憲法の国家権力の恣意的権力行使を制約する役割を否定することになる政府の憲法解釈優先思想

2015-09-20 07:16:59 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

     《9月15日小沢代表・山本代表記者会見要旨党HP掲載ご案内》

     【質疑要旨】
     ○安保法案反対の国会デモについて
     ○安保法案成立の辺野古移設問題への影響について
     ○安倍首相の潘国連事務総長批判について
     ○岩手県議会における生活と民主による統一会派結成について

 9月19日未明、安保関連法案が参院本会議で可決・成立する前日の9月18日付「NHK NEWS WEB」記事が、集団的自衛権の行使を可能にする今回の法案が憲法に違反するという指摘があることと、政府が憲法解釈の変更を閣議決定で行ったことの是非について法案を違憲と主張する立場と合憲とする立場の憲法の専門家の発言を伝える形で取り上げている。 

 小林節慶応義塾大学名誉教授「政府は憲法が個別的自衛権も集団的自衛権も区別していないと言っているが、憲法9条には明確に、交戦権を与えない、海外派兵はするなと書かれている。憲法の枠組みがある以上、法治国家であれば、憲法を改正してからやらなければいけないことだ。

 (政府が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めたことについて)仮に切迫した危機があったとしても、憲法を無視し、その枠組みを取り払えば、政治家はなにものにも拘束されなくなる。これは解釈の限度を超えており、憲法破壊であり憲法違反だ」――

 憲法には国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を与えられているがゆえに国家権力は憲法を最も忠実に守らなければならない立場に立たされている。

 当然、今回可決・成立した安全保障関連法が合憲か違憲か、徹底的に突き詰めていかなければならない。記事は、〈憲法学者などが仮に安全保障関連法案が可決され、成立した場合は、「憲法9条に違反する」として、今後、国に対して集団で訴えを起こすことも検討してい〉ると、可決・成立する前日の時点の話として解説しているが、ごく自然な動きということになる。

 井上武史九州大学准教授「集団的自衛権は国際法で認められた権利で、禁止されていない限り行使できる。日本国憲法が集団的自衛権を禁止しているかというと、憲法にはひと言も書いていないので、集団的自衛権を認める法案が違憲だということは断定できない。

 (政府が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めたことについて)政府がかつての解釈を変えることは法的に可能で、どう判断するかは政治の役割だ。審議が深まっていないのは事実かもしれないが、一定の時間がたてば採決するのが民主主義だ」――

 言っていることに無理がある。「日本国憲法が集団的自衛権を禁止しているかというと、憲法にはひと言も書いていない」と言っているが、認めるとも、「憲法にはひと言も書いていない」。つまり、合憲だということも「断定できない」

 書いてある、書いてないで合憲性は判断できないにも関わらず、書いてないことを以って、「違憲だということは断定できない」と主張している。

 「政府がかつての解釈を変えることは法的に可能で、どう判断するかは政治の役割だ」と、政府が憲法の解釈を変えることは政府の専権事項(思い通りに決断できる事柄)であるかのように主張していることに驚く。

 もしそれが許されるなら、憲法の判断よりも政府の憲法の判断に手を加えて変更させた解釈の方に優越的な力を与えることになって、憲法改正よりも憲法解釈変更を優先させる便宜が優ることになり、ときには憲法が負っている国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を否定する危険性を抱えかねない。

 憲法のこの重要な役目までも憲法解釈で変更できることになるからである。

 何も井上九州大学准教授だけが憲法の判断よりも政府の判断を優先させようとする思想の持ち主ではない。

 憲法9条の解釈変更で集団的自衛権の行使を限定的に容認する法律の成立に成功したことで、「憲法9条の改正は必要がなくなった」との主張が公明党内や自民党内にに芽生えていると、「毎日jp」記事が伝えている。 

 尤も公明党は〈今回の法整備が許容範囲の限界で、さらなる行使容認のための憲法9条改正は認められないとの立場〉からの憲法9条改正不要論だと記事は解説している。

 但し自民党は改憲を党是としていながら、「安保関連法案の整備でそんなに急いで憲法を改正する必要はなくなった」とする中堅の声を伝えている。

 だが、憲法解釈変更で良しとして、最初の道筋としなければならない憲法改正を遠ざけることはやはり憲法そのものよりも憲法解釈変更を優先させる便宜を取ることになって、憲法解釈の変更自体が憲法が負っている国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を外すことに手を貸さない保証はない。

 つまり、何でも憲法解釈の変更で片付けることに慣れると、国家権力の恣意的な権力行使を制約する規定まで憲法解釈の変更で緩めてしまうことにならないか、最悪有名無実化してしまうことにならないか、その危険性である。

 大体が議席の優越的な数を手に入れさえすれば、憲法解釈の変更は可能となる。議員だけが集まる国会の場で片付く問題だからである。
 
 だが、憲法改正は議員だけが集まる国会の場のみで決まるわけではなく、国民が関与できる場で国民の関与のもと、決まる。それゆえに改正した憲法にそれ相応の正当性を与え得る。

 このことを裏返すと、憲法解釈変更ではそれ相応の正当性を与え得ないと言うことになる。憲法解釈を優先させる思想を当り前とすることに憲法が負っている国家権力の恣意的な権力行使を制約する重要な役目を無化しかねない危険性をも考慮して、気をつけなければならない。

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熊谷署管内連続6人殺人事件は警察の大失態の謗(そし)りを免れることはできない

2015-09-19 10:12:25 | 事件



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月19日 山本代表ぶら下り記者会見動画 党HP掲載ご案内》    

      山本太郎代表は9月19日、参議院本会議で安保法が可決・成立したことを受け、記者団の質問に答えま
      した。安保法はルール違反に基づいて可決・成立され、かつ国民のためのものではないと痛烈に批判。
      「本当に悔しい。ひっくり返すしかない」と述べました。

 事件の経緯を「NHK NEWS WEB」記事と、その他から見てみる。 

 当該記事は《警察が説明した事件の経緯》となっている。経緯の正確性の責任を警察に預けたとったところか。

 9月13日の午後1時半頃
  熊谷市内の消防署から「外国人が片言の日本語を話しているが意味が分からない」という連絡。
  警察官が熊谷警察署に連行・事情聴取。

  「ペルーに帰りたい。神奈川に姉がいる」

  本人の求めに応じ、警察官1人が立ち会って玄関先でタバコを吸わせていたところ、男は警察署の前の国道を横
  断し、走り去る。
  午後5時頃と午後5時半頃警察署の近くで住居侵入事件が相次いで2件発生。警察は警察犬による捜索や聞き込み
  捜査を開始。

 翌9月14日
  熊谷市見晴町の田崎稔さんの宅で田崎さんと妻の美佐枝さん夫婦の殺害遺体を発見。

 9月15日
  熊谷署は9月13日に起きた、住居侵入事件で男の逮捕状を取る。

 9月16日午後4時半頃
  未明に同容疑者の手配書を全国の警察に配布。但し市民への注意喚起は限定的。
  熊谷市石原の住宅で1人暮らしの白石和代さんとみられる女性が浴室で血を流して死亡しているのを発見。

  警察官の現場周辺の聞き込み捜査で加藤美和子さんの家のインターフォンを鳴らしても応答が無く、住宅の裏に回ると、ペルー人の男が刃物を持って2階の窓枠に足をかけて
  いるのを発見。警察官の説得中、男は自分の腕を刃物で何度か刺し、2階から飛び降り、その場で身柄を確保。

  住宅内を捜査、1階と2階のクローゼットの中で加藤美和子さん、小学生の美咲さんと春花さんとみられる3人の遺体を発見。

  飛び降りた男は「かなり重症で意識がない」

  阿波拓洋埼玉県警察本部刑事部長(記者会見)「現段階では必要な捜査を行っていたと考える」(以上)

 上記記事は消防署から通報があって熊谷警察署に連行・事情聴取の際、〈本人の求めに応じ、警察官1人が立ち会って玄関先でたばこを吸わせていたところ、男は警察署の前の国道を横断し、走り去りました。〉と記述しているのは警察の説明がそうなっていたからだろう。

 だが、この説明を鵜呑みにすると、1人の警察官が立ち会っていた目の前を国道を横断し走り去ったことになる。つまり、その警察官は走り去るのを単に眺めていた。

 実際は目を離した隙に逃走したということではないのだろうか。ペルー人にしても目の前に警察官がいるのにいきなりその場を離れるとなると、直ちに制止行動に入られるのを覚悟しなければならない。

 勿論、制止を振り切って逃げることもできるが、そうした場合、事の重大さはかなり違ってくる。制止を振り切られて、警察はそのままにはしないだろうからである。

 警察は自らの常識として制止を振り切ってまで逃げるのは知られたくはない後ろ暗い秘密を抱えているからであり、それが犯罪そのものか、犯罪の可能性を疑うことができる出来事のいずれかと考えて、否応もなしに追跡行動に入らなければならない。

