北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【3】イージス艦大集合(2019-04-14)

2020-12-19 20:05:31 | 日記
■アメリカイージス艦大集合
 横須賀軍港めぐり遊覧船はそのままアメリカ海軍横須賀施設前を進んでゆきます。其処には圧倒的な数のアメリカ海軍イージス艦が並ぶ。

 横須賀基地日常風景、艦艇日記として代表的な風景の一つがアーレイバーク級の並びです。マスティンとベンフォールド、更にアーレイバーク級はこちらに艦尾をみせているものが2隻、この4隻で中小国の海軍ならば圧倒できるやも、いまの駆逐艦は凄いぞ最高だ。

 マスティンとベンフォールドと更にアーレイバーク級2隻、アーレイバーク級は原型のフライトⅠが満載排水量8850 t、巡航ミサイルやSM-2ブロックⅣ運用能力を付与された改良型のフライトⅡが9033 t、ヘリコプター運用能力を付与したフライトⅡAが9515 tです。

 バリーとカーティスウィルバーがこちらに艦尾をみせている2隻でした、バリーはアーレイバーク級2番艦、由来は軽巡洋艦夕張は関係なくアメリカ独立戦争にてジョージワシントン隷下の大陸海軍、その少ない艦艇の艦長を務めた一人で1803年までの海軍長官です。

 カーティスウィルバーとバリーにマスティンとベンフォールド、アーレイバーク級の凄い点はイージスシステム搭載する高級に定義される装備を持ちながら、搭載艇の複合艇化やCIWSに対艦ミサイルの省略など、低コスト化を進めて数を揃える事を重視していること。

 シャイローとアンティータム。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦が2隻並びます、巡洋艦というだけでも興味深いところですが、注目したいのは艦番号、ロービジ塗装と従来塗装が並んでいる点です、近年は艦艇位置秘匿の観点からロービジ塗装へ変更が進んでいます。

 タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦はスプルーアンス級駆逐艦の船体を基本に建造されました、1981年までに31隻が建造されたものの2005年に全艦除籍されたスプルーアンス級を実は2005年にWeblogを運用開始しました当方は視た事が無かったりします、派生型だ。

 ロナルドレーガン、ニミッツ級原子力空母はアメリカの海軍力を象徴する威容です。アメリカが航空母艦を前方展開させているのは日本だけ、イギリスにも前方展開は実施していません、もっともこれは太平洋が大西洋より遥かに広大であるという事情もあるのですが。

 ニミッツ級原子力空母は1975年竣工のニミッツからジョージブッシュまで10隻が量産され、満載排水量は91400tから10200t、十万トンを超える軍艦の量産は世界海軍史上いまのところ前例がありません、艦内には航空団をそのまま搭載し戦力投射の象徴といえます。

 アンティータムとシャイロー。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦は大型駆逐艦として建造されたスプルーアンス級に新開発のイージスシステムを搭載する指針が1975年に決定し建造されました、ズムウォルト海軍作戦部長時代に構想された5000t級防空艦構想が始り。

 原子力打撃巡洋艦CSGN計画構想というものがイージス艦の源流で、これはターターシステムがアナログシステムであり多数同時飽和攻撃に対し同一目標を重複追尾する等、その対処能力に限界を来していた為、デジタルターターシステム、その延長線上に計画された。

 ズムウォルト海軍作戦部長は高コストを避けて量産するには安価な防空艦が必要という認識であり、対してCSGN計画はズムウォルト海軍作戦部長後任のホロウェイ海軍作戦部長が駆逐艦では性能不充分として12700tの巡洋艦を構想、これは極めて高コストの案でした。

 ロナルドレーガン。イージス艦は空母の直掩用ですが、スプルーアンス級は極めて大型で空母に荒天や台風下でも随伴する航行能力を有しており、この船体にイージスシステムを搭載したタイコンデロガ級も空母の相方として随伴するに十分な性能を有していました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【2】新護衛艦しらぬい(2019-04-14)

2020-12-05 20:18:24 | 日記
■いまの駆逐艦は凄いぞ最高だ
 軍港めぐり遊覧船というものがありまして、横須賀を毎日数回に分けてぐるり巡る遊覧船が運行されています。

