北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】今津駐屯地創設72周年記念行事(2)方面隊情報部隊の観閲行進(2024-09-21)

2024-11-02 20:11:00 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■方面隊情報部隊
 方面隊情報部隊の観閲行進、情報部隊といいますと秘密めいた印象が有りますが実際には敵が隠したい実情を各種手段により暴くというもの。

 中部方面無人偵察機隊の観閲行進、空色の職種カラーは情報科のカラーです。今津駐屯地の駐屯部隊は減る一方であるなかで新編された数少ない部隊なのですが、人員規模は50名規模となっていまして、そして運用する無人機の数も若干数と、昔の部隊だ。

 スキャンイーグル無人偵察機の配備も開始されていますが、これも本来は旅団や師団単位で運用することが求められていますので、方面隊単位の無人偵察機部隊となりますと、師団や旅団にスキャンイーグルの分遣隊を派遣できるような規模があって然るべき。

 中部方面移動監視隊、千里眼という光学監視装置を装備しています。少しでも動いた物体を検知すると高精度カメラによりその詳細を探るというものなのですが、これ、もともとは北朝鮮の特殊部隊などが沿岸部に浸透した際に発見するための装備だという。

 無人機対策に必要な装備だ、日本海を渡ってくる無人機は極めて低い高度を浸透することが可能で、レーダーの死角を飛行する懸念があります、千里眼であればこれを探知するには最適なのだけれども、大きな課題は数の少なさで、方面隊に百基単位で必要だ。

 第3後方支援連隊第2整備大隊偵察戦闘直接支援中隊の観閲行進、だいさんこうほうしえんれんたいだいにせいびだいたいていさつせんとうちょくせつしえんちゅうたい、ひらがなにするとものすごく長い名前の部隊となってしまうのが、ちょっと時代だなあ。

 重装輪回収車と軽装甲機動車と、16式機動戦闘車などの整備支援や必要に応じて損傷した車両の回収を行う部隊でありますので、装甲車両を相応に装備しています、昔は戦車直接支援中隊と呼ばれていた部隊で、96式装輪装甲車も装備していた。

 軽装甲機動車も後継装備としてハーケイ装甲車かイーグルⅣ装甲車が配備されるという。どちらも96式装輪装甲車よりもお高い。ところでラジエーターがむき出しの軽装甲機動車は設計の欠陥とヒョーロン家に叩かれたものだが、候補車はどちらもむき出し。

 第3偵察戦闘大隊本部の観閲行進が始まります、人員規模280名、戦車大隊の250名よりは若干増員されたことにはなるのだけれども、その分は三月の部隊改編で第10戦車大隊が廃止され、人員は豊川駐屯地に行ってしまった、駐屯地の規模を考えるとなあ。

 16式機動戦闘車、いい装備だとは思うのですが戦車と比較することが出来ない装備でもある、これは戦車では無いのだ。戦車を撃破できる105mm砲を備えているのですが車体そのものや砲塔正面の装甲は敵戦車の砲弾に対抗できるようなものではありません。

 偵察戦闘車、16式機動戦闘車の車体はファミリー化が進められることとなっていまして、この第3偵察戦闘大隊は偵察中隊と戦闘中隊があり、16式機動戦闘車は戦闘中隊に配備されているのですが、偵察中隊にはいまの装備の後継に偵察戦闘車が配備されよう。

 82式指揮通信車、平凡だと言われればそれまでですがけっこう成功した装備とおもう、小松製作所が設計し、指揮通信車と87式偵察警戒車に化学防護車というファミリー化が実現しまして、量産数は全部で400両近くを揃えた、全国にも配備できた。

 小型装甲車としてこの車両はもともと四輪駆動型を大量配備する研究が1970年代に為されていた、当時整備が進んでいた高速道路網を活用するためですが、開発中にオイルショックがおきまして普通科部隊の全般的な装甲化が実現せず、2020年代に至ります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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【G3X撮影速報】岐阜基地日常風景2024夏(2),飛実団銀色のC-1FTBフライトテストベットの発着(2024-09-12)

2024-10-27 20:24:52 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■銀色のC-1FTB
 銀色のC-1FTBを撮影した話題を。

 C-1FTB,もう目の前に降りてきました、銀色の、いや原色の、C-1輸送機がおりてきた。この構図を撮影できるというのが岐阜基地の強みと思う。いや、まあ、小牧基地でも歩道橋の上で撮影していますとこういう構図になってくれるのですけれどもね。

 C-1輸送機は、沖縄返還前の設計と要求仕様であるために航続距離が異常に短く、その分を速度と機動性とSTOL性能に全ふりした、日本らしい輸送機です。もっとも、製造数が大幅削減されて31機にとどまった、というのもC-2輸送機と重なるのだが。

