蓮舫の、安倍晋三の「政策を世論調査の結果で判断するなら国会議員も政府も不要」発言に無反応な政治家の質

2015-08-11 09:36:09 | 政治


 民主党の蓮舫が8月10日参議院予算員会で新国立競技場建設見直しや見直しに至る建設費の高騰とその過程での関係部署の情報の共有等について質問した。対して安倍晋三は答弁の中で一国の首相を務める政治家に相応しくない見識の低さを見せつける発言を行ったが、蓮舫はそれを突いて、本当に日本の首相なのかとその資質を国民に疑わせる折角のチャンスを逃した。

 蓮舫「総理の新国立競技場建設の見直しを率直に評価します。白紙撤回の理由は何ですか」

 安倍晋三「白紙撤回は建設費が嵩んできた中に於いて、国民的な批判もあり、アスリートの皆さんからも競技場の建設に膨大な予算を使うよりもアスリートの育成や強化費も含めて、あるいはスポーツ環境をより改善していくことのために国家資金を使う必要があるのではないかとという意見があったわけでございます。

 オリンピックというのは国民の祭典であり、主人公は国民一人一人であり、アスリートの皆さんが主人公である中に於いて多くのみなさんから祝福される大会にならなければならない。このような考えから白紙撤回した」

 蓮舫「国民の声に背中を押されたと理解してよろしいですか」

 安倍晋三「これは国民の皆様の大会として、その大会の大きな競技場となる競技場に対しておかしいという声が上がっている以上はやめるべきだと考えたところでございます」

 蓮舫「安保法案の説明が不十分と考える国民が8割。反対が6割。今回の成立反対が7割。安保法案の国民の批判が新国立競技場と同じく高く、更に歴代法制局長官、憲法学者、元政府関係者、自民党前国会議員が批判という批判の声を上げています。

 この声には応えて見直ししますか?」

 安倍晋三政策一つ一つについて世論調査の結果に添って判断するんであれば、国会議員も政府も要らないと言うことになってしまうわけでございまして(自民党議員だろう、委員席から笑い声が聞こえる)、ご覧の(?)形式の中に於いて判断をしなければならないこともあります。

 オリンピックの競技場につきましてはそもそも当初の案よりも建設費が膨らんで射るという中に於いて、国民の皆さんのご批判が私は尤もなご批判だったんだろうと、こう思うわけであります。

 繰返しになりますが、オリンピックというのは国民皆んなの祭典であり、その中で多くの方々から祝福されなければならない。そう考えたわけであります。

 同時にこれは国民の命を守る法制につきましては我々は憲法の枠の中に於いて必要な自衛の措置とは何かと言うことについて考え抜いていく責任があり国会議員も政府にもあるわけであり、私たちはその責任を国際情勢を見据えながら果たしていく、判断をしていく。

 私はそれは当然なことだろうと思います。

 残念ながら、国民の皆さんにまだ理解が届いていないのは事実でございますが、今後、参議院、この委員会等を通じて努力していきたいと思っています」

 蓮舫「総理の聞く国民の声、聞かない声、私は全く分かりません。

 白紙撤回の決断は評価しますが・・・・・・・」

 建設見直しとなった最大の問題は何かといった質問に移っていく。

 蓮舫自身は安倍晋三の答弁に対して「総理の聞く国民の声、聞かない声、私は全く分かりません」と応じたことを皮肉を込めた気の利いたセリフと思っているかもしれないが、安保法案に反対・批判の国民の声に応えて見直すかという追及を巧妙にかわされて、かわされっ放しで終える格好のつかなさから何か言わないと追及の収まりがつかないことから発した捨てセリフと思わせない捨てゼリフの類いに過ぎない。

 何のパンチにもならない。蓮舫としたら、この程度の反応が精一杯といったところなのだろう。

 安倍晋三の「政策一つ一つについて世論調査の結果に添って判断するんであれば、国会議員も政府も要らない」とする発言は世論調査に現れる国民の声と政策決定を別個と位置づけて、国民の声を政策決定の下に置くか、無視する対象としているといった趣旨になる。

 しかし発言の構造自体は世論調査に現れた国民の声を最初に持ってきて、その声に従って政策を決めるという政策決定を仮定した場合、「国会議員も政府も要らない」と結論づける構造となっているが、こういった構造で政策決定することは現実的にはあり得ないのだから、安倍晋三が言っていること自体が矛盾しているし、こういうことを言う首相としての資質を問わなければならない。

 なぜなら、国民の声が先にあるのではなく、国会議員や政府が先にあって、次に政策があって、最後に政策の良し悪しを判断して世論調査に現れることになる国民の声が続くのであり、政策の良し悪しの判断(=国民の声)が最終的には次の選挙で国政をどの立候補者に議員として負託するか、どの政党に政権を委託するかを決定して、国会議員や政府が改めて続くことになる循環する形で一国の政治が成り立ち、社会が成り立っていくことになるからであり、例え「政策一つ一つについて世論調査の結果に添って判断」したとしても、「国会議員も政府も要らない」無用の存在だとすることはあり得ないし、していいはずはないからだ。

 もし「国会議員も政府も要らない」」ということなら、次に持って来るべき「政策」はどこから現れることになるのだろうか。選挙の遊説で各政党の政策を直接聞くか、あるいは新聞・テレビのマスメディアを通じて知るか、あるいは国会議員や閣僚が国会で政策について交わす議論を直接聞くか、あるいは同じく新聞・テレビのマスメディアを通じて知るかしなければ、どのような政策であるか、あるいは政策の良し悪しの判断はできないことになり、世論調査で示す国民の声も生まれないことになる。

 安倍晋三の“国会議員と政府”不要論は逆に世論調査に現れる国民の声を愚弄する下らないトンチンカンな発言であり、当然、一国の首相として如何に恥ずべき発言か断罪しなければならない。

 国民も加わって大きな動力となっている国家運営――いわば政府だけが動かしているわけではない国家運営という大きな循環で言えば、国民の声が常に正しいとは言えないし、利害を一致させているとは言えないが、全体としては一国の政治は国民の声・世論に従っているのである。

 国民世論が選挙の趨勢に大きく影響していくことを考えれば、簡単に理解できることである。

 安倍晋三は日本国憲法が国民主権としていることを忘れているらしい。

 国民にしても主権者が国民自身であることを深く認識して政治に対峙しなければならない。一つ一つの政策に関しては現実には世論調査に従って決定しない場合もあるし、そのような場合が多いかもしれないが、大きな循環の中では国民世論が国政を動かしているのであり、動かさなければならないことを自覚しなければならない。

 自覚していたなら、安倍晋三の「世論調査の結果に添って判断するんであれば、国会議員も政府も要らない」などといったトンチンカンな発言は愚かしいことと決して認めることはできないだろう。

 安倍晋三が「国民の命を守る法制につきましては我々は憲法の枠の中に於いて必要な自衛の措置とは何かと言うことについて考え抜いていく責任があり、国会議員も政府にもあるわけであり、私たちはその責任を国際情勢を見据えながら果たしていく、判断をしていく」と言っているが、安倍晋三が安保法制の成立に国民の声を聞こうが聞くまいが、いわば世論に従おうが従うまいが、現在の国民の多くの声は安倍晋三が言っている「責任」を国会議員や政府の「責任」とは認めていないということである。

 「残念ながら、国民の皆さんにまだ理解が届いていないのは事実でございますが」と言っているが、説明不足であり、憲法違反であり、反対だと判断する理解は十分に届いているということであるはずだ。

 逆に届いていない「理解」とは、同調してもいいという理解であろう。

 だから国民の多くは反対し、批判している。

 蓮舫が安倍晋三の“国会議員と政府”不要論を如何に的外れで、国民の声を愚弄する発言だと咄嗟に反応できていたなら、その発言を突いて安倍晋三の首相としての資質を国民に疑わせる折角のチャンスだったが、無反応なまま逃してしまったようだ。

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安倍晋三と同類の右翼国家主義者稲田朋美の東京裁判検証願望、順番は日本の戦争の検証・総括が先

2015-08-10 07:42:58 | 政治


 安倍晋三と同類の右翼国家主義者稲田朋美が7月30日の記者会見で、〈「東京裁判で認定された事実関係を日本人自身が検証、反省し、将来に生かすことが出来ていない」と述べ〉、党内に検証のための組織を設置する考えを示したと8月9日付「YOMIURI ONLINE」記事が伝えていた。

 7月30日の記者会見を伝えるのになぜ8月9日になったのかは分からない。

 自民党のサイトにアクセスして探したが、載っていなかった。稲田朋美が検証の組織設置を検討していることに与党内から懸念の声が出ていると記事が伝えているから、懸念に配慮した措置なのかもしれない。

 記事は画像で、「稲田朋美が想定する検証ポイント」を挙げている。

 ●GHQの占領期間の政策や憲法制定過程
 ●東京裁判で「戦争犯罪」とされた事実の証拠や立証の方法
 ●東京裁判で戦勝国側が「事後法」を適用したという指摘について
 ●東京裁判で「20万人以上」と認定された南京事件の犠牲者数について

 稲田朋美が東京裁判の判決は争わない姿勢を明確にしていて、検証対象は裁判で「戦争犯罪」と認定された事実に関する立証の妥当性などに限る考えだと記事は解説している。

 つまり検証結果がどう出ようと判決に異議申立ては行わず、そのままにしておいて、GHQ側が戦争犯罪と認定した立証の妥当性等の検証に限定するということになるが、検証の結果、立証の妥当性を否定、もしくは不当と判断した場合、判決自体に跳ね返って、判決そのものが否定、もしくは不当と認識させることができる。

 判決を争わなくても、最終的には判決の妥当性に疑義を生じさせることになる。狙いはそこにあるのだろう。稲田朋美のこれまでの言動や安倍晋三の言動からして、最終の狙いは東京裁判の否定や占領政策の否定にあるはずだ。

 否定は何らかの肯定に対する反作用としての構造を取る。ここでの右翼国家主義者稲田朋美の場合は、安倍晋三も同じだが、当然、占領期間終了までの戦後否定は戦前肯定の反作用の構造を取っているはずである。

 戦前を否定すべき時代対象としていたなら、戦後の日本は占領時代を民主主義を襷(たすき)に助走を開始した時代に当たるはずだから、占領期間終了までの戦後の時代を少なくとも次善、あるいはそれ以上の評価づけを行わなければならいはずだが、逆に否定的ニュアンスからの検証の対象としているからだ。

 稲田朋美は今年6月18日の記者会見でも戦後日本の占領政策や今の憲法が作られた過程などについて、党内で独自に検証を行う考えを示していた。

 このことは6月19日の当ブログ記事――《安倍晋三の歴史認識に素っ裸で添い寝する右翼稲田朋美の占領政策と日本国憲法党内独自検証の意向 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り上げた。

 今回再びブログ記事とするのは、何回でも取り上げなければならないと思っているからだ。

 6月18日の記者会見での発言と似た引き続いての7月30日の記者会見の発言は稲田朋美が検証の党内組織の設置になお拘っていることを示すものであり、同時に稲田の検証願望の強さを物語っているはずだ。

 つまり戦前肯定・占領期間終了までの戦後否定に拘っている。言い換えると、このような歴史認識の確立に拘っている。

 この拘りは安倍晋三の拘りを受けた精神性なのは、上記ブログに取り上げたが、安倍晋三が2012年4月28日の自民党主催の「主権回復の日」に寄せたビデオメッセージが有力な証拠となる。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。主権回復の日とは何か。これは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を終えて、日本が主権を回復した日です。

 しかし同時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはしませんでした。本来であれば、この日を以って日本は独立を回復した日でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 それをやっていなかったことは今日、おーきな禍根を残しています。戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を(右手を拳を握りしめて、胸のところで一振りする)取り戻すことであります」――

