政治家個人個人がきちんと果たすべき努めだ」(「NHK」)
偉そうに。二階経産相の西松からの違法献金が発覚したときは3月26日に次のように話している。舌の根を乾かしてはいけないはずだが、すっかり乾かしてしまったようだ。
「基本的には、個別の案件についてコメントすることはありません。それが一点。もう一点は本人の疑惑について、きちんとそれを、説明する説明責任というものは、かかって、政治家個人にかかっているもんで、きちんと説明できるようにする。それが一番大事なところだと思っていますが」 (「asahi.com」)
自身が任命した内閣の一員であり、自身の閣僚の問題であるはずだが、内閣の問題から外して「個別の案件」に格下げしてしまっている。果たして小沢氏の「説明責任」を「個別の案件」、あるいは「政治家個人」の問題としてのみ扱ったのだろうか。民主党の問題でもあるとして扱わなかったろうか。
町村前官房長官は小沢続投を批判して次のように述べている
「小沢代表は今回の事件で指摘されたことについてほとんど説明しておらず、あれではとても国民の理解を得られないし、民主党内でも不十分だという声が相当上がっている。今回の事件で、民主党内の自浄能力がまったくないことが明らかになり、独裁者的な党が政権交代を叫ぶことの恐ろしさを痛感した」(≪自民各派 小沢代表続投に批判≫(NHK/09年3月26日 16時34分)
何を根拠に言っているのか、多分世迷言だから言えるのだろう、「独裁者的な党が政権交代を叫ぶことの恐ろしさを痛感した」とまで言っている。戦後一貫してほほ一党独裁体制を維持し、好き勝手な政治を行ってきていながら、小賢しい限りである。
「説明責任を果たしていない」は国民世論に巧妙に乗っかって次期衆院選を有利に運ばんがための麻生自民党が仕掛けた地雷でもあろう。小沢氏が踏んで地雷が爆発は衆院選自民党勝利という構図を計算に入れてのことだろうが、小沢氏が踏む前に小沢辞任、新代表選、鳩山新代表決定と進み、この一連の経緯に対して有権者がどう把えているかを知るべく各マスコミが世論調査した。
結果は、まさしく麻生自民党の「小沢は説明責任を果たせ」集中攻撃が裏目に出たといったところであり、自分たちで仕掛けた地雷に間抜けにも自ら踏んでしまったといった絵柄であろう。
但し、民主党は油断してはいけない。ちょっとした失言や行動で一夜にして情勢が逆転することもあるからだ。
16日(09年5月)の民主党代表選は民主党国会議員のみの投票で、鳩山124票、岡田95票で決着がついた。各種世論調査では岡田が鳩山を上回り、国民レベルでは岡田の方が人気が高く、多くの支持を得ていた。麻生も首相になる前は国民の人気が高く、「国民的人気」とまで称された。だが発足当時の内閣支持率は福田発足当時の内閣支持率よりも10ポイント近くも低い50%を切っていた。現在では敵失に助けられて、やっと30%そこそこの支持率に回復した程度である。
だが、岡田は95票獲得して予想されていた鳩山の過半数獲得を阻止、次の代表に王手をかけたと言える。立候補の目的をお釣りがくる程に十二分に果たしたのではないのか。惨めな負け方をしていたなら、次の目を失って、次の代表選では候補者の席を前原とかその他に譲らなければならなかったかもしれない。
小沢グループを除いた若手議員の支持を多く得た模様だが、岡田の一般国民の高い支持を横目に見ながら、それと重ねて、数年後には自分たちも在職年数と経験共に重ね、それなりに築いていく地歩にふさわしい要職・肩書きを必要とする利害から、岡田の“次”に1票を投じたといった側面はなかったろうか。
逆説するなら、4~5年も経てば、小沢や鳩山だけではなく、同世代の二人に対する党内支持者たちは民主党集団の中枢から降りているか、背景に退いていていて、代わって岡田世代が集団中央に場所取りしているだろうから、去り行く者たちに何も心中立てすることはないといった利害損得の計算も働いたのではないのかということである。
国民の選良だとの名誉を仰々しくも奉られ、自分たちも自負しているだろうが、所詮、国会議員とて利害の生きものであることから免れることはできない。
このことは自民党総裁選時の安部雪崩、福田雪崩、麻生雪崩を見れば、簡単に証明がつく。安部、福田、麻生では選挙が戦えないとなれば、かつての雪崩は面影もなく、ウソと化す。
今回の民主党代表選で利害行動の具体例を挙げるとしたら、鳩山が選挙区としている北海道選出の民主党議員の鳩山を除く13人のうち9人が鳩山に投票(「毎日jp」)、逆に岡田が選挙区としている三重県選出民主党議員6人のうち、5人が岡田1票で足並みを揃え、小沢の地盤岩手では小沢氏を含む県内7議員とも鳩山といった投票行動は地元利害からだろう。地元利害がそれぞれの議員の人間利害に相呼応し撥ね返り合う。
検察にしても、利害の生きものたる人間集団である自民党や民主党と同様、利害の生きものの人間集団・検事たちの集まりであることに代わりはない。検察に絶対正義を求めることは自民党や民主党といった政治集団に絶対正義を求めることに等しい。その逆もまた真なり。絶対正義とは程遠い、それぞれの利害によって生じることとなる様々な矛盾を抱えている。
いわば如何なる組織・集団であろうとも人間集団である以上、絶対は存在しない。絶対正義も存在しない。
5月14日付の「時事ドットコム」≪鳩山、岡田氏の記者会見詳報≫を読んで、岡田氏が記者の質問に答えて次のように言っていることに気づいた。(一部抜粋)
-代表になった場合、西松建設の違法献金事件について小沢氏に説明を求めるか。
代表を辞めるなら、政党ではなく個人として説明責任を果たしていくべきだ。また、政党が国家権力の中核にある検察を否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ。
小沢氏や鳩山氏、その他は「検察を否定するような言い方」をしていたのだろうか、ふと疑問に思って調べてみた。
3月4日の「毎日jp」がこのことに関する記者会見全文を報道しているから、全文とも参考引用してみる。
≪小沢・民主代表:秘書逮捕 記者会見 冒頭発言(全文)/質疑応答(要旨)≫(毎日jp /2009年3月4日 東京夕刊)
民主党の小沢一郎代表の4日の記者会見は次の通り。
◇冒頭発言(全文)
今回の問題について、私から報告と説明をいたします。まずこの度、私の秘書である大久保(隆規容疑者)の逮捕を含めて、西松建設からの政治献金にかかわる関連のことで強制捜査が行われたわけですけれども、強制捜査の根拠を聞きますと、その政治団体からの献金か、あるいは企業からの献金か、その認識の違いを根拠にし、企業からの献金を認識した上で虚偽の記載をしたという検察の言い分のようです。
このようなこの種の問題で今まで、逮捕、強制捜査というようなやり方をした例は全くなかったと思います。まさに検察の強制捜査の、今回は、普通の従来からのやり方を超えた異常な手法であったと思っております。また、衆議院の総選挙が取りざたされているこの時期において、このような今までやられたことのなかったような異例の捜査が行われたことに関して、私は非常に政治的にも法律的にも不公正な国家権力、検察権力の行使だというふうな感じを持っております。
事実関係について申し上げますけれども、私ども政治家は皆、国民の皆さんから、法人であれ、個人であれ、献金をいただいて、その浄財でもって政治活動をやってきているわけです。私は、その皆さんからの浄財を、収入、献金の入りも出も、支出も含めてすべて公開してきております。従いまして、この二つの政治団体から献金を、寄付を受けたということについては、これも政治資金規正法にのっとって適法に処理し、報告をし、公開されているところです。献金を受けたということはその通り事実です。私は、秘書からの報告につきましても、この政治団体が寄付をしてくれる、ということでしたから、政治資金管理団体で受領することにしたということで、私は最も当たり前の、当然のことだろうと解釈をしております。
もし、これが西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば、政党支部は企業献金を受けることが許されておりますので、政党支部でそれを受領すれば何の問題も起きなかったわけで、私どもの資金管理団体の担当者は、それは政治団体からの寄付という認識のもとであったから、政治資金管理団体として受領したということであったと報告を受けておりますし、また、私はそれはしごく当たり前のことだろうと思っています。献金していただく皆さんに、そのお金の出所や、いろいろな意味において、そういうことをお聞きするということは、それは好意に対して失礼なことですし、通常、これは政治献金の場合だけじゃなくして、私は、そのようなせんさくをすることはないだろうと思っております。
私どもとしては、全く政治資金規正法にその通り忠実に、それにのっとって報告をして、オープンになっている問題で、このような逮捕を含めた強制捜査を受けるいわれはないと考えております。このような、いわゆる検察権力、国家権力が、こういう形で強制捜査を行う。この種の問題でこういう形で行うということは、私は、普通の民主主義社会においてはあり得ないことだと思います。日本の場合でもこのようなことは前例がなかったわけであります。
私が今回のことで一番心配していますのは、このように強制力を持つ公権力が、思うままにその権力を行使するというようなことが今後もまた行われるということになれば、私は本当に国民の皆さんの人権を守ることができませんし、社会は暗たんたるものに陥ってしまうだろうと思っておりまして、日本の民主主義の成熟の、ということを考える上におきましても、今度のこの種の問題で逮捕、強制捜査というやり方は、大変民主主義を危うくするものであり、公正さを著しく欠くものであると考えています。
私としては、なんら政治資金規正法に違反する点はありません。さらに付け加えて言えば、その献金が何らかの形で、私や、私の秘書が相手方に対して便宜を供与したとか、あるいは何らかの利益を与える行為を伴っていたということがあるとするならば、それは私は甘んじて捜査を受けます。しかしながら、私も私の秘書も全くそういう事実はありません。従いまして今回の強制捜査については、その公正さについて納得がいかない。疑いを抱かざるを得ない、というのが私の現時点での認識です。
事実関係は皆さんもご存じの通り、ごくごく単純簡単なものですから、おわかりのことと思います。これ以上の事実関係の説明は、ありませんし、不要だと思います。
◇質疑応答(要旨)
--代表辞任が不可避という声があるが。
小沢氏 私自身として何らやましいこともありませんし、また、私の秘書の行った行為は政治資金規正法にのっとって適法にきちんと処理し届け出た。そして公にされていることですので、私としては、それによってどうこうということを考えてはおりません。
--献金を受けた時に、お金の出所が西松建設と知らなかったか。
小沢氏 大久保の話によれば、政治団体からの献金という認識だったから、政治資金管理団体でそれを受領したということに尽きると思います。
--公設第1秘書逮捕の事態は民主党に大きな衝撃。次期衆院選への影響は。
小沢氏 私は、政治献金については収入、支出、入りも出もすべて公開しています。今回問題になっている献金も全部報告してきちんと処理しています。従って、遠からず嫌疑は晴れると信じており、そのことで少なくとも私自身と民主党に対する国民の皆さんの疑念は晴らすことができると思っております。
--なぜ小沢代表の秘書がターゲットに?
小沢氏 全く分かりません。私は今、野党第1党の党首をしています。そして政治献金に関しては何度も言うようにすべて法にのっとって報告し、オープンにしております。たぶん収支を全部オープンにしているのは私だけではないかと思ってますが、それにもかかわらず、このような一方的なこじつけたような理由で検察権力の発動ということは、政治的にも法律的にも公正を欠く行為ではないかと感じています。
--謝罪の言葉は。
小沢氏 私は何らやましい点もありませんし、政治資金規正法にのっとって正確に処理し、収支も全部オープンにしております。従って今回秘書が逮捕される、強制捜査を受けるという点については全く合点がいかない、理解できないことです。必ず近いうちに嫌疑が晴れ、私どもの正当性が証明されると思っておりますので、おわびする理由は見当たらないと思っています。
--起訴されても、考えは変わらない?
