国民新党下地幹郎の普天間グアム国外移設論

2010-10-13 08:09:24 | Weblog

 臨時国会に於ける衆院予算委員会が昨10月12日スタート、国民新党下地議員が普天間基地の国外移設論を展開した。下地議員は沖縄県知事選への出馬を要請されていて近いうちに態度を明らかにするそうだが、知事に当選した場合、果して打ち上げた国外が県内に化けないか、その疑いが残らないでもない。「日本の安全保障のために、アジアの平和のために俺一人が裏切り者になる」という口実も可能としなければならないからだ。

 だが、提案の可能性を検証して、県内移設絶対反対・国外移設派として利用できるところは利用すべきだと思うから、下地議員の国外移設論を参考に供するためにHP《衆議院インターネット審議中継》の動画から文字化してみた。パネルを何枚か出すが、動画ではよく見えないためにここへの記載は省略。

 ところどころに短い感想を入れた。

 下地幹郎議員「私は今は普天間問題一つに絞って質問させていただきたいというふうに思っております。あの1996年の、7月12日に、橋本・モンデール会談で。これが返還が決められたわけですけれども、今日(こんにち)、15年の歳月が経ちました。

 そろそろですね、客観的にこの問題を見なければならない時期を迎えているんではないかなあと思うんです。まあ、過去の日記ではなく、未来を変えるのではなく(ママ)、建設的な質問させていただいて、総理からも是非建設的なご答弁をですね、いただければと思います。

 先ず一点目のパネルをちょっと見ていただきたいんですけども、この一点目のパネルのですね、一番目の方に共通の項目がありますけれども、これ見てお分かりのようにですね、沖縄の基地の負担軽減と、日本の抑止力の維持って言うのは、それは両方が成り立たなければいけないんです。だから、これからの政策っていうのは、沖縄の基地の負担軽減もあるけれども、ちゃんと抑止力が維持できると。しかし、日米同盟も大事だけど、沖縄の基地の負担もやると。こういうふうなスキームをつくることが大事です。

 今日は三つの案が今ありますから、これは後で図示します。しかし下の方に書いてあるように、アメリカ側のある意味都合で、この2014年の、返還の時期がですね、2020年に変えると、いうようなことになると思うんです。そうなってまいるとですね、今の普天間のど真ん中にそのままあと10年間普天間に基地が残ると。

 私たちは普天間の移設ばっかやってきましたけども、10年間は残ることになってくると、まさに私たちは普天間の基地の除去も同時にやらなければならなくなってきたのかなあと思うと。そのためには日本政府は学校や保育園やそして病院、そういうふうな地域のですね、移設をしたっていう場合に予算的にも制度的にもできるような仕組みをつくる。

 アメリカ側はできるだけ普天間に帰ってこない。シュワブとかハンセンとか、訓練場とか伊江島とか30近くのヘリポートがありますから、その地域にいながら、訓練をして、できるだけ普天間に帰ってこないっていうような、危険の除去をですね、現実的にやっていくと、

 まあ、こういうようなものが必要になってくるのかなあと、いうふうに思っております。

 まあ、そういう意味で後で総理に質問いたしますけども、その普天間基地の危険の除去って物凄く大事で、やらなければならないという認識をですね、後でお伺いしたいと思います。

 次のパネルですけども、先程申し上げましたように三つあります。県内移転と言うものがありますけれども、これ、今見てお分かりのように日にち的にはなかなか厳しいですね。厳しい。

 今自民党の沖縄の県連も県外、国外とおっしゃる。民主党もそのようにおっしゃるわけです。今度知事選がありますけれども、公約は県外、国外になると、しかし、この公約のときはですね、県外、国外となるけども、選挙終わったら、許認可の印鑑押すんじゃないかと言う声がありますけれども、私はこんなことをやったら、もう日本は、沖縄の基地行政は崩壊すると、思うんです。また、こういうふうにですね、公約違反に期待してですね。公約違反に期待をして、普天間の基地の問題を解決しようなんて、政府がお考えになるとしたら、これはもう本末転倒だと思うんです。

 こうなってくると、厳しい状況になってくると、何をやるかって言ったら、特措法をつくる以外は道はないんです。これはもう、2000年にもつくりましたけども、この権限をですね、県の権限を国が取って、この、米軍の工事をやるという特措法をつくる以外ないんですけども、今日地方分権というふうな状況の中で、そこまで踏み込んで国が特措法をつくるというようなことはできるかというと、それも厳しい。

 まあ、非常にですね、この辺野古の問題は厳しい環境にあるなあっていう認識をですね、持たざるを得ないと思います。

 二つ目の本土移設。鳩山総理が最低でも本土移設ということをお話しをしましたけども、この本土移設もですね、4県と23市長村が反対決議をしているんですよ。この反対決議していますけども、これはもう当たり前のことですね。沖縄でこれだけ事件・事故があるのに、その事件・事故を解決する仕組みをつくらないで、自分の県に基地を持ってきなさいというような人はいないんです。

 これはこの抑止力になるような地位協定改定をせずにですね、本土移設を政府が言うこと自体が私は問題があると思うんです。だから、地位協定の改定ができるかどうかが、本土移設のおお-きなポイントになるんじゃないかと思います。

 まあ、民主党、社民党、国民新党が野党時代つくりました。しかし、今政権になっておりますけれども、またこの地位協定がですね、米軍との協議の場にいかない。これはなかなか難しいんです。日本だけの地位協定を変えるんじゃなくて、韓国もフィリッピンも中東の国々も、この地位協定、ぜーんぶ変えなくていけなくなってきますから、私はそういう意味でも、地位協定の改定が難しいとなると、本土移設もなかなか簡単にはいかないねえーっていう、そういう認識論に立っているではないかと思います。

 三点目ですけども、この国外、まあ、川口議員が言ったこのグアム、サイパンていうところでありますけども、先程言ったように、アメリカの財政的な問題で、今回は、その、6年間延びるということになりましたけども、まあ、私はですね、それを解消するためにですね、大胆な提案をすべきだと思うんです。

 それは、もう、湾岸戦争のときに1兆2千億円出しましたけれども、1兆2千億円ですね、国民の負担をお願いする。この1兆2千億円、10年間ですから、1万、あーん、1年間で、10年間で国民1人当たり1万円、そして月でやったら、千円、あー、年でやったら千円、月でやったら、83円なんですけど、この1兆2千億円をですね、準備して、グアムを今提供するような、あの、貸付になっているような政調(?)に変えて、そして予算を海兵隊のプレゼンスを維持するためのこの支援体制のおカネにまわして、日本から、沖縄から海兵隊でなくなったあとの防衛予算に増やすという現実からもですね、トウショウノ(島嶼?)で、トウショウノ(?)のこういうふうな仕組みをつくるという意味での予算にもこれを回すと、まあ、こういうふうなことを大胆にやらないとですね、なかなか難しいんではないかと。

 そして今、グアムの予算はぜーんぶ金網の中ですよ。グアムの人々の予算には1円もいかない。グアムには病院がない。下水道は整備されていない。汚水処理場ができない。だから、この前グアムに行っても、基地の建設がグアムのインフラを上回らないようにしてくれって言うのがグアムの方々の思いですから、グアムの方々も基地が受入れやすいように、私たちの沖縄の基地が行くわけだから、そういうふうなおカネもやっていくということは、私は必要だと思いますね。

 そして国外の話をすると、日本の抑止力が大変になるという話がありますから、これちょっと見ていただければ、分かるように、ここではないですね(隣にいる議員がパネルを探している)、今、朝鮮半島にですね、有事の際にいくつかやってくると、今沖縄にいるキーステーションとしますとですね、佐世保から沖縄に来る、グアムから集積艦(事前集積船、あるいは事前集積艦――、アメリカ合衆国軍の輸送船。船隊を組んで世界の公海上に兵器や補給品を満載した状態で海上配備され、有事には空路駆けつける米陸軍や米海兵隊の将兵に対して、空輸に向かない重量のある兵器や大量の補給物資を沿岸部へ素早く供給することを目的とする。「Wikipedia」)が来る。2500人沖縄に(から?)乗って、グアムの、朝鮮有事に行くのに、5.8日かかりますよ。しかしグアムにこの揚陸艦もあり、集積艦もあったら、4日間で行きますよ。

 朝鮮半島の私は、その即応能力って言うのは、一挙に修正しての方が十二分に即応能力があると言うことはもう明確だと思います。それと同時にこれ、先程、海兵隊のですね、ペーパーがありますけれども、これはアメリカの海兵隊がですよ(パネルを探しながら発言している)、アメリカの海兵隊がこの前出した新たなプレゼンスというのは、アメリカの海兵隊の司令部が出した、陸外(?)の海兵隊の姿でありますけれども、沖縄にですね、そのまま駐留しているよりも、この海兵隊をですね、サイパンやオーストラリアや、そういう地域で同盟国と共同訓練をして、動的抑止力をやった方が日本の抑止力のためにもいい、そういうふうなことをおっしゃる方々も海兵隊の中にいるんですね。

 ま、そういう意味ではですね、シーサーのように沖縄にそのままいるのではなくて、兎に角海兵隊を動かす。そのとき戦費がかかるんだったら、日本側が出しても、日本の抑止力のためだから、僕はいいと思うんです。

 グアムが日本の抑止力のためになるんだったら、思いやり予算もグアムにまで波及効果してもいい。抑止力もしっかり守るけれども、沖縄の基地の負担も(グアムが)できる。

 こういうふうなね、大胆なことを是非にですね、考える時期にきているのかなあと思います。そして、あの、財政のとこですけども、こういって1兆2千億円出すって言うと、おカネがかかりそうな感じですけども、沖縄から海兵隊がいなくなるとですね、今の資糧(=資金と食糧?)が安くなりますし、周辺地域のおカネがかかりませんから、私の安い見積もりでもですね、1兆は1千60億円ぐらい、年間、このおカネが削減される。沖縄に今まで出しているのが出せなくなる(ママ)。1兆1600億円(1兆1060億円、どちらなのか分からない)ぐらいまでは私はつくれるんではないかと思うんです。

 そうなると、1兆2千億円出しても、10年間で十二分にこの、償却ができる。日本の財政に圧迫するような金額にならないと、いうふうに私は考えているんであります。

 それで最後には、質問させていただきますと、総理はですね、あの、時間がないから早口になっていますけども、個人演説会じゃないですよ(隣の議員がパネルを探し当てるのを待っている)、あのですね、総理、沖縄の今、県内か県外かって、沖縄が県民同士対決してますけど、この大きな対決の構図の中でですね、沖縄の基地は負担軽減やってもいいけど、本当に安全保障は大丈夫なのかっていう声があることだけは確かなんで、こういう国益のジレンマにですね、沖縄県民が非常に悩んでいるということだけは十分に理解してもらいたいです。

 それでもう一個大事なことは、今やらなければいけないことは普天間の危険の除去と、普天間の移設を早く決めることです。 

 15年前から沖縄政策協議会やってますけども、あれ、今5年後にスタートしましたけど、沖縄の振興のための政策協議会なんです。今ね、沖縄の振興のための政策協議会はやっても意味はない。なぜかと申しますと、基地の整理縮小をやらない限り、沖縄の県政は絶対よくならない。基地が還ってこない限り、どこに何を造っていいか分からない。だから、この二つに絞って、政策協議会はやるべきだと私は思っております。

 それでですね、沖縄の予算は自民党政権下でですね、この10年間で1千200億、1千200億減らされているんですよ。1千200億。それでいて、官邸にですね、反対に沖縄の市町村長を呼んでですよ、カメラとフラッシュをたいて、沖縄のためにやっていますよと言いながら、予算を付けるかのようにやっているが、結局はナリタク(?)の予算は1千200億円減ってるんじゃないですか。

 (減らされた1千200億円に余程恨みがあるのか4回口にしている。)

 こんな馬鹿げたことはしなくていいんです。ナリタク(?)の予算をちゃんとつければ、官邸に集まらなくても、十二分にモノはできる。そういうふうなことをですね、是非、パフォーマンスをやるのではなく、実体的に沖縄のことを是非やってもらいたいと思います。

 それで最後になりますけれども、この協議会をですね、もう一回、欠席者(「出席者」の間違いか?)をつくってください。私はアメリカの大使と防衛庁長官と沖縄県知事と話してですね、1年間かけて、じっくりと話し合う。そして大事なことは、大事なことは、絶対官僚を入れないことですよ、官僚、外務官僚だとか防衛官僚だとか、入れなくて、積み上げじゃなくて、政治家がやる。これがヒジョーに大事。政治家が決めて、官僚に具体的な物事を指示していくという遣り方をやっていくことが私は必要だと思っています。

