◆師団任務を通信と整備で支える部隊
福岡駐屯地祭観閲行進、前回に続き今回も師団の任務と前進を支える重要な部隊の行進です。
第4通信大隊観閲行進、指揮官小林義孝2佐以下の二個中隊よりなり、通信大隊は多重無線通信搬送、通信伝送、有線通信搬送等を行い、師団と隷下部隊の通信を担当します。そして通信大隊は暗号や電子戦を担当、このほかに写真なども通信大隊の任務となっています。大隊は350名からなっているもよう。
通信大隊は二個中隊が配置され、師団通信システムDICSを運用、一個中隊を以て師団司令部を中心とする根拠地に合同通信所を開設し、師団の指揮命令を隷下の連隊戦闘団へ骨幹通信網を構築します。この中隊は主合通小隊、前方合通小隊、後方合通小隊より編制、師団司令部が移動する際には最後まで通信系統を維持しつつ移動先に先んじて展開しなければならない、機敏さが必要な部隊とのこと。
通信大隊第二中隊は、四個支援合通小隊より編制され、連隊戦闘団へ分散配置し命令系統のネットワークを構築します。連隊本部管理中隊の通信小隊は隷下の中隊との情報体系を構築します。現在はデータ通信能力や対妨害能力を強化した新師団通信システムiDICSが開発中になっています。
第4後方支援連隊、連隊長稲川解1佐以下の観閲行進です。後方支援連隊は2000年度から陸上自衛隊の後方支援部隊改編により二個大隊と三個隊編制となっており、第一整備大隊、第二整備大隊、補給隊、衛生隊、輸送隊という編制になっており、第一線部隊の支援能力を高めるものとなりました。
第一整備大隊は師団根拠地において重整備を行う部隊で、本部付隊と火器車両整備中隊に通信電子整備隊と施設整備隊に工作回収小隊を以て編成されています。要するに第一線部隊で対応できない整備などは一旦最前線から師団根拠地が置かれる後方に下げて、十分に整備する、こういった感じ。
第二整備大隊は、連隊戦闘団や部隊に配置させるもので、第一線まで前進します。第4後方支援連隊第二整備大隊は、本部付隊に大村駐屯地の第一普通科直接支援隊、福岡の第二普通科直接支援隊、小倉の第三普通科直接支援隊、別府の第四普通科直接支援隊、玖珠の対舟艇対戦車直接支援隊、久留米の特科直接支援中隊、久留米の高射直接支援中隊、玖珠の戦車直接支援中隊、福岡の偵察直接支援小隊という編制です。
戦車に関する装備では、第二大隊の戦車直接支援中隊は戦車部隊に随伴する部隊ですので、96式装輪装甲車を保有しており、戦車に向かう火力に対応しつつ整備支援を行いますが、工作回収小隊は重レッカー車とともに戦車を支援する際に備え78式戦車回収車を装備しているということ。
重レッカ、10tまでのつり上げ能力があり、軽装甲機動車なども吊り上げられます。後方支援連隊、現在の編成は陸上自衛隊の機械化が進むと共に、各部隊の本部管理中隊では完全な整備支援を行うことが難しくなったためで、特に軽装甲機動車の装備開始により整備する車両がさらに大きくなったため、これに対応する手段として改編が行われました。
浄水セット車載型、7.5tの浄水能力があり、第一線部隊は野戦時に毎時4?と野営時に洗顔用等を含め20?が必要となるので、この為に装備されています。後方支援連隊には、このほか色々とあり、同時30名の入浴が可能な野外入浴セットや洗濯機を野外で使用する野外選択セット2型などが装備されている。
第4後方支援連隊輸送隊の観閲行進、輸送隊は普通科連隊が自動車化される以前の昭和時代に50両の大型トラックを以て一個普通科連隊を辛うじて自動車化する任務に当たっていましたが、今日では普通科部隊が自動車化を完了し部分装甲化に取り組んでいるため、維持装備や物資の輸送等を行い、その他重装備を運びます。トラックも現在ではもう少し増えているのでしょう。
7tトラック、旧称74式特大トラックにより資材運搬車が輸送されています。戦車は長距離を自走することが出来ますがブルドーザなどは自走能力に限界があります。高い防御力と不整地突破能力を持ちつつも長距離移動に多大な整備支援を必要とし所要時間も大きい装軌車両はこのようにトラックに搭載して輸送しなければなりません。