小沢氏 私は起訴などということがないと信じております。
--結果的にゼネコンから非常に多額な資金が出てきた。国民有権者の中に、自民党と同じような体質があるのではないかという声が広がっているが。
小沢氏 私は、大変大勢の個人の皆さんからも献金をいただいてますし、ゼネコンだけじゃなくその他の企業からも身に余るほどの献金をいただいております。私の考えですが、献金はどこから受けたってかまわないけれども、どこからいただいて何に使った、すべて公開しろ、そしてそれを国民が見て判断できるような仕組み。行政もそう。なかなか真実をオープンにしない。そういう社会の体質が良くないと思っています。私の主張はあくまでも明朗、公開、オープン。そしてそれが妥当かどうかは国民、主権者が審判を下す、というのが民主主義のあり方だと思っておりますので、今の自民党と同じ体質だという意見は全く心外です。私はずっと以前から全部公開しろと言ってきました。自民党はそれをひたすら嫌がってきたのです。年金や医療、社会保険庁の行政を見てもそう。全部隠してきたじゃないですか。日本社会をよりオープンにして、国民が判断する材料を提供すべきだというのが持論です。
--4年間で2100万円、背景は調べないのか。
小沢氏 一般的に言って、献金してくれるという方について、どういう所から出ているのかというたぐいは、せんさくはしないのが大多数だと思っている。献金してくださる皆さまの善意を信じてやっているというのが現状だと思います。その献金そのものが違法であることが明らかになった時には返金するということでけじめをつけているつもりだ。西松建設の中で違法な形で作られたお金であったとはっきりした時点で、返却するつもりです。
--説明が今日まで遅れた理由は。
小沢氏 意図的に遅らせたわけでもありません。全く予期しなかったことで、大久保がどうなってんのかわかりませんし、そういったことを問い合わせたりしてる間に時間が経過した。今日は役員会でお話しし、そのすぐ後に皆さんにご報告しているということだ。
--捜査の過程で主張が覆った場合は。
小沢氏 私は覆ることがないと、必ず近いうちに嫌疑は晴れる、正当に適法に対応してきたということになると信じております。
--原資が不当であれば返却する。
小沢氏 そうです。過去にも水谷建設だったかな、嫌疑が確定した段階できちんと返却しました。今まだ確定してないでしょ。確定したときにはそのつもりでおります。
--陸山会の代表者、監督責任者としてチェックしているか。
小沢氏 政治家は1人で政治活動全部やることは不可能です。スタッフ、秘書のサポートを借りながら活動を続けている。民主党代表として、全国一生懸命国民に語りかけ、我々の政策を理解していただく努力が最大の任務と思って就任以来やってきた。細かな政治献金の一つ一つについて私が全部チェックすることはやってません。秘書を信頼してやる以外に不可能なことで、全体の報告は受けてそれを了としてきているが、個別の一つ一つに目を通す、時間的、能力的余裕はない。
--西松のにおいすらしなかったのか。
小沢氏 政治団体としての献金だという認識で処理したと報告を受けておりますので、私は、秘書がそのまま受け取ったということについて至極自然と思っております。
≪岡田克也と秋篠宮との近親性(2)≫に続く――
「このような、いわゆる検察権力、国家権力が、こういう形で強制捜査を行う」という言葉が象徴しているように、西松建設不法政治献金に絡んで小沢氏の政策秘書を逮捕・取調べた件に関してのみ不法・違法と言っているのであって、岡田氏が言うように「国家権力の中核にある検察を否定するような言い方」とは似て非なるものである。
言ってみれば、小沢一郎は検察だって間違いはあるということを言っているに過ぎない。
政府高官・内閣官房副長官漆間巌が西松建設の違法献金事件について「自民党議員に波及する可能性はないと思う」(「中日新聞」)と民主党のみをターゲットとした捜査と受取れないこともない趣旨の発言をし、民主党側が反発。鳩山幹事長が記者会見で、「検察から内閣に何らかのメッセージが(事前に)送られていたのではと疑わざるを得ない。・・・・なぜ検察捜査の行方にこんなに確信的な言動ができるのか極めて不思議だ。うっかり口を滑らせ、馬脚を現した」(「中国新聞」)と批判、国策捜査ではないのかという疑いを噴出させた。
検察にしても利害の生きものたる人間集団であり、絶対は存在しない以上、国策捜査が存在する可能性は否定できないし、国策捜査紛いも存在しないことはないだろう。あるいは政治を絡ませた一方の勢力に偏った捜査というものも存在する場合もあるはずである。
例えば日本という国では自由民主党が唯一絶対の政党だと狂信的に信じていて、政権党は自由民主党でなければならないことを絶対価値としている天皇主義者や国家主義者、いわゆる日本民族優越主義者にとっては自民党政権崩壊は絶対的に許すことのできない、あってはならない危機であろう。
絶対的に許すことのできない、あってはならない危機であるなら、崩壊が現実のものとなりそうな状況を目の当たりにしたとき、崩壊阻止のために手段を選ばない挙に出たとしても不思議はあるまい。
田母神のような日本の戦争は侵略戦争ではなかったとする狂信的な日本民族優越論者が自衛隊の中に存在していたように検察の中に存在して、手段を選ばない崩壊阻止の動きに出る場合もあれば、中からではなく、外から崩壊阻止を図るべく検察を動かし、検察がそれに呼応するといった可能性も否定できなくはない。
何しろ如何なる人間集団・組織にも絶対は存在しないからだ。また、絶対は存在しないのだから、見せ掛けに過ぎない絶対を存在させて、そこに自己を従属させてはならない。
岡田が言った「政党が国家権力の中核にある検察を否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ」は検察を否定してはならない、絶対的存在とし、「自制」、即ち「従え」と言って、そこに自己を従属させようということであろう。
「一定の」と制限をつけているが、「検察を否定するような言い方は絶対に避け」ろと「絶対」という言葉を使っている以上、「一定の」は前後相矛盾する言い方で、表現を和らげるための単なる修飾語に過ぎないだろう。「絶対に避け」るためには全面的・絶対的「自制」を条件としなければならないからだ。
あるいは裏返して言うと、「一定の自制」では「絶対に避け」ることはできない。「絶対に避け」るためには「一定の自制」では足りない。
「国家権力の中核にある検察を否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ」を正当性ある主張だとするなら、「国家権力」そのものとして君臨した戦前の軍部を絶対的存在と看做して「一定」どころか、絶対的・全面的に無条件に従属した国民の国家権力に対する姿を岡田は正しい「自制」ある姿だったとしなければならない。
このことは決して大袈裟な譬えではない。最初は気づいて反対したとしても、それを上回る相手の有無を言わせぬ自らを絶対とさせようとする圧力に対して「一定の自制」を存在させた場合、次第に次第に口を閉ざすこととなって全面的な従属の方向に流されることになるからだ。
矛盾多き人間集団・組織を、それが国家権力だろうと何だろうと、絶対的存在だと位置づけて絶対視する程、危険なことはない。自己を非自律の言いなりな存在に貶めることになる。岡田はそういった人間になれと言ったのと同じことを言ったのである。
岡田のこの主張を新聞記事で目にしたとき、秋篠宮の言葉を思い出した。
04年12月14日に自作HP「市民ひとりひとり」に「皇位継承権争奪の火蓋は切って落とされた」と題して書いたことでもあるが、皇太子が04年5月12日からのデンマーク、ポルトガル、スペイン3カ国訪問を前に、同年5月10日午後東京元赤坂の東宮御所で記者会見した。皇太子妃雅子は病気療養中で、皇太子一人の訪問となることの説明をした。
「殊に雅子には外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を、皇族として大変な重要な役目と思いながらも外国訪問をなかなか許されなかったことに、大変苦悩しておりました。・・・・それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
外交官の経験から、自らの意志・選択で自発性を持って自由に外国を訪問し、国際貢献を果たしたいと願っていたが、その自発性が許されなかった。そのことが「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動き」であった・・・・。
いわゆる皇太子の「人格否定」発言と呼び習わされることとなった記者会見での発言だが、皇太子のこの「人格否定」発言を宮内庁のよそ者いじめと把える取沙汰がマスコミ中心に行われ、様々に波紋を広げたものだから、宮内庁の要請を受けてのことだろう、それを鎮めるために皇太子は04年6月8日に補足説明の文書を宮内庁を介して公表した。
その中で「新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ、見直して行くべきだと考えます」と書いて、自発的・自律的な意志・選択による自由な外国訪問を、多分国内活動に於いても自己選択によるより自由な活動への渇望をも含めていたと思われるが、可能とできる状況への改革が「新しい時代にふさわしい皇室像」だと皇太子自身と雅子の望みをそこに置いていた。
皇太子は補足説明の最後を次のように結んでいる。
「私は、これから雅子には、本来の自信と、生き生きとした活力を持って、その経歴を十分に生かし、新しい時代を反映した活動を行ってほしいと思っていますし、そのような環境づくりが一番大切と考えています」――
皇太子と皇太子妃はこのような場所──「新しい時代を反映した活動」を行える「新しい時代にふさわしい皇室像」──に行き着くことを願っている。悪いことは何一つないように見えるが、そのことを不都合とする勢力があり、行き着こうとすることを阻んでいたというわけである。
但し確実に一つ言えることは皇太子は自らの言葉を持っていた。「自制」とは自らの言葉を抑えることでもある。
対して秋篠宮は皇太子とは正反対の姿勢を示した。04年11月30日に39歳の誕生日を迎えるに当たっての記者会見の場での発言である。(一部抜粋)
【質問】皇太子さまが「宮内庁と、時代とともに変わる公務の在り方を考えたい」と述べたことには。
【秋篠宮】私個人としては、自分のための公務はつくらない。自分がしたいことが公務かどうかはまた別で、公務はかなり受け身的なものと考えています。 ――
皇太子は雅子共々自発的意志・選択による自由な「公務(外国訪問・国内活動)」を願い、そういった皇族のありようを「新しい時代にふさわしい皇室像」と見ていた。
だが、秋篠宮は「自分のための公務はつくらない」、公務と自分のしたいこととは別だ、公務は政府が決めたことに従って行うものだ(=「受身的なもの」)と、皇太子が望む自らの意志・選択に従う主体的な自発性・自律性を否定している。
いわば秋篠宮は憲法や皇室典範に決められた現在の皇室のありようを絶対として、それを「否定するような言い方は絶対に避け、一定の自制をするべきだ」とばかりに自発性・自律性を否定し、自己を無意志的にまで従う存在としている。「公務」として認められた範囲内の言葉は持つが、「公務」外の自分の言葉は持たないと言うことである。
これは日本の歴史を通して如何なる時代もほぼ一貫して天皇が時の実質権力者の傀儡であった姿をそのまま踏襲するもので、そのあまりにも安穏無事な自発性と自律性の否定は平和の時代は許されもするが、戦前のように邪な権力集団が国を支配する時代が出現した場合、日本国民もそうであったように利用しやすい自発性・自律性の否定と化すだろう。
一見秋篠宮の発言は政治的には見えないが、皇族の行動を律しているのは政権党であることを考慮すると、非常に政治的な意味を持つ。政権党なる国家権力集団が憲法や皇室典範の規定を超えて天皇及び皇族の活動を好きに操るようになったら、民主主義は崩壊しているだろう。
検察が政権政党の言いなりに動く、あるいは自ら好き勝手な行動を取る、そういったことが罷り通る時代場面を迎えたなら、民主主義は影も形もなくしているに違いない。
岡田と秋篠宮は権力に対する自己抑制(「自制」や「受け身的」な姿勢)を思想としている点で、非常に合い通じる近親関係にあると言える。
検察がいくら「国家権力の中核にある」からと言って、不法・違法と見たなら、「一定の自制」を見せるべきではなく、徹底的に戦うべきである。責任は結果に対して取ればいい。
改めて言う。矛盾多き人間集団・組織を、それが国家権力だろうと何だろうと、絶対的存在だと位置づけて絶対視し、自己をそこに従属させようとすること程、危険なことはない。自己を非自律・非自発の言いなりな存在に貶めることになる。行き着く先は民主主義の否定であろう。
麻生首相が13日(09年5月)のぶら下がり記者会見を「asahi.com」記事から――、
(鴻池辞任の受け止めについて)「えーっと、今朝でしたかね、あのー、官房長官経由で辞任の申し出がありましたんで、健康上ということでも、もう入院もしておられるという話だったんで、やむを得ないと思いましたけども」
(鴻池女性スキャンダルの政権に与える影響について)「あのー、事実関係を知りませんので、そのことに関しては、何とも申し上げようがありません。今回の場合は、健康の理由でしたし、この前のときも、えーっと、病院に入院して来てましたんで、あのー、あんまり良くないとは知ってましたから」
(鴻池の無料「JRパス」私的流用について)「あのー、いまのJRの話については、その事実関係を知りませんので、何とも答えようがありませんが、少なくとも、そういったようなことに関しては、間違われるとか、誤解をうむような、うむとか、そういった不信感を買わないようにしておくというのは、大事なことだと思っております。任命責任については、健康上というのに関しては、健康上というんであれば、その件に関しましては、うん、健康までちょっと任命責任なのかわかりません」
(鴻池の行動について)「行動。だから、詳細を知りませんので、行動に対してお答えのしようがありませんとお答えしている」
・・・・と、内閣の一員として自らが任命した内閣官房副長官・鴻池祥肇(よしただ)の不倫スキャンダルに関わる任命権者としての任命責任を「事実関係を知りませんので」の一点張りで否定――と言うよりも回避していたが、各マスコミが14日になって「一転認めた」と報じた。
「毎日jp」の14日(09年5月)夜の首相官邸でのぶら下がり会見記事を参考引用させてもらう。
≪首相VS記者団 JRパス目的外使用「こういうことしちゃいかん」5月14日午後6時36分~≫(毎日jp/2009年5月14日)
◇民主党代表選
Q:総理よろしくお願いします。テレビ朝日です。民主党の代表選についてですけれども、今日、鳩山幹事長と岡田副代表があの、ともに出馬表明をされました。他党のことで恐縮なんですけれども、自民党の総裁としてですね、この代表選、どのようにご覧になっていますか。
A:他党の党首選挙について他党としてコメントすることはありません。
Q:あの、今後お二人の間で代表選挙、戦われていくことになると思うんですが、その中で民主党の政策論争もまあ、あるかと思うんですが、これは総理が常々おっしゃっている争点を明確化する上で非常に貴重な機会じゃないかと思うんですが、総理はどう思いますか。
A:立候補をされた段階でそれぞれの候補者は政策というものを発表されるんでしょ?