 まあ、そういう意味ではですね、もう日米安保条約、この日米合意を進めていくと言っても、なかなか難しい。しかし国家間で決めた日米合意を破棄することは私は良くないと思う。それをちゃんとスタートにしながら、しかしオバマ大統領が11月に来るときにはですね、新しいスキームで話し合いを移行、ちょうど10年間延びるんだから、10年間延びるんだから、1年間ゆっくり話し合いをしようと、そういうふうなことをですね、大統領に申し上げて、具体的な政治をですね、対応をしていくことを是非提案したいと思いますけども、この対応に対するお考えと、そして今の普天間の危険の除去の考え方と、政策協議会に対する総理のお考えを、この三つをですね、答弁ですね、いただきたいと思います」

 中井委員長「随分範囲の広いご質問というか、ご意見でしたが、エー、どういう・・・・」

 下地議員「総理だけでいいです」

 中井委員長「それでは菅総理大臣」

 菅首相「下地議員から、まさに、最も地元をよく知っておられる議員の一人として、まあ、かなりですね、具体的に、あるいは示唆に富んだ、アー、提案を含めたご質問をいただきました。エー、まあ、すべてに関して、エー、同じ深さで、お答えできるかどうかは分かりませんが、基本的な立場だけは先ずは申し上げておきたいと思います。

 (熱意もなく、抑えた語調。「エー」、「アー」が多いときは返答に窮して誤魔化そうとしているときか、熱心さを示すことができないときかいずれかであろう。)

 ええ、現在ですね、政府の立場はご存知のように、本年は5月28日の日米合意を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調されたように沖縄の基地負担の尽力(ママ)に全力を尽くすという立場に立っております。勿論この間ですね、エー、沖縄のみなさんが、必ずしも、この、日米合意に、エー、賛同を、されていない方が多い、あるいはこの沖縄の選挙などに於いても、そういう結果が出ていることも十分、承知をいたしております。

 エー、そいう中で、エー、色々と、オー、説明をしたりしておりますが、先程、オー、協議会という話が出ましたが、エ、ご承知のように、沖縄政策協議会というものが元々、あったのがこの5年間半ほど動いておりませんでした。エー、それを本年9月に私も仲井真知事もご出席をいただきまして、エー、再開と言いましょうか、エー、いたしまして、勿論、沖縄振興の話もありますけれども、米軍の基地負担についてもですね、部会のようなものを二つ、それぞれにつくって、エー、議論をしていこうということで、仲井真知事と合意をいたしまして、まあ、第二段階と言いましょうか、2回目を私の内閣になってから、2回目を、準備をしているところであります。

 エー、そいう中で、エー、オバマ大統領が来られる。あるいは、アー、2020年に、エー、グアム移転が、まあ、延びたと、私たちは必ずしも思ってはおりませんが、下地議員の方からは、エー、チャンスと把えてですね、もっと根本的な、アー、議論をォー、やったらどうかと、あの、お気持は分からないではありません。ただ、アー、先程申し上げたように、エー、私が6月に政権を担当して、まだ4カ月でありますけれども、5月の28日に、イー、日米合意、そこから、アー、スタートをするという、この考え方は先程、下地議員にも、理解をしていただいたと思います。

 その中で、先ず、何か、現時点でできるかそのことを、徹底的に、イー、模索をし(少し言葉に力が入る。)あるいは、アー、沖縄の皆さんにも説明をし、エー、しかし、決して沖縄のみなさんの声をですね、無視した形で、特措法という言葉も出ましたけども、そういった形で、強引なやり方をするということは、念頭に全くありません。ま、その点では、アー、この5月28日の原則を踏まえながら、アー、努力を、できるところまで、しっかり努力していくと。

 今下地議員の方から、アー、色々な提案が出ておりますが、そういうものがですね、エー、この、オー、実際のオ、課題に乗り得るかどうかですね、現時点では、5月28日の原則と、オー、日米合意と、そして、沖縄の基地負担の軽減に全力を上げると、この、立場で、エー、この沖縄の、アー、協議会も含めて、エー、進めていくと、まあ、そういう、状況であると、いうことを、申し上げて、答弁とさせていただきます」

 (前々から何度も言っていることの繰返しでありながら、「アー」、」「エー」の言葉を入れなければ、次の言葉にスムーズにつなげることができない。積極的な姿勢の発言とはなっていないことが分かる。)

 下地議員「あの、今、特措法をおやりにならないという、まあ、そのメッセージは非常に沖縄県民にも分かりやすくて、信頼できる答弁だと僕は思います。

 (野党時代は「沖縄に海兵隊はいらない」と言っていながら、首相になると、当時の状況と違うと言葉を変えるうような男だから、決して「信頼できる答弁」とは言えない。)

 まあ、5月28日に日米合意ができましたから、これスタートにすること大事なんです。国家間のことであります。しかし、日本側がね、まだ決まっていないわけではなく、日本側がずらしてくれと言っているわけではなく、アメリカの都合で10年間、6年間、6年間、ね、6年間延びる可能性が出てくるっていうのは、僕は菅総理がですね、この15年間ホーントウにどの政権やってもできなかったことができる、ある意味スタートだったんじゃないか。総理、運がいい方だと僕は思いますよ。(周囲で失笑がこぼれる。)

 このチャンスをね、私は交渉の遣り方として逃がすべきじゃない。この時間をかけてじっくりとやっていきましょうと、言うようなことをね、今年の11月のオバマさんとのね、会談では、私は提案していくことは、野党で反対する人は誰もいないと思いますよ。

 そういう意味でもですね、建設的に、建設的に、日米関係非常に大事でありますから、そういうふうな仕組みをですね、私はこれからもですね、提案していくと言うことは非常に大事。そして、負担に対しても、きちっと、その先程、資金提供、湾岸資金の提供、の提案をさせていただきましたけどもそういったことも含めて、国民にはなーんでも率直に話していくという、いうようなこともですね、私はやっていくという、新たな日米同盟を進化させていく。そういう姿を是非描いていただきたい。そういう期待をして、私の質問は終わります。ありがとうございました」

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牧野聖修、小沢一郎に議員辞職を求める判断能力の見当オンチ

2010-10-12 09:37:31 | Weblog

 小沢一郎元民主党代表の資金管理団体「陸山会」土地取引事件を検察が不起訴としたことに対する10月4日の検察審査会強制起訴議決に対して同じ4日、国会内で記者団に、「起訴相当との処分になり、小沢氏は自ら身を引くべきだと思っている。それができなければ党として離党勧告なり、除名処分になると思う」(asahi.com)と発言、それが党内に波紋を呼び、責任を取って国会対策委員長代理を辞任した我らが牧野聖修が昨11日夜、BS11の番組に出演し、性懲りもなく再度同じ趣旨の発言をしたと言う。

 “性懲りもなく”の理由はのち程明かすことにして、BS11での発言をみて見る。

 《小沢氏に離党勧告を=牧野氏》時事ドットコム/2010/10/12-00:48)

 牧野聖修「本人が離党する気がないならば党の方で離党勧告し、それでも離党しないならば除名処分せざるを得ない

 前後両発言を記事に書いてあるとおりに解釈すると、さも自分が党内で一定以上の決定権を持った立場にあり、自身の決定が党に大きな影響を与えるかのような発言となっている。

 このことは最初の発言では小沢氏が自ら身を引かなければ、「党として離党勧告なり、除名処分になると思う」と、自身のそうすべきだとする個人的思いが党の意志(あるいは党の決定)となるかのような表現となっているところに表れている。

 実際には牧野聖修自体には他を従わせる程の決定権はないのだから(決定権があったなら、国会対策委員長代理を辞任する必要はなかったろう)、そうすべきだとする個人的思いが実現しなかった場合、「党として離党勧告なり、除名処分すべきだと思う」と、個人的思いを党への要請へと代えなければならなかったはずだ。そして後は党の決定を待つしかないだろう。

 後者では、「それでも離党しないならば除名処分せざるを得ない」と、さも自身に決定権があり、自身が決定するかのような発言となっている。

 もし自身に党の大勢を従わせる程の決定権があると思い込んでいるとしたら、実際にはないのだから、思い上がりも甚だしいということになる。合理的判断能力を欠いていることからの思い上がりであろう。

 こういったこと自体が既に牧野聖修の見当オンチの証明となっている。

 以前ブログに書いたことだが、牧野聖修の小沢批判は参議院選定員2名の静岡1区に牧野の意向に反して当時の小沢幹事長が2名擁立に動いたことから始まっている。確かに鳩山首相と小沢幹事長の「政治とカネ」の問題と普天間問題で支持率を悪化させていた当時の定員2人区2名擁立決定ではあったが、二人が辞任し、菅首相となってから支持率がV字回復し、党執行部も枝野幹事長以下、新体制となり、枝野幹事長は世論調査の支持率を背景に「改選数2のところに2人擁立する考え方は間違っていない」と小沢判断からバトンを受け継いで菅首相、枝野幹事長、安住選対委員長等の新執行部が関わった判断としたのである。

 しかも牧野聖修は菅首相が支持率を下げることになる消費税発言を2010年参院選民主党マニフェスト発表記者会見の席で行った6月17日以前の6月10日に党本部で枝野幹事長及び安住淳・選挙対策委員長と会談し一本化を要請、枝野幹事長は小沢判断からバトンタッチして自らの判断としたた定員2人区2人擁立を、「一本化は困難。・・・・無理やり(降ろすことは)できないと思う」という発言で断り、牧野自身も、「まだ正式決定ではないが、仕方ない。これまで通りやるしかない」と枝野判断を自らの判断として受け入れたのである。

 但し抵抗があった。牧野は県連が擁立した候補のみを応援し、小沢氏が擁立した新人女性候補を一切応援しなかった。そのことが共倒れを免れることができた原因かもしれないが、もしそうだとすると、知名度のない新人という立場に対して応援しなかったことは見捨てたも同然の措置であり、一人を見捨てて一人を救ったことになる。

 だとしても、多くの落選者を出したのは枝野判断となった(=執行部判断となった)定員2人区2人擁立が直接の敗因ではなく、菅首相の消費税発言が一挙に支持率を下げ、参院選大敗の主たる原因となったことに変わりはない。

 そうであるにも関わらず、牧野聖修は7月14日からの党本部開催、参院選敗因総括の都道府県連代表とのヒアリング形式会談で怒りを爆発させた。以下は余韻冷めやらぬ怒りを言葉の端々に見せて記者に語った発言。(これも以前ブログに一度使用)

 牧野聖修「小沢さんは拡大路線をとって、どちらかというと思い上がりといいますか、そういう意味で拡大路線をとった。そのことが大きな失敗の原因だったと思います。(小沢さん)本人が責任を取らなかったら、離党勧告をしろと、私は(執行部に)言いました」

 牧野聖修(2人擁立に反対したために)「小沢氏から活動費を止められ、いじめられた」

 牧野聖修「小沢一郎前幹事長が強引な選挙戦略をやって失敗した」

 牧野聖修「小沢氏が拡大路線を取ったことが失敗の原因だった。選挙の戦略・戦術の問題だけでなく、政治とカネの問題でも本人は逃げ回っている」

 牧野聖修「選挙責任者だった小沢一郎前幹事長の責任は重い。万死に値する罪だ」

 牧野聖修「(小沢氏は)政治とカネの問題もあり、執行部は即刻、議員辞職勧告か離党勧告をすべきだ」

 これらの発言には党執行部が小沢体制から枝野体制へ移行したとする認識が一切ない。定員2人区2人擁立が小沢判断を受け継いで枝野判断となったとする認識と、その枝野判断を例え不承不承でも牧野自身が自らの判断としたことへの認識を一切省いている。

 言ってみれば、自身の認識能力不足、見当オンチからきている思い違いからの根拠のない怒りとしか言いようがないが、余程根に持っているのか検察審査会起訴議決をキッカケにさも自身が決定できるかのように「離党勧告」、「除名処分」を口にし、辞表提出に追い込まれた。

 ここで再度「NHK」記事――《牧野国対委員長代理が辞表提出》(2010年10月5日 14時55分)から辞表提出時の発言を見てみる。

 党で問題とされた10月4日の牧野聖修の発言は記事では次のようになっている。

 牧野聖修「みずからが身を引くべきだ。それができないなら、公党としてけじめをつけるべきで、離党勧告なり除名ということになるのではないか」

 「NHK」記事も、自身の思いがさも党の決定となるかのような発言の記載となっている。

 ところが党の非公式の決定は発言に対する批判、発言否定であった。

 党内批判「推定無罪の今の時点では、軽率で、野党側に追及の材料を与えるだけだ」

 鉢呂国会対策委員長「議員のまとめ役の国会対策委員長代理としては軽率だ」

 党の意見集約を図る前に、自身の判断を党の判断であるかのように装う見当オンチをやらかしたのだから、「軽率だ」は当然の謗りであろう。

 牧野聖修「みずからの発言で今後の国会運営に支障を来さないよう、責任を取りたい」

 記者会見での発言――

 牧野聖修「わたしは、ことしの参議院選挙の時から小沢氏の批判をしてきたが、今までの言動が足かせになり、党が団結力を失うのであれば、職責上よくないと思い、辞表を提出した。自分は間違ったことを言ったという思いはないが、小沢氏の問題をどう克服するかが大事で、わたしが国民目線で歯にきぬ着せずに的確に発言できる立場にいたほうが、党のためになる」