 安倍晋三のビデオメッセージは明らかに占領期間終了までの戦後否定の思想を渦巻かせている。戦前の政治や国民統治を含めた日本国家の存在性を肯定の対象とした、その反作用としての戦後の否定と見なければならない。

 6月18日の記者会見では稲田朋美は検証の必要性の理由を、「(東京裁判の)結果を否定するつもりは全くないが、判決理由の中に書かれた歴史認識はあまりにも杜撰(ずさん)なもので検証は必要だ」と述べた。

 そこで上記ブログ記事に次のように書いた。

 〈だとしたら、東京裁判の歴史認識の杜撰さを証明するためには、東京裁判は戦前の日本の戦争が導き出した一つの結果でもあるのだから、日本の戦争に関わる歴史を正しく検証・総括し、検証・総括したその歴史認識と東京裁判の歴史認識を比較対照、これこれこのとおり杜撰だと指摘しなければならない。

 だが、日本の戦争の歴史は今までも一度も検証・総括しないまま、尚且つ比較対照上必要不可欠で、順番から言ったら先に行わなければならないにも関わらず、検証・総括する意思も見せずに東京裁判の歴史認識だけを検証しようとしている。

 ある特異な凶悪犯罪者のその犯罪に至る心理を知るためにどういった親子関係・人間関係のもと、どういった家庭環境・地域環境に育ったのかの検証もせずに、犯罪を行った一時期の行動を把えて、その人間性を検証し、答を出すようなものである。〉――

 ここに書いたように順番から言って日本の戦争の検証・総括が先でなければならないはずだが、そのことに触れることなく占領期間終了までの戦後の検証を先にしている。

 この発想の構造自体にも、戦前肯定・戦後否定思想の反映を読み取らないわけにはいかない。

 当然、戦前肯定に裏打ちされた戦後否定の検証という姿・構造を取るはずだ。

 このようなご都合主義の歴史認識は許されるはずはない。

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8月8日コメント、民主党政権は「周辺事態法」の輸送対象品目から核兵器除外の規定を設けなかったに答える

2015-08-09 09:53:43 | 政治


 8月8日の当ブログ記事――《安倍晋三の安保法案、8月7日衆院対山井和則答弁で分かった法的安定性無視と独善と尊大と独裁意識 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に対して「Unknown」氏から次のようなコメントを頂いた。 

 〈Unknown  2015-08-08 19:19:20

 現行の周辺事態法なども法文上は核運搬を禁じていない。岡田氏らの理屈に従えば、民主党政権下でも核運搬は可能だったことになるが、それを禁止する措置をとらなかった。

 そんな過去を無視し、山井氏は「核兵器を自衛隊が輸送できるようにする危険な法律を成立させることはできない」と、安保関連法案により初めて核運搬が可能になるとの誤った追及を続けた。お手上げの様子の首相は、こう答弁するしかなかった。

 「山井委員が前提としていることは全て間違っています」(内藤慎二)〉――

 「内藤慎二」なる人物の指摘を「Unknown」氏が代わってコメントしたのかもしれない。

 「内藤慎二」なる人物をネットで調べてみた。ジャーナリストなのだろう、産経新聞に「内藤慎二の野党ウオッチ」なる文章を書いている。どうも反民主党らしい。

 それ以上の情報は「内藤慎二」という名前が多過ぎて、ネットから簡単に探し出すことができなかった。

 確かに現行の「周辺安全事態法」は、「物品の提供には、武器(弾薬を含む。)の提供を含まないものとする」としているものの、「 人員及び物品の輸送」に関しては何の制約も設けていない。

 当然、米軍に依頼されれば、自衛隊は核兵器の輸送もできるということになる。

 これが「法文上」、あるいは「法理上」という意味なのだろう。

 但しこうも言うことができる。コメントにあるように「周辺事態法なども法文上は核運搬を禁じていない」が、輸送品目の中に許可対象として「核兵器」の明記があるわけでもない。「物品の輸送」という文言で、「物品」として一括りされている。

 もし民主党政権が「物品」の中に核兵器やその他の大量破壊兵器を頭に入れていなかったなら、どうだろうか。

 法律に個々具体的に規定していない以上、何を輸送可能な「物品」とするか、提供可能な物品にしてもそうだが、全ては“政権の意志”に関係してくることになる。

 大体が「物品」として一括りしていること自体が、新しい安保法案にしても同じように「自衛隊に属する物品(武器を除く。)」と一括りされているが、色々な解釈と解釈に応じた運用を招くことになって、法的安定性を欠くことになる。

 それを無視して、“政権の意志”に委ねている。

 民主党政権時代でも、核兵器等の大量破壊兵器の輸送は“政権の意志”にかかっていたことになる。

 以下の質疑をみると、如何に“政権の意志”に委ねているか、あるいは“政権の意志”に委ねられているかが理解できる。

 8月4日午後の参院平和安全法制特別委員会で社民党の福島瑞穂が「ミサイルは(輸送可能な)弾薬に入るのか」と質問して、防衛相の中谷元が「敢えて当てはめると弾薬に当たると整理することができる」と答弁している。

 中谷元の答弁は明らかに“政権の意志”の表明となっている。

 翌8月5日午前の参院平和安全法制特別委員会での民主党白真勲と中谷元の質疑では次のような遣り取りが行われていいる。

 白真勲「法律上、大量破壊兵器、全てのこの世にある兵器、弾薬はこの法律で運べるわけですね」

 中谷元「確かに法律上、特定の物品を排除するという規定はありません。

   ・・・・・・・・

 (但し)我が国は国是として非核3原則もあるし、生物禁止条約がありますし、それは(核兵器や毒ガス兵器等の輸送)はあり得ないし、そういうような要請は拒否するということでございます」――

 核兵器について言うと、法律上は核兵器を輸送対象品目から排除するという規定はないが、非核3原則を国是としているから、核兵器の輸送はあり得ないし、そのような要請があっても拒否すると“政権の意志”を述べている。

 問題はこの“政権の意志”である。

 「核兵器を持たず、造らず、持ち込ませず」の非核3原則を将来的にも厳格に国是として守ることを、あるいは国是の位置づけを将来的にも厳格に維持することを“政権の意志”としているなら、輸送等によって他国の核兵器使用に手を貸すことは非核3原則に対する裏切りそのものとなるから、中谷元が言っているように「我が国は国是として非核3原則もあるから、核兵器の輸送はあり得ないし、輸送の要請があっても拒否する」とする“政権の意志”に確度の高い信用を置くことができる。

 だが、安倍政権に関しては非核3原則の国是に確度の高い信用を置くことのできる“政権の意志”を窺うことができるだろうか。

 安倍晋三の核兵器に関わる発言をネットで調べてみた。

 第1次安倍内閣は2006年9月26日に発足しているが、首相就任前に日本の核保有の可能性をについて発言している。

 安倍晋三「我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」――

 政権発足後の2006年11月14日には核保有についての鈴木宗男の質問主意書に対して、「政府としては、非核三原則の見直しを議論することは考えていない」としながら、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」との閣議決定した答弁書を出している。(Wikipedia

 安倍晋三は8月7日の衆院予算委で、「非核3原則の国是は不動の政府としての考え方であります」答弁しているが、安倍晋三の核兵器に関する政治的な主義・主張(核保有衝動)と今年の原爆式典で例年触れている「非核3原則の堅持」を抜かしていたこと、安保法案に関わる国会答弁で、自衛隊の後方支援が可能としている輸送対象品目から「核兵器を除く」とする規定を設けることの要請に応じていないこと等から考えると、非核3原則を将来的にも厳格に国是として守る、あるいは国是の位置づけを将来的にも厳格に維持していく“政権の意志”を些かも窺うことはできないし、そこに確度の高い信用を置くことができるとは決して言うことはできない。

 いつの日か核兵器輸送が必要となる、あるいは核保有が必要となる安全保障上の将来的な備えからの除外規定の拒否にしか見えない。

 民主党が政権担当時代に「周辺安全事態法」の輸送対象品目から「核兵器を除く」との規定を設けなかったのは非核3原則を国是として将来的にも守ることを“政権の意志”としていたからと考えることができる。

 いわば核兵器輸送も、核兵器保有も論外の“政権の意志”としていた。

 与党にしても野党にしても、あるいはどの政権であっても、非核3原則を不動の国是だと言うなら、輸送対象品目を一括りにして、何を許可するか・しないか、あるいは何を弾薬に含むか・含まないか“政権の意志”に委ねるのではなく、一つ一つを規定し、核兵器等の大量破壊兵器に関しては除外規定を設けて、法的安定性をしっかりしたものにすべきだろう。

 もしそのようにしなかったなら、非核3原則の国是は便宜的な発言としないわけにはいかない。

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安倍晋三の安保法案、8月7日衆院対山井和則答弁で分かった法的安定性無視と独善と尊大と独裁意識

2015-08-08 11:54:00 | 政治

 
 8月7日、衆院予算委で民主党議員の山井和則は8月6日の広島原爆式典で安倍晋三が非核3原則に言及しなかったことと防衛相の中谷元が8月5日午前の参院平和安全法制特別委員会で自衛隊による核ミサイルの輸送を「法文上は可能」と答弁した問題を取り上げた。質疑応答を要旨を取り混ぜて、なるべく簡略に取り上げてみる。

 山井和則「安倍総理は先程長崎の原爆式典では非核3原則の堅持に触れるとおっしゃったが、なぜ広島では触れなかったのか。歴代の総理大臣は全て触れていた。安倍総理も昨年一昨年と触れていた。なぜ広島を抜かしたのか」

 安倍晋三「国是として非核3原則の前提のもとに広島に於けるスピーチでは核のない世界を実現していくために日本は国際社会の中に於いてその実現のために国際社会をリードしていくことを縷々述べているわけです。

 ですから、その考え方(非核3原則)に毛頭変わりはない。その前提の上でお話をさせて頂いている。その上で開催された被爆者団体との懇談会でも挨拶の中で非核3原則の堅持を申し上げている」

 「国是」とは、「国全体が正しいと認める,一国の政治上の方針」(大辞林)を言う。だが、憲法が規定に基づいた多数決のもと国民の意思によって改定できるように、あるいは政府の解釈で条文を異なる姿にすることができるように絶対不変の姿を保持しているわけではないのと同じく、国是にしても絶対不変というわけではない。

 だが、安倍晋三は国是に絶対不変の性格を持たせて自説を押し通すゴマカシを働かせている。国是が絶対不変ではないことは自民党政府が過去に於いて既に自ら証明しているにも関わらずである。

 1960年代以降、自民党政府は、「核兵器を持たず、造らず、持ち込ませず」の非核3原則の国是の元、米海軍の核積載艦の日本への寄港に対して次のような態度を取ってきた。

 ①「岸・ハーター交換公文において、日本への核の持込には事前協議が必要とされている」

 ②「今まで事前協議が行われたことは一度もないので、核が持ち込まれたことも無い」

 ③「今まで事前協議が行われたことは一度もないので、核が持ち込まれたことも無い」

 「岸・ハーター交換公文」とは米軍による施設・区域の使用に関して当時の米国務長官クリスチャン・A・ハーターとの間で取り決めた文書だということだが、国会でもこのように答弁して、歴代自民党政府は非核3原則を国是として守っている証明としてきた。

 だが、実際には米海軍は日本に核の持ち込みを行ってきた。米政府の高官だったか、「核を積んだ米空母が日本の港に入る際、わざわざ核を降ろすといった面倒な手間を取ることはない」といった趣旨のことを話していたのを記事で読んだか、ニュースで聞いたかした記憶がある。

 降ろした場合の核をどこで保管するというのだろうか。わざわざハワイやグアムに運ぶと言うのだろうか。高官だかが言っていたことは常識中の常識に思えた。常時備えていなければならない主力武器を降ろすということは空母を裸にするのと同然のことをすることになる、

