北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

US-2を増強せよ-2.5,飛行艇を維持するならば相応の調達と製造能力維持を,不要ならば代替装備取得を

2022-10-31 07:01:41 | 日記
■防衛産業の視点から
 今朝は頂きましたコメントへの御返事という形で補足的な話題を。

 US-2を増強せよ、この主眼は便利だから残すべき、こういう論調にもなっていますが、最も重要なのは"救難飛行艇を残すならば製造ラインが維持できる数を発注すべき"であり"製造ラインを残す数を発注しないのならば部隊を解散して別の手段で救難体制を確立しなければならない"という。現状は若干機必要、新明和の苦労は知りません、といわんばかり。

 製造ラインを維持できる数としては、毎年1機か3年間で2機で中期防あたり4機の継続的発注、中期防あたり3機では製造ラインを維持できないし、現状として部品メーカーの撤退が相次いでいる為にこのままの維持では残り若干機を製造してそのまま製造終了となり海上自衛隊から飛行艇という装備が消える。これを防衛省も認識しているはずですがね。

 対潜支援任務や情報収集などの用途を挙げましたが、救難用として外洋に発着できる飛行艇があることで本土から遙かに離れた海域で例えばP-1哨戒機などの遭難事案に対応することが目的ですので、単純に救難飛行艇に新しい用途を見いださずとも、もう一つ飛行隊を例えば那覇航空基地に新編するだけでも良いのです、調達数は増えるから最善ではある。

 OH-6観測ヘリコプターにAH-1S対戦車ヘリコプターとRF-4戦術偵察機、防衛省は後継機調達に失敗してそのまま自然死のようなかたちで形式消滅している機体が幾つもある、しかし、OH-1観測ヘリコプターにAH-64D戦闘ヘリコプターやRF-15戦術偵察機を必要数調達を計画していた以上、元々必要ではなかった航空機ではないのです、正に自然死だ。

 US-2救難飛行艇、外洋で発着できるいまのところ唯一の飛行艇で、特に自衛隊、というよりも政府が南シナ海に防衛力の関心を向ける以上、日本の洋上での航空運用は欠かせない、こうした航空部隊を運用する以上は事故に備える必要がある、事故がないことに越したことはないが福島第一原発のようにそれがあったときに打つ手なしは困る。対策は要ります。

 V-22オスプレイとKC-130空中給油機を海上自衛隊が必要数揃えるならばUS-2救難飛行艇などを置き換えることはできるかもしれません、絶対にUS-2を揃えなくとも、予算さえ気にしなければ代替装備は揃えられます、ただ、US-2はこの滅茶苦茶な調達計画でも170億円に抑えており、V-22とした場合は遠くない将来の生産終了を見越す必要が出てくる。

 部隊を維持するならば製造も維持しなければならない、製造を維持するならば製造ラインを維持できる調達を行わなければならない、考えてほしいのは逆であっては駄目だろうという事です、つまり人員がいない装備は使えないということであり、募集難の現在に防衛省はこれを認識している筈なのに、装備と人、逆転の視点でなぜ見られないのか、という。

 新明和工業は努力している、ならば防衛省もUS-2を増やす努力をすべきでがんばっている防衛産業をこれ以上苦しめる施策を続けるべきではないのです。もっとも、部隊を増やさずともかつて潜水艦を16年で退役させていたように、毎年1機調達し数年で退役させ、中古機を輸出するという選択しもあるのですが、なんとなれ防衛省も努力が必要なのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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三菱機動装甲車-東京九州フェリーターミナルにて目撃情報,次期装甲車選定のパトリアAMVへの優位性を考える

2022-10-05 07:00:40 | 日記
■話題の自衛隊新型装甲車
 三菱機動装甲車、見てみたいもので幸運というのはどのあたりで決まるのだろうと呟いたらば隣の芝は青いと言われてしまいました。

 三菱重工が開発中の“機動装甲車”が東京九州フェリーのターミナルにて目撃され写真を撮影した方のSNS投稿が話題となっている、昨日こちらのコメントなどでお教えいただきました。撮影された写真は検索しますとすぐ見つかりましたが、三菱重工の16式機動戦闘車車体を応用した派生型、APC型と機関砲塔を備えたFV型が夜景に映えていました。

 機動装甲車は、96式装輪装甲車の後継として開発され、フィンランド製パトリアAMV装甲車と共に競合している車輛です。96式装輪装甲車については、兎に角安価という利点がありますので、御本家フィンランドがAMV装甲車とともに安価なパシ装甲車を並行調達している通り、耐爆車両や汎用装甲車としてハイローミックスすべきと考えているのですが。

 完成度が高い、こういうのが率直な印象です。実はDSEI-JAPAN2019においてこの機動装甲車の原型車が三菱重工により展示されていたのですが、16式機動戦闘車の車体をそのまま転用しただけの安普請な車両にみえまして、何か不採用となった60式装甲車原型で不採用となった小松製作所の56式装甲車Ⅰ型のような無理矢理の形状という印象でしたが。

 東京九州フェリーのターミナルにて撮影された車体を見る限り完成度は高く、三菱重工はありあわせの車体でパトリアAMVに挑むというものではなく、真剣に装甲車として開発している事が読み取れました。パトリアAMVはアフガニスタンで実証された非常に高い防御力の実績と稼働率、IEDと重機関銃とRPGの同時攻撃に耐えた実績が利点といえます。

