前原はアメリカに向かって物申し、アメリカの点数を稼ぐアメリカっ子

2011-09-09 09:28:28 | Weblog

 アメリカを訪れている民主党の前原政策調査会長が9月7日ワシントン市内で講演し、海外に派遣される自衛隊員の武器使用基準の緩和や、外国への武器輸出を原則禁じた「武器輸出三原則」の見直しなど、安全保障を巡る一連の課題に積極的に取り組んでいく考えを示したと、《前原政調会長 武器使用基準緩和も》NHK NEWS WEB/2011年9月8日 12時0分)が伝えている。

講演議題は、『多国間協力の中での日米同盟』

 前原誠司(国連のPKO=平和維持活動への自衛隊の参加について)「アメリカが手が回らない部分を埋めるという意味で、日米同盟をよりバランスの取れたものにする。そのためにも自衛隊と一緒に活動を行っている他国の軍隊を急迫不正の侵害から守れるようにすべきだ」

 これは〈海外に派遣される自衛隊員の武器使用基準を緩和する必要があるという認識〉の提示だと記事は伝えているが、「他国の軍隊を急迫不正の侵害から守」るとは他国軍隊と共に戦闘行為を行うことを言い、当然憲法第9条第1項で禁止している「武力の行使」を禁止事項から外して自ら武力行使を行うばかりか、他国軍隊との武力行使の一体化に進むことを目指していることになるし、同じく憲法9条が禁止している「国の交戦権」の見直しへと波及していくことになる。

 「国の交戦権」の見直しはやはり憲法上許されないこととされている「集団的自衛権」の行使の禁止規定からの解除につながっていく。

 この「NHK NEWS WEB」では触れていないが、講演では〈「(憲法解釈で行使が禁じられた)集団的自衛権の問題も解決されていない」と解釈見直しに言及した。〉と、「時事ドットコム」が伝えているが、当然の成り行きとしてある言及であろう。

 【集団的自衛権】「ある国が武力攻撃を受けた場合に、これと密接な関係のある他の国が自国の安全を脅かす物として共同して防衛に当る権利。国連憲章では加盟国に認めている」(『大辞林』三省堂)

 要するに前原の発言は「武力の行使」と「交戦権」を含めた「集団的自衛権」に集約されると言える。
 
 この集約は武器の使用に関しても現在の規制を取り外してあらゆる武器の使用(武器使用基準の全面緩和)を伴うことになる。

 前原誠司(外国への武器輸出について)「日本の防衛産業は、各国との武器の共同開発プロジェクトに参加できないため、技術革新の波から取り残されるかもしれない。武器輸出三原則は見直す必要がある」

 記事はこの発言を、〈安全保障を巡る一連の課題に積極的に取り組んでいく考えを示〉したものだとしているが、日本独自の武器技術を進化させて日本の質的な軍事力増強を目的とした意味合いを含んでいるはずだ。

 最後に中国について。

 前原誠司(尖閣諸島沖で起きた中国漁船による衝突事件や南シナ海の島々の領有権を巡る中国の対応を念頭に)「中国は既存のルールを変えようとしている」

 この発言は、〈中国に領土保全や通商に関する国際規範を順守させる必要があるという立場を示し〉たものだとしている。中国の遣り方は国際的なルールに通用しないというわけである。

 2005年12月9日、米戦略国際問題研究所で行った講演での中国言及、「中国の軍事的脅威に対して日本は毅然とした態度を取るべきである」と比べたら、中国や民主党内から批判を受けて懲りたからだろう、かなり婉曲的な発言となっている。

 前原は昨年9月の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件では仙谷と共に中国人船長逮捕を主導したと言われているが、中国の圧力にたちまち屈して船長を処分保留で釈放した腰砕けの経緯は発言だけ勇ましい印象を与える。

 軍事問題に関しての発言はすべて持論としていることだと言われているが、持論としているなら、民主党代表選で大々的に触れてようさそうなものだが、確か一言も触れていない発言である。

 2005年の「中国軍事的脅威」論と同様、日本では言わずにアメリカで勇ましく打ち上げる。なぜかというと、日本国憲法が禁止している「武力の行使」も「交戦権」も「集団的自衛権」も、その憲法の禁止規定からの解除をアメリカが求めているからである。

 求めているアメリカで求めていることを言う。当然、アメリカでの評価は上がり、アメリカで点数を稼ぐことになる。子どもが父親の求めていることを常に言い、求めていることを常に行う。当然父親に気に入れられて、可愛がられ、父親から点数を稼ぐことになるから、なおさら父親が気に入ることを言い、可愛がられる行動を取るようになって、父親の意図の範囲内の言動が当たり前となり、父親っ子そのものと化す。

 日本で発言し、どのような障害が立ちはだかろうと、日本で自らの主義・主張の実現に努力するのではなく、日本での実現に役には立たなくてもどのような障害もないアメリカで発言し、アメリカから高い評価を受けてアメリカの気に入れられる。まさしくアメリカでの前原誠司ははアメリカっ子といった状態だ。

 私自身は憲法9条の改正に賛成で、「武力の行使」も「交戦権」も「集団的自衛権」も認めて、民主主義や人権といった共通の価値観を有した先進国の一員としての責任を安全保障分野で果すべきだと思っている。

 だが、「武器輸出三原則」だけは守るべきとの立場に立っている。軍事大国の道を採らないためと一旦開始すると際限もなくなる武器開発競争、軍備増強競争を煽らない、あるいは競争に一枚加わらない姿勢であるべきだと考えているからである。

 軍事力はアメリカその他の国と共同することで力を強くすることができる。

 また、国家の安全保障は何も軍事力によってのみ果たすことができるとは思っていないからである。

 外交力、内政力、経済力、公的人材によるものだけではない民間同士の人的交流をベースとした国際関係力、文化力等々の総合力が国家の安全保障をより強固とするはずだ。

 人的交流は単に外国と日本の間を往き来するだけではなく、日本人はもっと世界に出て、世界を住み処(すみか)とし、大いに発言して、一人ひとりの交流を友好足らしめることによって全体の友好を形成することも、国の政治が過つことがない限り、国家の安全保障につながっていくはずだ。

 前原アメリカっ子発言の波紋。《集団的自衛権、憲法解釈変えぬ=一川保夫防衛相インタビュー》時事ドットコム/2011/09/08-18:34)(一部抜粋参考引用)

 記者「民主党の前原誠司政調会長が武器輸出三原則の見直しが必要と発言した。政府と連携を取った発言か」

 一川保夫防衛相「何も連携は取れていない。直接、前原さんからその話を聞いたことはない。党全体の意見として取りまとめられるかどうか、それすら分からない。政府としてどうなるかは、そう簡単なものではない。防衛省として、武器輸出三原則に関わる問題について、常に問題意識を持ちながら勉強していくことはいい。結論はまだ出ていない」

 記者「前原氏は国連平和維持活動(PKO)の武器使用基準の緩和にも言及した」

 要するに政府内で議論した話ではないとなかなかつれない答弁になっている。国内に異論はあっても、アメリカ向けのアメリカに気に入られようとする、アメリカっ子としての発言なのだから、当然の成り行きと言える。

 安全保障問題や中国問題でアメリカっ子よろしくアメリカ限定販売の発言をしているようでは、小沢民主党元代表の言葉を借りると、「(首相が)前原では日本が潰れてしまう」も十分に頷くことができる発言だと言うことができる。 


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児童相談所、その他の関係機関の繰返される児童虐待死の見過ごし

2011-09-08 10:11:15 | Weblog

 児童相談所やその他の関係機関が親の虐待を察知できず、子どもの死を見過ごしてしまう。あるいは虐待情報を受け取っていても、的確な対応ができずに子どもの死を見過ごしてしまう事件が跡を絶たない。今回も大阪府門真市で似たような見過ごし死が繰返された。

 父親は藤山郁弥(ふみや)(25)。母親は藤山由衣(22)。虐待によって死を受けた子どもは生後3カ月の藤山琉花(りゅうな)ちゃん。

 両親とも容疑を否認しているということだが、状況証拠は限りなく虐待死を示している。

 二つのWeb記事から浮かび上がってくる問題点を見てみる。

 《育児支援の保健所職員、両親と会えず 大阪の乳児暴行死》(h時asahi.com/2011年9月7日23時11分)

 大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)等の説明から。

 2011年1月25日――
 琉花ちゃん、1368グラムの未熟児ではあるが、一個の生命を持ってこの世に生を受ける。

 ――(母親は2日後に退院)子どもが入院中、両親は殆んど病院を訪れない。――

 病院「育児放棄につながる可能性がある」

 大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)に連絡。

 ――2カ月間入院――

 2011年3月25日頃退院(推定)――

 退院後、大阪府守口保健所職員、門真市内の自宅を4度訪問。応答なし。置き手紙をするが、返事なし。

 2011年4月5日――
 病院(保健所に連絡)「母親が保健所には来てもらいたくないと言っている」

 大阪府、5月24日予定の4カ月健診で琉花ちゃんの状態を確認する方針を決める。

 2011年4月13日――
 一個の生命であり続けなければならなかったはずが、一個の生命でなくなった無残な状態で門真市内の病院に運ばれて来る。

 捜査関係者の聞き取りに対して説明を二転三転。

 両親「自分でイスから落ちた」

 両親「長女がイスから落とした」

 山内稔大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)所長(9月7日記者会見)「4カ月健診に来なければ立ち入り調査も含め、どう介入するか判断したと思う。子どもの生命の危機があるとは考えていなかった」

 橋本大阪府知事「なぜ死亡という最悪の事態になったのか、専門家チームで検証してもらい、どうすべきだったのか整理したい」

 記事からは大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)の両親に対する対応が一切見えてこない。家庭訪問したとか、電話したとか(電話を持っていたらの話だが)、そういった動きをした様子を記事は何も伝えていない。あるのは保健所の4度の両親に会えずじまいの家庭訪問と置手紙の動きのみしか伝えていない。

 何かの動きをしていたなら、児童相談所所長が9月7日の記者会見時にそのことに触れ、記事にしたと思うが、何も書いてない。もし児童相談所が何も行動を起していなかったとしたら、保健所に丸投げしたことになる。