 1969年(昭和44年)11月の佐藤栄作とニクソンとの首脳会談後、有事の場合は沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという秘密協定に署名したとされていることも非核3原則の国是を国民に知らせずに破ろうとしていたことを意味する。

 自民党政府はこれ程に非核3原則の“国是”を自ら破り侵す前科を働いているのである。

 安倍晋三は以後も国是に絶対不変の性格を持たせて振り回すが、国是はいつでも変えることができるし、変わり得ると言うことである。このことを抑えておいて質問すれば、安倍晋三に好きなように国是を振り回させることはなかったはずだが、そうはしなかった。

 しなかったばかりか、「私の知り合いの広島の方は(安倍晋三が非核3原則に触れなかったことが)ショックで涙が止まらなかったと言った」とか、的を射る追及から外れた質問に終始した。

 山井和則「歴代の総理大臣がずっと入れてきた。ご自身も去年、一昨年(おととし)と入れてきた。おっしゃるように国是じゃないんですか。なぜ国是を抜かれたのか、広島だけ」

 山井自身も国是を絶対不変と把える間違いを侵している。国是であっても、絶対ではないし、特に安倍晋三に関してはどう国是を振り回そうと信用できないという文脈で追及すべきだったろう。

 安倍晋三「これ、国是でありますから、不動の政府としての考え方でありますから、その意味に於いて、私が総理大臣として既に何回も申し上げているとおりです。

 その上に於いてご挨拶の中で、その前提として(非核3原則を前提として)核兵器のない世界をつくっていくために我々は何をしていくかということについて縷々述べているわけでございます。当然、それ(非核3原則)を前提としてお話をして頂いている。

 それを落としたから、我々の政策から、それを欠いたということは全くない。それが証拠として先程申し上げたようにその後行われた被爆者団体との懇談会では非核3原則の堅持についてはお話をさせて頂いている」

 国是を「不動の政府としての考え方」だと絶対不変の性格を持たせて、広島の式典で非核3原則に触れなかったからといって、「我々の政策から、それを欠いたということは全くない」と断言しているが、絶対不変ではないことは前科が証明しているし、当然、将来的に再犯を犯す(=“欠く”)ことは絶対ないとは言い切れないことになる。

 また、国是が絶対不変の性格を有していない以上、国是(非核3原則)に触れずに「それ(非核3原則)を前提としてお話をして頂いている」とするのは論理的には成り立たないことになる。

 例えば、インターネットで調べたところ、安倍晋三は2002年5月3日の早稲田大学での講演で戦術核について次のように述べている。

 安倍晋三「日本は非核3原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただそれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ、これは法律論と政策論で別ですから。できることを全部やるわけではないですから」(『サンデー毎日』/2002年6月2日号)

 もし安全保障上の環境の激変という口実で非核3原則と戦術核使用とどちらを優先させるか議論になったとき、違憲でないとしている以上、戦術核の使用を優先させる政策を打ち出すことも可能となる。「法律論と政策論で別」だ、「できることを全部やるわけではない」の安倍晋三の言葉は政策上も戦術核を絶対使用しない保証とはならない。

 このことは憲法9条と自衛隊の存在が証明する。9条が謳っているところの戦力の不保持・交戦権の否認を巧妙な解釈で変色させて自衛隊という名の戦力を保持することになり、現在、政策的に交戦までさせようとしている。

 更に憲法は個別的自衛権を認めているが、集団的自衛権は認めていないとしていながら、憲法解釈で集団的自衛権まで認めて、それを政策の一つにしようとしている。

 「法律論と政策論で別」だとする恒常的な保証はどこにもない。 

 国是にしても絶対不変の性格を有していないと言うことはこういうことである。

 山井和則は尚も長崎には入れて広島に入れなかったのかに拘る。安倍晋三の答弁も繰返しである。
 
 安倍晋三「それ(非核3原則)を前提として我々は話をさせて頂いている。その中で広島のご挨拶と長崎でのご挨拶、それぞれどういうご挨拶にしていくかという案分を起案していくわけで、いずれにしても入っていないからといって、我々が国是を変えたということはないということはご理解を頂いたと思う。

 それを前提にご挨拶させて頂いたと言うことに尽きます」

 保証にならないことをさも保証になるかのように言っているに過ぎない。山井は尚も拘る。

 山井和則「元から広島を抜いて、長崎は非核3原則を入れる予定だったのか。広島で批判が出たから、急遽長崎に入れることにしたのか」

 安倍晋三「元々広島のご挨拶の案と長崎のご挨拶の案は基本的にセットで起案をしているわけで、その中で重複する言葉もあれば、そうででない言葉もあるし、前年までどうこう使ってきた言葉をどう調節するかということについても、外務省、厚労省、官邸に於いて事務方で協議をしながら、文案を作成します」

 挨拶が出来上がるまでのプロセスを述べたに過ぎない。起草された案分を承認するのは安倍晋三であって、自身の名前で挨拶とする以上、その内容には責任を持たなければならない。

 要するに事務方に責任を転嫁したに過ぎない。

 山井は「ちょっとしたテニヲハではない」と色をなし、広島の被爆者は呆れ、失望していると感情論に走るが、その後やっと肝心な追及に入ることができた。

 山井和則「このことと関連するのではないのかと思うが、一昨日(おととい)中谷大臣は今回の安保法案の中で結局弾薬と見做され、核弾頭付きの核ミサイルは法律上、自衛隊が輸送することから排除されないと答弁された。岸田外務大臣もそのとおりだと認めた。

 この法理上、自衛隊が他国の領土に、そして核兵器を輸送することは、法理上はですよ、先程(他の議員の質問に)あり得ないとおっしゃいましたが、総理の決意は聞いておりませんから、純粋法理上、核兵器を自衛隊が輸送することは除外されされているのか、除外されていないのか、イエス・ノーで答えてください」 

 安倍晋三「それは周辺安全事態法(現在参議院提出の「重要影響事態安全確保法案」の前身となる法律)に於いても変わりはないが、そもそも政策的選択肢としていないものをどうだと議論すること自体が意味が無いと思う」

 法文上(あるいは法理上)、安保法案が自衛隊による核ミサイルの輸送を可能とする以上、現在、「政策的選択肢としていない」からと言って、将来「政策的選択肢」としない保証はどこにもない。

 この答弁に当然のこと、納得せず、自衛隊の核兵器輸送は排除されているのか排除されていないのか、イエス・ノーで答えて貰いたいと再度迫った。

 安倍晋三「先程答弁したとおりです。そもそも政策上あり得ない話で、あり得ない話について政策的な判断をする私が答えることは、政策的な判断をするという誤解を与えさせようと、まさに山井さんは考えているのだと思うが、それは全く政策的にはあり得ない話で、そして純粋に法理上ということでありますが、政策的にはあり得ないのだから、まさに机上の空論と言える。

 机上の空論だが、法理上は中谷大臣が純粋法理上は答弁したとおりだが、今まである周辺安全事態法でも同じであるが、この場に於いてまさに私が政策的な判断をする行政府の長だが、行政府の長にそういう答弁をさせて、それはあり得るが如くの印象を与えようとする議論は真摯な議論とは言えない」

 先程例に上げた集団的自衛権のように「政策上あり得ない話」がいつあり得ることになる変身を見せない保証はどこにもない。政策上あり得ない話が机上の空論であるなら、集団的自衛権の議論は持ち上がることはなかったろう。

 実際にあり得ない話しなら、安保法案に誰もがあり得ないと読むことができる条文を書けば済むことである。

 だが、そうしないと言うことはあり得ないを絶対と見せかけて、必要となった場合には備えておくという意味を持たせた法律上の輸送可能ということなのだろう。

 山井は安倍晋三の「法理上は中谷大臣が純粋法理上は答弁したとおりだが」という発言を捉えて、「今回の法案で輸送することは排除されていないことを認めた」とか、「被爆者団体の方々は輸送することは核兵器を使用することと代わりはないと言っていた」とか、議論を散漫にすることを述べてから、「岸田大臣は法律上、核兵器を自衛隊が輸送できるということを一昨日、『今初めて承知した』と答弁された。安倍総理はその事実をいつからご承知だったのか」と、安倍主導で決めたに違いないことを聞くムダな質問を行った。

 安倍晋三は先程の答弁の繰返しを行った。自衛隊の輸送はあくまでも法理上のことで、政策的にはあり得ない話だと。「政策上あり得ない話は起こり得ないんです」等々。

 安倍晋三「そもそも弾頭を日本に運んでくれと米国が言うこと自体120%あり得ない。日本側が120%あり得ないということを前提に頼まれたとしても、絶対にやらない。非核3原則もあるのだから。

 ただ単に純粋上、それはどうかなと言われれば、理屈としては周辺事態安全確保法と同じです。それはご存知のはずだ。なぜそのことを聞かないのか。周辺事態安全確保法、今でも同じです。純粋に理論であれば。

 ですから、法律についてだけどうかと言うことはまさに国民に誤解を与えようとしていると感じざるを得ない」

 安倍晋三は自身が法的安定性を無視していることと、一国の首相として傲慢・不遜にも自身を法律にしていることに気づいていない。

 法的安定性が「法やその解釈がみだりに変わらないこと、そして、それによって、国民の生活や社会秩序が安定するという考え方」(NHK NEWS WEB)を意味させている以上、政策が法律に厳格に基づいて運用される一体的関係に法律と政策は結びついていなければならない。

 だが、法律が認めていることを「政策上あり得ない」とすることを絶対とするのは、法律と政策の一体性を否定し、分離させて、法的安定性を自ら破ることになる。

 法律が認めていることを、例え現状に於いては外交上、あるいは内政上の様々な事情からそれを政策とすることはあり得ない話であっても、政策とすることは可能であるとする条件が付されていることによって、法律が認めていることに対する法的安定性を保つことができる。

 もし絶対的に政策上あり得ない話なら、法律に於いても政策化することは絶対的にあり得ない条文を設けなければ、法的安定性は保つことができきない。

 しかし安倍晋三は法律は認めているとしながら、「政策上あり得ない」を言い募るのみである。

 更に安倍晋三は自身が答弁していることを絶対だとする姿勢でいる。法的安定性を無視している上に自身の発言を絶対だとするのは自身を法律と見做していることに他ならない。

 俺の発言は間違いないのだから、国民は従えと言っているようなものである。そこに独裁意志を見ないわけにはいかない。

 山井和則「安倍総理の答弁はおかしいと思う。私たちが国会で議論しているのは法律です。この法律は10年、20年、30年、将来の日本を左右します。今の政権が政策判断で核兵器を輸送しません。そんな答弁では安心も納得もできない。

 法律的に可能だったら、次の政権が核兵器を運びますと言えば、違法ではないんです。絶対にあり得ないというならば、安倍総理、今回の法案の中に核兵器は除外すると明記して貰いたい。そうではないと納得できない」

 やっと核心を突くことができた。もっと早くにこの質問をすべきだったろう。

 この質問に対する安倍晋三の答弁の最初のところは「あり得ない」の同じ繰返しだから、少しばかり省略する。

 安倍晋三「私は総理大臣としてあり得ないと言っているのだから、間違いありませんよ。それは総理大臣として間違いないということを言っているわけだから、そもそもこれはあり得ないということについて、政策的にまるであり得るが如くに議論することは間違っていることを申し上げている」

 まさに自身を自ら法律にしている。これ程の傲慢・不遜はない。独裁意志を血としていなければ、自ら法律とすることもないし、こうまでも傲慢・不遜の独善的な姿を取ることもない。

