民主党の枝野幸男幹事長代理が昨10月2日、さいたま市で講演、尖閣沖での中国漁船衝突事件についてご高説を宣(のたま)わったそうだ。《民主・枝野氏「中国事業、リスク含め自己責任で」》(日本経済新聞電子版/2010/10/2 19:13)
対中国観――
枝野「中国との戦略的互恵関係は、外交的な美辞麗句だ。中国は悪しき隣人でも隣人は隣人だが、日本と政治体制が違う」
枝野「政治的システムや、法治主義、人権に対する考え方を見ると、日本と米国のような同盟関係を中国との間で期待することは間違っている。法治主義が通らない国だという大前提でお付き合いしないといけない」
枝野「中国に進出する企業、取引をする企業はカントリーリスクを含め自己責任でやってもらわないと困る」
ではなぜフジタ日本人社員4人拘束事件で外務省や駐中(チュウチュウとは言いにくい。一般的には中国駐在と言っているのだろうか)日本大使等を通じて逮捕理由の説明や早期釈放、面会等を求めたのだろうか。「自己責任でやって」くれと突き放すを政府の原則とする言っていながら。
また、国・政府が「国民の生命・財産を守る」は日本国内活動の日本国民を限定とし、外国活動の日本国民は除外することを原則とすることになる。民主党政権は今度から、「国民の生命・財産を守る」と言うとき、「日本国内活動の日本人に限りますよ。外国に進出して外国で活動する日本国民の生命・財産までは守れませんから、自己責任でやってもらわないと困る」と言うべきだろう。特に枝野には先頭に立って大声で言ってもらわないと困る。
枝野「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけないし、顔を見たら挨拶ぐらいはしないといけない。・・・・日本と同じ方向を向いたパートナーとなり得るモンゴルやベトナムとの関係をより強めるべきだ」
「日本と政治体制が違う」とは分かりきったことを言っている。共産党一党独裁体制を取り、中国国民の基本的人権、特に共産党批判・政権批判の言論に対しては言論の自由を認めず、出版禁止、身柄収監等の厳しい統制を行い、対外的にはスーダンの民族紛争や人権抑圧に対する制裁決議案にしても、2001年のミャンマーの政治弾圧や人権侵害に対する非難決議案にも中国は西欧民主国家の人権意識に反して拒否権を発動しているし、2007年9月の仏教僧を中心とした大規模な反政府デモに対するミャンマー軍を動員した暴力的弾圧を非難する西欧諸国に対して中国は内政干渉を理由に安保理では拒否権発動を見せ、決議案から強制力を伴わない議長声明案に後退させることを余儀なくさせた上、文言を「 非難」から「強い遺憾」に和らげる内容で採択するに至っているし、北朝鮮の2006年と2009年の核実験に対しては制裁決議を採択できたものの、2010年7月10日の北朝鮮による韓国哨戒艇魚雷攻撃による沈没事件では日本が韓国と共に望んだ法的拘束力を持った安保理決議による北朝鮮制裁に関しても中国は同様の当該国擁護の態度を取り、法的拘束力を持たない議長声明案で結末を迎えている。
こういった一連の中国の態度を見ていて、中国という国は「法治主義が通らない国」だと日本は十二分に承知していたはずである。だが、そういった「法治主義が通らない国」である中国と付き合ってきた。2004年に日本の対中貿易総額は対米総額を抜き、最大の貿易相手国となっているし、2009年には対中輸出総額が対米を抜き、中国は日本にとっての輸出入共に最大の貿易相手国となっている。経済的関係に於いては「法治主義が通らない国」、「悪しき隣人」中国とこれ程までに深い付き合いを持ってきた。
その理由は中国なくして日本の経済は成り立たない場所に立たされているからであり、この事実に尽きるはずである。リーマンショックに端を発した「100年に一度の金融危機」からの回復の足がかりにしても中国のお陰があった。
勿論中国も日本を経済的に必要な存在としている相互関係にあるが、経済的利害が「法治主義が通らない国」、「悪しき隣人」であっても、そのような非共通の価値観を無視、「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけない」背に腹は代えられない態度を日本に取らせている。
いわば「法治主義が通らない国」とか、「悪しき隣人」だとか、「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけない」だとか、「中国との戦略的互恵関係は、外交的な美辞麗句だ」とか、「日本と米国のような同盟関係を中国との間で期待することは間違っている」とか、偉そうなことを言える立場にはないということである。
社長がいくら気に入らない人間であっても、退職して他の会社に勤める甲斐性もないままに給料を得て、それで生活をしているなら、我慢してその会社にしがみついていなければならない。