 だが、警察はペルー人が国道を横断し、走り去るに任せた。

 警察がここで取った行動を素直に受け入れることは難しい。

 別の「NHK NEWS WEB」記事が金高警察庁長官の9月17日の記者会見での発言を伝えている。

 金高警察庁長官「非常に重い結果となり、これを教訓として、同じような事案を防ぐことができないかという観点からよく見てみたい。

 (事情聴取時の警察の対応について)自らの意思で立ち去ったもので、この時点では男が犯罪に関与した事実は認められず、その意思に反して警察署に身柄をとどめる根拠は無かった」――

 前段の発言は今後の参考にするといった趣旨となっている。

 後段は、前の「NHK NEWS WEB」記事が、〈本人の求めに応じ、警察官1人が立ち会って玄関先でたばこを吸わせていたところ、男は警察署の前の国道を横断し、走り去りました。〉と書いていることを、「自らの意思で立ち去ったもの」としている。

 だとすると、立ち会いの警察官が本人の意思で立ち去るのを許可したことになる。

 但し「自らの意思で立ち去った」際、署に〈現金3417円入りの黒革の二つ折り財布と健康保険証、在留カード、パスポートなどの所持品を同署に置き忘れていた。〉と「毎日jp」記事は伝えている。 

 要するに所持品検査をして持ち物全部をテーブルに出させたのだろう。

 と言うことは、財布やパスポートなど、本人にとって大切に所持していなければならない物を署に置きっ放しにしたまま、何も持たずに熊谷署から「自らの意思で立ち去った」ことになる。

 ところが、上記記事は、〈署員が目を離したすきに署から逃げた。〉となっている。

 金高警察庁長官の発言との食い違いはどう説明したらいいのだろうか。

 どうも逃走したと表現した方が正しい状況に見える。

 もし大事なものまで置きっ放しにして逃走したということなら、警察の常識としてそれらの大事なもの以上に警察に知られたら困る重大な秘密を抱えていて、逃走を手段としてでもそれを守る必要性に迫られていたと、当たっているいないは別として疑わなければならないはずだ。

 当然、直ちに捜索に入らなければならなかった。熊谷署に所持品を全て提出して、財布も持たずに逃げたのだから、先ずは熊谷署を起点に周辺一帯を捜索範囲として目撃証言を求める一方、普通の乗客のフリをしてタクシーに乗り、カネを持たないことから運転手を威して移動することも考えて、熊谷署周辺でタクシーを捕まえた客がいないか、タクシー会社の無線配車センターに問い合わせるといったことは捜査の定石であるはずだ。

 このようにすべきであることは、次の「NHK NEWS WEB」記事が書いている事件の経緯が証明する。  

 9月13日午後3時頃に熊谷署から逃走している。 

 9月13日午後5時半頃、9月16日午後4時半頃に死亡が確認された加藤さんの自宅から歩いて5分程の距離にある住宅街を犬の散歩をしていた男性が自宅の前で外国人とみられる男に声をかけられ、「カネ、カネ」と言葉をかけてきた。男性が「カネはない」と言うと10メートル程離れた住宅の駐車場に座り込んだ。男性は警察に通報。警察官6、7人がパトカーで駆けつけたが、男は逃走後であった。

 その後警察は周辺を徹底的に捜索したと言うが、本人を確認することも、犯罪を防ぐこともできなかった。

 最初の「NHK NEWS WEB」記事が事件経緯として伝えていた、〈熊谷署は9月13日に起きた、住居侵入事件で男の逮捕状を取る。〉とあるのは、上記件に関してであろう。

 人相を聞いて、パスポートの写真と一致したから、その名前で逮捕状を取った。住居侵入がカネ目的であったのは財布を熊谷署に置きっ放しにして逃走した無一文の関係からだと容易に想像がつく。

 このときは口でカネを要求するだけで、乱暴な力づくの態度は取らなかったが、相手がカタコトの日本語しか話すことができないという不満足な意思疎通能力を考えた場合、ちょっとした行き違いや一度失敗した焦りから、あるいはカネを要求された側が悲鳴を上げたりして異常なまでに恐怖を感じた態度を見せた場合、そのような態度に却って驚いたり、激怒したりして過剰反応する形でどう凶暴な態度を取らない保証はないと考えなければならなかったはずだ。

 当然、カネを持たないことからタクシーの運転手を威して遠方への逃走を謀ったり、あるいはカネを必要としていたことを確認している以上、タクシー代を踏み倒すだけではなく、売上金を奪おうとして運転手に危害を加えたりすることへの予防措置の手配をする一方で警察犬を使った捜索に加えて、家の中にまで入り込んでカネを要求するだけではなく、カネを持たないということは外出中の人間が空腹を満たすための当り前の方法を失っている状況にあることから、持間の経過と共に家の中にまで入り込んで食べ物を要求する危険性が高まることを想定して周辺一帯の住宅を一軒一軒訪ねて、住人の安否確認するだけの配慮は必要だったはずだ。

 だが、そういった危機管理の想像力を働かすことができなかった。

 働かすことができ、午後5時頃と午後5時半頃警察署の近くで住居侵入事件が相次いで2件発生以降、書いてきたような危機管理を実施していたなら、異郷の地に生きる30歳のペルー人を殺人の犯罪から救うことができたかもしれない。

 このことをも含めて、大失態の謗(そし)りは免れることはできないはずだ。

 阿波拓洋埼玉県警察本部刑事部長が記者会見で言っているように、「現段階では必要な捜査を行っていた」とは到底見えない。

 
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和田政宗次世代参議員の抗議活動は「中国のウイグルやチベットでは射殺される」はデモ抑制or禁止願望発言

2015-09-18 09:44:34 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

《9月17日(木)山本太郎代表、参院安保特別委員会与党強行採決の場に喪服を着て臨み、与党暴挙を痛烈に批判》

 安倍晋三の安保関連法案に賛成している次世代の党の和田政宗参院議員は9月15日、参院平和安全法制特別委員会の中央公聴会で質問に立ち、国会周辺の抗議活動に関して次のような発言をしたという。

 和田政宗「永田町近辺にも住居がある。小さな子を持つ方は寝かしつけるのも大変だったのではないか。(だが、)憲法上認められた権利だ。国会議員は当然、許容しなければならない。午後9時以降も太鼓の音や大声が聞こえてきたという。

 平穏なデモ、抗議活動ができないものだろうか。日本は良い国だ。中国のウイグルやチベットで抗議活動をすると、銃を乱射されて射殺される」(毎日jp)  

 (下線部分は解説文を会話体に直す。)

 最初の発言、「永田町近辺にも住居がある。小さな子を持つ方は寝かしつけるのも大変だったのではないか」で、既にデモに対して拒絶反応を示している。

 勿論、許可されたデモであっても、個人的に許容できるデモと許容できないデモの違いは出てくる。その線引きは個人それぞれであるから、この言葉だけを掴まえて、民主主義否定論者とは言えない。「憲法上認められた権利だ。国会議員は当然、許容しなければならない」とさえ言っている。

 しかしこの言葉が真に自らが信条としている主義・主張であるなら、例えデモの抗議の声を騒音と捉えて迷惑だと感じ取っている住民が存在したとしても、「日本は良い国だ。中国のウイグルやチベットで抗議活動をすると、銃を乱射されて射殺される」は比較する必要もない言わずもがなの発言となる。

 だが、言わずもがなの発言まで口にした。このことを裏返して言うと、憲法上の権利だ何だを真に自らが信条としている主義・主張ではないから、比較する必要もないウイグルやチベットの例を持ち出して比較したと言うことができる。

 一見すると、独裁国家の抗議活動は「銃を乱射されて射殺される」危険性に常に付き纏われるが、その点「日本は良い国だ」と、抗議活動・デモに関して民主国家日本は日本であると個別に価値づけているように見えるが、中国の例を持ち出したことは、その必要もないことなのだから、中国と日本の個別性、その違いの例示に重点を置いた発言ではなく、中国を引き合いに出すことで、「銃を乱射されて射殺される」ことになる、それ程に大問題なことだと警告に重点を置いた発言と見なければならない。

 警告は「何々するな」、「何々せよ」といった命令・指示の形で相手の行為・行動を自分の意思に添わせる目的で禁止や抑制、あるいは誘導等々の意図を持たせて発する。

 当然、和田政宗のここでの警告は国会周辺の抗議活動・デモに対して抑制、あるいは禁止の意図を持たせた、そのことの願望が現れた発言であろう。

 あるいは中国のように強権を用いた抗議活動・デモの禁止を願望していると見ることができないわけではない。民主主義国家でもそのような強権が許されることへの国家主義からの願望である。

 と言うことなら、和田政宗が言っている「憲法上認められた権利だ。国会議員は当然、許容しなければならない」は日本が民主主義国家を形成していることからのタテマエに過ぎず、ホンネは民主主義を否定していると批判されない範囲で抗議活動・デモを何らかの形で抑制したいと強く願っているのかもしれない。

