高村正彦の北朝鮮ミサイル脅威楯の薄汚い集団的自衛権正当化にコロッと騙される日本国民が多いんだなよな

2016-02-07 10:52:39 | 政治

 多くの童話、その他の物語でネズミの典型的なキャラクターとして描かれている狡猾さそっくりの性格を持った自民党副総裁高村正彦が福岡市で講演し、北朝鮮の「人工衛星」と称する事実上の弾道ミサイル発射予告に関して次のように発言したと2月6日付「NHK NEWS WEB」が伝えている。 

 その尤もらしい講釈に尤もらしいことだとコロッと騙される日本国民が多いのだろう。

 そのことを期待した発言でもあるだろう。

 高村正彦「北朝鮮は最低300発のミサイルを持っていて、日本列島のほぼ全体を射程に入れている。何10発ものミサイルを一緒に撃たれたとき、それをすべて撃ち落とすことは今の技術では到底考えられない。

 北朝鮮の指導者に『日本を攻撃したら、間違いなくアメリカから叩き潰される』と思わせることが最大の抑止力だ。極めて限定的な集団的自衛権くらいないと日米同盟がうまくいかず、北朝鮮の脅威からは国を守れない」――

 北朝鮮のミサイルの脅威を楯に体よく集団的自衛権を正当化している。

 北朝鮮が人口衛星打ち上げを予告したのは2月2日(2016年)。2016年1月28日付の「CNN」記事が北朝鮮北部東倉里(トンチャンリ)の西海衛星発射場監視の米国偵察衛星が同施設へのミサイル関連機材や燃料の搬入及び人の出入りの加速状況を把握、米当局はこのことを公表して、警戒を呼びかけていることを伝えている。

 いわば米軍は北朝鮮の人口衛星打ち上げ予告以前から北朝鮮の軍事的動向を逐一把握している。アメリカと北朝鮮間に軍事的緊張が極度に高まった状況下で、もし地上からのミサイル発射の動きを見せたなら、米国は発射迄待つだろうか。

 動きを見せた段階で先制攻撃に出て、ミサイル発射を阻止しないだろうか。

 地中からの発射で、発射までの動きを偵察できなかったとしても、何10発ものミサイルの発射まで待つだろうか。最初の発射を即座に探知して、その何十倍ものミサイル発射で応えるはずだ。

 いくら金正恩がバカでもそのことくらいは知っているから、実験と威しを繰返すしかない。

 当然、高村正彦が言うように「何10発ものミサイルを一緒に撃たれたとき、それをすべて撃ち落とすことは今の技術では到底考えられない」という言葉は無効となる。

 北朝鮮が「何10発ものミサイル」を一度に発射し終えるまで米軍や日本が待ったときのみ有効な言葉となる。

 それを無条件に北朝鮮が「何10発ものミサイル」を一度に発射できるようなことを言う。まさに物語に現れるネズミの狡猾さだ。

 一度に発射させる前に北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃で叩けば、北朝鮮が最低300発のミサイル」を持っていたとしても、「300発」という数そのものも、その有効性を失うことになる。

 高村は「北朝鮮の指導者に『日本を攻撃したら、間違いなくアメリカから叩き潰される』と思わせることが最大の抑止力だ」と言っているが、既にそのことを承知しているから、今まで日本を攻撃できないでいると見るべきだろう。

 北朝鮮が日本を攻撃して占領できる軍事的勝算を成り立たせることができ、なおかつアメリカの反撃がないことを計算できたなら、とっくの昔に日本を攻撃していたろう。それができないことの金正日の代償行為が日本人拉致であるはずだ。

 金日成が日本統治の朝鮮のうち北朝鮮の解放者・反日闘争の勝利者として北朝鮮の指導者にのし上がりながらも、朝鮮戦争によって疲弊、経済成長から取り残されながら、かつての敵国日本は逆に朝鮮戦争の特需の濡れ手に粟を元手に高度経済成長へと歩み出し、豊かとなり、先進国入りした。そのことに対する複雑な感情・恨みを金正日は北朝鮮の秘密工作員を自由に日本に上陸、北朝鮮との間を行き来させて多数の日本人を拉致、そののことに気づかない日本政府と日本人に対しての鬱憤晴らしとした、そういった代償行為であったはずだ。

 要するに今更「『日本を攻撃したら、間違いなくアメリカから叩き潰される』と思わせる」必要はないと言うことであって、それを今更言うのは単に北朝鮮の脅威をいたずらに煽って国民の危機感を高め、憲法違反の安倍集団的自衛権行使から憲法違反の色彩を限りなく薄めて国民に認知させようとする高村らしい狡猾な企みに過ぎない。

 北朝鮮の真の脅威はミサイルではないはずだ。ミサイルは数多く持っていたとしても、戦闘機やその他の兵器は物資不足から旧式となっていて、燃料不足もあり、一般的な兵器の持久戦能力は十分ではないと言われている。

 日本も対米戦争でアメリカの物量に遥かに劣り、そのことの対応でアメリカのそれと比較した持久戦能力にしても劣ることになり、緒戦は各戦闘で勝利を収めることができても長続きせず、中盤戦以降はガタガタと崩れていった。

 北朝鮮が真に所有している持久戦能力はゲリラ戦であろう。最初の攻撃でミサイルを数発撃ったとしても、反撃されて発射能力を失うことを考えて、直ちにゲリラ戦といった持久戦に出るはず。既に工作員を日本本土に自由に出入りさせたノウハウと能力を保持している。

 その時のために既に工作員という形ではなく、戦闘員という形で何人かを密かに潜入させて、市民として生活させている可能性もある。

 このことは2011年12月26日の当ブログにも書いたが、日本政府が真に気をつけなければならないのは偵察衛星で目に見える形にすることのできるミサイルの発射よりも、神出鬼没の形を取ることによってより対応が困難となるばかりか、持久戦能力を持たせたならより厄介となるゲリラ戦の可能性であるはずだ。 

 にも関わらず、高村正彦はミサイル発射予告を機会に北朝鮮の脅威を煽る。集団的自衛権を国民の間に認知させ、定着を図る自分たちの利益のためのこのような宣伝にコロッと騙される日本国民は決して少なくないないからだろう。ゴマンといることを期待しているはずだ。 

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仙台市の2月3日中2男子自殺からアンケート調査と面談等の教師対応に見る学校のイジメ解決能力の信用性

2016-02-06 10:36:46 | 教育

 中学生がまた自殺した。中学2年生、14歳。方法は首吊り自殺。日時は2月3日(2016年)。場所は仙台市の自宅。家族が発見したのだろう、そのときの驚きは俄には信じられない衝撃を与えたに違いない。

 病院に搬送したが、まもなく死亡が確認されたという。

 仙台市教育委員会が男子生徒が通っていた中学校から聞き取りを行い、その経緯を伝えている「NHK NEWS WEB」記事から、その内容を見てみる。 

 記事が、〈去年6月、男子生徒の自転車が下級生に壊されたことや、〉と書いているが、市教委の聞き取りによる他の生徒の証言なのか、自殺した生徒の訴えを受けて教師側が把握していた事実なのか、記事からでは分からない。