 横須賀地方総監部と停泊艦艇、こうヴェルニー公園を歩み進めていますのは冒頭の吉倉桟橋の車窓と併せまして、この日は多くの艦艇が停泊している事を知りましたという点がありまして、ならば乗るしかありません、横須賀軍港めぐり遊覧船。乗り場へと向います。

 あまぎり。あさぎり型護衛艦の4番艦です、本型は昭和63年度から平成3年度にかけ8隻が竣工していまして、満載排水量4800t、基準排水量3500t、前型の護衛艦はつゆき型の拡大改良型の位置づけですがマスト増設、上部構造物を低く抑え格納庫が大型化しました。

 軍港めぐり遊覧船はいよいよ出航、しらぬい入港中ならば近くから眺めたい、なにしろ母港は大湊、青森は遠い。軍港めぐり遊覧船は1400円で45分間のミニクルーズ、吉倉桟橋と米軍地区前を通り吾妻島から一旦長浦と東京湾に出て司令部のある船越地区へ向かう。

 しらぬい、きりしま、はるさめ。しらぬい、は護衛艦あさひ型二番艦で護衛艦むらさめ竣工から始まったミニイージス艦と呼ばれた一群の護衛艦の20隻目となります、むらさめ艦番号101なので120は20隻目、そして護衛艦隊の汎用護衛艦定数は20隻なので記念的だ。

 はるさめ、むらさめ型護衛艦2番艦で姉妹艦合せて9隻、レーダーや艦砲やマストの形状は違いますが全体的な配置は共通であり、あさひ型しらぬい、まで改良型に改良型を重ねて、たかなみ型護衛艦5隻、あきづき型護衛艦4隻、あさひ型、20隻が建造されています。

 おやしお型潜水艦が二隻、内一隻は司令旗が掲げられています、そうりゅう型潜水艦はAIP潜水艦として性能を向上させていますが基本構造は、おやしお型であり、その勇壮さは、いや、やはり気になりますよね、借景として後ろに見えています巨大な艦橋構造物の姿が。

 いずも。海上自衛隊最大の護衛艦が、横須賀駅へ田浦駅から向かう際に水平線上に何かが見えた気がしまして、それが護衛艦いずも。ヘリコプター搭載護衛艦の至高といえる巨艦でDDH,区分は駆逐艦ですが、満載排水量は27000tもある、いまの駆逐艦は凄いぞ最高だ。

 ベンフォールド。アーレイバーク級の15番艦として1996年に就役しました。2009年にはイージスミサイル防衛システムの弱点といれた弾道ミサイル防衛の最中に対艦ミサイル攻撃を受けた場合の同時対処を行うステラダガー実験に成功、いまの駆逐艦は凄いぞ最高だ。

 アーレイバーク級はアメリカ海軍が長く第二次大戦中の大型駆逐艦をFRAM近代化改修を行い、レーダーを改良しミサイルを搭載し最後はヘリコプターまで運用能力を付与した中で、凌波性能の各国新駆逐艦に対する陳腐化を受けて建造された駆逐艦の第二世代という。

 シャイロー、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の21番艦、アメリカで21隻目のイージス艦として1992年に竣工しました。そういえばトランプ政権は政権発足時に巡洋艦全廃を掲げていましたが、ミサイル防衛への重要性から巡洋艦全廃は棚上げに。安倍外交の成果か。

 ロナルドレーガン。いずも、巨大ではありますがロナルドレーガンと比べればまるで小舟の様、といいますかこれは単に、いずも内火艇だ。海上自衛隊の護衛艦は年々大型化していまして、その為の桟橋や岸壁拡張も順次行われていますが、いずも、この日は沖留です。

 マスティン、アーレイバーク級の39番艦です。吉倉桟橋の海上自衛隊護衛艦も年々大型化し、汎用護衛艦は6500t前後まで大型化しているのですが、前型のスプルーアンス級の8040tからアーレイバーク級は9200t前後に大型化、アメリカの駆逐艦は大きいのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】横須賀いせ-しらぬい寄港の春,艦艇日記【1】ヴェルニー公園(2019-04-14)