 また、次のようなことも言うことができる。こういった手合が賛成する安倍晋三の安保関連法案だということである。

 9月17日夕方、安保法案が参院特別委で強行採決され、可決された。和田政宗が記者に発言している。

 和田政宗「国民の命と国を守るために重要な法案なので、まず、委員会の採決で可決したことはひと安心だ。このあと、本会議での採決もあるが、絶対に通さなければならない法案だ。力によって、議事の進行を妨害する行為はあってはならず、反対であっても暴力をふるってはならない」(NHK NEWS WEB)  

 「中国のウイグルやチベットで抗議活動をすると、銃を乱射されて射殺される」という例を持ち出して、民主主義国家日本で届け出を出している抗議活動・デモを抑制、あるいは禁止したい願望を抱えている政治家が「力によって、議事の進行を妨害する行為はあってはならず、反対であっても暴力をふるってはならない」などと偉そうに言う資格はない。

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安倍晋三の法案成立後の時間経過で「間違いなく理解は広がっていく」は既成事実化への慣れや諦めへの期待

2015-09-17 09:24:44 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《『今だから小沢一郎と政治の話をしよう』(堀茂樹/著)発刊のお知らせ》 

     2013年から2015年にかけて数回にわたって公開・非公開で行われた小沢一郎代表と堀茂樹慶
     應義塾大学教授との対談が本になりました。本書は「政治とは何か」からはじまり「国造りの構想
     」まで全5章で構成され、これを一読していただくことで、小沢一郎代表の政治理念を小沢代表の
     生の言葉を通して知っていただくことができます。

     ●本文構成
       第1章:政治とは何か
       第2章:憲法の話をしよう 
       第3章:なぜ議会制民主主義か
       第4章:世界の中の日本を考える
       第5章:国造りの構想
     ● 出版社:祥伝社
     ● 体 裁:四六判ハードカバー 本文288ページ
     ● 定 価:1,836円(本体1,700円)
     ● 発売日:9月21日(月・祝)

          《9月16日 強行採決なら安保法案の成立阻止で一致、野党6党・会派党首会談》

     生活、民主、維新、共産、社民、参院無所属クラブは9月16日、党首会談を開き、採決前提の締め
     くくり総括質疑を認めないこと、委員会で採決強行なら問責決議案、内閣不信任案の提出を含めて
     あらゆる手段で安保法案の成立を阻止する方針で一致しました。

 安倍晋三の9月14日の参院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」での発言。

 山口公明党代表「(参院送付から)60日で参議院として結論を出せず、今日に至ったのは極めて残念だ。衆議院が、参議院が法案を否決したものと見なして再議決する『60日ルール』を適用しないようにお願いする立場になったが、参議院で議論し結論を出すべきだ」

 安倍晋三「審議の進め方については、良識の府である参議院のご判断に従うべきものと考えている。政府としては、引き続き分かりやすく、丁寧な説明に努めていきたい。そのうえで、熟議ののちに『決めるべきときは決めなければならない』というのが民主主義のルールだ」(NHK NEWS WEB)    

 安倍晋三は「熟議ののちに『決めるべきときは決めなければならない』というのが民主主義のルールだ」と偉そうに断言しているが、民主主義のルールに則った選挙で獲得した議席を力とした国会の多数決のみが民主主義のルールではない。

 選挙のときは明確な形で表に出なかった、あるいは勝利優先の権謀術数から意図的に明確な形で表に出さなかった政策が表に明確な形で現れたときのその政策に対する国民の賛否(=民意)を選挙で獲得した、国民の側から言うと、選挙で与えた議席が正確に代弁していると言うことはできない。

 対して、その政策が具体的に表に現れたときの世論調査に於ける国民の賛否はより民意を代弁していると言うことができ、当然、民主主義のルールを言うなら、世論調査に現れている民意を無視できないはずだが、少なくとも安保関連法案に関しては民意を正確に代弁しているわけではない議席のみを力に「決めるべきときは決めなければならない」と採決に走るのは民主主義のルールに則しているとは決して言えない。

 にも関わらず、安倍晋三は議席にすべての政策の最終決定権を与えて、それを以て民主主義のルールだとしている。

 議席を獲得すれば、民意が反対する政策であっても最終的には実現できるとする考え方を民主主義のルールとして掲げる政治性は民意無視という点で、厳密には民主主義のルールでも何でもなく、そこに自ずと独裁性を背中合わせとしていることになる。

 安倍晋三という政治家に独裁性が否定できない理由がここにある。

 同じく9月14日の参院特別委員会で次のようにも発言している。

 安倍晋三「残念ながら、まだ支持が広がっていないのは事実だ。国民の命、平和な暮らしを守るために必要不可欠な法案だ。一日も早く成立させたい。

 支持が広がっていないのは事実。法案が成立し、時が経ていく中で間違いなく理解は広がっていく」(TOKYO Web) 

 民意を無視しながら、「国民の命、平和な暮らしを守るために必要不可欠な法案だ」と言う。と言うことは、民意は「国民の命、平和な暮らしを守るために必要不可欠な法案だ」とは見ていないということになる。

 安倍晋三は「法案が成立し、時が経ていく中で間違いなく理解は広がっていく」と自信を見せているが、珍しくものの見事に合理的な判断に基づいた発言を見せている。

 法案が成立して法律として既成事実化してしまうと、国民それぞれの日常生活に直接的・具体的に何らかの弊害や不便を与える法律ではないから、審議していた当座は平和への危機として日常生活の一部となっていたとしても、日常生活の一部であることから遠のいて、危機意識、あるいは問題意識が沈静化していき、一見、法律に対する反対意志が消滅したように見える。

 だが、それは決して「理解」という段階への到達ではない。単なる沈静化であって、忘れられていた自然災害の猛威が再びキバを剥くことによってその猛威を思い出させるように沈静化していた平和への危機意識は自衛隊の海外活動によって万が一にでも目覚めさせられた途端に再び日常生活の一部を占めることになって、反対意志は蘇らない保証はない。

 その蘇りが社会的に大きな力を持たなかったとしても、やはりそれは理解からではなく、既成事実化が招くことになっている慣れや諦めからの意思表示が単に優っていたという事実の現れに過ぎないはずだ。

 もしそのような状況が社会の大勢となったとき、安倍晋三は法律成立という既成事実化への慣れや諦めへの期待を込めたに過ぎなかったにも関わらず、得々として「理解は広がった」と誇ることになるに違いない。

 安倍晋三と内閣、与党は1959年の最高裁砂川事件判決を法案の合憲性の根拠としている。であるなら、何度かブログに書いてきたが、同じ最高裁砂川事件判決は、日本国憲法9条2項が、〈その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである〉と米軍の日本駐留に対してその戦力は9条2項の「戦力」に当たらないからと合憲判断を示すと同時に、9条2項規定の保持禁止戦力とは「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいう」と、自衛隊の戦力そのものを指している以上、最高裁砂川事件判決に従って自衛隊を廃止しなければ、整合性が取れないご都合主義ということになる。

 自衛隊を廃止すれば、個別的自衛権行使も集団的自衛権行使もクソもなくなる。

 安倍晋三の頭は「理解は広がっていく」と言うことができる合理的判断能力ゼロででき上がっていることと言い、合憲性判断のご都合主義と言い、そういった要素で成り立たせている、「国民の命、平和な暮らしを守るために必要不可欠な法案」であることを国民は肝に銘じなければならない。

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高村正彦は9月13日安保法案に関わるNHKスペシャル番組で徴兵制を否定したが、薄汚い詭弁に過ぎない

2015-09-16 09:12:21 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月11日 安保法案の成立阻止で一致、野党7党・会派党首会談》    

     こんにちは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
     生活の党と山本太郎となかまたち小沢一郎代表をはじめ、民主、維新、共産、社民、元気の野党6党
     の党首並びに参議院会派の無所属クラブ代表は9月11日、国会内で協議し、安全保障関連法案の成
     立を阻止するため、内閣不信任決議案や首相問責決議案の提出を視野に、あらゆる手段を講じる方
     針で一致しました。

      《9月14日小沢一郎代表と元陸上自衛隊レンジャー隊員井筒高雄氏との会談要旨》

     【対談内容】

     安保法制の危険性と日本の国際貢献は今後どうあるべか。

 9月13日(2015年)日曜日の午後9時から10時半まで、NHK総合テレビが『緊急生討論 10党に問う どうする安保法案採決』と題して与野党10党の代表者が安保法案について議論を戦わせた。

 その中で自民党副総裁の高村正彦が徴兵制について薄汚い詭弁で以ってあり得ない話だと強く否定した。

 吉田忠智社民党党首「具体的にこの法律ができたとき、アメリカの要求がどんどんエスカレートしていく。アメリカの要求に応えることができなくなって、リスクは高まる。そして自衛官を希望する方々が減って、憲法18条を変えて、徴兵制にまで踏み込まざるを得ないような状況になるのではないのか。

