■百里基地五〇周年航空祭
日曜特集、百里基地五〇周年航空祭、先週開催されました首都圏唯一の自衛隊戦闘機部隊基地でファントムの祭典、百里基地航空祭の模様をお伝えしましょう。

日曜特集、と銘打って今回から日曜日の自衛隊行事写真特集を掲載します。Weblog北大路機関では様々な行事を撮影してまいりましたが、今回から日曜特集としまして、行事の写真を数十枚に厳選し、二回から三回に分け紹介してゆく事としました。写真枚数と解説本文等の関係から不定期掲載となる可能性がありますが、活況を少しでもお伝えできれば幸い。

百里基地五〇周年航空祭、今年、航空自衛隊百里基地は創設から五〇周年を迎えました。百里基地は第7航空団の展開基地です。2000年頃には第204飛行隊と第305飛行隊のイーグル飛行隊二個が首都防空を担っていましたが、現在は最前線となった九州沖縄へイーグルを転出させ、ファントムを運用する第301飛行隊と第302飛行隊を運用している基地だ。

百里基地航空祭二〇一六、百里基地は茨城県に位置し我が国首都圏の防空を担う唯一の要撃航空団となっています。航空自衛隊は全国を北部航空方面隊管区と中部航空方面隊管区に西部航空方面隊管区及び南西方面航空混成団管区に分け防空任務に当たっています。平時に在っては対領空侵犯措置任務に当たり、常時実弾を搭載し緊急発進に備えています。

ファントム、百里基地には第301飛行隊と第302飛行隊に偵察機を運用する第501飛行隊と、三個ものファントム飛行隊が展開しています。実に70機ものファントムが配備されている事となりまして、世界中のファントムファンの聖地というべき場所、整備員からは古すぎて整備というよりも介護、介護施設と悩ませる名機の拠点でもあり、航空祭は、混む。

F-4ファントムは1959年にアメリカ海軍の空母艦載機として誕生しました、当時、世界の戦闘機はミサイル万能論が幅を利かせており、空戦機動を度外視したミサイル運用重視の機種が主流となりつつありましたが、F-4ファントムは海軍空母航空団からの要望で高い運動性能を求められ、この卓越した性能が戦闘機の要求変化を越え名機となった所以です。

アメリカ海軍機として開発されたF-4ファントムは、イギリスをはじめアメリカの同盟国や友好国へも多数が供与され、実に5000機以上が生産されました、この為F-4ファントムに愛着を抱く方は操縦士から航空愛好家で多く、日本では三菱重工によりライセンス生産が実施、この整備基盤運用基盤により21世紀の今日でも運用を継続する事が出来ました。

要撃飛行隊は北部航空方面隊管区に千歳基地第2航空団と三沢基地第三航空団、中部航空方面隊管区に小松基地第6航空団と百里基地第7航空団、西部航空方面隊管区に新田原基地第5航空団と築城基地第8航空団、南西方面航空混成団に那覇基地第9航空団を置く。この他に教育訓練部隊として浜松基地第1航空団と松島基地の第4航空団が置かれている。

首都防空の要衝に当たる第7航空団は、第301飛行隊と第302飛行隊が配置されており、共にF-4EJ改戦闘機を運用しています。F-4EJ改は航空自衛隊が1971年より144機を導入した戦闘機で、実は航空自衛隊では最も古い戦闘機となっています。ただ、機体が大型で新器材を収容する設計余裕がある為、近代化改修と延命改修を幾度か施し今に至ります。

百里基地航空祭、首都圏の基地なのですが、余りに交通難所にある事から航空自衛隊隔離基地、と呼ばれています。何しろ、基地と駅の距離が絶望的に遠く、バス停はありますが内陸の石岡駅と鹿島灘側の新鉾田駅を結ぶバスが一日上下線全部合わせて3本しか運航されておらず、基地と周辺が隔絶されているのです、これでも多少は改善されたとのこと。

茨城空港が2011年に開港しまして、百里基地の一部を茨城空港に転用しましたので、茨城空港と周辺地域を結ぶ道路網が整備され、東京駅やTXつくば駅と石岡駅から茨城空港を結ぶバス交通網が整備され、高速道路も茨城空港まで延伸されましたので道路網は楽になりました。しかし、茨城空港は百里基地航空祭駐車場用地に建設、車では難しくなりました。

航空祭へ行きたいのであれば駅から徒歩で移動すればいいではないか、そう簡単には参りません。そもそも隔離基地と呼ばれ、隊員が休日に移動するにも難儀する場所、厳しい任務と体力練成で毎日基地を走り回る航空自衛官でも遠いのです。最寄の鹿島臨海鉄道新鉾田駅は徒歩11.4km、鹿島臨海鉄道は本数が少ない。JR常磐線石岡駅からは21.1kmある。