 F-15戦闘機が旋回して着陸へ向かう。岐阜基地は戦闘機も配備されている基地ですので、輸送機が轟音とともに頭上を通過したその直後にもう一度いきなり戦闘機がかんだかい金属音を響かせて高速で着陸してゆく、というのも日常風景だったりするのです。

 夏空と夏雲がもくもくと聳える残暑というには厳しい風景の岐阜基地、その先の風景へF-15の機影が溶け込んでゆく。岐阜基地は旋回する先に岐阜市の市街地がひろがり、周りには各務原市も犬山市もならんでいるのですが、その上を轟音をひびかせつつ。

 F-2戦闘機の着陸だ。え、F-15どうなったの、と思われるでしょうが試験飛行でF-15とF-2が連続して離陸していたのですね。戦闘機の数だけでみれば、小松基地、北陸の基地の方が多く飛行する回数も多い、が、機種は多いし、まわりで食事できるところも。

 飛行開発実験団のF-2戦闘機、この着陸の構図も凄く好いのですが、例えば三井山という基地の西側に聳える小山の山頂に陣取りますと、離陸の際に目の前を上昇し、タッチアンドゴーの際には目の前で旋回して迫力ある構図を撮影できたりして、たのしい。

 三菱重工のF-2,制空戦闘が第一の航空自衛隊では異端児のような扱いという戦闘機なのですが、石破防衛庁長官時代に生産中断が発表され、繋ぎのライセンス生産なども行われなかったので、そこで日本の戦闘機製造が中断してしまったのは残念のひとこと。

 ラファール戦闘機、フランスなどはラファールF2、ラファールF3、ラファールF3.1、ラファールF4と改良を、とにかく戦闘機を生産し続けている。偵察機とか電子戦機とか飛行隊定数を増強するとか、F-2後継機が具体化するまで生産を継続すべきであったなあ。

 夏雲と夏空とF-2戦闘機、ちょっと逆光気味で雲の迫力とかもちょっとなあとおもいつつ、できれば積乱雲とかといっしょに構図を決めたかったけれども、積乱雲が迫ってくる状況となると、落雷とかで怖いことになりますので贅沢を言ってはいけない。

 有事の際の予備というものを考えると、定数ギリギリで稼働率次第という日本の防衛力整備は、ほんとうに戦争を考えているのか、そもそも政治は、自衛隊では無く政治は、与党も野党も、どういった戦争を、軍事戦略でアジアを生き延びるつもりなのか、とね。

 稼働率という面から戦闘機を見ますと、小野寺防衛大臣時代に共食い整備など、冷戦時代には稼働率95%とまで言われた航空自衛隊の即応体制がいまもう見る影も無い、という状況であったため、補正予算で動かせるよう予備部品の予算が組まれた事を思い出す。

 ヒコーキカッケー、というような単純に被写体として防衛装備品を見るのでは無く、これをどのように運用して必要な任務を果たすのか、という視点まで踏み込んでいますと、大丈夫なのかなあ、という素朴な懸念がふっと浮かぶのですが、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】富士学校開校70周年富士駐屯地祭(4)FH-70,99HSP,19WHSP,12SSM(2024-07-21)

2024-10-27 20:00:10 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■特科教導隊行進
 HSPは自走榴弾砲を示しWHSPは装輪自走榴弾砲の事を示しそしてSSMとは地対艦ミサイルをさします。

 FH-70榴弾砲の観閲行進が開始されました、実に479門もの数がライセンス生産され装備された陸上自衛隊の主力火砲ですが、かなりの数が退役してしまいました。この火砲は、それこそ退役させても廃棄せず、モスボール保管すべき装備と思うのだが。

 39口径155mm榴弾砲、FH-70というのは1970年代の火砲という意味をもつのですけれども、結局世界は39口径よりも長い砲身を選んだのはずいぶん後であり、52口径の火砲は牽引式としてはほとんど普及せず、45口径や47口径の牽引砲も大量生産は至っていない。

 99式自走榴弾砲、正直なところ19式装輪自走榴弾砲はこの99式自走榴弾砲の砲塔部分をトラック車体後部に載せるべきでは無かったかと思う、火力調整所からの標定を自動で受けて走行中に咲いて奇異な射撃陣地を割り出しほぼ操砲も自動化されている。

 52口径155mm榴弾砲、射程は40km程度ということだけれども、例えばエクスカリバー誘導砲弾の運用能力を付与するとか、それだけでなくアメリカ本土以外のもう少し遠距離の射撃を試験できる射撃場での試験を行えば、この砲の真価は変わるようにも。

 21世紀の自走榴弾砲を20世紀のうちに実現させている、ただ、唯一不満はエンジンの出力が600hpであることで、戦車とともに機動力を発揮するならば1000hp級のものを搭載すべきであったか、車体部分が89式装甲戦闘車を応用した故のエンジンなのだが。