 これを国民の皆さんは一番心配している」

 高村正彦「徴兵制というのは荒唐無稽な話なんですよ。荒唐無稽。まさにそこを一番心配しているっていうのは、その通りなんです。国民は一番心配しているんですよ。

 そのように荒唐無稽でも、専門家の人たちが少し言えば、それは心配しますよ。

 だけど、荒唐無稽って言うのは軍事的合理性もなければ、政治的合理性もないんですよ。プロの戦いですからね。特に日本みたいに海に囲まれている国は海空重視で、その中で人海戦術でやるわけなんてないわけですね。プロとプロの戦いにね、そんなことはない。

 政治的合理性からすれば、もっとないですね。

 そんなことを言い出したら、内閣すぐ潰れる。私も反対しますから。(吉田忠智を指差して声を強める。)ないですよ!」

 島田キャスター「弾薬の提供までできるように変わるということですが、リスクは当然増してくるんじゃないのですか。この点についてどうですか」

 高村正彦「いや、それは――。(逆に尋ねるように)変わらないんじゃないですか・・・・・。どうして変わるんですか。

 他のものを、その・・・、日本の・・・・、安全と平和に重要な影響を与える事態のとき、動いてくれるところにできるだけ、普通の国なら我が国自身が軍事力を行使するところを、憲法上の要請でやらないで、それのお手伝いをするっていうことですから、やりたいことはできるだけやることは当たり前だと私は思いますよ」――

 安倍晋三も政府も自民党も憲法18条を根拠に徴兵制はあり得ないと否定している。

 『日本国憲法 第18条』 「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」

 兵役が自らの意志による選択であるなら、奴隷的拘束に当たらず、苦役とならないが、本人の意志からではなく、国家意志を受けた兵役は本人から見た場合意に反する奴隷的拘束に当たり、苦役に相当することになって、憲法の規定に背き、憲法違反となるとの趣旨で徴兵制否定の根拠としているのだろう。

 だが、憲法は絶対ではない。解釈によっていくらでも変え得る例を最近見たばかりである。
 
 1972年の「自衛権に関する政府見解」は、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と結論づけている。この結論に則って自民党の歴代内閣は集団的自衛権行使は国際的にも認められていて、国連憲章に規定があるものの、憲法9条が存在する限り、行使できないと言ってきた。

 それを安倍政権は憲法解釈一つで行使できるように法案化し、現在、その成立を謀っている。9条さえ解釈変更することに成功しつつあるのだから、18条も解釈変更できない保証はない。

 例えば、「国を愛する心があれば、国の徴兵制に基づいた兵役を奴隷的拘束と受け止める日本人は存在するだろうか。そのような兵役を苦役と感じ取る日本人がいるだろうか。兵役を奴隷的拘束とし、苦役とする者は国を愛する心を持たない日本人だ」といった論理を巧妙に展開して、集団的自衛権行使憲法解釈容認は日本を取り巻く安全保障環境の急激な変化を口実としたが、愛国心を口実にして18条の解釈は変え得る。

 このような解釈変更は絶対ないと否定する者は憲法9条の解釈変更をも否定しなければならない。

 決して高村正彦が言うように「荒唐無稽」というわけではなく、また、「政治的合理性もない」とすることはできず、いつでも現実となり得る話としなければならない。

 高村正彦は「特に日本みたいに海に囲まれている国は海空重視で、その中で人海戦術でやるわけなんてないわけですね。プロとプロの戦いにね、そんなことはない」と徴兵制の「軍事的合理性」のないことを主張しているが、自衛隊の海外活動を「海空重視」としていて、敵部隊と遭遇する機会が海空よりも予測しにくい、その分危険性が高い陸上自衛隊を抜いて、それ程兵員を必要としているわけではないとの趣旨で徴兵制不必要論としていること自体が軍事的合理性のない詭弁そのものとなっている。

 安倍晋三は国会答弁で2003年12月から2009年2月まで国連平和維持活動(PKO)としてイラク・サマワに派遣されていた陸上自衛隊を例に取って、オランダ軍やオーストラリア軍の護衛を受けていたことを無視して、自衛隊の危険性はサマワでの活動とさして変わらないことの説明の一つとしてきた。

 つまり陸自の活動をも想定した安保関連法案であって、この点から言っても、「海空重視」とするのは徴兵制を「軍事的合理性もなければ、政治的合理性もない」とするためのゴマカシ、詭弁に過ぎない。

 最近の戦争が国対国ではなく、ゲリラ集団と国との戦いに変質してきているが、例えゲリラであっても、地対空携帯ミサイル保有を保有している。リビアのカダフィが保有していた大量の携帯式ミサイルがゲリラの手に入ったとも言われている。

 当然、「海空重視」であっても、自衛隊の海外活動が中東にまで及んだ場合、海上自衛隊の航空機がその攻撃を受けない保証はない。攻撃を受けないとすること自体、「軍事的合理性」のない詭弁そのものとなる。

 安倍政権の安全保障関連法案が徴兵制に行き着くのではないかという疑念は決して「軍事的合理性もなければ、政治的合理性もない」ない主張ではない。

 そうであるから、高村は薄汚いまでの詭弁を用いてまでして否定しなければならないことになる。

 薄汚い詭弁を用いた報いなのだろうか、島田キャスターの自衛隊のリスクが高まるのではないかという問いに、問い通りの答で応じることもできず、明確な答ともなっていなかった。

 自分自身で明確に変わらないことを証明しなければならないのに、逆に「どうして変わるんですか」と島田キャスターに聞き返しさえしている。

 国会答弁では質問議員から、どういった質問をするか、前以て質問通告が出されているから、官僚の手も借りてそれなりに自衛隊のリスクが高まらないと答弁を整理することができるが、高村は突然の質問で満足に答えることができなかったのかもしれないが、だからと言って、自民党の代表として公共の番組に出演し、日本の安全保障の将来を決定する重要な問題に満足に答えることができないのは許されることではない。

 徴兵制を否定するために詭弁を用いていることと言い、安全保障関連法案が日本国憲法との間に確固たる論理的整合性を持ち得ていないことと、法案と想定している実際の運用との間に於いても論理的整合性を与えることができていないことが、このことは答弁が変わることによって証明されているが、原因となっている詭弁であり、ゴマカシであろう。

 憲法違反ではないとしていることをも含めて、そこに詭弁やゴマカシを存在させて軍事的・政治的合理性を打ち出さざるを得ない状況にある以上、法案の成立はあってはならないはずである。

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NHK世論調査のアベノミクスと安保関連法案に否定的回答ながら、安倍内閣支持率6ポイント増の怪奇現象

2015-09-15 08:37:46 | 政治


 今月9月11日から13日にかけて行ったNHK世論調査を9月14日付の「NHK NEWS WEB」記事から見てみた。  

 「安倍内閣を支持する」43%(先月比+6ポイント)
 「安倍内閣を支持しない」39%(先月比-7ポイント)

 見事支持率を回復している。ネバリ腰の安倍晋三といったところか。7月の大方の世論調査で支持と不支持が逆転し、中には支持率が40%を切るところもあり、8月の殆ど世論調査では40%以下に下がったところと、40%台を回復したところがあったが、それでも支持と不支持は逆転状態にあった。

 今回のNHKの世論調査で少なくとも一気に6ポイントも回復させて支持・不支持の逆転現象を正常な状態へとひっくり返して40%台を回復させるには安倍内閣が政策面や国会運営、あるいは党運営に於いてそれなりの業績を上げていると国民は評価していると見なければならない。

 国民はどのように評価しているのだろうか。

 先ず支持・不支持それぞれの理由を見てから、次に評価している政策、その他を見てみる。

 「支持する理由」

 「他の内閣より良さそうだから」39%
 「実行力があるから」22%
 「政策に期待が持てるから」12%
 「支持する政党の内閣だから」12%

 「支持しない理由」

 「政策に期待が持てないから」47%
 「人柄が信頼できないから」21%
 「支持する政党の内閣でないから」9%

 「安倍内閣の経済政策についての評価」

 「大いに評価する」6%
 「ある程度評価する」44%
 「あまり評価しない」33%
 「まったく評価しない」12%

 いわばアベノミクスについて、「大いに評価する」6%に対して「まったく評価しない」が12%。「ある程度評価する」44%に対して「あまり評価しない」が33%。

 これがどういうことかと言うと、「ある程度評価する」が「あまり評価しない」に対して11ポイント上回っているものの、合わせてみると、程々の評価というレベルに77%も集中していて、積極的肯定・否定性という点では「まったく評価しない」が「大いに評価する」を6ポイント上回っているとしても、合計して18%という少数しか集めることができていないということである。