 学校は定期的に行っているものなのだろう、去年2015年11月にアンケート調査を行った。生徒は他の生徒から無視されていることを書いた。

 イジメを伺わせる記述ということで担任が男子生徒と面談した。

 男子生徒「以前のことで今のことではない」

 つまりイジメは現在は収まっていることを意味する言葉となっている。

 と言うことで、学校では特に対応を取らなかったと記事は書いている。

 記事は最後に市教委が、〈生徒の周囲の状況を把握する必要があるとして、中学校で全校生徒を対象にした緊急アンケートを行うことにし、死亡するまでのいきさつを解明することにして〉いると書いていて、大体以上のような内容となってる。
 
 担任は「以前のことで今のことではないのになぜアンケートに書いたのか」と尋ねなかったのだろうか。アンケートが求めている記述は過去からの継続も含めた現在進行形の出来事であるはずだ。

 もう一つ、「産経ニュース」から見てみる。 

 記事の内容を時系列に直してみる。

 2015年6月、〈部活の後輩3人が男子生徒の自転車にいたずらをし、一部を壊した。保護者から「当人同士で解決させたい」と申し出があり、学校は指導を見送った。〉

 2015年7月実施のアンケート。

 男子生徒「(友人関係は)最悪

 きもいと言われる」

 2015年11月実施のアンケート。

 男子生徒「無視された」

 「NHK NEWS WEB」記事では分からなかった男子生徒の自転車の損壊は自殺した生徒が訴えたのか、他の生徒が訴えたのか、何らかの報告によって学校側が損壊後、そう遅くない時期に把握していたことになる。

 但し学校側は指導を見送ったとしても、後で当人同士で解決したのか尋ねたのだろうか。

 解決したとの答えを受けたとしても、それが事実か、あるいは再発しないか、注意深い事後観察を行っていたのだろうか。

 自転車損壊から1カ月前後のアンケートからイジメを窺わせる記述を見て、担任は1カ月前の自転車損壊と関連付けなかったのだろうか。 

 「産経ニュース」記事は11月のアンケート後の面談には触れていない。

 現在のところ、状況証拠としては疑わしいが、自殺とイジメの関連性については明確にははっきりしていない。

 例え関連性は不明であっても、イジメに関しては昨年7月のアンケートも、同じく昨年11月のアンケートも現在進行形の記述となっている。

 だが、11月のアンケート後の面談で、男子生徒は「以前のことで今のことではない」と、過去形に変えている。

 どのような心理が働いたのだろう。

 担任等の教師に「イジメられているのか」と問われてイジメられているにも関わらず児童・生徒が否定する理由はイジメを受けることが弱い人間と見られる、自分自身の自尊心に関わる屈辱的な、情けない出来事であり、そうであるがゆえに素直に認めることができないこと、教師にチクった(告げ口した)と却って報復のイジメを受ける恐れがあること、親を悲しませたり、心配をかけたり、あるいは情けない思いをさせたくないという思いに囚われることなどが挙げられているが、イジメを告げることについてのこういった様々な抵抗感は誰もが抱えているだろうから、アンケートにイジメを受けていることを書くということはイジメを受けていることを知って貰いたいという強い思いと告げることの抵抗感の拮抗した精神状態を一度は味わって、そこから一歩前者に傾いた精神状態に至ることができたからであろう。

 いわば抵抗感を曲りなりにも抑えるにはかなりの覚悟がいるはずである。当然、担任に訴えたいという思いは相当に強い感情として働いたと見なければならない。

 ところが面談の段になると、実際に過去のことならアンケートに書くはずもないし、アンケートの性格上、過去からの継続も含めて現在進行形の出来事の記述でなければならないイジメを「以前のことで今のことではない」と答えたということは、現在進行形を隠して抵抗感に支配された元の精神状態に戻ってしまったことを示していることになる。

 その答はタダ一つ、自殺した生徒にとってアンケートやアンケートの記述を受けた面談等の担任の対応がイジメ解決に役立つと、そこにしっかりとした信用を置くことができていたなら、抵抗感を元通りの状態で蘇らせてしまうことはないだろうと言うことである。

 例えイジメる側の生徒に「アンケートに俺たちのことを書きはしなかったろうな。書いたことが分かったら、タダじゃ置かないからな」と威されたとしても、威すことができること自体がアンケートや担任の対応にイジメ解決の信用性を置くことができない証明以外の何ものでもないのだが、自殺した生徒が学校のイジメ解決能力を信用していなかったと見る他はない。

 生徒自身が気づいていたかどうか分からないが、「以前のことで今のことではない」との生徒の発言に担任が「以前のことで今のことではないのになぜアンケートに書いたのか」と尋ねなかったこと自体が、世間一般の目から見ると、学校や担任がイジメ解決に役に立たないものとして生徒に信用されていないことの証明としか映らない。

 尋ねたが、生徒が口を濁した、あるいは何も答えなかったということなら、その態度に不審な印象を感じ取って何らかの対応を迫られたはずだが、記事に書いてあるように学校が特に対応を取らなかったということは、尋ねることはしなかったということであろう。

 イジメが原因で児童・生徒が自殺した学校の多くがアンケートも、アンケートを受けた担任等の教師の対応もイジメ解決に役に立っていないことが通り相場となっている。今回のことは未だ分からないとしても、イジメが原因で自殺する児童・生徒が後を断たない以上、学校のイジメ解決能力の信用性は相当に低いはずだ。

 自殺を断つには先ずはどう信用性を高めるかに重点を置かなければならないようだ。

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岡田克也が民主代表に相応しくない理由がBS出演「党名などを軽んじて支持者が納得するのか」に現れている

2016-02-05 10:13:02 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《機関紙32号(電子版)を発行ご案内》    

       ◆小沢一郎代表 巻頭提言
        「弱肉強食の安倍政権から国民の『命』と『くらし』を守るために」
       ◆スペシャル・レポート 山本太郎代表
       ◆第190回国会活動報告 谷亮子副代表、玉城デニー幹事長
       ◆新連載「私の本棚」 主濱了副代表
       ◆森ゆうこ新潟県連代表が今夏参院選出馬表明
       ◆オックスフォード大学が小沢一郎代表に関する学術書を出版

 民主党代表岡田克也が2月3日夜のBS11に国会議員を引退した山崎拓自民党元副総裁と共に出演して次の遣り取りをしたと「産経ニュース」が伝えている。 

 山崎拓「民主党という党名に対するアレルギーが(国民には)非常に強い。政党名をお変えになった方がいい」

 岡田克也「私は民主党であることに誇りを持っている。党名などを軽んじて支持者が納得するのかということもある」――

 「私は民主党であることに誇りを持っている」と言っている言葉の意味は、民主党という名前に誇りを持っているということであろ。

 勿論単に「民主党」という名前にのみ誇りを持っているわけではないだろう。名前には様々な多岐に亘る活動の歴史や活動を演じた多くの人材の様々な多岐に亘る足跡が刻まれていて、それらが現在の民主党を拠って立たしめているがゆえの党名への誇りであろう。

 そのことは十分に理解できる。

 このような党名への拘りは選択的夫婦別姓に似ている。女性が生まれつきの姓と名前を自分であること――自己存在性のアイデンティティの一つとしていて、それをベースに自己を成り立たせているがゆえに結婚しても生まれつきの姓と名前を捨てることができない。

