■第二航空団vs大怪獣ガメラ
1965年の第一作目となった大怪獣ガメラ、北海道に上陸したガメラへ第七師団と共同し攻撃を加えたのは、北方防空の精鋭、第二航空団でした。大怪獣ガメラを純軍事的に検証する、1965年の映画を相手に大人げないといわれるかもしれませんが、当時真面目に制作したというのですからこちらも真面目に検証します。
平成ガメラシリーズは自衛隊描写が素晴らしく、Weblog北大路機関をご覧になるようなリアリティ路線重視の方々からの大きな支持を集めましたが、昭和ガメラシリーズも実はしっかりと鑑賞しますと、ううむなるほど、とうならされる描写がかなりあるのです、実のところガメラが子供向け路線に完全転換したのは四作目のガメラ対バイラス以降です。また、子供向け映画、と言われましても大人が同伴していますので、例えば昨今では劇場版プリキュア、のように子供を主な客層としつつ、大人の鑑賞をかなり重視している作品構成になっているように、昭和ガメラシリーズも深い描写があり、むしろ、子供と大人の視点の違いを二回楽しめる作品といえるかもしれません。
大怪獣ガメラ、北海道襟裳岬に上陸し夕張付近の地熱発電所を破壊するガメラに対し第七師団が攻撃を開始、更に第二航空団のF-86D夜間戦闘機も陸上部隊の支援へ戦闘加入しまして、70mmロケット弾マイティマウスによりガメラを攻撃します、F-86Dは航空自衛隊の戦闘機で初めてレーダーを搭載し夜間戦闘に対応する戦闘機という位置づけにあった機体で、70mmロケット弾24発のみを武装として搭載し、爆撃機など大型目標をレーダー照準しFCSに連動させ一斉射撃し、編隊ごと撃破できるという夜間戦闘機です。なお、F-86Dの飛行する写真が手元にありませんので、大地航空団の千歳基地にて撮影したF-15の写真にて代用します、ご了承ください。
F-86Dはロケット弾が主武装で対戦闘機戦闘は難しく第101飛行隊、第102飛行隊、第103飛行隊、第105飛行隊、が小牧と千歳に展開しました。航空自衛隊の草創期の主力はF-86F戦闘機で、主武装は12.7mm機関銃六丁を機種に集中装備、対戦闘機戦闘を想定していました、そこでF-86Dは対爆撃機戦闘、と任務を分けていた訳ですね。なお、F-86Dはレーダー整備性の問題などがあり、結局F-86Fの方が長い期間航空自衛隊では運用されています、アメリカ空軍では朝鮮戦争で活躍した機体ですので航空自衛隊ではF-104とF-4Eが配備されますと、支援戦闘機として対地攻撃用と対艦攻撃用に用途変更されました。
千歳基地の第二航空団、現代もF-15戦闘機二個飛行隊を以て防空任務に当たる北方防空の精鋭ですが、その創設は1956年の浜松基地までさかのぼります、1957年に千歳基地へ移駐しました。第二航空団、そのひとつ前の第一航空団は1955年に浜松基地にて創設されていますが、第一航空団は当時自衛隊唯一の航空団であったことから、航空団、と呼称されていました、第二航空団創設と同時に航空団の呼称も第一航空団となったかたち。しかし航空自衛隊ジェット機教育は1954年に芦屋基地にて開始されたばかりで、最初の第一飛行隊は芦屋基地近傍の築城基地にて新編、第一航空団へ編入されています。
ガメラを攻撃した機体は1961年に千歳へ移転した第103飛行隊のF-86Dでしょう、元々は小牧基地第三航空団の飛行隊でした。当時千歳基地の第2航空団には第103飛行隊がF-86Dを運用し夜間迎撃任務に当たり、昼間には第201飛行隊の最新鋭F-104戦闘機が対領空侵犯措置任務に当たっています、実は第201飛行隊は1963年に新編されたばかりで、その前には第3飛行隊のF-86F戦闘機が当たっていました、F-104はナザールF15火器管制装置により夜間も航空管制に応じ迎撃任務に当たる事が出来ましたが、低空に降りての対地攻撃任務ではF-86Dの方が向いているとも。