今回の中国漁船の巡視船衝突事件が発端の中国の対日圧力は「尖閣諸島は我が国固有の領土」だということを具体的、実質的に示す行動をしてこなかったことがそもそもの原因となっているはずだ。漁船に領海侵犯を受けても、常に曖昧な態度に終始してきた。領海侵犯漁船に対して、「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」(鈴木久泰海上保安庁長官)とすることを“我が国固有の領土”活動としてきた。
政府の下位行政機関である海上保安庁が単独で“我が国固有の領土”活動に反する職務を遂行できるわけがないから、政府がこのことを方針としていて、この方針を受けた海上保安庁の「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした“我が国固有の領土”活動であったはずだ。
中国と台湾が領有権を主張し出したのは、「Wikipedia」によると、1971年に地下資源埋蔵の可能性が確認されてからだということだが、それからほぼ30年経過している。30年前から、「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を厳格に示威する“我が国固有の領土”活動を行い、“我が国固有の領土”であることの既成事実を厳格に積み上げてきたなら、今回の事態はなかったはずである。
その理由は、1971年は台湾が国連から追放され、中国が代って国連に加盟した年であり、ニクソンが中国訪問を予告して、実際に中国を訪問した1972年の前年に当たり、まだ毛沢東の時代だった。軍事的にも政治的にも経済的にも強国の地位を占めていなかった中国であり、少なくとも中国以上に日本が経済的、軍事的には強国の地位を占めていたはずだからだ。
その当時は厳格な“我が国固有の領土”活動を示威していたと言うなら、そのような示威活動を固守せずに、いつ頃から「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした当たり障りのない“我が国固有の領土”活動となったのだろうか。
いつ頃から満足な“我が国固有の領土”活動もできない程に日本の政治は無能状態に陥ったのだろうか。
いわば「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした当たり障りのない“我が国固有の領土”活動イコール日本の政治の無能が中国に今回のような付け入る隙を与えたとも言える。
民主党が政権交代するまで戦後ほぼ一貫して自民党が政権を担ってきた。「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした“我が国固有の領土”活動イコール日本の政治の無能が自民党政権が打ち立てた情けない有様であったとしても、政権交代した民主党政権にしてもそれを改めもせずに引き継いだ政治の無能が問われることとなり、その責任から免れることはできないはずである。
自民党政権、民主党政権に共々にある政治の無能であり、共同責任でありながら、その責任意識がないばかりか、中国なくして日本の経済が成り立たない日本の現実を無視して、枝野は「法治主義が通らない国」、「悪しき隣人」、「隣の国同士、どんなに大嫌いでも、仲が悪くても付き合わなくてはいけない」、「中国との戦略的互恵関係は、外交的な美辞麗句だ」、「日本と米国のような同盟関係を中国との間で期待することは間違っている」と前々から分かっている事実でしかない中国像を並べ立てて中国を悪しざまに非難するだけで済ましている。
この一点に於いて、“我が国固有の領土”活動を満足にしてこなかった日本の政治の無能の責任を中国に転嫁する枝野の責任逃れと言わざるを得ない。
菅首相が昨10月1日午後、臨時国会衆参両院で所信表明演説を行った。先ず冒頭発言の「はじめに」――
菅首相「国民の皆さん、国会議員の皆さん、菅直人です。6月に政権を担って4か月、9月に民主党の代表に再選され、党と内閣の改造を行い、政権を本格稼働させる段階に入りました。「有言実行内閣」の出発です。何を実行するのか。一言で申せば、これまで先送りしてきた重要政策課題の実行です。経済低迷が20年続き、失業率が増加し、自殺や孤独死が増え、少子高齢化対策が遅れるなど、社会の閉塞感が深まっています。この閉塞感に包まれた日本社会の現状に対して、どの政権に責任があったか問うている段階ではありません。先送りしてきた重要政策課題に今こそ着手し、これを、次の世代に遺さないで解決していかなければなりません。それが、「有言実行」に込めた私の覚悟です。解決すべき重要政策課題は、『経済成長』、『財政健全化』、『社会保障改革』の一体的実現、その前提としての「地域主権改革の推進」、そして、国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』の五つです。本日は、この五つの課題について、私の考えを申し上げます」(首相官邸HPから)