 岡田克也は民主党に自己存在性のアイデンティティを置いているのだろう。民主党という名前に誇りを持つことも、捨てることができないことも理解できる。

 だが、問題は民主党だけで生き残ることができるのかである。勿論、野党第一党としてそこそこに生き残ることはできるだろう。それで満足なら、民主党という名前を後生大事に守ればいい。

 巨大与党と伍して、その政治と自らの政治を闘わせることが可能な民主党単独での生き残りを果たして謀ることができるかというと、政党支持率を見れば、答がノーなのは一目瞭然である。

 現在民主党が置かれている状況は以前は手広く商いをし、大いに繁盛して、名前が広く知られていたが、店の名前と昔ながらの商売の遣り方に拘る余り時代に合わなくなって世間から取り残されつつある老舗に似ている。

 当然、岡田克也が野党第一党としてそこそこに生き残ることに主眼を置いているなら、民主党の名前と従来からの党運営等々、何をどう拘ろうと自由ということになるが、巨大与党と伍していく勢力拡大を望むなら、党勢がその勢いにない以上、民主党が野党第一党として野党連携の主導権を握ることは許されても、党名のみならず、民主党が現在置かれている状況全てに拘ってはいられない情勢にあるこを悟らなければならない。 

 だが、岡田克也は民主党が現在置かれている状況を理解しているのか理解していないのか、「党名などを軽んじて支持者が納得するのかということもある」と、あくまでも民主党という党名に拘っている。

 果たして党名の変更が民主党という名前が体現することになっているその歴史や多くの人材の足跡を軽んじることになるのだろうか。他の野党と合同し、党名を変更することを巨大与党と伍して、その政治と自らの政治を闘わせる勢力拡大のための発展だと位置づけたなら、民主党のこれまでの歴史と足跡の発展を意味することにもなる。

 勿論、失敗することもある。しかしその賭けとすることができる。

 失敗を恐れて賭けもしたくないなら、野党第一党としてそこそこに生き残ることだけを心掛ければいい。

 大体が岡田克也が党名の変更を民主党発展の機会と解釈することは一切せず、“軽んじる”とのみ解釈する感覚は果たして公党の代表の感覚と言えるのだろうか。

 支持者の納得に重点を置いているが、支持者をリードするのが代表の指導力であるはずである。自らの指導力に恃(たの)んで支持者を引っ張っていくことを考えずに支持者の納得に従おうとしている。

 この受け身の態度・従属性からも指導力のカケラも窺うことは無理な話で、とても民主党の代表だと見ることはできない。

 しかも朝日新聞の昨年12月の世論調査での政党支持率は自民36%で、民主たったの8%に過ぎない。他の世論調査も似たり寄ったりだから、たかだか10%前後の支持者を対象に党名に拘っていて、その意向に従うということは民主党を現在支持していない有権者を支持者に変える指導力・方策が代表に求められている状況にさしたる意欲を示していないことの証明としかならない。

 勿論、岡田克也はそんなことはないと否定するだろう。だが、以上見てきたことの全てが、そんなことはあることを示している。

 安倍晋三が夏の参院選で憲法改正に賛同する勢力で改憲の国会発議に必要な定数3分の2以上の議席確保を目指す意向を示したことについて、「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表が1月12日の記者会見で次のように述べている。

 小沢一郎代表「野党がこのままの状況ならば、『3分の2』が現実味を帯びてくる。

 3分の2を獲得させてはいけないという国民の意識も高い。(参院選に向けた野党共闘について)(候補者調整などで)各党が利害を捨てればいい。捨てきれないと全滅だわね。

 まだ半年ある。日本人は『一夜漬け』が得意だから、切羽詰まらないと本気にならないので、希望を捨てていない」(産経ニュース)    

 小沢代表は3分の2阻止は野党連携、あるいは野党の大同団結と、安倍晋三という国家主義者のもとでの憲法改正をを許してならないとする国民の意識の相互作用にかかっていると見ている。

 つまり、そのいずれも欠かしたなら、国家主義者安倍晋三の憲法改正を許すこともあり得ると危機感を露わにしている。

 小沢代表の発言から比較すると、岡田克也の支持者の納得を理由とした党名への拘りや民主党が現在置かれている状況に対して危機感ゼロと言う他ない。

 この危機感のなさからも、代表としての資質の疑わしさを感じざるを得ない。

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岡田克也の2月3日甘利明の金銭疑惑に関わる質疑に見る相手の言葉を見抜く力のなさ 代表の資格はあるのか

2016-02-04 13:12:10 | Weblog

 2月3日衆議院予算委で民主党代表の岡田克也が甘利明の口利き疑惑・金銭受領疑惑に関わる説明記者会見を取り上げて安倍晋三を追及した。質問者がよく陥ることだが、前以て決めて頭に入れておいた追及内容と追及の手順に拘る余り、相手が発した言葉の不適切さを見抜くことができずに自身の追及を続けて、結果的に相手の答弁自体の矛盾を許してしまう過ちを犯してしまうとが間々ある。

 今回の岡田克也もこの手の過ちを犯した。しかも質疑開始早々からそのような過ちを見せてしまった。

 岡田克也「腑に落ちないことが色々とあるんですが、一番違和感を感じたのは甘利大臣が大臣室で50万円を受け取った。直接受け取ったわけではありませんが、後で紙袋を確認したら、中にのし袋に入っていたということですが、この話、ちょっと分からないなあというふうに聞いておりました。

 甘利大臣の話を一般論として聞くのですが、もし総理がご存知のない、全く面識のない人と秘書の紹介でお会いして、もし総理がご存じない、全く面識のない人を秘書の紹介でお会いして、3、40分お話をして、その方が菓子折りを置いていったと。のし袋に入れた50万円が入っていたと。

 そういう場合に総理、これ、政治献金というふうに思われますか」

 安倍晋三「私はそういう経験がございませんし、仮定のお話にお答えすることは差し控えさせて頂きたいと思いますが、大切なことはですね、政治資金規正法に則ってですね、正しく対処していくことではないかと私は思います」

 岡田克也は一般論として聞いた。対して安倍晋三は一般論としてではなく、安倍晋三個人の問題にすり替えて、経験がないから、仮定の話には答えられないと逃げた。

 当然、岡田克也は、「そういうことがあったのか、なかったのかと総理の経験を聞いているのではない。一般的な社会常識として考えた場合、政治献金とすることができるのかどうか、総理自身の社会的な常識を尋ねたのだ」と追及すべきだったろう。

 だが、岡田克也は自分から一般論として聞きながら、安倍晋三の個人的経験へのすり替えの不適切さを見抜く力を持たずに見逃してしまった。
 
 岡田克也「私は当然否定されると思いました。黙っておカネを置いていく。それを政治資金と思う方がおかしい。それが常識だろうと思うですがね。危ないおカネと思う方が普通じゃないですか。

 別にこれ、政治資金だと言ったんじゃなくて、黙って置いていった。しかも祝儀袋に入っていたと言うんですね。これを適正に処理しなさいと甘利さんが言ったということでありますけれども、そういったことあり得るんですか。