F-86DにはAIM-9Bサイドワインダー空対空ミサイルの運用能力が付与された機体もフランス空軍仕様機など存在はしますが、航空自衛隊ではあくまでロケット弾マイティマウス専用の戦闘機として運用されていました、ちなみにロケット弾ではありますが爆撃照準は機械式照準器によるもので、対地攻撃を意図したものではありません。一方、ガメラ攻撃が実施された状況では夜間であり、F-86Fよりは航法性能が高くまた低空での操縦性からF-104よりもF-86Dが投入された、と考えられるでしょう。F-104であれば、例えば回転ジェットにて飛行するガメラはAIM-9Bにて照準出来たかもしれません。
ただ、F-104が投入されなかった理由としまして、これは映画を観て頂ければ分かりやすいのですが、航空自衛隊が空対地攻撃を実施した時点でガメラは一度も飛行していません。着上陸も襟裳岬から夕張まで陸上を機動している為、空対空戦闘を展開するという予想は全く想定外であったでしょう。他方、それではガメラが飛行した際に千歳基地からF-104を緊急発進させたとしたが迎撃が出来たのでしょうか。ガメラは防空監視所からの追尾を受けていません、レーダーに映らないのであれば追尾と誘導が難しい。
平成ガメラシリーズであれば一作目から追尾されていますし、ガメラⅢでは当時の府中基地航空総隊にて追尾されている描写が、本来防空の第一線管制は入間基地の中部方面航空隊司令部の管轄ですが、追尾されていました、しかし昭和ガメラシリーズでは、三作目でギャオスがレーダーに追尾されていましたが、ガメラは映っていませんでした、F-104戦闘機はマッハ2の超音速戦闘機、運用するAIM-9B空対空ミサイルはマッハ2.5、対してガメラは飛行速度マッハ3ですので追尾は仮に目視出来たとしても困難を極めたでしょう。
マイティマウスですが、これは第二次世界大戦中にドイツ空軍がジェット戦闘機メッサーシュミットMe262用に開発した超音速ロケット弾です、アメリカ軍にもP-51戦闘機やP-47戦闘機に搭載された対地攻撃用ロケット弾が開発されていましたが、大きく異なるのは弾速です、空対地ロケット弾として開発されたアメリカ製ロケット弾は、その運用特性上、速度は大きく求められませんでした。たいしてMe-262はジェット戦闘機という特性から速い弾速が求められ、特に空対空戦闘、米軍のB-17爆撃機や英軍のアブロランカスター爆撃機を空中で迎撃するために、超音速で照準を外す前に命中する制度が求められたもの、これが戦後、技術導入されたかたち。
回転ジェットは正面からも膨大な赤外線を感知できるでしょうから、航空管制を受け待伏せるかたちであれば、迎撃は可能とは考えますが、こういいますのも現在のAIM-9L以降のサイドワインダーミサイルは赤外線識別能力が向上していて、敵戦闘機を正面から照準し攻撃する事が出来るのですが、AIM-9Bの時代はエンジン排熱しか感知できない為敵機の後方に廻り込む必要があったためで、ガメラの飛行速度マッハ3ですと後方に廻っても照準できたとしてミサイルのマッハ2.5では命中できない可能性があるのです、が、回転ジェットとして正面にも噴射しつつ飛行していますから、AIM-9Bでも正面から撃てる、ということです。