男性的なよく響く声で、言葉自体は明晰、且つ説得力ありげに聞こえる。だが、言っていることに矛盾がある。「有言実行内閣」として、「これまで先送りしてきた重要政策課題」に有言実行の出発点を置くと言っている。
先送りが許される政策と許されない政策があるはずである。「重要政策課題」となれば、当然先送りは許されない。その代表格が景気政策であり、国民に安心を与える生活を保障できるか否かを左右する社会保障政策であり、国民の生命・財産を大局のところで守る安全保障等であろう。
だから、「解決すべき重要政策課題」として、「『経済成長』、『財政健全化』、『社会保障改革』の一体的実現」、「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を掲げた。先送りが許されないにも関わらず、これらを「先送りしてきた重要政策課題」と言っている。
何も言葉尻を捕えて揚げ足取りをしているわけではない。認識の問題である。それぞれの内閣が手を打ってきた。規制改革だ何だと言って制度や法律をいじることは誰でもできる。役に立たない方向にいじったのではいじった意味を成さない。役に立つ方向にいじって、国民生活に、あるいは産業活動に如何に活用し、目に見える果実(=成果)を国民に届けることができるかである。
手を打ってきたにも関わらず、満足な成果を挙げることができず、一部国民の果実とすることはできても、全体的には国民の果実とすることができなかったということであり、そのことが現在の日本の社会の様々な矛盾となって噴き出しているということであるはずである。
当然、どこに原因があったのか、何が原因だったのか、追究して原因を明らかにし、それを以て学習材料、反省材料としてそこに自らの出発点を置かなければ、今ある悪しき制度、悪しき法律を改める改革とか改善とか名をつけた政治は行い得ないはずだ。
不足や矛盾を払拭して満足や統一性を打ち立てる試みが改革、改善という名の政治だからだ。
「先送りしてきた」ことと手を打ったが、満足な成果を挙げることができなかったでは認識に大きな隔たりがあり、「先送りしてきた」と認識した場合、従来の方法の踏襲も可能となるばかりではなく、不足や矛盾を生み出した原因を何も学ばなくても許されることになる。なぜ「先送りしてきた」のかの原因だけ探ればいいことになるからだ。
相変わらず認識能力ゼロ。指導力など生れようがない。当然、「有言実行」など望みようがない。
「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」がこのことを既に証明している。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件でこそ発揮すべき菅首相の認識能力、指導力、「有言実行」が発揮されずに逃げの一手に終始した。今後どう対応しようとも、後手の対応、あるいは後付の対応となるだろう。
「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」の「国民全体」とは失敗したとき、国民全体で取り組んできたのだからとその責任を国民全体に転嫁するための「国民全体」ではないはずだ。
国民自身が政治を直接担うわけではなく、現在は菅内閣が担っているのだから、国民が全体的に何を望んでいるのか、どうすべきと欲しているのか、その意思を読み取って菅首相が先頭に立って内閣として政治・外交に反映させることを言うはずである。よりよく反映させることによって、結果として「国民全体で取り組」んだ政治となり得る。あるいは「国民全体で取り組」んだ外交となり得る。
だが、菅首相は中国漁船衝突事件で「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を既に裏切っている。国民が望まない、あるいは欲しない方向の対応をした。その現れの一端が9月30日に行った産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査であろう。《尖閣漁船衝突「政府対応は不適切」7割、内閣支持率も急落48・5% 本社・FNN合同世論調査》(MSN産経/2010.10.1 11:42)
菅内閣の中国漁船衝突事件に対する一連の対応を70・5%が「不適切」、中国人船長の釈放を77・6%が「不適切」、釈放決定に84・5%が「政府の関与があった」と回答。
国民の意思を読み取ることができず、結果として「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を裏切ったと言うことである。
当然のこと、内閣支持率は下落している。64・2%の前回調査(9月18、19日実施)から15・7ポイント急落の48・5%。