 やはり出す方は政治献金、ちゃんとした政治献金として出してないのは明らかじゃないですか。そう思いませんか、総理」

 安倍晋三を一般論に乗せることができないままに岡田克也だけが一般論を展開しているから、それが一般論としては正しい判断だと見られても、対決した状況をつくり出すことができず、否応もなしに同じ質問を単に繰返す気の抜けた追及となっている。

 安倍晋三「私、そういう経験がございませんから。また、そういう方とお会いになるのは今までなかったわけでございます。

 いずれにせよ、大切なことはですね、政治資金規正法に則って正しく対処していくことであるのではないかと思います」

 あっさりとかわされてしまった。一度個人的経験へのすり替えを許してしまったから、二度まで許すことになって、岡田克也がいくら一般論を振り回そうと、有効足り得ないことになる。

 岡田克也「まあ、甘利さんに秘書からおカネが入っていたと言われて、政治資金としてきちんと処理するように指示したと本人が記者会見で言っておられます。勿論、これ週刊誌の報道は全く違うんですが、記者会見のお話をなぞって私は質問しているのですが、後からきちんと処理するように指示すれば、どういう意図で持ってきたか分からないおカネが適正な政治資金になるんですか。

 総理、そういう風に思ってられるんですか、答えてください」

 安倍晋三「繰返しになりますがですね、正しく適法に処理されたのは明らかです。それは問題ないのは当然なことだろうと私は思います。ですから、先程来申し上げておりますように、政治資金については政治資金規正法に則って正しく処理することではないかと、このように思います」

 甘利明の記者会見の説明では渡すとも告げず、当然、何のカネかその用途も告げないままに袋に入れておいたカネを、正規な遣り取りで受け取ったカネであるかのように政治資金規正法に則って適正に処理するように秘書に指示したとしている個人的問題を、安倍晋三はここでは政治資金は政治資金規正法に従って処理するという一般論にすり替える巧妙な答弁を行っている。

 いわば岡田克也の一般論での問いに一般論では答えずに自身の個人問題として答え、岡田克也が一般論上どう見るか、甘利の個人的問題を問い質したのに対して個人的問題としてではなく、法律上の一般論でのみ答えるゴマカシで逃げている。

 岡田克也「総理は正しく処理されているかどうかということですが、では今回の場合は正しく処理されているんですか。つまりおカネを持って面会したのが11月の14日。しかし政治資金の受け取り、その届けがなされたのは翌年の2月4日、この間約3カ月間、このおカネはどうなっていたんでしょうか。つまり領収書も2月4日になっているわけですから、この間、そのおカネは(議員)会館か地元か分かりませんが、事務所に置いてあったということですが、それが果たして政治資金と言えるでしょうか。

 私はそれは当然、意図としては裏ガネだというふうに見ざるを得ないし、3カ月後から領収書を切ったからと言って、正式になるはずはないと思いますが、如何ですか」

 安倍晋三「私が申し上げていることはですね、政治家に於いては支援者からですね、寄付の申し出があったときには、それは間違いなく法律に則って正しく処理していくことであろうと、それに尽きるわけでありまして、それが違法なことであるかどうかについてはですね、当然、私は個々の出来事について、答弁することは適当ではないと、このように思います」

 岡田克也が大臣室と地元事務所でそれぞれ受け取った50万円は一般論(=一般的な社会常識)で考えた場合、正規の政治資金と解釈できるかどうか、一般論としての考えに焦点を当てて追及したなら、安倍晋三の巧妙なすり替えを許すことはなかったはずだ。

 もし自身の個人的な経験で逃げるようなことがあったなら、一国の総理として一般的な社会常識を備えていないのかと批判することができるし、一般的な社会常識を備えていない総理だとのレッテル貼もできる。

 岡田克也は再び黙って置いていったカネだとか、収支報告書への記載が3カ月遅れたとか、同じ質問を繰返した上で、甘利の処置を非常に疑問だと述べてから、次のように問い質した。

 岡田克也「総理は昨日の本会議で安倍内閣の政策が政治献金で影響を受けることはないと断言されました。何を根拠に断言されてるんですか」

 安倍晋三「ないからです」

 岡田克也の方こそが、影響を受けている証拠を握っているのだろうか。握ってもいないのに影響を受けけているのではないかと追及しても、影響を受けていたとしても、それが何らかの証拠と共に表に現れない限り、否定するのは決まりきっている。

 岡田克也「総理、もっと危機感を持たれたら、私はいいと思いますよ。つまり甘利さんのケース、これはですね、相当なグレーですよ。甘利さん自身のカネね。しかも事務所は500万円の内300万円は届けされていない。

 まさしく裏ガネとして処理されているわけでしょ。そういう事務所、そして甘利さん自身も最初に申し上げたグレーなおカネの受け取り方、果たしてそれで、失礼だが、甘利さんは大変大きな権力を持って、安倍内閣の司令塔として、そしてTPP交渉の最終責任者として、様々なことをやっているわけでしょ。

 きちんと検証すべきじゃないですか、総理」

 自身が証拠を握ってもいないのに、一業者に対する便宜供与が疑われていたとしても、他の政策で別の業者に便宜を図っている疑いがないか検証しろと迫ったとしても、ハイ、そうですか、検証してみますとは言わない。

 安倍晋三「その週刊誌、報道されていたようなことがですね、安倍政権の例えばTPP交渉に影響するんですか。経済財政維持に影響するんですか。影響するはずはないじゃありませんか。

 一切ないということははっきりと申し上げておきたいと思います」

 この時点でこの追及を続けても水掛け論となることは見えている。

 岡田克也「私が週刊誌の報道に基づいているのではなくて、こういったおカネにルーズな事務所、あるいはご本人、そういう方が強大な権限を持って、例えばTPP交渉っていうのはそれぞれの業界、あるいはそれぞれの農業に携わる人たちにとって死活問題ですよ。

 関税、殆どの物がゼロになっていますけども、ゼロになっていないものもあるし、ゼロになるタイミングも色々ありますよ。当然、様々な生産者から見ると、責任にかかる話、強大な権限ですよ。そういう権限を持った人がこういう疑いをかけられると言うことについて、私は総理はもっと危機感を持つべきだし、きちんと甘利前大臣にそういうことはないということを確認する責任があるんじゃないですかと言うことを申し上げているんです」

 安倍晋三が甘利明に確認したとしても、甘利は事実そういうことがあったとしても、自身に対する汚名を積み重ねないために自分から明らかにすることはないから、あるなしに関係なしに否定を当然のこととするだろう。

 安倍晋三「TPP交渉、色んな品目が関わっております。岡田委員がですね、影響が出ているんだと言うんならですね、具体的に言ってくださいよ。ないというものについてはですね、ないというものは私はないと言っているんです。

 そこを出さずに一党の、公党の代表として嫌疑をかけるんであれば、具体的にですね、TPP交渉に於けるどういう影響を与えたのか具体的に申し上げなければ無責任なタダの誹謗中傷に過ぎないですよ。

 そのことははっきりと申し上げておきたいと思いますよ。交渉そのものを穢すようなことはやめて頂きたい。このこととそのことは別の問題ですから。そこはハッキリとする必要があると思いますよ。