 車止め取り外し忘れている、99式自走榴弾砲は優れた装備と強調したものだからどうしてもショックだったのは右側の車両、妙に煙が出ているなあとおもってよくよく見てみると、車止めがそのままだ、外しわすれは頓馬だけれども無理矢理動く三菱設計は凄い。

 19式装輪自走榴弾砲、既に西部方面隊では配備が始まっている。ただ、99式自走榴弾砲の先進性を比べてしまうとどうしても設計思想の古さが目立つ。スウェーデンのアーチャー装輪自走砲のように砲塔は自動装填方式を採用すべきでは無かったのかなあ。

 火砲は射撃から陣地変換までの早さが重要、そうしないと対砲レーダ装置で場所を標定され的の砲弾が降り注いでくる、だから砲員が外に出なければならない設計よりも砲塔式が望ましいのだ。この頃イギリスもボクサー装甲車の砲塔型、RCH155を採用した。

 地対艦誘導弾部隊、新しい陸上自衛隊の花形部隊です、なにしろ射程が先ず当面は900kmに、そして2000kmにまで延伸する計画なのだから。変な話本州や九州から北京まで届いてしまうどころか、本州から中国内陸部四川省の核ミサイル部隊が射程にはいる。

 12式地対艦誘導弾システム、連隊の同時射撃能力は96発、射程延伸型が所謂反撃能力だ。当面はやはり任務は地対艦ミサイル、ただ射程延伸型の配備はまもなくであり、変な話、九州から沖縄県の島しょ部防衛任務への参加が可能となるのは、時代だなあ。

 反撃能力というのが憲法9条や専守防衛政策とどこまで適合するのかは議論があるとは思いますが、陸自全体で500発以上の同時射撃が可能、再装填により一時間で攻撃を数回継続できる。冷戦時代に始まった地対艦ミサイルは2020年代に変革を迎えた。

 教育支援施設隊の観閲行進、施設学校の施設教導隊とはことなる部隊ですが、施設学校は茨城県の勝田にあり、富士学校の教育や戦術研究には施設科部隊が必要であるためということで、富士学校も独自の施設か部隊を隷下に有しているのですね。
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【G3X撮影速報】カブールC550-CAVOUR日本初寄港(3)ハリアーとF-35Bが飛行甲板に(2022-09-05)

2024-10-26 20:01:30 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■C550-CAVOUR
 飛行甲板を眺めると海上自衛隊の全通彦甲板型護衛艦との根本的な違いが顕著だ。

 カブール、艦載機を満載しています、ハリアー攻撃機とF-35B戦闘機ですね。ハリアー攻撃機は、イギリスのホーカーシドレー社が1960年代のおわりに開発へ成功した、世界初の垂直離着陸攻撃機です、いや実現しなかった試作機ならば数多くあったが。

 ハリアーはもともと、野戦飛行場において通常の攻撃機が滑走路を破壊されるなどした場合でも分散運用により粘り強い航空阻止任務に当たる航空機ではあったのですが、これを艦載機として運用することに着眼したのも同じイギリスでして。

 シーハリアーという、イギリスが海軍向け開発したのはレーダーを強化したものでしたが、ファントムまで搭載した正規空母を廃止したイギリスにとって対潜巡洋艦として建造したインヴィンシブル級軽空母に搭載したハリアーはフォークランド紛争で活躍した。

 しらね型護衛艦を建造する当時、8300t型対潜巡洋艦というヘリコプター巡洋艦型の護衛艦とともに8700t型航空機搭載護衛艦、全通飛行甲板を有する護衛艦を検討していまして、ここに艦載機としてハリアーを搭載する可能性が検討されていたという歴史が。

 U-36訓練支援機のような標的曳航機としてハリアーを導入する検討も為された時代があり、訓練支援艦にハリアーを2機程度搭載する案もあった。困ったときは標的曳航機というわけではないのだけれども、何度も検討されたハリアーは結局、導入されていない。

 サイドワインダーミサイル、ハリアーの能力が限定された背景にはAMRAAMのような視程外空対空ミサイルの運用能力が付与されたのは冷戦後、それまではサイドワインダーミサイルの運用しかハリアーには能力が付与されておらず、性能が限定的であった。

 バックファイア超音速爆撃機、海上自衛隊がハリアーを必要と検討した背景には、シーレーン防衛を任務とする海上自衛隊には数十機のバックファイアが射程の長いキッチンミサイルを大量に撃ち込む飽和攻撃を日本の船団に行うのが危惧されていたといい。

 シーレーン防衛の天敵は潜水艦とともに航空攻撃であり、ハリアーを艦載機として配備できたならば、バックファイア爆撃機がミサイルを発射する前にサイドワインダーミサイルを発射することで発射を妨害することが出来るのではないか、という。