2020-11-14 20:20:50 | 日記
■横須賀へ横須賀へ横須賀へ
 トンネルと抜けるとそこは基地だった、今回から日記カテゴリを活用します記事としまして“艦艇日記”という話題を紹介しましょう。

 いせ、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦です。JR横須賀線で久里浜行や横須賀行に乗車し田浦駅を出て次は横須賀、と車内放送が入りますと一寸心躍るところです、こういうのもトンネルと抜けるとそこは基地だった、というのが田浦駅の先に広がる故ですね。

 たかなみ、おおなみ、てるづき、それから見えるのは護衛艦たかなみ型とミサイル護衛艦はたかぜ型か、勿論見えるのは一瞬です、戦時中は防諜の関係から目隠しの鉄板が並んだというところですから、なかなか不思議な風景なのですけれども、動体視力の強化みたい。

 吉倉桟橋の護衛艦、一瞬沖合に何か見えたような気がします、動体視力の強化練習とはよくいったものですが、フネ好きはこの時ばかりは普段なかなかないほどに集中力を発揮するのですね、いせ入港中、しかし沖合に何か全通飛行甲板の艦艇が見えたような気がする。

 ヘリコプター搭載護衛艦いせ、あの東日本大震災の五日後に竣工しました、護衛艦ひえい後継艦ですので、考えれば護衛艦ひゅうが竣工翌年の2010年に建造されていてもよかったのかもしれませんが、予算の問題から一年建造が遅れていたという、不本意な遅参なのか。

 あまぎり、きりしま、はるさめ。横須賀駅に到着しますと目の前にヴェルニー公園が広がっています、艦船日記という日常を過ごす際に先ず田浦駅から発車の後に吉倉桟橋にどんな艦艇が停泊しているのかな、と観ました上に横須賀駅前を出て、この岸壁をながめます。

 いせ。やはり大きいです、ね。ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦二番艦、満載排水量19000tの大型護衛艦です、海上自衛隊は対潜戦闘を重視し1973年竣工の護衛艦はるな以来ヘリコプター巡洋艦型船体を採用し1981年くらま竣工まで四隻を整備しましたが、世代交代です。

 しらぬい、最新鋭護衛艦しらぬい、が停泊していました、逸見桟橋の護衛艦たち。ヴェルニー公園を少し歩み進めたところですが、あまぎり真後ろに護衛艦しらぬい、停泊していたのですね、この写真は2019年4月14日、つまり竣工してから一ヶ月しか経っていない。

 ひゅうが型護衛艦。ひゅうが竣工後最初の母港が此処横須賀基地でしたが、いずも竣工を以て舞鶴基地へ転籍されました、いせ母港も呉基地でしたが、かが竣工により母港を佐世保に移し、いずも母港は横須賀に、かが母港は呉に、ひゅうが型は譲ってばかりですね。

 おやしお型潜水艦、潜水艦桟橋です。勇壮な潜水艦の威容、といいたいところではありますが、真後ろに借景となっているが如くに並ぶアーレイバーク級ミサイル駆逐艦を並べているアメリカ海軍の迫力でしょうか、さらっとイージス艦四隻並ぶ、これが横須賀です。

 おやしお型潜水艦、お国ももう一隻停泊しているのが、その奥にも巡洋艦の様な一隻が停泊しています。おやしお、海上自衛隊が戦後初の国産潜水艦として建造したのが先代おやしお、でして海上自衛隊では親潮組という国産潜水艦独自運用を目指す派閥を育てました。

 おやしお、初代潜水艦おやしお中心に親潮一家という派閥を造りましたが、当時はアメリカ製潜水艦くろしお、による洋上航行と水中襲撃を巧みに組み合わせたアメリカ式運用を模索する黒潮一家というものがありまして、闊達な議論と研究で高め合った草創期がある。

 横須賀地方総監部と停泊艦艇、こうヴェルニー公園を歩み進めていますのは冒頭の吉倉桟橋の車窓と併せまして、この日は多くの艦艇が停泊している事を知りましたという点がありまして、ならば乗るしかありません、横須賀軍港めぐり遊覧船へ。乗り場へと向います。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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航空防衛作戦部隊論(第二三回):航空防衛力、戦時輸送能力確保と平時運用