 甘利大臣は命がけになってTPP交渉、頑張ってきましたよ。そして大筋合意に至ったんです。そんな簡単なことではないんです。甘利さん一人で決めれば、決められるような話ではないんです。内閣の中でしっかりと議論しながら、結論を得て、その中で15品目についてちゃんと守っていくために私たちは昼夜を分かたず交渉して、結果を出してきました。

 結果自体が、交渉行為そのものに影響が、あの(週刊誌の報道の)中に出てくる人物が影響を与えたんですか、そんなはずはないじゃありませんか。具体的な案件でですね、問題があれば、週刊誌の報道に頼らずに具体的な案件で何か言ってくださいよ。

 全くないですね。いきなりそういう言いがかりをされても、私は答えようがないわけであります」

 カメラの方に向かって両手を広げたり、左手を上げたり、ここぞという言葉を発するときに見せる人指し指を一直線に相手に向ける仕草を見せたり、さながら独壇場の感を見せた。

 岡田克也「私が申し上げているのは、総理が本会議場で安倍内閣の政策が政治献金で影響を受けることはないと断言されたから言っているわけですよ。断言された以上、その根拠を必要があるのはあなたの方じゃないですか。

 私は甘利大臣のTPP交渉担当相としての、勿論我々の目指す方向は違うけれども、一定の意見は持ってますよ、具体的な対案と言ってるわけではないですよ。だけど、これだけのことが事務所である、本人も疑いをかけられているわけだから、本人に確認されたらどうですかということを言ってるんです。それはできないと言っているんですか」

 似たような答弁を引き出すだけのムダな議論を費やしているに過ぎない。

 安倍晋三「私はないと言い切りましたよ。ないことはないと証明するのは、あくまでも証明なんです、あるんだということをですね。あるんだと言うんだったら、あるということを主張した方が立証責任があるんです。当たり前じゃないですか。

 私はないと言うことないと言う以外にないじゃないですか。あるんだったら、先程申し上げたように一つでも具体的なことを言ってくださいよ。一つも挙げられていない中でですね、一つも挙げていない、一つも疑いを挙げていないにも関わらず、先程からですね、恰もあるが如くに言っている。

 これはですね、余りにも議論としてですね、バカげた議論であります。しっかりと何か出して頂かなければ、それは我々も答えようがないわけであります。いずれにせよ、甘利大臣については戦犯記者会見をされました。あれは中間的な調査であると述べておられますから、今後しっかりと調査を進めて、それは公表していくとおっしゃっておりますから、私は今後しっかりと責任を果たしていくものと考えております」

 岡田克也「繰返し言っておきますが、ないといったのはあなたなんです。ないといった以上、きちんとないことを説明すべきで、責任があるということを申し上げておきます。

 そしてもう一つ申し上げておきますが、URの問題、あるいは国交省も絡むと。これはこれ安倍内閣の中の問題ですね。ただ本当に問題がないということをきちんと内閣総理大臣として確認して、責任を持って、ないならないと、あなたおっしゃったけど、URの問題も含めてないと、ハッキリとおっしゃる責任があることを申し上げておきたいと思います」

 本日2月4日の衆院予算委員会で民主党の階猛が憲法63条、〈内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかららず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。〉を持ち出して、内閣総理大臣を含めて閣僚は答弁する義務・説明する義務を定めているが、国会議員が内閣に対して説明する義務を負うものではないとして、安倍晋三が2月3日に岡田克也に立証責任を求めたのは憲法違反だと批判したが、これは無理があるように思える。

 岡田克也は甘利明には一業者に対して口利きを行い、カネを受け取った疑惑があるから、TPP交渉やその他甘利明が関わった政策でも同じような便宜供与の疑いがあるのではないかと、その検証を求めた。

 例えば体育の時間で一人の生徒が更衣室で体育着に着替えた際、自身のロッカーに内ポケットに財布入れた学生服をしまっておいたところ、鍵を掛け忘れて財布が盗まれてしまった。同じクラスに以前万引きをした生徒がいるからと、その生徒に盗んでいなことを立証する責任があるだろうか。立証するのは疑った側である。

 もし疑われた生徒が盗んでいなければ、盗んでいないと言う他はない。

 そもそもからして岡田克也が一般論として質問していながら、安倍晋三に一般論ではなく、個人の経験で答弁した不適切な言葉を見抜く力もなく、それを許したところに問題がある。社会的常識に基づいた一般論で答えさせていたなら、甘利明が受け取ったカネはとても正規の政治献金と解釈できることはなかったろう。

 甘利明が「政治とカネ」の疑惑を受けて大臣を辞任した一番の問題点は閣僚の信用・内閣の信用を内外に失ったことである。「政治とカネ」に問題のある大臣がTPP交渉に携わっていた。その信用問題である。

 その結果、TPP署名式に出席できず、副大臣が代わりに出席することになった。署名式に出席する外国の大臣等は今まで顔を合わせていた甘利明の不在を「政治とカネ」と関連付けて頭に思い浮かべることになる。

 「政治とカネ」と関連付けられた人物はカネに関わる信用の度合いがどの程度か、疑いのメガネを通して常に見られることになる。

 岡田克也は甘利明の疑わしいカネの受領によって、それが未だ疑惑の段階であるものの、安倍内閣の政策がそのような政治献金で影響を受けていないか問い質すよりも、疑惑を受けて辞任に迫られた事実を以って日本の政治が大きく信用を失ったことを問い質すべきだったろう。

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安倍晋三の「デフレ脱却」の言葉と共にこのことを甘利明の国民への任命責任とする関係性自体も信用できない

2016-02-03 11:13:46 | 政治

 新聞やテレビが新たな事実を掴んで報道を進めていくにつれ、釈明記者会見の発言とは裏腹に口利き疑惑・金銭受領疑惑が益々深まっていく甘利明辞任の任命責任を2月2日(2016年)の衆議院本会議で問われて、安倍晋三は答弁している。文飾は当方。

 西村智奈美民主議員「甘利前経済再生担当大臣は、大臣の職を辞すればそれで済むのか。甘利氏には説明責任があり、逃げは許されない。安倍総理大臣にも、重い任命責任がある」

 安倍晋三「閣僚の任命責任は内閣総理大臣たる私にあり、私の任命した閣僚が交代する事態を招いたことは、国民に対して大変申し訳なく感じている。

 経済の再生は、安倍内閣の最重要課題だ。正念場にあるアベノミクスを前進させ、デフレ脱却を確かなものとすることにより、国民への責任を果たしていく考えであり、今後さらに緊張感を持って政権運営に当たっていく決意だ」(NHK NEWS WEB/2016年2月2日 17時57分)   

 「アベノミクスを前進させ、デフレ脱却を確かなものとする」ことを以って国民への任命責任とすると確約している。

 いわば甘利の「政治とカネ」の件に関して「デフレ脱却」と国民への任命責任との間に一つの関係性をつくり上げたことになる。

 「デフレ脱却を確かなものとする」と言う言葉の意味は未だデフレを脱却できていない経済状況にあることを意味する。

 安倍晋三はこれまで何度か「デフレ脱却」なる言葉を使って、経済状況の説明としているが、その時々で脱却の程度を異にした経済状況の説明となっている。

 以下、その発言を列挙してみる。

 2015年2月12日の施政方針演説。
 
 安倍晋三デフレ脱却を確かなものとするため、消費税率10%への引上げを18カ月延期し、平成29年4月から実施します。そして賃上げの流れを来年の春、再来年の春と続け、景気回復の温かい風を全国津々浦々にまで届けていく。そのことによって、経済再生と財政再建、社会保障改革の三つを、同時に達成してまいります」――