中国漁船衝突事件で国民の意思を読み取る認識能力、国民が望む方向の解決に向けた指導力、それらを実効ある形に持っていく「有言実行」をすべて裏切りながら、まだほとぼりが冷めぬ熱いうちに、所信表明演説で「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を抜けぬけと訴える。その神経たるや見事と言うしかないと菅首相の神経だけを問題にしているわけにはいかない。
「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」の主張が言葉自体は菅首相の男性的な説得力ある声質に助けられて美しく立派に聞こえもするだろうが、実体は空理空論、言葉だけ、見せ掛けに過ぎない主張でしかないということであり、この一事を以って所信表明演説のすべてを推し量ることができる。
認識能力、指導力の程度からして、当然の所信表明演説に対する全体的推量であろう。
例えば中国漁船の衝突事件に絡んで、「尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土であり、領土問題は存在しません」と声を張り上げて勇ましく断言しているが、事件は中国との間で領土問題としての展開を後付けとしたことは紛れもない事実である。尖閣諸島は中国の領土であるとの主張に対して、「尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土である」を対抗措置として展開したことも、領土問題の存在を示している。
もしそうでないと言うなら、「北方四島は歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土である」と言いさえすれば、ロシアとの間に「領土問題は存在しません」と断言することも可能となる。
だが、現実には領土問題として日露の間に横たわっている。ロシアが「北方四島に領土問題は存在しない」と宣言したとしても、日本は黙って引き下がることはしないはずだ。一つの領土を挟んで国同士が領有権に関わる立場を異にする以上、歴史を振り回そうと国際法を振り回そうと、領土問題は存在することになる。「北方四島は歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土である」と言っていれば、何事も無事に済む保証を得るわけではない。解決しなければ、紛争の尾を引くことになる。
次に挙げる例も認識能力不足の証明となり、当然首相のただでさえ持たない指導力に関係し、「有言実行」に影響を与える。
「二 経済成長の実現―経済対策と新成長戦略の推進(成長と雇用による国づくり)」の項目では次の訴えを行っている。
「まず最初の課題は、経済成長です。国内消費を取り巻く状況には、厳しいものがあります。需要が不足する中、供給側がいくらコスト削減に努めても、値下げ競争になるばかりで、ますますデフレが進んでしまいます。これでは景気は回復しません。供給者本位から消費者目線に転換することが必要です。消費も投資も力強さを欠く今、経済の歯車を回すのは雇用です。政府が先頭に立って雇用を増やします。医療・介護・子育てサービス、そして環境分野。需要のある仕事はまだまだあります。これらの分野をターゲットに雇用を増やす。そうすれば、国民全体の雇用不安も、デフレ圧力も軽減されます。消費が刺激され、所得も増えます。その結果、需要が回復し、経済が活性化すれば、さらに雇用が創造されます。失業や不安定な雇用が減り、『新しい公共』の取組なども通じて社会の安定が増せば、誰もが「居場所」と「出番」を実感することができます。こうした成長と雇用に重点を置いた国づくりを、新設した「新成長戦略実現会議」で強力に推進します」――。
「国内消費を取り巻く状況には、厳しいものがあります。需要が不足する中、供給側がいくらコスト削減に努めても、値下げ競争になるばかりで、ますますデフレが進んでしまいます。これでは景気は回復しません。供給者本位から消費者目線に転換することが必要です」と言いながら、「消費も投資も力強さを欠く」からと、相変わらずバカの一つ覚えに「経済の歯車を回すのは雇用です」と、「雇用」を一番に持ってきている。
最初に需要の不足を言っている。そのことが「消費も投資も力強さを欠く」状況を生じせしめているはずである。当然、需要喚起、消費と投資の力強さの回復に重点を置くべきである。特にモノが売れる需要、消費が第一条件となる。モノが売れることによって、投資が促進され、雇用の拡大局面を迎えることができる。
だが、「供給者本位から消費者目線に転換することが必要です」を前提としながら、「経済の歯車を回すのは雇用です」と言って譲らない。この認識能力を問題としなければならない。