 丸投げしたということなら、児童相談所の責任意識を問わなければならなくなるが、どう動いたのか、何も動かずに保健所に丸投げしたのか、このことの事実確認が必要になる。

 1368グラムの未熟児という非常に心配な状態で生まれた。多分新生児集中治療室の保育器に入れられていたのだろうが、その生育が心配になってもいい状況にありながら、我が子の約2ヶ月の入院中、様子を見に病院を殆んど訪れず、病院から「育児放棄につながる可能性がある」と連絡を受けた。

 ここから見えてくる両親の姿は一般の親からかけ離れた尋常ではない態度である。この時点で要注意としたから、退院後、保健所は3月25日頃の退院から4月5日に病院から「母親が保健所には来てもらいたくないと言っている」と連絡が入るまでの約10日間の間に4回も家庭訪問したのだろう。

 だが、親の態度から児童相談所も要注意としなければならなかったはずで、保健所と共に家庭訪問に動かなければならなかったはずだが、既に書いたように記事はそのことには何も触れていない。児童相談所所長も記者会見で何も触れていなかった。

 両親が置手紙によって保健所の訪問を知ったのか、居留守を使っていて、その都度知ったのか記事からは確認できないが、他の記事によると一家は生活保護を受けていたと書いているから、働いていない可能性が高いとしても、大阪府自体は両親が働いているかいないか把握していたはずだ。もし働いていたなら、帰宅時間を狙って訪問するだろうから、先ずは居留守を疑うべきだろう。

 例え置手紙で知ったとしても、保健所に直接ではなく、病院を介して「保健所には来てもらいたくない」と連絡したことから窺うことができる両親の態度は訪問自体にかなりの拒絶感を持っているか、少なくともお節介、余計なお世話だといった反発を示していたことになる。

 これが居留守を使ったのだとしたら、かなりの拒絶感、相当な反発となる。

 この拒絶感、それがお節介、余計なお世話だといった反発だったとしても、家の中に入れることの拒絶感、あるいは反発だと判断しなければならなかったはずだ。保健所の訪問自体が家の中に入って両親と面会し、育児の様子、あるいは赤ん坊の様子をあれこれ聞くことによって目的を果すことになるからであり、その目的を排除するための居留守、あるいは置手紙無視、そして病院を介した「保健所には来てもらいたくない」の連絡だったはずだと。

 両親は自分たちだけは保健所の職員を家に入れて会って話をすること自体は問題なかったはずだ。もし妻が夫に家庭内暴力を振われていて顔に怪我しているといった状態であったなら、出産後の入院時に病院に既に知られていただろから、家庭内暴力の事実はなく、保健所職員に会えない理由はないことになる。

 だが、家の中に招じ入れもせず、置手紙に返事も出さず、病院を介して「保健所には来てもらいたくない」と保健所の訪問を拒否したのは常に最悪の状況を予測して対処する危機管理上、当然、子どもに会わせたくない不都合な事情があるからだと解釈しなければならなかった。

 このように解釈し、解釈に応じた行動を児童相談所は取るべきだったが、4月5日に「保健所には来てもらいたくない」と連絡を受けたのち、5月24日予定の4カ月健診の日まで1ヵ月半以上も問題解決を先送りする児童相談所としての責任を果した。

 児童相談所のこの態度を以って自らの役目・責任に対する怠慢、あるいは不作為と言えないだろうか。

 《発覚恐れ?面談、健診拒む=3カ月児虐待死、容疑の両親-大阪府警》時事ドットコム//2011/09/07-17:35)

 この記事には保健所との面談のみならず、病院の健康診断も拒否していたと書いてある。児童相談所はこの情報・事実を確認していたはずだし、確認していなければならなかった。

 当然、児童相談所は未熟児で生まれながら、病院の健康診断まで拒否するのは親として異常な態度だと判断しなければならなかった。

 その異常さが単なる面談拒否、健康診断拒否なのか、子どもに影響している恐れのない異常さなのか、子どもが入院中殆んど訪問がなかったこと、「保健所には来てもらいたくない」こと等のこれまでの情報と併せて確認する責任が児童相談所にはあったはずだ。

 記事は書いている。〈琉花ちゃんには殴られたようなあざが数十カ所あり、同課(府警捜査1課)は両容疑者が退院直後から日常的に虐待を繰り返し、発覚を恐れて面談などを拒んでいたとみて調べている。〉――

 親の性格の現われとしてある態度が子どもに反映するのだから、親の様子が尋常か異様か、常識的か非常識的か、一般的か特異か等々判断できていただろうから、児童相談所やその他の機関がどういう行動を取ったならいいか、答は自ずと出てくるはずだが、そのようにはなっていなかった。

 少なくとも児童虐待に於ける初歩的危機管理は親の性格や態度、行動の読み取りから始まるはずだ。読み取りは近所の住人や友人・知人、勤めていたなら、会社の同僚等からの聞き込みも必要となる。

 そのような面倒を厭っていたなら、責任を果たすことはできない。

 要は与えられた情報を如何に読み取り、どう行動して自身が置かれた立場上の責任を如何に果たすかの責任感が決めることになる児童虐待とその先にある児童虐待死の見過ごしの防止であるはずだ。


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菅仮免の薄汚いまでの自己責任回避からの福島原発事故東電人災論

2011-09-07 08:46:49 | Weblog

 9月5日、菅前仮免が福島第一原発事故対応に関して読売新聞のインタビューを受けている。《原発事故は人災、説明も伝言ゲーム…菅前首相》YOMIURI ONLINE/2011年9月6日08時41分)

 菅前仮免「事故前から色んな意見があったのに、しっかりした備えをしなかったという意味で人災だ」

 「事故前から色んな意見があった」――要するに869年発生の推定マグニチュード8以上の貞観地震の再来を警告していた地震研究者の言う大津波への備えを東電側が十分な情報ではないとして無視、そのことを以って「しっかりした備えをしなかった」と言っているのだろう。

 東電が想定して備えていた津波高は約6メートル。実際に襲った津波は14メートル以上。地震研究者の警告に従って万が一の危機に備える危機管理を機能させ、早急に巨大津波に備えていたなら、原発事故は発生していなかったかもしれない。確かにその意味に於いては東電の人災だと言える。

 だが、このことを以って第一番の人災だとは言えない。二重三重に備えるのが危機管理である。

 第一原発の各原子炉のメルトダウンにしても水素爆発にしても原子炉圧力容器内の圧力上昇によって圧力容器が爆発することを防ぐ蒸気開放のベントを行わなければならなくなって放射性物質を外部に放出することになったことにしても、津波の被害を受けて全電源が喪失した上に喪失した場合の備えがなかったことによって起きた原子炉の自動冷却装置停止が原因である。

 全電源喪失に対する備えがなかったことは東電の責任でもないし、東電の人災でもない。 

 1990年、原子力安全委員会が策定した「発電用原子炉施設に関する安全設計審査指針」は全電源喪失に対する備えを必要ないとしていた。「長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又(また)は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」とした。しかも当時の寺坂信昭原子力安前・保安院長は昨年(2010年)5月の衆院経済産業委員会で、「(電源喪失は)あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」と答弁、原子炉事故否定の「原発安全神話」を表明している。

 だが、想定しなかった全電源喪失が発生、原子炉冷却装置が機能しなくなって、事故を誘発することになった。

 確かに東電は地震研究者の警告を検討し、万が一の危険に備えた危機管理を発動させ、津波に対する備えを怠りなく実施しておくべきだったろう。だが、政府も全電源喪失に対する万が一の危機に万全に備えた第一番の危機管理を講じておくべきだった。

 原子力安全委員会は内閣府に、原子力安全・保安院は経産相に所属する政府機関である。いわば政府によるこの第一番の危機管理が備わっていたなら、例え福島第一原発が津波被害によって全電源喪失の事態に陥ったとしても、原子炉冷却機能の喪失といった次ぎの事態は防ぎ得た可能性は否定できない。

 だとしても、東電はやはり巨大津波対策は講じておくべきだったろう。二重三重の危機管理によって、事故を事前に予防する装置ともなるし、万が一事故が発生した場合でも、事故を最小限に食い止める解決手段ともなり得るはずである。

 しかし政府も東電もそれぞれの危機管理の責任を果たしていなかった。決して東電だけの人災とは言えないはずで、政府の人災でもある福島原発事故であるはずである。

 2010年6月8日に菅内閣が発足してから10日目の6月10日、2030年までのエネルギー政策の方向性を示す「エネルギー基本計画」を閣議決定している。この計画の中で原子力発電に関しては「2030年までに14基以上の発電所を新増設する」と謳っている。さらに菅内閣は日本の原発の海外売り込みも積極的に推し進める姿勢を示し、昨年10月には官民一体でベトナムの原発建設を受注している。

 この原発推進計画も海外売り込みも安心・安全ですの考えに基づいていたはずだから、「原発安全神話」に加担した政策であったはずだ。

 政府作成の全電源喪失危機管理を抜きにした「原発安全神話」に加担しておきながら、東電のみに責任をかぶせ、東電のみの人災として政府の責任をそこに置かないのは薄汚い自己責任回避と言わざるを得ない。

 菅仮免は読売新聞のインタビューに対して、〈事故後、前線本部となるオフサイトセンターに人員が集まれなかったことなどを挙げ〉た上でのこととしてさらに次のように総括したという。

 菅前仮免「想定していたシミュレーションがほとんど機能しなかった」

 これも薄汚い自己責任回避に過ぎない。

 9月1日(2011年)の当ブログ記事――《菅政権は22年度原子力総合防災訓練でスピーディを用いている その存在を知らなかったでは済まない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも書いたことだが、自身を政府原子力災害対策本部会議本部長とした平成22年度原子力総合防災訓練を実施しているのである。

 そこでの訓練項目には「緊急時迅速放射能影響予測システム(スピーディ)」を用いた放射性物質拡散等の環境放射能影響予測も入っていた。

 当然、組織を指揮し、機能させなければならない立場にあった原子力災害対策本部長でもあったのだから、「想定していたシミュレーションがほとんど機能しなかった」ではなく、「機能させることができなかった」と言うべきだろう。そう言わないところに薄汚いまでの自己責任回避意識がある。