 16式機動戦闘車の改良型を将来開発する可能性を残すならば機動装甲車、防御力と共に水陸両用性能などを評価するならばパトリアAMV,というのが率直な印象でしょうか。パトリアAMVの利点をもう一つ加えると浮行性能があり、例えば津波被災地の長期浸水地域などはそのまま踏破できるのですね、水害で水没した街路を踏破する事もできるでしょう。

 将来改良する余地はあるのか、こう前述しましたのは、16式機動戦闘車も遠からず120mm砲の搭載を迫られる時代が来るためです。この種の装備の鏑矢は、まあフランスのAMX-10RCや南アフリカのロイメックなどはありますが、装輪戦車と讃えられたのがイタリアのチェンタウロです、これは装甲偵察車ではなく第二世代戦車の後継という位置づけ。

 チェンタウロは105mm砲を搭載していましたが、その車体を応用しフレシア装輪装甲戦闘車が開発、この際に車幅を拡張した為、このフレシアを逆に機動砲に再転用したのがチェンタウロ2なのですが、主砲は105mmから120mm砲となりました。当初はユーロサトリ国際装備展に出された程度でしたが、2021年にイタリア軍がその採用を決定しました。

 APFSDS弾よりも現在世界ではHEAT-MP弾の開発が主流です、これは戦車以外の標的を想定したものなのですが、戦車に対しても威力は大きく、MP弾の特性として初速による威力減衰が限定的です。すると低圧砲でも意味があるのですね、国産装備の将来発展性を考えるならば120mm砲型機動戦闘車を見込み、まず装甲車を国産とする選択肢も、あるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ミサイル防衛専用艦,ひゅうが型設計応用案の備忘録,16DDH原案回帰といえるSPY-7用上部構造物追加案

2022-09-05 07:00:34 | 日記
■ミサイル防衛専用艦
 考えてみればミサイル防衛専用艦に提案したこの形状は昔ものすごい議論になったあの"16DDH原案"そのものなのか、ふとそんな事に昨日気付かされました。

 ミサイル防衛専用艦ひゅうが型設計応用案について。ひゅうが型護衛艦の全通飛行甲板中央部にSPY-7レーダーアンテナを配置するという方式は、考えてみれば護衛艦ひゅうが型がまだ16DDHと呼ばれていた頃、イメージ図として示された全通飛行甲板を採用していない頃の、中央部に巨大な構造物が配置されていた案に先祖帰りしたような案なのですね。

 16DDH、今考えれば牧歌的で平和な時代ですが、提案された2000年前後にはまだ全通飛行甲板型の艦艇は、航空母艦なので根拠は無いけれども憲法違反だ、こうした認識と気風が空気の様に立ち込めていた時代がありました。そんな中で海上自衛隊が護衛艦はるな型の後継となるヘリコプター搭載護衛艦を要求する際に、不思議な形状の案を出しました。

 ひゅうが型は全通飛行甲板構造を採用していますが、防衛省が提示したイメージ図には全通ではなく、飛行甲板の中央部に今の護衛艦ひゅうが型艦橋構造物に沿って船体を両舷に横断する大型格納庫のようなものが描かれていまして、余りに無駄な構造物であろうし航空機発着には危険だ、と当時はかなり議論され江畑謙介氏など専門家には批判されました。

 ミサイル防衛専用艦ひゅうが型設計応用案、イメージとしてはあの“16DDH原案”への回帰です。陸上用に製造されるSPY-7レーダーは大きさや重量の制約が無い為に、まや型など自衛隊のイージス艦には搭載は厳しい大きさなのでしょうが、ひゅうが型であれば満載排水量で19000tあり、多少レーダーが重くとも航空機を積まねば復元性は失われません。

 16DDH原案、この設計図が有るとは思えませんが、IHIには護衛艦ひゅうが型建造時の設計図がありますので、機関部や船体構造などは踏襲する事で設計費を浮かせられます、そして、迎撃用スタンダードSM-3を搭載するVLS,ひゅうが型にはVLSは16セルしかありませんが、二つあるヘリコプター用エレベータを転用すれば、61セルVLSを複数積める。

 ヘリコプター用エレベータの位置をVLS区画に転用すれば、244セルくらいのVLSは余裕で搭載できます。また、航空機を搭載しないのであれば航空機格納庫区画をそのまま乗員居住区に転用できますので、全乗員に個室を用意し、士官室と先任下士官室に加えて乗員娯楽施設や休息施設も追加出来るでしょう。16DDH先祖帰り、一つの選択肢とは思います。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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74式戦車の近代化改修について,第三世代戦車と共存し二〇二〇年代生きるドイツ戦車"レオパルド1"に学ぶ

2022-08-25 20:13:42 | 日記
■榛名防衛備忘録
 第7師団特集から始まりました視点の74式戦車は改修によりもっと第一線の能力を維持できたのではないか、この論点を今回はもう少し進めてみましょう。