 要するにアベノミクスは全体的に見た場合、程々の評価の対象としかなっていない。

 加えて「大いに評価する」6%に対して「まったく評価しない」が2倍の12%を占めている以上、アベノミクスは安倍内閣の支持率を上げる要因とはならないはずだ。

 このことは次の質問と回答を見れば理解できる。

 「景気が回復していると感じるかどうか」

 「感じる」12%
 「感じない」48%
 「どちらともいえない」36%

 プラス・マイナスを含めた明確な評価が「感じる」12%+「感じない」48%=60%と大勢を占めていて、しかもマイナス評価が36%も上回っている。

 このような明確な評価に対して「どちらともいえない」という不明確な評価が36%も占めていると言うことは、少なくとも3分の1の国民はアベノミクスはプラス・マイナスどちらとも評価することはできないと見ているとすることができる。

 マイナス評価が36%差、プラス・マイナスどちらとも評価できないが36%、プラス評価がたったの12%。

 景気回復の実感という点についても、安倍内閣の支持率を上げる要因とはならないはずだ。

 「集団的自衛権行使可能等を盛り込んだ安全保障関連法案を今の国会で成立させる政府・与党の方針に賛成か否か」

 「賛成」19%
 「反対」45%
 「どちらともいえない」30%

 今国会成立「反対」が45%と「賛成」を26%も上回って、半数近くを占め、「どちらともいえない」の態度保留者が反対に次いで30%も占めていて、「賛成」の19%を11%も上回っている。

 態度保留者とは安倍晋三たちが「説明を尽くして国民の理解を得る」と常々公言している努力を実を結ばせることができず、法案に対する賛否の態度を決めさせるに至っていないために、そのことのそのままの反映として今国会での成立の是非についても態度も決めさせるに至っていない状態にある者たちを言うはずである。

 この30%という点だけを見ても、安倍内閣の支持率を上げる要因の一つとすることはできず、「反対」の45%を加えると、逆に支持率を下げてもいい要因にしか見えない。

 「安保関連法案の国会審議・議論は尽くされたか」

 「尽くされた」6%
 「尽くされていない」58%
 「どちらともいえない」28%

 「どちらともいえない」28%は判断する材料を持たないということなのか、どちらとも判断できないということなのだろうか。

 どちらであっても、「尽くされていない」が「どちらともいえない」を30%上回って58%に達している。「尽くされた」6%と比較したなら、52%も「尽くされていない」が優勢となっている。

 当然、安倍内閣の支持率を上げる要因の一つとはならないはずである。

 「安保関連法案成立が抑止力高め、日本が攻撃を受けるリスクが下がるという政府の説明に納得できるかどうか」

 「大いに納得できる」6%
 「ある程度納得できる」25%
 「あまり納得できない」37%
 「まったく納得できない」26%

 この質問に対しても程々の評価というレベルの扱いしか受けていない。「ある程度納得できる」25%と「あまり納得できない」37%を合わせて、62%もが程々の評価に抑えている。しかも程々の評価の中でも、「納得できない」が「納得できるを12%上回っている。

 さらに「まったく納得できない」26%に対して 「大いに納得できる」はマイナス20ポイントの6%しか占めていない。

 双方を合わせると、とてもとても安倍内閣支持率を上げる得点となるどころか、逆に失点となってもいい回答となっている。

 「安保関連法案は『憲法違反だ』という意見と『憲法違反ではない』とする意見があるが、どう思うか」

 「憲法違反だ」32%
 「憲法違反ではない」16%
 「どちらともいえない」46%

 「どちらともいえない」46%は判断材料がないということではなく、憲法違反とも違反ではないとも判断できないということであって、安倍政権と与党の「憲法違反ではない」とする主張=自らが掲げている正当性を理解させて、それを共有させるに至っていない状況にある半数に近い確率であるはずである。

 しかも「憲法違反ではない」の正当性共有者16%に対して「憲法違反だ」の不当性主張者が32%の2倍となっている。

 どこに安倍内閣を支持してもいいとすることができる要素を見つけることができるのだろうか。

 「安倍晋三の自民党総裁選無投票再選は好ましいと思うか」

 「好ましい」18%
 「好ましくない」44%
 「どちらともいえない」32%

 判断がつかないが32%を置いておくとしても、無投票を否定的に把える「好ましくない」44%が肯定的に把える「好ましい」18%を26ポイントも上回っていて、判断がつかない32%と比較しても、12ポイント上回っていて、全体的に否定的評価――バッテンが支配的となっている。

 最後の質問、「消費税率の10%への引き上げに合わせて財務省が飲み物と食料品を対象に支払った消費税のうち2%分を後から還付する軽減税率の制度案に賛成か反対か」

 「賛成」14%
 「反対」51%
 「どちらともいえない」27%

 判断不能が27%。但し「賛成」14%に対して「反対」51%と半数以上を、僅かにだが、上回っている。

 以上の回答から全体を通して見たとしても、安倍内閣の支持率上昇に結びつけることができる総合的な評価を見つけることはできない。

 当然、下がってもいい安倍内閣支持率だし、下がってこそ、整合性が取れる世論調査とすることができるのだが、逆に内閣支持率は先月比で6ポイントも上回って43%と、40%台に跳ね上がる怪奇現象を見せている。

 これをどう理解したらいいのだろうか。安倍晋三のお友達をNHK会長に据えた人事を利用して手を回した、全部の数字をいじるわけにはいかないからと内閣支持率の数字だけをいじった情報操作なのか、それとも安倍晋三の政策等に関しての個々の評価は与えることはできないが、安倍内閣として見た場合は評価ができるとする、奇妙なねじれが回答者に働いた結果の安倍内閣支持率上昇ということなのだろうか。

 後者だとしても、怪奇現象の謎は残る。

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伊藤祐一郎鹿児島県知事の「高校女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になる」発言は女性蔑視か

2015-09-14 07:17:59 | 政治


 少々古いニュースだが、伊藤祐一郎鹿児島県知事が8月27日の県の総合教育会議で、高校教育のあり方について、「高校で女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか。それよりもう少し社会の事象とか、植物の花や草の名前を教えた方がいいのでは」といった趣旨の発言をしたことを女性蔑視だと、ちょっとした波紋を広げていた。

 翌日の記者会見で、「サイン、コサインというのは何に使うのか、従来から疑問に感じていて、たまたま女性と結びつけて、口が滑った形で喋ってしまった。それが実際のところで、女性蔑視とかではなくて、どうしてああいう記事になるのかよく分からない」と釈明したそうだ。

 「サイン、コサインを教えて何になるのか」という疑問をなぜ女性とのみ結びつけたのだろう。男女別なく結びつけて、「高校で男子・女子に教えることも教わることも必要ではないのではないか。もっと社会に有用なことを教えたらいいのではないのか」と、なぜ言わなかったのだろう。

 だが、男の立場で「何になるのか」と、その不必要性を女子とだけ結びつけた。

 これでは女子の頭脳が男子の頭脳よりも劣ると見做している見られても仕方がない。

 男子にしても、高校で三角関数を習っても、社会に出て一度も使ったことのない者はゴマンといるはずだ。サイン、コサイン、タンジェントの言葉は覚えていても、使い方そのものを忘れてしまった者もゴマンといるだろう。

 逆に社会に出て必要として使っている女子は少数派ながら、存在するかもしれない。

 必要・不必要の線引きは男子・女子の性別を基準に決めることではなく、また、教師が決めることでもなく、男女別なく本人の事情が決めることである。

 本人の事情とは、興味を持ったり、必要に迫られたりすることによって形作られる。

 このようなことが人それぞれの可能性を決定づけていく。

 当たり前のことだが、教師が興味を持ったり、必要に迫られたりするのではなく、生徒それぞれが興味を持ったり、必要に迫られたりするそれぞれの事情によって、それぞれの可能性というものが確定されていく。

 いわば可能性の決定権は教師にあるのではなく、男女別なく生徒それぞれにある。教師はこのことに関与できない。生徒それぞれに任せるしかないのだから、数学が選択制であったとしても、教える側や、何を教えるのかを決める側が男女の性別で区別するのはやはり女子の能力が劣っていると見ていることになって、女性差別、あるいは女性蔑視と取られても仕方がない。

 女性差別、あるいは女性蔑視の主体は断るまでなく男性であって、本質的には女性よりも男の能力が優れているとする男尊女卑の思想が生み出すことになっている女性差別、あるいは女性蔑視である。

 日本は封建社会以来、男尊女卑の思想を伝統としてきた。戦後、GHQによって日本国憲法や教育基本法で民主主義を植えつけられ、民主主義を学びながら、戦後70年を経ても尚、男尊女卑の思想は退化せずに生き続けている。

 このような発言をした伊藤知事は男尊女卑の思想を根付かせている一人ということになる。「口が滑った」では済まない。

 例え口を滑らせなくても、このような男尊女卑の思想が潜在的な形で日本社会に支配的であるから、その殆どを日本人男性が形成していて、少なくない女性が仕方がないと受容しているのだが、女性の社会参加が男女平等の欧米社会と比較して後進国となっている大きな理由となっているはずである。

 いわば女性の社会参加にブレーキをかけている病根となっている。

 県知事が男尊女卑の思想に取り憑かれている一人であるという一点で、総合教育会議の他の発言でいくら立派な教育論を展開しようとも、県知事の立場にいることは許されないはずである。

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国交省・常総市の堤防決壊に関わる危機管理不備を前にした人命云々は国民をバカにしているように見える

2015-09-13 10:45:38 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月13日(日)山本太郎代表のテレビ出演ご案内》   

     山本太郎代表がNHK『NHKスペシャル』に出演します。
     「緊急生討論 10党に問う どうする安保法案採決」をテーマに議論します。是非ご覧ください!