 牧野聖修「小沢氏は、みずから民主党を離党してもらいたいし、できれば議員を辞職したほうがいい」

 最後の発言は自身の思いとして許されるが、「自分は間違ったことを言ったという思いはないが」と言っているが、ではなぜ辞表を提出したのだろうか。間違っていないと言うなら、あくまでも自分の正しさを貫くべきであろう。

 大体がそもそもからして合理的な認識能力を欠いて見当オンチを働いているのだから、「自分は間違ったことを言ったという思いはない」の自己省察自体が怪しい。既に参院選敗因を認識能力不足の見当オンチからお門違いにも向けるべき批判の矛先を菅首相から小沢元幹事長に向けて、「間違ったことを言」う前科を犯しているのである。

 知らぬが仏で気づかないから牧野聖修を自分自身の感覚では自身を「政治とカネ」の問題に怒る正義の人に仕立て上げているかもしれないが、自身の発言が災いして辞表を提出しながら、再びBS11の公共電波を使って「離党勧告」、「除名処分」の見当オンチの再犯を犯した。

 本人が見当オンチの認識能力不足だから気づいていないだけのことで、これを以て“性懲りもなく”以外の表現があるだろうか。

 牧野聖修が合理的認識能力を欠いた見当オンチだということは“性懲りもなく”他にも例を挙げることができる。

 《民主幹部の「小沢批判」に新人議員が激怒 民主会議騒然》asahi.com/2010年10月2日14時13分)

 10月1日開催の民主党の会議。

 牧野聖修・国対委員長代理「『1年生議員の仕事は次の選挙に当選することだ』とバカなことを言った人がいた」

 〈新人の仕事は次の選挙で当選すること、は小沢氏がよく口にするせりふ。牧野氏は、9月の党代表選で菅直人首相を支持したこともあり、小沢氏支持の少なくとも3人の議員が「バカとは何だ」などと、大声を上げた。〉――

 他に、「バカなことを言うな」、「出て行け」、「まじめにやれ」といった罵声が1年生議員から飛び交ったという。

 牧野(会談後)「小沢氏の批判をしたつもりはない」

 この発言は牧野が如何に正直な人間か証明している。認識能力を欠いた見当オンチの人間は自身に対しても認識能力を欠いて見当オンチとなり、それが自己省察能力の優劣につながり、自分が口にした発言さえも的確に判断できない見当オンチを犯すことになる。

 怒号を飛ばした議員の1人「小沢氏を批判するようなあいさつは理解できない」

 「1年生議員の仕事は次の選挙に当選すること」の役目はそれぞれの活動にかかっている事柄であって、例え政権政党に所属していて、その政党と内閣支持率が相互的に高い数値を獲得していたなら、何をしないでも党の名前だけで当選は有利に進むかもしれないが、それぞれの活動抜きでは同僚議員との差別化も、支持率を失ったときの当選の保証も失うことになる。

 いわば活動抜きに「1年生議員の仕事は次の選挙に当選すること」の役目の成果は保証不可能と見なければならない。実際にも新人議員は次の当選を確保しようと様々な活動に力を入れているはずだ。

 そのような活動を考えることもできずに活動要素を省いて、牧野聖修は「『1年生議員の仕事は次の選挙に当選することだ』とバカなことを言った人がいた」と批判する。この見当オンチの認識能力は如何ともし難い。

 活動と言っても、自身が選択した活動を通して新人議員としての、あるいは新人政治家としての姿をどう表現するかに当選はかかってくる。同じ活動でも、人間が違えば、異なる表現、異なる活動となる。活動を自身が所属する選挙区の有権者に伝える表現方法次第で有権者の受け止め方、有権者の評価・判断が変わってくる。

 中には政策の勉強に重点を置いて、様々な委員会に所属したり、様々な会合に顔を出したりする活動もあるだろうし、勉強をした政策を辻立ち・駅立ちでハンドマイク片手に通行する有権者に訴える活動もある。さらにブログやHP、あるいはツイッターで自身が勉強した政策を紹介する活動もある。表面的に何をしました、何をしましたの表現では多くの読者を継続的に確保することは難しいだろうし、政治能力の問題に結び付けられかねない。

 例え当選のみを目的として後援会員を貸し切りバス仕立てで大挙してディズニーランドに連れて行った、温泉に連れて行ったといったことで歓心を買う活動であったとしても、当選はあくまでも活動から判断する有権者の決定であろう。

 いわばどう表現するかは重要ではあるが、基本的には活動の要素を欠いた「1年生議員の仕事は次の選挙に当選すること」という保証は存在しないということである。

 活動に対する代償が当選であって、小沢一郎から「1年生議員の仕事は次の選挙に当選すること」だと言われて、そこに何ら活動を置かない新人議員がいたとしたら、牧野聖修に劣らない合理的判断能力を欠いた見当オンチの新人議員と看做さざるを得ない。

 牧野聖修に彼自身の見当オンチを知らしめる方法はないものだろうか。顔からも窺うことができる頭の柔軟性を欠いた認識能力不足に凝り固まっているようだから、見当オンチを知らしめる有効な方法はないかもしれない。

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前原外相の「中国漁船がまた同じことをすれば同じ対応を取る」は政治的不作為宣言

2010-10-11 06:41:18 | Weblog

 日本政界のホープ、前原誠司外相が、失礼な話で、落語に出てくる色男だが、本業にノー天気、遊び好きだが間が抜けている若旦那に譬える向きもあるが、10月9日、香川県直島町で講演。自身の才能を自信たっぷりな落ち着いた声と自信たっぷりな落ち着いた表情に例の如く漂わせていた講演であったに違いない。

 《“尖閣 同様事案も国内法で”》NHK/2010年10月9日 21時11分)

 中国漁船衝突事件に関連して――

 前原外相「中国は、いわゆるレアアースの問題もそうだし、どんどん対応をエスカレートさせ、今回、中国は相当、国際社会から『異様な対応をするな』と見られたと思う」

 前原外相「絶対に崩してはいけないのは、尖閣諸島は日本の固有の領土であり、これからもずっと日本が実効支配を続けることだ。国際司法裁判所に委ねたらどうかという意見もあるが、われわれの固有の領土について、第三者に判断させることはない」

 「絶対に崩してはいけない」は当たり前の話だが、中国に揺さぶりをかけられて相当慌てふためき、「日本の固有の領土」の一点張りで押し通すよりも対中関係改善に走ることをより優先させたため、中国側の「釣魚島諸島は中国固有の領土である」に入り込む余地を与え、ある意味「日本の固有の領土」であることを半ば「崩し」かけていた。

 だが、前原外相は合理的認識能力を欠いているから、「尖閣諸島は日本の固有の領土」であることを些かも揺るがせることはなかったと信じ込んでいる。

 前原外相「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば、今回と同じ対応をとるのは法治国家としてあたりまえであり、やり続けなければならない」

 同様の事件が発生した場合は同様の対応を取るは船長・船員逮捕、船体押収、国内法に基づいて粛々と裁くまでを言っているわけではなく、中国も今回と同様の対応を取ることを前提とした発言でなければならない。「異様な対応をする」中国だと見定めてもいるのである。大体が次回からは中国が日本の国内法に基づいた粛々とした対応を素直に見守ると見ていたなら、「法治国家としてあたりまえであり、やり続けなければならない」などと大上段に構えた言い方はしないで済むし、「釣魚島は中国固有の領土である」を残してもいる。

 要するに同じことが起きたなら、船長・船員とも逮捕、船体押収、中国の抗議と圧力、「尖閣諸島は日本の固有の領土」を言いつつ、船員解放、船体返還、船員解放で一件落着の甘い見通しが崩れて、船長解放、さらに常に日本側から働きかける対中関係改善の模索といったふうに同じ一連の経緯を繰返す対応を取るということを言ったはずである。

 要約して簡単に言うと、最終的には被害を受けた側が加害側に関係改善を働きかけ、それを繰返す場面を見ると言うことである。通常は逆であって、矛盾しているようだが、それを許すのは、加害側が被害を受けたと受け止めているからだろう。

 日本側が中国側がそのように受け止める余地を放置していた。中国にしても、「釣魚島諸島は中国固有の領土である」の錦の御旗があったからこそできた圧力の数々であったに違いない。

 中国側が被害を受けたと受け止める余地を未解決状態で残したままだから、前原外相が言うように「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」云々と同じことの繰返しを想定しなければならないことになる。

 当然問題としなければならない事柄は未解決状態で残しておくことにあることになるが、前原外相にはその点に気づく視点は備えていないようだ。

 一度泥棒に入られた家は新たにカギをつけるとか、庭に監視カメラを設置するとか危機管理を強化するものだが、そういった新たな危機管理は施さずに、「また泥棒が入ったら、前回同様に警察に届け、被害届を出して泥棒が捕まり、被害物が返還されるのを待ちます」と言うのと同じことを前原外相は言っていることになる。

 このような危機管理では中国が「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を掲げている間は前原外相が言っている同じことを永遠に繰返すことになる。中国は日本に対して「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を知らしめるために時間を置いた定期的な間隔で漁船に領海侵犯させ、日本との間で一騒動起す計画を立てないとも限らない。

 断るまでもなく、永遠の繰返しを回避するためには中国の「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を撤回させることにある。

 しかし前原外相は何ら外交上の危機管理対策もなく、同じことをそっくりと繰返すケースを想定している。想定し、事実となった場合は、「今回と同じ対応をとるのは法治国家としてあたりまえであり、やり続けなければならない」と言っている。

 起こり得ると想定している危険性に対して可能とする対策を前以て講じ、起こり得る危険を可能な限り阻止することまでが危機管理であるが、「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」と同様の事件の発生可能性を言い、同様の対応を言うのは、先に例を挙げた泥棒に入られた家と同様に前後の間に何ら対策を置かない物言いとなる。外交を預かる者の領土に関する何ら対策を置かないこの危機管理は政治的不作為宣言に相当しないわけはない。

 この政治的不作為は前例から何ら学習できない姿が生じせしめている。

 前原外相の「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」とする今回と同様の事態の次回に於ける想定と、次回も「今回と同じ対応をとる」とする今回と同様の対策の想定は、今回の事態から何かを学習して同様の事態の次回発生阻止に向けて備える危機管理体制を図ることではなく、逆に何ら学習せずに今回と同様の事態の発生と対応を繰返すことの想定となっている。

 実際は海上保安庁の巡視船の数を増やして警戒と監視を強化することぐらいはするだろうが、それは物理的対応であって、「釣魚島諸島は中国固有の領土である」の入り込む余地を未解決状態で残す以上、政治的対応は今回の事態から何ら学ばず、何ら対策を講じない不作為を行うことになる。

 「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を絶対事実としながら、絶対事実を絶対事実足らしめるために中国にそれを認知させる政治的対応を取らず、日本が実効支配していることから、中国の「釣魚島諸島は中国固有の領土である」を相手に比較絶対事実とさせて、今回同様の事態を可能とさせ、日本も今回同様の事態を想定して、同様の対策で以て対応すべく想定することになる。

 だから、前原外相の口から「また漁船が来て、海上保安庁の巡視船に体当たりをし、大きな打撃を与えるとなれば」云々という、自らの政治的不作為を棚に上げた、そのことに些かも意識を置かない発言が出てくることになる。この発言は同時に「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を中国に対してはタテマエで終わらせることになる危機管理体制ともなる。

 あるいは中国に対して「尖閣諸島は我が国固有の領土である」を宙ぶらりんな状態に置く危機管理体制でもあると言うことができる。

 前原外相のこの政治的不作為は菅首相の政治的不作為と対応した不作為であるはずである。

 中国との間で解決に向けた交渉を持つことができない以上、菅首相以下がかねがね言っている「領土問題は存在しない」は根本的解決を策す危機管理体制を採ることができない自分たちの無能な政治的不作為を誤魔化す逃げの一手と化す。

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菅首相の国民の目に目隠しするビデオ非公開

2010-10-10 08:02:27 | Weblog

 
 今朝10月10日の《My Twitter》

 HTeshirogi

 天皇が平城遷都記念祝典で桓武天皇生母が百済武寧王始祖の渡来人子孫であり、様々な文物が朝鮮半島を経て日本に伝播したと言ったのは日本人の血の点でも文化としての精神的血の点でも中国人、朝鮮人の血が混じっていて日本人は日本人のみの血で成り立っているわけではない血の混じりを言ったのでは?