 74式戦車を90式戦車の製造中に90式戦車の予算を削って近代化改修するよりも、90式戦車の量産を急ぐ施策を考えた方が良かったのではないか。この視点について論述しましたが、ここでレオパルド1戦車の事例という、実は論理として大事な部分が片手落ちである事を気付かされました。少し長くなりましたが、今後の戦車運用への視座を示したい。

 74式戦車の近代化改修は90式戦車が開発される前に行われるべきであった、レオパルド2戦車は1970年代末に開発されていましたから、所謂熱線暗視装置など74式戦車の問題点である夜間戦闘能力は1980年代に顕在化しており、特に90式戦車は第三世代戦車としては後発、その後発の後ろにはルクレルクやアリエテやメルカヴァMk4くらいでしょう。

 90式戦車は元々1988年に制式化を目指していましたので、74式戦車の開発は寧ろこの90式戦車の開発と並行し、遅延が明確となった時点で量産改修を行うべきだった、または制式化から十年を経た1984年の時点で改修を行うべきであったとも思う。他方、レオパルド1A5のリカオン樹脂装甲のような追加装甲については適宜行われるべきだとは思いますが。

 しかし、これは戦車として使う場合、これに限るのですね。873両という多数が生産された74式戦車も、運用基盤は確実に整備されているのですから、主力戦車としての厳しい機動には随伴が難しくなるのかもしれませんが、支援車輛や機甲科以外の装備に充当するという選択肢ならば、もちろん90式戦車の陰に隠れてしまう事にはなりますが、考えられる。

 75式装甲ドーザ、例えば施設大隊は装備する装甲ドーザの後継車両や92式地雷原処理車など、施設科車輛にはかなり応用できたのではないかと、後知恵ではあるのですが、振り返ります。こう考えると運用できる幅は実はひろい。大隊本部の指揮通信車にも応用できますし、なにしろ戦車ですし、老朽化が進んでいたとしても使い方次第で負担は抑えられる。

 レオパルド1を日本で視る事になるとは思わなかった、こう表現しますとさてオーストラリア軍かカナダ軍の戦車隊が東富士当たりで演習しただろうか、と思われるかもしれませんが、そちらではなくイギリス軍の車両です。いやいやイギリス軍はチーフテンとセンチュリオンでレオパルド1は使っていない、反論があるかもしれませんが、少しだけ違う。

 ヒッポ沿岸工兵車両、車体はレオパルド1ですが揚陸艦の専用車両で沿岸部において擱座した車両の支援や、離岸できなくなった揚陸艇を押し出す等の任務に当る車両で、揚陸艦アルビオンの晴海埠頭一般公開が行われた際に公開された車輛の一つ。レオパルド1は戦車としては先が見えていますが、こうした支援車輛として長期間、残ってゆく事でしょう。

 74式戦車の車体を応用するならば96式自走迫撃砲などにも転用出来たのではないか、こう書きますと、成程、砲塔を外して車体に120mm重迫撃砲を設置し、その上に砲塔を載せ、車長ハッチから砲身を車長の代わりに突き出して砲手用ハッチから装填手が身を乗り出して装填し射撃するという、遠景からは戦車なのか違うのか擬装する運用も可能でしょう。

 96式自走迫撃砲の代替、ただ上記の使い方はあんまりなので、例えばM-36駆逐戦車の様に74式戦車の砲塔上部を切り取って重迫撃砲の射撃を可能とさせる、無線機設置や弾薬庫の配置に考慮した試案、若しくは砲塔を取り去って車体に迫撃砲を直に東備する方式、AMOS自動迫撃砲システム用砲塔を載せる高級な案など、考えられるかもしれません。

 AMOS自動迫撃砲システムはスウェーデンのボフォースが開発した後填式迫撃砲で、双連式に装備した120mm迫撃砲を自動装填により射撃するというもの、射程は11kmですが緊急時には水平射撃が可能であり、火力支援車輛としても重宝します。CV-90装甲戦闘車などに車載するシステムであり、74式戦車の砲塔よりも軽量に設計され、反動もすくない。

 自走迫撃砲、74式戦車は老朽化により懸架装置や駆動系に寿命が来ている事は事実ですが、しかし砲塔を取り外すか軽量化するならば、車体そのものがかなり軽量化させる事が可能となります。これは駆動系や懸架装置への負担軽減を意味し、装備としての寿命を延ばすことになりますし、また90式戦車など第一線の戦車への随伴能力を高める事にもなる。

 JMRC-C60局地無線搬送端局、師団通信システムの通信基地局で通常高機動車に搭載されました、第7師団では73式装甲車を用い機動しており、第2師団では96式装輪装甲車を駆使していました。これは30km圏内の無線通信基地局を構成する装備であり、JMRC-R60通信中継装置とともに運用すると指揮所から60km圏内の音声とデータ通信が可能となる。

 73式装甲車に搭載されていますが、JMRC-C60局地無線搬送端局そのものの大きさは1600kgであり全長2.7mと幅2.2mですから、これこそ73式装甲車でなくとも74式戦車の砲塔を取除いた車体部分にも積載は可能となるのですね。第7師団が73式装甲車に搭載している背景には戦車を中心とした機甲師団は高い機動力を発揮する為、求められたもの。