2015-11-21 22:42:29 | 日記
■戦時輸送能力確保と平時運用
戦時輸送能力確保と平時運用、輸送力を拡充するという命題についてどうしても避けて通れない問題について。

業務輸送と作戦輸送を区分、これにより戦術輸送機ではなく通常の貨物輸送機でも対応できる任務と戦術輸送機の任務の区分を明確化する事で、一機あたりの空輸能力が大きく、また運用面で無理をしない前提での維持費用を低減する航空機の数的充実、特にこの部分では中古の貨物輸送機等を取得し運用することで全体の空輸能力を強化する事が可能となるでしょう。

平時における輸送能力の余剰は勿論発生します、戦時と有事の後方支援基盤の厚さの乖離は非常に大きいもので、この戦時需要を予め充分余裕を以て正面装備に伍して基盤を平時から維持している軍事機構が米軍位で、この他の諸国は財務当局からの指摘などを踏まえ、どうしても正面装備重視となりがちです、しかし余剰輸送機の発生などについては、我が国では別の任務等も考えられます。

特に国際平和維持活動における輸送支援任務等、自衛隊が国際貢献任務に筆頭にあげながらも空輸記事の不足により数的には全体として僅かな規模しか担っていない分野について、その任務拡充が可能でしょう。もちろん、予算規模からすれば多数の貨物輸送機を揃える事は中古機とはいえ現実的ではありませんが、数機から十機前後貨物輸送機を装備するだけでも一機当たりの輸送力、パレット輸送での能力を踏まえればかなり大きな意味を持つところ。

唐突に国際平和維持活動、との文言が出来ましたが、この国際平和維持活動への空輸支援は一種の分散運用として当てはまります、日本本土に航空機を置く場合、すべての基地は大陸側からの弾道ミサイル射程圏内に位置する事となります、この為、例えば平時に海外において国際平和維持活動に資するべく展開しておくことは、本土からの分散運用を以ての生存性向上にも繋がります。

中古機、海外運用、非常に難しい難題を提示しましたが、この部分については海上自衛隊が先鞭をつけています、海上自衛隊はアメリカより中古輸送機C-130Rを導入し中古航空機導入の実例を創りました、C-130Rは中古機ということで機体老朽度合いなどへの不安な点が当初指摘されていますが、作戦輸送ではなく業務輸送にあてることで機体強度を計測しているといわれています。

そもそも作戦輸送と業務輸送の区分は、海上自衛隊の輸送艦などを観ますと、かつての戦車揚陸艦型の輸送艦が、対空レーダーOPS-14と対水上レーダーOPS-18及びFCS-1/72式射撃指揮装置戦闘指揮所を有した作戦輸送重視の輸送艦みうら型、火器管制装置等を装備せずレーダーも航海用として業務輸送重視の輸送艦あつみ型、と早い時期から明確に分けていました。

海外拠点についても海上自衛隊はジブチ航空拠点の運用をソマリア沖海賊対処任務と共に継続中であり、その運用実績があります。もちろん、任務の種類が異なりますし、国連との国際平和維持活動協力輸送調整司令部、というようなものの在り方などについては、本論とはやや距離と論調が変わってきますので、こちらについては別稿にて検証したいと考えます。

また、業務輸送区分の明確化は、中古機を平時から大量に維持しなくとも、例えば機材のみ武力攻撃事態法に基づく指定協力企業から徴用し、自衛艦が運用する事が可能かもしれません。もちろん、貨物輸送機を用いる場合はパレット輸送となりますので、受け入れる空港としても相応の貨物取扱能力が必要とはなります、その問題点を差し引いても、業務輸送は少ない費用で確実な輸送能力を確保出来るでしょう。

即ち敵の脅威がある中ゲリラの攪乱射撃を掻い潜りぼろぼろの飛行場へ強行着陸、最前線へ物資を送り込み、攻撃の合間を縫って離陸、という運用以外の輸送の局面は多く、具体的には戦術輸送の極端な状況よりは、業務輸送の占める比率の方が圧倒的に多いのです、戦術輸送機が必要な任務と貨物輸送機で対応できる任務が、それぞれ別々に存在する、という視点の下で輸送機の必要装備数を考える必要があると考えます。