雇用を得ていながら、そこからの所得が消費に向かいにくい状況が「経済の歯車を回すのは雇用です」とは限らないことを証明している。
《平均年収 過去最大の下げ幅に》(NHK/10年9月29日 4時12分)
国税庁による民間企業で働いたサラリーマンやパート従業員等の昨年1年間の給与調査である。
平均年収はおよそ406万円、前の年を23万7000円、率にして5.5%下回ったという。これは統計が残っている61年前の昭和24年以来の最大の下げ幅だというから、生半可な下げ幅ではないはずだ。
▽年収200万円以下は約1100万人(全体の24.4%――前年+約32万人)
全体に占めるこの24.4%はここ20年で最も高い割合だそうだ。
▽400万円以下は約2704万人(全体の60%超――前年+約108万人)
▽1000万円超は約175万人(全体の15%――前年-21%)
この1000万円超の所得者は3年前までは増える傾向にあり、格差の広がりが指摘されていたと書いているが、不景気が格差縮小に役立ったのか、前年-21%となったと言いたいが、所得が減少している低所得者には実感できない意味もない格差縮小であろう。
調査結果についての発言を伝えている。
山田久日本総研主席研究員「おととしの金融危機の影響で、ボーナスや残業代が大幅にカットされ、異常な年収減少につながった。2~3年前は低所得者層が増える一方で、高額所得者も増え、2極化が進んでいたが、今回は経済活動全体が落ち込んだため地盤沈下している。今年に入り、時間外労働などが増えたため、今後は、若干、回復すると思われるが、企業の置かれた状況は厳しく、大きく揺り戻しがあるとは考えにくい」
「今年に入り、時間外労働などが増えた」は政府補助による家電のエコポイント制やエコカー補助金等がもたらした恩恵であって、エコカー補助金は9月打ち切りとなり、エコカーの前倒し需要とここのところの円高が外需産業に対して経営の先行き不安を誘っている。
エコポイント対象の家電にしても補助金対象のエコカーにしても、中小所得層には手を出しにくい消費だったはずだ。その上、雇用を得ていても、所得がこのような状況なのだから、一般的には所得が消費に向かいにくい状況にあり、モノが売れなければ、企業の経済活動は活発化しない。活発化しない中には新規雇用も入る。新規雇用どころか、政府の雇用維持の補助があったとしても、逆に現在の雇用を減少させる企業も現れる可能性は否定できない。
民主党は「2009年衆院選民主党マニフェスト」で、「中小企業を支援し、時給1000円(全国平均)の最低賃金を目指します」と謳い上げていた。これも「供給者本位から消費者目線に転換する」政策の一つであるはずだ。
〈○最低賃金引き上げを円滑に実施するため、中小企業への支援を行う。
○「中小企業いじめ防止法」を制定し、大企業による不当な値引きや押しつけ販売、サービスの強要など
不公正な取引を禁止する。
○貸し渋り・貸しはがし対策を講じるとともに、使い勝手の良い「特別信用保証」を復活させる。
○政府系金融機関の中小企業に対する融資について、個人保証を撤廃する。
○自殺の大きな要因ともなっている連帯保証人制度について、廃止を含め、あり方を検討する。
○金融機関に対して地域への寄与度や中小企業に対する融資状況などの公開を義務付ける「地域金融円滑
化法」を制定する。
○公正取引委員会の機能強化・体制充実により公正な市場環境を整備する。
○中小企業の技術開発を促進する制度の導入など総合的な起業支援策を講じることによって、「100万
社起業」を目指す。〉――
だが、今年9月時点での最低賃金の全国平均は730円でしかない。特に低所得層に個人所得の恩恵を与えてこそ、消費が元気づくと思うが、最低賃金「1000円」が現在のところ「有言実行」されていない。個人所得が減少しているこのような状況下でこそ低所得層向けの内需拡大策として思い切って政治主導で行うべき政策ではなかったのではないだろうか。
一時的にはその人件費増加が中小企業の経営を圧迫するとしても、現在実施している各中小企業支援と併せて最低賃金1000円を行っていたなら、その消費が回りまわって中小企業の利益上昇に向かうはずである。
貯蓄に回る懸念があると言うなら、内需拡大策として消費税を一時凍結、5%分をポイントで払い戻すポイント制にして貯蓄に回らないようにすれば、消費拡大につながるのではないかとブログに書いたが、最低賃金を挙げた分、緊急の窮余策としてポイントで支払う仕組みにしてもいいわけである。
いずれにしても、最低賃金1000円は今のところ「有言実行」を裏切っている。
「有言実行内閣」を標榜する限り、一つでも裏切ってはならないはずだが、中国漁船衝突事件でも裏切り、最低賃金でも裏切っていて、先ずは個人消費拡大を策す景気対策を講じて企業活動を活発化させるべきを「経済の歯車を回すのは雇用です」とあるべき姿を裏切っている。