 JMRC-C60局地無線搬送端局、今では新野外通信システムの搬送端局が最新型ですが、この搬送端局が展開していなければ通信が成立ちません、そして戦車は不整地でも遠慮なしに踏破しますので高機動車では随伴できないという状況に対応するべく、73式装甲車を用いている。しかし、退役する74式戦車の車体を利用しても必要な機動力は確保できます。

 通信部隊に74式戦車の車体という提案なのですが、JMRC-C60局地無線搬送端局は操作要員が3名ですので74式戦車でも対応出来ます、また戦車の方がエンジンは強力で器材に必要な発電能力も確保され、またこの器材は装甲車の後部扉は必要ない。例えば90式戦車の量産を急いでいれば、73式装甲車を普通科部隊から通信部隊に移管せず済んだということです。

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74式戦車の近代化改修について,遅すぎた74式戦車G型と生産基盤維持を優先した防衛行政と改修停止への疑問

2022-08-23 07:01:41 | 日記
■榛名防衛備忘録
 日曜特集にて第7師団を紹介しました際に興味深うコメント投稿を頂きましてお返事を作成していましたが、長くなりましたので朝の話題として記事に仕上げてみました。

 74式戦車の近代化改修について。74式戦車は4両のみ暗視装置を熱線暗視装置に切替えた改良型が開発された。このところ真剣に考えるのは1993年に完成した改良型試作ですが、評価試験が完了したのは1995年、この時点で戦車1200両体制から900両体制へ転換が決定していた為に、90式戦車の製造を削って74式戦車の改修を行うという選択肢の場合は、“90式戦車の製造が年産20両を下回る状況”で両立しえなかったのでは、と。

 陸上自衛隊は戦車国産基盤を維持する事を留意したからこそ、90式戦車の量産と両立しえないとして、74式戦車改修予算を断念せざるを得なかった、防衛費削減を覆すだけの政治力を背景に持てなかったのでは、と考えてしまいます。実際、74式戦車では三菱重工は“製造ライン”で生産していた、月産5両という規模でしたが、これが90式では難しくなった。これ以上削っては製造基盤が成立たなくなる、改造か新造を選ばねばならない状況を突き付けられたのではないか。

 生産ライン、90式戦車は月産1両2両という状況ではラインを構成できず、工場の中央部に戦車を配置し適宜部品を一両の戦車に組み上げてゆくという、非効率な生産となっている状況なのですから、これ以上削れなかったのではないか、削るならば製造費の高騰に直面するのではないか、という印象を受けるのですね。それならば製造を加速した方が、と。当時の防衛庁と大蔵省のパワーゲームを理解するとこう帰結してしまいます。

 74式戦車が、例えばイスラエルのM-48戦車に対して実施したマガフ改修のような徹底的なものであれば、90式戦車を量産せずとも74式戦車で第三世代戦車水準まで引き上げ得る、こう選択肢は生まれたかもしれません、ただ所謂G型改修では到底及ばず、砲塔の換装や懸架装置更新などが必要となり、90式戦車の量産を優先したという点は理解できるのです。

 74式戦車G型改修は遅すぎたのではないか、わたしが近年考えさせられるのは、1995年に完了した改修で、そもそも生産開始から十年を経た1984年の時点でM-1戦車やレオパルド2戦車が数を揃えるようになっていましたから、そもそもレオパルド2の全体試作は1979年に完了しているのですが、1995年の改修そのものが遅すぎたのではないか、とも。

 84式戦車、こう表現しますと映画“八岐大蛇の逆襲”(DAICONFILM/1984)に出てくる戦車の名前になってしまいますが、制式化から十年を経た1984年の段階で暗視装置や増加装甲を追加した改良型を開発する必要はあったと思う。勿論これはTK-X,90式戦車開発費を食い込む懸念はありますが、第三世代と第二世代の違いを説明してでも行うべきだった。

 赤外線アクティヴ暗視装置についてですが、74式戦車の性能を大きく制約している最大の難点です。しかし、74式戦車改修そのものを見ますと、HEP弾からの切替、初速が遅く現場で“ひょろひょろ玉”とか“海に捨てて発破漁に”と現場で評判の悪かった粘着榴弾HEP弾がAPFDS弾とHEAT-MP弾対応に改修するなど、遣る事はやっている印象があります。

 暗視装置、ただやれる事を全部やったのかと問われれば疑問にも思う、特に、考えてみれば61式戦車などは運用終了前には赤外線アクティヴ照準器を追加していました、61式戦車は開発当時に夜間戦闘能力はありませんでしたが、一応最後の段階で一部だけとはいえ第二世代戦車相当に能力向上していましたので、61式戦車に出来た暗視装置の換装、61の場合は追加ですが、これを何故74式に出来なかったか、と。

 RWS遠隔操作銃搭を追加搭載し、FC系とRWSの暗視装置を連接させる応急改修と、AAV-7に採用されているEAAK追加装甲の装着や一部車両に偵察警戒車の様に85式地上レーダ装置搭載など、やってみるべきだったとも思っています。なにしろ戦車です、防衛出動の際には相手が99G式戦車が相手でもT-90戦車が相手でも向かわねばならないのですから、ね。

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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【8】横須賀基地を一望(2019-04-14)

2021-11-06 20:00:35 | 日記
■いせ望む横須賀の高台散歩道
 横須賀は坂の街ですが坂道というものは辿りますと眺望が一歩一歩開けてゆくようで趣き深い。