 ベントについては次のように釈明している。

 菅前仮免「(格納容器内の蒸気を放出する)ベントをするよう指示を出しても、実行されず、理由もはっきりしない。説明を求めても伝言ゲームのようで、誰の意見なのか分からなかった」――

 一国の総理大臣であり、同時に原子力災害対策本部長に就いていた。その指示を東電に対して機能させることができなかった。何のことはない、人心を掌握することができなかったに過ぎない。いわば東電を掌握できなかった。

 「誰の意見なのか分からなかった」と言っているが、事故を含めた原発の専門的な知識に詳しい東電幹部の何人かを政府に対する情報提供と政府からの情報伝達授受の窓口とし、その幹部たちを福島第一原発事故現場からの情報を集約させて政府に受け継ぐ中継役とする指揮命令系統の統一を確立することができさえすれば、「誰の意見なのか分か」ったはずである。

 それができなかった。その責任を自らに課さずにすべて東電の責任とし、事故を東電のみの人災とする。

 どう公平に見たとしても、インタビュー発言のすべてに薄汚い自己責任回避をまとわり就かせている。兼々責任を取らないトップだと言われていたが、責任を取らない指導者に誰が心開いて尽くすだろうか。

 自己存在を自己責任回避で成り立たせている。一国のリーダーであることのこの逆説的リーダー像は如何ともし難い。

 そう言えば、確か孤独な独裁者の尊称を賜っていたと思う。


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野田首相の「自説を曲げてでも泥をかぶらないといけない」は最悪・最低の権威主義

2011-09-06 08:57:45 | Weblog

 野田新首相が副大臣を任命、任命後の副大臣会議で「泥をかぶれ」と訓示したと言う。「ドジョウの持ち味」を身上としているだけあって、今後「泥」の単語がついた言葉が連発されるではないだろうか。「泥臭い」は既に言ったし、「総理大臣の顔に泥を塗るな」とか、「国民のために夜は泥のように眠るくらいに働いて働いて働き通せ」とか。最後は「泥沼に足を取られて内閣瓦解」とか・・・・。

 《「泥をかぶれ」 野田首相がドジョウのススメ》MSN産経/2011.9.5 23:41)

 野田首相「副大臣の役割は大臣を支えること。自説を曲げてでも泥をかぶらないといけないことがいっぱいある。

 (政治主導に関して)空回しの政治主導ではなく、役人をフル回転で仕事をしてもらうため方向性を付けることだ」

 記事は副大臣会議の後の政務官会議での発言も伝えている。
 
 野田首相(東日本大震災の復興復旧や経済対策を念頭に)「ケチな、了見の狭い野党対策ではなく、野党の声も虚心坦懐(たんかい)に聞き、オールジャパンで乗り越えることを心がけてもらいたい」

 そうそう奇麗事の思い通りで事が簡単に進むだろうか。思い通りに進めばねじれ国会の障害はどこにも存在しないことになる。

 まさしく「副大臣の役割は大臣を支えること」だろう。また、「泥をかぶらないといけないことがいっぱいある」ことも確かだ。「ドジョウの持ち味」を身上とするだけあって、泥臭い表現を用いている。

 【泥をかぶる】「他人の悪事や失策の責任を負う。損な役割を引き受ける」(『大辞林』三省堂)

 だが「自説」を曲げたなら、自身を大臣に言いなりの人間に貶め、大臣を欠点や失敗のない、常に正しい絶対的存在とすることになる。自ら両者間に権威主義の人間関係を築き、そのことを是認することになる。

 ここで言う権威主義とは常に間違いのない、常に正しい絶対的存在と位置づけた上位者が下位者を無条件に従わせ、下位者が上位者に無条件に従う行動様式を言う。

 戦前の軍隊では典型的な上下関係の行動様式で以てこの権威主義が横行した。上官の命令は常に絶対であった。間違った命令か正しい命令か批判することは許されず、絶対服従を旨とされた。

 下位に位置する軍人は上官は間違っている、自分の考えの方が正しいと思っても、いわば「自説を曲げて」じっと我慢の子、言いなりに従った。それが軍隊での規律とされた。

 戦後人間関係を平等とする民主主義の社会になって半世紀以上経過しても、上司と部下の関係、先輩と後輩の関係、部活の上級生と下級生の関係、家庭での夫婦の関係にも未だ遺物のように権威主義の関係、権威主義の行動様式が残っている。

 野田首相は自ら気づかないままに大臣と副大臣の関係をそのような権威主義の行動様式で規定したのである。

 上が下を言いなりにし、下が上に言いなりになる権威主義の行動様式を築いている人間関係からは前例に従った行動やマニアルどおりの進展を望むことはできるが、創造的な発想や新規の方法論は望み難い。

 地位の上下はあっても、そこに権威主義の上下関係が埋め込められていなくて、対等で自由な人間関係を築くことができていたなら、「自説を曲げてでも泥をかぶらないといけない」といった上を絶対として下を言いなりの存在に落とし込む閉塞的な状況は生じることなく、対等で自由な人間関係であることが逆に「自説」と「自説」をぶつけ合って、激しく徹底的に議論を尽くし経て、よりよい結論へと導く「自説」同士の発展・止揚を可能とするはずである。

 そのような議論と結論の場にこそ、創造的な着想や新規の方法論を望むことができる。「自説を曲げてでも泥をかぶらないといけない」といった、自説を闘わせることを前提とした関係ではなく、自説を曲げることを前提とした権威主義の「泥臭い」人間関係からは、そこに冒険も衝突も刺激的摩擦もないゆえに常識的な考え、常識的な行動しか望むことはできないだろう。

 菅仮免も自らの無能を棚に上げて、自身を絶対者とし、官僚に怒鳴り散らした。官僚は萎縮し、あるいは反発し、自由な意見を言わなくなった。官僚が必要とするとき以外は官邸に近づかなくなったと言われている。

 下位者を怒鳴り散らすとは下位者を言いなりの存在に閉じ込めることに他ならない。

 濃い薄いの違いはあっても、野田首相も菅仮免と同じく下位者に対して権威主義的行動様式、権威主義的人間関係を強いる血を流していることになる。

 官僚に関しては「空回しの政治主導ではなく、役人をフル回転で仕事をしてもらうため方向性を付けることだ」とは言っているが、そこに権威主義の力学が関与した場合、官僚からの自由な意見は望むべくもなくなる。

 上下の地位に関係なく、忌憚なく自由に幅広く意見を戦わす、主張を闘わす対等な関係にこそ、各方面の想像性(創造性)が生まれる。

 一国のリーダーでありながら、野田首相は自分では知らないままに上を絶対として下からの自由な意見を拒絶し、下を言いなりの存在に規定する古臭い権威主義の上下関係・人間関係に囚われていて、大臣の下位者である副大臣にそのような関係を強制した。

 この権威主義性は副大臣という大臣に対しての下位者にのみ働く囚われではなく、比較下位者全般に働く囚われであろう。

 最悪・最低の権威主義と言うだけではなく、自由な幅広い意見の闘わせのない上下関係がつくり上げることになる政治が果たして国民の期待に応えることができる国の大きな発展につながるのだろか。


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放射能汚染土壌・瓦礫最終処分場場所選定から見えてくる普天間基地移設のかつて見た光景と二重基準

2011-09-05 11:05:19 | Weblog

 細野環境相の放射能汚染瓦礫・土壌の中間貯蔵施設と最終処分場の場所選定に関する発言を9月4日付で伝えている二つの「NHK NEWS WEB」記事がある。

 《環境相“最終処分場 県外に”》NHK NEWS WEB/2011年9月4日 20時32分)

 この記事の発言は9月4日記者会見の発言だそうだが、環境省のHPを今朝開いてみたが、9月4日が日曜日でお役人様が休みだったせいか、記載されていない。

 記事は先月菅仮免が佐藤福島県知事に対して放射能汚染瓦礫・土壌を一時的に管理する中間貯蔵施設を県内に整備する方向で検討していることやその施設を最終処分場にすることは考えていないという意向を既に伝えていると解説した上で、

 細野環境相(中間貯蔵施設について)「具体的な場所や保管しておく期間については、地元の理解がなくては進めることができない」

 中間貯蔵施設の福島県内場所選定は地元の理解を得ることを前提とするとの表明となっているが、福島県内設置は既に政府方針となっているのだから、地元理解獲得が県への丸投げとしていることからできる外交辞令といったところだろう。

 細野環境相(最終処分場について)「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。福島を最終処分場にはしないということは、方針としてできる限り貫きたい」

 菅仮免の先月の発言とは8月27日に福島県を訪問、佐藤知事と会談。

 菅仮免「除染作業によって生じる汚染土壌などは、一時的に仮置きする方法が考えられる。国としては、福島県内で生じた汚染物質を適切に管理・保管するための中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いせざるをえない。この施設を最終処分場にすることは、全く考えていない」(NHK NEWS WEB/2011年8月27日記事)

 中間貯蔵施設は福島県内、その「施設を最終処分場にすることは、全く考えていない」ということだから、最初から中間貯蔵施設も最終処分場も「県内に整備することをお願いせざるをえない」と言っていないことと併せて最終処分場は福島県外が政府方針ということになる。

 細野環境相の4日記者会見発言は菅内閣の方針を受け継いだ、「福島を最終処分場にはしないということは、方針としてできる限り貫きたい」の県外方針ということなのだろうが、「できる限り貫きたい」ということになると、約束とまではいかない努力目標に堕す。

 要するに「約束する」といった言葉は一切使っていない。

 次ぎの「NHK NEWS WEB」記事は報道各社による細野環境相のインタビュー発言。《“最終処分の在り方に責任”》NHK NEWS WEB/2011年9月4日 23時2分)

 記事の発信時間から見て、記者会見後のインタビューだと思われる。

 細野環境相「中間貯蔵施設については、大変申し訳ないことに福島県内にお願いしなければならない状況だが、それを最終処分場にしないためにどういうやり方があるのか検討しなければならない。例えば放射性物質を減量化する技術開発や、放射能レベルを下げる方法などを見極めたうえで、最終処分の在り方について政府として責任を持って考えたい」