Q:はい。
A:「はい」って大丈夫だろうね。今「はい」って言ったんだから大丈夫だろうね。
Q:大丈夫です。
A:あ、そう。あのいいかげんなこと言うとテレビ映るよ。ね。あのー、立候補をされる段階できちんとした政策を発表される、そしてその政策で争われるんだと思いますんで、自民党はそういった時にはかなり時間をかけて全国でそういったことをやる努力をしているんですけれども、あの、きちんとした政策論争が2人の間で戦われるということはあの、国民は知りたいところだと思っておられると思いますね。選ばれる有権者の方にとってはいいことなんじゃないでしょうか。
◇鴻池前官房副長官辞任と任命責任
Q:次あの、鴻池前官房副長官についてですけれども、今日、官房長官が記者会見でですね、秘書官を通じてですね、事実の確認と容体の確認などをされたというふうにおっしゃってました。
A:はい。
Q:改めてJRのパスを使ったということなど含めて、記事をおおむね事実だったということをおっしゃっていました。昨日、総理、事実関係確認されていないとおっしゃっていましたが、改めてその今回の一連の……。
A:官房長官に事実関係を確認するように指示をして、えーっと、本人に面会をしたんだと思いますが、容体は悪いという話は聞きましたんで、それはちょっと正直気になっているところですけれども、事実関係を確認したところ今、JRパスを使ったということ、それから目的外使用だということで、それは、はなはだ遺憾なことじゃないのかということを言いました。それで、まあ事情聴取を、事情聴取って……、官房長官の秘書官をして、病院まで行かせて、どこの病院だったかちょっと忘れちゃったけど、行かせて、本人もそう認めておりますんで、はなはだ遺憾なことではないかと、私自身はそう思っています。
Q:昨日、健康上の問題に関しては、総理の任命責任が及ぶ範ちゅうではないとおっしゃっていましたが、目的外使用したことについて総理の任命責任、改めて。
A:任命責任ていうには、あのこれまでもいろんな方々これまでの過去、この7カ月間で何人かありましたね。いずれもこれ任命した人の責任は、任命責任者はあります。ただ健康までちょっと任命責任ではないかと言われると、健康までちょっとなかなか分かりかねるというのが正直なところだと思っていましたんで、昨日は任命責任ということに関して、健康まではちょっと、任命責任はちょっとなかなか難しいということを申し上げました。事実関係については官房長官をして、なに、聞かせたところ本人がそう認めておられるそうですから、その報告も聞きましたんで、それはあの、今申し上げた通り。
Q:総理、テレビ東京ですが、任命責任についてまあ、昨日の通りのお答えだったと思うんですが、これはもう、辞任とは切り離してもいいんですが、純粋に部下の不祥事として総理、いかがお考えですか。責任について。
A:あの今申し上げた通りですよ。目的外使用は、はなはだ遺憾なことだと思いますね。こういうことしちゃいかんと思います。
A:任命責任ですか? その点については僕はあの、いろいろな方々の発言やら何やら、これまで辞めていかれた方々に対して任命者、任命者としてははなはだ残念、任命責任はすべてあるとずっとこれまで申し上げてきておりますんで、このことに関しても例外ではありません。
「あ、そう。あのいいかげんなこと言うとテレビ映るよ。ね」――相変わらず軽い。政策論争は簡潔に趣旨さえ抑えておけば、麻生が言うように「かなり時間をかけて全国でそういったことをやる努力をしている」といった自民党方式は必要などなく、たった1回でも十分である。麻生みたいに言っていることだけが立派であっても無意味だからだ。代表選、その他の選挙前の案として具体化される前の政策表明は大枠を述べるにとどまるから抽象的表現に傾きがちだし、公約の撤回と言うこともある。
また政策は案として具体化された段階で初めて過去の経験や社会の状況、国際状況に照らして過不足及びその具体性・実効性が最初の判断を受ける。実施に移されていく過程で二次的・三次的判断を受ける。
選挙での選択と言うことなら、大枠で示された政策の違いやそれぞれが感じ受け止める人物の信頼性に頼るしかないだろう。見込み違いはよくあることで、自民党国会議員から見たら、その代表選手は麻生自身ではないか。
民主党の代表選にケチをつけるのは、収入格差、少子高齢化、年金破綻、地方衰退等々の矛盾社会をつくり出した自民党政治に対する麻生の自省能力がゼロ、全く欠いているからで、だから「かなり時間をかけて全国でそういったことをやる」といった形式だけを言う。
この程度の総理大臣だということだろう。
任命責任について言っていることは、河村官房長官の秘書官に病院に行かせて「事実確認」したところ、不倫旅行も無料「JRパス」の私的流用を認めたから、無料「JRパス」に関しては「目的外使用だということで、それは、はなはだ遺憾なこと」だと受け止め、官房副長官任命に関しては、「任命責任はすべてあるとずっとこれまで申し上げてきておりますんで」と自らの原則を前置きして、続けて「このことに関しても例外ではありません」と間接的な物言いを使って原則どおりだとしている。
つまり認めるには認めたが、原則どおりだとしただけで、直接「認めます」と言ったわけではないから、それだけ逃げの姿勢となった肯定に過ぎない。
麻生は河村官房長官の秘書官に病院に行かせて「事実確認」させたと言っているが、先日のブログで<「事実関係を知りませんので」では必要とする情報収集・責任事項を怠ったこととなって、今度は内閣を率いる者としての適格性が問題となる。
内閣を率いる以上、「その件に関しては現在営為情報収集に当たっています」までは許されるが、「事実関係を知りませんので」は情報収集を重要な責任事項としている以上、そのことに怠慢を示すもので、許されないと言うことである。 >と書いたが、5月14日付「毎日jp」記事≪鴻池官房副長官辞任:内閣支持率回復に冷水 「お友達」限界印象づけ≫を読んで、麻生が言うこの「事実確認」は甚だ怪しいことに気づいた。
記事の中に次のような箇所がある。「鴻池氏が週刊誌記者から直接取材を受けたのは7日夜。報告を受けた首相官邸では、首相や河村建夫官房長官らが対応を協議してきたが、首相も今回は慰留に動かなかった」――
「対応を協議」したが、「事実関係を知りませんので」と言っている。なぜなのか。
「週刊誌記者から直接取材を受けたのは7日夜」、首相官邸が「報告を受けた」のは何日なのだろうか、肝心のことが書いていない。他のインターネット記事を調べたが、調べ足りないのか割り出すことができなかった。
鴻池は「12日夜に河村氏に電話で、健康問題を理由に辞意を伝え、週刊誌報道について『不徳の致すところで申し訳ない』と陳謝した」と5月13日の夕刊として「東京新聞」インターネット記事が伝えている。
そしてそのまま都内の病院に入院、辞表そのものは秘書官を通して提出。「同日(12日)夜、河村氏から報告を受けた首相は『極めて遺憾だが、健康上の理由なら受理せざるを得ない』と述べた」(同「東京新聞」)となっている。
だがである、事実関係を前以て話してないまま、いきなり電話で週刊誌の報道と事実関係を説明した上、「不徳の致すところで申し訳ない」の謝罪で、ハイ、納得しましたと片付く話ではない。
電話では何だからという話になって、例え鴻池がそのまま入院したとしても、河村長官は鴻池と病室で直接会って詳しい説明を聞くだろうし、内閣の一員の週刊誌女性スキャンダル報道となれば、マスコミが騒ぐのは目に見えているのだから、麻生自身と内閣そのものをマスコミの攻撃から守って支持率低下を防ぐ危機管理の常識から言っても、携帯等で即座に首相の耳に入れたに違いない。
「東京新聞」記事から導き出すとすると、危機管理上、このような経緯を踏むはずだが、だとすると前記「毎日jp」記事の「報告を受けた首相官邸では、首相や河村建夫官房長官らが対応を協議してきたが、首相も今回は慰留に動かなかった」の麻生・河村、その他の火消し巨頭会談はいつ開かれたのだろうか。
ごくごく常識的に考えても、鴻池は任命権者が首相である内閣の一員であり、自分が犯した不倫スキャンダル及び無料「JRパス」の私的流用が内閣と任命権者たる首相の任命責任に関係していくことは理解していただろうから(理解していなかった程、バカだったというわけではあるまい)、週刊誌の取材を受けた時点で週刊誌報道と事実関係を官邸に緊急に報告する責任を有したことになる。緊急に報告とは改めて断るまでもなく、その報告は緊急性を要すると言うことである。
緊急性を要するという点から考えると、報告の時間が遅れる程、あるいは日にちが経過する程、報告の緊急性が薄れていくということだけではなく、内閣の一員としての危機管理に関わる責任意識を怠慢化させることになる。
ということなら、週刊誌の取材を受けたのが夜と言っても、常識的にはそんな遅い取材時間と言うことはないだろうから、取材を受け、週刊誌が報道すると分かった以上、内閣を構成する者としての危機管理意識を一応持ち合わせていたなら、報告時間は7日の夜に週刊誌記者から直接取材を受け、そのことから解放された直後に即座に首相官邸に報告することが危機管理に関わる報告の緊急性と報告の責任意識に最も色濃く対応することになる。
まさか、その時間、女性と密会の約束があって、そちらを優先させたということはあるまい。約束があったとしても、泣く泣く断らなければならなかったろうし、遅くとも翌日の8日中には官房長官なりに報告して官房長官から首相にも報告し、雁首揃え、誰に聞かれる心配はなくても、ついひそひそ声になって13日の発売前までにどういう手を打つか、第1案、第2案といった具合にあれこれと案を打ち出しては比較検討までする善後策を練ったはずである。、
その結果が「東京新聞」が書いている、「12日夜、河村氏に電話で、健康問題を理由に辞意を伝え、週刊誌報道について『不徳の致すところで申し訳ない』と陳謝した。鴻池氏はそのまま『間質性肺炎』などのため都内の病院に入院し、辞表は秘書官を通じて提出した。同日夜、河村氏から報告を受けた首相は『極めて遺憾だが、健康上の理由なら受理せざるを得ない』と述べ」、13日午前に辞表を受理したという展開となった――、いや、展開としたということなのだろう。
いわば無視できるはずもない週刊誌が報道する事実を無視して、ここが頭の悪いところだが、辞任理由を健康上の問題とし、健康上の問題なら、任命責任外だとする善後策とした。
当然、13日(09年5月)のぶら下がり記者会見での麻生首相の「事実関係を知りませんので」はまるきりのウソッパチということになる。
このことを証明するインターネット記事がある。参考引用してみる。
≪鴻池官房副長官辞任:「首相には任命責任」--河村官房長官≫(毎日jp / 2009年5月14日)
河村建夫官房長官は14日午前の記者会見で、女性問題で辞任した鴻池祥肇前官房副長官の任命責任を麻生太郎首相が認めなかったことに関し「任命権者には任命した以上、絶えず任命責任が伴う」と強調した。
そのうえで鴻池氏が辞任の理由を「健康問題」とした点について「健康管理(の問題)なら、直属の上司である私の責任問題だ」と語った。
鴻池氏が女性との旅行の際に国会議員の公務用「JRパス」を使ったことに関し河村長官は「自費弁償すべき性格のもの」と述べ、実費を返金すべきだとの考えを示した。河村長官は「どういう形で公表、発表するか考えている段階だ」とも述べ、政府として鴻池氏に事実関係を確認したうえで公表するとした。
河村長官は鴻池氏の容体について「検査中なので分からない」と述べるにとどめた。【坂口裕彦】
記事題名を見て分かるように、河村発言が首相に任命責任があるしているとする方向にウエイトを置いているが、「任命権者には任命した以上、絶えず任命責任が伴う」は一般的原則論・タテマエを述べたに過ぎない。後の発言で「そのうえで鴻池氏が辞任の理由を『健康問題』とした点について「健康管理(の問題)なら、直属の上司である私の責任問題だ」と、健康問題が辞任理由ならばと、責任を自分に肩代わりさせようとしている。
逆説するなら、責任の肩代わりを完成させるために、辞任理由を健康上の問題だとする善後策としたということだろう。無料「JRパス」の目的外利用にしても、「自費弁償」で片付けて、やはり麻生の任命責任から遠ざけている。
だが、マスコミの攻撃や世論は麻生や河村官房長官、その他の自己都合な任命責任回避の“善後策”では満足しなかった。そのための次善策として、「任命責任はすべてあるとずっとこれまで申し上げてきておりますんで」と一般的原則論を述べて、不倫スキャンダルを起こした不届きな鴻池に対する任命責任も一般的原則論の「例外ではありません」と間接的に認めることにした。
いわば任命責任を認めないとより立場を悪くさせることからの一般的原則論を使った緊急避難的・便宜的任命責任に過ぎないということだろう。
このことは無料「JRパス」の私的流用に対する処分にも現れている。14日のぶら下がり記者会見で麻生は「目的外使用は、はなはだ遺憾なことだと思いますね」で済ませ、具体的には「自費弁償」で微罪放免としている。
女との不倫旅行、不倫ゴルフの往復のJR移動にのみ、無料「JRパス」を私的流用したという保証があるのだろうか。鴻池にはそのことを説明する責任を有する。マスコミも麻生内閣も「説明責任を果たせ」と言わなければならないだろう。
本人が「それ以外は私的流用しておりません、それ以外は無実です、それ以外は一点の疚しいところもありません」と常習化を否定したなら、「親父も大酒飲みやし女癖も悪かった。そのDNAがボクにもある」と本人が言っている「DNA」論からしたら、そんなことはあり得ないだろうが、無料「JRパス」の私的流用は「議員歳費法は目的を『職務の遂行に資する』と定めており同法に抵触する」(「毎日jp」)としている以上、事実かどうか、該当する調査機関に調査させるべきであろう。
もし言っている事実に反して常習化の事実が判明したなら、たった往復分の「自費弁償」では済まない。自民党籍剥奪の上、自ら議員を辞職すべきであるし、常習化の有無を調査もせずに往復分の「自費弁償」のみで微罪放免を謀ろうとした麻生に新たな任命責任・人事管理責任が生じる。
麻生首相は靖国神社春の例大祭に合わせて「内閣総理大臣 麻生太郎」名で靖国神社参拝に代える5万円相当の「真榊」を奉納した。
その理由を「国のために貴い命を投げ出された方々に、国民として感謝と敬意を表した」としている。
「国のために貴い命を投げ出」すとは、戦前軍国主義日本で国が国家主義・天皇主義の立場から国民に押し付けた価値観であり、国民は押し付けられるままに「国のために貴い命を投げ出」すことを国民精神とした。そうであったからこそ、兵士は戦没することによって「国のために貴い命を投げ出」した戦前軍国主義日本の価値観・精神を最も体現した者としての敬意を受ける。靖国神社に祀られ、追悼されるということはそういうことであった。
それが侵略戦争であったことを知らず、中国・韓国を含むアジアの多くの国民を犠牲にした
麻生首相の「真榊奉納」が靖国神社直接参拝が中国・韓国との友好関係に障害となることからのそれに代えるものだとしても、戦前軍国主義日本の価値観・精神を受け継いで、今の戦後民主主義日本に伝える儀式行為であることに変わりはない。
受け継いだ行為だからこそ、合祀されている戦争犯罪人(A級戦犯)をも追悼の対象にし得る。いや戦前の国家主義を受け継ぐ小泉や安倍、麻生といったその申し子たちにとっては戦争犯罪人(A級戦犯)たちをこそ真の追悼の対象としているのではないだろうか。同じ国家統治の立場に立ち、その国家主義の価値観・精神を受け継いでそれぞれに背負っているのだから、その親近性には断ち難いものがあるだろうからである。