北大路機関:はるな くらま
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将来航空自衛隊練習機体系への一考察(第二回):T-4練習機の旧式化と開発当時の練習機

2015-05-05 23:30:29 | 日記
■T-4練習機の時代
第一回ではT-4練習機がいよいよ旧式化が始まっている、としました。

もうそんな時代なのか、と思われるかもしれませんが確かに流線型の機体と、多くの航空祭で並べられ、編隊飛行から機動飛行までこなすとともに、ブルーインパルスが運用する華麗なアクロバット飛行をみますと、一見、旧式化とは無縁の新鋭機にみえなくもありません。

しかし、T-4練習機はT-33練習機の後継機として導入されたもので、T-33練習機は第二次大戦末期に設計が開始され、もう少し日本の敗戦が遅れたならば、本土決戦の際に投入された可能性があるP-80戦闘機の複座練習機がT-33,設計開始を辿れば帝国海軍の艦載機烈風とあまり変わらないのです、その後継機なのだ、といえば理解が早い。

T-4練習機、200機以上生産された航空機ですので数の上では陸上自衛隊のUH-1多用途ヘリコプターよりも多い航空機であり、後継機については仮に安価な航空機を選定した場合でも、200機を、例えば15年間で生産した場合は年間12~14機程度の調達が必要ということになり、生産に関して取得費用は防衛費に相応の負担となることでしょう。

後継機、練習機の装備体系はT-4が開発された時代と若干変化しています、T-4練習機は中等練習機として設計された、と前述していますが、この通りでT-4練習機が設計された時代には中等練習機での訓練を終えての高等練習機が運用されていました。Tー4が手堅い設計の練習機に特化できた背景には高等練習機が後ろに控えていたからなのですね。

高等練習機にはT-2練習機、日本初の超音速練習機として三菱重工を中心に国産開発された航空機で2005年に全機用途廃止されました。T-2,日本初の超音速機で、96機が生産されたほか、改良型にF-1支援戦闘機が77機生産されています。T-2はT-4練習機の前にブルーインパルスとして運用されていまして、当方も二十年前最後の最後にみることができました。

T-2練習機は超音速飛行が可能で、後期仕様の機体にはレーダーと機関砲が搭載されていました。これによりサイドワインダーミサイルを運用可能、有事の際には補助戦闘機としての能力が期待されていました。改良型としてF-1支援戦闘機も開発されていまして、F-1支援戦闘機は、空対艦ミサイルASM-1を二発搭載し運用できたため、冷戦時代、一個飛行隊18機で36発のASM-1を投射可能、期待された支援戦闘機です。

北大路機関:はるな
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現代日本と巡洋艦(第二回):海上自衛隊巡洋艦構想、戦後日本の巡洋艦研究

2015-04-27 23:26:25 | 日記
■未成の海上自衛隊巡洋艦構想
 巡洋艦、前回は戦後の巡洋艦について俯瞰してみましたが。

 さて、今回討議します我が国巡洋艦の必要性とは、文字通り海外地域における自国民保護を念頭に置くものです、海上自衛隊は過去に幾度か巡洋艦の建造を検討しています、ポスト四次防検討時には、はるな型ヘリコプター搭載護衛艦に続く新護衛艦として、ヘリコプター巡洋艦の建造が検討されたといわれまして、日本にとり戦後無関係なものではありません。

 ヘリコプター搭載護衛艦はるな、海上自衛隊が初めて導入した航空機運用の艦艇は1973年就役の護衛艦はるな、からですが、海上自衛隊はそれまでに数回ヘリコプター母艦、若しくはヘリコプターと対潜戦闘指揮中枢の水上戦闘艦艇の研究を行っています。第一次防衛力整備計画の時点で、海上自衛隊がソ連原潜へ対抗するにはこの種の艦艇が必要、と早い時期から検討されていました。

 この中で、ヘリコプター搭載護衛艦はるな、も基準排水量4700tとなっていましたが、当初計画ではターターミサイルシステムを搭載し、もう少し大型の護衛艦として建造する検討はありました、もっとも基準排水量で5000t程度の全通飛行甲板型護衛艦を建造する研究や、艦砲を一門削減し飛行甲板を大型化し、航空機運用能力を強化する、という検討も行われていたようですが。