 あまぎり。俯瞰風景という程ではありませんが標高高い立地から。もともと衣笠城という城郭がこの一帯には在りまして、源頼義が1062年に三浦平大夫為通に築城を命じた、源平合戦前の源氏の一大拠点が三浦半島山間部にありました、鎌倉街道の源流はここにある。

 しらぬい、きりしま、そして護衛艦がもう多数。衣笠城は支城として豆師、この地名は今の逗子に繋がるのですが、栗浜、いまの久里浜だ、大和田、横須賀に支城を築城しまして、いわば鎌倉幕府のもととなる源氏の拠点は山城の複郭陣地により成立っていたのですね。

 いせ、巨大さが際立つ。鎌倉時代、東関紀行によれば朝廷の置かれる京都と幕府が置かれた鎌倉とは街道が整備されますが、街道は鎌倉が終着地であり東国への街道とは繋がっていません、これが過度に攻撃を恐れ防御都市鎌倉を形成した際の交通遮断の理念にたつ。

 逸見桟橋全景、いせ、しらぬい、あまぎり、きりしま、はるさめ、はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ、一望に。鎌倉への街道は大磯、酒匂、湯本、と続くのですが鎌倉街道は京都と結ぶ街道に繋がらず、いわば鎌倉への裏街道は秘匿されていました。

 あさひ型、あきづき型の上部構造物相違が少し俯瞰できる。鎌倉時代に横浜はまだ無く久良岐とよばれていましてここから称名寺と金沢、いまの金沢文庫駅付近、六浦と三浦半島の境界線を構成していました、故に此処に細い街道が通ったのですが、未だ歩道に留まる。

 カーティスウィルバー、バリー、マスティン、ベンフォールド、そして次の遊覧船が出航してゆく。昔の鎌倉の地形は由比ヶ浜の沿岸部から扇谷の雪ノ下までが鎌倉時代の市域であり由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に至る大路が当時の官庁街としての機能を有していました。

 いせ、ときわ、いずも。今の横須賀とそして衣笠城とは六浦道を経て朝比奈切通へ至る経路、乱橋材木座から今の横須賀線当りに在った名越谷を経ての名越切通、そして三浦半島中央部を通る小坪切通というものがあり、三浦三十八地蔵尊というものが結んでいます。

 いずも。なんというか100-400mmIS2レンズを持って行けばよかったか、三十八地蔵尊興味はあるが、1番札所大松寺,2番札所大善寺,3番札所満昌寺,4番札所満願寺,5番札所正業寺,6番札所長安寺,7番札所伝福寺,8番札所最宝寺,9番札所十劫寺,10番札所三樹院,と続く。

 はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ。札所は11番札所永楽寺,12番札所福寿寺,13番札所福泉寺,14番札所真浄院,15番札所 本瑞寺,16番札所西浜地蔵堂,17番札所天養院,18番札所正住寺,19番札所浄楽寺,20番札所正行院,21番札所西徳寺,と続きまして。

 22番札所万福寺,23番札所相福寺,24番札所延命寺,25番札所海宝院,26番札所能永寺,27番札所信楽寺,28番貞昌寺,29番札所浄林寺,30番札所大泉寺,31番札所能満寺,32番札所常福寺,33番札所東福寺,34番札所常福寺,35番札所東林寺,36番札所円福寺,37番札所海応寺,と。

 ロナルドレーガンを望見する。三十八地蔵尊という名の通り鎌倉時代前の平安朝の頃より歴史がある街並みと云いますか秘密の街道まちが広がっていた三浦半島を地蔵尊が結んでいるのですね。横須賀軍港の散策に併せ、成程こうした深い歴史も見てゆきたいところ。

 いずも沖合を眺めつつ、艦艇日記を完了しました。横須賀線車窓から始まりヴェルニー公園散策と横須賀軍港めぐり遊覧船、そして横須賀の三浦半島街道を往く一日、実はこの後グルメと酒場巡りに休みの日を捻出出来た際には、こうした過ごし方は趣き深いものです。

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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【7】巨大な護衛艦いせ(2019-04-14)

2021-07-24 20:01:18 | 日記
■艦艇日記軍港めぐり遊覧船
 横須賀軍港めぐり遊覧船もいよいよその航路は終盤に差し掛かってまいりました。

 いせ、ときわ。ヘリコプター搭載護衛艦は巨大だ。基準排水量13500tで満載排水量は19000t、しかし、いずも型と違い純然たる水上戦闘艦として設計されている護衛艦ひゅうが型はソナーを有し敵潜水艦へ短魚雷を投射する為に突進するだけの機動力を有している。

 はたかぜ、むらさめ、の護衛艦を眺めます。はたかぜ、は現在護衛艦から練習艦へ種別変更されています、順次はたかぜ型の二隻は練習艦種別変更となる計画で、二番艦しまかぜ、も間もなく練習艦となる計画です。そろそろ、はつゆき型護衛艦由来練習艦もお役御免に。

 いせ。艦尾は巨大です。ひゅうが型護衛艦はF-35B戦闘機を運用するには十分な余裕はない、とされているのですが、198mの全長は決して不充分ではなく、アメリカ海軍強襲揚陸艦では90mの短距離滑走で運用されているのですね、そしてこちらは速力で8ノット速い。

 はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ。F-35B運用に、ひゅうが型が過小というのであれば、間もなく護衛艦増強で2個群体制へ改編される掃海隊群の旗艦に二隻が移管され、いずも型護衛艦の拡大改良型2隻が建造される可能性も、あるのでしょうか。

 艦隊護衛艦の建造は、しらぬい竣工により一段落しているのですが、むらさめ型後継艦は数年以内に具体化し、十年程度後には建造に移行しなければならないでしょう。この場合は船体の大型化はあるのか、どのような任務の多様化に対応する設計となるのでしょうか。

 いせ、はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ。艦対艦ミサイルの長射程化とイージス艦艦対空ミサイルの長射程化、LRASM艦対艦ミサイルは射程560kmとなり、スタンダードSM-6は射程370kmとなる、この為の水上戦闘艦センサーはどう発展するか。

 F-35Bはその一つの回答になると思うのです、もちろんX-47Bのような機体という選択肢もありますが、ニミッツ級のような船体でなければ搭載できません、P-1哨戒機は敵防空艦勢力圏内に入るにはリスクが残る、すると消去法でステルス機の第五世代機が残るという。

 しらぬい、きりしま、はるさめ。アーレイバーク級では建造費低減へ搭載艇を断念し複合艇としているのですが、護衛艦ではこうした動きはありません、すると無人哨戒艇や水中センサーの揚収装置に転用できる事を意味しまして、ある意味将来発展性といえるのか。

 Mk.41VLSを有している艦であれば、それこそPCとUSBの関係のように多種多様な装備の運搬能力を意味します、未来は突然やってきませんが段階的に変容してゆくものです、各種装備の長射程化、そのセンサーとしての母艦機能、既存艦を発展させてゆくのでは。

 DD-X,しかし次世代の護衛艦で絶対に忘れてはならないのはステルス性でも打撃力でも将来発展性でも無く、乗員が乗りたいと思える艦、居住性ではないか、とも。日本の水上戦闘艦はこの部分が米艦よりは高くとも欧州艦よりは遥かに低く、米艦よりは待遇が低い。

 横須賀軍港めぐり遊覧船は、そんなことを考えると共に改めていまの駆逐艦はすごいぞ最高だ、特に日本の場合はDDの大きさに上限が殆ど無い現状となっている為に駆逐艦の上限が普通に世界最大と世界最大級駆逐艦がうろうろしているという状況に思い馳せました。

 いまの駆逐艦はすごいぞ最高だ、この艦船日記は更に次の一歩を海から山、横須賀の稜線めぐりへと歩み進める事となりました、横須賀の在る三浦半島は鎌倉時代に裏街道が整備され、稜線沿いに武蔵から鎌倉に至る街道と、鎌倉時代には衣笠城が既にあったのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【6】今の護衛艦は凄い(2019-04-14)

2021-06-12 20:01:21 | 日記
■吉倉桟橋に並ぶ護衛艦
 吉倉桟橋に戻ってきました。この横須賀基地の東京湾へ突き出た湾内の桟橋に並ぶ護衛艦の威容に遊覧船からも驚きの声が上がる。

 おおなみ、艦番号111は護衛艦たかなみ型二番艦おおなみ、です。ステルス性と同時多目標対処能力に高い航洋性と航続距離、新時代の汎用護衛艦は任務範囲の増大に対応しました。たかなみ型護衛艦筆頭に汎用護衛艦が勢揃いです。いまの駆逐艦はすごいぞ最高だ。

 むらさめ、艦番号101が奥の方に見えますので護衛艦むらさめ入港中です。あさぎり型に続く新世代の護衛艦は汎用性と将来発展性を見越し、はるな型ヘリコプター搭載護衛艦の船体配置を参考とした余裕ある設計で建造され、基準排水量も4400tとなりました。

 たかなみ、艦番号110が見えますね。たかなみ型は前型むらさめ型の拡大改良型でミサイル垂直発射装置を統合化し前甲板に集約すると共に艦砲を3インチ砲から5インチ砲へ強化、艦内も前の中部屋を大部屋に戻し居住性向上基準排水量も4550tへと拡大しています。

 てるづき、艦番号116が確認できました。あきづき型護衛艦、僚艦防空能力としまして50km圏内の限定的艦隊防空能力を付与したのが本型で、FCS-3多機能レーダーを搭載しています、名実ともにミニイージスというべき、イージスシステムの日本版を搭載した護衛艦だ。

 ときわ。艦番号423が確認できましたので補給艦とわだ型2番艦が入港しています、基準排水量8100tで満載排水量は12200tという艦隊補給艦で、はるな型しらね型の時代の護衛隊群8隻とヘリコプター8機分の燃料及び弾薬と糧食等を補給する能力を有しています。

 はたかぜ、艦番号171が確認できます、ミサイル護衛艦はたかぜ型の一番艦はやかぜ、ですね。デジタルターターシステムを搭載した艦隊防空艦ですが、イージス艦への過渡期に竣工したため、同型艦は当初の5隻建造が2隻となり、こんごう型へ建造は移行しました。