73式特大型セミトレーラ、戦車輸送車で、74式戦車や10式戦車を輸送できます。輸送隊には8両程度が配備されているもので、戦車が長距離を自走する場合、かなりの整備支援が必要となります。適切な整備支援を行えば1000km単位での機動が可能ですが、輸送車により輸送したほうが稼働率が高い。
実は日本列島は狭いと錯覚される方がいますが、火山性弧状列島ですので移動の際の距離はかなり大きくなります。例えで東日本大震災を挙げますと、福岡第四師団は被災地東北地方までの距離は、欧州ではパリからベルリンまでに匹敵します。冷戦時代であれば、ベルリン以西にある当時ドイツ国境から大西洋に面したアントワープやシェルブールまでの距離で、長距離機動支援の重要性が端的に分かります。
第4後方支援連隊衛生隊、隊本部と救急車小隊と治療隊から成る部隊です。師団全体の治療任務や後送業務に健康管理業うや防疫任務の実施及び技術援助を行うと共に隷下部隊への衛生器材補給や医薬品補給を行い、衛生器材の整備なども実施します。
救急車小隊の1t半救急車、負傷者を後方へ搬送する装備です。ただ、医師法の関係で搬送中の医療行為が限定されているため、車内には担架と簡単な応急処置用の資材が載せられているのみ。個人的にはAEDと心電図に点滴などの後方野戦病院まで延命措置を積極的に図れる車両を、82式指揮通信車の派生型として必要だと思う。
野外手術システム、治療隊に装備され、役割の異なる数台を連結し野戦病院の手術室としています。これまでは手術の練習が野外で行うことが出来る器材、という建前がありました、医療法で病院設置は厚労省の許可が必要だったためです。しかし、東日本大震災において初めて病院として運用された、こう説明を受けました、やはりあの震災は戦後初の“有事”だったわけですね。
第四特殊武器防護隊、師団司令部化学防護小隊が化学防護隊に拡大改編され、2009年に特殊武器防護隊となりました。化学兵器対処や生物兵器対処に核兵器の対処などを行い、毒物の中和や生物兵器の防疫に核汚染の除染等を行う部隊です。福島第一原発へ派遣された部隊でもあります。
化学防護車、従来の60式装甲車を改造した少数の車両から、82式指揮通信車を原型とした装備となり全国の師団や旅団に配備されました。化学剤や放射性物質汚染地域に進出し、汚染状況や汚染分布と拡大情報、汚染物質を防護された車内から検知します。将来的に新型のNBC偵察車により代替される。
除染車、師団の補給路など、化学剤により汚染された場合通行不能となってしまうため、中和剤を高圧噴射させ汚染物質を中和させます。各車両は2500?水槽と加熱装置を搭載し、車体前後からの高圧噴射と携帯噴射ノズルにより、一日当たり800mほどの汚染地域を除染できます。
師団司令部付隊の観閲行進がはじまりました。司令部付隊は師団長と幕僚機構が指揮命令を行うために、師団司令部としての機能を維持し、作戦運用などを師団として展開するために必要な各種支援を行い、管理小隊と車両小隊に司令部勤務班を以て編成されています。
82式指揮通信車、陸上自衛隊最初の国産装輪装甲車として装備されたもので、四系統の無線装置を搭載しています。開発当時の要求から音声以外の画像データ通信能力が現在搭載されていないため、能力的には限界があるものとなっていますが、将来的に大型のNBC偵察車派生型により置き換えられるのでしょう。
師団司令部付隊の観閲行進に続いて、独特の唸るようなエンジン音が一際大きく駐屯地へと響き渡ります、準備しているのは74式戦車、そしていよいよ福岡駐屯地祭観閲行進は戦車部隊の観閲行進へ進んでゆきますが、こちらは次回紹介することとしましょう。
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)