基地までタクシーは無いのか、と思われるかもしれませんが石岡駅前にはタクシー乗り場があります、百里基地まで21.1km、京都駅から叡山電鉄鞍馬駅まででも17kmですので少々値が張ります、特に航空祭の当日は大渋滞が発生しますので時代祭の鞍馬の火祭の日に大渋滞を乗り越えて鞍馬寺まで京都駅からタクシーで移動するほど費用を覚悟すべきです。

シャトルバスが石岡駅から運行されているのですが、確実に大渋滞に巻き込まれますので0700時に出た始発バスが百里基地へ到達したのは0900時、結局、基地から5km圏内の民間特設駐車場に駐車し一時間ほど歩いて基地へ向かうという方策か、前日から基地周辺を遊弋する、いっそ移住する、という選択肢が、開門と同じくらいの時間帯に入る方法です。

今年の百里基地航空祭は例年の大渋滞に加えて当日の悪天候が予報されていました。そこで当方は金曜日の夜行高速バスにて新宿まで前進し、そのまま山手線常磐線経由で石岡駅まで進み茨城空港行バスに乗車し茨城空港隣接航空公園まで進出、前日行われる予行を撮影しまして、本番は基地内にて地上展示機等を撮影するとの行程で撮影する事としました。

実は東京の友人が同日程で撮影に展開していまして、夜明け前から茨城空港付近の特設民間駐車場に車両を展開させ、OPフライトから撮影していました。当方は、山手線遅延等の影響で現地進出は0900時頃となりましたが、予行のファントム大編隊から撮影する事が出来た訳です。それにしても9機のファントム大編隊、何か視てしまいました、凄いものを。

土曜日の百里基地は特別公開日として、周辺住民の方へ航空防衛への意義と努力への協力を期して、事前応募制の特別公開日となっています。この為、総合予行以上にしっかりと日曜日の航空祭と同じ飛行展示が行われますので、まだ、渋滞の規模が小さな特別公開日に百里航空祭を、特別公開招待券が無い場合は基地周辺からでも撮影するという方は多い。

前回は特別公開日に招待を頂きましたが、なんといいましても今回当方の展開は急でした、大村駐屯地祭展開を計画していたのです、百里基地航空祭や築城基地航空祭に展開するように見せかけ大村四部隊合同行事へ、帰路そのまま佐世保基地で護衛艦くらま撮影の後に長崎空港から神戸空港へ、という計画でしたが、くらま横須賀入港に合わせ変更しました。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
日曜特集、百里基地五〇周年航空祭、先週開催されました首都圏唯一の自衛隊戦闘機部隊基地でファントムの祭典、百里基地航空祭の模様をお伝えしましょう。

日曜特集、と銘打って今回から日曜日の自衛隊行事写真特集を掲載します。Weblog北大路機関では様々な行事を撮影してまいりましたが、今回から日曜特集としまして、行事の写真を数十枚に厳選し、二回から三回に分け紹介してゆく事としました。写真枚数と解説本文等の関係から不定期掲載となる可能性がありますが、活況を少しでもお伝えできれば幸い。

百里基地五〇周年航空祭、今年、航空自衛隊百里基地は創設から五〇周年を迎えました。百里基地は第7航空団の展開基地です。2000年頃には第204飛行隊と第305飛行隊のイーグル飛行隊二個が首都防空を担っていましたが、現在は最前線となった九州沖縄へイーグルを転出させ、ファントムを運用する第301飛行隊と第302飛行隊を運用している基地だ。

百里基地航空祭二〇一六、百里基地は茨城県に位置し我が国首都圏の防空を担う唯一の要撃航空団となっています。航空自衛隊は全国を北部航空方面隊管区と中部航空方面隊管区に西部航空方面隊管区及び南西方面航空混成団管区に分け防空任務に当たっています。平時に在っては対領空侵犯措置任務に当たり、常時実弾を搭載し緊急発進に備えています。

ファントム、百里基地には第301飛行隊と第302飛行隊に偵察機を運用する第501飛行隊と、三個ものファントム飛行隊が展開しています。実に70機ものファントムが配備されている事となりまして、世界中のファントムファンの聖地というべき場所、整備員からは古すぎて整備というよりも介護、介護施設と悩ませる名機の拠点でもあり、航空祭は、混む。

F-4ファントムは1959年にアメリカ海軍の空母艦載機として誕生しました、当時、世界の戦闘機はミサイル万能論が幅を利かせており、空戦機動を度外視したミサイル運用重視の機種が主流となりつつありましたが、F-4ファントムは海軍空母航空団からの要望で高い運動性能を求められ、この卓越した性能が戦闘機の要求変化を越え名機となった所以です。

アメリカ海軍機として開発されたF-4ファントムは、イギリスをはじめアメリカの同盟国や友好国へも多数が供与され、実に5000機以上が生産されました、この為F-4ファントムに愛着を抱く方は操縦士から航空愛好家で多く、日本では三菱重工によりライセンス生産が実施、この整備基盤運用基盤により21世紀の今日でも運用を継続する事が出来ました。