 その他に住民の賠償問題についての発言を伝えている。

 細野環境相「賠償については、審査会が客観的な姿勢を出していくことにもなっている。すぐにすべて解決は難しいが、それぞれが置かれた状況に即した形で、何らかの支援や賠償の在り方がないかどうか、丁寧にやっていく時期に来ているかもしれない」

 細野環境相が放射能汚染瓦礫・土壌の処分に関してここで言っていることは中間貯蔵施設は福島県内を決定方針としている、最終処分場の福島県外設置方針は福島県内設置の中間貯蔵施設を「最終処分場にしないためにどういうやり方があるのか検討しなければならない」、いわば技術的な問題の解決等の検討が必要であるから、検討次第が条件となる未決定事項ということになる。

 大体が中間貯蔵施設は福島県内、最終処分場は福島県外を方針としている以上、中間貯蔵施設を「最終処分場にしないために」と言うこと自体が矛盾している。福島県内・福島県外方針の誤魔化し以外の何ものでもない。

 また、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている」と言っていることとも矛盾する。「日本全体で分かち合う」とは県内・県外、それぞれの方針を忠実に守らなければ実現できない状況なのだから、各方針を決定事項として進めなければならないはずだ。

 言っていることの矛盾を払拭させるためには中間貯蔵施設福島県内場所選定と最終処分場福島県外場所選定、それに放射性物質減量化技術開発や放射能レベル低減方法の開発をチームを分けて同時併行的にそれぞれを進め、それらすべてを解決することであって、それ以外にはないはずだ。

 そういう過程を経て初めて、「福島の痛みを日本全体で分かち合うこと」が可能となる。一見、細野の言っていることがふらついているように見えるが、福島県外が決まらない場合を見越した予防発言なのかもしれない。

 もし最終処分場の福島県外場所選定を行わないままに放射性物質減量化技術開発だ、放射能レベル低減方法の開発だを先決事項としていたなら、放射能汚染瓦礫・土壌は長いこと中間貯蔵施設に留め置かれる可能性も生じる。

 細野環境相の発言を見ていると、最悪、福島県内永久貯蔵ということも可能性としては否定できない。

 NHK記事が伝えていないインタビュー発言を次ぎの「asahi.com」記事が伝えている。《中間貯蔵、福島第一原発を候補に 細野原発相が示唆》asahi.com/2011年9月4日23時5分)

 細野環境相(中間貯蔵施設について)「原発内に高い放射線量のがれきが相当あり、簡単に持ち出せない。中での処理をある程度考えなければならない。すべてを福島第一原発内で、というのも現実的ではない。

 福島を最終処分場にしない。(除染などによって県内で発生した放射性廃棄物を原発内だけで受け入れることは難しいとの認識を示した上で)当面は各市町村の仮置き場に置かざるを得ない」――

 原発内の放射能汚染瓦礫・土壌は原発内で処理するが、すべては困難。原発外の県内発生放射能汚染瓦礫・土壌の原発内への受入れもすべては困難。福島県内設置の中間貯蔵施設に置かざるを得ないと言っている。

 中間貯蔵施設福島県内設置が例え政府のお願いであっても、福島県への相当な負担となる。最終処分場が県外不可能となった場合、全面的な負担の強制となる。

 このように見てくると、福島県内中間貯蔵施設から福島県外最終処分場に向けた行く末が民主党政権の当初の沖縄普天間基地移設の「国外、最低でも県外」から県内辺野古回帰の経緯とどうしても重なって見えてくる。

 細野は「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている」と言っているが、普天間移設の「国外、最低でも県外」は日本国土のわずか0.6%の沖縄に在日米軍基地の約75%が集中している“沖縄の痛み”を国外が無理なら、「日本全体で分かち合う」県外だったはずである。

 いわば、「福島の痛み」「沖縄の痛み」と置き換えて、「沖縄の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮」ということだったはずだ。

 菅仮免も昨年(2010年)12月17、18日沖縄を訪問、18日午後の視察先沖縄県嘉手納町での記者会見で同じ趣旨のことを発言している。《「辺野古案は危険除去や負担軽減になる」18日の菅首相》asahi.com/2010年12月18日19時32分)
 
 〈【基地負担軽減】

 ――昨日知事との会談で基地負担を日本全体で考えるべき問題だと発言。具体的にどのように進めていくのか。

 「私が申し上げたのは、知事の方が、米軍基地の存在が日本の安全保障上必要であるとする、あるとする方、私を含めて多いわけですが、そのときは『日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ』との趣旨を言われましたので、そのこと全体について、知事がおっしゃることは、正論だと思うということを申し上げました。このことは従来から、本当に昨日のお話でも申し上げたように、沖縄が本土に復帰してから以降においても、本土の米軍基地がかなり減る中で、沖縄の基地があまり削減されなかったというこの間の経緯を見ても、昨日も私も申し上げましたが、私も政治に携わる者として大変忸怩(じくじ)たる思い、あるいは慚愧(ざんき)の念に堪えないところであります。

 私は、日本全体の皆さん、この日本の安全保障のために日米安保条約が必要であり、米軍基地の日本国内の存在が必要であると、そういう風に思っておられる方も私含めて多いと思いますので、そういう中でこの問題を全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならないと、こう思っておりますし、こういう形で申し上げることも、いわばそういうことを全国民に、あるいは全47都道府県の、沖縄以外の46都道府県の皆さんにも考えて頂きたいという思いで申し上げさしていただいたところであります」 〉――

 (以上は当ブログ記事――《菅首相の初めに辺野古あり、沖縄ありの自己都合な沖縄記者会見 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を参照。)

 仲井真知事と菅仮免の発言を纏めると、仲井真知事の基地負担は「日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ」という主張に同調して菅仮免は「正論だと思う」と応じた。そして「この問題を全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならない」と言葉を続けた。

 基地負担は「全国民の課題」だとしたのである。当然、「沖縄の痛みを日本全体で分かち合う」ということでなければならない。

 だが、日米合意遵守を政府方針として、崩すつもりはなかったのだから、口先だけで応じた「全国民の課題」に過ぎなかった。

 細野環境相にしても、最終処分場は福島県外が方針だと言いながら、福島県内設置方針の中間貯蔵施設を「最終処分場にしないためにどういうやり方があるのか検討しなければならない」などと確定方針とはなっていない最終処分場福島県外としている以上、「沖縄の痛みを日本全体で分かち合う」はずの普天間移設の「国外、最低でも県外」がそうはならなかったことから類推するに、最悪の沖縄県内に回帰したかつて見た光景と重ならない保証はない。

 福島原発事故放射能汚染瓦礫・土壌の「中間貯蔵施設福島県内設置、最終処分場福島県外設置」の政府方針の最終処分場福島県内回帰という最終場面を迎える恐れの出来である。

 細野環境相が放射能汚染瓦礫・土壌処理に関して「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないか」と言っていることと、米軍基地負担に関しても「沖縄の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないか」としなかったこととの間には二重基準が存在することになる。

 仲井真知事が基地負担は「日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ」と主張し、菅仮免が「正論だと思う」と応じたように米軍基地問題は日本全体の問題であり、放射能汚染瓦礫・土壌処理に関しても同じように日本全体の問題であって、両者共それぞれの「痛みを日本全体で分かち合う」課題としなければならないからだ。

 だが、普天間基地移設に関してはその負担の「痛みを日本全体で分かち合う」場面の実現を政府自らが破綻させ、この経緯が放射能汚染瓦礫・土壌処理に関しても「福島の痛みを日本全体で分かち合う」とする政府配慮にそっくり受け継がれて政府自らの手による破綻へとつながっていく可能性すら見えないことはない。


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野田首相のドジョウ発言は支持率に反映したとしても、そこに高い志なく、大きな国の発展を望めるのだろうか

2011-09-04 10:51:51 | Weblog

 昨日(2011年9月3日)の当ブログ記事――《野田新首相の「どじょう」論から、その政治姿勢を窺う - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも書いたが、野田新首相が8月29日(2011年)の民主党両院議員総会の民主党代表選演説で行った相田みつをの詩「どじょう」の引用が相当に好感を持って迎えられたようだが、その影響か、菅仮免首相の内閣支持率20%以下の置き土産を跳ね返して、先ずは上々の50%超から70%超にまで戻すことができた。

 但しasahi.com記事が伝えている政権交代後の各内閣発足時の支持・不支持の比較では、野田新内閣支持53%―不支持18%に対して鳩山前々内閣支持71%―不支持14%、菅前内閣支持60%―不支持20%で、民主党内閣では最下位発進となっている。

 逆にフジテレビの「新報道2001」では70.8%で、三者の中では一番につけている。

 だとしても、内閣発足時の支持率はあくまでも未知数の内閣運営と向き合った中での期待に対する評価・判断であって、鳩山前々首相と菅前首相のその後の下降線を辿った支持率は結果責任を評価・判断した数値である。

 野田内閣発足時支持率が鳩山前々首相と菅前首相に右へ倣えして支持率が下降線を辿るかどうかは断るまでもなく、あくまでも結果を残すことができるかどうか、「政治は結果責任」を如何に果たすことができるかどうかにかかってくる。

 結果を残さないことに関して鳩山前々首相と菅前首相に倣ったのでは同じ運命を辿る確率は当然高くなる。短命政権化の危険である。

 野田政権が短命で終わった場合一番喜ぶのは菅仮免だろう。自身の無能力、指導力欠如が導き出した自らの「政治は無結果責任」を棚に上げて、「オレを続けさせればよかったじゃないか」と言うに違いない。

 ねじれ国会、党内の政策の違い、あるいは立場の違いを如何に統一させていくかの党内統治問題等の難しい課題を抱えているが、そのような障害を超越しなければ政権の命運を左右することになる「結果責任」は約束されない。

 また長期政権だけを願って、代表選前に打ち出した大連立構想も長期政権を狙った方策の一つだったはずだが、野党に妥協、異なる党内意見に妥協を重ねていたのでは、例え結果を残すことができたとしても、評価は低いところに落ち着くことになる。

 尤も数々の妥協を介在させたとしても、最初から実現させるべき政治目標の解決点を高いところに置いていたなら、妥協段階の駆引きによっては政策の値引きは少なく抑えることも不可能とは言えない。