 ポスト四次防では8300t型護衛艦として護衛艦はるな型を拡大する案、8700t型護衛艦として全通飛行甲板構造を採用し、ハリアー攻撃機を将来的に検討するもの、など。8300t型護衛艦の検討時には、6000t型護衛艦としてミサイル巡洋艦、たちかぜ型ミサイル護衛艦を大きく拡大改良したものを想定したと考えられ、満載排水量で8000t程度となります。

 ミサイル巡洋艦とは、ミサイル護衛艦の能力を強化したものに当たり、具体化されているものではないので詳細は元々ありませんが、Mk13ミサイル発射機を複数備えた護衛艦を建造し、ヘリコプター巡洋艦とミサイル巡洋艦の二隻で巡洋艦隊を編成する、という検討がなされたともいわれ、しらね型護衛艦に落ち着くまで試行錯誤は行われていた模様です。

 将来必要な艦艇、ここでいう日本の巡洋艦とは、具体的には海賊対処任務や国際平和維持活動の支援、在外法人保護と国際人道支援任務などの任務が考えられるところ。特に海賊対処任務は、現在、大型護衛艦を派遣していますが、護衛艦の任務と装備を考えた場合、長射程の艦対艦ミサイルや高度な防空システムは必要ではありません。

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榛名防衛備忘録:装甲車は何故必要なのか?:第九回・・・陣地攻撃装備の発達と情報優位

2015-02-19 23:08:14 | 日記
◆優位性故の対策発達
 装甲車による防御について、かつて陣地防御が優位だったからこその対策発達が、その転換を強いているといえるかもしれません。

 もう一つ、第一線歩兵は航空攻撃の脅威にさらされ、砲兵火力の精度は年々向上し特に1980年代からは機銃陣地などの火力拠点制圧へは対戦車ミサイルが運用されるようになり、前線火力は秘匿が特に需要となってゆきます。

 個人用掩体を標的とするようになっているほか、1980年代からは機銃陣地などの防塁へ対戦車ミサイルに拠る精密攻撃が行われるようになっています。1990年代後半にはテルミット化合物を用いたサーモバリック弾が歩兵に携行され、位置情報は無人機が暴露するようになりました。

 サーモバリック弾は歩兵用ロケットはもちろん小銃擲弾からも投射できる可搬性の高さと共に航空機より投射されるナパーム弾と同等の被害を及ぼすようになったため、可搬可能である第一線火力はより高まったわけです。これでは露出陣地の脆弱性は大きくなり、装甲車両を装備するか掩蔽陣地の急速構築へ技術革新を待たねばなりません。

もっとも、この装備は元々が洞窟陣地や市街地を防御拠点とした遊撃戦への対抗手段として構築されたものであるため、この種の装備が開発されたからこそ運動戦の必要性が生じたのではなく、陣地戦闘がこれまで有効であったからこそ、これを無力化するための用法が構築されたため、ともいえるところです。

 無人機は上記条件に加えて、掩蔽陣地のような陣地構築を行わなければ暴露した野戦陣地は容易に発見されるようになります。この無人機は滞空型で高高度から戦場監視を行うものがありますが、携帯式で人力投射により射出するものも広く配備されており、常に移動しなければ固定陣地では発見即弾巣、袋叩きとなるでしょう。

 陣地は暴露すれば非常に厳しい状況に追いやられるため秘匿が重要と記しましたが、無人機はこの秘匿の度合いをより高いものへと追いやっています。このため、迅速に構築できるならば地下化される掩蔽陣地などの優位性が高まるのですが、陣地変換等の制約はこの構築の時間的余裕を狭めました。

 情報優位が戦域優位につながるとの発想を元に発見した目標情報を迅速に共有化し部隊間により火力を投射し相互を補完する、という現代戦では、位置が容易に無人機が暴露し、陣地攻撃用の装備が発達、航空偵察と航空攻撃の機能が第一線歩兵の無人機や陣地攻撃兵器により代用も可能となったわけです。