第二航空団のF-86Dによるガメラ攻撃ですが、充分離隔距離をとっての航空攻撃ですので、幸い劇中で着ぐるみに模型飛行機が衝突、・・・、離脱に失敗するもしくは対空攻撃により撃墜されるF-86Dはありませんでした、昭和ガメラシリーズでは航空部隊の損耗が大きな作品が多いのですが、この中で第二航空団は例外的であった、といえるのでしょうか。なお、平成ガメラシリーズではガメラ2にて、この第二航空団、F-15J戦闘機へ機種転換していましたが、札幌市を破壊した巨大生物レギオンを津軽海峡上空で捕捉し、空対空ミサイル攻撃で撃墜するという戦果を挙げ、殊勲部隊というべき活躍を示しました。
しかし、ガメラは61式戦車の90mm戦車砲もF-86Dの70mmロケット弾も通じません、61式戦車の90mm戦車砲は第二次大戦中の四式中戦車用に開発された75mm戦車砲技術を元に発展した国産で劇中では地熱発電所内まで進出し300m程度の至近距離からガメラを攻撃しました、61式戦車は1000mの距離でソ連製T-55の正面装甲を貫徹可能とされますがガメラを撃破する事は叶わず、幕僚がM-1カービンを手に、司令官これではどうにもなりません在日米軍に核攻撃を要請しましょう、と意見具申します。
大怪獣が相手であり、最新鋭61式戦車で対抗できないとは言っても、急に核攻撃は、いくら日米安保が新安保条約へ発展したとはいえ、すぐには無理だろう、と見ていますと、師団長はウム、と頷き次の場面では、地下から三基の核ミサイルが展開してきます、おお早いなあ、引き金が軽いなあ、形状から見てM474 自走発射機とMGM-31パーシングⅠミサイルと共通性がみえる。MGM-31パーシングⅠミサイル、弾頭威力はW50型核弾頭の400kt、比較しますと広島型原爆の15ktを遥かに上回り、更に三発同時発射、なるほど、これならばガメラを瞬殺できそうにみえます、ただ、そんなものを夕張で炸裂させたならば、夕張市は勿論、北海道全体が大変なことになる事も間違いありません。
北大路機関:はるな くらま
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1965年の第一作目となった大怪獣ガメラ、北海道に上陸したガメラへ第七師団と共同し攻撃を加えたのは、北方防空の精鋭、第二航空団でした。大怪獣ガメラを純軍事的に検証する、1965年の映画を相手に大人げないといわれるかもしれませんが、当時真面目に制作したというのですからこちらも真面目に検証します。
平成ガメラシリーズは自衛隊描写が素晴らしく、Weblog北大路機関をご覧になるようなリアリティ路線重視の方々からの大きな支持を集めましたが、昭和ガメラシリーズも実はしっかりと鑑賞しますと、ううむなるほど、とうならされる描写がかなりあるのです、実のところガメラが子供向け路線に完全転換したのは四作目のガメラ対バイラス以降です。また、子供向け映画、と言われましても大人が同伴していますので、例えば昨今では劇場版プリキュア、のように子供を主な客層としつつ、大人の鑑賞をかなり重視している作品構成になっているように、昭和ガメラシリーズも深い描写があり、むしろ、子供と大人の視点の違いを二回楽しめる作品といえるかもしれません。
大怪獣ガメラ、北海道襟裳岬に上陸し夕張付近の地熱発電所を破壊するガメラに対し第七師団が攻撃を開始、更に第二航空団のF-86D夜間戦闘機も陸上部隊の支援へ戦闘加入しまして、70mmロケット弾マイティマウスによりガメラを攻撃します、F-86Dは航空自衛隊の戦闘機で初めてレーダーを搭載し夜間戦闘に対応する戦闘機という位置づけにあった機体で、70mmロケット弾24発のみを武装として搭載し、爆撃機など大型目標をレーダー照準しFCSに連動させ一斉射撃し、編隊ごと撃破できるという夜間戦闘機です。なお、F-86Dの飛行する写真が手元にありませんので、大地航空団の千歳基地にて撮影したF-15の写真にて代用します、ご了承ください。