 10月8日の「時事ドットコム」記事は中国漁船衝突事件のビデオ公開について、《ビデオ映像、一部議員に開示=中国漁船衝突-政府・与党検討》の記事題名で伝えている。

 8日午前の参院本会議では菅首相が「(検察の)捜査状況、国会の要望を踏まえ、適切な判断がなされると思う」としていたビデオ公開から、一部議員公開とする理由を、全面公開した場合、日中関係修復への動きを見せ始めた中国側の反発を招く可能性が強いこと、逆に全面非公開は野党の公開要求を国会運営上、全面的には拒否しにくい状況にあるからだと記事は解説している。

 全面公開で中国の反発は厄介、全面非公開はねじれ国会で野党の反発が厄介、厄介の板ばさみに遭って、一部議員にのみ公開して、緘口令でも敷こうというのだろうか。

 大体が、選ばれなかった一部議員以外の議員が果して納得するのだろうか。何も知らされないことになる国民は納得するのだろうか。

 非公開も一部議員公開も国民の目に目隠しする、民主主義の形式を装った巧妙な情報統制、結果的には中国の情報統制と変わらない国民操作、国民の意向無視に相当する。

 この一部議員公開が翌10月9日の「朝日テレビ」記事では、《尖閣・漁船衝突ビデオ公開しない方針 政府・与党》の記事題名で非公開への転換となっている。

 野党が事件の詳細を明らかにする必要があると公開を求めているのに対して、政府・与党が〈改善の兆しを見せ始めた日中関係に悪影響を及ぼす恐れがある〉からとの理由で全面公開は行わない方針を固めたとしている。そして原口前総務相の発言を伝えている。

 原口前総務相「(ビデオの開示は)ここには領有権の問題も領土の問題も存在しないということをはっきり示すためにも大事なことだと思います。国会として開示を求めたい」――

 〈改善の兆しを見せ始めた日中関係に悪影響を及ぼす恐れがある〉を理由にビデオ公開しないのは中国の反発を主体とし、それに従属させた日本政府の対応となる。

 このことは日本が日本国内でいくら「尖閣に領土問題は存在しない」と言ったとしても、「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も我が国の固有の領土である」事実を中国に対して曖昧にする対応ともなるはずである。

 逆にビデオ公開は“我が国固有領土”活動の重要な一環となるはずだが、ビデオ非公開を通して、“我が国固有領土”活動を差し控えようとしている。
 
 菅首相は中国人船長釈放とビデオについて10月6日衆議院本会議代表質問で自民党の稲田朋美の質問に答えている。衆参いずれの他の誰であっても、同様の質問に対しては同様の答弁となったはずである。何しろ原稿を殆んど丸読み状態で答えていたのだから。

 菅首相「中国人、中国のいわゆる、漁船の船長釈放について、衝突時の映像を見なかったことについてのご質問をいただきました。
 
 私はこの衝突事案につきましては海上保安庁のビデオ等により説明を受けていた国土交通大臣、また官房長官から随時報告を受けておりまして、必要な出来事については私として把握をいたしておりました。

 外交問題を理由として釈放したことの責務についてのご質問をいただきました。

 本件の被害者(ママ)の釈放については検察当局が被害が軽微であること、犯罪の計画性がないこと初犯であること等の事件の性質に加えて、我が国国民への影響、今後の日中関係など、その他の諸般の事情等を総合的に考慮した上で国内法に基づき、粛々と判断を行った結果と承知をいたしております。稲田議員も弁護士でありますので、そうした刑事訴訟法は私よりは詳しいと思いますが、総合的に判断することもこの中で認められていることから、ご承知のとおりであります。

 外交問題を検察当局に委ねたことの責務についてというご質問がありました。

 今申し上げたように中国人船長の釈放については、検察当局が国内法に基づき、事件の性質等を総合的に考慮して最終的な判断を行ったところであり、その判断を適切なものであったと認識をいたしております。なお(声を一段と強め)、外交の目的そのものの判断、つまり日本の外交目的のそのものの判断を検察当局に委ねたという認識は全くありません。

 外交の判断の誤りについての責任のご質問をいただきました。

 中国人船長の釈放につきましては検察当局が国内法に基づき事件の性質等を総合的に考慮して最終的に判断を行ったところであり、その判断は適切なるものであったと認識をいたしております。尖閣諸島が我が国固有の領土であることは歴史的にも国際法上も疑いのないところであり、現に我が国はこれを有効に支配しております。尖閣諸島を巡って解決すべき領有権の問題はそもそも存在をしておりません。我が国を(ママ)かかる立場については国内外で正しい理解が得られるよう、今後とも努力をしてまいりたいと考えております。

 この件の処理によって国益を著しく信頼したという(ママ。「失墜した」、あるいは「侵害した」の誤りであろう)ご質問がありました。外交に関する最終責任についてお尋ねがありました。

 当然でありますけれども、最終責任は内閣の責任者である私にあるものと認識をいたしております。中国人船長の釈放については先程来申し上げておりますように、検察当局が国内法に基づき事件の性質等を総合的に判断を行ったところであり、この判断は適切な判断であったと認識認識をいたしております。

 衝突時映像の公開についての質問について、ビデオの公開については、現在の捜査の状況及び国会などからの要望を踏まえて、捜査当局に於いて適切な判断をなされるものと考えております」――

 纏まりも締りもなく何度も同じ内容の答弁を読み上げている。この合理的判断能力の弛緩状態、単に原稿を読み上げるだけの気迫のなさからはリーダーシップのカケラも窺うことができない。

 「ビデオの公開については、現在の捜査の状況及び国会などからの要望を踏まえて、捜査当局に於いて適切な判断をなされるものと考えております」と言っている。

 捜査当局の判断を公開か否かのすべての条件としていたはずだが、改善の兆しを見せ始めた日中関係への悪影響の危険性の政府・与党の判断に条件を変え、国民の目に目隠しすることに変わりはない一部議員公開だとか全面公開禁止だとか言い出している。

 これを以て検察に対する政治介入と言えないだろうか。中国人釈放は検察当局の国内法に基づいた判断で政治介入はなかったとしていながら、ビデオ公開に関しては、一度は検察の判断がすべてだとしていたことを覆して、政府・与党の判断に変えているからだ。このことは検察が政府所属の一行政機関であり、政府の管轄下にあることとは関係ないはずだ。

 この一度は検察の判断がすべてだとしていたことを覆して、政府・与党の判断に変えることを可能とする政治的処理は中国人釈放に関わる検察当局の国内法に基づいた判断をも政府・与党の判断に変えることを可能とする政治的処理の相互性をも考えることができ、その結果としてのビデオ公開に於ける検察の判断から政府・与党への判断の転換とすることもできる。

 いわば検察の判断がすべてだは政府・与党が言っていることで、検察側が言い出し、検察側が求めた判断ではないということ、政府・与党基準の判断である疑いが濃厚だということである。

 いずれにしても菅首相は所信表明演説などで、「広く開かれた政党を介して、国民が積極的に参加し、国民の統治による国政を実現する」と宣言している。国民が積極的に参加する政治は厳格・適正な情報公開なくして成立不可能となる。

 10月1日午後の臨時国会衆参両院の所信表明演説でも、「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を言っている。以前のブログで、〈「国民全体」とは、国民自身が政治を直接担うわけではなく、現在は菅内閣が担っているのだから、国民が全体的に何を望んでいるのか、どうすべきと欲しているのか、その意思を読み取って菅首相が先頭に立って内閣として政治・外交に反映させることを言うはずだ。よりよく反映させることによって、結果として「国民全体で取り組」んだ政治となり得る。あるいは「国民全体で取り組」んだ外交となり得る。〉と書いた。

 菅首相は中国漁船衝突事件での外交判断にしても中国人船長の釈放に関しても「適切な判断」だとしている。だが、国民は世論調査を通じて「適切な判断」を否定している。

 ビデオの問題についても菅首相が言う捜査当局の「適切な判断」は野党にしても国民世論にしても圧倒的多数が全面公開に置き、全面公開こそ「適切な判断」としている。

 「広く開かれた政党を介して、国民が積極的に参加し、国民の統治による国政を実現する」と言うなら、あるいは「国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』」を言うなら、国民の目に目隠しすることにならない、政府基準の「適切な判断」ではなく、国民が「適切な判断」だと認める政治――国民基準の「適切な判断」に置く情報公開、説明責任を果たす政治責任を負っているはずである。

 だが、現在のところ政府基準の「適切な判断」にとどまり、国民基準の「適切な判断」に向かう気配はなく、国民の目に目隠しようとする動きとなっている。

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蓮舫議員の国会内撮影に見る考え違い

2010-10-09 07:32:19 | Weblog

 どうでもいいことだが、蓮舫議員が考え違いしているようだから、ちょっと書いてみることにした。

 蓮舫行政刷新相が議員活動に関係する場合は認められているが、私的な宣伝や営利目的に当たる場合は許可されていない国会議事堂内での自身がモデルとなった、ファッション誌「VOGUE NIPPON」のための撮影を行い、それが11月号に掲載されたことが問題となって、西岡参院議長から10月7日、口頭で注意を受けた。

 早速野党が10月7日開催の参議院議院運営委員会の理事会で攻撃のネタとし、参議院議長からの口頭の注意もあったからだろう、蓮舫は翌8日午前の閣議後の記者会見で謝罪している。但し、謝罪一辺倒ではなく、自己正当化の弁も加えている。

 《蓮舫大臣 国会内撮影で陳謝》NHK/10年10月8日 12時0分)

 野党「私的な営利目的の写真撮影を国会内で行うのは、不適切だ」

 蓮舫「国民から政治に高い関心を持ってもらうことは非常に大切で、国会議員は、街頭演説や集会など、さまざまな手段で情報を発信している。その1つの手段として雑誌の取材に応え、掲載してもらうことは大切だ」

 確かに言っているとおりである。しかしここに考え違いはないだろうか。

 蓮舫「撮影は正式な手続きを経て、立ち会いの下で行われたが、撮影場所が不適切だと懸念を抱かせたとすれば、まったく本意ではなく、率直におわびを申し上げる」

 「懸念」の意味は、気がかり、心配といったことだが、ここで言っている「懸念」は“疑い”(=疑念)の意味で使っているはずだ。自分は間違っていないが、不適切の疑いを持たれたのだから謝罪すると。要するにあくまでも疑いに過ぎないと無罪を訴えている。だから最初の自己正当化の弁が可能となる。

 確かに政治家としての情報発信の手段に街頭演説や集会、雑誌取材、テレビ出演、座談会、講演、後援会活動様々にあるだろうが、それらは常に政治家としての意識を持った活動でなければならないはずだ。但し政治家としての意識を持った活動に於けるその意識は無制限が許されるわけではなく、政治家それぞれが所属する政党の理念やモットー、政策、あるいは自己の政治信条等の制約を受ける。

 逆説するなら、如何なる手段を用いた政治家の情報発信であっても、所属する政党の理念やモットー、政策、あるいは自己の政治信条等の制約を受け、その範囲内の情報発信活動でなければならない。

 このことは中国漁船の海上保安庁巡視船衝突事件時に蓮舫が「(尖閣諸島は)いずれにしても領土問題なので、私たちは毅然とした日本国としての立場を冷静に発信すべきだと思っている」(asahi.com)と述べたことが日本政府の「尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」の公式見解の制約を受けて発言を撤回、謝罪したことが何よりも証明している。

 現実には「尖閣に領土問題は存在しない」は日本が言っているだけのことで、中国によって領土問題を存在させられている。

 例えば常日頃貧乏人の味方を政治信条としている政治家が金持のパーティに招かれて飲んだり食ったり、大騒ぎしたりを私的な愉しみ、個人的付き合いだとすることはできたとしても、情報発信の手段だとすることは許されるだろうか。

 いや、一方で貧乏人の味方を言い、一方で金持のパーティに参加して贅沢な飲食と贅沢な愉しみに耽ること自体、例えそれが純粋に私的行為、個人的行為の類だとしても、貧乏人の味方の言説にインチキ臭さを纏わせることになるに違いない。

 例えどのような活動であっても、どのような情報発信であっても、自らを立たしめている政治的立場に忠実に即した活動、情報発信の制約を前提としなければならないということである。

 西岡参院議長が口頭で注意し、野党が問題としたことは豪華な衣装を纏ってファッション誌の撮影に臨んだ点にあるらしい。《蓮舫叱られた! 議事堂ファッション写真「ジャケット55万円、スカート38万円、ブーツ11万円」》J-CAST/2010/10/ 8 13:08)

 〈議事堂の中で写真を撮ることは、許可さえあれば可能。大臣がファッションに身を固めてもどうってことはない。何が問題かというと、蓮舫が着ていたブランドの衣装の値段が、グラビアのスミに出ていたこと。ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円とある。〉――