 あきづき型と、たかなみ型、船体は一の相違点が良く分かる一枚です。もともとFCS-3は護衛艦たかなみ型から搭載される計画でしたが、開発度合い以上に順調に量産が進み、なにしろ、むらさめ型は一年間に3隻建造された事もある、FCS-3が間に合いませんでした。

 はるな。海上自衛隊最初のヘリコプター搭載護衛艦の船体配置、飛行甲板と船体の一体化や上部構造物配置、勿論ガスタービンと蒸気タービン艦の相違やCIC位置の船体内部と艦橋一体化など技術進歩は取り入れられていますが、基本は4700t型護衛艦の延長線上です。

 はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ。いまの駆逐艦はすごいぞ最高だ。この繰り返す台詞はアメリカ映画“バトルシップ”にて主人公の海軍大尉が記念艦ミズーリ艦上で小さな子供に戦艦と駆逐艦の違いを聞かれた際の説明、戦艦は恐竜みたいなもの。

 むらさめ型が竣工した当時は複数航空目標同時対処能力を持つためにミニイージス艦と呼ばれ、いつしか忘れられてゆきましたが、最近はイージスシステムを搭載していない中国の防空艦が見た目でイージス艦と似ている事から中華イージスと呼ばれているのは微笑ましい。

 はたかぜ基準排水量は4650tで、むらさめ基準排水量は4400t、船体ではミサイル護衛艦の方が大きなものなのですが上部構造物の設計余裕から逆に汎用護衛艦の方が大きな護衛艦に見えるのですね、はたかぜ上部構造物は、はるな型設計をそのまま踏襲している様に。

 はるな型護衛艦は第一世代のヘリコプター搭載護衛艦の最初の艦という認識ですが、日本護衛艦歴史全体を俯瞰しますと2010年代まで続く非常にエポックメイキングな護衛艦、という評価を加えてみた方が良いのかもしれませんね。その、はるな除籍からもう12年かあ。

 はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ。横須賀軍港めぐり遊覧船、惜しむべくは始発が1100時でして、太陽は天頂に近づく時間なのですよね、東京湾西岸に位置する横須賀はどうしても順光は午前中のみ、0900時頃に運行されていれば、と思うのです。

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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【5】掃海母艦と砕氷艦(2019-04-14)

2021-04-17 20:01:33 | 日記
■自衛艦隊司令部の船越地区へ
 横須賀基地を一周する軍港めぐり遊覧船は船越地区へとゆっくりと進んでゆきます。

 自衛艦隊司令部庁舎とともに掃海母艦うらが。掃海隊群は改編により輸送艦部隊である第1輸送隊を隷下においています、これにより水陸両用作戦に必要となる司令部機能を併せて掃海隊群が担う事となり、膨大な情報と陸上自衛隊からの増加幕僚を収容可能となる。

 うらが型掃海母艦は1990年代の竣工であり老朽化が始まっています、なお将来的に掃海隊群は多目的護衛艦と哨戒艦を隷下に置く増強改編が計画され、旗艦能力は重要となりますが、その先には掃海ヘリコプター運用能力を持つ、ひゅうが型が後継となるのでは、と。

 ゆうぎり。あさぎり型護衛艦の三番艦です、2900t型護衛艦として建造された前型はつゆき型は対空対潜対水上装備を有しオールガスタービン推進で哨戒ヘリコプターを搭載するシステム艦として設計されていましたが、満載排水量4000tの護衛艦では過大な装備でした。

 あさぎり型は3500tと船体が600t増大して艦内設計に余裕を含ませ満載排水量も5800tと大型化しています、が、マストとファンネルは二本に増えて上部構造物は低くなりミサイル位置も変更、ヘリコプター格納庫は1機から2機搭載用に大型化、艦容は一変している。

 あわじ、ひらど。海上自衛隊最新鋭の掃海艦です。掃海艇と掃海艦の相違点は深海に設置される深深度機雷への掃討能力を有するのが掃海艦です、深深度機雷とは潜水艦を狙うもので重要水道等の潜水艦航路に敷設された場合、非常に大きな脅威となる、これを討つ。

 えのしま。えのしま型掃海艇の一番艇です、海上自衛隊は伝統的に機雷に探知されにくく万一触雷した場合でも安全性を担保する木造船体を採用してきましたが、本型からは船体寿命を延伸すると共に建造技術が継承されるFRP船体を採用しています、これは事情も。

 えのしま型、あわじ型、共にFRP船体です。海上自衛隊の掃海艇は機雷掃海を重視していましたが時代は秘匿性高い高性能機雷を一つ一つ処分する機雷掃討の時代へ、自衛隊もこの潮流に乗った所建造費が倍増し毎年建造さえ出来ず、結果木造船体建造技術が消失する。

 しらせ。横須賀基地で最も新しい潜水艦桟橋に接岸していました、基準排水量12500tで満載排水量22000t、吃水は9.1mあり自衛隊最大の潜水艦そうりゅう型の吃水は8.5mといいますので潜水艦桟橋は、そうりゅう型よりも吃水の深い艦船でも接岸できるということか。

 しらせ、クレーン部分を中心に。二代目の砕氷艦しらせ、は南極大陸などに輸送支援を実施する際にコンテナ貨物輸送を重視し、ここからコンテナを船体側面に装着できる利点があります。CH-101輸送ヘリコプターも運用出来る為に、実は輸送艦としての能力も高い。