 山井は次の政権になっても核兵器を輸送できないように輸送可能な弾薬の中から核兵器を除外する規定を設けて欲しいと法的安定性を求めた。

 対して安倍は「私は総理大臣としてあり得ないと言っているのだから、間違いありませんよ」と再び自己を法律とする答弁で応えた。再度の傲慢・不遜な態度の表出であり、性懲りもない法的安定性の無視である。民主国家日本に於いてこれ程の独裁意志の露出はない。

 山井和則「憲法を解釈変更して憲法違反の安保法案を出している安倍総理があり得ないと言っても、国民は信用できない。あり得ないことをやろうとしているから、国民は不安に思っているのではないのか」

 法的安定性の面から核兵器輸送の除外規定の設定を徹底的に求めるべきを、自衛隊の輸送物品を一々確認するのかと言った質問をした。

 安倍晋三が確認すると答え、毒ガスについては国際法違反だから、輸送自体はあり得ないと答えたのに対して山井は確認できるわけないと、米軍に輸送を依頼されるままに輸送する趣旨のことを言ってから、次のように追及した。

 山井和則「核兵器は絶対ダメだと排除するよう修正したら国民も納得できる、5年、10年、次の政権、その次の政権が政策判断で核兵器を輸送すると判断した場合は輸送は違法になるのか、違法ではないのか」

 法理上、輸送可能であるなら、違法になるはずもない質問を繰り出した。

 対して安倍晋三は自衛隊は依頼された輸送の物品を確認すると、あくまでも確認に拘った。確認することで核兵器は除外されることを伝えようとしたのだろうが、単に中身を確認しないまま指令書との合致を確認するだけであった場合は輸送しない保証とはならない。

 安倍晋三「核弾頭を(米軍が)日本側に頼むということは120%あり得ないが、それを運ぶ能力も我々は持っていない。その上に於いて我々は運ぶということはあり得ない。

 全くない話であって、ここで政策論として議論する意味は無い。

   ・・・・・・・

 これはまさに法理上の話について答弁しているわけだが、政策論としては120%あり得ないわけであります」

 アメリカ映画で核弾頭を輸送しているトラックを複数の盗賊、あるいは数人のテロリストがトラックごと奪って逃走し、それを欲している勢力、あるいは一国の軍隊に売って利益を上げようとするのに対してヒーローがそれを阻止するといったストーリをよく見かけるが、積荷の中、あるいはコンテンの中に取り扱い安全の形で収納されていれば、誰でも運搬可能であるはずだ。

 それをできないと見せかけるのは、やはり法理上の輸送可能を維持しておくための狡猾な手管にしか見えない。

 山井和則「あり得ない、あり得ないとおっしゃるなら、政策判断であり得ないではなく、安倍総理のあり得ないという言葉ほど説得力がないのはない。法律で、安倍総理の言葉ではなくて、私たち政治家は後世の子どもや孫達の時代も戦争のない、核兵器を絶対に輸送しない日本を残す責任がある。

 その担保は安倍総理の答弁ではダメです。法律にしっかり書いてください。核兵器、毒ガス、大量破壊兵器、それは絶対弾薬に含まれないと、そのことを法律に書いてください。書けない理由はなんですか」

 もう少し単刀直入に質問できたなら、時間が浮いて、浮いた時間をより多くの質問に振り向け、有効活用できるはずだが、残念ながら、そうなってはいない。

 安倍晋三「国是として非核3原則を我々は既に述べているわけですし、はっきりと証明をしている。それを全て法律に移しているかというと、そうではない。国是を国是として確立をしているわけだが、国是の上に法律を運用していくのは当り前です」

 国是を「全て法律に移しているかというと、そうではない」なら、「国是の上に法律を運用していく」ことは必ずしも可能とはならないことになる。政策は法律に基づくからなのは断るまでもない。安倍晋三は矛盾したことを言っている。

 山井和則「その国是を昨日の平和祝典で非核3原則を言わなかったのはあなたではないか」

 議論を自分から堂々巡りさせている。

 山井和則「第1次安倍政権の時も核兵器を所有すべきだという議論が自民党の中から出てきたのではないのか。安倍総理、なぜこの法案に核兵器の輸送を除外することを入れないのか。全く納得できない。

 安倍総理は今までの国是であった平和憲法、専守防衛、そういうものを壊そうとしているのでなないのか。原爆の被害者の方々はおっしゃっています。最近の政府の政策には被爆者の願いに反するものがあり、危惧と危険を禁じ得ない。その最たるものが安保法案だと、被爆者の代表の方々もおっしゃっている。

 このような法律上、今日安倍総理が認めたように法律上は自衛隊が核兵器を輸送できるようにする。そのような危険な法律を日本の国に成立をさせることはできない。その撤回を求めます」

 安倍晋三「山井委員が前提としているのは全て間違いです」

 山井和則「法律的にはその(私が言う)通りではないか。国民が議論するのは法律ですから。以上、質問を終わります」

 時間切れである。法案に核兵器の輸送の除外規定を設けることと、その要求に質問をはぐらかすなら、なぜ設けることができないのか、その理由を教えて貰いたいと、その二つのみに拘った質問を執拗に繰返していたなら、少しは安倍晋三をい追いつめることができたかもしれない。

 だが、今回の安倍晋三の答弁は法律では認めていることを政策的選択肢としてはあり得ないとすることで法的安定性を平然と無視し、自身が答弁していることは絶対だとする自らを法律とする傲慢と尊大と独裁意識を露わにした独善的な姿を明らかに曝け出すことになった。

 安倍晋三の答弁を聞いていて、法案に核兵器は輸送可能な弾薬から除外するとする規定を設けないのは、どう考えてみても、必要となった場合には備えておくための密かな準備にしか思えない。

 いつの日にか、あり得ないとしていた集団的自衛権行使を憲法解釈で容認する方向に持っていったプロセスと似た光景を再び見ることになるに違いない。

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安倍晋三が広島原爆式典で非核3原則に触れなかった答は法文上可能とする核兵器輸送にあるのか

2015-08-07 08:19:49 | Weblog
 



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《8月4日 小沢一郎代表記者会見要旨党HP掲載ご案内》    

      こんにちは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
      8月4日に行われた小沢一郎代表の定例記者会見要旨を党ホームページに掲載しました。ぜひご一読く
      ださい。

      【質疑要旨】
      ○首相補佐官発言問題について
      ○辺野古工事中断について
      ○岩手知事選、参院岩手補選について

 安倍晋三が昨日8月6日広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式で挨拶した。「47NEWS」記事は第2次政権発足後の2013年、2014年の式典では「非核3原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを誓う」と述べていたが、今回は「非核3原則」に言及しなかったと書いている。

 挨拶での核に関わる安倍晋三の発言を見てみる。

 安倍晋三「我が国は唯一の戦争被爆国として、現実的で実践的な取組を着実に積み重ねていくことにより、『核兵器のない世界』を実現する重要な使命があります。また、核兵器の非人道性を世代と国境を越えて広める務めがあります。

 特に本年は、被爆70年という節目の年であります。核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議では、残念ながら、最終合意には至りませんでしたが、我が国としては、核兵器国と非核兵器国、双方の協力を引き続き求めつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく決意です。この決意を表明するため、本年秋の国連総会では新たな核兵器廃絶決議案を提出いたします。

 8月末には、包括的核実験禁止条約賢人グループ会合並びに国連軍縮会議が、更に来年には、G7外相会合が、ここ広島で開催されます。これらの国際会議を通じ、被爆地から我々の思いを、国際社会に力強く発信いたします。また、世界の指導者や若者が被爆の悲惨な現実に直に触れることを通じ、『核兵器のない世界』の実現に向けた取組をさらに前に進めてまいります」(首相官邸)  

 「核兵器のない世界の実現」を3回も言っている。確かに熱心さを窺うことができる。

 なぜ「非核3原則」に触れなかったのだろう。官房長官の菅義偉が同じ8月6日午前の記者会見で記者にこのことを問われている。

 菅義偉「安倍総理大臣は、戦争被爆国として核兵器のない世界の実現に向けて国際社会の取り組みを主導していく決意を表明しており、考え方は全く揺るぎはない。

 挨拶で安倍総理大臣は核兵器のない世界の実現に向け、強い意思表示をしたことですべて理解されると思う」(NHK NEWS WEB

 別に「非核3原則の堅持」を言わなくても、核兵器のない世界の実現を目指す強い意思表示の中に非核3原則の思いの全てが内包されているのだから、問題はないということなのだろう。

 そう、確かに核兵器のない世界が実現すれば、「核兵器を持たず、造らず、持ち込ませず」の非核3原則を掲げること自体が意味を失う。持とうとしても、持つことはできず、造ろうとしても、造ることは不可能で、持ち込ませようとしても、持ち込んでくれる国はないことになる。

 だが、あくまでも実現すればの仮定の話である。先ず実現の可能性・不可能性の問題が立ち塞がる。可能だとしても、実現するまでの時間も問題となる。

 いわば核兵器のない世界の実現は将来的時空にかかっていて、非核3原則は時間の流れと共に進んでいく現在という時空に常に随伴の形を取らなければならない。なぜなら、非核3原則は唯一の被爆国だからこそ掲げることになった核の存在に対するアンチテーゼとして日本という国に刻みつけているはずだからだ。

 当然、将来的時空に於いて核兵器のない世界の実現に到達するまで、非核3原則は現在という時空に常に添わせていかなければならない使命が日本にあることになる。

 だが、安倍晋三は強い使命感の元、いくら核兵器のない世界の実現に取り組んだとしても、核兵器のない世界がいつ実現するのか、あるいは実現するのかどうかも分からないにも関わらず、実現まで掲げていなければならない「非核3原則の堅持」に触れなかった。

 なぜなのだろう。何か作為があってのことなのだろうか。

 答は8月5日午前の安全保障関連法案審議の参院平和安全法制特別委員会での防衛相の中谷元の答弁にあるのではないだろうか。

 白真勲民主党議員「法文上は、核兵器を運ぶことが可能になるのか」

 中谷元「法文上は、排除はしていないが、非核三原則があるので、核兵器の運搬は想定していないし、ありえない。

 白真勲民主党議員「大量破壊兵器など、この世にあるすべての兵器や弾薬は、この法律で運べるということか」

 中谷元「確かに法律上は特定の物品の輸送を排除する規定はない。ただ、輸送のつど自衛隊として主体的に実施の可否を判断するし、わが国は国是として、非核三原則があり、生物化学兵器は保有しないという条約を結んでいるので、あり得ないし、拒否する」(NHK NEWS WEB

 法文上は核兵器も輸送できるが、非核3原則があるから、輸送することはあり得ないと答弁している。

 だが、安倍晋三は広島原爆式典で、「我が国は唯一の戦争被爆国として、現実的で実践的な取組を着実に積み重ねていくことにより、『核兵器のない世界』を実現する重要な使命があります」と宣言しているのである。

 その使命の手前、法文上も核兵器は輸送できないとするのが使命に対して整合性ある厳格な態度と言うことができるはずだし、法文上も輸送不可とすることで核兵器のない世界の実現に向けた偽りのない、正真正銘の第一歩とすることもできるはずである。

 だが、法文上は輸送可能としていることは核兵器のない世界実現の使命の本気度を疑わせることになるばかりか、同時に法文上の可能性と使命との間に二重基準が見えてくることになる。

 このことは安倍晋三の中で核兵器のない世界実現への取り組みと表裏のない整合性を持たせた核兵器に対する日本の安全保障となっているかどうかで判別できることになる。

 核兵器所有国の核兵器の廃絶を求めながら、核兵器の脅威に対する安全保障上は別だとして、従来どおりにアメリカの核に依存するなら、整合性ある態度とは言えなし、二重基準を設けていることになる。