今年7月の参院選前に例え一時的ではあっても、景気を後退させ、雇用どころではない状況をつくり出すと分かっている消費税増税の話を不用意に持ち出す「有言実行」の裏切りを働く前科まで犯している。
そのツケとなった参院選大敗による「ねじれ国会」は「有言実行の」最大の障壁となって「有言実行内閣」に立ちはだかる逆説を皮肉にも生んでいる。
すべては認識能力に関わる事態であり、指導力に関係する事柄であろう。
一事が万事、所信表明演説どおりに「有言実行」できないと見るのが妥当と言える。
菅首相が昨9月30日の衆院予算委員会で次のように答弁している。《首相 捜査への政治介入ない》(NHK/10年9月30日 12時26分)
中国漁船による衝突事件について――
菅首相「中国側の反応は、違法操業などに対する国内法に基づく粛々たる手続きをある意味で認めない姿勢があり、たいへん問題だ。尖閣諸島は、わが国固有の領土であり、これからもきちんとした姿勢で臨んでいく」
公務執行妨害罪で逮捕した中国人船長釈放に於ける政治介入の有無について――
菅首相「検察当局が、事件の性質を総合的に考慮して粛々と判断した。検察がいろいろな状況を勘案することは法律で認められている。外務省から担当者を呼んで聞いた意見も勘案したかもしれないが、検察は、自主的に判断しており、適切だった。政治介入という言葉を捜査への介入があったかどうかという意味で言えば、それは一切ない」――
「検察がいろいろな状況を勘案することは法律で認められている。外務省から担当者を呼んで聞いた意見も勘案したかもしれない」は中国人船長を処分保留のまま釈放することを公表した記者会見で那覇地方検察庁の鈴木亨次席検事が述べた発言を指す。
《中国船船長の釈放決定 送還へ》(NHK/10年9月24日 16時59分)
鈴木亨次席検事「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」
いわばこれは法律で認められた検察独自の判断であり、菅内閣の指示を受けた政治判断ではないということを菅首相は言っている。
だとしても、検察はいくら行政機関の一部であったとしても、地方検察庁に至るまで内閣に席を占める閣僚か、閣僚ではなくても、与野党の政治力ある有力国会議員が国政を担う政治家としての役目上常に留意している(と思うよ)内政から外交問題全般に亘る諸問題に関するそれぞれの政治的判断と同様の政治的判断を国民から負託を受けた身分ではないにも関わらず自らも行い、犯罪捜査と処分に関わる判断にその手の法律に則るだけではなく、必要に応じて自らが行った政治的判断を適用することをも役目の一つとしていることになる。
言ってみれば、国民の負託を受けてはいない検察官は国民から負託を受けた政治家も兼ねていることになる。菅首相の「検察がいろいろな状況を勘案することは法律で認められている」の発言を那覇地方検察庁の鈴木次席検事の発言と併せて厳密に解釈すると、どうしてもそういうことになる。
上記NHK記事は釈放理由に関わる鈴木亨次席検事の次の発言も伝えている。
鈴木亨次席検事「衝突された巡視船の損傷の程度が航行ができなくなるほどではなく、けが人も出ていない。船長は一船員であり、衝突に計画性が認められない」
いわば悪質と認められる公務執行妨害事案ではないと判断したということである。
那覇地方検察庁が中国人船長を処分保留のまま釈放すると記者会見を開いたのは9月24日。4日後の9月28日午前の参院外交防衛委員会で衝突の瞬間のビデオを見たという前原外相は鈴木亨次席検事とは逆のことを発言している。《前原外相「船長逮捕は当然」 再発の場合も逮捕の考え》(asahi.com/2010年9月28日12時51分)
前原外相「漁船が海保の巡視船に体当たりをし、(巡視船が)沈没したかもしれない悪質な事案であり、公務執行妨害での逮捕は当然だ」
その「悪質」性について、海上保安庁が撮影した事件当時のビデオテープの映像に基づいて次のように発言している。
前原外相「明白に中国漁船が舵を切って体当たりをしてきた。故意ではなくてミスで当たってきた場合は、当たる瞬間とか直前とか、当たった後でエンジンを逆回転させて(海上保安庁の巡視船から)離れる措置を取るはずだが、そういった形跡はまったくなかった。・・・・同様の事案が起きればまた日本の国内法に基づいて対応するのは当然だ」
この発言は海上保安庁側からの説明をも含んだ内容となっているはずである。いわば海上保安庁も悪質だと見ていた。
那覇地方検察庁と前原外相の判断に差異というよりも、矛盾がある。一方は悪質でないとし、一方は悪質だとしている。那覇地方検察庁は悪質ではないと見たから、処分保留のまま釈放したのだろう。それが国内法に則った措置であったとしても、検察が政府に属する行政機関の一部であるなら、政府の側で悪質と見た場合、その釈放に疑義を唱え、検察の説明を求める責任を有するはずであるし、判断を曲げさせることは政治的介入となるが、判断を質すことは政治的介入とはならないはずだが、前原外相は「悪質な事案」と言うのみで、何ら行動しない。