 オペレーションリサーチとして海上自衛隊が想定していたのはバックファイア爆撃機60機による波状攻撃といわれています。現実問題として貴重なバックファイアをそこまで日本の船団に集中するのかという疑問はありますが、当時ソ連は過大評価されていて。

 ハリアーだけでは迎撃が難しい、海上自衛隊は無理にハリアーを導入したにしても、想定されるバックファイアを迎撃するには難しく、いっそP-3C哨戒機に大量のフェニックス空対空ミサイルを搭載する空中巡洋艦構想など、違う方向に検討は進んでゆく。

 ロシアウクライナ戦争、黒海でのバックファイアミサイル攻撃は、とにかく当たらないとともに無関係な商船に命中して、あの狭い黒海でもあんなに運用できないのであれば、ハリアーでも迎撃出来たようにも思えてしまうのだけれども。

 イージス艦、海上自衛隊がバックファイア爆撃機に対抗する手段として着眼したのはイージスシステムとなっていて、護衛隊群に2隻のイージス艦が配備されているならば60機のバックファイア爆撃機の攻撃は第一波で75%、第二波でも60%が生き残るという。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】百里基地ラファール日仏共同訓練【4】ラファール百里基地着陸!(2024-07-19)

2024-10-24 20:11:51 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■ラファール二機編隊
 美しい形状だという強烈な衝撃と共にこのラファールを遂に撮影する事が出来た。

 ラファール二機編隊、この瞬間がやってきたなあ、とちょっと感動する、暇は内のですよ撮影し無ければならない、絶対に逃さないぞという覚悟のようなものとともに、サーボではなくAFをシャッター操作しつつ二台のカメラを器用に使って撮影して。

 ラファール、実際問題、この航空機の写真が必要でした。北大路機関では基本的に写真は北大路機関の著作物だけを、つまり自分のところの写真は自分で撮影して使っているものですから、ラファールの話題を語ろうにもラファールの写真が無かった。

 第4.5世代戦闘機という話題で無理矢理F-2戦闘機の写真で同世代ですよとごまかしていたのですが。旋回するラファールも、もちろんEOS-7Dで撮影するのですが、こののG3Xでも連続して撮影してゆく、が正確に撮影するほど余裕は無くやや広角気味で。

 オーバーヘットアプローチのみ、もう少し旋回してほしかったなあ、と思いつつ、それでもこのラファールは独特の三角形のような、さすがミラージュ戦闘機を生んだダッソー社だという感じの形状をしていますので、ラファールらしさを撮影できたのだが。

 一回だけしかも上空をローパスもしなかった、これはちょっと意外に思いました。遠いところから飛行してきたのだよ、と反論されるかもしれませんがドイツ空軍がこの百里基地へユーロファイターで来日したさいにはローパスしたといいますから、ね。

 ラファールを目一杯望遠で。EOS-7DMark2にはEF100-400mmISレンズを装着しているが、これでは遠いのでG3Xのデジタルズームによる2400mmという怪物のような望遠で挑んでみます。粒子荒れはすごいけれども、ラファールかと言われればラファールだ。

 着陸態勢へ。ここまで撮影できているので、もうラファールの写真をF-2で代用しなくともいいなあ、と思いつつ、しかしユーロファイタータイフーンの写真はまだ使えるものが手元にないものですから、もっとも同時刻に千歳へ到着しているのだけれど。

 4機の予定が2機にはなったが、ラファールの到着です。実のところこのラファールを撮影するか、同じ時刻にドイツ空軍とスペイン空軍のユーロファイターが千歳基地に来日するというものですから、新幹線かスカイマークかで迷ったものなのです。

 F-2とラファールとアベックみたい、いや手前の二人組が後ろ姿で青春しているなあ、といい構図になった。着陸の様子を撮影、もう少し高い脚立を用意しなければならないのだけれども、このあたりは借り物なので感謝こそすれ文句などは無い。

 百里基地格納庫前のラファール、着陸したなあ、という構図です。ユーロファイターを撮影に行った場合は、あれ、南千歳駅の高台になっているあたりが撮影地になっていたのだろうか、千歳基地は広大で外柵沿いに撮影するには結構難渋すると聞く。

 ユーロファイターは欧州では採用国も多く、今年は無理でも来年あたり、百里か小松で撮影できそうな気がする。ラファールは採用国が急に増加していますが、日本まで来れそうに無い国が多い。ラファールのために空けられている格納庫を背景に進む。

 C-2とラファール、これも日本らしいアングル、ということになるのか、それにしてもこの鉄条網がどうしても構図に入るものだから、いっそ茨城空港の撮影しにくい条件の中で撮影する方法を模索した方がよかったのか、とも考えつつシャッターを押す。

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【G7X撮影速報】舞鶴基地新護衛艦やはぎ&あがの(2)ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが入渠中(2022-09-07)