 この非整合性、二重基準に広島原爆式典で安倍晋三が「非核3原則の堅持」に触れなかった理由があるのではないだろうか。

 安倍晋三は“安全保障環境の変化”を理由に日本国憲法を好き勝手に解釈して集団的自衛権の行使を認めさせようとしている。この“安全保障環境の変化”は北朝鮮の核の所有が現在以上に進み、その能力を小型化・長距離化へと更に高めていった場合、あるいは中国の海洋進出が更に進んだ場合に改めて当てはめ可能となり、その安全保障のために日本の核所有の必要性が生じる可能性を見据えている、あるいは少なくとも同盟国アメリカの核兵器の輸送に道を残しておく、それらに猶予を与えるために法文上は核兵器輸送可能とし、広島原爆式典で安倍晋三が「非核3原則の堅持」に触れなかった理由であり、このことが核兵器のない世界実現への取り組みとの間に非整合性・二重基準を生み出しているということではないだろうか。

 いずれにしても、核兵器のない世界の実現にどう取り組もうとも、唯一の被爆国だからこそ核の存在に対するアンチテーゼとして掲げることになった非核3原則の約束事を、そうであるからこそ、核兵器のない世界実現が確実となる日まで掲げ続けなければならない約束事であるはずだが、安倍晋三は広島原爆式典で核兵器のない世界実現の取り組みに3回も触れたものの、「非核3原則の堅持」の約束事には一言も触れなかった 

 その理由が何であれ、それがどのような作為であれ、この点に如何わしさを感じないわけにはいかない。

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安倍晋三の8月4日参院質疑、自身の著書で日米軍事同盟を“血の同盟”と表現する時代錯誤な危うい思想

2015-08-06 09:37:52 | 政治



 民主党元政策調査会長で、現在も医師をしている桜井充(宮城県選挙区)が8月4日午後の参院平和安全法制特別委員会で安倍晋三の2004年1月発売の岡崎久彦との対談集を用いて、安倍晋三が言っているのとは反対に自衛隊員のリスクは高まるのではないのかと追及した。

 安倍晋三の著書の一節を書いた大型のパネルをテーブに立てて質問に入る。

 櫻井充「これはご自身の著書です。『この国を守る決意』というとこにこういうふうに書かれています。

 『言うまでもなく、軍事同盟というのは“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。実際にそういう事態になる可能性は極めて小さいのですが、しかし完全なイコールパートナーと言えるでしょうか』

 つまり日本の自衛隊に対してですね、血を流せと、そこまではっきりとおっしゃっていまして、アミテージ元国務副長官は要するにNHKでインタビューに答えて、ガイドラインの見直しを含む安倍総理の、安倍首相の訪米にはどんな意味があるのか考えますかということについて、何て書いてあるかというと、『日本周辺でアメリカ人を守るため自衛隊が命を賭けるという宣誓なのか』と。ここまでおっしゃっている。

 総理は繰返し繰返し自衛隊の方々のリスクは軽減するんだとか、危なくないんだという発言をされてきておりますが、ご自身の著書でもですよ、血を流すんだとまで言っているんですと、リスクが高くなるってことじゃないんですか。

 ですから、私は何で(安倍晋三が著書で、ということか)ああいう発言を出しているのかと言うと、結局のところはリスクは高くなるんだから、リスクは高くなるんですよとおっしゃるべきだと思うんですよ。

 おっしゃった上で、だけど、こういう対処をするんですよという(ことを)出してですよ、何か全然大丈夫だから、心配するなって言われたって、これはみーんな信用しないと思いますが、如何ですか」

 安倍晋三「えー、私の著書の一文を引いて頂いておりますが、ここのどこにですね、自衛隊が血を流せと書いてあるんですか。全くどこに書いてありますか、桜井先生。

 先程から何回かですね、私が血を流せと書いてある。えー、どこにも書いていないわけであります。

 それはですね、『完全なイコールパートナーと言えるでしょうか』ということについて申し上げているわけでございまして、決して私は自衛隊に血を流せと言っているわけではないわけでございます。

 いわば旧安保条約に対してですね、新安保条約に於いては5条で旧安保条約になかった米軍に対する日本に対する防衛義務を与えていると同時にですね、6条に於いて極東の安全と平和ために日本の施設を使うことができる、この中に於いていわば双務性ということになっているわけでございますが、しかし、それは完全なものではないという意味に於いて、ここで、私はここで述べているわけでございます。

 その違いについてはですね、まさにアメリカの若い兵士が日本のために命を賭けるということは事実であります。その認識を知っていただくためにこれを書いたわけでありまして、自衛隊に血を流す(流せ)と書いていないし、そういう意図もないということは申し上げておかなければならないということです。

 これはお互いにですね、冷静な桜井先生でありますから、これはよく分かっておっしゃっておられるんでしょうが、まさに建設的な議論を行っていきたい、このように思っているわけでございます

 櫻井充「あの、済みませんが、私の国語能力がないからなのかもしれません。しかし、ここのところの2段目からですね。しかし、『日本の(パネルには『今の』と書いている)憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです』

 その前の段で、『アメリカの若者が血を流します』と、こう書いて、ここまで書かれていればですよ、血を流さければイコールパートナーにはならないんじゃないかというふうに書いてあると、読むのが私は普通だと、そう思います。

 まあ、いいです。水掛け論になるんでしょうから」

 桜井は集団的自衛権の国内的な定義があるのか、ないのかに質問を変える。

 パソコンを叩きながら、NHKの中継で二人の遣り取りを聞いていて、最初は安倍晋三の元々いいはずはない国語能力の程度の悪さに呆れたが、最後の文飾を施した発言を聞いている内に意味深な言葉の発信に思えた。

 このことに関しては後で自分なりに説明するとして、安倍晋三が対談集で自身が述べている発言を改めて見てみる。

 「言うまでもなく、軍事同盟というのは“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。実際にそういう事態になる可能性は極めて小さいのですが、しかし完全なイコールパートナーと言えるでしょうか」

 以上の言葉を次のようにように要約してみる。

 「日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流し、アメリカが攻撃されても自衛隊は血を流さない。アメリカが攻撃される可能性は極めて小さいが、一方が血を流し、もう片方が血を流さないのは完全なイコールパートナーとは言えない」――

 こう言っていることは、「完全なイコールパートナー」となるにはアメリカの若者も血を流し、自衛隊も血を流す相互関係(安倍晋三が言う「双務性」)を目指すことを意味していて、安倍晋三は自衛隊が血を流すことを前提とした日米関係の新たな構築を考えていたことになる。

 自衛隊も血を流すそういった関係の構築自体が自衛隊のリスクが増大することを意味していて、増大することを常識とした関係構築を指すことになる。

 それを安倍晋三は「ここのどこにですね、自衛隊が血を流せと書いてあるんですか」と、書いてないことを以ってリスク増大を誤魔化す詭弁を用いて遣り過ごそうした。

 なかなかの狡猾ぶりである。

 安倍晋三が「冷静な桜井先生でありますから」と持ち上げたのは、冷静に行きましょうというサインであろう。そして「まさに建設的な議論を行っていきたい」と、「建設的な議論」を促した。

 つまり不毛の議論となることを戒めた。

 では、この場面での安倍晋三にとっての不毛の議論とは、アメリカの若者が血を流すのだから、自衛隊も血を流すことを求めているとか求めていないとか、あるいは血を流さなければならないとか流さなくてもいいとかいった議論と言うことになる。

 こういったことを不毛の議論とするには自衛隊も血を流すことになる状況の当然視を前提としていなければならない。

 新安全保障関連法案が成立しても絶対に自衛隊が血を流すことがなければ、流血に関しての議論で不毛も建設的も存在しないことになる。兵士が戦争に行って、あるいは戦闘に加わって血を流すことになるのは当たり前のことだから、流す・流さないを論じることは不毛の議論だということになり、それに触れないこと、あるいはそういったことを問題にしないことが安倍晋三にとって「建設的な議論」ということになる。

 要するに自衛隊が血を流すとか流さないといった限定的な地域での問題は小さな現象であって、国を守る・守らないといった大きな枠で捉えることが安倍晋三にとっての「建設的な議論」ということなのだろう。

 だからと言って、国を守るを口実に、あるいは日本の安全保障を口実に憲法に違反していいわけではない。憲法に違反してまで、国民に血を流すことを求めていいいわけではない。

 なぜなら、戦前の例のように国策が常に正しいとは限らないし、常に正義であるとも限らない。間違えないための基本的な歯止めが憲法である。憲法を順守することによって、その順守姿勢が他の約束事(安倍晋三提唱の「国家安全保障会議」が安全保障に関して決めた諸々の規定や、「国家安全保障会議」が規定に忠実に則って決定した事項の実務的な運用の取り決めを行う防衛省内設置の「統合幕僚監部」のそれぞれの規定等)を間違いないように運用する姿勢に繋がていく。

 最初の決定の過程で規定をいい加減に解釈して運用をすれば、他の決定の過程でもそれぞれの規定をいい加減に解釈することになって、負けている戦争を負けていないと偽ることになる。

 安倍晋三の著書『この国を守る決意』の中での発言で何よりも問題なのは、「軍事同盟というのは“血の同盟”です」と、時代錯誤な“血の同盟”という表現を用いていることである。いくら11年前の著書であっても、時代錯誤に過ぎる。

 時代錯誤の血判状が頭にあったのだろうか。このような時代錯誤の政治家に一国の首相を任すことができるだろうか。非常に危うい思いしか湧かない。

 安全保障問題を血を流す・流さないのレベルと把えていることと新しい安保法制のもとで自衛隊のリスクが高まるかどうかは別問題である。法案を成立させるためにリスクを隠していいという理由にはならないし、自衛隊を海外活動させるためにリスクを隠していいという理由にもならない。

 実際にリスクが高まらないならいいが、リスクが高まることが予想されながら、リスクは高まらないとすることでリスクを軽減することはできないからだ。

 既に憲法を順守ししていない上に後者であるとしたら、他の約束事に求めるべき如何なる順守の姿勢も期待不可能となる。

 桜井充が安倍晋三が「これはお互いにですね、冷静な桜井先生でありますから、これはよく分かっておっしゃっておられるんでしょうが、まさに建設的な議論を行っていきたい、このように思っているわけでございます」と言って求めた暗黙の取引を理解して、「まあ、いいです。水掛け論になるんでしょうから」と引き下がったのかどうかは分からない。

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福島瑞穂のミサイルが弾薬とされていることのみに拘って、その影響まで考えなかった8月4日参院質疑

2015-08-05 09:28:25 | 政治


 【謝罪】
 
 原因不明のまま、ブログ左右サイドバーがページ下部に移動してしまいました。ブログ管理者に修正をお願いしていますが、私自身のHTMLタグの間違いが原因だと分かりました。8月5日午後5時15分頃直りました。

 ご迷惑をお掛けしたことを謝罪します。


      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《8月4日 、「戦後70年談話」のあり方についての小沢一郎の談話)》 

      こんにちは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
      小沢一郎代表は8月4日、「戦後70年談話」のあり方について、と題する談話を発表しました。党
      ホームページに掲載してあります。是非ご一読を。

 8月4日午後の参院平和安全法制特別委員会で、同盟国が戦争、もしくは戦闘しているとき、国連憲章の目的に添って同盟国の要請で武器を除く弾薬提供や武器及び他国軍兵士の輸送、さらに給油や給水の提供等の協力支援活動を行うことができるとする「国際平和支援法」(正式名:国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律)に基づいた自衛隊の後方支援での物品提供が可能である弾薬の内、福島瑞穂がミサイルも含まれるのか、確認の質問を行った。