 妥協は避けられない、そもそもからして実現させるべき政治目標の解決点も低いところにしか設定できない、単に長期政権となることだけが願いだといった志でスタートしたとしたら、当然の勢いとして数々の妥協は見るべきところのない「結果責任」しか生みかねない。

 となると、現在の国会状況、政治状況を踏まえつつ実現させるべき政治目標の解決点を高いところに置く、いわば政治の志を高く持つかどうかがよりよく「結果責任」を出せるかどうかのカギを握ることになる。

 8月29日の民主党代表選演説で詩人相田みつをの詩「どじょう」を引用して自らの政治姿勢をドジョウになぞらえ、泥臭いねばり強さが身上だと訴えて党内議員のみではなく、多くの国民から好感を得たとしても、庶民派を演じるには好都合だろうが、決して志高い姿勢を嗅ぎ取ることはできなかった。志低くしか見えなかった。

 再度その箇所の発言を取上げてみる。

 野田代表選立候補者「で、私は大好きな言葉。相田みつをさんの言葉に、『どじょうが金魚のまねをしても、しょうがねえじゃん』という言葉があります。ルックスはこのとおりです。私が仮に総理になっても、支持率はすぐ上がらないと思います。だから、解散はしません。(笑いが起こる)

 どじょうはどじょうの持ち味があります。金魚の真似をしてもいけません。赤いベベをした金魚にはなれません。(一段と声を挙げて)どじょうですが、泥臭く国民のために汗をかいて働いて、政治を前進させる。円高、デフレ、財政改革、様々な課題があります。重たい困難です。重たい困難でありますが。私はそれを背負(しょ)って立ち、この国の政治を全身全霊で傾けて、前進させる覚悟であります。

 どじょうかもしれません、(声を振り絞る具合に)どじょうの政治をトコトンやり抜いていきたいと思います」――

 「どじょうの持ち味」に自らの政治能力を限定して、その政治能力で以って「政治を前進させる」。志の高さを嗅ぎ取ることができるだろうか。

 「円高、デフレ、財政改革、様々な課題があります」は誰が首相になっても向き合わなければならない課題である。当然、誰が首相ではなく、志が高い首相なのかが基準となって、各課題のよりよい解決は志の高さに応じる道筋を描かなければならないはずだ。

 「どじょうの持ち味」を自らの政治能力とした、あるいは問題解決能力とした野田首相の志の低さが象徴的に現れた発言を9月2日(2011年)の野田内閣総理大臣就任記者会見の中に見ることができる。

 野田新首相「新興国が台頭し、世界は多極化しています。アジア太平洋を取り巻く安全保障環境は大きく変動しつつあります。こうした中で、時代の求めに応える確かな外交、安全保障政策を進めなければなりません。その際に軸となるのは、私はやはり日米関係であると思いますし、その深化・発展を遂げていかなければならないと考えています。昨晩もオバマ大統領と電話会談をさせていただきました。私の方からは、今申し上げたように日米関係をより深化・発展をさせていくことが、アジア太平洋地域における平和と安定と繁栄につながるという、基本方針をお話をさせていただきました。国連総会に出席をさせていただく予定でありますけれども、直接お目にかかった上でこうした私どもの基本的な考え方を明確にしっかりとお伝えをするところから、日米関係の信頼、そのスタートを切っていきたいと思います。
 中国とは戦略的な互恵関係を、これも発展をさせていくということが基本的な姿勢でございます。日中のみならず、日韓、日露など、近隣諸国とも良好な関係を築くべく全力を尽くしていきたいと思います。なお、経済外交については今まで通貨や国際金融という面で私なりに取り組んでまいりましたけれども、これからはより高いレベルの経済連携あるいは資源外交等々の多角的な経済外交にも積極的に取り組んでいきたいというふうに思います。特に、元気なアジア太平洋地域のその元気を取り込んでいくことが我が日本にとっては必要だと考えています。こうした観点からの経済外交の推進にも積極的に取り組んでいきたいというふうに思います」

 全体的な発言は誰もが取り組まなければならない政治スケジュールを並べて、単に「取り組みます」と言っているに過ぎない。常に問われるのはその実現、その「結果責任」である。その実現、その「結果責任」は実現させるべき政治目標の解決点を高いところに置いた取り組みとしているのかどうかにかかってくる。

 「元気なアジア太平洋地域のその元気を取り込んでいくことが我が日本にとっては必要だと考えています」

 この課題も野田新首相だけではなく、菅仮免も言っていたことである。 「元気なアジア太平洋地域のその元気を取り込んでいく」とするのは聞こえはいいが、悪い言葉で言うと、アジアのおこぼれを頂戴することに他ならない。志低くないだろうか。

 かつて日本はアジアの発展をリードしてきた。アジアの盟主とまで言われていた。だったら、おこぼれを頂戴するのではなく、「かつての日本がアジアの発展をリードしてきた。アジアのなお一層の発展をリードするかつての日本の姿を取り戻し、それ以上の国に造り変えていく」と志を高く持つべきであろう。

 勿論、そのような国造りを実現させるためには教育の力を現在以上に高める長期戦を敷く必要がある。教育力こそ、各部門の力を強化して、全体としての総合力を躍進させる、国家発展の根幹を成す基本中の基本の起爆剤となるはずである。

 だが、野田新首相は立候補演説では教育に関して衆院選に落選した浪人中に、「教育という字、教(きょう)という字、頭が父、下に子を入れて、右字、交われという、そういう説もあります。一番触れ合いができました。私の左に、上に乗って、頭が子の鼻の辺りに当るんです。子どもの頭の髪の毛の匂い、忘れられません」と親子の触れ合いに言及したのみで、国の教育についてはどのような発言もなかった。

 また9月2日の首相就任記者会見でも一言も触れていない。

 国民の教育力を高めて、新たな技術開発の契機とし、開発した技術を社会に生かす創意工夫の糧とすると同時に各分野の生産性をなお一層高める基盤としていかなければ、国の発展も望めないはずだ。

 特に就任演説で国の教育に触れなかった点からも、野田新首相の政治姿勢は志が低いのではないかと疑わざるを得ない。


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野田新首相の「どじょう」論から、その政治姿勢を窺う

2011-09-03 11:45:10 | Weblog

 野田財務相が民主党代表選演説で詩人相田みつを作品の「どじょう」を引用した途端に「どじょう」が脚光を浴び、その作品に注文が殺到、相田みつをブームが再燃したとマスコミがその熱狂を伝えていた。

 日本人だけなのか、日本人だけではないのか分からないが、どうもいとも簡単に影響を受けやすい傾向を逆に嗅ぎ取ってしまった。

 どんな詩か調べてみた。MSN産経記事に相田みつをの長男で相田みつを美術館館長の相田一人氏がその詩が印刷してあるページを開いて詩集を手にしている写真が載っていた。

 どじょうがさ
 金魚のまね
 することねん
 だよなあ
 みつを

 無理な背伸びはするなという警句なのだろうと思う。どじょうはどじょうでしかない。どじょうとして生きろ。金魚として存在することはできない、と。

 あるいはどじょうはどじょうとしての特徴がある。その特長を生かして生きろ、その特徴のままに生きろ、ということではないだろうか。

 詩の解釈となると苦手だから、どうしても憶測となる。
 
 しかしこの詩はそれぞれの生物学的な存在性の違いを以って乗り超えることはできない違いだとあくまでも生物学的に把えて、その生物学的な超越不可能をそのまま人間に当てはめる解釈となっているように思える。

 それぞれの存在性を生物学的に把えるのではなく、生物学から離れて、それぞれを人間の存在に象徴化させた場合、どじょうと金魚は同じ人間でありながら、単に社会的な存在性の違いと化す。

 当然、どじょうたる人間が金魚クラスの人間に到達しようと、あるいは乗り超えようと挑戦してもいいわけで、「金魚のまね」をすることも、表面的な真似で終わるのは問題だが、間違っていないことになる。

 野党時代の民主党はある意味、どじょうであったと言える。それが2007年参院選前から俄然金魚へと変身を開始し、2009年総選挙で金魚と化したが、特に菅無能首相によって再びどじょうに回帰させてしまった。

 敗戦ですっかりどじょうと化した日本は高度経済成長によって徐々に金魚に変身、世界第2位の経済大国の地位を獲得、政治的・外交的にもアジアの盟主となることによって金ピカの金魚と化したが、失われた10年を経て、それでも経済大国世界第2位の地位を長らく保っていたが、ここに来て世界第2位と政治的・経済的なアジアの盟主の両地位を中国に譲り、先進国中最悪の財政赤字を抱えて金魚からどじょうに戻りつつある危険域に立たされている。

 「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」などとは言っていられない。「金魚のまね」ではなく、金魚そのものに回帰・変身する政治的・経済的挑戦を開始しなければならないはずだ。

 野田新首相が8月29日(2011年)の民主党両院議員総会で行った民主党代表選の演説でどういった趣旨で相田みつをの詩を取上げたのか、また立候補のときに表明した政治的な考えを知ると同時にそれが今後の政治行動の中で維持されるのか、変質させていくのか、そのスタートラインの発言として記録しておくために、横着をして演説を書き起こした記事がないかとインターネットを捜したが見つからなかった。

 で仕方なく、第2日テレ「ノーカット工房」に収められている動画《野田財務相が演説 民主党代表選 》から採録することにした。

 野田候補者「このたび民主党代表選挙に立候補させていただきました衆議員の野田佳彦でございます。どうぞよろしくお願いいたします(深々と頭を下げる)。

 私は、今日は限られた時間で、私の来し方を振り返りながら、自分の政治信条、政治理念の一端をみなさんにお示しをしたいと思います。

 私の父は、富山県の農家の、6人兄弟の末っ子でございます。私の母は、千葉県の船橋の、農家の11人兄妹の末っ子です。農家の末っ子同士の間に生まれた子どもが長男の私です。

 選挙区は都市部ですが、なぜかシティボーイに見えない理由は、そこにあるかもしれません。(笑いを誘う笑いをほんのりと浮かべる) 

 貧乏だったので、披露宴を挙げていません。父のトランクの上にお茶碗を乗せて、そして食事をしたという、そういう新婚生活から始めたそうです。でも、それからの時代は良くなっていくだろうという希望があった。いわゆる3丁目の夕日の時代でありました。