     ◆番組名:NHK『NHKスペシャル』
     ◆日 時:平成27年9月13日(日)午後9:00~10:30
     ◆内 容:集団的自衛権の限定行使容認について
           自衛隊の海外活動の拡大について
           法案の審議・採決について         

 9月10日午後0時50分頃、常総市内で大雨増水によって鬼怒川土手が決壊、鬼怒川を管理する国土交通省関東地方整備局が浸水した面積を航空機で撮影した写真を使って分析した結果、浸水地域は鬼怒川とその東側を流れる小貝川の間に広がり、常総市の面積の5分の1に相当する約25平方キロに及ぶと推定したと、9月12日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 NHKニュースなどは当初常総市新石下付近で決壊したと伝えていたが、現在は常総市三坂町と場所を変えている。ネット地図で見ると、三坂町は鬼怒川に沿って南隣となっている。常総市が今回の大雨被害に関わる河川情報を伝えるホームページに決壊から20分後の時間で、「(午後1時15分)鬼怒川が三坂町地内において、決壊しました」とあるから、それに従って決壊場所を三坂町にしたのだろうか。

 この午後1時15分は防災行政無線で市内全体に放送した時間でもあるはずだ。テレビのニュースを見ると、かなりの被災者が口々に大雨で放送内容が聞き取れなかったと言っているから、遅くても早かったとしても、大して差はなかったのかもしれない。

 当初は20メートルだった決壊の幅が午後5時時点では140メートルに広がったというから、川から溢れ出していく濁流の勢いは相当な勢いを持ち、住民の多くが避難していない状況での決壊後のいくら早い情報伝達であっても、その速さは決壊個所に近くに住まいを構えている住民には殆ど意味をなさなかったに違いない。

 NHKニュースで中年の女性が強い雨が降る中、何度も堤防を見に行き、増水の状況を見て避難しようかどうしようか迷っていたところ、知り合いから堤防が決壊したと知らせが入って避難したと話していた。

 増水の状況は目視できる。だが、決壊は前以て目視できない。目視できるのは決壊後である。決壊の危険性を想定していない限り、決壊前の的確な危機管理は機能しない確率が高くなる。

 常総市は9月10日午前2時20分に玉地区、本石下と新石下の一部(県道土浦境線以北の区域)に避難指示を発令している。そして午前10時30分には中三坂、 上と中三坂、下地区に避難指示を発令している。

 常総市自体も増水→越水→万が一の氾濫のみを想定していて、堤防の決壊は頭になかった。だから、一度に広範囲に亘ってではなく、市内の鬼怒川沿いをコマ切れに地区割りしたような方法で順次避難指示を出すことになった。 

 今回の鬼怒川の増水と堤防決壊は降水量のみの影響ではなく、鬼怒川が常総市内の堤防決壊場所から20キロ下流で合流している利根川の川幅と水量、そして流れの速度が鬼怒川のそれらより遙かに上回っているために利根川の水が鬼怒川の水を流れにくくする形を取り、鬼怒川の水位を降水量の影響以上に高くしてしまうバックウォーター現象も関係したと、9月12日夜のNHKスペシャル「緊急報告 列島大水害」が伝えていた。

 国土交通省はその合流地点を起点に河川法に基づく計画で、鬼怒川が「10年に1度の大雨に耐えるため」(同省)、堤防の嵩上げや拡幅工事をする予定だったと、9月11日付「asahi.com」記事が伝えている。 

 決壊現場付近は昨年度から用地買収を始めたばかりだったと言う。工事が完成する前に堤防が決壊してしまったのは皮肉なことだが、計画に則って工事を進めていたのだから、止むを得ないことであろう。

 堤防の拡幅工事が単に嵩上げ(堤防を現在以上に高くする)必要上、堤防の底部を広げて、順次頂点まで広げてより頑丈にするための拡幅工事なのか、増水による氾濫だけではなく、堤防の決壊まで想定した拡幅工事なのか、どちらなのだろう。

 だが、2日前のブログに書いたが、国交省は10年前に今回堤防が決壊した茨城県常総市の鬼怒川の現場のすぐ近くで堤防が決壊した場合を想定して浸水の状況をシミュレーションしていたと、9月10日付の「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。 

 そのシミュレーションは今回の被害面積約25平方キロよりも広い37平方キロと想定している。

 より最悪を想定して、そのことに備えることが危機管理の基本ではあるが、鬼怒川の今回の決壊現場近くの堤防の決壊を想定したシミュレーションであった以上、現在進めている鬼怒川堤防の嵩上げと拡幅工事は堤防の決壊の危険性をも想定した、その防災工事だったことになる。

 と言うことは、完成まで決壊の危険性を進行形にした工事だったと言うことができる。

 堤防工事に対するこのような認識は決壊・浸水シミュレーションの内容と共に国交省のみならず、常総市も把握し、共有していなければならなかったはずだ。

 情報は如何に認識しているかによって生かすこともできるし、生かさずにムダにしてしまうことで二次的な被害という形でより多くの住民を巻き込んでしまうこともある。

 国交省も常総市も、今回の堤防決壊に対して自分たちが把握し、共有していなければならない認識と情報を何ら生かすことができず、多くの住民を洪水の中に孤立させることになった。

 逆説するなら、災害から住民を孤立化させないためにも、人命を守るためにも、自分たちが把握していなければならない決壊の危険性に関わる認識と情報を的確に把握して住民との間で情報共有・情報伝達等々に生かしていく責任と義務を負いながら、そのような情報管理を十分に機能させることができなかった。

 安倍晋三は首相動静を見てみると、9月10日午後0時50分鬼怒川堤防決壊後の3時49分開始の関係閣僚会議に出席している。

 安倍晋三「今回の大雨は、これまで経験したことのない異常な状態だ。茨城県では、大規模河川の決壊により、多くの住民が取り残され、甚大な被害が生じており、事態は重大な局面に来ている。国民の命を守るために、一刻の猶予もない。

 政府として取りうる限り、最大限の勢力を動員するよう指示する。警察、消防、自衛隊、海上保安庁などの各救助部隊が一丸となって、人命救助に力を尽くしてほしい」(NHK NEWS WEB

 確かに孤立化を招いてしまった以上、孤立状態にある住民の人命救助は必要である。だが、国交省と常総市が防災上の情報管理を的確に機能させていたなら、孤立化を最小限にとどめることも可能であって、とどめることができたなら、自衛隊や海上保安庁や警察庁や消防庁等のヘリコプターの出動機数も出動人員も抑えることができたろう。

 だが、機能させることができずに情報管理の不備が招いた人災の側面を持つ住民の孤立化を前にして、いわば国などの行政側がつくり出したと言うことができる住民孤立化でありながら、行政のトップに立つ人間が「多くの住民が取り残された」とか、「国民の命を守るために、一刻の猶予もない」、「人命救助」等々の“人命の大切さ”を言う言葉はどこか住民をバカにしているようで虚しく聞こえる。

 安倍晋三は9月12日、常総市を訪れ、堤防決壊個所の対岸から決壊状況などを視察したという。

 この対岸からと言うのが、国交省と常総市の情報管理不備を一切間に置かずに大雨と増水と堤防の決壊だけの災害と把えている状況と似ていて、何か皮肉な一致を見る。

 安倍晋三「被災地の惨状を目の当たりにして、被害の甚大さ改めて認識した。いまだにたくさんの方たちと連絡が取れなくなっており、警察、消防、自衛隊、海上保安庁などを最大限、投入して捜索救助活動に全力を投入したい。

 自治体と協力しながら、生活物資をしっかりと確保し、医療を提供し、住宅環境を確保することに万全を期していく。多くの方々が将来に不安を持っておられるので、生活の再建に向けた支援策に全力で取り組んでいく」(NHK NEWS WEB

 やはり生かすべき情報を生かすことができず、防ぐべき二次被害を防ぐことができなかったと明らかに見える事態を前にすると、そのことを一顧だにしないままの捜索活動も、生活物資確保も、医療提供も、住宅環境確保等々の“人命優先”も、それを懸命に約束すればする程、どことなく国民をバカにしているようで、虚しく聞こえる。

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安保関連法案が戦争法案だと分かる参院特別委9月11日福山哲郎と中谷元の散々戦争する話をした質疑

2015-09-12 10:31:56 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月8日 小沢一郎代表記者会見要旨党HP掲載ご案内》  

     こんにちは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
     9月8日に行われた小沢一郎代表、山本太郎代表の定例記者会見要旨を党ホームページに掲載しまし
     た。ぜひご一読ください。

     【質疑要旨】
     ○自民党総裁選の無投票再選について
     ○統合幕僚長の発言問題について
     ○15日の中央公聴会開催の議決について
     ○岩手県知事選、県議選の結果について
     ○最近の国政・地方選挙の動向について
     ○改正派遣法案の参院委での可決について

      《9月13日(日)山本太郎代表のテレビ出演ご案内》    

     山本太郎代表がNHK『NHKスペシャル』に出演します。
     「緊急生討論 10党に問う どうする安保法案採決」をテーマに議論します。是非ご覧ください!