 福島瑞穂「後方支援と言うときに弾薬は提供できるが、武器は提供できない。で、それで劣化ウラン弾や、それからクラスター爆弾は弾薬であって、武器ではない。

 本当ですか。クラスター爆弾や劣化ウラン弾、武器でしょう」

 中谷元「劣化ウラン弾やもクラスター爆弾も、これは弾薬、これは弾薬でございます」

 福島瑞穂「冗談じゃないですよ。じゃあですね、消耗品が弾薬であるという変な定義、この間おっしゃりましたね、だったら、ミサイル、大砲弾、これ弾薬ですか」

 中谷元「ハイ、あの、ミサイルにつきましてはこれは日米のアクサに基づく手続き品の取組みにつきまして米国の国内、えー、の、あの、理由によりまして協議をしておるわけでございますが、あのー、敢えて当てはめると弾薬に当たると整理することができるわけでございます」

 「日米のアクサ」についてなんの知識もなかったから、ネットで調べてみた。「アクサ」とは、〈米国軍が同盟国の軍隊との間で物資や役務の相互利用を行う枠組みを定める二国間協定の米国内法上の名称。物品役務相互提供協定〉のことで、日米間でも1996年に日米共同訓練・国連平和維持活動(PKO)・人道的国際救援活動を対象とする「日米物品役務相互提供協定」として締結されたという。

 中谷元は、ミサイルについては日米で協議中ではあるが、「敢えて当てはめると弾薬に当たると整理することができる」と言っている。

 既に法案は出来上がっていて、衆議院では賛成多数で成立・通過して、参議院に廻されている。だが、現在はミサイルは「弾薬に当たると整理することができる」段階だと言う。

 大体が「国際平和支援法」で提供できる物品の中に「弾薬」という言葉は明記されていない。「第3章雑則 物品の譲渡及び無償貸付け 第12条」で、〈防衛大臣又はその委任を受けた者は、協力支援活動の実施に当たって、自衛隊に属する物品(武器を除く。)につき、協力支援活動の対象となる諸外国の軍隊等から第3条第1項第1号に規定する活動(以下「事態対処活動」という。)の用に供するため当該物品の譲渡又は無償貸付けを求める旨の申出があった場合において、当該事態対処活動の円滑な実施に必要であると認めるときは、その所掌事務に支障を生じない限度において、当該申出に係る物品を当該諸外国の軍隊等に対し無償若しくは時価よりも低い対価で譲渡し、又は無償で貸し付けることができる。 〉と規定しているのみである。

 政府側の国会答弁を受けてなのだろう、マスコミが武器は提供できないが、弾薬は提供できると解説しているし、福島瑞穂も「弾薬は提供できるが、武器は提供できない」と質問しているから、弾薬は自衛隊に属する物品の中に入っていることになる。

 要するに弾薬は政府側の国会答弁の説明の中で明らかになった提供品目と言うことになる。誰かが「武器を除く自衛隊に属する物品とは何と何なのか」と質問し、その中で、「弾薬」を挙げたということなのだろう。

 福島瑞穂が「消耗品が弾薬であるという変な定義」と言っているが、この定義も「国際平和支援法」の条文のどこにも触れていないから、政府側答弁の中で明らかにされた定義ということなのだろう。

 ミサイルが「弾薬に当たると整理することができる」と中谷元が答弁している以上、後方支援活動で提供できる自衛隊に属する物品として計算しているからだろう。

 計算していなければ、「弾薬には当たりません」と明快に否定するはずである。

 これも福島瑞穂が質問したことによって、曖昧ではあるが、政府側答弁で明らかにされたことになる。誰も質問しなかったなら、後方支援活動で提供されて初めて、国民はミサイルが弾薬に当たることを知ることになる可能性も否定できない。自衛隊が提供したことをマスコミが関知しなければ、政府は秘密に付し、国民は知らないままでいる可能性も否定できない。

 だが、福島瑞穂はこういった危険な可能性についての質問は一切行わなかった。弁護士をしていたなら、もう少し論理的であっていいはずだが、「冗談じゃないですよ」とか、「インチキだ」とか、「ダメですよ」とか、非論理的・情緒的対応に終始した。

 福島瑞穂「ハイ、ミサイル、人工衛星も全部、ミサイルも弾薬とおっしゃった。全部弾薬とおっしゃって、これ凄いことですよ。こんなね、インチキを許してはならないですよ。つまり今までは弾薬、カッコ武器も含んで提供できなかったんですよ。

 後方支援できなかった。それを弾薬はできる。ニーズがあるからってやって、クラスター爆弾も劣化ウラン弾もミサイルも全部弾薬だなんて、定義おかしいですよ。こんなインチキ、ボクちゃんのためのボクちゃんによるボクちゃんのための定義をやっちゃダメですよ。

 こんなあり得ない定義を言って、ミサイルを弾薬だなんて言ってはダメですよ。総理、どうぞ」

 安倍晋三「弾薬と武器はですね、定義についてはもう既に防衛大臣が答弁したとおりでございますが、クラスターについては、これは禁止条約に加盟をしておりますから、クラスター爆弾については日本はそもそも所有をしておりませんから、このクラスター爆弾を提供するということはあり得ないわけであります。

 劣化ウラン弾もそうであります。これは先程福島委員がまるで日本がですね、それを提供するかの如くおっしゃったから、今ないということを申し上げたとおりであります。

 で、消耗品については、これは弾薬という範囲に入っているということでございます」

 福島瑞穂「ミサイルは消耗品ですか」

 中谷元「先程ご説明しましたけども、ミサイルにつきましては日米のアクサ、これの手続きに於いてですね、物品の相互提供の対象としておりません。

 また、重要影響事態等に於きましても他国の軍隊に対する提供の対象としては想定していないということでありますが、先程お話を致しましたように弾薬と武器の定義に敢えて当てはめるとすれば、弾薬に当たるという整理をすることができるということでございます」

 福島瑞穂「私も法律家ですから、ミサイルも劣化ウラン弾もクラスター爆弾も弾薬だというのは驚きです。日本はクラスター禁止条約に批准をしておりますが、これまでも運び、これまでも提供できるって、こんなふうに言われたら、何だってできますよ。

 クラスター爆弾とそして劣化ウラン弾は武器じゃないんですか。武器と弾薬をこんなふうにやってですね、何でもできるとしたら、ダメですよ。まさに本当に言葉遊びをやって、何でもできるとするのはダメですよ」

 他の質問に移る。

 安倍晋三初め政府側は自衛隊の新たな後方支援活動で自衛隊員のリスクは高くなることはないと断言している。2015年5月20日党首討論でも安倍晋三は後方支援地域で、「戦闘が起こったときにはただちに部隊の責任者の判断で一時中止をする。あるいは退避するということを明確に定めている」とか、「戦闘に巻き込まれることがなるべくないような、そういう地域をしっかりと選んでいく」と言い、その他でも任務遂行中の自衛隊が襲われた場合でも、「自己保存型の武器の使用しかできない。もし攻撃を受けたなら、応戦をするということではなくて、応戦しながら業務を継続するということではなくて、直ちに退避に移る」等々言い募ってリスク増大を否定しているが、ミサイルが後方支援活動で提供できる自衛隊に属する物品の中に入っているという情報を同盟国に戦闘や戦争で敵対する外国、もしくはテロ集団が手に入れたなら、既に手に入れているだろう、そういった外国・テロ集団にとっては非常に大きな脅威となる。

 当然、そういった外国・テロ集団は日本の自衛隊が後方支援活動に加わったなら、例えミサイルを積んでいなくても、積んでいる場合をも想定する危機管理で以て自衛隊の後方支援活動を阻止する攻撃態勢を取らなければならなくなる。

 阻止しなければ、万が一提供された場合のミサイルで自分たちが攻撃され、壊滅の危険性も出てくる。阻止のための攻撃は厳しいものとなり、一時中断だとか退避だとか、簡単には許してくれないだろう。自衛隊にとってそこが戦闘に巻き込まれる危険性の少ない場所であっても、敵側からしたら意味もないことで、敵側にまで同じ条件を当てはめることはできない。

 自衛隊の輸送トラックに味方の誤射や誤口撃を防ぐ意味でも日の丸を付けない訳にはいかないから、それが目印となって執拗に狙われる確率は高くなる。

 あるいは敵の攻撃を避ける意味で軍輸送トラック荷台の幌の天井に日本語と英語とイスラム語で「ミサイルは積んでいません」とでも大書して、リスク回避策とするとでも言うのだろうか。

 誰も信用しないし、却って疑われることになるだろう。

 ミサイルを消耗品の弾薬の一つとして、自衛隊が後方支援活動で同盟国軍隊に提供できる物品にされるかどうかのみに拘ってはいられない。自衛隊と同盟国軍隊との間のミサイルの遣り取りによって自衛隊及び自衛隊員のリスクがより増大する形で絡まないはずはないし、そういった側面からの議論でなければならない。

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礒崎陽輔の「法的安定性は関係ない」発言は単に誤解を与えただけなのか、適格性を問うべき発言なのか

2015-08-04 07:54:07 | 政治


 首相補佐官の礒崎陽輔が7月26日の大分市の講演で安全保障関連法案に絡んで「法的安定性は関係ない」と発言して野党及び与党の一部から批判を受け、8月3日午後、参院平和安全法制特別委員会に参考人招致を受けることになった。

 礒崎陽輔の大分市での発言は2015年7月29日の当ブログ――《礒崎陽輔の時代錯誤な戦前の国防絶対正義に取り憑かれた「法的安定性は関係ない」発言 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取り上げたが、改めてここに記載してみる。

 礒崎陽輔「憲法には自衛権について何も書いていない。1959年の砂川事件(最高裁)判決は、わが国の存立を全うするための自衛の措置は国家固有の権能であるとした。

 中身を言わないから政府は解釈してきた。昔は憲法9条全体の解釈から、わが国の自衛権は必要最小限度でなければならず、集団的自衛権は必要最小限度を超えるから駄目だと解釈してきた。72年の政府見解だ。

 ただ、その時はまだ自衛隊は外に行く状況ではなかった。その後40年たって、北朝鮮は核兵器やミサイルを開発し、中国も軍備を拡張している。

 政府はずっと必要最小限度という基準で自衛権を見てきたが、40年たって時代が変わったのではないか。集団的自衛権もわが国を守るためのものだったらいいのではないか、と提案している。

 何を考えないといけないか。法的安定性は関係ない。(集団的自衛権行使が)わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない。わが国を守るために必要なことを憲法が駄目だと言うことはあり得ない。『憲法解釈を変えるのはおかしい』と言われるが、時代が変わったのだから政府の解釈は必要に応じて変わる。

 (安全保障関連法案の審議は)9月中旬までには何とか終わらせたいが、相手のある話だから簡単にはいかない」(「TOKYO Web」)――

 このブログに、〈法的安定性とは、法が様々に解釈されてその適用が随意とならないために法を厳格に規定することで確保されるそれ自体の安定性と法を厳格に規定すると同時にその適用もが厳格であることによって社会の安定性が確保されることまで含めて法的安定性と言う。〉と書いたが、7月28日付NHK NEWS WEB」記事が、〈「法的安定性」は、法やその解釈がみだりに変わらないこと、そして、それによって、国民の生活や社会秩序が安定するという考え方〉と解釈している。

 上記ブログと重なるが、礒崎陽輔の発言が何を意味していると見たのか、簡単に振返ってみる。

 先ず礒崎陽輔は「わが国を守るために必要なことを憲法が駄目だと言うことはあり得ない」と、国防を憲法よりも優先させている。この優先意識によって国防を絶対正義に位置づけていることが分かる。

 その結果、「時代が変わったのだから政府の解釈は必要に応じて変わる」との言い回しで憲法が持つ法的安定性を無視して、政府の憲法解釈を「必要に応じて」優先させることができる。この循環は国防絶対正義へと回帰していくことになる。