戦前軍国主義日本の価値観・精神を受け継ぐ国家主義者安倍晋三に至っては、「A級戦犯は国内法的には犯罪者ではない」として、戦争犯罪人を存在すらさせていない。きっと英雄として存在させているに違いない。
対して特に日本の侵略戦争の犠牲となって多くの国民を失い、国土の荒廃を受けた中国は麻生の靖国神社直接参拝に代える真榊奉納に敏感に反応、4月29日(09年)の北京での日中首脳会談で温家宝首相が麻生に対して、「歴史問題は非常に敏感であり、靖国問題は特に国民感情にかかわる。適切に処理してほしい」(「毎日jp」)と要望。30日の胡錦濤国家主席との会談では、「歴史問題は適切に処理し、戦略的互恵関係を発展させることが大事だ」(同「毎日jp」)と戦前軍国主義日本の価値観・精神を受け継いで、今の戦後民主主義日本に伝える麻生だけの、あるいは日本だけの歴史問題、歴史認識行為ではないことを示した。
民主党小沢代表が辞任し、後釜として立候補した鳩山由紀夫と岡田克也の二人によって新代表選出選挙が明日5月16日に告示・投開票される。
民主党が政権交代を実現し、今回党代表に選出された者が首相となった場合、日本の首相は靖国神社に参拝して、「国のために貴い命を投げ出された方々に、国民として感謝と敬意を表」すべきだとする圧力が様々な方面からかかることが予想される。
民主党にも「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属議員が原口一博 松原仁等、何人かいるし、連立を組むことになるかもしれない国民新党にも何人かいる。
民主党政権となった場合の鳩山、岡田いずれかの最初の日本国総理大臣が小泉元首相のように中国・韓国の反発を意に介さずに、反発が日本の安保理事入りの障害となったことなども教訓とせずに靖国参拝を強行するのか、あるいは安倍や麻生のように真榊奉納で直接参拝に代える姑息手段で済ますのか、あるいは参拝も真榊奉納も一切行わないとするのか、いずれかによって戦前軍国主義日本の価値観・精神を受け継ぐか受け継がないか明らかにされ、日本の総理大臣としての歴史認識・歴史思想が最も象徴的に国内外に発信されることになるのだから、最初から態度を示しておくべきだろう。
麻生は靖国神社直接参拝に代えて内閣総理大臣 麻生太郎」名で真榊を奉納し、「国のために貴い命を投げ出された方々に、国民として感謝と敬意を表した」。
もし民主党政権の最初の首相が麻生太郎と同じように戦前軍国主義日本の価値観・精神を受け継ぐ歴史認識・歴史思想の持主であったなら、麻生と足並み揃う歴史認識・歴史思想ということになって、当然のことながら次の衆院選の対立軸の一つとはならない。
だが、受け継がないと言うことなら、選挙の争点とすることができ、面白い対立軸となるに違いない。
深くアジアの国々と関わる日本の首相の歴史認識であり、歴史思想である。後出しジャンケンの形でその場その場を凌ぐのではなく、最初から正々堂々と内外に歴史認識・歴史思想に関わる自らの態度を明らかにしておくべきだろう。
例え民主党新首相が靖国参拝を公約したとしても、衆院選挙では私は目をつぶって民主党に投票する。政権交代が実現させることになる政治市場の競争原理を優先させる消去法でいくしかないらかだ。
「週刊新潮」の取材に鴻池副長官は「浮気旅行と言われても仕方がない。申し訳ない。・・・ボクには祖父の代からのDNAがある。親父も大酒飲みやし女癖も悪かった。そのDNAがボクにもある」(「スポニチ」)と答えているというから、本人も認めた事実中の事実と言うことになる。
「DNA責任転嫁論」といったところである。「DNAが私を浮気に走らせるんですよ。それを除けば、私は至って品行方正、品格ある人間です」とでも言いたかったのだろうか。
不倫、浮気の類は親代々から受け継いだ「DNA」のせいだと認めることにしたとしても、では、ちゃっかりと言うか、要領よくと言うか、抜け目なくと言うか、狡賢くもと言うか、職務限定の無料「JRパス」を私的利用して自分のカネは浮かせた件に関しても親代々から受け継いだ「DNA」が仕向けた公私混同なのだろうか。
そうだと言うなら、まるっきり「DNA人間」で、この世に生を受けてから社会人としての常識を社会から何も学習しなかった人間と言うことになり、そういった人間が国会議員となり、内閣の一員を占めていたこと自体が大問題となる。
地方議員が政務調査費を私的流用する、あるいは国会議員が政治資金を私的流用するのと同じで、無料「JRパス」を私的利用していたことの方が大問題ではないだろうか。「週刊新潮」が報じたこの件に限って利用したということはまずあり得ないことで、いわば一度や二度のことではないだろうからである。
公的使用が目的で公的支出されたカネ(金券も含めて)と自分のカネの区別をつけることができない人間は地方・国を含めて議員の資格はないだろう。そのような人間が国会議員となり、内閣の一員を占め、官房副長官を務めていた。
当然、国会議員としての資格及び官房副長官としての資格が問われる。官房副長官の資格の問題はその職を辞任したことで、資格を問われることから免れることとなったということにはならない。資格もない人間を官房長官に据えていた問題が残る。
当然の結果として、各報道機関、あるいは野党が共に麻生首相の任命責任を問い質すことになった。
我が麻生首相は13日のぶら下がり記者会見でこう答えている。「asahi.com」(2009年5月13日20時12分)から鴻池問題のみを見てみる。
≪鴻池氏の女性問題「事実関係知りません」13日の首相≫
【鴻池官房副長官辞任】
――週刊誌に女性問題を報じられた鴻池官房副長官が、健康上の理由として辞任した。総理の受け止めを。
「えーっと、今朝でしたかね、あのー、官房長官経由で辞任の申し出がありましたんで、健康上ということでも、もう入院もしておられるという話だったんで、やむを得ないと思いましたけども」
――鴻池副長官は以前、1月にも、同じ女性との関係を報じられているが、内閣を支える立場の鴻池副長官が、再び女性問題で報じられたことについて、政権に与える影響についてどう考えか。
「あのー、事実関係を知りませんので、そのことに関しては、何とも申し上げようがありません。今回の場合は、健康の理由でしたし、この前のときも、えーっと、病院に入院して来てましたんで、あのー、あんまり良くないとは知ってましたから」
――鴻池副長官は私的な旅行にもかかわらず、公務用に支給されているJRの無料パスを使用したことについても、与党内からも「道義的な責任がある」と厳しい指摘も挙がっている。総理は自身の任命責任についてどう考えか。
「あのー、いまのJRの話については、その事実関係を知りませんので、何とも答えようがありませんが、少なくとも、そういったようなことに関しては、間違われるとか、誤解をうむような、うむとか、そういった不信感を買わないようにしておくというのは、大事なことだと思っております。任命責任については、健康上というのに関しては、健康上というんであれば、その件に関しましては、うん、健康までちょっと任命責任なのかわかりません」
――鴻池副長官の行動に問題があったとは考えか。
「行動。だから、詳細を知りませんので、行動に対してお答えのしようがありませんとお答えしている」
我が麻生首相は辞任理由を鴻池の健康上の問題だとし、それを自らの事実としている。逆説的にいうと、不倫問題が辞任理由であることを自らの事実とはしていないということになる。
そのくせ、不倫問題に関しては、「事実関係を知りませんので、そのことに関しては、何とも申し上げようがありません」と言っている。
いわば自らが率いる内閣の一員たる官房副長官の不倫行動に関する「事実関係を知」らずに、辞任は健康上の理由だと自らの事実を限定する矛盾を犯して平然としている。
不倫行動に関しては「事実関係を知りません」。でも辞任は健康上の理由からですでは、あまりにもご都合主義的な事実解釈となる。
任命責任回避の意識が強く働き過ぎて、辞任理由を健康上の問題としたいばっかりに不倫問題から目を背けるこじつけを生じせしめることとなっているご都合主義なのは明らかである。
問題はご都合主義で済ませることができるかどうかという点である。
「事実関係を知りませんので」を2回、同じ意味の「詳細を知りませんので」を1回、同じことを3回も言っている。
麻生内閣は麻生太郎自身が組織し、率いている内閣であろう。内閣を組織し、十分に機能・維持していくためには政策の有効性のみならず、内閣人事の適格性も重要な柱として関わってくる自らの判断事項であろう。内閣の構成員が例え一人であっても無能であったなら、その無能さが内閣の運営全体に影響することあるし、評判自体を落とすだけではなく、ときには内閣を崩壊に至らしめる危険要因ともなる。
いわば最終的には政策の有効性のみならず、人事の適格性にしても内閣を率いる任命権者たる内閣総理大臣自身の判断にかかっている総理大臣自身の責任事項であろう。
的確・有効な判断は政策と人事、それぞれに関係する情報収集とその処理が可能とする。
当然、「事実関係を知りませんので」は必要とする情報収集・責任事項を怠ったこととなって、今度は内閣を率いる者としての適格性が問題となる。
内閣を率いる以上、「その件に関しては現在営為情報収集に当たっています」までは許されるが、「事実関係を知りませんので」は情報収集を重要な責任事項としている以上、そのことに怠慢を示すもので、許されないと言うことである。
今回鴻池女性スキャンダル官房副長官辞任問で浮上することとなったのは麻生太郎の総理大臣としての任命責任回避の姿勢、内閣組織者としての適格性の問題であろう。
鴻池は今年1月初旬に議員宿舎の自分の部屋に夫のいる女性を何回か宿泊させる前科があるし、3月には麻生内閣が北朝鮮のミサイル発射に備えてミサイル防衛(MD)を備えている最中に、「ピストルの弾同士が当たるのは、なかなか難しい」(「毎日jp」)とか、「鉄砲を撃ってきたのを鉄砲で撃っても当たらない。(ミサイルを)撃ってきたら当たるわけがない」(同「毎日jp」)等、内閣の一員でありながら内閣の足並みを乱すミサイル防衛(MD)役立たず発言を行っている。
もし鴻池が麻生派に所属していなくて、他派閥だったなら、そこの領袖・親分に頼んで抑えてもらうこともできるが、自分が麻生派の領袖・親分でありながら、自分には抑える力がなかったからだろう、官房副長官の任命責任者でありながら、派閥の一員としても内閣の一員としても律することができず、好き勝手な行動を取るのを許してしまった。
この点からも、内閣と派閥の違いはあるが、組織運営及び「人事管理という点で、その適格性が限りなく疑わしくなる。
犯罪を犯していないにも関わらず、犯した疑いで逮捕された容疑者が犯行時間には一人で過ごしていた、それを証明する者が誰もいない、アリバイがないからと言って、取調べの刑事から本当のこと(=事実)を喋れと言われても、「私は無実です、言われている犯罪は犯してはいません」以外のどのような自白を事実として喋ることができるだろうか。
ウソ偽りなく犯罪を犯していなかった場合、「私ではありません。無実です」以外の 「自白」は存在しないということである。
勿論、両者とも嘘のケースもあり得る。「自白」、「説明責任」を共に存在させるためには、本人自身は「一点の疚しいところもない」、あるいは「犯罪を犯したのは私ではありません」とする立場を取っている以上、本人以外の他者が本人自身の証言を偽りだとする事実の提示を必要とするはずである。
小郎一郎の場合、検察はその公設秘書を政治資金規正法違反容疑で逮捕、西松建設前社長やその他の会社幹部から様々な証言を得て、公設秘書と前社長を起訴したが、小沢氏自身の検察による事情聴取さえ、公設秘書の政治資金規正法違反容疑に関与した形跡がないとし見送っている。
いわば検察は公設秘書その他に対する取調べ・捜査を通して小沢氏に関する違反事実を見い出し、本人の「一点の疚しいところもない」としている「説明」を覆すことができなかった。
検察が「一点の疚しいところもない」以外の「説明責任」を必要だとすることができなかったということは小沢氏自身の側からすると、「一点の疚しいところもない」の説明で「説明責任」は果たしている、それ以上の「説明責任」を存在させ得ずともいいと言うことであろう。
犯罪を犯した疑いで事情聴取を受けていた、あるいは容疑者として逮捕された者の否認を警察が覆すに足る事実(=証拠)を見い出し得なかった場合、本人は小沢氏が「一点の疚しいところもない」と言っていることと同等の「私ではありません。無実です」以上の“自白”を存在させる必要はないことが証明されたことを意味するのと同じである。
西松からの多額の献金を何に使ったのか説明責任を尽くすべきだという声もあるが、それが裏ガネとして渡ったという証言も証明もなく、そうでなければ西松からの献金は何々に使う、他からの献金は何々に使うと決めているわけではあるまい。全部をプールしておいて、必要に応じて振り分けるだろうから、説明自体が不可能となる。
一頃騒がれた資金管理団体等の事務所費の光熱費などを項目とした架空計上問題はかかるはずもない何百万円という金額を光熱費として政治資金収支報告書に記載して届けてあれば、一般常識に反する事実が存在することとなって、光熱費の内訳を明かして計上金額と整合させる説明責任は生じる。
自殺した元農林水産大臣松岡利勝は家賃ゼロの議員宿舎に主たる事務所を構えていたにも関わらず、2003年から2005年まで2600万円、3000万円を超える事務所経費と、水道代、冷暖房費が無料であるにも関わらず、2005年に500万円を超える光熱水費を計上していた。
収支報告書に記載されているのだから、消し去ることのできない金額上の事実が最初に提示されている以上、「一点の疚しいところもない」だけで事実と実際(=内訳)の一致は証明不可能で、「説明責任」は存在しないとすることできない。実際の内訳に対する説明責任を果たすことによってのみ、収支報告上の事実との整合を図ることができ、「一点の疚しいところもない」が証明される。
だが、自殺するまで松岡は自らに生じた説明責任を果たすことができなかった。事務所費問題外にも数々の疑惑を抱えていたが、自殺することが彼なりの説明責任の方法だったのではないのか。
「一点の疚しいところもない」と言っている人間に「説明責任」は存在しないとする論理をあくまで正しいとして進める。
小沢一郎は辞任記者会見で「一点の疚しいところもない」と断言している。
≪小沢代表辞意:【会見詳報6止】なぜ議員辞職しなければならないんですか≫(毎日jp /09年5月11日)
Q:離党や議員辞職はしないのですか。
小沢代表:なぜ議員辞職しなければならないんですか。
Q:献金事件というカネにまつわるイメージを民主党から離すために離党すべきじゃないかと。
小沢代表:(質問をさえぎるように)私は、政治資金の問題についても一点のやましいところもありません。法律に従ってきちんと処理し報告してあります。また今回は、政治的な責任で身を引くわけでもありません。みなさんのお力添えのおかげで、私が3年前に代表職を引き継いだ時には(民主党の)支持率は1けた台だったと思いますが、今みなさんの懇切丁寧な報道ぶりにもかかわらず、20%以上の支持をもって自民党とほぼきっ抗しております。私はその意味において国民のみなさんのわが党に対する理解、そしてやはり政治は変えなくてはならないという理解が進んでおる調査だと思っておりまして、私も微力ながらそのことに多少なりとも貢献してきたのではないかなと思っております。あなたどこだっけ、会社?