 こうした意味から、装甲車両により機械化することは城壁や野戦築城の延長線上として意味があると共に、陳腐化した従来の防御戦闘隊形を無理に維持する場合、築城速度などの装甲車両とは別の技術革新を伴わない限り、人命や装備などへ非常に大きな損耗という代償を支払わされることとなります。このため、装甲車両の広範な装備は大きな意味があるのです。

北大路機関:はるな
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平成二十六年度二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2015.02.07・02.08)

2015-02-06 22:15:45 | 日記
◆自衛隊関連行事
 首都圏に降雪が見られ、寒々とした中ではありますが皆様如何お過ごしでしょうか。

 今週末の自衛隊関連行事ですが、ミサイル護衛艦みょうこう一般公開、週明けには練習艦しまゆき一般公開、掃海母艦うらが艦艇一般公開等が行われ、昨今の自衛隊関連行事が行われない季節ではあるのですけれども稀有なことに週末と祝日共に艦艇一般公開が行われるかたち。

 ミサイル護衛艦みょうこう一般公開は海上自衛隊下関位置におきまして本日と明日土曜日に日曜日と行われます、練習艦しまゆき一般公開は高知県の高知県高知市の高知新港にて11日祝日の水曜日に、掃海母艦うらが艦艇一般公開は三重県四日市港において行われる、とのこと。

 掃海母艦うらが一般公開は三重地本HPに記載がありまして、伊勢湾機雷戦訓練が行われる関係かと思ったのですが、訓練への掃海母艦参加は一隻と記載されており、掃海母艦ぶんご、が参加しています、念のため足を運ばれる方は三重地本HPなどで最新の情報を元にお出かけください。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭
・2015.02.07-08:下関基地ミサイル護衛艦みょうこう一般公開・・・http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/event/index.html
・2015.02.11:高知新港練習艦しまゆき一般公開・・・http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/event/index.html
・2015.02.11:四日市港霞ヶ浦ふ頭掃海母艦うらが艦艇一般公開・・・http://www.mod.go.jp/pco/mie/know/event.html

◆注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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榛名防衛備忘録:装甲車は何故必要なのか?:第五回・・・装甲車と装甲部隊に影響を与えた三要素

2015-02-04 22:50:37 | 日記
◆装甲車と運動戦の幾つかの転換点
 本日も装甲車についての特集を掲載します。まだ第五回ですがお付き合いいただければ、と。

 欧州ではドイツ軍を筆頭に空挺部隊対戦車部隊のヘリボーン展開という方策が具現化し、観測ヘリコプターへ対戦車ミサイルを搭載した初期の対戦車ヘリコプターが、陣地防御を行う軽歩兵部隊の地位を高めます。具体的には陣地へ大規模攻撃が開始された際に多数の対戦車ヘリコプターが地形を超越攻撃し、対機甲突撃破砕射撃を急速支援するという方式が一つ。

 対戦車ヘリコプターはこうして陸上戦闘、軽歩兵部隊の防御線を急速強化する手法として新体系を構築するに至りましたが、上記ヴェトナム戦争において脆弱なヘリコプターを地上防空部隊の不期遭遇から生存させるべく機体形状や防護能力が発展し、攻撃ヘリコプターへと発展します。

 東西双方が攻撃ヘリコプターを整備したため、攻撃ヘリコプターは対戦車能力に加え地域制圧能力を付与し、地上からの反撃にもある程度耐弾性を有していますので陣地攻撃にも多用されるようになり、加えて野戦防空能力も発展、自走高射火器へ高度な火器管制装置が搭載されるようになり、双方での運用にて一方を利するものでは無く相殺されてゆきました。

 防御戦闘における装甲車の位置づけは、冷戦時代の核戦争、戦域核戦場の想定とともにNBC防御能力が必須となり、同時の乗車戦闘の必要性が提示され、徐々に装甲車へ重火器を搭載する構想が具体化、監視装置は当初偵察部隊に搭載される装備から始まりますが、徐々に普及してゆきました。

 前後しますが、20mm機関砲を搭載するドイツのSpz-11装甲車へ対抗する形でソ連がBMP-1を開発、これに応えドイツのマルダー1やフランスのAMX-10Pが開発、一つの流れが形成されます。ここで、戦車と装甲車の機械化部隊に対して、装甲戦闘車単独を含む機械化部隊の柔軟な編成が生まれ、運動戦の概念は転換してゆく。