前原外相が言っている「同様の事案が起きればまた日本の国内法に基づいて対応するのは当然だ」の「同様の事案」とは、今回と同様の悪質な事案ということであろう。「悪質な事案」だからと逮捕したとしても、今回と同様に処分保留のまま釈放が重なった場合、その悪質性も逮捕も意味を失う。
いや、処分保留のままの釈放は既に事件の悪質性と逮捕の意味を失わせている。そのことを考慮しないままの前原外相の「同様の事案が起きれば」云々は単なる強がりとなる。強がりがふさわしい男かもしれない。強がりではないと言うなら、「検察が決定したことだから口出しはできないが、事件の悪質性から言って処分保留のままの釈放はおかしいではないか」の一言ぐらい言うべきだろう。
だが、「検察が国内法にのっとって対処したということであり、決まったことについてとやかくいうことはない」(《【中国人船長釈放】前原外相「検察判断にとやかくいうことない」》MSN産経/2010.9.25 09:51)と、9月24日訪米先で自らが認識した事件の悪質性を自らいともあっさりと否定している。
実際のところとして海上保安庁もそう見ている前原外相の「悪質な事案」という見方を正しいとするなら、釈放は「衝突された巡視船の損傷の程度が航行ができなくなるほどではなく、けが人も出ていない。船長は一船員であり、衝突に計画性が認められない」からとの理由からではなく、「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」ことが理由となる。
前者の理由は検察庁として必要とされる、あるいは検察庁として示さなければならない体裁上の理由となる。いわば取ってつけたに過ぎないということであろう。
後者であるなら、検察庁は菅首相が言うように「検察がいろいろな状況を勘案することは法律で認められている」ことからというよりも、国政を担う政治家の判断を検察庁自体が直接的に行ったことになる。
果して政府からの要請なくして、検察にこのような判断が許されるのだろうか。
昨9月30日の衆議院予算委員会で尖閣問題の集中審議が行われた。富田茂之議員(公明党)の質問とそれに答弁する鈴木久泰海上保安庁長官の応答をテレビでたまたま聞いていて、尖閣諸島近海に於ける海上保安庁派遣の巡視船の活動の正体を知ることになった。
その質問の箇所を《衆議院インターネット審議中継》から文字化してみた。
富田議員「公務執行妨害罪で逮捕したとされているが、なぜ領海侵犯事案として逮捕しなかったでしょうか。報道によれば、この漁船で日本の領海内に於いて、魚を獲り上げているのを保安庁の職員が目視しているという報道もあった。そうだとしたなら、漁業目的の領海侵犯ということなら、外国漁船の漁業規制に関する法律違反ということでも摘発も可能だったと思うのだが、その点はどうでしょうか」
鈴木久泰海上保安庁長官「尖閣諸島周辺海域に於いては兼ねてより中国漁船、あるいは台湾漁船が多数操業しておりまして、本年につきましては8月中旬以降、多数の中国漁船が領海の付近の海域で操業しておりました。そのうちの一部が領海に侵入している状況が確認されています。このため私共は巡視船を配備して、退去警告、あるいは場合によっては、立ち入り検査等を実施しております。
通常、多数の操業がありますので、退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則としております。今回の事案につきましては、退去警告中の相手の漁船が網を上げて突然走り出して、巡視船『よなくに』に衝突し、さらにこれを追いかけた巡視船『みずき』に衝突してきたということでありまして、これは公務執行妨害事案として(聞き取れない、「対応すべき」?)ということで、我々は『みずき』が強行接舷をして、海上保安官6名が移乗して、これを停船させて、このあと捜査に入ったということであります。
さらに沖縄の簡易裁判所に令状を請求して、令状を頂いて、逮捕したという経緯でございます」
富田議員「長官、今の私の質問に答えていないのよ。なぜ領海侵犯事案、漁業目的で領海侵犯したということで検挙しなかったのかと聞いているんですよ。今あなたの答弁の中でね、網を上げたと明確に言われたじゃないですか。日本の領海に漁業目的で操業していたわけでしょ。完全にこれは領海侵犯事案じゃないですか。
なぜそういうことを聞くかというと、領海だとすると、先程塩崎委員(自民党)の方からお話ありましたけど、14名全員、被疑者ですよ、参考人じゃない。官房長官、参考人だと言われましたけど、領海侵犯事案で検挙しておけば、全員被疑者です。逮捕してきちんと事情を聞くことができたはずです。これを公務執行妨害罪に限定したから、こういう結果になったんじゃないですか?