 笠井信輔アナ「写真に続く本文は、蓮舫さんの議会活動についてのインタビューなので全然問題はない。ところが、ブランド名と値段が出たので宣伝モデルになったとみなされた」――

 いわば撮影が営利目的と看做されたということだろうが、「議会活動についてのインタビュー」を受けていると言うことなら、テレビに出てギャラを得て自らの政治的な情報発信を行うこととさして変わりはなく、場所の違い以外はさして問題とはならないはずだが、場所の違いを無視したとしても、ファッション誌「VOGUE NIPPON」のインタビューに関しては政治家としての意識を持って臨んだであろうが、写真撮影に関しては政治家としての意識を持ってカメラの前でポーズを取ったのではなく、ファッションモデルとしての意識を持ってカメラの前でポーズを取ったはずで、そこに一番の問題点があるはずである。

 まさか「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」というセレブ向け仕立てのゴージャスなファッションに身を包み、政治家としての意識でカメラの前に立ったわけではあるまい。そのような感覚で立ったとしたら、「国民の生活が第一」を政治理念、モットーとした政党に所属し、その制約を受けて国民の暮らしだ、安心だ、行政改革だ、ムダの削減だ、ムダの排除だと普段情報発信している言葉と撮影時の装いの豪華さと乖離することになり、言葉自体がウソになってなおさら問題となる。

 あるいは自らが情報発信している言葉を裏切る豪華さだということになる。

 「国民の生活が第一」を政治信条、モットーとしている政党に所属する以上、その政治信条、モットーに制約を受けた政治活動を行わなければならない義務と責任を負う。「国民の生活が第一」の「国民」とは富裕層を対象とした「国民」なら、100万円以上もするブランド衣装を着た国会議事堂内撮影は政治信条、モットーに適った政治活動と言えるかもしれない。セレブに視点、焦点を置いた「国民の生活が第一」ではなく、一般国民に視点、焦点を置いた「国民の生活が第一」だとしたら、政治信条、モットーの制約を自ら破壊する情報発信となる。

 政治家ではあるが、あくまでもファッションモデルの意識でなければ、庶民には目が飛び出る、一般国民の生活実感から乖離した高価なブランド品に身を包み、カメラの前に自身を曝すことはできなかったはずだ。シャッター音が響くにつれ、表情に自身の美貌とスタイルに対する誇りさえ覗かせていたかもしれない。

 大体が「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」の写真で「国民から政治に高い関心を持ってもらう」ためのどのような情報発信を意図していたと言うのだろうか。
 
 ファッションモデルとしての意識で撮影を受け、政治家としての意識でインタビューを受けた。そしてギャラを受け取った。多分、ギャラに占める割合はファッションモデルとしてのギャラの方が多いはずである。

 例えインタビューの場面では政治家の意識を全面的に出して臨んだとしても、インタビューには「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」は必要としない。いわば政治家としての意識に立った情報発信には「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」は不必要アイテムでしかない。

 撮影が「正式な手続きを経て、立ち会いの下で行われた」、政治家としての情報発信だとしても、何ら制約を受けないと考えるのは蓮舫の考え違いに過ぎない。合理的な判断能力を欠いているから、自己正当化が可能となる。

 「国民の生活が第一」がたまたま所属した政党が掲げた政治信条、モットーに過ぎず、蓮舫自身は個人的には掲げていないウソとしていて何ら制約を受けない、普段の情報発信は政治家としての姿を取り繕う装いに過ぎないということなら、「ジャケット55万200円、スカート38万6400円、ブーツ11万1300円」の写真撮影は自然な情報発信となる。

 その場合は蓮舫は頭の天辺から足の先まで政治家としての意識を持って臨むことができたに違いない。自分では気づかない見せ掛けの政治家として。

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菅首相の「原稿を読まずに答弁しろ」の売り言葉に買い言葉の問われる品位の対象

2010-10-08 08:51:52 | Weblog

 自民党の稲田朋美の10月6日衆議院本会議代表質問。《「原稿読むな」の首相反論に古川副長官が「品位欠いた」と陳謝》MSN産経/2010.10.7 12:10)

 稲田朋美「官僚の用意した原稿を読まず、首相自身の政治家としての言葉で答えてほしい」

 菅首相「『原稿を読まないで答弁しろ』というなら、原稿を読まないで質問するのが筋だ」

 この答弁に自民党が反撥。

 自民党「質問者が原稿を読まなければ、事前に質問通告する意味がない」

 菅義偉議運筆頭理事(自民党)「首相の謝罪がなければ7日の本会議開催に応じない」

 民主党側の反応――

 古川元久官房副長官「品位を欠くところがあり、誠に遺憾だ。今後は適切な答弁に努める」

 菅首相自身も7日の衆院本会議で謝罪している。《【代表質問】「汚い言葉」発言 首相が本会議で「不適切」と陳謝》MSN産経/2010.10.7 14:59)

 菅首相「昨日(6日)の本会議で私の発言に関し、不適切とのご指摘をいただいた。ご指摘を真摯(しんし)に受け止め、以後、与野党が十分議論に臨めるよう努めたいと思います」

 菅首相の謝罪はねじれ国会が野党の協力を必要とする利害状況にあることからの止むを得ない態度なのかもしれない。

 だが、菅首相は謝罪の対象を首相自身の答弁の言葉に置いた。古川官房副長官自身も、「総理の答弁は品位を欠く」として、答弁の言葉自体を品位欠如の対象としている。

 記事は首相が稲田朋美に対して「これほど汚い言葉は使わなかった」と発言したことも紹介している。

 稲田朋美がどのような「汚い言葉」を使ったのか衆議院インターネット審議中継の動画を見てみた。

 菅首相がかつて拉致首謀者の一人である辛光洙釈放嘆願書に署名したことを、「その間抜けぶり」と言い放ち、「拉致問題に取組み決意を官僚の作ったのではなく、あなた自身の、真実味のある言葉で答弁してもらいたい」と要求している。

 その他、「外交安全保障政策が余りに無責任、無策」、今回の尖閣問題の政府対応を「無様な外交的敗北です。菅内閣は腰抜け、ぶれた内閣。検察に政治責任と説明責任を押し付ける卑怯者内閣」と言いたい放題を言っている。

 さらに民主党の2009年衆議院選挙マニフェストを取り上げ、「ウソだらけの詐欺とも言うべきマニフェストで政権を掠め取ったのが民主党」と非難。

 但し政権交代劇に関して、「そのような民主党に政権を掠め取られた我が党も情けない」と自己批判することは忘れない。 

 ここで再度、菅首相の答弁方法に上記と同じ条件をつけている。

 稲田「私の質問はすべて総理に答弁を求めています。官僚の用意した原稿を読まずに、総理自身の政治家としての識見あるご自身のお言葉でお答えください」

 菅首相は答弁の冒頭、上記「MSN産経」が稲田朋美の質問に対して「これほど汚い言葉は使わなかった」と逆批判した言葉を発している。

 菅首相「先ず冒頭、厳しい言葉が並んでおりました。まあ、私も野党時代、かなり厳しい言葉を使っておりました。しかしこれ程汚い言葉を使わなかったつもりです」

 民主党議員からだろう、拍手が起こった。そして答弁の最後に原稿を読む読まないで古川官房副長官が「品位を欠くところがあ」ったとし、菅首相自身も謝罪した箇所。

 菅首相「なお、原稿を読まないで答弁をしろというご指摘がありました。それなら先ず、原稿を読まないでご質問をされるのが、先ず、筋ではないでしょうか。また多くの質問に対して答弁洩れを防ぐためにもある程度のメモを用意することは、当然なことだと思っております。以上稲田さんの質問にお答えしました」――

 「多くの質問に対して答弁洩れを防ぐためにもある程度のメモを用意することは、当然なことだ」には真っ赤なウソがある。「ある程度のメモ」どころか、殆んど最初から最後まで原稿の丸読みとなっている。

 原稿を読みながらの答弁は流暢、明確であるが、しかし淡々と事務的に早口に読み上げていることから、読んでいるだけといった印象を与える答弁となっている。もし官僚が作った答弁ではなく、自身が作成した答弁であったとしても、読み上げる段階で誠心誠意を欠く表現と化していると言わざるを得ない。

 誰もが菅首相が見せた稲田議員に対する答弁自体を対象とした“不適切な発言”、あるいは“品位を欠いた答弁”と問題としているが、それだけではない不適切・品位を欠く対象は別にあるはずだ

 菅首相が日本の内閣を率いる最高責任者という身分と立場にありながら、いわば一国の総理大臣が野党の一議員が発する質問の言葉に対等に対応した発言を行ったと言うことであろう。

 対等に対応することになったから、売り言葉に買い言葉の形式を取った発言となったはずである。子どもの売り言葉に大人が買い言葉で対等に対応した場合を考えたなら理解できる。この行為の場合は大人である自身の精神性を子どもの精神性に貶めた場面ともなる。

 少なくとも菅首相は日本の内閣を率いる最高責任者という身分と立場にある自身をそのような身分と立場にはない野党の一議員に対して売り言葉に買い言葉によって同等の立場を取ることとなった。同等の立場を取ることとなったと言うことは身分・立場が違い、身分・立場が違えば役割・責任の軽重・大小も違ってくるのだから、それらをひっくるめて逆に自身を貶めた関係を取ったことになる。

 そのように貶めたところに品位の欠如があり、品位の欠如を言葉を対象とする以上に対象としなければならないはずだ。何しろ一国の総理大臣である。野党の一議員には許されたとしても、総理大臣には売り言葉に買い言葉の許されない貶めであろう。

 大体が自民党が「質問者が原稿を読まなければ、事前に質問通告する意味がない」と批判していることに関係なしに野党の一議員が原稿を丸読みしたから総理大臣も丸読みしてもいいことにはならない。原稿を読まずとも自身の政策を語ることができないでは何のための総理大臣か分からなくなる。それを「原稿を読まないで答弁をしろというご指摘がありました。それなら先ず、原稿を読まないでご質問をされるのが、先ず、筋ではないでしょうか」と言う。

 まさしく稲田議員と菅首相を対等に置いた発言となっている。

 対等に置くこと自体が品位を欠く行為、品位を欠く精神性と言ってもいいが、同時に自身を誤魔化す行為であろう。

 同じような誤魔化しを温家宝首相との会談についての稲田議員の中国で拘束されたフジタ社員の残る一人の釈放を主張したのかの質問に対する答弁でも見受けることができる。原稿を読み上げての短い答弁でありながら、言葉の途中途中に「オー」、「アー」の間投詞の投げ入れが多くなる。
 
 菅首相「また、アー・・・、フジタ、アー、の社員の、問題については、併行して私と温家宝総理との話と併行して、えー、我が国の、オー、として、その、1名の身柄の、安全の確保等、早急な釈放を、オー、求めて、現在も、オー、交渉を進めて、いるところで、あることを申し上げておきます」――

 これだけの短い言葉を原稿から読み上げる中で、今まで読み上げてきたような淡々とした流暢さはなく、次の言葉を続けて読み上げることができずに、「オー」、「アー」、「えー」を入れて、つっかえつっかえのような答弁となっていた。しかも温家宝首相と読み上げるべき箇所を「温家宝総理」と間違えて読み上げている。稲田朋美が右手を口の脇に置いて何か野次を飛ばしていた。「総理ではない、首相だ」とても言っていたのかもしれない。

 稲田朋美は残る一人の釈放を会談で求めたのかと質問した。答弁は「フジタ社員の問題については私と温家宝総理との話と併行して」と明確には答えないままに問題となっている会談内容を飛ばして、「現在も交渉を進めているところである」と「現在」につなげている。

 明らかに会談当時の「交渉」の誤魔化しであろう。釈放を求める発言を一切省いていたから、質問に対する答弁として、会談の状況を飛び越えて現在の状況を持ち出しすことで補った。

 誤魔化しがあるから、原稿を読み上げているにも関わらず淀みを欠いて、「オー」、「アー」、「えー」が頻繁に入ることになる。

 自身の身分・地位、役割・責任を忘れて、そういった身分・地位、役割・責任のない一議員と同等の状況に貶める品位の欠如と対応した事実の誤魔化しに見える。

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仙谷シナリオの日中首脳会談で中国から与えられたエサの外交成果

2010-10-07 05:47:06 | Weblog

 10月4日夜(日本時間5日未明)にASEM(アジア・ヨーロッパ首脳会議)開催国のブリュッセルで日本の菅首相が中国の温家宝首相と25分間の長きに亘って自国国益を一歩も譲らない激しい議論を戦わせた。この当初実現の可能性がなかった大会談は実は仙谷官房長官がシナリオを書き、レールを敷いて実現させた大会談だと昨日の「asahi.com」記事が伝えている。

