◆本番さながらの迫力!師団祭予行一般公開!
土曜日、第三師団創設記念行事予行へ行ってまいりました。コンパクトデジタルカメラPowerShotG-12の写真にて、取り急ぎその様子をご紹介しましょう。
伊丹市の千僧駐屯地、すぐ近くの伊丹駐屯地には中部方面総監部が置かれ、京阪神地区と中日本および西日本の広域の陸上防衛を担う重要地区となっています。そして千僧駐屯地には京阪神紀伊地区を防衛警備管区とする第3師団司令部が置かれ、今回は此処の行事が行われた。
千僧駐屯地祭は、まず土曜日に一般公開のもとで予行が行われ、日曜日に本番が行われます。通常予行は金曜日に非公開で行われるのですが、昨年から土曜日に一般公開と共に予行が行われるようになり、本番よりも来場者が少なく会場に余裕があるため、お子様連れの地元の方は予行を中心に足を運ばれることもあるのだとか。
予行と本番の違いですが、執行者としての師団長は代理が務め、以下観閲部隊指揮官の副師団長以下の要員は本番と同じ、来賓祝辞と祝電披露に来賓紹介と感謝状贈呈は予行ではアナウンスのみで実質省略されます。このあたり、式典が短く、観閲行進と訓練展示となるため、お子様が自衛隊に興味を持つには、待ち時間を省けて効果があるのかも。
副師団長以下師団高級幕僚の乗車した82式指揮通信車。観閲行進予行、式典はどの程度縮小されるかと言いますと翌日の本番と比較すると25分程度短く、親さんに頼んで自衛隊行事初挑戦、という子供たちにはあまり興味のない祝辞などの部分に対し、観閲行進準備の号令までの時間というのはあまりにも長い。
第36普通科連隊徒歩部隊の観閲行進、第36普通科連隊は阪神大震災において阪急伊丹駅倒壊の一報と共に、手続きよりも良心を重視し近傍災害派遣任務に踏みきった部隊で、福知山線脱線事故にも出動していましたね。ちなみに安易に自由を縛る事で平和を実践しようとしたのが戦後日本の平和法体系、対して同じく敗戦国のドイツは指揮官の良心を重視する体系を構築し、今に至る。
祝賀飛行、航空部隊の飛行は伊丹空港の航空管制を受けるため時間が限定されている。第3飛行隊と第5対戦車ヘリコプター隊に航空学校、海上自衛隊第24航空群のヘリコプター、9機が編隊飛行を行いました。航空学校からはAH-64D戦闘ヘリコプターが参加、この地域の行事ではAH-64Dは珍しくなくなりつつある。
第3偵察隊、軽装甲機動車と偵察オートバイに87式偵察警戒車の車列です。ちなみに、この予行ですがお気づきの通り、スタンド席から撮影しています、このスタンド席は本番にて来賓席となるので、一般は座ることが出来ません、翌日の本場んではこの位置、航空自衛隊の将官が座っていたりしていました。
87式偵察警戒車、ちなみにスタンド席下の椅子席もこの予行の日は全域が一般に開放されていたのですが、本番当日は観閲台の周囲が来賓席となっていまして、端の方のみ一般に開放されていました。ですから、撮影位置だけ、というのでしたらば予行の方がいい場所が開放されている、ということ。
福知山駐屯地の第7普通科連隊より、高機動車の車列です。ちなみに、第7普通科連隊は自民党の佐藤代議士が自衛官時代に連隊長を務めた部隊、代議士はゴラン高原派遣やイラク派遣時代を筆頭に各国武官や高級指揮官との関係が深く、特に欧州では連隊長という職務の有する意味が大きいですので、元7連隊長、という肩書とともに進める外交関係は我が国に少なからず有利となっているのでしょう。
第7普通科連隊重迫撃砲中隊、強力な120mm重迫撃砲RTを16門装備しています。指揮官へ敬礼、ですが、もちろんこの日の指揮官は代理の方です。ただ、予行開放が二年続いて思うのですが、警察署の一日署長さんではないですけれども、一日師団長さんを任命して予行に当たってもいいのでは、と少し。
信太山第37普通科連隊の軽装甲機動車中隊、第3師団隷下には、福知山7連隊、伊丹36連隊、信太山37連隊と三個普通科連隊がありますが、全ての普通科連隊は一個中隊と本部管理中隊所要の軽装甲機動車を装備しています。しかし、やはりスタンド席からの俯瞰は色々なものが見えますね。
軽装甲機動車の車上で構えているのは01式軽対戦車誘導弾で、このほか、MINIMI分隊機銃や110mm個人対戦車弾などを携行している車両がありました。G-12で広いアングルの予備写真を撮りつつ、EOS-7DとEOS-50Dでどんどんと撮影してゆきます。
姫路駐屯地第3特科隊の観閲行進、FH-70榴弾砲が大きい。特科隊は、特科連隊が隷下に特科大隊を置いていたのにたいし、特科隊は特科中隊を基幹部隊としたのが編成上の特徴で、いわゆるコンパクト化編成の部隊です。ただ、お隣第10師団は第10特科連隊が年度末改編で増強され、FH-70榴弾砲60門を運用する部隊となり、第3特科隊の火砲数と三倍も開いてしまった。