 そんな私が初めて政治を意識したのは、昭和35年10月、ご年配の方は分かるかもしれません。当時の日本社会党委員長、浅沼稲次郎氏が日比谷公会堂で刺殺されるという事件がございました。

 私の家はなぜか白黒テレビあったんです。親父は貧乏だったけど、プロレスが大好きで、テレビを買っていました。しょっちゅうニュースが流れました。こわーい刺殺シーンを、お葬式のシーンを。私は子供心に母に聞きました。

 『何であのおじさんは殺されたの』

 そのときに言われた言葉。『政治家って、命がけなの』っと、言われた記憶があるんです。

 それが初めて政治を意識した瞬間です。 

 保育園に通っているとき、今度は海の向こうから悲報が届きました。ジョン・F・ケネディの暗殺です。私は幼児の頃、政治の仕事とは怖い仕事なんだという、そういうイメージがインプットされました。

 次第に長じて、新聞等を見ていると、命がけで仕事をしているよりは、金権風土を尊重するような事件が続き、どおーもギャップがあるなあと思い始めました。そんな中で、私は学生時代は柔道部でした。当時も政界に入った今も、寝技は苦手です。

 一方で、シャイな文学好きの、そんな少年でもありました。今も時折り読みます。時代小説が大好きです。時代小説で政治の素養というものを学んだと思っています。

 司馬遼太郎から夢と志の世界を。藤沢周平から下級武士の凛とした佇まい、矜持を。山本周五郎から、人情の機微を学びました。

 政治に必要なのは夢、志、矜持、人情、血の通った政治だと思います。

 今それが足りないから、政治に対する不信、政治に対する不安が出てきているんではないかというふうに思います。

 そんな私が、~(聞き取れない)を契機にジャーナリスト志望だったところが政治家を志すことになりました。初めて出ようとした選挙は昭和62年4月の千葉県の県会議員選挙です。

 その前の半年前昭和61年の10月から、毎朝街頭に立つようになりました。津田沼駅、船橋駅。ずうっと続けてまいりました。大臣になる前の昨年の6月まで、4半世紀続けました。

 最初のデビュー戦、ジバン、カンバン、カバンなし。されど正義あり。されどバイタリティあり、良き友あり。こういうスローガンで戦いました。

 誰も応援をしてくれないので、一人で街頭に立ちましてけども、誰も注目してくれないので、1日13時間、同じ場所に立って、辻説法したこともあります。中古の街宣車が壊れたので、ハンドマイクを担ぎながら、1日中歩きながら、辻説法をしたこともあります。

 その結果、1万8千707票、当選をすることができました。どこにも入りたい政党がなかったので、一人会派で4年間過ごしました。

 次ぎの2回目の選挙。大雨となってしまいました。投票率が10%下がりました。誰もが落ちるだろうと思いました。でも、1万8千707票から2万405票に増えたんです。雨が降っても、傘を差しながら、私の名前を書いてくださった方が増えたということを、感動しました。

 組織もありません、団体もありません。投票所に行くとお分かりのとおり仕切りがあります。その仕切りで名前を書こうとすると、誰も囁くことはできません。強制して書くこともできません。そんな雨の中を、強制もされずに2万405票。40人学級で500クラス分の人たちがわざわざ足を運んでいただいたことに感動をいたしました。

 一人ひとりを大切にする政治、そのとき遣り遂げようと思いました。

 でも、どっかで気が緩んだんだと思います。

 初めての国政選挙挑戦は成功しました。万年与党・万年野党という体制を壊して、自民党に代るような政治勢力をつくって、政権交代をしたい。これが私の思いでした。

 でも、2回目の選挙、初めての小選挙区制で、私は敗れました。105票差。重複(ちょうふく)立候補をしていませんでしたので、3年8ヶ月浪人をいたしました。

 この浪人のとき、私は改めて、105票差ですから、なーんであの人たちはあの日旅行に行っちゃったんだろうとか、なーんであの地域、もっと強く入らなかったんだろう。百八つの煩悩ばかり出てきて、天井を見ると眠れない日々が続きました。

 改めて自分は一人ひとりの政治をと言いながら、一票は重いと言いながら、それに徹してこなかったことの痛切な反省が生まれました。一人ひとりを大切にする政治は私の原点です。

 ここに集(つど)った、ご縁があって集った、掛け替えのない民主党の、一人ひとりの同士を、大切にしたいと思います。私は排除の論理は絶対にこれは通しません。

 浪人中にもう一つ、大変自分にとって得難い経験をさせていただきました。それは先ほど105票差ですから、心にストンと落ちたときに、ある勉強会に行ったんです。たまたま友人に連れられていった勉強会でした。殆んど眠っていました。その眠っていた勉強会で、スーッと耳に入ってくる、心に入ってくる話がございました。

 それは朝顔の話です。朝顔が早朝に可憐な花を咲かせるには何が必要か、というお話でした。答は、私は日の光だと思いました。違うんです。朝顔が早朝に可憐な花を咲かすために敢えて一番必要なのは何か。その前の夜の闇と夜の冷たさだということでした。

 私はびっくりしました。人生が変わりました。闇を知って、初めて仄かな光に嬉しいと思うんです。冷たさを知って、本当にまさに温かみが幸せだと感じるんです。

 その今、夜の闇、夜の冷たさの中で明かりと暖かさを求めている人が一杯いるんじゃないでしょうか。今こそそういうい政治を実現しないければいけないと思います。

 私を支えていただいたのは中小企業の、零細企業のオヤジさんたちばっかりです。当時所属していた政党は解党し、政党助成金は来ません。一人で資金集めをしなければなりません。ちょうど貸し渋り、貸し剥がしの時代でした。50人の中小企業のオヤジさんたち、毎月1万円ずつ出してくださることになりました。振込みでは失礼です。毎月おカネを頂戴し、領収書を書いて、お礼を言いました。

 でも、段々不景気になっていくと、ご主人はおカネを出してくれるものの、奥さんに会うと出してくれないということもありました。

 苦労しました。でも、世の中を支えている人、私も支えていただきましたけども、こうした中小企業の、零細企業の社長さんたちがたくさんいるということが分かりました。

 しかしこうした中小企業、日本の宝であるはずの中小企業が円高、デフレで呻吟しをしています。今日もこの会合に来る前に、官邸で経済情勢検討会議に出てまいりました。

 政治空白を作らないために今日も全力で働いていきますけれども、一方で次ぎの手を打たなければなりません。私は先だって、直木賞受賞作の「下町のロケット」(正確には「下町ロケット」)という本を読ませていただきました。夢と志と技術を持っているけれども、資金繰りで苦労している企業が、中小企業が今一杯出てきているんじゃないでしょうか。そのためにも中小企業の資金繰り支援のための経済対策を早急に講ずるように、全力を尽くしたいと思います。

 浪人時代、もう一つの得難い経験。長男6歳、次男は3歳でありました。子供たちは親父がいつもいるんで喜んでいました。教育という字、教という字、頭が父、下に子を入れて、右字、交われという、そういう説もあります。一番触れ合いができました。私の左に、上に乗って、頭が子の鼻の辺りに当るんです。子どもの頭の髪の毛の匂い、忘れられません。

 子どもたちが段々大きくなる、成長していきます。親父のズボンのベルトが大きくなるのは悲しいことです。メタボですから。子どもが大きくなってズボンを買う。服を買う。嬉しいことです。

 でも、浪人中はそれがなかなかできませんでした。子供手当があったらなあと思います、そのときに。今、子ども手当、今そのことによって喜んでいらっしゃるだろう方が必ずいらっしゃると思います。

 子ども手当、高校無償化、農業の戸別補償、休職者支援制度、雇用保険の拡充、中産階級の厚みが今薄くなって、中産階級の厚みが日本の底力だったと思います。

 こぼれた人たちがなかなか上がって来れない。そこに光を当てようと言うのが民主党の『国民の生活が第一』という、私は理念なんだと思います。

 この方向性は間違いありません。これからも堂々とその実現を、勿論、野党との協議、見合いの財政の確保等々ありますが、理想を掲げながら、現実に政策遂行するのが私たちの使命だと思います。

 さて、私はその後復活をし、当選させていただきました。悲願の政権交代をみなさんと共に実現をさせていただきました。その政権交代、実現をしたあと、担当したのは財政です。えらいときの担当となりました。税収が9兆円以上落ち込んでしまった中で、先ずやるべきことはバケツの水をザルに流し込むような勿体無い遣り方は改める、そこは徹底したいと思います。

 しかし、白アリ退治、行政刷新会議を通じての戦いを進めてまいりました。気を抜くと、働きアリが収めた、その税金に白アリがたかる構図は、気を抜くとまた出てきます。私は引き続き行政刷新担当大臣を専任大臣として行政改革を推進をするべきだと思います。

 先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。

 それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません。

 政権与党は余り明後日(あさって)のこと、幻想を振り向かせるだけではなくて、国民に説明をし、お願いをすることもあると思います。そういう覚悟を持って、これから政権運営に当ってまいりたいと思います。

 で、私は大好きな言葉。相田みつをさんの言葉に、『どじょうが金魚のまねをしても、しょうがねえじゃん』という言葉があります。ルックスはこのとおりです。私が仮に総理になっても、支持率はすぐ上がらないと思います。だから、解散はしません。(笑いが起こる)

 どじょうはどじょうの持ち味があります。金魚の真似をしてもいけません。赤いベベをした金魚にはなれません。(一段と声を挙げて)どじょうですが、泥臭く国民のために汗をかいて働いて、政治を前進させる。円高、デフレ、財政改革、様々な課題があります。重たい困難です。重たい困難でありますが。私はそれを背負(しょ)って立ち、この国の政治を全身全霊で傾けて、前進させる覚悟であります。

 どじょうかもしれません、(声を振り絞る具合に)どじょうの政治をトコトンやり抜いていきたいと思います。みなさんのお力の結集を、私、野田佳彦に賜りますように、政治生命を賭けて、命をかけて、みな様にお願いを申し上げます。有難うございました」(一礼)