 《日中首脳会談へ極秘交渉 仙谷ルート構築》(2010年10月6日13時8分)

 記事をほぼそっくりなぞる形の時系列で仙谷官房長官のシナリオを基に出来上がったストーリーの展開を追ってみる。

1.日中両国関係の早期改善を望む菅首相の強い意向を受け、尖閣諸島沖の漁船衝突事件でもつれた日中関
  係の修復のため、首相官邸は外務省ルートに頼らず、新たな政治家ルートの構築を探る。

2.9月24日、日中首脳会談開催に向けた活動を開始。日本側が中国人船長の釈放を決めた頃。仙谷官房
  長官は中国側に歩み寄りの意思があることを独自ルートで察知。

3.9月27日、菅首相は一旦見送りを決めていたASEM首脳会合に一転、出席を決断。

4.9月29日、先の民主党代表選で小沢一郎元幹事長を支持したものの、中国人脈を持つ細野豪志前幹事
  長代理を密使(とは仰々しい)として北京に派遣。

5.菅首相(細野氏の訪中をいぶかる周辺に電話で)「あれは仙谷がやっていることだから大丈夫なん
  だ」

 人間が目出度くできているから、黙ってはいられない。菅首相から伝え聞いた周辺が、「あれは影の総理大臣の仙谷がやっていることだから大丈夫なんだってさ」と次に伝え、その者がさらに次に伝えて、密使が密使でなくなり、テレビカメラが北京空港に降り立った細野氏を把えることとなる。

6.細野氏は中国外交を統括する戴秉国(タイ・ピンクオ)国務委員との会談に成功し、ASEMでの首脳
  会談の可能性を協議。

7.9月30日細野氏帰国。首相官邸に報告。

8.外務省は官邸のお墨付きを得た細野氏の動きを知り、日中外交の主導権が政治家側に奪われてしまうと
  慌てる。外務省は外交ルートを通じて中国側に日本政府高官と戴氏の電話会談を要請。

9.外務省と中国の動きを伝えられた仙谷官房長官は周辺に「そんな話は知らん」と不快感を示すが、細野
  氏の訪中で首脳会談まで漕ぎつけることができたわけではないため、戴氏との極秘の電話会談に臨む。

10.日中首脳会談の実現に向けた大枠の課題として、(1)戦略的互恵関係の重要性(2)日中交流の推進
  の2点を確認。

11.10月3日夜、菅首相ブリュッセル入り。

12.10月4日昼、温家宝首相ブリュッセル入り。

13.仙谷氏の腹心・福山哲郎官房副長官が首相外遊に同行して現地で水面下の交渉を続ける。

14.最後の調整として、ASEM全体会合で行う両首脳の演説内容が残る。

15.全体会合の演説で、「尖閣諸島問題はお互いに直接言及しない」を水面下の最後の確認事項として首
  脳大会談の実現が決定。

16.福山官房副長官が現地で演説案に筆を入れる。

17.10月4日夕、ASEM全体会合演説で菅首相、温首相共に尖閣諸島問題には触れずにスピーチを終え
  る。


18.約2時間かかったワーキングディナー終了後、両首脳は25分の長きに亘ってワーキングディナーと比較にならない双方の国益に関わる激しくも濃密な議論を戦わす。

 菅首相「割と自然に、普通に話ができました」――

 問題とすべきは議論の中身――何をどう話し合ったか、具体的成果が望める話し合いだったかどうかであり、会話の様子ではないが、菅首相は会話の様子により重要性を置く価値観を持った政治家らしい。

 記事には以下の解説がある。

 外務省を絡めまいとした官邸主導のシナリオだったために、〈ASEM首脳会合には中国の担当課長が同行せず、首相には中国語の通訳もつかなかった。首相側には「こちらから日中首脳会談を望むような姿勢は見せない」(周辺)との思いもあったが、自民党の外交部会幹部は「英語を介した通訳で、温首相の発言のニュアンスまでつかめたのか」と批判する。〉 ――

 要するに、「こちらから日中首脳会談を望むような姿勢は見せない」ために日本人の中国語通訳を同行させなかったことになる。だが、実際には日本側から求め、中国側が応じて与えたエサが25分間の大会談だった。

 しかも中国側が応じて日本に与えたエサである25分間は、日本のマスコミは「首脳会談」と言うものの、中国側に言わせると「交談」、中国側が会談の実体をばらした関係からだろう、菅首相は昨日の衆院本会議代表質問答弁で「懇談」と表現した両首脳の軽い話し合いであり、その中身は日本側がより必要としている(1)戦略的互恵関係の重要性(2)日中交流の推進の2点といったそう遠くない時期にいつかは戻る道であるゆえにある意味形式的に確認し合ったことと、尖閣諸島に対する領有権をそれぞれが主張し合い、日本が中国の主張を斥けることができなかったのだから(菅首相「温家宝さんの方から原則的な話が出たものですから、私の方からの尖閣諸島は我が国固有の領土だと原則的なことを申し上げました」)、結果として双方の領有権主張を併立させる内容を持たせることとなる確認をし合うこととなったことぐらいであった。(このことを昨日のブログでは、尖閣諸島領有権の二原則化だと書いた。)

 だが、後者の確認は日本にとってご馳走と言えるエサでは決してない。25分間の大会談で否定的エサも成果としたと言うことである。

 また、菅首相のASEM出席の当初の目的はASEM全体会合に集まるアジア・ヨーロッパの各国首脳に尖閣諸島が日本に領有権があることを説明することにあったはずだ。《漁船衝突事件 ASEMで説明へ》NHK/10年10月3日 4時9分)

 9月の衆議院予算委員会集中審議でのASEMへの出席について発言――

 菅首相「尖閣諸島沖で起きた中国漁船による衝突事件について、わが国の立場を説明していきたい」――

 全体会合で日本の立場を訴えることは各国からの日本支援の少なくとも心理的な保険の一つとなり得たはずだ。 

 だが、日中首脳大会談の実現の条件が「全体会合での両首脳の演説内容」は「尖閣諸島問題はお互いに直接言及しない」であったなら、その条件を飲んだということは各国首脳との個別会談でいくら説明したとしても、中国には直接伝わらない説明であり、肝心の全体会合で日本の立場を伝え、それを各国の共通認識に仕向ける折角の機会を菅首相自ら捨てたことになる。

 さらに言うなら、全体会合では尖閣問題に触れず、その代償として実現させた25分間の大会談で、「釣魚島(尖閣諸島)は中国固有の領土である」を残した。

 菅首相が自ら捨てた全体会合で見込むことができた成果から、仙谷官房長官がシナリオ書いてレールを敷き、官房長官からしたら大成功と鼻高々だったかもしれないが、中国から与えられたエサとして実現した25分間の日中首脳大会談の成果とも言えない中身の成果を差引きした場合、「釣魚島(尖閣諸島)は中国固有の領土である」を残している以上、失った外交成果の方が遥かに多いと見なければならないはずだ。

 菅首相にしたら、問題解決に向けた姿勢を見せるよりも、先送りしてその場を無事に過ごすことができればよかったのかもしれない。

 だから、「温家宝さんの方から原則的な話が出たものですから、私の方からの尖閣諸島は我が国固有の領土だと原則的なことを申し上げました」云々と双方の領有権主張を軽々と併立させることができたのだろう。

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菅首相、尖閣諸島領有権を二原則化して中国領土ともする

2010-10-06 09:24:15 | Weblog

 日本の偉大な指導力を持った菅首相がブリュッセルで行われたASEMのワーキングディナー(仕事の話をしながら摂る夕食)終了後、温家宝中国首相と25分間の“会談”を行った。

 ワーキングディナーは実質的な主要会議終了後にセットされる場面であろう。“会談”の重要性の位置づけも時間や順番に左右される。

 “会談”は10月4日夜(日本時間5日未明)行われ、菅首相はまもなく帰国の途についたそうだから、このことからも最後の最後にセットされた。しかも中国側が要請して日本側が応えた“会談”であるはずもなく、日本側の要請に中国側が応えた“会談”であろうから、中国側の重要性の位置づけがどの程度か容易に判断がつく。

 しかし「MSN産経」記事――《【日中首脳会談】政府、会談実現も甘い認識変わらず》(2010.10.5 23:52)によると、漁船衝突事件に端を発した中国側の過剰な対応や東シナ海のガス田問題、フジタ社員の残された一人の釈放問題等が殆んど話題にならなかったにも関わらず、〈閣僚からは「大変良かった」(前原氏)「非常に喜ばしい」(馬淵澄夫国土交通相)と会談を賛美する声が相次いだ。〉と書いていることからすると、菅首相自身も成功と見ているはずである。「MSN産経」記事が題名で「甘い認識変わらず」と書いているように、中国がこの“会談”にどの程度に重要だと位置づけていたか判断できない、毎度のこと発揮される菅首相の合理的認識能力の欠如に感心しないわけにはいかない。

 このことは中国語通訳を帯同しなかったことにも現れている。「MSN産経」は、〈日本側には中国語の通訳がおらず首相の発言を日本側通訳が英訳し、中国側がそれを中国語に訳した。温家宝首相の発言は中国側の通訳が日本語に訳した。〉と菅首相と温家宝首相の会話の状況を伝えている。

 当初予定していなかった菅首相のASEM出席の目的の一つは温家宝首相との会談にあったはずだ。当然、目的とした会談実現に向けて外務省から模索する様々な接触を中国側に発したに違いない。菅首相の出発時点に於いても確たる反応を得ることができなかったとしても、ASEM開催期間中の実現の可能性は断たれたわけではあるまい。

 記事は二人の発言を伝えている。

 北野充外務省アジア大洋州局審議官「実現することが分かっていれば準備するが、そういう状況でなかった」

 小泉進次郎自民党衆院議員「政権の危機管理が問われる大問題だ」

 だが、実現した。北野審議官の発言は自分たちの無能・無作為を誤魔化し、逃れる弁解に過ぎない。可能性ある状況の展開を読んで、読んだ(判断した)すべての可能性ある状況に備える危機管理意識が欠けていた。だとしてもこの危機管理意識は外務省の役人だけが持たなければならない危機管理意識ではなく、会談を策す当事者としての菅首相自身も持たなければならない危機管理意識であったはずだ。

 菅首相自身が合理的認識能力、合理的判断能力を欠いていたということに尽きる。

 “会談”は菅首相が記者団に語ったところによると、「(温首相と)廊下を同じ方向に歩いていたが、『やあやあ』という感じで、近くの椅子に座りましょうとなって、割と自然な感じで、普通に話ができた」(時事ドットコム)偶然の状況を発端としていて、しかもワーキングディナー後の時間は25分。どのマスコミも「会談」と書いているが、「会談」ではなく、非公式会談との位置づけを行うべきではなかったろうか。

 菅首相が記者団に語ったこの偶然の状況も上記「MSN産経」記事によると、「世の中でそんなハプニングが起きるはずがない。あうんの呼吸だ」と真相を明かした政府高官の発言を伝えている。

 これが事実を証明する発言だとすると、菅首相の偶然の装いは外務省設定の“会談”であった事実を隠して、いわば外務省の力を借りた会談ではないとして自身の偶然の手柄とする一種の粉飾に相当する。指導力のない政治家は機会さえあれば自身の売り込みを謀る。

 【粉飾】「取り繕って立派に見せる」(『大辞林』三省堂)

 これは“会談”と言えるものではなく、非公式会談に過ぎないと書いたが、同「MSN産経」は、〈外務省は5日の自民党外交部会で「立ち話」と説明した。〉と書いている。

 「立ち話」であるなら、“会談”だとしている交わされた会話の中身も「立ち話」程度となる。

 外務省のこの「立ち話」説を他の記事が証明している。《菅・温首相会談、中国は「交談」と表現 新華社》日本経済新聞電子版/2010/10/5 8:44)

 〈中国側は今回の会談を正式な首相会談の際に使う「会談」ではなく、話を交わしたという意味の「交談」との表現を用いている。〉――

 「話を交わした」程度としているなら、椅子に座った会話であっても、「立ち話」に於ける軽い会話と中身の違いはさしてないことになる。

 《日中首脳会談:中国、会談位置づけに苦心 国内に対日強硬論根強く》毎日jp/2010年10月5日)では、〈新華社通信は当初、記事配信の予告で正式な首脳会談を意味する「会見」という言葉を使っていたが、その後の予告で会話を交わすを意味する「交談」に修正した。〉となっている。

 その理由として次のように解説している。〈尖閣諸島(中国名・釣魚島)付近での漁船衝突事件で逮捕・拘置された中国人船長が釈放された後、中国側は軟化の姿勢を見せ始めていたが、国内の対日強硬論は根強く、会談の位置づけにも苦心しているとみられる。〉――