 「デフレ脱却を確かなものとする」とは、デフレ脱却がある程度まで進んでいるでいるとしていることになる。

 消費税率8%から10%への引上げ18カ月間延期はある程度進んでいるデフレ脱却を完全な脱却とするためだと公約したのである。

 つまり10%増税時2017年4月1日までにデフレ脱却は果たすとの公約でもある。

 その時までにデフレ脱却を果たしていなければ、8%増税時と同様に10%増税によって駆け込み需要を無効化して、再び消費が冷え込む危険性に見舞われないとも限らないとの見立てなのだろう。

 となると、10%増税時軽減税率導入の決定はデフレ脱却を推進するための道具立てではなく、折角果たしたデフレ脱却を後戻りさせないための用心策ということになる。

 消費税増税の延期を決めた2015年2月12日から甘利明の任命責任をデフレ脱却に置いた2016年2月2日まで約11カ月半。延期期間とした2017年4月まであと1年と4カ月。

 つまりほぼ中間地点にまで達している。デフレ脱却はかなり進んでいなければならない。

 2015年9月24日の自民党両院議員総会後の挨拶。

 安倍晋三「アベノミクスによって、雇用は100万人以上増えました。2年連続で給料も上がり、この春は、17年ぶりの高い伸びとなりました。中小・小規模事業者の倒産件数も、大きく減少しました。

 もはや『デフレではない』という状態まで来ました。デフレ脱却は、もう目の前です」

 「デフレ脱却は、もう目の前で」、「もはや『デフレではない』という状態まで来た」と言っている。

 2015年2月12日の時点でデフレ脱却がある程度まで進んでいると見立て、7カ月後の2015年9月24日の時点でデフレ脱却はもう目の前の経済状況だと見立てた。

 このことは5日後の2015年9月29日の国連総会出席時のニューヨーク内外記者会見の発言と整合する。

 安倍晋三「日本はアベノミクスの三本の矢の政策によって、雇用、所得環境については明確に改善しております。これは、事実が我々の政策の正しさを示していると思います。そして、デフレ脱却までもう一息、というところまで来ていますし、我々は成長できる国へと確実に生まれ変わりつつあります」――

 「もう目の前」と「もう一息」と言葉は違えても、言っている意味は同じで、出口が見えてきたことを安倍晋三自身の判断としていたことになる。

 実際に安倍晋三の目にははっきりと出口が見えていて、その出口に相当な自信を持っていたのだろう。

 2015年10月7日の第3次安倍改造内閣発足記者会見。

 安倍晋三「安倍政権発足から1000日余りが経ちました。アベノミクスにより雇用は100万人以上増え、給料は2年連続で上がりました。もはやデフレではないという状況をつくり出すことができました。国民の皆さんの努力によって日本は新しい朝を迎えることができました」――

 とうとうデフレ脱却の出口に到達、出口から外に出ることができた。勿論、後戻りということもあるから、そのことに気をつければいいことになる。

 2015年10月16日の「未来投資に向けた官民対話」でも同じ発言をしている。

 安倍晋三「我々は2年10カ月前に政権を担当することになりまして、15年続いてきたデフレから脱却していく、この大きな目標を掲げたわけでありますが、2年10カ月後においてデフレではない状況を作り出すことができた。このように思っております。これも当初は、それは相当困難な目標であると言われてきたわけでありますが、確実にしっかりと正しい政策を勇気を持って果敢に進めていくことによって、前進するのは事実であるということを証明できたのではないかと思います」

 二度までも同じことを言っているのだから、デフレ脱却は余程の経済状況の変更がなければ、後戻りすることのない真正な事実と受け止めなければならない。

 ところが2015年11月6日の読売国際経済懇話会講演会では、発言が後退している。

 安倍晋三「雇用は100万人以上増えました。正社員に限った有効求人倍率も、2004年の統計開始以来、最高の水準になっています。足元では、1年前と比べて、正規雇用は21万人増加しています。

 賃金も増加を続けており、今年の春は17年ぶりの高い伸び率となりました。先週発表された経団連の集計では、大手企業の冬のボーナスは平均で91万円を超え過去最高を更新しました。

 日本経済は、デフレ脱却に『あと一息』のところまでやってきました。そして、日本は、もう一度成長することができる。その確かな自信を、私たち日本人は取り戻しつつあります」――

 「デフレではない状況を作り出すことができた」と言っていたのが、「あと一息」に逆戻りしている。何ら説明がないのだから、後戻りの経緯を踏んだ結果の「あと一息」ではない。

 この発言から23日後の2015年11月29日の自民党立党60年式典での挨拶でも同じことを言っている。

 安倍晋三「成長か分配か、どちらを重視するかといった論争に終止符を打ちます。1億総活躍社会とは、成長と分配の好循環を生み出す新たな経済社会のシステムの提案であります。

 もう早くも、『そんなことはできない』。やる前からこんな批判が起こっています。3年前もそうでしたね。「三本の矢」でデフレ脱却に挑む、と言ったら「それは無理だ」「無鉄砲だ」と批判された。しかし、いま私たちは、デフレ脱却までもう一息までというところまでやってきたんです」――

 デフレ脱却の出口から無事外に出たはずだが、逆に出口を再び遠のかせてしまった。

 と思いきや、2015年12月14日の「内外情勢調査会2015年12月全国懇談会」では再び長いトンネルを抜けて外に出たと宣言している。

 安倍晋三「この20年近く、日本は、長いデフレに苦しんできました。しかし、経済の好循環によって、私たちは、『もはやデフレではない』という状況をつくることができました」――

 こうも発言がコロコロと変わる。どちらの言葉に信用を置いたらいいのか、迷わない国民はいるだろうか。

 但し2016年1月4日の「安倍晋三年頭記者会見」での発言を安倍晋三の迷いのない正しい判断と見るべきだろう。年頭記者会見早々に間違った判断をさも正しい経済状況であるかのように発言するとは思えないからだ。冒頭発言の中で以下のように述べている。

 安倍晋三「私たちも、この3年間『経済最優先』で取り組んできました。まだまだ道半ばではありますが、『もはやデフレではない』という状況を作り出すことができました」

 再び出口から外に出たことを自信に満ちた言葉で宣言した。

 この発言を質疑に入ってから問われた。

 ハーディング記者「ファイナンシャル・タイムズのハーディングと申します。

 総理は、『もはやデフレではない』という状況に入りますが(状況に入りましたと発言しました)が、まだインフレ率は0%に近いのに、早く(も)デフレ脱却したと発表する恐れがないと思われますでしょうか。もうデフレを脱却したということは、早過ぎるのではないでしょうかということです」

 未だ日本語が得意ではないようだ。

 安倍晋三「私は、デフレではないという状況を作り出すことはできた、こう申し上げておりますが、残念ながらまだ道半ばでありまして、デフレ脱却というところまで来ていないのも事実であります」

