北大路機関

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大怪獣ガメラ 公開五〇周年特別企画【3】 超兵器パーシング1型400kt核弾頭と自衛隊秘密兵器

2015-12-16 21:26:28 | 映画
■ガメラ核攻撃!
大怪獣ガメラ北海道上陸、1965年時点で最強の戦車砲が通じず、航空攻撃も効果がない、じゃあ核兵器しか打つ手がないじゃあないか、というガメラ一作目の自衛隊の見解について。

パーシングⅠ、自衛隊の第一線部隊からの要請を受け即座に米軍が戦術核により射撃支援に当たる、劇中のアメリカと日本の信頼関係は今日の日米関係よりも遥かに良好であったことが窺えます、しかし、付随被害は甚大です、400ktという威力は命中精度、所謂半数命中界CEPが大きかった当時ならではの、命中精度の低さを威力で補うとの発想に基づくもので、仮に夕張駅付近で使用した場合400kt核爆弾の場合半径9km以内の全人員が爆風により致命的影響を被り、野戦司令部は安全圏へ退避する場合、25km先、石勝線沿線全域は危険で新夕張駅以南まで一旦後退する必要があったでしょう。なお、W50核弾頭はナイキXLIM-49A地対空核ミサイル用に60kt威力としたものもあるとのこと。

パーシングⅠミサイルのW50核弾頭により夕張駅付近のガメラを攻撃する場合、一時被ばくは3km先で時間被ばく量120ミリシーベルト、離隔距離25kmから30kmは必要で、西方は室蘭本線付近まで危険となり、近傍の長沼町や南幌町へ住民を退避させる必要が、北方は風向きによっては岩見沢市と三笠市が放射性降下物の危険域に、東方はシューバロ湖が核汚染危険域に入る危険性があります。大怪獣ガメラは危険であり、第七師団と第二航空団の航空打撃でも撃破出来なかった訳ですが、しかし自衛隊にはもう少し強力な武器があり、北千歳千歳駐屯地の第1特科団が当時装備していた203mm榴弾砲や68式280mmロケット発射機等を試すべきでした。さてここで一つお断りを、本稿では核兵器の写真が無く、ガメラと同じくらいの大きさの潜水艦の写真で代用とします。

1962年のキューバ危機からわずか三年、北極での核爆発に続き北海道での戦術核兵器使用準備、怪獣映画ですがそれ以上に世界の危機です。しかし幸い、専門家の、ガメラはエネルギーを動力源としている為核攻撃を行う事は逆にガメラに活力を与えより危険なものとなる可能性がある、との指摘により、第一線部隊指揮官が米軍へ核攻撃の中止を要請、パーシングⅠが北海道へ発射される事にはなりませんでした。順番としては、航空機からの2000ポンド爆弾や劇中では使用されなかった203mm榴弾砲等、より強力な爆弾や砲弾を使用するべきであった、と考えます。在日米軍に要請するならば、当時まだ現役のアイオワ級戦艦という選択肢もあったはずでして、406mm艦砲ならば貫徹力を含め効果が高そうです。

パーシングⅠ使用を中止し新開発の冷凍爆弾の出番です。ところで、昭和ガメラシリーズには、妙に危険な気配の装備品が出てきます。超兵器というと東宝の原子熱線砲を筆頭に66式メーザー殺獣光線車等円谷さんの十八番という印象ですが、大映の超兵器は生々しい。いきなり戦車砲とロケット弾が効果無かったのだから戦術核ミサイルが使用されようとする世界観、核ミサイルの引き金が軽いなあ、という世界、1950年代等は戦術核兵器が通常爆弾の延長線上にあるとの危機感がありましたが、1960年代半ばでは核兵器使用が見直され戦術核兵器のしようが水爆などの戦略核使用に繋がるとの懸念から、1963年には部分的核実験禁止条約により大気圏内核実験が禁止されたのちのこと。

冷凍爆弾、この用途も妙に引っかかります。ガメラは低温に弱い可能性がある、高温に強い生物は低温に弱い傾向があるから、との識者の意見を参考として、師団長は、実は自衛隊では冷凍爆弾が開発中だ、という機密情報を明かします。何故そんなものを、との問いに対し、熱帯地方での対ゲリラ戦を念頭にジャングルを一挙に枯死させることができるため、参考に開発していた、と冷凍爆弾開発の背景を明かしています。熱帯地方というと思い浮かぶのは東南アジア、ガメラが公開されたのは1965年11月27日です、ああ、時期的にそれは確かに極秘に開発するしかないなあ、となる。

実はその二週間前の11月14日にヴェトナム戦争激化の分岐点で米軍と北ヴェトナム軍最初の大規模衝突となったイアドラン渓谷遭遇戦が勃発、ヴェトナム派遣軍司令官ウェストモーランド大将はサーチ&デストロイ作戦を発動し、ジャングルに潜む解放戦線の補給路や北ヴェトナム正規軍への南ヴェトナム領内での無制限攻撃命令を発動し、ジャングル戦へ関心が集まっていました。勿論、現実の自衛隊は冷凍爆弾を開発していませんしヴェトナム戦争へも派遣していません、が、ガメラの世界では自衛隊はヴェトナムへ派遣されていたのかな、とも考えてしまいます。まさか、ガメラ上陸の混乱で判明した新事実にそんな話があったとは。

他方、やや話題は逸れますが、ガメラを攻撃した地熱発電所が羊蹄山付近、という表記を散見します、そういう指摘がありました、羊蹄山は倶知安付近で、夕張と倶知安ではかなり場所が異なります。実は劇中では地熱発電所を襲ったガメラを自衛隊が攻撃しますが、モデルとなった大型の地熱発電所が見当たりません、そもそも日本初の実用地熱発電所は1966年運用開始の岩手県松川地熱発電所でした。作品背景には地熱発電所が最先端技術、という世界観が反映されたのかもしれませんね。

その松川地熱発電所で発電量は2.3万キロワット、ガメラ劇中の地熱発電所、その発電能力が35万キロワットと1966年に運転開始となった東海第一原子力発電所の原子炉発電能力16.6万キロワットと比較し二倍近いという設定で、そもそも地熱発電所としてはけた外れの設定なのですが。しかし、第七師団司令部での概況説明に際し、地図が出てくるのですが、そこから場所を推測する事としまして、地図上でガメラは室蘭苫小牧襟裳岬の屈曲部より東部に進出しているのですね、ですから夕張付近と標定したのですが。

羊蹄山付近まで進出、というものは、上陸地点が襟裳岬ですので、襟裳岬より東進していた場合、帯広の第五師団管区に侵入することとなっていましたが、西進した事で第七師団管区へ入り、しかしここから倶知安の羊蹄山まで進出するには距離が大きすぎます。倶知安は第七師団管区ではなく第十一師団管区になりますし、襟裳岬から倶知安まで進出する場合は千歳恵庭札幌の直線を通過する事になり、全長で列車三両分と掃海艇並の巨大生物が陸上を移動したのに発見されないというのはいかにも不自然です。

事実、襟裳岬より上陸したガメラを航空偵察により発見していましたので、襟裳岬から人口希薄な地域を突破したとしか考えられない。ガメラが上陸したのは夜間ですから発見されにくい条件はあったかもしれませんし、ガメラが移動すると妨害電波が発生するという現象がありましたが、有線電話がありますし、更に襟裳岬から倶知安方面へ千歳恵庭札幌の南北を結ぶ地域を横断する場合は国鉄千歳線を横切り、架線切断により発見されるはずなのです。こうしたところから、本稿では夕張、としました。

北大路機関:はるな くらま
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