 「日本経済新聞電子版」記事も「毎日jp」記事も新華社の報道として、温家宝首相が菅首相との25分の「交談」で「釣魚島は中国の固有の領土だ」と述べたと伝えている。

 但し、「毎日jp」記事の方は、温家宝首相が、〈米ニューヨークで先月下旬、在米中国人を前に演説した時のように「神聖な領土」という言葉は使っていない。〉との解説を加えている。

 温家宝首相の領土発言に関して菅首相自身の口からの説明を偶然、自分の手柄とする粉飾からでも何でもなく、昨5日の朝9時55分からのフジテレビ「知りたがり!」 で聞いた。

 菅首相「温家宝さんの方から原則的な話が出たものですから、私の方からの尖閣諸島は我が国固有の領土だと原則的なことを申し上げました」・・・と聞いたと思っていた。

 確実な情報とするために「Google」で文字情報を捜したところ、「朝日テレビ」記事――《廊下で偶然?椅子に座り25分会談 菅総理と温首相》/2010/10/05 11:49)を見つけることができた。

 記者「どういう感じだったんでしょうか」

 菅首相「だいたい同じ方向に歩いていたんですが、『やあ、ちょっと座りましょうか』という感じで、わりと自然に普通に話ができました。・・・・温家宝さんの方から原則的な話があったもんですから、私の方も領土問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」――

 「私の方からの尖閣諸島は我が国固有の領土だと原則的なことを申し上げました」と聞いたと思った言葉は、「私の方も領土問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」の聞き間違いであった。

 だとしても、「領土問題は存在しない」は「尖閣諸島は我が国固有の領土」の言い替えでもあるはずである。

 問題は、この「原則的な」という言葉に引っかかったことである。「領土問題は存在しない」=「尖閣諸島は我が国固有の領土」は果して「原則“的”」な事実なのだろうか。

 「温家宝さんの方から原則的な話があった」は具体的な発言自体は隠しているものの、新華社が伝えているように、「釣魚島は中国の固有の領土だ」との発言があったということであろう。

 「釣魚島は中国の固有の領土」だとしていることに対しても、「領土問題は存在しない」としていることに対しても双方の主張を「原則的な話」、あるいは「原則的なこと」とすることは、「原則的な話」、あるいは「原則的なこと」とするそれぞれの主張の容認となり、二原則化したと言うことにならないだろうか。

 二原則化した場合、「釣魚島は中国の固有の領土」と「尖閣諸島は日本の固有の領土」(=「領土問題は存在しない」)をそれぞれ併行させていくことになる。これは現状維持とも言える。記事によっては解決の先延ばしとも表現している。

 果して領土問題は「原則的な話」なのか。「原則」でもなければ、「原則的」でもないはずだ。譲ることのできない絶対事実として話を持っていかなければならなかったはずではないか。

 勿論相手も譲ることのできない絶対事実として「金魚島は中国固有の領土」だと主張する。そこで、「では、領土解決の交渉を持ちましょうか。お互いに固有の領土だと主張し合っていたなら、今後とも様々な障害が起こることになる」と主張、根本解決を見い出す方策を講じるべきではなかったろうか。

 日本側が「領土問題は存在しない」といくら言ったとしても、中国側が「釣魚島は中国固有の領土」だと言っている限り、主張の併行状態は現実問題として続くことになり、当然、領土問題は存在することとなり、単に「領土問題は存在しない」と日本側が言っているに過ぎないことになる。

 事実、言っていることに過ぎないことが中国漁船衝突事件に対する日本側の「国内法で粛々と対応する」措置に対して、国内法を越えて中国側が様々な対抗手段を取ったことに現れている。「尖閣諸島は我が国固有の領土」にしても、「領土問題は存在しない」にしても中国に対しては実効力を持たない菅内閣の発言でしかなかったということである。

 この事実は事実として存在した。また、今後とも存在する。この現実を無視して、「尖閣諸島は我が国固有の領土であり、領土問題は存在しない」を言い続けている。

 この判断能力、認識能力は如何ともし難い。

 【原則】「多くの場合に当てはまる規則や法則」(『大辞林』三省堂)

 意味するところは、「すべての場合に当てはまらない規則や法則」だと言うことである。いわば例外があると言っている。

 また「原則的」とは、「原則」よりも弱まった意味の原則に準じるというニュアンスを含むはずだ。「原則を申し上げた」と「原則的なことを申し上げた」では明らかに強弱がある。

 辞書の意味を当てはめて菅首相の発言を解釈するなら、日本側の「領土問題は存在しない」を「原則的な話」、あるいは「原則的なこと」とした場合、「原則」の意味は「すべての場合に当てはまらない規則や法則」であり、「原則的」が原則に準じる意味を含むことからして、中国側の「釣魚島は中国固有の領土」とする主張を入り込ませる余地を菅首相自ら招いたことになる。

 「釣魚島は中国固有の領土」の主張を認めたとも言い換えることができる。一方で「尖閣諸島は日本の領土」としていることから、いわば二原則化である。

 例えそういった意図があっての発言ではなく、合理的判断能力なしのノー天気からの無意図的な発言であったとしても、双方の主張を“原則的”として済ませたことは中国との間の領土問題の解決をマスコミが伝えているように先延ばし、あるいは棚上げしたことになる。温家宝首相との“会談”で、もしくは「交談」で、菅首相は先延ばし、あるいは棚上げの指導力しか発揮できなかったということであろう。

 始末に終えない政治家を我々は一国の指導者として頭に戴いていることにならないだろうか。

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小沢一郎強制起訴、議員辞職、離党、国会承認喚問は必要か

2010-10-05 07:25:19 | Weblog

 民主党の小沢一郎が資金管理団体「陸山会」の土地取引事件に絡んで検察審査会により昨10月4日、強制的に起訴すべきとする「起訴議決」を受け、強制的に起訴されることになった。

 周囲がどう受け止めたか、当たり前のことだが、“立場利害”によって異なる。マスコミが取り上げたそれぞれの立場からのコメントを拾ってみた。記事の題名は省略するが、NHKは一人ひとりの声を別々の記事で取り上げているから、同じ「NHK」と書いても異なる記事となる。

 以下「NHK」記事から――

 松木政務官「プロの検事が不起訴処分を出したのに、こういう形になったのは、非常に残念だ。わたしは納得がいかないが、国民が出した結論でもあるので、裁判でしっかりと無罪を勝ち取ってほしい。今回は、かなり無罪が強く推定される起訴なので、小沢氏は離党しなくてもいいのではないかと思う」(親小沢)

 生方衆議員「小沢氏が代表選挙で勝っていなくてよかった。総理大臣になっていたら、また大問題だった。政治とカネの問題について、きれいにしなければいけないということが、政権交代の一つの目的でもあったので、代表選挙に立候補した人が強制起訴される事態になったことは、非常に重く受け止めなければいけない。結果は裁判で白黒はっきりするだろうが、起訴されたことの政治的な責任はきわめて大きく、小沢氏は政治活動を自粛するのが筋だ」(反小沢)

 輿石参議院議員会長「今初めて聞いたので、コメントのしようがない」(親小沢)

 記者「政治とカネの問題で厳しく問われることになり、今後の国会運営にも影響が出ないか」

 輿石参議院議員会長「議決について初めて聞いたし、今、コメントする必要はない」

 平沼赳夫(どっこいしょ たちあがれ日本代表)「小沢氏の政治資金をめぐる事件は、国民の目から見て不明な点が多く、今回の議決は当然の判断だ。国民が納得できるよう、小沢氏は国会に出てきて事実関係を明らかにすべきだ。小沢氏は議員辞職も選択肢の一つとして、一定のけじめをつけるべきだ」(反小沢)

 舛添(新党改革代表)「国民の代表である検察審査会の決定であり、小沢氏は決定を厳粛に受け止めて、裁判の中で真実を明らかにしてほしい。民主党の議員の政治とカネの問題に対しては、依然として国民が疑問に思っている点が多く、臨時国会では引き続き、説明を求めたい」(反小沢)

 反小沢だが、批判色を抑えているのはご民主党と連携したいご都合主義の欲求が小沢一郎がいなくても民主党内には親小沢が多数存在する手前、露骨に反小沢を見せるわけにはいかない“立場利害”がそう仕向けている反小沢抑制なのは明らかである。

 まだ自民党にいて谷垣執行部を盛んに批判していた頃は、「参院選に敗れたら自民党はなくなるという危機感を持って戦っており、自民党支持者も支援してくれていると思う。敵は小沢民主党独裁政権で、敵を間違ってはいけない」と小沢代表の民主党は露骨に批判、小沢一郎が「政治とカネ」の問題で代表を辞職して鳩山代表下の幹事長に就任してからは、「我々の敵は小沢一郎幹事長のいる民主党だ。敵を間違ってはいけない。民主党政権を倒すことに成功すれば、自民党支持者にもきちんと評価して頂けると思っている」と批判していた頃から比べると遥かにトーンダウンしている。

 元々ご都合主義者であった上に衆議員ゼロ、参議院2議員のみの泡沫政党の代表という肩身狭い“立場利害”からしたら、党の存在意義を獲得するためには与党との連携に向けてなり振り構ってはいられないのだろう。

 下地幹事長(国民新党)「司法制度の中で決められたことなので、結果を重く受け止めなければならない。小沢氏は政治家として大きな役割を担う立場にいたし、今もそうなので、政界にとっては非常に衝撃的だ。今でも、小沢氏としては、みずからの主張が正しいという思いが強く、じくじたる思いではないか。責任を取るかどうかは、政治家本人が決めることなので、他党のわたしが申し上げることではない」(親小沢)

 福島瑞穂(社民党党首)「事実に基づいて厳正かつ公正に公判が進むよう、しっかり見守っていく。きょうの段階で、議員辞職などについて、まだコメントするときではないが、小沢氏は刑事手続きとは別に国会の場で、きちんと説明責任を果たすべきだ」(中間派)

 渡辺喜美(みんなの党代表)「国民の目線で見た場合、けじめがついていなかったということだ。私たちは『国会に出てきて説明すべきだ』と主張し、証人喚問を要求してきたが、これに応じなかったことが検察審査会の判断につながり、ツケが回ったのだと思う。小沢元代表は、証人喚問に応じるべきだ」(反小沢)

 佐々木(共産党国対副委員長)「強制起訴が決まったことはきわめて重大だ。政治資金収支報告書の虚偽記載の問題ばかりか、4億円の不動産購入の原資がゼネコンからの裏献金だった疑いがますます濃厚になった。国会として真相の究明と政治的道義的責任を明らかにする必要があり、各党と協力して小沢氏の証人喚問を実現したい」(反小沢)

 山口那津男(公明党代表)「新しい制度が政治家に適用される初めてのケースで、きわめて重要な意義を持っており、政界全体として重く受け止める必要がある。説明責任を果たす、再発防止策を作り上げるというのが政治の責任だ。これまで公明党は、刑事訴追など明白で重大な違法性があった場合には辞職勧告などを行ってきたが、検察の側が起訴したケースと、今回の新しい制度を受けて、このような結論に至ったケースへの対応は、もう少し議論をしていく必要がある」(中間派)

 山口公明党も民主党との連携欲求を抱えていて露骨な小沢批判ができない“立場利害”の制約を受けている。

 岡田幹事長「タイミング的にも早く、驚いているし、たいへん残念なことだと感じている。まだ結果が出たばかりで、党内でよく相談しておらず、小沢氏本人の考えが示されるのが第一だ。その前に、わたしがこうあるべきだと言うべきでない」(反小沢)

 野党が国会承認喚問を求めた場合について――

 岡田幹事長「小沢氏の判断だが、今後、司法の場で争われるので、国会で取り上げるのは一定の慎重さが求められると思う」

 9月の民主党代表選前の8月に当時は外相だった岡田の「起訴される可能性がある方が代表、首相になることには違和感を感じている」と小沢一郎立候補に反対した発言と比べて批判に激しさはない。「国会で取り上げる」ことに反対する「親小沢」議員が党内に大勢いることに対する対応の制約が言わせている“立場利害”からの発言であろう。

 この“立場利害”は菅内閣を構成する仙谷官房長についても同じことが言える。

 仙谷官房長官「議決は刑事訴訟手続きのひとつのプロセスであり、中身について、わたしの立場でコメントをすることは差し控えたい」(反小沢)

 今後の対応について――

 仙谷官房長官「国会等の問題なので、官房長官という立場なので、今の段階でコメントするのは適切ではない」

 検察審査会の議決によって初めて政治家が強制起訴されることについて――

 仙谷官房長官「新たな事態だ。専門家がエラーを起こさないということはなく、そこに市民の目線を入れてフィードバックしていくのが、司法改革の趣旨だ。ただ、起訴されても、有罪判決が確定するまでは推定無罪が原則であり、そこは、けじめをつけたものの考え方をしないといけない」