(質問者:日本テレビです。)
小沢代表:日本テレビでもよく国民のみなさんの調査をしてみてください。
Q:3月の西松報道以来、バッシングもあったと同時に小沢総理を求める声も多数あったと思います。その声に応えられなかったという無念の思いは?
小沢代表:あのー、個人的に私を強く支持してくださる方は、私が 民主党代表として総選挙に勝ち、総理大臣になることを願っていてくれたことと思います。しかし私は、私自身が何になる、ならないということはまったく自分にとっては問題ではありません。民主党が中心に、とにかくこの長期政権、腐りきった政権を代えなくてはいけない、政権交代、それが果たされれば私自身にとりましては、まったく本懐でありまして、それ以上の期待をしてくれた支持者の方がおりましたら、それは申し訳ないことではありますけれども、私の政治家としては、まったくこの政権交代、国民生活第一の政治、国民サイドに立った政治、そして日本における議会制民主主義の確立、これが樹立されれば、少なくともそのスタートを切れるということを自分の目で確かめることができるとしたならば、それはまさに政治家の本懐、男子の本懐、そう考えております。
(司会:はい、ありがとうございました)
小沢代表:はい、ありがとう、ありがとう。
だが、小沢一郎が「一点の疚しいところもない」とする立場を取っているにも関わらず、多くの人間がその証言を偽りだとする事実の提示を見ないまま、あるいは自ら行わないまま「説明責任」を存在させようとしている。
その一人宮崎県知事東国原。「FNNニュース」インターネット記事動画から。
東国原知事「わたしは辞任というよりも、説明責任を果たしていただきたい。どうもあの辺の西松建設あたりの、そのつながりが、あやふや、うやむやなんですよね。あれは国民――にとってですはね、説明責任をされたとは到底思えない、じゃないかなあと、思うんですけども、あの多額の献金を1つの会社から来ていたということを知らないというのは疑問だと思いますので、辞めて臭いものに蓋、あるいは選挙に向かってイメージアップとか、そういったことをされると、民主党さんの逆イメージダウンになるんじゃないかなあと、感じがしますけどねー」
「あの多額の献金を1つの会社から来ていたということを知らないというのは疑問だと思いますので」が例え多くの人間が抱える「疑問」であったとしても、現在のところ、検察がその解明の一歩である事情聴取さえ見送っていて、「疑問」であることから一歩も出ていない以上、「一点の疚しいところもない」以外に説明責任を存在させることはできないはずだが、東国原は得意気に説明責任を求めて、小賢しいばかりに見える。
甘利行革相も同じである。
「党首討論を13日に控えていて、突然、辞めちゃったと。敵前逃亡だと言われても、仕方がないんじゃないでしょうか。説明責任を果たしていない」といったことを12日夜7時からのNHKテレビが伝えていた。
最悪は麻生太郎である。同じく「FNNニュース」インターネット記事動画から小沢辞任に対する感想の部分のみを拾ってみた。太字は語気を強めた箇所。
麻生「少なくともあさって(13日)にはー、党首討論と、いうのをやっと、できるということになりました、んで、その2日前にいきなり、辞められるということになりましたんで、正直驚きましたねえ。
ただ、そのボートー(冒頭)発言?――っていうのしか聞いていませんので、よく内容がわかりませんけど、ボートー(冒頭)発言を聞いただけでは、なに・・・・の理由で、辞められるのか、よくわかりませんでしたね。
やっぱり国民としては、何・・・・で、辞められるか、何について責任を取られよう、取られるのか、なぜ今なのか、っていうのは、理解ができなかったんではないですかねえ。
私も正直、冒頭発言だけですけども、そこのところは、やっぱり、国民としては一番知りたいところです。わたし自身も、ちょっと正直伺ってみたい、ところでもありましたんで、そこのところは、分からなかった、だと思いますんで、いずれにしても、また党内事情の説明だけはありましたけども、党内事情っていうのは選挙事情ってことなんですかねえ?
ちょっと、そこのところもわたしの理解を超えていましたんで、あのー、国民としてみれば、今申し上げたようなところが、疑問、として、残るんじゃないんですかね。
私っから見ていると、ちょっとあとの、記者からのやりとりのアレを聞いてませんから、そういう質問は、ちょっと記者の方から、出たんでしょうから、その内容についた上で(ママ)、今、ちょっと答えようがありませんねえ」
先ず第一に麻生太郎は「ボートー(冒頭)発言」だけを聞いて、すべての内容が理解できる頭の持ち主なのか。
文芸評論を職業とした人間であっても、新作小説の最初の一ページだけを読んで、面白くない小説だ、駄作だと、知人・友人には吹聴してまわったとしても許されるだろう。だが、文芸評論家の立場で新聞・雑誌に文芸評論の形でたった最初の一ページだけを読んだ本を面白くない小説だ、駄作だと批評する文章を発表することは許されないはずだ。
いわば個人的な立場から友人・知人に話すとしたなら許されることを麻生太郎は総理大臣・首相の立場で、「説明責任を果たしていない」とする多くの国民の声に便乗して得点稼ぎを企んだのだろうが、「ボートー(冒頭)発言」だけを聞いて、「理解を超える」とか何とか公の電波・情報網を使ってさももっともらしげに全国に許されない情報を流したのである。東国原に倍する小賢しさが顔にありありと浮かんで見えた。
「一点の疚しいところもない」の事実を誰もが覆すことができていないのだから、「一点の疚しいところもない」以外の「説明責任」は存在しないはずだが、麻生太郎は「ボートー(冒頭)発言」を聞いただけの「説明責任」要求に飽き足らず、今日12日の衆議院予算委員会でも説明責任を求めている。
麻生「政治とカネの話は長い間の懸案でもあり、国民の不信感に耐えるためには説明責任を果たさなければならない。人間の倫理やモラル、道徳に根源的にかかわる問題であり、国民の不信感に耐える努力は、政治家個人個人がきちんと果たすべき努めだ」(「NHK」インターネット記事)――
自らの常識欠如は棚に上げて医者のことを大僭越にも「社会的常識がかなり欠落している人が多い」と考えているような人間に、あるいは「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本の他にはない」とことのことを以って合理性もなく日本人に優越性を持たせるような人間に「人間の倫理やモラル、道徳」といった言葉を口にする資格があるのだろうか。資格があるとは到底思えない。
改めて言う。
「一点の疚しいところもない」と言っている人間に「説明責任」は存在しないのだから、それが虚偽だと証明されない限り、みんなが考える「説明責任」の必要は生じない。
それでも存在させ得ようとすると、刑事裁判に於ける「疑わしきは罰せず」の加罰規定の原則に立つなら、冤罪強要に当たることになると思うのだが、どんなものだろうか。
5月7日、衆議院予算委員会の質疑の、マスコミに不適切発言として取り上げた麻生の子どもを2人産んで「義務を果たした」の場面をNHKテレビの「国会中継」で見ていた。私は結婚もしていないし、子どもを育ててもいないが、親として、産んだ子供を育て、一定の年齢にまで養育したなら、これで親としての義務を果たしたなと感じたとしても不思議ではない一般的な親の感想であろう。
だが、麻生は子どもを2人産んだ出産そのものに対して「いちおー、最低限の義務を果たした」と言っている。
江戸時代の世継ぎを期待されて殿様の側室にされた女性ならいざ知らず、あるいは戦前の「産めよ増やせよ、国のため」をスローガンとした国策に対して多産を殆どが右を倣えの国民の義務とし、国民の条件とした時代にあるわけではない、今の時代、義務で子どもを妊娠させ、義務で産む親はまずいないだろう。産んだ以上は、親としての養育の義務が生じる。しっかりと果たすものもいるし、中途半端にしか果たさない親もいるだろうし、全然果たさず、虐待して子どもを殺してしまう親もいる。
妊娠・出産までは殆ど世の習い(社会的慣習)として行うのではないだろうか。結婚して子どもを産むことが男女ともそれぞれにそのことをごく当り前の社会的姿とする。義務として妊娠・出産を目指し、実行する者は殆どいまい。
養育となると、世の習いではすまなくなる。妊娠・出産までは顔も個性も持たないが、いわば誰にとっても顔も個性もない存在でしかないが、出産以降、顔を持ち、個性を持つようになるから、それ自体がそれぞれに異なる自己主張性を意味するため、世の習いで決して一括りはできなくなる。自分自身の顔と個性とは微妙に異なる必ずしも自分たちの思い通りにはならない顔と個性と毎日毎日付き合わなければならなくなる。
望んだが、子どもができなかったという親は、出産に関する世の習い(社会的慣習)から外れるものの、それをすべてとして生きているわけではない、義務で生きているわけでもないのだから、結婚しているなら、自分と相手の顔と個性を突き合わせながら、自分たちなりの人生の充実を見い出すしかないのではないのか。
人それぞれに人生の姿・事情は異なる。麻生が「自分は義務を果たした、義務を果たさない者がいる」と言ったなら、麻生の立場からしたなら、それぞれに異なるはずの他人の人生・事情に自分のそれと合わせようとする権力的な強制力を働かすこととなってさらに大問題となるが、戦前の「埋めよ増やせよ、国のため」の国家主義から抜け切れていないのだろう、「いちおー、最低限の義務を果たした」とした。
滑稽な限りだが、この「義務」発言を含めて、「国会中継」を見ていて私が問題としたのは、麻生の軽さである。日本という国の総理大臣、一国の首相でありながら、その軽さ・軽薄さに耐えられる国民がどれ程いるのだろうかと思わざるを得なかった。
もしかしたら麻生は元々は現在のようなダミ声の持ち主ではなく、自身の人間的な軽さ・軽薄さを隠して声のみで重みを持たせようとした結果獲得した現在のことさら声を低め、ことさら語尾を伸ばす物言い、低音の装いではないかと疑ったくらいである。
民主党・無所属クラブの西村智奈美と麻生、その他の閣僚との質疑を通して、麻生のみならず、類は友を呼ぶの習いからなのか、他の閣僚にも見て取れる軽さ・軽薄さを私だけが感じることなのか、俎上に載せてみたいと思う。
私自身のたいしたことのない感想・解説は青文字で示した。
09年5月7日、衆議院予算委員会、民主党・無所属クラブ西村智奈美
西村「衆議院予算委員会、民主党・無所属クラブ西村智奈美です。えー、私は民主党の中で、子ども・男女共同参加調査会(「参画」といったのかもしれないが、「参加」と聞こえる。)の局長を務めております、ので、えー、今日は少子化問題に絞って、えー、質問をしたいと思います。えー、先程来、あの、子ども、子育て応援特別手当について、えー、菅(直人)委員、そして前原委員から質問があったところでありますけれども、私もそのことについて伺うつもりなんですが、先ずその前にですね、えー、少子化について、エー、どう考えるか、そしてまた、子育て支援策というのが、如何にあるべきか、あーこの2点について、財務大臣と総理から、それをまたどういうふうにお考えなのか、伺いたいと思います。
えー、まあ、少子化については、アー、今、日本の合計特殊出生率は1.26とか、27という数字を、まあ、彷徨(さまよ)っております。日本の人口構図や産業構図を維持するに少なくとも28(自然増と自然減との境目とされる2.08の間違いか?)が必要だと言われていた、にも関わらず、1.58を切ってから、もう、殆ど坂を転げるように出生率が下がってきております。まー、その原因は何なのかと、色んな人が色んな研究をしておりますけれども、やはり日本の社会全体が、子育てに対して、あまりやさしいとは言えない、のではないのか。そのことによって、女性たちが、子どもを産み、控えているのではないか、ということが指摘をされていますし、私も肌感覚で感じているところは、まあ、そういったところなんだろうなと、思っております。えー、この点について財務大臣と総理の見解を伺いたいと思います」
(やたらとバカ丁寧な敬語を使わないところがいい。)
与謝野馨財務大臣「あのー、明治維新のときの日本の人口は3千万人。昭和20年の日本が戦争に敗れたときの人口は7千万人。現在は1億2千5百万人ですから、えー、まあ、この百何十年から人口は増え、今、少子化が、まあ、叫ばれている段階でございますが、私の直感ですから、あまり根拠がないんですが、多分、日本という国は5、6千万人の人口だと、大変快適な国じゃないかと、私は思っております。
ただ、その5、6千万人の平衡状態に至るまでの間、どうやって日本の福祉政策を支えていくのか、こういう話になりますと、その移行期間は、過渡期の間は、物凄く大変なことが起きる、ということがあります。それで政府が少子化について、たくさん子供を作りなさいと、いうようなことを言う立場にはないんで、政府が、政府ができることは、あー、産みやすく、育てやすい社会を、用意しておくと。あとは、えー、女性、夫婦の間で、自主的にご案内いただくと、いうことに尽きるのではないかと、私はそのように思っております」
(「産みやすく、育てやすい社会を用意」すべく、いわば人口増加政策に自民党政府は予算をつぎ込んでいる。社会もその方向で努力している。にも関わらず、「日本という国は5、6千万人の人口だと、大変快適な国じゃないか」とする人間が、出産・育児政策の財布を握っているのは矛盾してはいないだろうか。与謝野が思っている人口減少衝動が日本政府の正式な政策なら、矛盾しない。今後共に若者の数が減り、高齢者だけが増えていく状況が長年に亘って続くのだから、「5、6千万人の平衡状態」に持っていくまでに若者の各種税金や社会保障費の負担は相当なものになるに違いない。「一民族・一文化・一言語」の愚かしさは守ることができたとしても、グローバル化した産業も維持できなくなって、国民は負担に耐え切れず、国としての体裁は破綻するに違いない。与謝野は不可能なことを言っているに過ぎない。このことだけを以ってしても、閣僚としての資格を失う。)
麻生「あのー、やっぱり、西村先生、やっぱり、子どもを産んだら、いい、楽しいという、話をあまり、言わないんですな、この国は。違うかしら。ウフ(と得意気に笑う)、そういう子どもを産んだら、こんなに素晴らしいよっていう話をあなたにしてくれる友達はどれくらいいらっしゃいます?産んだら、大変よって、話ばかりしません?