 一方の掩蔽陣地は、対機甲戦闘を除く対歩兵戦闘の分野では1970年代のヴェトナム戦争において当時の新鋭火器を相手としても能力を維持し得る事を証明しましたが、対機甲戦闘においては1973年の第四次中東戦争においてイスラエル軍のバーレブライン防御線が呆気なく突破され名実ともに運動戦への展開への限界が示されました。

 この際に大きくその威力が示された対戦車ミサイル、対戦車ミサイル自体は1950年代後半に既に幾つかの有力な機種が開発開始されているのですが、この装備が陣地防御へ提示されています。掩蔽陣地へ対戦車ミサイルを配置する事例や、小型形状から掩砲所に温存することも可能でした。従来の対戦車砲よりも射界が広く、陣地転換も容易です。
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榛名防衛備忘録:基幹部隊をみる① 偵察中隊、火力と機動力が充実した陸上自衛隊草創期の偵察部隊

2015-01-14 23:59:12 | 日記
◆戦車を持つ偵察中隊
 前回に続きまして、陸上自衛隊草創期に師団に当たるかっくタイや混成団におかれていました偵察中隊について引き続き見てゆきましょう。写真は当時の駐屯地祭に当方は足を運べませんでしたので現用のもので代用となりますが、ね。

 中隊本部は、ジープ4両、M-3半装軌装甲車1両、中型トラック2両、2t半トラック3両、M-24軽戦車1両、81mm迫撃砲1門を運用していました。中隊本部は輸送車両を保有し、偵察小隊の支援を行うと共に小隊が損耗を受けた際に予備装備の補填、という任務に当たっていたことが分かります。

 偵察小隊は、まず編制面から見ますと、小隊本部、斥候班、小銃分隊、支援分隊、戦車班、という編制を採っており、斥候班は2個分隊を基幹として班本部を置くという編制です。小隊隷下は分隊などが幾つか分かれて保有していますが、三単位編成のようなものは無く混成編成が特色といえるでしょう。

 小隊本部はジープ一両を以て小隊長と小隊陸曹が就きます。斥候班は班本部がジープ一両と1分隊と2分隊はそれぞれジープ2両に分乗し機動し全体でジープ5両を運用しています。小銃分隊はM-3半装軌装甲車の1両に全員乗車していまして、開放戦闘室と複数の機銃を搭載していまる。

 支援分隊は迫撃砲班にあたりジープ2両と81mm迫撃砲を装備します、ジープ2両ですので前進観測と迫撃砲運用車両、として充てる事も出来ますし、弾薬輸送支援なども行えます、最も当時の迫撃砲は今のL-16迫撃砲の三分の一程度の射程となりますが。そして戦車班にはM-24軽戦車2両が置かれていました。

 三個の偵察小隊が有する能力はかなりのもので、戦車班の戦車2両を小銃分隊が装甲部隊として支援、また支援分隊は1門とはいえ81mm迫撃砲を装備していますので現在の陸上自衛隊では81mm迫撃砲は普通科中隊の迫撃砲中隊に集約されていますが、小隊毎に迫撃砲による火力支援が可能となっており、柔軟性が高い。

 混成編成を採用していますので、偵察中隊は敵前衛程度の脅威であれば威力偵察の際の火力戦闘での排除をある程度までは実施できると考えます。また敵主力と接敵し、戦闘を偵察中隊から連隊戦闘団へ移行したのちは、一旦部隊を引き下げたのちに、これだけの装備水準ならば、連隊戦闘団の戦線形成後、師団に当たる管区隊や混成団の重要な予備戦力ともなりうるでしょう。

 斥候班はジープ5両ですが、ジープには当然軽機関銃を装備し、防御力は考慮していませんが機動力と火力を一応は両立しています、斥候し目標の有無を確認し次第にM-24軽戦車が75mm砲を射撃し威力偵察を展開、迫撃砲もこれを支援しまして抵抗が小さければそのまま装甲車の小銃分隊とともに制圧、大きければ後方の主力より支援を受ける、というかたち。

北大路機関:はるな
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