第3特科隊情報中隊の対砲レーダ装置と気象観測装置、共に下手な自走榴弾砲よりも遙かに高額装備でして、他方近代戦には必要不可欠のもの。自衛隊の対砲レーダ装置保有数は20基程度ですが、実はNATO諸国で新型のコブラ対砲レーダ装置の生産数を見ますと、ドイツ軍やフランス軍と同程度、陸軍50万という韓国軍の対砲レーダ装置は僅か6基ですので、縮小ではなくコンパクト化を重視している自衛隊の姿勢が良く分かってくる。
通信大隊の衛星通信装置、ちなみに写真撮影も通信大隊の任務です。無関係ですが、このG-12撮影、超コンパクト三脚にG-12を装着し、レリーズを取り付け一眼レフ装着レンズを操作する左手の小指と薬指で同時に操作するという方法で撮影です。なんか、写真の専門の方やカメラマンの方にこの方法を話すと、苦笑いされてしまうという。
第3特殊武器防護隊の生物偵察車、配備された年の訓練展示では生物兵器警戒の展示として機動展開を展示したのですが、その年当方多忙で行くことが出来ず、実は見たことが無い、という何時場が痛恨の極み。まあ、災害派遣で本車が展開する状況は絶対見たくないのですが、もちろん防衛出動でも。
第3後方支援連隊の観閲行進が始まりました。こちらは重レッカー、トラックや装甲車を拐取する際に活躍します。見た目が勇ましい78式戦車回収車も後方支援連隊の装備で、実は後ろの茂みの奥にいるのが映っているのですが、観閲行進中の故障車両に備え、こちらは行進へ参加しません。
第3衛生隊の救急車、車内は文字通り搬送用車両なのですが、医師法などの障壁が大きく、中々搬送以上の救急車を制式化できない、という泣き所。装甲救急車が欲しくともその予算が無いから無理では、ととある識者が仰っているのを聞いたことがありますが、後方支援連隊の戦車直接支援中隊に装甲車が配備されるご時世ですので、それはないか、と。
第3後方支援連隊輸送隊の戦車輸送車、戦車は今津駐屯地から自走して展開することも不可能ではないのですが、車両故障と整備負担、移動速度に上限が出てくるため、このように戦車輸送車で展開することとなります。脅威が無い状況では乗員の負担も少ないですし、ね。ちなみに輸送は重車両なので深夜に行われる。
第3戦車大隊の74式戦車が観閲行進の最後を飾ります。首都圏では第1戦車大隊へ10式戦車配備に伴い、様々な行事へ富士教導団や第1機甲教育隊の10式戦車とともに参加し、珍しくなくなっているようですが、こちらはもう少し74式戦車の時代がつづきそう。
しかし、古くとも迫力は衰えないのが戦車というもの。運用方法次第によっては、なんとか第三世代戦車に対抗することが可能で、陸上自衛隊戦車部隊は最新型の戦車の運用研究を進めると共に、従来型戦車の性能を如何に最大値を発揮させるかについても、研究と訓練の余念がありません。
戦車撮影の重要な点は、最初の一両が通過するまでが最も撮影に適した瞬間、何故なら最初の一両が巻き上げる砂塵で航続する戦車が霞んでしまうから。観閲行進は以上の通り、予行とはいえ手抜きは一切ありません、が、第3施設大隊の車両が居ないことにお気づきの方がいるやも、実はこの日、大久保駐屯地から千僧駐屯地までの道中事故渋滞に巻き込まれ、予行に間に合わなかった、とのこと。
訓練展示模擬戦の様子、オートバイドリルや格闘展示に姫路白鷺太鼓などの演奏とともに模擬戦も予行で行われました。FH-70と74式が咆哮を挙げ、機関銃と小銃が火を噴く、空包の使用量では、予行も本番も違いはありません。いつもはEOS-7DとEOS-50Dのみで頑張る訓練展示、G-12も少し頑張ってみた。
やはり、同時に二台のカメラ、加熱後進のように定点撮影できるものは兎も角として、こっちは無理、難しい。ただ、昨年の北富士駐屯地祭ではG-12も結構頑張ったのですが、ね。また、富士総合火力演習ではG-12でも秒間2枚撮影というシャッター速度にて戦車の発砲焔を撮れましたので、侮ることはできない。
千僧駐屯地ですが、師団駐屯地としての式典会場の狭さは見ての通りです。実は、第10師団の守山駐屯地と第1師団の練馬駐屯地も、此処よりは広いですが、此処よりは、という規模だったので、昨年の海田市駐屯地第13旅団や善通寺駐屯地第14旅団の広さには驚きました。第11旅団の真駒内駐屯地は物凄く広いと聞いていたので行っても驚きはしませんでしたが。
それでも、訓練展示の迫力はEOS-7DとEOS-50Dの二台を何度も持ち替えつつ撮影する片手間に、いい写真を撮る、というのは無理でしたか。定点撮影で操作をレリーズに任せる、というやり方、他にも方法は無いのか、もう少し研究してみたいところではあります。
このようなかたちで、訓練展示は想定占領された千僧台へ果敢な突撃を我が方が展開し、見事これを奪取、状況終了となったのでした。予行の写真をこのように紹介してみましたが、文字通り本番さながらの迫力、師団長は代理で式典も縮小、しかしお子様連れなどの方々には垣根が低く開放される区画も広い、興味の湧かれた方は是非来年、足を運ばれてみてはどうでしょうか。
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)