僕は正直イ、あの、そこが今一番問題なんじゃないのかなあーと、思っています。これ、正直なところでございます。従って(何が「従って」なのか。)、私は43で結婚して、ちゃんと子どもは2人いましたから(右手を上に上げて指を2本突き出して、ご丁寧にも2人を意味させる。)、いちおー、最低限の義務を果たしたことになるのかもしれません。なるのかもしれませんけれども、しかし、今現実問題として、子どもを産んだら、成長見て、私自身の娘も二十歳になりましたし、上のも23になりましたから、今は見て結構面白いです。私自身は(自分の胸を指差して)成長は嫌なところばっかし親に対して全然面白くないところが一杯ありますが、私自身は正直言って、楽しくやらせてもらっていると自分は思っております。
だから、子どもを産んだらいいことありますよという話も、正直今から結婚する人には結構言っている方だと、自分自身は思っていますけれども、いつもそう言われるのは麻生さんだけですよと、言われたりすると、余っ程他の人は大変だ、大変だっていう話しかしていないんだなあと、私はそう思ってしまうんです。
しかしフランスやら、イギリスにいた頃、子どもが楽しいって話を、みなイギリスもフランスもしていましたから、その意味では(この軽さ・軽薄さには絶えられない。)私は日本は・・・・合計出生率が下がってきておりますけども、韓国より高い、中国より高い、台湾より、高い、香港より高い。比較すれば、もっと低いところ、一杯ありますんで、そういった所の話をよくされますけれども、私としてな、そういった合計出生率の話という数字の話よりは、子どもを産んだら楽しいって話と、やっぱり子どもを育てやすいような経済環境とか、また社会環境というものが、非常に大事なんではないかなーと思っております。
いずれにしても、子どもが、声が聞かれなくな、聞かれない地域というのは、かなり淋しいもんだと私自身はそう思います」
(国の仕組み・制度はその国の政治が深く関わってつくり出していく。そのことに応じて社会の姿が形作られていく。戦前の日本社会が理解しやすい最たる証拠となる。「子どもを産んだら、いい、楽しいという、話をあまり、言わない」、あるいは「産んだら、大変よって、話ばかり」といった状況も、政治がつくり出したその一端の社会の姿であろう。そのことを棚上げにして平気でいられるこの軽さはどう説明したらいいのだろうか。
与謝野が、「産みやすく、育てやすい社会を、用意しておく」と言ったばかりである。「用意しておく」ことに政治がついっていっていない、即応できていないことに気づくべきだが、気づきもしないこの面の皮の厚さ。
日本が自民党政治のお陰を蒙って「産みやすく、育てやすい社会」となっていたなら、誰が出産・子育てが楽しくないなどと言うだろうか。この答弁の間、麻生の頭には保育所に入れない待機児童の問題、産科医不足の問題、1~2年間子育てのために一旦仕事をリタイアすると、元の職場、同じ仕事に戻ることが難しい問題等々、一切思い浮かんでいなかったに違いない。
総理大臣でありながら、現在の日本の社会の姿に思いを馳せることができなかった。軽い・軽薄以外に形容しようがないではないか。
出産・子育てに関する母親たちの前々から既成事実化した一般的な感想を今更ながらに「今一番問題」だとする。当然、何が原因で「産んだら、大変よって、話ばかり」なのはなぜなのかの、とっくの昔に済ませておかなければならない原因追求であり、自民党政治を引き継ぐ総理大臣であるからには、その解決のための効果的な政策をも受け継ぎ発展させて、既に何らかの成果を上げていなければならない段階であるはずだが、母親たちの感想を述べ、そのような感想に対して「やっぱり子どもを育てやすいような経済環境とか、また社会環境というものが、非常に大事なんではないかなーと思っております」と推測形で自分の感想を述べて、自己満足に浸っている。
しかも「子どもを産んだらいいことありますよ」と、そのためには「産みやすく、育てやすい社会用意しておく」をあくまでも前提としなければならないはずだが、そんなことはさらさら頭になく、国民一般の例に当てはまらない個人的な経験を披露して、それを以て出産だけを単細胞にも奨励している。)
西村「えー、私もですね、合計出生率、合計特殊出生率、数字だけを取り上げて高いからいいとか、低いからよくないとか、いう積りはありません。(しかし、重要項目に入るバロメーターの一つであることに変わりはない。高齢者の割合が高くなって、人口構成のバランスが悪くなっている。そのために若年層の社会保障分野などでの負担率が増加していることも事実。)
えー、また日本の人口が減っていくということも受け容れる、というのは、我が国が選択する、道のうちの一つだろうと思いますけれども(人口減少政策を国の政策として選択するなら、そのことをはっきりとさせなければならない。与謝野みたいに国の政策と個人的感想・個人的見解を混同させてはならないはず。)、問題は、先程財務大臣も総理もおっしゃいましたけども、やっぱり産み育てやすい社会をつくる、そういうことに尽きる、のではないかと。後は、そのカップルの判断に任せると、言うことだと思うんですけども、総理、イギリスとフランスで、子育てが楽しいと、いう話を聞くのは、やはり理由があるんだと思うんですよね。
日本ではなぜ、子育てが楽しいという話ばかりではないか。勿論、子どもが、あの社会に出てくる、支えるということは、これは社会の賑わいにもなりますし、子どもは未来への投――、宝だと、社会全体の宝、だと言われておりますから、非常にあの、子どもがいるってこと自体が社会の財産、であるわけですけれども、えー、イギリスやフランスでなぜ、子育てが楽しいかと、言われているかと言えば、やはりそれなりの子育て支援策を、国としてきちんとやっているから、楽しいと思える。そういう子育てが可能になっているから、だと思うんです。そこのところを、先ずご認識をいただいておきたいと思います。
えー、そこで、今回の補正予算の中で、えー、子育て応援特別手当、えー、3歳から5歳まで、えー3万6千円、1回こっきり。これを支給するということになりました。第1回ということになるんですが、これはー、えーこれはですね、まあ、この今回、政府の補正予算は14兆円ということですけれども、子どもとか教育関係の対策費に大体、その3651億円、まあ、全体の中で2・6%と、非常に小さいわけでなんですけれども、まあ、その中でも政府の方が今回、この子ども手、子育て応援特別手当を、一つの目玉だと、いうふうに、あの、言っておられるようです。
えー、財務大臣に聞きますけれども、この子育て応援特別手当によって、見込まれる経済効果、それはどのくらいでしょうか?」
与謝野馨財務大臣「先ずですね、あのー、民主党が言っておられるような子供、手当ができたら、えー、おカネがあったら、いくらでもやったらいいと思うんですけれども、民主党の言うとおりやられますと、それだけ5兆円以上かかりますんで、 あの今回、今回の、あの、子育て応援特別手当っていうのは、あの、現下の大変な不況下で、あの、個人の所得がそれぞれ、みんな減っていると。国民もここは行き交いが大変でしょうと、いうので、年に3万6千円、ていうのは、まあ、決して大きい額とは言えませんけども、えー、何とか支援がつくんだろうと、言うので、ええ、予算に計上したわけでございます」
(合理的な根拠・検証からではなく、「何とか支援がつくんだろう」という大まかな感覚で金額を決めたのだろうか。高速道路建設時の交通量予測もこの流れて過剰計上しているため、多くが赤字経営となっていると言うことなら、一貫性を得ることができる。)
西村「まあ、経済政策と言うよりは、そうしますと、子育てのための手当てということで支給された、分と言うことですが、そういうことでありますと、果たして、これで子育て支援策になるのかどうか、ということを伺っていかなければなりません。先程3歳から5歳だと、いうふうにその、年齢制限、区切られているって、財務大臣しましたら、枝野君がリサイ(?――聞き取れない)大変だと、いうふうにおっしゃいましたけれども、それぞれの根拠ですね、つまりなぜ3万6千円なのか、あるいはなぜ3歳から5歳なのか、そしてなぜ1回こっきりなのか。
これは何度やって聞いても、これは私は納得できる答弁というのは、一度も返ってきたことがないんですけれども、一つ一つ伺いたいと思います。えー、なぜ3万6千円と言う金額なのでしょうか?」
桝添厚労大臣「あのこれは非課税、住民税の非課税世帯の保育所の基準額が月額6千円でありますんで、その半分、月額3千円を補助しますと、いうことで、3千円かけ、12カ月、3万6千円と、こういう計算であります」
西村「はぁ?その説明私、初めて聞きました。えー、この6千円、住民税の非課税世帯に於ける保育所の料金が6千円、その半分、だから3千円。なぜ半分なんですか。なぜ全額じゃないんですか」
(「なぜ半分なのか、半分とした理由・根拠を聞かせてください」とより直接的な言葉は使えないのだろうか。迫る勢いが違ってくると思うのだが。)
桝添「あの、国会の場でも、その説明を何度かしたことを私は記憶しております。議事録をご覧になれば、どこかに書いてあると思います。そして、これはまあ、あのー、全額というのも、一つの考え方かもしれないけれども、補助をする、やはり自らの努力にも頼らないといけない、そういう意味で半額になったと、決定させていただいたと」
(「決定させていただいたと」「いうことでございます」と最後まで丁寧に言わずに端折って、くるっと背中を向けて自分の席にも戻ってしまう。加藤紘一は麻生に対してではなく、桝添にこそ、「傲慢」という尊称を与えるべきだったのではないか。)
国会質疑からも見て取れる麻生のこの軽さ・軽薄さに耐えられるか(2)に続く>
09年5月7日、衆議院予算委員会、民主党・無所属クラブ西村智奈美
西村「幼児教育の子育て支援をするということですから、えー、その6千円の保険料を、半分を、あの、補助対象として、いると、手当の額としていると、いうことについては、これは合理的な説明では全くない、いうふうに思います。で、また、あー、3歳から5歳まで、ということについてではありますけれども、これはなぜ3歳から5歳までなのでしょうか?」
桝添「小学校に入る前の3年間、これは保育変に通おうと、幼稚園に通おうと、ここに焦点を当てた、いうのは、赤ん坊のとき、乳飲み子のとき、それから小学校入ってから、様々な補助がありますが、そういう意味で(どういう意味なんだ。)、一番全体的に見て、特にお父さん、お母さんたちまで子育てやっていると、ここ足りないなあ、というところがこの年齢層なので、そこに焦点を当てたということでございます」
(西村が言うように、合理的な説明とはなっていない。統計とかの根拠がない。どういう方法で「全体的に見」て「ここ足りないなあ」という結論に至ったのか、つまり統計を取った結果の「ここ足りないなあ」なのか。統計を取らずに、別の何らかの方法で「全体的に見」て「ここ足りないなあ」の結論なのかの説明があって、初めて合理的と言える。)
西村「えー、まあ、今のが明快な説明なのですか。とてもそうは思えない。聞いている方々もですね、それで納得だと、いうふうに思われる方は極めて少ないのではないかと思いますけれども、保育所でしたらね、3歳から5歳までではなくて、未満児、3歳未満児だって、通園をしておりますよね。えー、なぜ0歳から2歳まで対象に含まなかったのか、また、幼児教育は、幼児教育期に於ける、ま、公的助成が少ないんだと、午前中の委員の質疑の中でありましたけれども、うーん、これとて見れば、あー、実際に日本が公教育に於いて、えー、支出している公的な部分が非常に少ない。
全体的にこれは日本が、子育てに対して、かけるおカネというのは少ないわけですから、なぜそこだけを対象にしてやったのか、と言うのは、明確な説明はなかったと、いうふうと思います。えー、なぜ0歳から2歳、そして小学校就学期などは含まれなかったのですか?」
桝添「私は今まさにその歳の子どもを子育て中、孫ではない、私の子どもです。子育て中でありまして、えー、上の女の子は小学校3年生です。で、下は、要するに幼稚園の年長さんです。あ、だから、ずっと赤ちゃんときから育ててきた。やはりね、ウチの場合、幼稚園ですけれどもね、3歳、4歳、5歳、つまり、年小さん、年中さん、年長さんと、くるんです。
ここはね、本当に補助も何もないんですよ。滅茶苦茶おカネがかかりますよ。赤ん坊のときは抱いて行ったりできる。そして、結局ね、幼稚園誰か送るんだと、滅茶苦茶おカネがかかりますよ。これはそれぞれの家庭の選択にありますけれども、私の子育て体験から言っても、3歳から5歳までの期間と言うのは非常に総体的に大変だと、いうことも改めて付け加えておきたいと思います」
(高額所得者に入る国会議員の子供を通わせている幼稚園である。お金持の子弟を受け入れている高額幼稚園かどうかで、カネのかかりが違ってくる。先ずはそこを問題とすべきだが、そのことには触れずに幼稚園に通わせて得た自らの子育て体験を一般的な生活を送っている大多数の国民の体験につなげて、説明可能としている。当然、桝添が)「滅茶苦茶おカネがかか」負担感と一般生活者の負担感は比較できないはずだが、イコールに扱っているのは麻生と同じく、一般生活者の暮らしぶりを真に理解していないからだろう。「国民、国民」の言葉は口先だけで言っているに過ぎないと言うことである。)
西村「それはですね、後で厚生省にきちんと調査を出していただきたいと思います。0歳から2歳までかける保育費、ないし教育費と、それから3歳から5歳にまでかかる教育費、まあ、保育費ですね。どちらでもいいですけれども、それがどのくらいの比較になっているのか、私は決して3歳から5歳だけが0歳から2歳に比べて重たい、などということはないと思っています。その辺は、実態を是非調査をしていただきたい、要求をしておきます。