2024-10-20 20:24:15 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■ひゅうが入渠中
 はるな、一昔は舞鶴と云えば護衛艦はるな停泊というのが定番の光景でしたが世代交代が進んで横須賀から護衛艦ひゅうが転籍ののち今に至る。

 ひゅうが。そう、ひゅうが。この日は舞鶴最大の護衛艦であるヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、その定期整備での入渠が行われている段階でした。実はこの翌週に舞鶴オータムフェスタが予定されていたのですが、ひゅうが入渠をここでみてしまうとね。

 ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、満載排水量19000t、そしてなにより全通飛行甲板、なんど見学してみてもいいなあと思える護衛艦なのですけれど、オータムフェスタで見学できないことがこの状況で一目瞭然ですので、オータムフェスタでみれないとなると。

 舞鶴オータムフェスタ、艦これコラボなどもおこなわれまして活況ではあったと謂うことは伝え聞くのですが、ことしはわたしはいいかな、というように思いました背景はこの情景とともに。艦隊に復帰した時点でもういちどこの遊覧船にのりたいもの。

 満載排水量19000t、この護衛艦が建造された当時はかなり大きく感じたものですが、いずも型護衛艦の満載排水量が27000t、F-35B搭載改修によりさらにもう少し排水量が増大していますので、見た目も大きくなり、ひゅうが型も小ぶり感がでたようにも。

 F-35B戦闘機運用には過小であると評価されてしまい、F-35B搭載改修は行われないことになっているのですが、実のところこの規模の護衛艦の数を建造して増やしていった方が、必要な祭に部隊を集中し局地防空能力を高めるなどの選択肢がとれるよう思う。

 せとぎり、1990年に竣工した護衛艦です。おもえば今年で竣工34年、護衛艦はるな退役の時代を考えると驚くほどに長期の運用となっています、もっとも、はるな、蒸気タービン艦であり配管老朽化が懸念されましたが、あさぎり型はガスタービン艦だ。

 あさぎり型護衛艦、海上自衛隊では最後の三段ベッドを採用した護衛艦です、居住性を2020年代の視点からはかなり制限しているように思えるのですが、あの頃は今ほど護衛艦は遠くに行きませんでしたし、護衛艦よりも周辺情勢が変わってしまったか。

 定期整備が行われていまして、これから塗装も美しくなるのでしょう、が、最近痛感するのは、護衛艦が世これているように思えること、錆が目立つのだ、それも近づかなくともかなり遠くから見た場合でも塗装のあらが目立ち、しかも舞鶴だけの話ではない。

 錆が目立つのは、昔、というよりも海上自衛隊に余裕があった時代には停泊中に時間を見つけて塗粧作業を行っていましたので、航海中の期間が長くなったのか、乗員が作業する余裕が無いほどに代休確保を任務増大で迫られているのか、ということ。

 はるな、2003年に、つまり20年以上前、インド洋海上阻止行動給油支援任務派遣から帰国した直後の様子をみまして、錆が目立つので綺麗になってから撮影してほしい、と広報の方に苦笑されたのを思い出しますが、その写真と比べても今の護衛艦全般は汚れ。

 無人機でもつかって塗粧作業を行うことは出来ないだろうか、汚れていても任務にしようが無ければいいのではないか、といわれるかもしれませんが、汚れの原因が錆であるならば船体が腐食しているのです、塗料は船体を腐食からまもるためのもの。

 遊覧船は、造船所、いまは造船では無く整備に特化していますが、このあたりを一巡りしました上で、いよいよ北吸岸壁、護衛艦がずらりと停泊している目の前へと向かうことになるのですが、もがみ型護衛艦がもう目の前に並んでいて、最新鋭を感じるのだ。

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【G3X撮影速報】春日井駐屯地創設57周年記念行事(4)第10後方支援連隊の観閲行進(2024-07-07)

2024-10-20 20:00:57 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■第10後方支援連隊
 観閲行進は続く。

 第10後方支援連隊第1整備大隊本部、後方支援連隊というのは2000年代初頭の師団改編によりそれまで独立していた武器大隊とかいくつかの支援職種の部隊を編ごうして連隊としたためですが、結果的に車両に明示される部隊の略称が長くなったよう思う。

 パジェロにものすごい反射が。G3Xで撮影していて、G3Xはファインダーなんてついていませんから、あとで画像を確認したときに、おお、何これ、と驚いたわけです。これだけ光っているのも珍しいというか、真夏の灼熱の太陽をどうしてもこれで思い出す。

 火車とあるのは第1整備大隊火器車両直接支援中隊、戦車はないので機動戦闘車とか火砲は方面特科連隊に持って行かれたので重迫撃砲とかを整備する各部隊の整備小隊が行う以上の整備などを行うための中隊となっています、火の車というわけではない。

 補給隊の3-1/2tトラック、さんとんはん、と読むのですが昔は73式大型トラック、と呼称していた、けれどもナントカ式とつけると制式要項を超えた、エンジンや排気系の改良型が製造しにくくなるため、制式化ではなく部隊使用認可に切り替え、この名称に。