 「反小沢」の急先鋒でありながら、“小沢擁護論”となっているのは既に触れたように岡田幹事長と立場を同じくする“立場利害”からなのは明らかである。

 菅首相にしても、小沢一郎が議員辞職して民主党に存在しなくなればこれ程好都合なことはない“立場利害”にありながら、党内に「親小沢」議員を多く抱える“立場利害”上、簡単には排斥するような言動は取れない。訪問国のベルギーで。

 菅首相「手続きというか、そういうことが発表されたということは聞いた。それ以上のことは、まだ十分把握していないので、今の段階で、これ以上のことをコメントするのは控えたい」(反小沢)

 ――以上「NHK」記事――

  次は「47NEWS」記事――

 蓮舫行政刷新担当相「倫理的にどうなのかという声は野党、国民、民主党内からも出てくると思う」

 小沢氏の進退に関して――

 蓮舫行政刷新担当相「一義的には本人が判断することなので、もう少し様子を見なければならない」(反小沢)

 「倫理的にどうなのか」の前にNHKニュースでは、別室で聞いていてはっきりと耳にしたわけではないが、「今のところ推定無罪ではあるが――」と言っていたと思う。

 「反小沢」の急先鋒の一人でありながら、同じ「反小沢」立場の岡田外相や仙谷官房長官、菅首相と“立場利害”を同じくしていることからの穏当な発言であろう。

 「asahi.com」記事――

  牧野聖修民主党国会対策委員長代理「起訴相当との処分になり、小沢氏は自ら身を引くべきだと思っている。それができなければ党として離党勧告なり、除名処分になると思う」(反小沢)

 「反小沢」急先鋒の“立場利害”からしたら、当然の批判であり、当然の要求であろう。

 再び「NHK」記事――

 谷垣自民党総裁「『説明責任は尽くされた』と言ってきた菅政権の責任はきわめて重い。証人喚問などを行って、国会でこの問題を明らかにしなければ、政治に対する信頼は戻ってこない。民主党が態度を明確にしなければ、政治とカネの問題にルーズな党だということがはっきりする。小沢氏は議員辞職すべきだ」(反民主党)

 「反小沢」と言うよりも「反民主党」“立場利害”に立っているから、「菅政権の責任」まで追及して民主党を追いつめる意志を覗かせることとなっている。

 小沢一郎の「起訴議決」を受けたことに対するコメント発表(asahi.com

 「この度の私の政治資金団体にかかわる問題で、お騒がせしておりますことに心からおわび申し上げます。

 私は、これまで検察庁に対して、私の知る限りのことはすべてお話をし、二度にわたり不起訴処分となっており、本日の検察審査会の議決は誠に残念であります。

 今後は、裁判の場で私が無実であることが必ず明らかになるものと確信しております。

  衆議院議員 小沢一郎」 ――

 私自身はと言うと、これまでのブログ記事から明らかなように「親小沢」であり、断るまでもなく、「親小沢」派と“立場利害”を同じくする判断に立っている。

 厳密に言うと、要は「政治とカネ」に対する倫理観からの強制起訴に対する判断なり、批判なりではなく、“立場利害”をより優先させた判断・批判となっていると言うことである。

 生方や牧野聖修のように強制起訴を受けたことを以って重大視、あるいは倫理上問題があると把える向きがあるが、強制起訴を受けた裁判が現在のところ有罪と判決を下す場面にまで進んでいるわけではない。無罪となる可能性は否定できない。いわば“推定無罪”が“立場利害”を超えた何人も否定できない厳然たる事実として存在するはずだ。

 以前のブログで次のように書いた。

 〈岡田外相が8月20日に「起訴される可能性がある方が代表、首相になることには違和感を感じている」と発言して、小沢一郎立候補に異を唱えたのに対して、原口総務相が2日後のは22日に、「民主主義の原点を踏み外した発言をすべきではない。推定無罪の原則が民主主義の鉄則だ」と反撃のパンチ。

 このパンチに対して岡田外相がさらにパンチの応酬。

 岡田外相「推定無罪は法律の問題だ。政治倫理の問題でどうなのか、次元の違う話だ」

 法律(裁判)はすべての分野に関わる、あるいはすべての問題に関わる人間営為の善悪・是非に対する最終判断の役目を担っている。最終判断が冤罪という形で間違うこともあるが、他の判断、例えば政治上の判断や国民の認識や判断に優先する。

 このことは政府の政策を不服として裁判に訴え、最終判断を裁判の決定に委ねる場合があることが証明している。政治倫理上疑わしいからと言って、そのことを以って疑惑を事実とすることはできない。疑惑は疑惑にとどまる。

 国会各議院の国政調査権に基づいて証人喚問する場合でも、偽証の疑いがあったとしても、それを以て事実と看做して罰する権限は国会にはなく、勿論国民にもなく、出席委員の三分の二以上の賛成を以って議院証言法違反で告発、検察が取調べを行った上で偽証の事実を証明できるとした場合起訴、この段階でも事実の証明の可能性の存在であって、事実の決定ではなく、疑いにとどまっていて、最終判断は裁判に委ねられ、その判決を以って偽証が事実か疑いだけのことなのかの決定が下される。

 いわば政治倫理の問題にしても、疑惑の最終的な判断は裁判が決定する。それまでは推定無罪の状況が維持される。岡田外相が言うように、“次元の違い”を以って決定することはできない。〉――

 以前は、「推定無罪は法律の問題だ。政治倫理の問題でどうなのか、次元の違う話だ」と言っていた岡田氏が今回は証人喚問については「小沢氏の判断だが、今後、司法の場で争われる」と、司法の決着を待つ姿勢に転じたのはいくら“立場利害”からの変節だとしても滑稽で皮肉な話だが、要するに司法の決着までは“推定無罪”だとの間接的な言説となっている。

 私自身はあくまでも“推定無罪”の立場を取り、“推定無罪”が“立場利害”を超えた事実である以上、議員辞職要求や離党勧告、証人喚問要求はすべきではないと思っている。

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蓮舫の菅内閣の尖閣対応は「ベスト」は傲慢な身贔屓

2010-10-04 07:17:23 | Weblog

 10月1日午後の「MSN産経」のインタビューでの発言。《【菅改造内閣 閣僚に聞く】蓮舫行政刷新担当相 尖閣事件の対応「ベストだった」》(2010.10.2 09:17)(尖閣発言のみ抜粋。)

 【尖閣諸島事件の対応】

 蓮舫「内閣の一員として、今回の対応策はベストだったと思っているが、より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ。外交問題はどのような結果を出しても、いろいろな意見がある。それぞれの立場からそれぞれの国民の声があると思うが、司法判断も含め、今回のやり方しかなかった」――

 9月30日実施の産経新聞社とFNN合同世論調査の公表は10月1日だから、蓮舫は菅内閣の対応を国民の70・5%が「不適切」、中国人船長の釈放にしても77・6%が「不適切」、菅首相を始め内閣の面々が口を揃えて「政治的介入はなかった」としている説明に対して84・5%が「政府の関与があった」と見ている等々の調査結果を知っていたはずである。

 知らなかったとしたら、首相のリーダーシップは国民の信頼獲得に欠かせない重要な要素であり、国民の信頼は内閣支持率に反映される関係からして(実際に上記世論調査では9月18、19日前回調査64・2%から-15・7ポイントの48・5%と下げている。)、首相のリーダーシップが機能しているか、国民の信頼を獲得するに十分な機能を果たすリーダーシップとなり得ているかどうかを知るバロメーターとして情報収集して分析することに怠慢と言わざるを得ない。

 少なくとも産経新聞社・FNN合同世論調査に於ける尖閣諸島事件に関する世論は菅首相のリーダーシップに失格点を与えている。蓮舫はこのことを前提の主張でなければ、単なる身贔屓の浅はかな強弁と看做される。

 産経新聞社・FNN合同世論調査に於ける世論が菅内閣の対応をすべて「不適切」としている以上、「より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ」を最初に持ってこなければならない。だが、「内閣の一員として、今回の対応策はベストだったと思っている」を最初に持ってきている。

 「いろいろな意見がある」、あるいは「それぞれの国民の声がある」は一見、国民の意見・声を尊重しているかのような印象を与えるが、「内閣の一員として」と断ったのは、「外交問題はどのような結果を出しても、いろいろな意見がある」、「それぞれの国民の声がある」と一方に「国民の声」を置いて、その対極に「内閣の一員」である蓮舫自身を置き、「今回の対応策はベスト」だとすることで実質的には「国民の声」、「意見」を否定することを目的としていたからだろう。

 否定することによって、「司法判断も含め、今回のやり方しかなかった」と菅内閣の正当化、あるいは菅内閣の絶対化を図る結論を導くことが可能となる。

 この菅内閣の正当化、あるいは絶対化は蓮舫自身の判断の正当化、あるいは絶対化でもある。自己の判断に過ちはないとする無誤謬性が仕向けている自己判断の正当化、絶対化であろう。このことは蓮舫自身の自信たっぷりな話し方、攻撃的な議論術に現れている。

 また、「いろいろな意見がある」、「それぞれの国民の声がある」は賛成もあれば反対もあるという意味を含んだ世論の相対化でもあり、絶対ではないとする相対化の中にも、巧妙な世論の否定を含ませている。

 だが、ここに矛盾がある。「司法判断も含め、今回のやり方しかなかった」と断言するなら、他のやり方はなかったとしていることになるのだから、「より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ」はウソになる。また、「今回のやり方しかなかった」と言うなら、「いろいろな意見がある」、「それぞれの国民の声がある」にしても世論の否定であるばかりか、「今回の対応策はベスト」だとする主張を導き出すためのもっともらしげな体裁に過ぎないことになる。

 国民の意見・声を尊重しているかのような印象を与えながら、実際には尊重どころか否定する態度、菅内閣の対応を「今回の対応策はベストだった」、「今回のやり方しかなかった」と自己の判断を一方的、無条件に正当化、あるいは絶対化し、自分に過ちはないとする無誤謬性、無誤謬性からくる自信過剰は一方に危険を抱える。判断は柔軟、且つ強固な合理性を備えていなければならないが、このような性格を失って自己判断の一方的、無条件な正当化、あるいは絶対化を押し通そうとすると、否応もなしに独断の方向に走りかねないからだ。最悪、独裁の傾向を帯びることにもなる。

 毎日新聞が10月2、3の両日に行った全国世論調査によると、

 中国人船長の釈放を「検察の判断」とする政府の説明に対し、「納得できない」――87%
 
 「政府が政治判断を示すべきだった」――80%

 中国人船長逮捕、「適切だった」――83%
 
 中国人船長釈放、「適切ではなかった」――74%
 
 菅内閣の支持率――49%(前回調査64%)

 となっている。(《世論調査:内閣支持急落49% 中国漁船衝突対応に批判》毎日jp/2010年10月3日 22時22分)

 同じく読売新聞が10月1~3日に実施した全国世論調査((《内閣支持下落53%、船長釈放「不適切」7割》YOMIURI ONLINE/2010年10月3日21時58分)では――

 中国人釈放、「適切ではなかった」――72%
           
    理由 「日本は圧力をかけると譲歩するという印象を与えるから」――41%

       「適切だった」 ――19%

    理由「日中関係の悪化を避けるべきだから」――45%

 「政治介入はなかった」の説明
 
    「納得できない」――83%

 対中感情
    中国を「信頼していない」――84%

 「民主党政権の外交・安全保障政策に不安を感じる」――84%

 菅内閣支持率、「支持する」――53%(前回9月17~18日調査66%)

 尖閣問題で国民がどう見ているか、一般的な見方となっている反応であって、決して「今回の対応策はベストだった」、「今回のやり方しかなかった」と見ているわけではない。

 だが、「より国民に納得いただけるやり方があったのであれば、学習は必要だ」と言いつつ、「今回の対応策はベストだった」、「今回のやり方しかなかった」と断定し、他のやり方はなかったとしている。これは国民の一般的な判断の否定を超えて自己の判断の一方的、無条件な正当化、あるいは絶対化が傲慢な境地にまで至っている兆候と言えないだろうか。

 自信を持つのはいいが、国民から負託を受けた地位に存在する以上、国民の判断を一方的に否定する傲慢さは許されない。

 勿論、菅首相にしても今回の不適切な対応の修正の機会はある。だが、菅首相のリーダーシップ、仙谷官房長官や前原外相に動かされる確固たる主体性の欠如が修正の機会を生かし切れないだろうとしか思えない。首相自身の能力だけが問題ではなく、蓮舫のように傲慢な身贔屓で首相を守ろうとする人間が内閣の重要な位置を占めている限り、欠点を隠すには都合がよくても、欠点を修正する方向への力とはなり得ないことを考えると、やはりよりよい方向に進む期待は持てない。


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