えー、また、今回、3万6千円、3歳から5歳についてでありますけれども、えー、所得制限を課さないと、いうふうになっているわけですね。えー、今ほどの答弁で、明らかになったように、なぜ3歳から5歳なのか、なぜ、3万6千円なのか、なぜ1回限りか、ということは明確な答弁はなかったと思います。ので、この補正予算の中で、この子育て応援特別手当、ということを実施する緊急性と言うのは、一体どこにあったのだろうか。
まあ、すべてのお子さんに対して、やるということでありますから、まあ、中にはですね、年収200万の親御さんもいらっしゃるでしょうし、年収2千万とか、2億とか、という方もいらっしゃると思うんですね。全員にこの手当てを給付する、ということの緊急性、補正予算ですから、緊急性はどこにあったのでしょうか?」
(麻生は定額給付金に関して当初、「1億円あっても、さもしく1万2千円欲しいと、言う人もいるかもしれない。そりゃあ、その人の、――、哲学・矜持、考え方の問題なんだから・・・・・」と言っていたが、「生活給付という部分の、部分が、かなり減ってきている。比重はむしろ、消費刺激という比重が、高くなってきている。生活給付という部分が非常に大きいときは、私のような者が頂戴するのは、如何にもさもしいではないかと、いう気持があったのは正直なところです。消費刺激というんであれば、私もそれを何らかの形で地元で消費に当てる――」と言い換えたが、消費刺激策でないなら、高額所得者が貰うのはさもしいとするのかと麻生に問うべきだった。)
与謝野「えー、所得制限をかけるかどうかというのは、当然議論を致しましたが、恐らく3歳から5歳のお子さんを持っている方というのは、桝添さんみたいな例外的な方は除いて(鳩山邦夫や甘利が大笑いしていた。)、概ね20代から、30代ぐらいではないかと。その方々は、そんなに高い所得の方はおられないはずなんで、えー、所得制限をかけるという実質的な意義はない、こういうことで、所得制限をかけませんでした」
(必然性からではなく、「恐らく」と推測で政治を行っている。また20代、30代でも、親の財産の保護を受けて高額生活費を確保している者も相当いるだろし、有名大学を出て、大企業に既に就職し、相当の給与を得ている若者はその収入からの子育てにかける投資額は一般生活者と当然違いが生じる。さらに社会的な晩婚化傾向も加味しなければならないはずだが、こういったことを一切無視できる短絡性は素晴らしい。)
西村「これは、あの、補正予算の財政規律、という点からしても、極めて問題だと思うんですね。補正予算財政法上は緊急性のあるものにつけると、編成すると、いうことになっております。
まあ、あの、今の経済状況が大変だということは私も認識を共有して、おりますけれども、とかくこの点についてはですね、先程来こちらの方から(背後を方を振返って)民主党は全員にバラ撒くんじゃないのか、というふうな言葉が出ていますが、全く理念は政府の言っている子育て応援特別手当とは異なります。後でちゃんと説明をしますけれども、私はですね、今回のこの子育て応援特別手当というのは、やはり補正予算の中に盛り込むのは極めて無理筋なものではなかったかと、いうふうに思うんですね。えー、まあ、厚労大臣と、財務大臣にずっとお伺いしておりましたんで、ちょっと、少子化担当大臣お伺いをいたしたいと思います。
えー、やはり、今回の手当、はですね、理念がなかなか明らかにならない、明らかになっていない、ことですので、えー、選挙向けのバラ撒きではないかと、いうふうにいわれているんです。えー、それは本当に由々しき問題だと、思っておりますけれども、少子化担当大臣として、子育て応援特別手当、ほんとーに、これでいいんでしょうか。1回限りの3歳から5歳までの、3・6万円。これでいいんですか?」
小渕少子化担当大臣「えー、お答えいたします。少子化対策を考える上で、やはり経済的な負担を軽減していくということは、やはり大事な対策の一つであると、思います。えー、その面で、この幼稚園や保育園に通う、えー、ご家庭のご負担を軽減するということから、あのー、一定の、成果、一定の効果があると思っております。今回の補正予算について、是非とも全体を見ていただきたいのですけれども、子育て支援に関しては、この子育て応援特別手当だけではなく、困難を抱えた家庭ですとか、あるいは地域の様々な子育て支援に対する支援ですとか、勿論、保育サービスの拡充ですとか、かなり総合的にやっております。あの、子育て支援というのは、経済的な支援だけではなく、やはり総合的にやっていくことが大切ではないかと思っています。ただ1回限り、これで十分かといわれれば、十分ではない部分も確かにあると思います。
子供については、やはり将来の投資と言うことで、えー、中期プログラムの見直しなどのも含めながら、抜本的な、あの、少子化対策と言うものを考えていかなければならないと思っておりますが、(最後は緊張のせいか、声が震えて、聞き取れない。)」
西村「えー、まあ、十分ではない部分もあると、非常に、あのー、正直な、あのー、後答弁をいただいたと思います(こっちのオバサンは落ち着きに落ち着いている)。えー、そして、この、子育て応援特別手当ですが、これまた、あの、給付する作業がスタート、この補正がどうなるか分かりませんけれども、えー、スタートするというときには、またこれ、実際に、給付の作業をお任せすることになるのでしょうか。財務大臣に確認します。いやごめんなさい、総務大臣に確認します」
鳩山総務大臣「あの、同じように自治体を通してという形になると思います」
(「と思います」とは定額給付金と同じように給付方法を決定しないうちに給付だけを決めることになる。最後の手続きまでしっかりと詰めてから政策決定するのが政治だと思うのだが、自民党政治はそうはなっていないらしい。)
西村「えー、総務大臣、あのー、覚えておられると思いますが、私が総務委員会で、えー、鳩山大臣と定額給付金のドメスティック・バイオレンス被害者の給付について、質問をしたことがありました。ええー、ドメスティック・バイオレンスというのは、配偶者や恋人による身体的、まあ、または精神的な暴力や暴言を吐くと、こういうものでありますけれども、この件数はですね、まあ、DV被害防止法の改正もあって、被害件数がどんどん増えてきております。で、もう、これ、大変悲惨なケースも多くて、えー、夫の暴力によって、本当に着の身着のまま子どもと一緒に逃げてきた。で、えー、住民票を移せば、そこで新しい自治体で、住民サービスが色々受けられるんだけれども、うーん、なかなかそれができないというケースが、あり、やはり追いかけられてくるのが恐いとか、えー、また、住民票が実際には総務省から色々な通知もあって、えー、加害者である男性には渡らないようにという、まあ、手筈にはなっているんですけれども、そこでちょっとミスがあって、渡ってしまったりということもありました。で、現住所で給付されないということで、そうすると逃げてしまったDV被害者や子どもさんの分の定額給付金は、その世帯のところに入るんですね。
私はそのことを大変懸念いたしました。この問題が起きてしまうのではないか。法的にも問題になってくるんではないのかと、思っておりましたら、案の定、えー、このDV被害者の給付金が世帯主のところに振込まれるのを差止めてくれと、差し止め請求が出されております。
えー、また、この、失礼。えー、失礼しました。まあ、というような問題が起きてきておりますけれども、今回の子育て応援特別手当を、その給付事務を自治体に任せる、ということになると、これはまた定額給付金と同じ問題が起きるんではないかというふうに懸念を致しますけれども、その点についてどうお考えでしょうか。また、おんなじことが起きるかもしれないと分かっているのに、えー、これを、自治体に給付事務を任せようということになるのでしょうか」
鳩山「あの、私はですね、今の3歳、4歳、5歳の3万6千円の件については、あのー自治体を通してお配りするということで、ま、それ以外の配り方がま、ないから、そういうやり方をするのだと思って、DVの被害者の方ですね、あの、定額給付金の件については、西村委員と随分やりとりしまして、実際にあのー、そっちの話いいですか、そっちの話し必要ないんですか?(と西村委員に尋ねる。「いいです、いいです」と西村委員)あの、仮処分命令の申し立てが6人、6件あったんですね。で、これまで新人がちょっとやっているいる程度ですから、結論が出るのは時間がかかるかもしれませんが、まあ、この結果が出れば、法治国家ですから、仮処分の結果については従わなければなりません。
ただ、定額給付金は世帯主に配るということで、やって参りましたから、従ってDV被害者が支援阻止でちゃんと住所を移しておいてくれればいいんですが、そうでない方々も大勢おられるのも分かっておりますんで、DV被害者に対して独自に給付することを決めた都市がですね、全部287団体あるわけでありまして、これは指示はできませんけども、技術的助言はできますので、(丸投げに少しは無責任を感じたのか、軽く鼻で自虐的に笑う。)まあ、こうした団体が増えていくことを期待しておりますし、その場合に今度1兆円、その補正予算に入っております。え、いわゆる地域活性化、経済危機克服のための1兆円を使っていただこうと思っております」
(「それ以外の配り方がま、ないから、そういうやり方をするのだと思って」は、まさに官僚任せなのを自ら暴露する発言であろう。
また、定額給付金の支給や子育て特別応援手当て支給事務で面倒をかけるから、「地域活性化、経済危機克服のための1兆円を使っていただこう」という見返り発想はおかしいではないか。給付事務にかか経費は国持なのだろうから、すべてを事務的に行うべきである。)
国会質疑からも見て取れる麻生のこの軽さ・軽薄さに耐えられるか(3)に続く
09年5月7日、衆議院予算委員会、民主党・無所属クラブ西村智奈美
西村「この基金もですね、非常に使い勝手が、あの、よくないし、えー、締切り時間が来てしまっていたと、いうこともありましたので、それはやはり、同じことを繰返すことになるのじゃないかと、私は懸念をしております。実際に、あのー、ある団体の中では、えー、DV被害者に対して、定額給付金を支給するというところも出ているようでもありますので、是非、これはあの、こういった、実際に出てきているということも含めて、今からでも遅くはありません。手続き等については、考え直していただきたいと思います。
そしてもう一回、この子育て応援特別手当について伺いたいと思いますけれども、問題は、年齢も額もありますけれども、一番の問題は、1回限りだということだと思うんです。子育ては1年では終わりません。政府与党の都合に合わせて、子育ては1年で終わりません。えー、これから先もずうっと続いていくと、恒常的な仕組みだということがあって、初めて子育てに於いて安心感が生まれるのではないか。
そういう点からすると、1回こっきりと言うのは全くナンセンス、だと思います。えー、この仕組みは恒常的にやるというのであれば、私も、それは、いいなあ、というふうに思います。けれども、なぜ1回だけなんですか。えー、1回限りで本当に子育て支援になるんでしょうか。財務大臣」
与謝野「えー、毎年出すんなら、賛成する。1回限りだと、反対すると、この理屈もなかなか難しい、だと私は思います。えー、財源が豊富であれば、えー、毎年やってもいいわけですが、苦しいお台所の中から、まあ、せめてものことをやろうと、そういう発想であるということもご理解をいただければと思います」
西村「えー、これはですね、最初与党の中に、この子育て応援特別手当、は3年以内という話も聞こえてきていたんですね。それが、取りあえず1回になったということなんですけども、そしたら、来年も続けるんだと、どなたか明言して下さるんですか?じゃあ、野次らないでください。
えー、3年以内で行うとかいうことで、与党の中からも出てきていた。ところが決まったときには、その説明には、この子育て応援特別支援では、臨時異例の措置だと、わざわざ明記しているんです。臨時異例の措置ということは、これはじゃあ、もう、来年からはやらないということに政府は宣言しているに等しいと思います。定額給付金に次ぐバラ撒き政策ではありませんか。」
与謝野「えー、バラ撒きの批判は当たらないと思います。えー、臨時異例と書いたのは私自身でございまして、えー、来年これが続けられるようなえー、財源が、えー、別に当てがあるわけではありませんので、やはりそういう不評部分に関しては、1年限りであるならば、これは認めてもいいだろうと、そういうことで政府与党で合意した、というのが本当のことでございます」
西村「まあ、1回限りのこのバラ撒き子育て応援特別手当をやって、えー、そして、その将来世代にまた、あー、今回の補正で44兆円ですか、国債が発行される。その付け回しがいくということでございます。私たちは、えー、政府のこうした1回限りの政策、安心感を全く生み出さない政策とは、180度方向性が異なっていまして、私たちが主張している子供手当と言うのは、これはもう恒常的な政策で会います。30――、年間31万円の子ども手当を支給をすると。この財源については、どうなっているんだと(後ろを振り向いて)、またあちらの方から声が飛んでますけれども、えー、財務大臣、それはですね、財務大臣がやれば、それは財源がどうなんだっていうふうには聞かない。野党がこういう提案をしたときにだけ、なぜか知らないけれども、この自民党の側からですね、財源はどうなんだというふうに集中砲火を浴びせるわけなんです。