 燃料輸送車、これが無ければ話にならない、重要な装備なのですが、かんがえてみると第10戦車大隊が今年三月に廃止改編され戦車が全部無くなってしまいましたので、燃料を大量に消費する戦車が無くなると燃料所要も減ったのかなあ、なんて考えてしまう。

 輸送隊の隊本部、驚くなかれ1980年代までは普通科連隊は連隊と師団輸送隊のトラックが無ければ自動車化されていない、完全な歩兵師団型の編成をとっていた、日本の地形は複雑だからという理由なのですが。考えれば自動車化されただけでも進歩なのかなあ。

 衛生隊の1-1/2t救急車が2両、行進します。医師法のもんだいから応急措置を救急車では行えず、見て驚くのは車内ががらんどう、完全な包帯所にあたる応急措置をおこなう場所まで輸送するための手段でしか無いということ、心電図くらいはとおもうのだが。

 野外手術システムが続く。こちらは日本独自の装備で米軍には無い装備といい定期的に米軍の高官が視察する装備です、師団段列地区で重傷者も数日は死なない程度の手術を行い、後方に搬送する。アメリカでは彼らはヘリコプターでダストオフしますから。

 救急車は今後装甲化の計画もあります。救急車はジュネーブ条約で守られていますが、ロシア軍のウクライナでの行動を見ると守るつもりは無いようだ、そういう連中には軽MATをお見舞いするにしても、砲弾の曳火射撃などはよけてくれないのは事実です。

 野外手術システム、ここまで救急車が負傷者を安全に搬送するには、例えば82式指揮通信車のような車内容積に余裕がある装甲車両を装甲救急車とするほかない。パトリアAMV装甲車の救急車型も理想的ですが、あれ、96式装輪装甲車の五倍のお値段ですよ。

 観閲行進はこんな感じで無事終了しまして、災害派遣展示へ10tダンプが並ぶ。こんかいは野戦の戦闘訓練展示ではなく災害派遣展示という。熱中症の患者を搬送する展示、ではなく震災を想定するようですが、もうこの気温で災害なのではないかと思うのです。

 音楽隊の演奏、夏服だ。考えてみると自衛隊行事でここまで真夏の厳しい時期に行われるのは夏祭りか富士総合火力演習、最近はこれも五月に行うほど、新制服の夏服で音楽隊の演奏、というのはちょっと目新しいかな、と思ってしまいました、それほどに、あつい。

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【G3X撮影速報】阪神基地サマーフェスタ2024(3)イージス艦まや一般公開は90分待ち(2024-07-14)

2024-10-19 20:00:05 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■神戸まや大人気
 流石は神戸だ護衛艦まや待機列は90分待ちだった。

 護衛艦の居住性、我が国の場合は同盟国がアメリカだけということで日常的によこすかではアーレイバーク級ミサイル駆逐艦とタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦を見ている訳なのですけれども、所謂"西側の"艦艇にあってアメリカ海軍艦艇の居住性はかなり低い。

 潜水艦のように本格的に居住性に避ける空間が無い艦艇は、それはもう潜水艦乗員手当を強化するほかないのですが、護衛艦についてはなあ、と思う。そのためにはもう少しNATO海軍艦艇の視察を強化して、居住性に関する常識を令和水準としなければならない。

 個室を強化する意味、いくつか考えたのですが配置次第ではスプリンター対策にはなる、水上戦闘艦としての利点です。現在の水上戦闘艦に装甲は無く、一部の重要区間にケブラー材を用いて破片対策としているようですが、重要区画防護には空間も有用となる。

 スプリンター対策というので、昔考えさせられたというか驚いたのはシンガポール海軍のステッドファスト級フリゲイトでステルス設計の内側に斜めとなり使いにくい空間を電子装置用区画としていた、撮影禁止だったがあれでは最初の破片で破壊されてしまう。

 ステッドファスト級、これでは艦内は撮影させられないと思いつつシンガポールそのものが空軍基地周辺に、撮影したら射殺、の看板があって実際MPがうろうろし報道許可証があっても拘束される国、ただ、飛行甲板なら撮影いいよと乗員の厚意には感謝しかない。
 デアリング級駆逐艦、居住性について考えさせられるのは士官は候補生以外基本個室、下士官は二人部屋で片方が基本当直、水兵でもカーフェリーのB寝台以上の居住空間、BARというかパブがあり、食事はカフェテリア方式、というイギリス海軍の事例があるゆえ。

 アーレイバーク級をみますと、これ、映画のバトルシップとかドラマのラストシップとかシップ系作品で描かれているとおり、まあ本邦の護衛艦もあんな感じだよなあ的な描写で、韓国艦や台湾艦も同程度、中国やロシアも似たようなもので、安心してしまうやも。