 要するに「(集団的自衛権行使が)わが国を守るために必要な措置かどうか」国防優先を重要とすることで、それゆえに安全保障関連法案の「法的安定性は関係ない」と言っていることと、憲法が持つ法的安定性を無視し、政府の憲法解釈を「必要に応じて」優先させることができるとしていることとは対となった礒崎陽輔の考えとすることができる。

 では、参考人招致でどのような遣り取りがあったか、「産経ニュース」記事がその「詳報」を伝えているから、主な発言を拾って、それを参考に礒崎本人が言っているように単に誤解を与えたに過ぎない発言だったのか、首相補佐官としての適格性が問われる発言だったのかを見てみる。

 先ず大分の発言を謝罪している

 礒崎陽輔「発言の機会をいただき誠にありがとうございます。7月26日の(大分市で開催した)国政報告会における私の軽率な発言により、平和安全特別委員会の審議に多大なご迷惑をおかけしたことを国民の皆さま、与野党の皆さまに心からおわび申し上げます。もとより私は平和安全法制において、法的安定性が重要であることを認識しております。今回の平和安全法制は必要最小限度の武力行使しか認めないとの従来の政府見解における憲法9条の解釈の基本的な論理は全く変っておらず、合憲性と法的安定性は確保されていると認識しております。

 その上で、平和安全法制を議論していく上では、あくまでも合憲性および法的安定性を当然、前提とした上で憲法との関係とともに、わが国を取り巻く安全保障環境の変化を十分に踏まえる必要があると認識しております。国政報告会において、安全保障環境の変化も議論しなければならないことを述べる際に、『法的安定性は関係ない』という表現を使ってしまったことにより、大きな誤解を与えてしまったと大変、申し訳なく思います。私のこの発言を取り消すとともに、関係者の皆さまに心よりおわびを申し上げます」――

 法的安定性の重要性は認識している。「法的安定性は関係ない」と軽率な発言をしてしまい、誤解を与えたと謝罪している。

 対して民主党の福山哲郎幹事長代理が野党を代表して質問を行っている。

 福山哲郎「昨年の閣議決定以来、安倍晋三首相ならびに政府は『法的安定性は維持しながら、集団的自衛権を限定容認した』とこれまで強弁してきた。それがよりにもよって、首相の補佐官であるあなたが『法的安定性は関係ない』と言い放ちました。まさにちゃぶ台をひっくり返したも同然だ。この責任は極めて重い。辞任に値すると考えます。あなたは自らの判断で職を辞するべきです。

 与党からも進退論が公然と噴出する中で、なぜあなたは辞任せずにここに出て来られたのか。これまで前例のない首相補佐官が、国会に参考人として招致されるという立法府と行政府のルールまで壊して、あなたはなぜ補佐官に居座り続けるのか。お答えいただけますか」

 礒崎陽輔「本来であれば『法的安定性とともに国際情勢の変化についても、十分配慮すべきだ』と言うべきところを、私が誤って『法的安定性は関係ない』ということを申し上げたわけでありまして、これはまさに私の過ちであります」

 福山哲郎「質問にお答えください。なぜ辞任をしなかったのか、の答えを求めております。なぜ補佐官に座り続けておりますか、と。あなたは撤回をしましたけども、撤回をした前の日にあなたは『必要かどうかも議論しないで、法的安定性を欠くとか、法的安定性で国を守れますか。そんなもので守れるわけないんですよ』と。法的安定性をそんなもの呼ばわりをした。あなたは発言を撤回したが、あなたは同様の発言をした。なぜ辞めないのか、短くて結構なので、はっきり答えてください」

 礒崎陽輔「今申し上げましたように、その前日の発言も必要最小限度という法的安定性の話をした上で、最後の当てはめをいうときに私が誤った発言をしたわけでございます。それにつきましては今、申し上げたように取り消させていただき、おわびをさせていただいたところでございますので、今後は先生方のご指導を賜って、首相補佐官の職務に専念することで責任を果たしてまいりたいと思います」

 礒崎陽輔は法的安定性の必要性は承知しているが、あくまでも誤って言ってしまった発言だと言い逃れている。福山哲郎はこの言い逃れをあっさりと許してしまった。

 福山哲郎「首相から注意を受けたとのことですが、それはいつのことですか。そして、そのときにあなたは首相に対して進退伺をしましたか。首相から進退の言及はありましたか」

 安倍晋三の任命責任を問いたいという気持が進退伺の質問に飛んでしまったのかもしれない。

 礒崎陽輔は7月26日に「法的安定性は関係ない」と発言し、この発言を8月3日午後の参院平和安全法制特別委員会で撤回・謝罪している。「必要かどうかも議論しないで、法的安定性を欠くとか、法的安定性で国を守れますか。そんなもので守れるわけないんですよ」はその前日、8月2日の発言ということになる。

 この発言自体が7月26日の「法的安定性は関係ない」と言っていることと同じ主意となっているばかりか、7月26日発言を一段と強調した形となっている。

 7月26日の発言が既に批判の対象となっていながら、1週間後の8月2日に7月26日と同じ主意の発言を更に強める形で言い放った。これは批判に対する挑戦であり、「法的安定性は関係ない」ことを確信しているからこその発言でなければならない。

 いわば法的安定性に関わる礒崎陽輔の信念がこの言葉に集約的・象徴的に現れていると見なければならない。

 挑戦の意志と確信の信念がなければ、「法的安定性を欠くとか、法的安定性で国を守れますか。そんなもので守れるわけないんですよ」と、7月26日の発言に畳み掛ける形で強調はできない。

 他にどのような見方をすることができるだろうか。

 だが、礒崎は自らの信念に矛盾させて「軽率な発言」、あるいは「誤った発言」で「大きな誤解を与えてしまった」と単なる過ちからの周囲の誤解に見せかけた。

 このこと自体が図々しいゴマカシに過ぎないが、この矛盾から、安倍晋三の任命責任を導き出すことができる可能性は捨て切れないはずだ。

 福山哲郎はそういった手を使わずに礒崎陽輔の過去に行った別の不適切な発言を把えて辞任要求と安倍晋三の任命責任が大きいことを言うのみで、礒崎陽輔の発言とその釈明を決定的には追及できなかった。

 最後に福山哲郎が取り上げた礒崎の過去に行った別の不適切な発言の一例を挙げてみる。

 礒崎陽輔「憲法改正を一度味わってもらう。怖いものではないということになったら、難しいことは2回目以降にやっていこう」

 福山哲郎がその意味を質したのに対して次のように答弁している。
 
 礒崎陽輔「その発言は、憲法改正の手続きを国民に経験してもらいたいという発言でございます。憲法改正の手続き自体、国民がよく理解していない中で、一度、憲法改正手続きを踏まえればですね、最長で180日間、最短でも60日間という丁寧な手続きで、憲法改正をやるということを国民が分かっていただければ、国民のご理解が高まってくるのではないかということを申し上げたところだが、私の自民党の役職として申し上げたことであり、ご理解を賜りたいと思います」

 礒崎が言ったことは、改正しても国民生活や日本の将来にさして影響のない条文を改正して、憲法改正とはこんなものかと思わせておいて、次は実際の影響を隠して影響のある改正をやってのけようということであるはずだ。

 このような発言は実際の影響を隠すという情報隠蔽と情報操作の意志を裏打ちとしていなければ成り立たない。いわば礒崎陽輔は国民に対して情報隠蔽と情報操作の意志を隠し持った危険な国会議員と見なければならない。

 礒崎陽輔の法的安定性に関わる挑戦的な信念と言い、国民に対して情報隠蔽と情報操作の意志を隠し持っている点と言い、「法的安定性は関係ない」とした発言を礒崎の言い分通りに単なる「軽率な発言」、あるいは「誤った発言」で、「大きな誤解を与えてしまった」とすることはできないばかりか、首相補佐官としての適格性を認めるわけにはいかず、当然辞任すべきであり、このように適格性を欠いた程度の低い議員を首相補佐官に起用した安倍晋三の任命責任も厳しく問わなければならない。

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麻生太郎の派閥会合挨拶に見る自分に都合の悪いことは見ないようにしているマスコミ不信

2015-08-03 09:00:00 | Weblog



 麻生太郎が安倍晋三が進めている安保法制に対して抗議の電話が殆ど掛かってこないから、マスコミが世論は反対だと言っていることは間違いだといった趣旨のことを7月16日の派閥会合の挨拶で述べたそうだ。

 麻生太郎「いま安全保障関連法案が上がりつつある。誠に喜ばしいことだと思っています。ちょっと聞くけど、『とんでもねえじゃねえか』って言って事務所で抗議の電話をもらった人。どれくらい来た? そんなもんか、数十件ね。

 普通大体ね、メチャメチャ来るはずなんだ、これ、新聞の言う通りだったら。だって80%反対してるんだもん。もっと来なくちゃおかしい。俺のところだってめちゃめちゃ来るはず。いつもだったら。今度も秘書を並べて待った。でも、殆どかかってこない。

 これは間違いなく、日本がより安全なものになるための抑止力を確保するために、自信を持ってみんなこれだけやったんで。ぜひ、きちっとした法案を作り上げて日本の安全が確保されるように、みなさん方の自信と誇りを持ってやっていただけることをお願いしたい」(asahi.com

 まるで世論が80%反対しているから抗議の電話があるだろうと待っていたかのようだ。だが、来ないから、肩透かしを食った?

 そんなニュアンスの発言となっている。

 国民はその時々でより効果的な抗議の方法を知っていて、その方法を使い分けるはずだ。80%反対の世論など鼻も引っ掛けずになりふり構わずに法案の成立に向けて一直線に突き進んでいる安倍政権閣僚や自民党議員が電話の抗議に耳を貸すだろうか。

 「国民にも色々と意見があるのは承知しております。意見の一つとして承っておきます」と、どうってことのない意見の一つに貶められるのがオチだろう。

 麻生太郎本人がかつて若者との対話集会で「カネがねえなら、結婚しない方がいい」とか、「稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しいんじゃないか」とか、若者の尊厳を神経を逆撫でするかのように痛めつける発言をしたことがあるが、それに類する問題発言をしたというなら、麻生太郎という政治家個人の人格・資質の問題となって、麻生太郎に抗議の電話をかけるしかないが、現在は財務相であって、安保法制には関係ない部署の人間だから、麻生太郎の事務所に電話して役に立つこともない抗議を誰がするのだろうか。

 上記発言当時麻生太郎が閣僚なら、本人にはもとより首相に任命責任を問う抗議の電話もかかってくるかもしれないが、情けないことに首相当時の発言だから、抗議の電話をするとしたら、本人以外にないことになる。

 尤もいくら抗議の電話がかかってきても、秘書やその他事務所の人間が受話器を取るだろうから、麻生太郎には痛くも痒くもないだろうが、マスコミが抗議電話が何通あった、抗議メールが何件あったと報道するだけで、批判の対象となっている麻生太郎の言動とその適切性等に関わる情報を社会により広く周知させる力となって、結果として何らかの罰の形を取らせることもできる。

 事実学生との対話集会から1週間後の2009年8月30日投開票の総選挙で麻生自民は惨敗し、衆議院第1党の座から転落、民主党に政権の座を譲ることとなった。発言が何らかの罰の形を取らなかったと言うことはできまい。

 麻生太郎は国民が抗議の目的に応じてどういった抗議の方法がより効果的と考えているのか、あるいは抗議を向ける対象を誰にするのがより効果的と考えているのかさえ頭に思い巡らす力はないようだ。世論調査にノーの意志表示を示すこと、国会周辺で反対デモを展開することが抗議のより効果的な方法であり、デモで安倍晋三を描いたプラカードを掲げて反対の文字を大書しなくても、抗議の目的自体が抗議を向ける対象を示すことになって、それが安倍晋三だということになる。