     ◆番組名:NHK『NHKスペシャル』
     ◆日 時:平成27年9月13日(日)午後9:00~10:30
     ◆内 容:集団的自衛権の限定行使容認について
           自衛隊の海外活動の拡大について
           法案の審議・採決について         

     《9月11日 安保法案の成立阻止で一致、野党7党・会派党首会談》   

     生活の党と山本太郎となかまたち小沢一郎代表をはじめ、民主、維新、共産、社民、元気の野党6党の党首並びに参議院会派の無所属クラブ代表は9月11日、国会内
     で協議し、安全保障関連法案の成立を阻止するため、内閣不信任決議案や首相問責決議案の提出を視野に、あらゆる手段を講じる方針で一致しました。

 9月11日の参議院での我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会で防衛相と福山哲郎民主党議員が日本が戦争をする質疑を散々に繰返して、安全保障関連法案が戦争法案であることを理解させるに十分な程情報提供を行ってくれた。

 福山哲郎が質問時に用いたパネルを掲げておく。繰返しの質問と答弁は省略する。

 福山哲郎「A国が我が国に攻撃をしている。国際法上違法な武力攻撃である。日本は国際法上違法な攻撃をしているA国に対してA国の補給艦が後方支援している。自衛権の行使は補給艦に対して可能か」

 中谷元「その補給が武力行使と認められなければ、自衛権の行使はできない」

 福山哲郎が日本を攻撃している同じ国の補給艦が弾薬提供や燃料輸送の補給・提供を行っている艦船に攻撃できないのかといった趣旨の質問を繰返す。
 
 中谷元「A国が日本に対して武力攻撃をしているということだから、自衛権の行使は可能です」

 この答弁はA国に対する自衛権の行使は可能と言ったのか、後方支援で動いているA国の補給艦に対して個別的自衛権に基づいて武力行使ができると答弁したのか明確ではないが、福山哲郎は補給艦にできると受け取った。

 福山哲郎「A国の補給艦に対して武力攻撃できるのは当然です。次に民間船です。A国の戦闘機に対して燃料・弾薬を輸送する民間船舶に対して、それを海上輸送規制法に基づく強制検査を行う、これは海上規制法に基づく自衛権の行使の措置として整理されているが、A国の戦闘機に民間船舶が燃料や弾薬を輸送している時に海上輸送規制法に基づいて(武力行使)できるのか」

 中谷元「現行法に基づいて我が国に対して武力攻撃が発生した場合に停戦検査の措置を講じることは自衛の措置に伴う必要最小限度の範囲内のものであり、憲法上問題はない」

 この答弁にしても、民間船舶に武力攻撃までできると明言しているのかどうか不明である。

 福山哲郎「当然できる。A国が日本に違法に武力攻撃をしている。B国はこのA国の戦闘機に対して同じように弾薬や燃料を補給している。このB国の補給艦に日本は自衛権を行使できるのか」

 中谷元「我が国に対して武力攻撃をしているのはA国であって、B国は後方支援のみを行っている。武力攻撃を構成していなければ、A国に対して国際憲章連合上個別的自衛権に基づき、武力行使はできるが、B国に対してはできません」

 この答弁からすると、民間船舶もA国と武力攻撃を構成していないということになって、民間船舶に対して武力行使はできないということになる。

 福山哲郎「さっき民間船に自衛権の行使はできる(と言った)のに、B国の補給艦にはA国の戦闘機に給油・弾薬を補給しているのに、それもその給油・弾薬で我が国が攻撃されている。

 これは個別的自衛権の話ですから、我が国の平和と安全を守らなければならない。A国には攻撃できるが、B国には攻撃できないのか。B国を攻撃してB国を停めなければ、日本への攻撃は延々と続く。B国の補給艦に対して日本は自衛権の行使をできるのか」
 
 中谷元「B国は後方支援を行っているのみで武力攻撃を構成しないとうことだから、個別的自衛権の武力行使を行うことはB国に対してできない」

 福山哲郎「A 国の戦闘機は我が国に対して武力攻撃をしているんですよ。しているのに対して弾薬や給油をしている。そのときにB国に攻撃できないんですか。個別的自衛権ですよ」

 安倍晋三「既に防衛大臣が答弁している。A国は日本を攻撃しているが、B国は日本に対して武力攻撃しているわけではないから、このB国が行っていることがA国と完全に武力行使の一体化を行っているという認識にならなければ、我々は攻撃できないということになる」

 福山哲郎「これは国民の皆さんおかしいですよ。民間だったら停戦を含めて我が国は自衛権の行使ができるのに、B国の補給艦には我が国は自衛権の行使はできないと総理も大臣も言った」
 
 ここで福山哲郎は「後方支援する第三国に対する対応」について平成11年4月20日の当時の高村国務大臣の答弁をパネルで示して、現在の答弁との矛盾を質す。
 
 中谷元「『B国の行為が我が国に対する急迫性の侵害を構成するときには』と書いてある。仮にB国がA国に対する支援が我が国に対する急迫性の侵害、即ち武力の攻撃を構成すると認められれば、我が国はB国に対して国連憲章上個別的自衛権を行使することは可能となる。

 高村大臣もB国のそのような行為が和楽に対する急迫性の侵害を構成すると認められた時は可能であると答弁していて、何も矛盾はない」

 福山哲郎「では、A国の我が国に対する攻撃が我が国に対する急迫性の侵害を構成する場合は、B国に対して攻撃できるのか」
 
 中谷元「B国のそのような行為が我が国に対する急迫性の侵害を構成すると認められるときはB国に対して(武力行使は)できる」

 つまり、A国の日本に対する攻撃が日本に対する急迫性の侵害を構成していたとしても、B国のA国に対する後方支援が日本に対する急迫性の侵害を構成していなければ、B国に攻撃できないとしている。

 福山哲郎「B国の補給を停めなければ、我が国に対する急迫性の侵害はどんどん進行していく。なぜB国に対して攻撃できないのか。なぜ自衛権の行使ができないのか」

 既にお分かりと思うが、二人の質疑は、安倍晋三も含めてだが、戦闘、もしくは戦争をする話をしている。安倍晋三の安全保障関連法案が戦闘、あるいは戦争をすることができる法律案となっていなければ、戦闘や戦争をする話へと進展することはない。

 また、安倍晋三以下は後方支援を単に弾薬や燃料・食糧等の輸送と補給等の活動のみに捉えた議論で収めようとしているのに対して、そうする方が都合がいいからだが、福山哲郎は補給が攻撃継続の力となっていくといった趣旨で追及している。

 要するに後方支援による輸送・補給とは輸送・補給品目の提供そのものを意味していて、そうである以上、弾薬や燃料・食糧等々の提供、さらには兵員輸送による新たな兵力の提供は武力支援そのものだということである。

 後方支援が武力支援であるなら、後方支援部隊が直接的に攻撃に加担しなくても、武力行使一体化の側面を持つ。

 後方支援国が日本に対して攻撃を行っていなくても、後方支援を手段として日本に対する攻撃国に武力支援を行うことで、攻撃国を通して間接的に日本に攻撃しているのと同じだということである。

 当然、日本も後方支援を行うことで後方支援対象国が戦闘、もしくは戦争している国に対して間接的に戦闘、もしくは戦争の武力支援をしていることになる。

 第2次大戦以後のアメリカのように日本も自国を戦場にすることはないとしても、海外で戦闘、もしくは戦争する国にならないはずはない。

 中谷元の答弁はほぼ同じ趣旨の繰返しに過ぎない。
 
 福山哲郎「では、武力攻撃を構成するか否かはどのように判断するのか」
 
 中谷元「そもそも輸送・補給等の後方に於いて行われる支援は武力行使に当たらない活動であって、それだけで我が国に対する武力攻撃があった認めることは困難。

 仮にB国の部隊が単に後方に於いて支援を行うのみでなく、A国の部隊と共に戦闘行為に参加しているような場合など、我が国に対する武力攻撃を構成すると認められる場合は我が国はB国に対して武力攻撃ができる」