 たかつき型、やまぐも型の時代は文字通り沖縄返還前の我が国専守防衛の行動範囲で、はつゆき型、あさぎり型の設計時点まではまさかアフリカ沖とか中東とかインド洋に長期航海し、ハワイは近所で航海は一ヶ月単位、という運用は想定されていなかった訳で。

 むらさめ型護衛艦、こんごう型ミサイル護衛艦から科員居住区は漸く二段ベッドとなり、居住性は昔の詰め込み式三段ベッドからは進歩はした、けれどもそれから30年経て、一般の若者の求める常識というようなものの前にPKO協力法が出来て数年の時代とは違う。

 すがしま型掃海艇については以前、シーパワー誌時代から撮影されている高名なカメラマンさんと掃海艇で移動する機会がありまして、へえっ一人部屋だ、と居住区がかなりの数一人部屋として運用されていることに感心する声が上がったのを思い出しました。

 もがみ型なんかは居住性どうなっているのかなあ、1号型油槽船は科員居住区がすべて商船並みに個室化が実現したという。個室があれば悩んだときに一人になる時間がいる場合でも、また長期航海でも寄港地で土産物を揃えることも、私物を持ち込むことも。

 自衛隊は今募集難ということですが、世界を見れば募集難で無い軍隊は無い、アメリカ陸軍は遂に新兵の個室貸与を始めましたし、いつまでも昭和の感覚では、昭和のような毎年一割以上の昇給昇級時代にでも戻さない限り、令和時代の感覚の若者は集めにくい。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【G3X撮影速報】今津駐屯地創設72周年記念行事(1)第3偵察戦闘大隊と方面隊情報部隊(2024-09-21)

2024-10-13 20:00:24 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■今津駐屯地祭
 湖北の戦車部隊駐屯地としてかつては親しまれた今津駐屯地祭へ行って参りました話題です。

 今津駐屯地創設記念行事、9月21日に挙行されました。昨年に続き徒歩での入場は禁止され近江今津駅前からシャトルバスが運行、昨年は74式戦車最後の式典参加とあり、商店街のアーケードを三周する大行列が迎えてくれましたが、今年は3名並ぶのみ。

 式典参加部隊入場、背景に78式雪上車が残っています。新型の10式雪上車はまだ。一昔に戦車部隊へ10式が新しく入るぞお、と発表されてぬか喜びすると入ってきたのは10式戦車ではなく10式雪上車だった、という話を聞いたものですが、いまはもう。

 機甲科の職種色を彩る観閲部隊入場、第3戦車大隊も第10戦車大隊も、というよりも本州の戦闘部隊から戦車部隊はすべて廃止され、偵察戦闘大隊となっていまいました。偵察戦闘大隊隷下には戦車中隊はありません、あってもいいとおもうのですけれど。

 情報科の職種色のマフラーとともに観閲部隊の入場、無人偵察機隊が今津には駐屯しています。遠隔情報システムとして導入された無人機、導入当時はGPSなどが途絶した状況でも運用できる装備でしたが、無人機の数が5機ではいかにも、数が問題だと思う。

 整列した部隊は大きく減りました、昔は、といってばかり行っていますと老人扱いされるかもしれませんが、Weblog北大路機関創設当時は第3戦車大隊に3個戦車中隊、第10戦車大隊に4個戦車中隊、ここに第3特科連隊第5大隊の4個特科中隊がいたのだ。

 74式戦車の全廃、これはもう2014年の防衛大綱改訂により方向付けられていましたが、てっきり74式戦車の戦車大隊が機動戦闘車の戦車駆逐大隊とか特車大隊に置き換わるとばかり思っていました、が、これが偵察戦闘大隊という別の組織となってしまい。

 軽機甲連隊としてフランス陸軍などはAMX-10RC装甲偵察車を72両集中配備した部隊があり、機動力を活かして偵察するという。確かに装甲は薄いですが、あれが72両、どこか探せる戦線の隙間を105mm砲を乱射しつつ探すという運用なのだから相応に強力だ。

 偵察戦闘大隊、第3偵察戦闘大隊がここ今津に駐屯していて、このほかに中部方面移動監視隊と中部方面無人偵察機隊が駐屯、この部隊が式典参加部隊を整列させていますが、どうしても総員107名という小所帯になってしまいまして、寂しいことは否めない。

 駐屯地を維持するにも、この部隊規模というものが上限を下回っているような気がしまして、いっそ、かつての60式自走無反動砲のように普通科連隊に16式機動戦闘車を配備して、平時には中隊を編成してこの今津に駐屯させては、と、演習場環境は素晴らしいのだ。

 あいばの演習場、ここ今津駐屯地は西日本と四国では唯一、小隊規模の戦車射撃が可能な戦車射撃場をそなえた駐屯地となっていまして、演習場環境は素晴らしい。もっとも、特科火砲、FH-70榴弾砲を射撃するにはまったく手狭だと謂うことですけれども。