 どっちが事実なんだよと言いたくなる。

 「もはやデフレではないという状況を作り出すことはできた」ことも事実であるし、「デフレ脱却というところまで来ていないのも事実」だと、ほぼ正反対の二つの事実を並べて、二つとも正しい事実、正しい判断だとしている。

 どう見ても、信用の置ける発言・判断とすることはできないが、これまで見てきた通り、そもそもからして「デフレ脱却」の程度に関する発言がその時々で違っていること自体に信用を置くことはできない。

 にも関わらず、安倍晋三が自身が大臣に任命し、口利き疑惑・金銭授受疑惑の責任を取って辞任した甘利明に対する国民への任命責任を「デフレ脱却」に置く。

 この関係性を誰が信用できるだろうか。

 兎に角安倍晋三の言葉には信用が置けない言葉が多過ぎる。

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安倍晋三の同一労働・同一賃金は自身の国家主義とアベノミクスの自己否定、同一を掲げること自体がマヤカシ

2016-02-02 09:39:28 | Weblog

 勿論、断るまでもなく同一賃金・同一労働が望ましい。正規社員と非正規社員で同一の労働をしながら、身分の違いで賃金に格差をつけられるのは納得できない。

 だが、安倍晋三が同一労働・同一賃金を掲げるのは自身の国家主義とアベノミクスの自己否定そのもので、掲げること自体がマヤカシ以外の何ものでもない。

 大体からして安倍晋三が先頭に立ってアベノミクスに於ける成長戦略の柱の一つとして掲げ、「多様な働き方を求める労働者のニーズに応える」とか、「柔軟な働き方の実現を目指す」、「正社員を希望する人に道を開くための法案だ」とか言って推し進め、2015年9月11日成立、2015年9月30日施行の「改正労働者派遣法」正式名「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律」は最長3年の派遣期間の撤廃、その代わりに企業内の同じ部署で働ける期間を3年に制限することで、その部署で別の派遣を採用することで入れ替わりに派遣を永遠に働かせることができるのだから、派遣労働者の利益よりも企業利益優先の法律であって、当然、企業利益を削ることになる同一労働・同一賃金は自身の国家主義にもアベノミクスにも反することだから、何一つ謳っていない。

 この法律で謳っているのは「均衡を考慮した待遇の確保」、いわば均衡待遇のみである。

 〈第30条の3 派遣元事業主は、その雇用する派遣労働者の従事する業務と同種の業務に従事する派遣先に雇用される労働者の賃金水準との均衡を考慮しつつ、当該派遣労働者の従事する業務と同種の業務に従事する一般の労働者の賃金水準又は当該派遣労働者の職務の内容、職務の成果、意欲、能力若しくは経験等を勘案し、当該派遣労働者の賃金を決定するように配慮しなければならない。〉――

 しかも安倍晋三が同一労働・同一賃金を政策として掲げたのは今年に入った2016年1月22日の施政方針が初めてである。それ以前は掲げてはいない。

 安倍晋三「非正規雇用の皆さんの均衡待遇の確保に取り組みます。短時間労働者への被用者保険の適用を拡大します。正社員化や処遇改善を進める事業者へのキャリアアップ助成金を拡充します。契約社員でも、原則一年以上働いていれば、育児休業や介護休業を取得できるようにします。更に、本年取りまとめる『ニッポン一億総活躍プラン』では、同一労働・同一賃金の実現に踏み込む考えであります」

 アベノミクスによって国民の間の経済格差が拡大して、アベノミクスは格差ミクスの声が高まったことが夏の参院選に不都合な事実となっていることから国民受けに急遽打ち出したと同一労働・同一賃金と言うことなのだろう。

 この証拠に2015年5月12日衆議院本会議での答弁を挙げることができる。文飾は当方。

 安倍晋三「均等・均衡待遇についてお尋ねがありました。

 同一労働に対し同じ賃金が支払われるという仕組みは、一つの重要な考え方と認識しています。

 しかし、ある時点で仕事が同じであったとしても、様々な仕事を経験し責任を負っている労働者と経験の浅い労働者との間で賃金を同一にすることについて、直ちに広い理解を得ることは難しいものと考えています。

 このため、今回の改正案では、賃金、教育訓練及び福利厚生の面で派遣先の責任を強化するなど、まずは派遣先の労働者との均衡待遇を進めることとしており、これらを通じ、派遣で働く方の待遇改善を図ってまいります」――

 一見正当性ある答弁に見えるが、文飾を施した個所にゴマカシがある。「様々な仕事を経験し責任を負っている労働者と経験の浅い労働者」が同じ職場、あるいは同じ部署で働いたとしても、前者は後者に対して何かと仕事を指示し、監督する役目を負っているから、同じ仕事をしているようでも同じ仕事ではない。それなりの負担とそれなりの責任を負っている。

 正規の方が少しぐらい勤続年数が長くても、上の者の指示を受け、監督される同じ立場で同じ仕事をしながら、正規だからいくら、非正規だからいくらと、最初から賃金を固定していることが問題となっているのに比較できない対象を持ち出して比較するゴマカシで同一労働・同一賃金を排除している。

 こうしてゴマカシていた安倍晋三が年が明けて急に同一労働・同一賃金を言い出した。参院選対策以外の何ものでもないだろう。

 いくら安倍晋三が同一労働・同一賃金を掲げたとしても、アベノミクスが企業利益優先であることに変わりはない。小泉内閣の2004年3月1日労働者派遣法改正によって製造業への派遣が解禁となり、年々非正規労働者が増加、総務省の労働力調査で10年後の2014年には約400万人に増加。非正規労働者が全労働者の約4割を占めるようになったと1月28日の「そこまで言って委員会」でエコノミストの森永卓郎が解説していた。

 勿論、賃金格差が拡大していないなら問題はない。《平成26年分民間給与実態統計調査結果について》国税庁企画課/平成27年9月) によると、民間企業社員2014年の年収平均は前年比0.3%増の415万円(2年連続増)。雇用形態別の平均年収正規労働者が1.0%増の478万円、派遣社員等の非正規労働者が1.1%増の170万円となっている。 
 
 確かに非正規労働者の賃金もここに来て増えているが、正規労働者の伸びに対して0.1%多いだけで、両者間には2.8倍・300万円の格差が厳然として立ちはだかっている。

 このように安倍晋三のアベノミクスは上がより富み、下がほぼ現状のままに置き去りにされる格差の経済を構造としている。日銀の異次元の金融緩和が生み出した株高・円安によって株やその他の金融資産を持っている高額所得者は富を増やし、金融資産に無縁の一般国民は逆に円安による生活物資の値上がりで生活を苦しめられることになった。

 だが、こういった格差の出現は安倍晋三が首相である以上、極く自然なことである。なぜなら、安倍晋三が国民の豊かさよりも国家の豊かさを優先させる国家主義者だからである。