 決して後方支援が武力行使一体化の側面を持つ武力支援に他ならないと認識することはない。

 安倍晋三も同様である。

 安倍晋三「A国は日本に攻撃している場合は日本は全力を上げて対処する。急迫性の侵害を構成していると定かではない他国に対して攻撃することはまさに先制攻撃をするということで、国際的にあってはならない。高村大臣の答弁と中谷大臣の答弁と何ら矛盾はない」

 福山哲郎「国民のみんさんにナゾ解きをする。高村大臣と防衛大臣が(急迫性の侵害を構成云々について)そう言わざるを得ないか。今回の政府案によって後方支援の内容を拡大して、弾薬の提供や発進準備の戦闘機に対する給油ができるようになったので、これらを武力行使の一体化ではないと説明する帳尻合わせのために我が国が受ける攻撃に対する(攻撃国に対する他国による)後方支援について、自衛権を行使できないと答えざるを得なくなって、逆に制限した。

 我が国の安全保障を犠牲にしてまで、世界の、地球の裏側まで後方支援を拡大した」

 確かに言っているとおりだと思うが、いずれにしても戦闘、もしくは戦争をする質問と答弁になっている。それが個別的自衛権であろうとなかろうと、戦闘、もしくは戦争を前提にしている以上、自衛隊、あるいは自衛隊員のリスクは問題外とすることはできない。

 特に集団的自衛権の行使は憲法違反だと把える者には許されないリスクとなる。

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10年前国交省が鬼怒川常総市新石下近くの堤防が決壊した場合の浸水シミュレーションをしていたという

2015-09-11 09:45:10 | 政治



 昨日9月10日の午後4時頃テレビの電源を入れたら、民法の特別番組をやっていて、台風18号の影響による大雨で鬼怒川が茨城県常総市で決壊したのを知った。台風18号から変わった温帯低気圧と日本の東の海上を北上する台風17号の影響で関東と東北地方が記録的な大雨に見舞われたと言う。

 決壊によって低い土地に流れ込んだ濁流が建物の2階近辺にまで届いていて、中には壊れた家や船のように浮いて、ゆっくりと流されている家などをテレビは映し出していた。

 東日本大震災のときに家々が次々と津波に流されていく、その威力の恐ろしさ程ではなかったが、そのシーンを思い出させる程にテレビの画面全体に濁流が広がっていて、家々が孤立した無力な様相を呈していた。 

 ただ驚いたのは家の2階や屋根に取り残された住民が手を振ったりして助けを求めている人数が意外と多かったことである。迷彩色に色塗りされていないから、自衛隊所属ではなく、どこのヘリコプターか分からなかったが、取り残された住民を一人ずつ吊り上げて救助活動を行っていた。

 何か黒色をした畳大の浮遊物の上に立ち電柱にしがみついていた中年男性も無事救助された。今朝ネットを見ると、既に「電柱おじさん」と名付けられていて、すっかりと有名人になっているようだった。

 取り残された住民が多いのはまだ眠りに就いている夜の暗い内に堤防が決壊して、そのために逃げ遅れてしまったのだろうかと思った。満水状態になっていた川の水が長さ1メートルでも堤防を決壊させれば、水はそこから土石流の勢いで低い土地に流れ込み、同時にその傷口を瞬く間に広げて、浸水地域を広げていく。

 だが、各マスコミの記事を調べてみると、決壊は午後早い時間であることが分かった。

 筑西市の観測所で洪水が起きる危険性がある氾濫危険水位を超えたのは9日午後11時半頃だと「NHK NEWS WEB」記事にある。

 氾濫危険水位を超えた個所の土手の高さと川幅がどのくらいあるのか分からないから、下流の土手の高さに対する増水状況にしてもどの程度か分からないが、筑西市下流の常総市新石下(しんいしげ)で堤防が決壊したのは国土交通省の情報で約1持間20分後の午後0時50分頃だと伝えている。

 真っ昼間の決壊でありながら、取り残された住民が多いと言うことはどういうことなのだろうか。

 警察庁の情報として9月10日午後11時現在、決壊現場周辺で取り残されている住民は約690人だと「毎日jp」が伝えている。

 筑西市は下流の各市町村にどの程度の規模か分からないが、鬼怒川氾濫の危険性を情報として伝えていたはずだし、常総市はその情報を把握していなければならない。

 常総市のサイトにアクセスしてみた。決壊場所に関係する指示のみを見てみる。「更新日:2015年9月10日」の日付で次のように指示を出していた。

〈避難指示が発令されました(午前2時20分)

玉地区、本石下と新石下の一部(県道土浦境線以北の区域)に、避難指示が発令されました。

鬼怒川が、はん濫のおそれがあります。

避難場所は、豊田小学校、豊田幼稚園、豊田文化センター、千代川中(下妻市)、宗道小(下妻市)を開設しています。〉・・・・・・

 玉地区、本石下と新石下の一部に向けて既に夜中の午前2時20分に避難指示を出している。

 玉地区は新石下から2キロ~3キロ上流で、同じく鬼怒川に近接している。本石下は南北に石下を間に挟んで新石下の順で並び、新石下は鬼怒川と隣接している。

 既に夜中の内に避難指示が出していた以上、当然、無線放送の広報やあるいは巡回車で避難を促したはずだ。

 だが、勤めで出ているケースを除いて避難せずに自宅にとどまっていた住民が多かった。

 考えられることは、避難指示の理由が氾濫の恐れだったからではないだろうか。テレビが映し出していた決壊個所と隣接した壊れていない土手は雑草が青々と茂っていて、濁流でなぎ倒された様子も、濁水で茶色に汚れていたり、ゴミが付着していたりする濁流が超えた様子がどこにも見えなかったから、氾濫が誘発した堤防の決壊ではなく、危険水位近くか、危険水位を超えた増水の圧力が誘発した決壊に思える。

 問題は河川の増水、あるいは氾濫は目視できたとしても、決壊は多くの場合、目視できないということである。堤防の近くにいて、決壊を目視できたとしても、自分は逃げることができるかもしれないが、多くの住民にそのことを知らせる余裕はなかなかないはずだ。

 つまり住民の多くは常総市が警告を発していた氾濫は想定していたとしても、氾濫よりも濁流が一気に襲ってくるスピードと勢いが何倍も違う決壊を想定していなかった。

 氾濫の場合は、濁流が土手を超えてからでも、そのことに気づきさえすれば、避難も可能である。土手の決壊はそのことに気づいたときには手遅れと言うことが多いはずだ。避難せずに自宅にとどまっていた以上、二階屋なら、二階に逃げるか、平屋なら、屋根に逃げるしかない。

 そのような状況に見舞われた住民が9月10日午後11時現在、決壊現場周辺で取り残されている住民は約690人という、かなり多い人数ということなのだろう。現在、12人が行方不明になっているという。

 もし土手の決壊を想定していたなら、多くの住民が前以て避難していたはずだ。

 今回の鬼怒川の堤防決壊は1949年8月以来だという。他にはインターネット上に、〈昭和には台風や大雨で5回決壊し、いずれも大きな被害を生んでいる。〉という記述がある。
 
 このような決壊の歴史を受けてのことなのだろう、国土交通省が10年前、今回堤防が決壊した茨城県常総市の鬼怒川の現場のすぐ近くで堤防が決壊した場合を想定した浸水状況のシミュレーションを行っていたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 〈決壊が発生したあと、川の水は住宅地に流れ込み、6時間から8時間程度で南北およそ15キロ、東西2キロ余りに広がり、およそ37平方キロの範囲が浸水〉、〈浸水の深さは広い範囲で1メートルから2メートル程となり、深いところでは5メートルに達する恐れがある。〉と推計。

 国土交通省は10日午後、鬼怒川左岸の堤防決壊について浸水被害面積は37平方キロメートル、深さ最大5メートルの浸水となる恐れがあると発表しているが、10前のシミュレーションに基づいて算出したのかどうか、現場上空をヘリコプターを飛ばして推計したのかどうか分からないが、10年前の想定値とほぼ同じとなっている。

 国交省は10年前のこの情報を常総市に伝達し、共有していたのだろうか。

 9月10日の「常総市河川情報」は午前7時40分に若宮戸での鬼怒川が越水と、国土交通省の午後0時50分頃決壊の情報に約15分遅れた午後1時15分の鬼怒川決壊の告知のみで、危険性としての決壊の恐れを前以て伝える情報発信は見ることができない。

 国交省にしても常総市にしても、国土交通省の10年前の鬼怒川決壊シミュレーションが今回の土手決壊の現場近くを想定したものでありながら、生かすことができなかったのだろうか。

 それとも生かしていたのだろうか。生かしていながら、9月10日午後11時現在、決壊現場周辺で取り残されている住民約690人、12人が行方不明という結果になったのだろうか。

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