 阪井邦丸2佐の巡閲、駐屯地司令と第3偵察戦闘大隊長を兼ねています。第3戦車大隊長は警備隊区として滋賀県を受け持つ関係上、1佐補職となっていましたがいまは2佐が補職されている。ただ、人口減少に悩む高島市としては大切な大隊の指揮官さん。

 訓示が行われていますが、ちょうどこの頃NHKにて石川県に大雨特別警報が発令されたと報道がありまして、湖西線がとまるのではないか、と見学している一角では帰路についての心配がささやかれるようになりました、ただ駐屯地は晴天に恵まれていた。

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【G3X撮影速報】中部方面混成団創設17周年記念行事【6】第3偵察戦闘大隊16式機動戦闘車前進(2024-04-27)

2024-10-12 20:24:07 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■機動戦闘車
 結局のところ字面の防衛力よりも衝撃波の体験の方が心理的な抑止力を形成するのだろうなあと思うのが機械化装備を実際に見てみた際の感想です。

 FH-70榴弾砲の発砲炎をとらえた、G3Xでの撮影でこの瞬間を撮影できたというのは、うれしいなあ。こういうのも連写するとG3Xは画像番号が滅茶苦茶になるので、一枚一回シャッターという操作で撮影している、連写せず、発砲炎が撮影できたのだから。

 16式機動戦闘車が一瞬続いて空包射撃を行う。発砲炎、映りませんでしたねえ。しかしこのG3Xと同時に操作していたEOS-7DMark2は発砲炎を、当然連写していたからだけれども、記録していまして、当たり前ですが一眼レフと操作性と性能の違いがでた感じ。

 特科火砲の支援下で機動戦闘車の前進、攻撃前進、という感じが出ていい構図です。大津駐屯地は後方の、といいますか背景が賑やかですので状況の雰囲気が出ない、見学者も大勢いるものですから、しかしそのなかで雰囲気を出せるよう工夫してゆく。

 機動戦闘車が進む、74式戦車が今年三月に全廃され、いまやこの機動戦闘車が本土防衛の要、なのですが師団には偵察戦闘大隊にこの機動戦闘車が1個中隊あるのみ。大隊隷下の戦闘中隊、せめて2個中隊とできないか、戦車中隊を置くことは出来ないものなのか。

 105mm砲の空包射撃、ううむ発砲炎うつらず。90式戦車と10式戦車は自動装填装置をそなえているのですが、この機動戦闘車は装填手が105mm空包を装填して、準備よし、てーっ、と車内で号令の怒号が響き渡っているのです、その苦労に見合う迫力が目前に。

 前進よーい前へ。この号令、戦車部隊では当たり前の号令であったのですが、やはりこの機動戦闘車でも号令として響いているのでしょうか。この号令は、かや書房の本に題名として用いられていました。10式戦車もすごいですがこの機動戦闘車も機動力は。

 迫ってくる機動戦闘車、装輪車両の機動力というものをかんじさせますが、連綿と技術開発を続けた分野では卓越した技術を発揮する日本の研究開発、遠くない将来に樹脂製履帯を採用した、38tくらいの装軌式機動戦闘車というものがでてくるかもしれない。

 スラローム射撃、10式戦車が2012年の富士総合火力演習で展示して世界を驚かせたこの技術、一応16式機動戦闘車でも可能です、富士総合火力演習でも展示されました。もっともこの数年、富士総合火力演習が一般公開されないようになって久しいのだけれども。

 機動力を活かし機動戦闘車、ちなみにこのときの戦車長、いや車長、最後に行われた中部方面隊戦車射撃競技会の小隊の部で優勝した戦車長、同時に行われた第15即応機動連隊機動戦闘車隊の小隊射撃よりも成績がよかったという。いやMCVのとき大雨降ったやん。

 榴弾砲と機動戦闘車の絡み。なお、74式戦車の競技会の後で参考ということで機動戦闘車の射撃が行われたときだけ会場に大雨が降ったのですが、戦車乗りにとって運も実力のうちなんですよ、という言葉になにか納得させられた。戦車を使いこなしたわけだし。

 スラロームをおえて。富士学校からもあの戦車射撃競技会は、なにしろ74式戦車だけの競技会は最後だったためなのですが視察が多く訪れ、74式戦車でも訓練を極めればあれだけ性能を発揮できるか、と驚かせたことを後日なかのひとたちから側聞しました。

 第3偵察戦闘大隊、74式戦車から乗り換えて二年目ですが、来年度予算に用途廃止された74式戦車が予備保管されることが決定したその背景には、ナナヨンもまだまだ使えると第3戦車大隊が実力でしめしたことと無関係では、無いのかもしれませんね。

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