 砕氷艦は長らく海上自衛隊最大の艦船、という位置づけでした。補給燃料を満載した補給艦の方が大きいのですが、これが基準排水量13500tましゅう型補給艦で基準排水量は補給艦が最大となり、ひゅうが型護衛艦の竣工により砕氷艦より大きな護衛艦が誕生している。

 しらせ真正面から。艦番号は5003、自衛隊では作戦艦艇を三桁で支援艦艇を四桁艦番号としています。しかし、砕氷艦は良いのですが輸送艦おおすみ型などは4001と四桁であるため、水陸両用作戦の重要性を考えれば後継艦の艦番号は三桁となるように期待したいです。

 はしだて、特務艇です。艦番号は91ですがこちらは四桁番号とするわけにはならないのかな、と。ひゅうが、いせ、いずも、かが、といったヘリコプター搭載護衛艦艦番号を二桁として、180番台の艦番号をイージス艦増強に併せて空けるべきだ、とおもうのですよね。

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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【4】護衛艦と航空母艦(2019-04-14)

2021-01-16 20:06:49 | 日記
■DDHとCVNの横須賀基地
 DDHヘリコプター搭載護衛艦いずも、CVN原子力空母ロナルドレーガン、横須賀ではこの二隻が日米両国の代表的な艦艇です。

 いずも、は護衛艦、ロナルドレーガンはキティホークの横須賀時代、2007年に定期整備を日本国内において実施する際に西太平洋へ前方展開、2月には佐世保へ初入港しています。2011年3月11日に発生した東日本大震災では対日支援作戦トモダチ作戦での洋上主力を務めている。

 いずも。いずも型護衛艦一番艦であり全通飛行甲板型護衛艦、CIC戦闘指揮所とFIC旗艦用司令部作戦室、更に多目的室は自衛隊観艦式においてシンポジウム等に用いられていますが有事の際は100名規模の要員が勤務する統合任務部隊司令部へ転用を見込んでいます。

 ロナルドレーガン。太平洋艦隊の第7艦隊第5空母打撃群を構成する中枢艦です。2001年3月4日に進水、2003年7月12日に竣工しました。ウェスティングハウス・エレクトリックA4W加圧水型原子炉2基の26万馬力は102000tの巨体を30ノットで航行させる。

 第40代アメリカ合衆国大統領ロナルドレーガンの名を冠した航空母艦、大統領は海軍軍人としての経験こそありませんが、大統領現職当時に海軍の600隻艦隊構想を掲げ、当時年々増大していたソ連海軍のシーパワーでの挑戦を真正面から受け止めた海軍功労者です。

 全通飛行甲板型護衛艦である本型は航空機運用を第一とした設計であり、飛行甲板は全長245mと幅38mを確保し、前型ひゅうが型の全長195mと幅33mに比して五割程度広大、甲板係留だけで哨戒ヘリコプター一個航空隊を収容できるほどの巨大な甲板となりました。

 F-35B戦闘機の搭載能力、いずも型については海上自衛隊初の戦闘機運用能力付与が決定しています。海上自衛隊の予算ではF-35Bは厳しく、また航空教育集団の装備体系ではF-35Bの要員を練成する事は難しい、という事でしたがF-35Bは航空自衛隊が導入します。

 27000tという巨大な排水量を誇る本型ですが、満載排水量19000tの護衛艦ひゅうが型と比較し建造費は同程度に抑えられていて、これは護衛艦としての個艦戦闘能力を重視した、ひゅうが型に対し本型はその能力を艦載機に多くを依存するという運用に背景があります。

 248mという長大な船体は航空機運用能力の冗長性を高め、対潜中枢艦や航空掃海中枢艦、そしてF-35B搭載による防空中枢、F-35Bをセンサーノード機として搭載する事で長射程化が著しい艦対艦ミサイルや艦対空ミサイルのセンサーとして機能する事ともなります。

 ヘリコプター搭載護衛艦という艦種はヘリコプターを置き換えるだけであらゆる任務に対応できるといっても過言ではなく、例えば陸上自衛隊が導入を開始したV-22輸送機を搭載する事で邦人救出に転用できますし、AH-64DとCH-47によりコマンドー空母ともなる。

 いずも型は建造費だけを視ればイージス艦の護衛艦まや型よりも安価で汎用護衛艦あさひ型の三割増程度の費用で建造する事が出来ます。これは偏に日本の造船能力の高さが良質な艦艇を安価に取得できるという強みが背景に在り、この強みをもっと活かすべきと思う。

 うらが。横須賀軍港めぐり遊覧船は船越地区へと入りました、うらが背後に巨大な電波塔が見えますが、此処には自衛艦隊司令部庁舎が置かれており、この付近には核攻撃にも耐えうる地下に自衛艦隊司令部指揮所も置かれています、まさに日本海上防衛の中枢という。

 掃海母艦うらが、うらが型の一番艦です。元々は掃海隊群直轄艦として掃海艇の整備補給と休養なども含めた旗艦運用が期されていましたが、自衛隊掃海艇勢力の減少とともに、現在は二番艦ぶんご共に掃海隊に所属しており、うらが、は第1掃海隊に所属しています。

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