なぜ領海侵犯事案で逮捕しなかったのか、その理由を聞いているんです」
鈴木海上保安庁長官「お答えいたします。先程お答えいたしましたように兼ねてより多数のこの領海に入ってですね、操業をしておりまして、それを片っ端から捕まえることはできませんで、退去警告を行い、退去させるという措置がずうっと続いておりました。従いまして、それとのバランス上、直ちに違法操業で捕まえるということはすぐに、今回特に二度も当たってきたという、悪質な公務執行妨害事案として捕まえたということでございます」
富田議員「長官ね、重ねて聞きますけどね、領海侵犯事案として捜査継続していたんじゃないですか。公務執行妨害罪で逮捕したけれども、領海侵犯事案として幅広く捜査を継続していたんじゃないですか。そこはどうですか」
鈴木海上保安庁長官「外国人漁業規制法違反、違法操業の疑いでも捜査を行っていました」
富田議員「それだとすると、海上保安庁長官、捜査しているのに、先程の塩崎委員の質問ですけど、14人を参考人だから、いつまでも置いておくわけにはいかないっていうふうに官房長官、言われましたけど、被疑者ですよ。捜査しているんだから、被疑者をみすみす中国に帰してしまったということになります。
海上保安庁は違法操業ということで捜査していながら、表向きは公務執行妨害罪での検挙でしたけれども、しっかり違法操業しているんだと、領海侵犯事案なんだということで認識があったわけですよ。
やはり船体や14名の返還というのはちょっと判断を過ったんじゃないかなというふうに私は思います」・・・・・(以上)
先ず最初に海上保安庁と前原外相が「悪質な公務執行妨害事案」だと、その悪質性を認識していたことを海上保安庁長官が自らの言葉で証明している。三者共に現場で直接活動していた複数の海上保安官の目撃情報とビデオの映像に基づいて判断した悪質性なのから、共有して当然だが、検察庁の段階では、その悪質性は消去されることになる。
これも菅首相が言っている「法律で認められている」「勘案」からの検察庁独自の消去なのだろうか。
菅首相も前原外相も岡田幹事長も仙谷官房長官も、その他大勢、中国漁船逮捕を、「国内法に則って粛々と対応する」と言い、「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も我が国固有の領土」だと言っている。
だとするなら、検察庁も海上保安庁も今回の事件のような事案に関しては「国内法」と「我が国固有の領土」に厳格に則って自らの活動を行う義務と責任を負うことになる。
その活動のことを、言ってみれば、“国内法”活動であると同時に我が国の固有の領土であると厳格に知らしめる“我が国固有の領土”活動と表現することもできる、
だが、海上保安庁は中国漁船が領海侵犯をして漁をしていたとしても、そのことを認識していながら、「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則として」活動し、たまたま相手が巡視船2隻に衝突してきたから、「悪質な公務執行妨害事案として捕まえた」という行動は、前者後者合わせて二重の“我が国固有の領土”活動に反する行動となっていないだろうか。
前者後者合わせて、“国内法”活動には適っているかもしれないが、“我が国固有の領土”活動には決してなっていないということである。
“我が国固有の領土”活動を厳格に適用して初めて、尖閣諸島は日本の固有の領土であるという事実を厳然たる意志で内外に知らしめることができるはずである。当然、すべての領海侵犯漁船に対して拿捕ということにならなければ、“我が国固有の領土”活動は貫徹できない。巡視船に当たってきたから公務執行妨害で逮捕は理由とはならない。
また政府はすべての行政機関に“我が国固有の領土”活動の貫徹を求める義務と責任を負うはずである。“我が国固有の領土”活動に少しでも手落ちが生じたなら、外国との間で領有権に関わる意見が異ならない領土であるなら問題はないが、その逆なら、「固有である」ことに些かの揺らぎを与え、最悪、今回のように国益を損なうことにもなる。
当然、領土問題に関する法律の解釈と執行に関しては、“我が国固有の領土”活動に“国内法”活動を合致させる必要が生じる。決して“国内法”活動に“我が国固有の領土”活動を合致させるのではないはずだ。合致させた場合、“我が国固有の領土”活動の否定となる。
だが、尖閣問題に関しては“国内法”活動に“我が国固有の領土”活動を合致させる行動となっている。しかも政府は「尖閣諸島は我が国の固有の領土である」と言いながら、“我が国固有の領土”活動を放置している。いわば政府自体が「尖閣諸島は我が国の固有の領土である」と言いながら、“我が国固有の領土”活動を否定する行動を示していることになる。
政府の下位行政機関である海上保安庁の“国内法”活動に“我が国固有の領土”活動を合致させた行動は政治の意思が働いていないことには下位行政機関として為せる事柄ではないはずであるし、政府自らの“我が国固有の領土”活動の放置に対応した海上保安庁の外国漁船に領海侵犯を受けながら、“我が国固有の領土”活動に反する「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とした“国内法”活動と見なければならない。
当然、那覇地方検察庁にしても、政府の下位機関の一部として、政府自らの“我が国固有の領土”表現の放置、もしくは否定の支配下にあるはずである。菅首相が言うように、「検察がいろいろな状況を勘案」した釈放ではなく、政府による「政治介入」を受けた、政府の“我が国固有の領土”表現の放置、もしくは否定に則った釈放と見なければ、下位行政機関としての整合性を見い出すことはできない。
そのことが那覇地方検察庁の鈴木亨次席検事の「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」という発言となって現れたと見るべきだろう。
政府自らが海上保安庁に「退去警告、あるいは立ち入り検査で追い出すというのを原則」とさせる“我が国固有の領土”活動の放置となる、もしくは否定となる行動を行わせておきながら、「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も我が国固有の領土」だと言のは矛盾した、言う資格のない発言と断言せざるを得ない。