F-86Dはロケット弾が主武装で対戦闘機戦闘は難しく第101飛行隊、第102飛行隊、第103飛行隊、第105飛行隊、が小牧と千歳に展開しました。航空自衛隊の草創期の主力はF-86F戦闘機で、主武装は12.7mm機関銃六丁を機種に集中装備、対戦闘機戦闘を想定していました、そこでF-86Dは対爆撃機戦闘、と任務を分けていた訳ですね。なお、F-86Dはレーダー整備性の問題などがあり、結局F-86Fの方が長い期間航空自衛隊では運用されています、アメリカ空軍では朝鮮戦争で活躍した機体ですので航空自衛隊ではF-104とF-4Eが配備されますと、支援戦闘機として対地攻撃用と対艦攻撃用に用途変更されました。
千歳基地の第二航空団、現代もF-15戦闘機二個飛行隊を以て防空任務に当たる北方防空の精鋭ですが、その創設は1956年の浜松基地までさかのぼります、1957年に千歳基地へ移駐しました。第二航空団、そのひとつ前の第一航空団は1955年に浜松基地にて創設されていますが、第一航空団は当時自衛隊唯一の航空団であったことから、航空団、と呼称されていました、第二航空団創設と同時に航空団の呼称も第一航空団となったかたち。しかし航空自衛隊ジェット機教育は1954年に芦屋基地にて開始されたばかりで、最初の第一飛行隊は芦屋基地近傍の築城基地にて新編、第一航空団へ編入されています。
ガメラを攻撃した機体は1961年に千歳へ移転した第103飛行隊のF-86Dでしょう、元々は小牧基地第三航空団の飛行隊でした。当時千歳基地の第2航空団には第103飛行隊がF-86Dを運用し夜間迎撃任務に当たり、昼間には第201飛行隊の最新鋭F-104戦闘機が対領空侵犯措置任務に当たっています、実は第201飛行隊は1963年に新編されたばかりで、その前には第3飛行隊のF-86F戦闘機が当たっていました、F-104はナザールF15火器管制装置により夜間も航空管制に応じ迎撃任務に当たる事が出来ましたが、低空に降りての対地攻撃任務ではF-86Dの方が向いているとも。
F-86DにはAIM-9Bサイドワインダー空対空ミサイルの運用能力が付与された機体もフランス空軍仕様機など存在はしますが、航空自衛隊ではあくまでロケット弾マイティマウス専用の戦闘機として運用されていました、ちなみにロケット弾ではありますが爆撃照準は機械式照準器によるもので、対地攻撃を意図したものではありません。一方、ガメラ攻撃が実施された状況では夜間であり、F-86Fよりは航法性能が高くまた低空での操縦性からF-104よりもF-86Dが投入された、と考えられるでしょう。F-104であれば、例えば回転ジェットにて飛行するガメラはAIM-9Bにて照準出来たかもしれません。
ただ、F-104が投入されなかった理由としまして、これは映画を観て頂ければ分かりやすいのですが、航空自衛隊が空対地攻撃を実施した時点でガメラは一度も飛行していません。着上陸も襟裳岬から夕張まで陸上を機動している為、空対空戦闘を展開するという予想は全く想定外であったでしょう。他方、それではガメラが飛行した際に千歳基地からF-104を緊急発進させたとしたが迎撃が出来たのでしょうか。ガメラは防空監視所からの追尾を受けていません、レーダーに映らないのであれば追尾と誘導が難しい。
平成ガメラシリーズであれば一作目から追尾されていますし、ガメラⅢでは当時の府中基地航空総隊にて追尾されている描写が、本来防空の第一線管制は入間基地の中部方面航空隊司令部の管轄ですが、追尾されていました、しかし昭和ガメラシリーズでは、三作目でギャオスがレーダーに追尾されていましたが、ガメラは映っていませんでした、F-104戦闘機はマッハ2の超音速戦闘機、運用するAIM-9B空対空ミサイルはマッハ2.5、対してガメラは飛行速度マッハ3ですので追尾は仮に目視出来たとしても困難を極めたでしょう。