ですけれども、私たちは、この財源手当ということについては、きちんとやるとマニフェストに書きますから、マニフェストに書いて、予算の組替をしっかりと行う。これは恐らく政府与党にはできないことだと思います。天下りも容認する、特別法人特別会計の改革は中途半端、12・6兆円の、その天下り団体に対する随契や交付金、そういったものにしっかりとメスを入れていく、ことによって、予算の組替えを行うと、いうことを明確に主張しているわけであります。
で、さて、この子育て応援特別手当の他に、えー、実は色々、今回政府の子育て支援いついては時限つきのものが多い。まあ、2年間とか3年で終わるものがとても多いわけですね。妊産婦の検診費用ですとか、また出産育児一時金の積み上げ、これもですね、3年経ったら、減っちゃうんです。
(与謝野等、政府側は財源がないと言い、対して西村はムダ遣いの削減で浮かしたカネを原資に「予算の組替」によって財源をつくり出すといっている。
年齢によって受給資格に変更が生じるのは社会状況に応じて就職面・生活面でジョウカーを引くのと同じであろう。不況期にたまたま学校を卒業し、就職で割を食い、満足な就職口に恵まれない。あるいは長い期間失業を余儀なくされる。好・不景気で差別を受ける。それと同じ。政府の手当・補助金が発効している間の支給対象年齢にたまたま遭遇した者は利益を受けるが、失効後に支給対象年齢に達した者は利益とは無縁を強いられる。その差別。
年齢や時代で社会から受ける利益に違いが出る、差別を受ける。この不平等性により多くの目を向けるべきではないだろうか。なるべく等しくあるべきだと思うが。)
西村「えー、こうしたことではとても安心して子どもを産み育てようとうことに、なかなか安心感は生まれてもこないだろうと、いうふうに思います。時間がなくなって参りましたのでちょっと途中質問を端折りまして、えー、一人親世帯についての、一人親世帯に対する支援制度について、伺いたいと思います。
えーと、資料でお配りしておりますが、えー、我が国のですね、子どものいる世帯の貧困率は極めて高いものがあります。えー、OECDのデータ。まあ、よく引き合いに出されるものですけれども、私は今回は児童のいる、子どものいる世帯で、働いている一人親、働いていない一人親のデータが分かるものを持って参りました。えーと、これは、委員の皆さんのお手元にしかないんですが、えー、左側にではですね、2000年後の子どものいる世帯の相対的な貧困率が書いてあります。で、それによりますと、働いている一人親というところをご覧ください。
働いている一人親の貧困率はえー、相対的貧困率は、まあ、6割をちょっと切るという数字になっております。トルコが1位です。この年は。1位と言うのは不名誉な1位であるわけでありますけれども、えーと、6割を超えていた。ところがこれが経年変化いたしまして、左側が2000年のデータ、右側が2000年代中盤のデータ。ご覧いただきますと、えーと、日本が有業の一人親で、一番相対的貧困率の高い国、ということになっております。
さて、そこで、えーと、私は母子世帯についてはやはり経済支援と就労支援、まあ、これがセットで行われなければならないというふうにずっと考えておりまして、えー、生活保護母子家庭の母子加算の削減や、児童扶養手当の削減には反対をしておりました。えー、この生活保護の母子加算についてではありますけれども、まあ、これは恐らく、骨太方針の2003年とか、骨太方針の2006、この辺りで社会保障関係費を、えー、5年間で1・1兆円削れと、削りましたと、いう、そういう方向性が示されたことの影響であろうと思います。えー、また、えー、この、三位一体改革、によって、児童扶養手当のですね、国庫負担率が引き下げられて、自治体により重い負担がいくようになってしまったから、ということも色々あったりしましてですね、えー、特に生活保護の母子加算がありますが、これはもう物凄い・・・削減をされて、平成17年から段階的に減らされてきて、えー、今年の4月に全廃されてしまったんです。
さて、厚労大臣にお伺いいたしますが、この生活保護日の母子加算の廃止によって、総額いくらの削減になっているのでしょうか」
桝添「えー、生活保護の母子加算につきましては、平成17年度から3年間かけて、先ず16歳から18歳の児童にかかる母子加算を段階的に廃止したところでありまして、その総額は約20億円となっております。
また、15歳以下の児童にかかる母子加算につきましては、平成19年度より3年間かけて廃止することとしておりまして、その額は3年間で約180億円と見込んでおります。ただ、あの、様々な就労支援プログラムやら何かで、プラスしている部分もあると、付け加えておきたいと思います」
西村「えー、合計で約200億円の削減ということですね。で、えーと、これはですね、私は、私は、うーん、非常に問題ではないかと思っております。何が問題かといえば、えー、生活保護――の、母子加算が削減されたことなどもあって、された母子家庭の、あるいは一人親と言ってもよろしいでしょう、一人親、特に母子の方ですけれども、えー、親の自立がさらに遅れている、ということになっているのではないか、ということであります。私はその、母子加算の200兆円、いや、失礼、200億円、えー、これは、今回の、政府の補正予算の約14兆円の、バラ撒きに対して、非常に額は小さいと、いうふうに考えました。母子加算のお母さん、大変なな状況だということ、桝添大臣、ご存知ですよねー。
えー、委員会の中でも、何度も質疑をしておられますので、この状況については十分ご存知だと思います。14兆円の今回の補正予算のバラ撒きをやるくらいだったら、200億円の母子加算の復活はどうしてできなかったんですか?」
桝添「なぜ、この母子加算について、えー、削減ないし廃止という手を取ったかということは、一番大事なのは、就労支援、お母さんが一人親であっても、一生懸命仕事をしている、子供を養育している。そういう状況をつくり出す。
ですから、お母さんが例えば、看護士さんになりたい。そういったときにきちんとそれは手当をし、しております。それから、就学手当。つまり、高校生になるよと、子どもが。じゃあ、そこに入る、学校に入る手当、しようということでありますから。
就職の支援をやる。それから生活の支援をやる。それから養育費確保の支援をやる。それから経済的な支援をやる。この4本柱で、我々のこの一人親家庭への支援も決めています。
ですから、私はそういう理想はいいと、思います。ですから、母子加算について、なぜ厳しい言っているかって言ったら、働く能力がありながら、働こうとしないような方はダメですよ、と。働く能力がなくてですよ、それは病気とか、それはそういう事情の方は、きちんとそれは生活を送れて、やりますよと。ただ、そうじゃない方に対して、どういうインセンティブを与えて、働いて自立してもらうか、この理想の追求もしないといけない。
そいう中での政策であって、本当に困った方々にはそれは様々な手でですね、きめ細かいご支援を自治体を含めて、我々もやっていく、ということでございます」
与謝野「えー、補正予算全体をバラ撒きであると感じられるので、僭越でないかと思っております。なお、一人親家庭の支援については、念のためでございますが、民主党の経済対策には盛り込まれておりません」
(民主党の西村議員が何かと言うと「バラ撒き、バラ撒き」と言うから、腹に据えかねたのだろう。西村議員、「僭越」と言われようと、何と言われようと、どこ吹く風である。野党議員全員で、麻生の経済対策すべてに「バラ撒き」という形容詞をつけたら、面白いことになる。「バラ撒き3段ロケット」とか、「バラ撒き4段ロケット」とか。「バラ撒き定額給付金」・・・・)
西村「えーと、先程桝添大臣は、その就労支援もしっかりやっているとおっしゃいました。けれども、えー、この就労支援もですね、あの、ほんの4億円程度、なんですね。母子加算が200億円削減されているのには全く足りません。
また母子家庭の、例えばお母さんが働いてもらえるようにと、それは私もですね、あの、労働に付随して得られる賃金で生活すると言うのは基本的な形だろうと思いますが、けれども、しかし、日本のお母――、母子家庭のお母さんはですね、すでに85%が働いております。日本で、なぜこの就労支援ということが言われてきたのか。私はやはりアメリカ型の、ですね、ワークフェア、働く、・・・働かなければ、一定の補助を受けられないと、そういう考え方が入ってきたことが一つの原因であろうというふうに思いますし、また働いている85%のお母さん方、どういう働き方をしておられるか、桝添大臣もご存知でしょう、約半分がパートや臨時ですよ。それ、こういう雇用環境の中で、ますます厳しくなっていく。そういうパートや臨時などという働き方を、余儀なくされている中で、行ったら働け、働けというふうに言われても、それはなかなかうまくいかない。
やはり男女観の賃金格差、と言うものもなくしていかないとなりませんし、また保育所のサービスなどもきちんとしていかなければならないと思います。
そういったことを総合的に含めて、この母子家庭への支援というものは考えているわけでございまして、先程財務大臣は民主党の中にはそういった案は含まれていないというふうに言われましたけども、私たちは今回の補正には入っていないかもしれませんけれども、総合的にそういうパッケージとして母子家庭の母、を支援していくと、そういうことをきちんと考えております。
最後にもう一回、お伺いしますけれども、えー、この200億円の母子加算の復活、これは本当にもう、毎日毎日ダブルジョブをして、えー、精神的にも肉体的にも、ええ、困難な状況にあって、子どもと向き合う時間jもないという悩みを抱えている方々には本当に復活すべきものだと思いますけれども、もう一回、あの、総理、お答えいただきませんか」
(桝添が立ち上がったものだから、民主党席からだろう、「総理、総理」の野次。)
桝添「生活保護に於ける母子加算をなぜ考え直したかというと、そうじゃない、生活保護を貰っていない母子よりも、状況がよくなっている収入状況。そういうことで、やはり未だにね、相当、私、福祉政策頑張ってやってますけども、片一方では生活保護を受けないで一生懸命母子働いて、税金を払っている。方々がおるわけであります。こういう方々に対する声が聞こえるんです。
ですから、そういう声にも、あの、あの耳を傾けて、先ほど菅さんにも申し上げましたように、バランスの取れた決めの細かい総合的な政策をやっていきたいと思っております」
麻生「今桝添大臣から答弁がありましたように、あの色々地域性もあり、ありますし、また周りであんた、あんたということも、私ども生活保護世帯率が高い筑豊っていうところが私の選挙区ですから、今言われるところは私、新潟より(西村智奈美の選挙区)現場というのはかなり身近にある所におりますんで、今言われましたように働くということをある程度きちんと働いている方からの不満というものも、一部確かでありますんで、その点も考えて、考えていただければと思っております。
もう一点だけ、修正させていただきます。先程あの、二人、子どもを産んだんで、義務は果たしたって話をちょっと申し上げた、ちょっと申し上げましたけれども、これは正直産みたいと思っても、産めない、もしくは色々なことがあって、何?、身体に、肉体的な理由があって、産めない、色んな理由があろうと思いますが、義務という言葉は不適切だったんで、撤回致します」
(もう少し話の趣旨がはっきりと分かるように話してもらいたい。ないものねだりか。)
西村「生活保護を受けないでいるお母さんがいるから、母子加算を復活しないという、この根拠づけはまったく的外れだということを最後に申し上げて、質問を終わります」
(誰かに不適切な発言と注意されたから、訂正したのだろう。「産めない」原因を挙げるのに、「何?」と言葉を即座に思い出して口にすることができなかったことが証拠の一つ。産めない女性の事情を思い出した反省でもあるなら、その事情に言葉が詰まることはないはずだからだ。
次に、総理代人が国民に過ったメッセージを発したのである、罪薄めすべき過ちではないにも関わらず、「ちょっと」という言葉を2度も使って、自分から罪薄めを行っている。「ちょっと」とすること自体が、人間が軽い・軽薄に出来上がっているからだろう。
さらに謝罪言葉にしても、「義務という言葉は不適切だったんで」とぞんざいな言い方となっているが、口先だけの謝罪、自分から気づいた心からの謝罪でないことの証拠となるだろう。せめて「不適切でしたので」と言うべきだった。その場にいなかった者に説明する言葉ならまだしも、不適切発言を向けた当の相手に使う謝罪としては失礼な言葉遣いであろう。
筑豊では母子加算を廃止してから、働いていなかった保護世帯の母親の何%が就労して自立したか、聞くべきだった。働く意欲がそのまま就労につながり、その就労によって満たされることになったのか。「働いている85%のお母さん方、どういう働き方をしておられるか、桝添大臣もご存知でしょう、約半分がパートや臨時ですよ」という実態からしたら、満足のいく就労は少ないに違いない。不満足な形の就労で我慢している母親がどのくらいいるのだろうか。
満足のいく就労が満足のいく子育てにつながっていく。二重の不満足に強いられている一人親家庭が多いように思える。権威主義社会の日本。学歴が上である程、それも新卒である程、大切に扱われる。幼い子どもを抱えている若い母親の能力を十二分に理解する会社がどれくらいあるのだろうか。
結果として、西村が言うような「約半分がパートや臨時ですよ」ということになる。悪循環であろう。これが現実の姿。保育所、幼稚園の朝晩の送り迎え等に時間を取られて、満足に8時間働けない母親を日本の社会は阻害することは知っている。
麻生みたいな軽い・軽薄な人間が日本の総理大臣に居座っている。国民はこれ以上の自民党政治にもはや耐えるべきではないのではないのか。自民党政治に耐えるとしたなら、麻生の軽さ・軽薄さに今後とも数年間は耐えなければならなくなる。)