要撃飛行隊は北部航空方面隊管区に千歳基地第2航空団と三沢基地第三航空団、中部航空方面隊管区に小松基地第6航空団と百里基地第7航空団、西部航空方面隊管区に新田原基地第5航空団と築城基地第8航空団、南西方面航空混成団に那覇基地第9航空団を置く。この他に教育訓練部隊として浜松基地第1航空団と松島基地の第4航空団が置かれている。

首都防空の要衝に当たる第7航空団は、第301飛行隊と第302飛行隊が配置されており、共にF-4EJ改戦闘機を運用しています。F-4EJ改は航空自衛隊が1971年より144機を導入した戦闘機で、実は航空自衛隊では最も古い戦闘機となっています。ただ、機体が大型で新器材を収容する設計余裕がある為、近代化改修と延命改修を幾度か施し今に至ります。

百里基地航空祭、首都圏の基地なのですが、余りに交通難所にある事から航空自衛隊隔離基地、と呼ばれています。何しろ、基地と駅の距離が絶望的に遠く、バス停はありますが内陸の石岡駅と鹿島灘側の新鉾田駅を結ぶバスが一日上下線全部合わせて3本しか運航されておらず、基地と周辺が隔絶されているのです、これでも多少は改善されたとのこと。

茨城空港が2011年に開港しまして、百里基地の一部を茨城空港に転用しましたので、茨城空港と周辺地域を結ぶ道路網が整備され、東京駅やTXつくば駅と石岡駅から茨城空港を結ぶバス交通網が整備され、高速道路も茨城空港まで延伸されましたので道路網は楽になりました。しかし、茨城空港は百里基地航空祭駐車場用地に建設、車では難しくなりました。

航空祭へ行きたいのであれば駅から徒歩で移動すればいいではないか、そう簡単には参りません。そもそも隔離基地と呼ばれ、隊員が休日に移動するにも難儀する場所、厳しい任務と体力練成で毎日基地を走り回る航空自衛官でも遠いのです。最寄の鹿島臨海鉄道新鉾田駅は徒歩11.4km、鹿島臨海鉄道は本数が少ない。JR常磐線石岡駅からは21.1kmある。

基地までタクシーは無いのか、と思われるかもしれませんが石岡駅前にはタクシー乗り場があります、百里基地まで21.1km、京都駅から叡山電鉄鞍馬駅まででも17kmですので少々値が張ります、特に航空祭の当日は大渋滞が発生しますので時代祭の鞍馬の火祭の日に大渋滞を乗り越えて鞍馬寺まで京都駅からタクシーで移動するほど費用を覚悟すべきです。

シャトルバスが石岡駅から運行されているのですが、確実に大渋滞に巻き込まれますので0700時に出た始発バスが百里基地へ到達したのは0900時、結局、基地から5km圏内の民間特設駐車場に駐車し一時間ほど歩いて基地へ向かうという方策か、前日から基地周辺を遊弋する、いっそ移住する、という選択肢が、開門と同じくらいの時間帯に入る方法です。

今年の百里基地航空祭は例年の大渋滞に加えて当日の悪天候が予報されていました。そこで当方は金曜日の夜行高速バスにて新宿まで前進し、そのまま山手線常磐線経由で石岡駅まで進み茨城空港行バスに乗車し茨城空港隣接航空公園まで進出、前日行われる予行を撮影しまして、本番は基地内にて地上展示機等を撮影するとの行程で撮影する事としました。

実は東京の友人が同日程で撮影に展開していまして、夜明け前から茨城空港付近の特設民間駐車場に車両を展開させ、OPフライトから撮影していました。当方は、山手線遅延等の影響で現地進出は0900時頃となりましたが、予行のファントム大編隊から撮影する事が出来た訳です。それにしても9機のファントム大編隊、何か視てしまいました、凄いものを。

土曜日の百里基地は特別公開日として、周辺住民の方へ航空防衛への意義と努力への協力を期して、事前応募制の特別公開日となっています。この為、総合予行以上にしっかりと日曜日の航空祭と同じ飛行展示が行われますので、まだ、渋滞の規模が小さな特別公開日に百里航空祭を、特別公開招待券が無い場合は基地周辺からでも撮影するという方は多い。

前回は特別公開日に招待を頂きましたが、なんといいましても今回当方の展開は急でした、大村駐屯地祭展開を計画していたのです、百里基地航空祭や築城基地航空祭に展開するように見せかけ大村四部隊合同行事へ、帰路そのまま佐世保基地で護衛艦くらま撮影の後に長崎空港から神戸空港へ、という計画でしたが、くらま横須賀入港に合わせ変更しました。
北大路機関:はるな くらま
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