 短いセンテンスを多用し、尚且つ短い説明で折々の人生を次々と場面転換していくことで多くの事柄を瞬時に理解しやすく相手に伝えるなかなかの話術を如何なく発揮している。

 貧乏な農家の生まれであること。県会議員選挙に立候補する前から駅前に立って、いわば辻立ちしたことから始まって様々な苦労を経て県議に2度当選、衆議院選挙に挑戦、当選して、途中落選して浪人したが、復活して今日に至る経緯、中小企業のオヤジさんたちやその他から支援されたことが一人ひとりを大切にする政治を原点とすることになったこと、こういった中間層の厚みこそがかつての日本の底力だったといったことを自らの庶民性を訴えつつ聞く者をして手際よく納得させている。

 短いセンテンスを多用はその分大衆受けを狙うことはできるが、強烈な印象で相手を圧倒したり、心に深く感銘を与える話には向かないきらいがある。

 だとしても、なかなかの脚色家の姿をも見せている。「初めて政治を意識した瞬間」が浅沼稲次郎の暗殺と葬儀を家の白黒テレビで見た瞬間だと言っているが、野田佳彦の生年月日は1957(昭和32)年5月20日である。浅沼稲次郎暗殺は1960(昭和35)年10月12日。3歳と5ヶ月で政治なるものを意識したことになる。

 さらにジョン・F・ケネディ暗殺で「政治の仕事とは怖い仕事なんだという、そういうイメージがインプットされました」と言っているが、ジョン・F・ケネディ暗殺は1963年11月22日。野田佳彦が6歳6ヶ月のときである。

 子供心に怖いという印象は何となく持っただろうが、政治の何が暗殺を誘い、怖い仕事としているかまで理解する能力を果たして当時持っていただろうか。

 また、政治家が命を狙われ、暗殺される危険性が皆無とは言えない職業であることから、そのことを覚悟して命がけで務めることと、自身が信じた政治を万難を排して実現する意味での「命がけ」とは自ずと性格を異にする。

 前者は物理的な命の危険であって、後者は政治実現に於ける精神強固な姿勢の表明を示す。勿論後者の命がけが前者の命がけにつながっていくケースもあるだろうが、別個の命がけである。

 だが、野田佳彦は「次第に長じて、新聞等を見ていると、命がけで仕事をしているよりは、金権風土を尊重するような事件が続き」云々と行って、前者と後者を混同させて使っている。

 「そんな中で、私は学生時代は柔道部でした。当時も政界に入った今も、寝技は苦手です」も自身が実直であることを装おうための脚色臭い。

 県立船橋高校時代に柔道を指導した向井広志氏(61)は「立ち技は平凡だったが、寝技では粘りをみせた。立ち技はセンスがなければうまくならないが、寝技は練習した分だけ強くなる」(MSN産経)と証言している。

 なかなかどうして、柔道では寝技で持っていた姿が浮かぶ。

 勿論、柔道の寝技は物理的な一つの技術に過ぎない。人間営為に於ける裏技は裏取引や裏工作の技術を言う。後者を否定、前者を肯定すべきだったが、話を面白くし、且つ実直な人格をであることを証明するために話を脚色したといったところか。

 以上のことはどうでもいいことだが、肝心なことは次ぎように言っているのことである。

 これまでのように「政刷新担当大臣を専任大臣として行政改革を推進」する。「先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘ってい」く。「それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」

 いわば消費税も含めてだろう、増税は「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」等々、国民に約束した行政改革を達成した後である、「国民にご負担をお願いする」と公約した。

 「中産階級の厚みが日本の底力」だと言っている。増税で最も打撃を受けるのは中間層以下の国民であろう。このことからもこの言葉、この公約が守られるかどうか監視しなければならない。

 最後に「どじょう」の譬え。この「どじょう」論は生物学的などじょうを生物学的どおりに人格化し、生物学的存在性のままに、いわば生物学的な「どじょうの持ち味」を以って自らの能力としている。

 「どじょうはどじょうの持ち味があります。金魚の真似をしてもいけません。赤いベベをした金魚にはなれません」と、金魚への変身、金魚への発展を自ら拒否し、どじょうを守備範囲とすべく意志している。

 「泥臭く国民のために汗をかいて働いて、政治を前進させる」、「この国の政治を全身全霊で傾けて、前進させる覚悟であります」と勇ましく言っているが、言葉とは裏腹に、そこに大きな飛躍を目指す、大きな発展に賭ける意志――司馬遼太郎から夢と志の世界を学んだと言ってるが、大きな夢、高い志を嗅ぎ取ることはできない。

 日本という国の回復が「どじょうの持ち味」程度でいいのだろうか。一国のリーダーが目指す程度はその人物のスケールに対応しているはずだ。

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防衛省のオスプレイ事故率非開示は国民に対する説明責任不作為

2011-09-02 07:37:57 | Weblog

 《政府、オスプレイ事故率の開示拒否》沖縄タイムス/2011年9月1日 16時05分)

 防衛省が昨日(2011年9月1日)、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備に関し沖縄県と宜野湾市から出されていた29項目の質問状に対する回答を公表したと出ている。

 どのような内容の29項目の質問状なのか、それにどう答えた回答なのか、インターネットを調べたが、見つけ方が下手からなのか、見つけることができなかった。

 記事には、〈防衛省は・・・・29項目の質問状に対する回答を公表した。〉と、「公表」と出ている。公表したからには人目に触れなければならない。それとも沖縄県と宜野湾市のみに「公表」したということなのだろうか。記事最後の、〈同省の中江公人次官らは同日、県と宜野湾市を訪ねて回答書を手渡した。県庁で受け取った仲井真弘多知事は「現時点で反対」との考えを伝えた。〉との一文を見ると、どうも沖縄県と宜野湾市に回答書を手渡した類いの「公表」なのかもしれない。

 空軍仕様のCV22も含めた開発段階からの事故率開示要求を含めたオスプレイの安全性についての質問には「未完成の段階である開発段階の事故率を一概に比較したとしても、むしろ誤解を招く」、CV22に関しては、〈飛行時間が極めて少ない〉として開示を拒んだとしている。

 事故の程度、事故の回数、すべての情報を回答すると政府側に不都合、あるいは不利益が生じることからの開示拒否なのは間違いない。政府に好都合、利益をもたらす情報なら、進んで開示する。質問状を以ってして求められなくても、胸を堂々と張る様子で開示するはずだ。

 だが、この非開示は国民に対する説明責任の不作為に当る。防衛省、あるいは日本政府はオスプレイの沖縄配備に関して沖縄県と宜野湾市のみを相手にしているわけではあるまい。配備に賛成・反対はあっても、沖縄全県民を相手にした配備であって、その安全性に関わる情報の全面開示は国民の生命・財産を預かる政府の国民に対する説明責任の範囲事項に当るはずだ。

 回答書の「未完成の段階である開発段階の事故率を一概に比較したとしても、むしろ誤解を招く」は北沢防衛相も8月8日(2011年)衆院予算委で共産党の赤嶺政賢議員に対する答弁の中で同趣旨のことを発言している。8月10日当ブログ記事――《菅仮免は「国民の安心・安全」を問うオスプレイ国会質疑で居眠りをしていた - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り扱った。

 北沢防衛相「エー、先ずですね、開発途中の事故を、おー、一般的な運用の中に入れて、事故率を計算するちゅうのは、これは、あのー、考え方かもしれませんが、私は正確なものではないと。

 開発途中のいくつかの試行錯誤の中で改良してきて、運用ができるようになって、あのー、大量生産を政府が許可したと。そういう経緯から見ても、それを開発途中、いわゆる研究段階を含めてのものを入れると、むしろ誤解を招くだろうというふうに思っております。

 そして今ご指摘のアフガンの問題は、あー、先程申し上げましたように、えー、特定されていない、原因がこういうことであります。それから、空軍のものを入れていないじゃないかと、こういう話ですが、あくまでも沖縄の海兵隊に配備されると、いう状況の中で、あのー、それを申し上げてきたはずです

 空軍のCV22は関係ないことだと言っている。だったら、公表すればいいと思うが、〈飛行時間が極めて少ない〉にも関わらず、北沢答弁が触れているように事故を起こしているから情報開示できないということなのだろう。

 「アフガンの問題」とはアフガニスタン戦闘地域で空軍のオスプレイが敵攻撃によるものではない、原因が特定できない墜落事故を起こして4人の犠牲者を出したことを指している。

 「未完成の段階である開発段階の事故率を一概に比較したとしても、むしろ誤解を招く」と回答しているが、一般的には開発段階での事故率を全面解消した段階で正式配備の局面を迎えるはずだから、当然両段階の事故率の比較なくして安全性は証明不可能となる。最善は配備段階での、少なくとも重大事故の事故率ゼロでなければならない。配備段階で一度でも重大事故を起こしていたなら、例えば開発段階で百度事故を起こしていたとしても、事故率は最小値に向かうことになったとしても、百度の事故の解消とは言えない。

 真に必要な情報は開発段階での事故率や事故の程度、事故の種類であることよりも、正式配備後の事故率ばかりか、事故の程度、事故の種類であって、空軍とか海兵隊とかの区別に関係なく事故が生じている状態にあるなら、配備は問題外となる。

 アフガニスタン戦闘地域での墜落事故は正式配備後の重大な事故がゼロと言うわけではないことの証明となる。

 正式配備以後、重大な事故も重大な事故につながる危険性のある事故も発生させていなかったなら、開発段階と正式配備段階の比較は「むしろ」有意義となる。

 それを「むしろ誤解を招く」として比較を無意味とする態度は裏にやはり不都合・不利益を抱えていることからの情報開示拒否であり、国民に対する説明責任の不作為そのものである。

 事故率の比較の情報開示が招くとする「誤解」が真に誤解の種類であるなら、招いた場合の誤解を解くのも政府の説明責任の範囲事項となる。こういった場合の誤解は避けるものではなく、解くものであろう。解くことによって国民に対する説明責任をより十全に果すことが可能となる。