 いずれにしても抗議の電話が少ないことを以って、肩透かしを食ったものの、その分、新聞の世論調査が示す国民の意思に疑問を抱くマスコミ不信を露わにして、さも国民が賛成しているかのような態度を示した。

 麻生太郎のマスコミ不信はこれだけではない。

 同じく派閥の会合だが、今度は7月30日の発言だそうだが、7月26日の大分市講演で礒崎陽輔が安倍政権が進めている安全保障関連法案が求められるべき法的安定性を「関係ない」という言葉で否定したことをマスコミ不信の立場から擁護している。

 麻生太郎「こういう段階で大分の礒崎(陽輔首相補佐官)が話題に出ていますけれども、一生懸命のつもりで言われているのだと思いますけれども、結果としてマスコミの人たちの手によって(発言が)作りかえられていく。

 継ぎ接ぎされてみたり、色んなことがあるわけですから。(自民党の勉強会でメディアへの威圧的発言をした)井上(貴博)先生もそうだ。つながれて別の文章になっちゃうんだもん。俺なんかしょっちゅうやられてきたからよく分かりますよ。だから今日も言いたいこと一杯あるんだけど、秘書から『絶対にこれ以外は言わないでください』と言われて、イヤイヤながら立っていますけれども」(asahi.com

 マスコミは(報道機関)は立法、行政、司法の3権力に続いて第4の権力と言われているが、もし麻生太郎が言っていることが事実なら、第4の権力どころか、立法、行政、司法の3権力を差し置いて、第1の権力に位置していることになる。

 いわば立法、行政、司法の3権力はマスコミを第1の権力として、それにひれ伏していることになる。

 その割には安倍晋三は2014年12月の総選挙総選挙前にテレビ番組に出演して、番組紹介の街の声は政権の声を反映していない、偏っているとか、側近を使ってテレビ局に報道の公平性・中立性を要請する口実を用いて、マスコミの取り扱いで自政権の有利を図る動きを見せたりしていたのだから、マスコミを第1の権力として崇めているどころか、自分たち権力にとって使い勝手を良くしようとする思惑からのみ扱おうとしているとしか見えない。

 問題は麻生太郎が言っているようにマスコミが発言の意図を歪めて別の意味内容に情報操作しているのか、あるいは言おうとしていることが実際は何を意味することになるのか気づかないままに発言して、発言したあとも気づかずにいるために、批判されると、自分の意図と違うと逆にマスコミを批判することから起こるマスコミ不信なのかということである。

 マスコミが実際に政治家その他の発言をその意図を歪めて別の意味内容に情報操作して報道することは絶対ないと言い切れないが、よくある常習性を持った報道姿勢だということなら、事実を伝えることを使命としているマスコミ自体がその使命を裏切ることになって世の批判に耐えることができるだろか。

 国民の多くはそれを見抜く力を持っているのだから、耐えることはできまい。

 と言うことなら、7月30日の発言は言おうとしていることが実際は何を意味することになるのか気づかないままに発言して、発言したあとも気づかずにいるために、批判されると、自分の意図と違うと逆にマスコミを批判するマスコミ不信と見ないわけにはいかない。

 7月16日の発言も含めて、自分たちに不都合な事実は極力見ないようにして、それを都合の良い事実に作り変えようとしていることから起きている麻生太郎のマスコミ不信と言ったところなのだろう。 

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中山恭子の7月30日参院特別委「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様」の歴史修正主義

2015-08-02 10:05:44 | 政治



 次世代の党の中山恭子が7月30日参議院安全法制特別委員会で安倍晋三に対して北朝鮮に拉致されている日本人拉致被害者の解放を切々と訴えた。その最後の発言を見てみる。

 中山恭子「この北朝鮮による拉致問題、日本はなぜ北朝鮮の工作員が日本にやすやすと日本に入国することを防げなかったのか。なぜ北朝鮮が日本の若者を拉致するのは防げなかったのか。

 日本が拉致された日本人が北朝鮮に監禁されているいると分かっていながら、放置してしまったのか。日本政府はなぜ北朝鮮に監禁されている拉致被害者は日朝国交正常化のために犠牲になっても止むを得ないといった方針を取っていたのか。

 この点は安倍総理になってから改善されていることと考えておりますが、戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様を見て、日本は何と情けない国になってしまったのか。

 無念の思いを抱えてこの北朝鮮の拉致問題に関わって参りました。この問題は今解決しなければならない問題で、真っ先に解決しなければならない問題であると考えておるます。

 そして北朝鮮が不安定化する前に、勿論、それは分からないことでありますが、それが可能性があるのであれば、その前に拉致被害者を救出しなければならない、これは言を俟ちません。

 私はまさに今が救出の時と考えています。タイミングを外しては救出のチャンスがないと言って良いかもしれません。そして拉致被害者を救出できるのは安倍総理しかいないと考えております。

 拉致被害者救出に向けて直接指揮を取る、信頼できる側近が情報グループと共に北朝鮮と直接遣り取りを進めることによって救出できると考えています。

 それ以外には救出は難しいと言えるかもしれません。総理に於かれましては総理の元に拉致被害者救出の特別チームを編成し、直接指揮を取って頂きたい。心からのお願いでございます。

 交渉の扉をこじ開けたと今日の午前中お話がありましたが、一旦、この扉を閉じない限り新たな交渉ルートが出てまいりません。総理お願いします。総理に一言ご所見頂ければ」

 安倍晋三「まさに拉致問題に関しましては私はその責任者としてオールジャパンで取り組んでいるところでございます。今後共総力を上げて、拉致被害者帰国を実現したいと思っています」

 既に中山恭子の質問時間が切れていたからなのかもしれないが、それにしても中山恭子の切々たる訴えに余りにも紋切り型、通り一遍の素っ気ない答弁で終えている。

 中山恭子が「日本政府はなぜ北朝鮮に監禁されている拉致被害者は日朝国交正常化のために犠牲になっても止むを得ないといった方針を取っていたのか」と言っていることは2002年9月17日に当時の日本の首相小泉純一郎が訪朝、金正日と日朝首脳会談を行い、金正日は日本政府が認定した拉致被害者17人のうち13人の日本人拉致を認め、5人生存・8人死亡、他は「入境せず」を伝えて謝罪、その後両人は「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉を10月に再開することで合意したことを指す。

 いわば当時副官房長官として同行していた安倍晋三も含めて小泉政権は日本政府が認定した拉致被害者17人のうち「5人生存・8人死亡・4人入境せず」で拉致問題の幕引きを謀った。だが、日本の世論は「5人生存・8人死亡・4人入境せず」に怒りを示し、対北朝鮮制裁を求めた。

 小泉純一郎は2004年5月22日の再訪朝で先に帰国していた拉致被害者の夫や子供の日本への帰国を果たしたが、残りの12人の安否を更に求めたものの、前回と同様の返事を得たのみで、北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」の姿勢を取り、このことに納得しない日本の世論を受けて小泉政権は「拉致問題の解決なしに国交正常化なし」の方針に転換、現在もその方針を引き継いでいる。

 だが、安倍晋三も一枚加わって5人生存でいっぱし一旦は拉致問題の幕引きを謀った歴史的事実は残る。

 中山恭子はそのような安倍晋三に「拉致被害者を救出できるのは安倍総理しかいないと考えております」と全幅の信頼を寄せている。

 大いに結構なことだと思うが、「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様を見て、日本は何と情けない国になってしまったのか」と言っていることの歴史修正主義に非常に危険な思想を見ないわけにはいかない。

 「戦後」と言っているからには「戦前の日本の在り様は自国民を守ることを貫く立派な国だった」ということを逆説的に言っていることになる。

 日本軍が米軍との戦闘で追い詰められて民間人共々洞窟等に避難し、息を潜めている際、幼い子供や赤ん坊が泣き出すと、日本軍兵士が「泣き声が敵に聞こえると居場所が分かる」からと母親に命じて首を絞めて殺すように命じたという話は沖縄戦初めよく聞く話なのは中山恭子が言っているようには戦前の日本が自国民を守ることを優先させた国家の在り様を見せていたとする事実を否応もなしに歴史修正の事実誤認とさせる。

 フィリッピン国立公文書館に保存されていた太平洋米軍司令部戦争犯罪局による終戦直後の調査記録には第2次大戦末期の1945年にフィリッピン中部セブ島で、旧日本軍部隊が敗走中、同行していた日本の民間人の子ども少なくとも21人を足手纏いになるとして虐殺したことが記録されているという。

 1回目は10歳以下の子ども11人が対象となり、兵士が野営近くの洞穴に子どもだけを集め、毒物を混ぜたミルクを飲ませて殺し、遺体を付近に埋め、2回目は対象を13歳以下に引き上げ、さらに10人以上を毒物と銃剣によって殺した。

 何という自国民保護だろうか。

 部隊司令官らは「子どもたちに泣き声を上げられたりすると敵に所在地を知られるため」などと殺害理由について供述したという。
 
 犠牲者の親は、戦前に九州や沖縄などからセブ島や南パラオ諸島に移り住み、当時セブ市に集まっていた人たちで、長女ら子ども3人を殺された福岡県出身の手島初子さん(当時35)は米軍の調べに対して「子どもを殺せとの命令に、咄嗟に子どもを隠そうとしたが間に合わなかった」などと証言、他の親たちも「(指揮官を)殺してほしい」などと訴えたという。

 戦前の最大の自国民放棄はシベリア抑留であり、それが疑いの段階にとどまっているが、ソ連満州侵攻時に捕虜となった日本軍兵を「役務賠償」の対象としたことからの抑留であるとされていることであろう。

 ご存知のように「役務賠償」(えきむばいしょう)とは「労力を提供することによって相手国に与えた損害を賠償すること」(『大辞林』三省堂)を言う。

 ソ連軍に捕らえられた日本兵捕虜の即時送還を国際法に基づいて求めることはせずに、逆に関東軍司令部が「帰国までの間極力貴軍の経営に協力する如く御使い願い度いと思います」と申し出たと1993年7月6日の『朝日新聞』は伝えている。

 1945年(昭和20)8月9日のソ連対日参戦1カ月前の昭和20年7月に昭和天皇から対ソ平和交渉を命ぜられた近衛文麿元首相が作成した天皇制維持を目的とする『和平交渉の要綱』の「(四)賠償及び其の他」で、〈イ、賠償として一部の労力を提供することには同意す。〉とした規定は、ソ連参戦前だったから、ソ連対象の方針ではないが、日本軍捕虜兵士を役務賠償の対象とする考えを持っていたことを証明することなる。

 政府側のこの考えが反映したシベリア抑留の疑い――自国民放棄の疑いは拭い去ることはできない。

 戦陣訓の一つ、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」も兵士を含めた国民放棄・生命軽視の代表的思想と言うことができる。

 この戦陣訓のために多くの兵士は捕虜となることを恥として玉砕を選択し、この玉砕に軍と行動を共にした民間人が集団自決や断崖からの集団投身自殺で付き合うこととなった。

 このように戦前の日本が自国民を守ろうとせず、その生命を軽んじていながら、中山恭子は「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様を見て、日本は何と情けない国になってしまったのか」と、戦前の日本国家が自国民を厳格に守り、その生命を大切にしていたかのように事実無根を根拠として、そのことに比べて「戦後」の様変わりを嘆く。

 しかしこの事実無根の思想を誘い出している心理の底には日本民族に対する優越意識を存在させていて、存在させているからこその歴史修正の事実無根なのである。

 日本民族は優秀であるからとしている思想が客観的認識能力を曇らせて、歴史の事実としてあった戦前の国家の国民に対する在り様を消し去り、優秀という思いのみで戦後の国家の在り様を見るから、「戦後自国民を守ることまで放棄してしまった日本の在り様」という言葉の構造を取ることになる。

 歴史修正の多くが日本民族優越主義を背景としている危険性に留意しなければならない。

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