マイティマウスですが、これは第二次世界大戦中にドイツ空軍がジェット戦闘機メッサーシュミットMe262用に開発した超音速ロケット弾です、アメリカ軍にもP-51戦闘機やP-47戦闘機に搭載された対地攻撃用ロケット弾が開発されていましたが、大きく異なるのは弾速です、空対地ロケット弾として開発されたアメリカ製ロケット弾は、その運用特性上、速度は大きく求められませんでした。たいしてMe-262はジェット戦闘機という特性から速い弾速が求められ、特に空対空戦闘、米軍のB-17爆撃機や英軍のアブロランカスター爆撃機を空中で迎撃するために、超音速で照準を外す前に命中する制度が求められたもの、これが戦後、技術導入されたかたち。
回転ジェットは正面からも膨大な赤外線を感知できるでしょうから、航空管制を受け待伏せるかたちであれば、迎撃は可能とは考えますが、こういいますのも現在のAIM-9L以降のサイドワインダーミサイルは赤外線識別能力が向上していて、敵戦闘機を正面から照準し攻撃する事が出来るのですが、AIM-9Bの時代はエンジン排熱しか感知できない為敵機の後方に廻り込む必要があったためで、ガメラの飛行速度マッハ3ですと後方に廻っても照準できたとしてミサイルのマッハ2.5では命中できない可能性があるのです、が、回転ジェットとして正面にも噴射しつつ飛行していますから、AIM-9Bでも正面から撃てる、ということです。
第二航空団のF-86Dによるガメラ攻撃ですが、充分離隔距離をとっての航空攻撃ですので、幸い劇中で着ぐるみに模型飛行機が衝突、・・・、離脱に失敗するもしくは対空攻撃により撃墜されるF-86Dはありませんでした、昭和ガメラシリーズでは航空部隊の損耗が大きな作品が多いのですが、この中で第二航空団は例外的であった、といえるのでしょうか。なお、平成ガメラシリーズではガメラ2にて、この第二航空団、F-15J戦闘機へ機種転換していましたが、札幌市を破壊した巨大生物レギオンを津軽海峡上空で捕捉し、空対空ミサイル攻撃で撃墜するという戦果を挙げ、殊勲部隊というべき活躍を示しました。
しかし、ガメラは61式戦車の90mm戦車砲もF-86Dの70mmロケット弾も通じません、61式戦車の90mm戦車砲は第二次大戦中の四式中戦車用に開発された75mm戦車砲技術を元に発展した国産で劇中では地熱発電所内まで進出し300m程度の至近距離からガメラを攻撃しました、61式戦車は1000mの距離でソ連製T-55の正面装甲を貫徹可能とされますがガメラを撃破する事は叶わず、幕僚がM-1カービンを手に、司令官これではどうにもなりません在日米軍に核攻撃を要請しましょう、と意見具申します。
大怪獣が相手であり、最新鋭61式戦車で対抗できないとは言っても、急に核攻撃は、いくら日米安保が新安保条約へ発展したとはいえ、すぐには無理だろう、と見ていますと、師団長はウム、と頷き次の場面では、地下から三基の核ミサイルが展開してきます、おお早いなあ、引き金が軽いなあ、形状から見てM474 自走発射機とMGM-31パーシングⅠミサイルと共通性がみえる。MGM-31パーシングⅠミサイル、弾頭威力はW50型核弾頭の400kt、比較しますと広島型原爆の15ktを遥かに上回り、更に三発同時発射、なるほど、これならばガメラを瞬殺できそうにみえます、ただ、そんなものを夕張で炸裂させたならば、夕張市は勿論、北海道全体が大変なことになる事も間違いありません。
北大路機関:はるな くらま
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