 国家の豊かさを政治や軍事、外交の力に変えて、それを国家の総合力とし、その総合力を以って日本の国際的地位を高めようと意図している。

 このことは安倍晋三が国民の豊かさを実質賃金に置かずに主として「総雇用者所得」に置いているところに象徴的に現れている。

 統計上、給与が上がっても実質賃金が下がる現象、あるいは個人消費が伸びない現象はそこに格差が否定し難く存在していることの証明以外の何ものでもないのだが、給与や企業が負担する厚生年金負担金等それぞれの収入の国民全体で合計した「総雇用者所得」を国民の豊かさの指標として持ち出すのは、当然、その背後にある格差を隠す意図を同時に働かせているからであろう。

 例えば中低所得層の収入が増えなくても、高額所得者や大企業が株や円安による為替益で2倍、3倍の収入を増やしたなら、当然「総雇用者所得」は増えることになるが、一方で生活実態にさしたる変化のない国民の多くの存在、正規社員よりも給与が格段に低い非正規社員の2014年の人数で言うと約400万人の存在まで一括りして国民の豊かさの指標とすることができるのは、安倍晋三が国民の豊かさよりも国家の豊かさを優先させる国家主義者だからである。

 当然、安倍晋三が正規・非正規の身分に関係なく、一労働者として立場を同じくして同じ仕事をする場合の同一労働・同一賃金を打ち出すことは自身の国家主義にも反するし、国家主義が生み出すことになったがゆえに格差拡大を構造とすることになったアベノミクスに対する自己否定そのものとなる。

 自己否定は自身の国家主義もアベノミクスも成り立たせ不可能とすることだから、そのようなことがあり得ないこのは当然で、同一労働・同一賃金を掲げること自体がマヤカシであり、参院選対策であることを持ってこなければ、そのマヤカシに妥当性を見い出すことはできない。

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身長195センチ20歳の男が3歳児相手に人生最大の自己実現を果たし、スーパーマンもどきに変身した瞬間

2016-02-01 09:41:02 | 教育

 1月27日(2016年)未明、東京大田区のマンションで3歳の男の子が心肺停止の状態で見つかり病院に運ばれたが、まもなく死亡した。病院の医師が「子どもの体中にあざがあり、虐待の疑いがある」と警察に通報、警視庁が調べたところ、22歳の母親と同居中の20歳の男が暴力を振るって死に追いやったことが判明、男は逮捕された。

 各マスコミ記事から、暴力を振るうに至った経緯を見てみる。

 男は暴力団員で1月8日頃から女性の部屋で同居を開始。身長195センチ・体重は120キロの体格だというから、その体格だけで相手を威圧させるに十分過ぎる程の風格に恵まれていたことになり、暴力団員としての将来性は不足のないものであったに違いない。 

 男は1月18日頃から「しつけ」と称して平手打ちをするようになったと言う。

 要するに新しい父親、あるいは新しく現れた大人の男に幼い3歳の男の子が慣れ親しむ態度を取らなかったから、自分自身に慣れ親しむ態度を取らせるしつけのために、言葉を替えて言うと、自分の言うこと聞かすしつけのために平手打ちをするようになったということなのだろう。

 子どもの身長は98センチだという。ネットで調べると、身長98センチに対する体重は15キロ前後が一般的であるらしい。

 1月8日から女と同居し、その10日後の1月18日には身体的強制力で身長98センチの子どもを言いなりにしたい衝動を抑えることができずに身長195センチ・体重120キロの体格の男が性急にも平手打ちという形に出た。

 この衝動は性急であるだけに子どもの人格を尊重して、少なくとも子どもの気持や思いを汲んで穏便な大人と子どもの関係を築こうとする思いとは正反対の、自分の思い通りの子どもにしたい支配欲求が強く働いていたことになる。

 見知らぬ大人の平手打ちは子どもにとっては謂れのない暴力であって、子どもの反発を買うのは当然であるが、その反発が子どもに対して支配欲求を持った大人の反発をなおさらに誘い、なおさらの反発が支配欲求を更に強めることになって、それが更に強度の身体的強制力となって噴出するという経緯を取ったのだろう。

 1月18日から1週間後の1月25日夜、20歳の男は、警察の調べによると、身長195センチ・体重120キロの身体で踵を振り下ろすようにして男の子の頭を蹴ったり、ガラスケースに向かって投げつけたりして1時間以上暴行を続け、子どもがぐったりしてからようやく終わったという。

 暴行の理由を「睨みつけてきたので頭にきた」と供述したという。

 それで普段以上に血がのぼって、カッとなり、平手打ち程度で自分の言いなりにしようとした支配衝動では済まなくなった。

 身長195センチ・体重120キロの身体の大きい若い男が相手が身長は半分の98センチ、特に体重が約8分の1の15キロ前後の身体なら、赤子の手をひねるに似たたやすさで投げつけたり、振り回すのはそれ程難しくはなかったはずだ。

 それを1時間以上も続けた。身体の大きいその男にとって身体の小さな子ども相手では1時間以上続けることもできたろう。子どもがぐったりしなければ、更に続けたに違いない。

 そのときの暴力は反撃できる力を相手が持っていないことを前提とした安心感に支えられて自由無碍(何ら妨げるものがなく、自由自在であること)の万能さを感じさせたに違いない。暴力の万能感を通して3歳の男の子を完璧に自分の自由にすることのできる支配欲求を満たしていた。

 実際に自由自在に扱った。スーパーマンもどきの万能感を味わっていたとしても不思議はない。スーパーマンのようなヒーローに変身して、これでもか、これでもかと力が湧き上がるのを感じていたのかもしれない。

 万能感を持たせた支配欲求を満足させていたことは逮捕後の供述、「やることはやった。悔いはない」の言葉に如実に現れている。

 子どもを自分の遣り方で完璧に支配した。いわば自己実現を果たした。

 ここで言う自己実現とは「可能性としてある望ましい自己の在り様の実現を目指すこと」を言う。

 例えば男の子が将来野球選手になりたいと思って野球少年の生活を送っている場合、野球選手としての可能性の実現を追い求めることを指す。

 暴力を振るったその1時間が、その男が暴力団員としてスーパーマンもどきのヒーローに変身して人生最大の自己実現を果たした瞬間だったのである。

 暴力団員にとっての暴力発揮は最大の活躍であり、自己実現の方法でもある。

 このことの全てが「やることはやった。悔いはない」の言葉に凝縮されている。

 この暴力はまた、イジメと同じ心理構造を持っていて、陰湿なイジメが止めどなくエスカレートしていく構造をも備えている。

 20歳の大の男の3歳の幼い男の子に対するイジメでなくて何であろう。

 イジメは何らかの威嚇を利用して相手を恐怖させ、その恐怖を以って相手の人格や行動、感情を支配する権力行為であって、それが学校生活の中で自身にとっての活躍の機会ともなっているゆえにイジメを通して自己実現を果たしていると言うことができる。

 当然、学校はイジメの防止のためには「自己実現」という言葉を使って、その言葉が難しい年齢の子どもに対しても、何回も使うことで自然に覚えていく慣習の力を借りて、「将来どのような職業に就きたいのか」と将来の自己実現を問うだけではなく、学校生活でのその時々の自己実現――テストの成績を少し上げたいとか、今度は県の少年野球大会に進みたいとかの自己実現を常日頃から問い、確かめる教育を通して、イジメや万引きといった活躍を通した歪んだ自己実現に走らないよう心掛けなければならないことになる。

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