 誤解を理由とした情報非開示は国民に対する説明責任上、許されないと言うことである。

 * * * * * * * *

 このオスプレイの安全性の問題、本土の新聞は扱っていないようだが、一地方の小さな問題と看做しているのか、それとも沖縄基地問題は遠い話となってしまったのだろうか。


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菅政権は22年度原子力総合防災訓練でスピーディを用いている その存在を知らなかったでは済まない

2011-09-01 11:12:45 | Weblog

 菅政府は原発2号機が破損した当日の3月15日時点で放射能汚染が原発から北西方向を中心に広がると予測していたにも関わらず、同方向の福島県飯舘村など5市町村の住民に避難を求めたのは予測から27日遅れの4月11日であった。

 《汚染拡大予測、政府生かせず 2号機破損時、対応後手》asahi.com/2011年5月4日20時9分)

 政府のこの対応遅れは文科省と原子力安全・保安院が5月3日夜から公開を始めた「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」の試算結果から分かったと記事は書いている。

 以下記事全文参考引用――

 〈3月15日午前6時すぎに原発2号機の圧力抑制室が破損。約3時間後に正門付近で、放射線量が1時間あたり10ミリシーベルト超まで急上昇した。保安院は破損の影響を調べるため、同日午前7時前に試算した。

 それによると、同日午前9時から24時間後までの間に、原発を中心にした単純な同心円状ではなく、とくに北西方向に汚染が流れていくことが予測された。こうした汚染の傾向は、福島大などによる実測値でも裏付けられている。

 政府が当初、避難を求めていたのは、原発から半径20キロ圏内の住民。だが4月11日になって、北西方向で20キロ圏外にある飯舘村や葛尾村など5市町村に対しても、5月末までに住民避難を求めることにした。対象は約3千世帯、計約1万人とされる。

 SPEEDIによる試算約5千件はこれまで未公表だった。その理由について、細野豪志首相補佐官は2日の会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明した。(小宮山亮磨) 〉 ――

 細野豪志の発言はパニックよりも放射能汚染を優先させたと言うことになる。

 この避難遅れだけではなく、当初政府は避難区域を同心円で設定、実際の放射線は原発から北西方向を中心に同心円を超えて広がったために同心円外の避難先にまで風に乗って飛散、多くの避難住民が被曝リスクに曝されたのではないかと批判を受けることとなった。

 この「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」は文科省が100億円以上かけて開発、文部科学省と内閣府原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院の3者が運用、原発事故直後から毎時拡散状況を計算していたが、政府は「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」の存在自体を知らなかったと言っている。

 原発問題担当の海江田経産相も8月27日(2011年)、東京都千代田区の日本プレスセンターで行われた民主党代表選共同記者会見でそのように発言している。

 質問者「今のホットスポットにも絡むんですけど、文部科学省が持ったスピーディっていう放射線の飛散の状況についての発表が遅れましたですよねぇ、対応の遅れ、あるいは、被災地の方の対応の不信感ということの一つに情報開示の遅れというのがあると思うんですが、この点については担当大臣として海江田さん、どうですか」

 海江田経産相「私は今回、この福島の事故の対応で、自分自身に色々と反省することもございます。その中の、やはり一番大きな問題が先ずスピーディの存在を私自身、知らなかったんです。

 これは正直申し上げまして、で、まあ、そのとき官邸にいた他の方にもお尋ねをいたしましたが、実はスピーディの存在そのものをみんな知らなかったということでありまして、これはやっぱり大変大きな問題であります。

 そしてですね、実は保安院がそのスピーディの存在を知っていたようであります。これは私はしっかりと問い質しました。ところが、保安院はそのスピーディの利用に当たってですね、やはりこの、当初出してきましたスピーディの数値というのは一定の仮定を置いてこれぐらいでその放射性物質が出ていたとしたらこういうことになるよと言うことで、まさに実際の数値を置いていなかったから、これを当てにならないものだとして斥けていたということで――」

 同質問者「今の時点であれば、海江田さんは直ちに発表しろという指示をなさった――」

 海江田経産相「勿論です、ハイ。その前にそれを参考にして、そして行動を取ると――」

 復興財源の質問に移る。

 「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」とは「原子力施設から大量の放射性物質が放出されたり、あるいは、そのおそれがあるという緊急時に、周辺環境における放射性物質の大気中濃度や被ばく線量などを、放出源情報、気象条件および地形データをもとに迅速に予測するシステムです」と、文部省なのか保安院なのか、情報源も情報発信日時も記してないPDF記事に書いてある。

 当然、入力する放出放射線量が仮定値であったとしても、風向きや風速、地形状況等の入力に応じて放射性物質がどちらの方向に拡散していくかは把握していたはずだ。

 放出された放射性物質が少ない場合は、それに応じて被曝の危険性は減少するが、逆に多かった場合を想定して対応するのが危機管理であるはずである。でなければ、国民の生命・財産を守ることにはならない。

 仮定値だから、当てにはならないから公表しなかったという危機管理対応は決してないはずだ。当てにならない仮定値だからこそ、最悪の放出量を仮定して避難指示等の危機管理対応を取るのが政府の務めだったはずだ。

 菅仮免も「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」の存在を知らなかったと6月3日(2011年)の参院予算委員会で答弁している。

 《「予測図は伝達されなかった」 首相がSPEEDI公表遅れを陳謝 参院予算委》MSN産経/2011.6.4 01:33)

 自民党の森雅子議員から放射性物質拡散状況を予測する「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」の公表が遅れたことに関して。

 森雅子議員「なぜ住民に知らせなかったのか。知らせていれば避難できた。子供を含めて内部被曝しているのではないか」

 菅仮免「情報が正確に伝わらなかったことに責任を感じている。責任者として大変申し訳ない。予測図は私や官房長官には伝達されなかった」

 だが、海江田経産相はともかく、菅仮免は「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」の存在を知っていなければならなかった。伝達されなかったとしても、自分の方から拡散状況の報告を催促しなければならなかった。

 海江田万里が菅再改造内閣で経済産業相に就任したのは2011年1月である。これを遡る2010年10月20日に菅政府は《平成22年度原子力総合防災訓練》を行っている。

 この訓練は静岡県の浜岡原子力発電所第3号機が原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能が喪失、放射性物質が外部に放出される事態を想定して行われた。

 当然、原発事故時に於ける運用機関である文部科学省と内閣府原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院は「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」を使用して、放出された放射性物質の量を仮定し、2010年10月20日時点の風速、風向、浜岡原発周辺の地形等の数値を入力、放射性物質の拡散状況をシュミレーションし、その結果値からどの地域の避難が必要か等を想定、想定上の事態のすべてを政府原子力災害対策本部会議本部長の菅仮免に途中こっそりと抜け出してどこかに遊びに出かけていなければ報告したはずだ。
 
 “放射性物質外部放出事態想定”訓練であることは経産相のHPにも文科省のHPにも記載されている。

 平成22年度原子力総合防災訓練の実施について(経済産業省HP/平成22年9月29日(水)) 

 〈本件の概要
原子力施設において、放射性物質が環境に大量に放出されるおそれが生じるなどの緊急事態の発生に備え、原子力災害対策特別措置法に基づいて、国、地方公共団体、事業者等が一体となって、周辺住民の安全確保等のための応急対策を講じることとされています。

 本訓練は、同法第13条等に基づき、こうした緊急事態対応の訓練を行うものであり、今年度は静岡県の中部電力株式会社浜岡原子力発電所における緊急事態を想定した訓練を10月20日(水)及び21日(木)の2日間実施します。

 担当 原子力安全・保安院原子力防災課〉――

 当時経産大臣として訓練に参加したのは海江田万里ではなく、現国交相の大畠章宏である。

 担当は原子力安全・保安院原子力防災課。当然のことなのだろうが、原子力安全・保安院も関わっていた訓練であった。

 まさか、「放射性物質が環境に大量に放出されるおそれが生じる」事態にのみ備えた訓練で、実際に放出された場合を想定した訓練を行わなかったと言うわけではあるまい。

 だとしたら、訓練に於いても「原子力安全神話」に胡坐をかいた想定となり、常に最悪の状況を想定して対応する危機管理に反し、訓練は形式・儀式の類いとなる。

 もし実際に放出された場合を想定した訓練でなければ、「周辺住民の安全確保等のための応急対策」は不必要となる。あくまでも実際の放出を想定した「周辺住民の安全確保等のための応急対策」であるはずだ。

 そうであるのは「訓練の重点項目(特徴)」の中に「緊急被ばく医療活動の充実」が入っていることが証明している。放射性物質が放出されなければ、被曝医療活動は発生しない。

 当然、「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」を使ったシュミレーションは行われた。いや、行われなければ、原子力災害に於ける危機管理とはならない。

 シュミレーション実施は文科省のHPが何よりも証明している。《平成成22年度文部科学省原子力災害対策支援本部運営訓練について》(文科省HP/平成22年10月18日) 

 〈文部科学省では、平成22年10月20日及び21日、中部電力株式会社浜岡原子力発電所での事故を想定して実施される平成22年度原子力総合防災訓練において、以下のとおり、文部科学省原子力災害対策支援本部運営訓練を実施いたします。〉――

 〈本部員等から、事故概要 原子力災害対策特別措置法第10条通報の内容、環境放射線モニタリングの状況、「緊急時迅速放射能影響予測システム」を用いた環境放射能影響予測、各局の対応状況の報告等を行う。〉――

 菅仮免は文部科学省と内閣府原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院のいずれかから、あるいは3者から交互に風向と風速、放出放射性物資の量等の各仮定値に基づいて「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」を使って計算した放射性物質の拡散状況の報告を受けたし、受けなければならなかった。

 放射性物質の放出量の様々な各仮定値に基づいた拡散状況に応じて何キロ圏は即時避難、何キロ圏は屋内避難等の説明も加えて受けたはずだ。

 だが、福島原発の事故に際しては、事故発生当初から「緊急時迅速放射能影響予測システム」を用いて放射性物質の拡散状況を予測していながら、それを公表もせず、住民避難に生かされることもなかった。

 「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」に関して、菅仮免が「予測図は私や官房長官には伝達されなかった」、あるいはその存在自体を知らなかったでは済ますことはできない菅政権の危機管理の機能不全と言わなければならない。

 参考までに――

 《菅仮免首相の危機管理能力ゼロを改めて証明する国会答弁 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


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