■くらま、鞍馬山探訪記
古都鞍馬本町鞍馬山へ毘沙門天を奉じる鞍馬山探訪記、一週間という日々の幕間水曜の夜に新特集“京都幕間旅情”としてその風景をお伝えしましょう。

写真特集京都幕間二〇一六、北大路機関も創設十一年を経て多くの方に様々なお言葉と感想を頂きまして、大半を占めましたのがこの京都俯瞰風景や日本旅情の名所旧跡を巡る探訪記や列車旅を思い浮かべる話題の再開を、という事でした。確かに言われればその通り。

鞍馬寺は京都市左京区鞍馬本町に位置しまして、尊天を奉じています。尊天、これは毘沙門天王と千手観世音菩薩と護法魔王尊を三身一体として掲げる信仰で、旧海軍巡洋戦艦鞍馬やヘリコプター搭載護衛艦くらま艦名は戦を司る毘沙門天を掲げる所縁が考えられます。

京都幕間、と冠しまして、一週間の中間に当たる水曜日くらいは、様々な日本を再発見できる写真を紹介しよう、という試みです。榛名の旅、という特集を第二北大路機関へ掲載している次第ですが、ここは鞍馬の旅、ということで鞍馬山を紹介する事としましょう。

北大路通りから歩いて二時間ほど、休日に天気が良い日にはちょっと散策してみたくなるのが鞍馬の山々です、京都産業大学前を宝ヶ池の方へ、そして都市から静かな方へ奥の方へと大文字の舟形を望見しつつ叡山電車に沿って鞍馬川を辿れば、貴船とそして鞍馬です。

暗部山の古名を持つこの地に寺院が建立、770年遡ればかの鑑真高弟は鑑禎が毘沙門天を安置し、796年東寺の藤原伊勢人が貴船神社からのご神託を夢枕に受け鞍馬寺を建立する事となり、都花月名所に歌われる暗部山を鞍馬山としてここに寺院を拓き、今に至る、とも。

くらま、は尊天を示す天竺のサナトクマーラが名を転じたといわれ、天竺での信仰がヒンドゥー教へ通じ、ヴィクラマディチャとなった、という話がありまして、この名前は現在インド海軍がロシア空母アドミラルゴルシコフを改修し2014年再就役した空母の艦名です。

このお散歩、紅葉の時期などは北大路は大徳寺の木々よりも少しだけ早く色づきますので、道を辿るとともに季節が秋めいてゆく輪郭のない季節の雰囲気を心で浴びるのも、この鞍馬散策の醍醐味ですが、実のところ落葉続く冬の気配に気を配らねばならないのは、と。

鞍馬山は山岳信仰とされ、鞍馬天狗と称されるように山伏修験の地と共に山を讃える精霊天狗もまた鞍馬を最高位の山として今も巡るとは鞍馬の方のお話、紅葉よりも、新緑の季節に透明な春の訪れと育ちゆく森の木々を楽しめる晩春初夏の道行が、勧めたい風景です。

京都、寺社仏閣名所旧跡を期待されると、京都駅前の喧騒と四条の町並みに驚かれることが多々ありますが、これは古都という定まりのない単純な見識で街を理解するためでして、もともと京都はその時々の最先端の都市技術が盛り込まれ続けた日本の現代都市でした。

先端都市京都、我が国の首都であり、大陸との外交に臨み日本国家統合の拠点であり続けた風格と都市計画、そうでなければ室町の東寺に超高層建築物を築き、東山の清水寺に巨大舞台を広げ、西と東の本願寺にへ巨大な仏殿へ人々を集めることはなかったでしょう。

日本最先端の街京都、しかし特に自然へ触れたいときに思い出したい風景の一つが永く変わらない鞍馬の山々で、しかし京都なのですから、道中道筋は、ちょっと一休みという寄り木は多々あり、急に肌寒くなれば恰も天候が散策を阻むならば、立ち寄れる場所も多い。

平安の時代には修険道の聖地とされた鞍馬の話も今は昔、疲れたらば叡山電車に乗ればよいのですし、ね。もっとも、紅葉の時期等この鞍馬へ日本全国は勿論世界から人が集まる時機ですと、正直電車を待つよりも何駅か歩いたほうが、早いのではと思う事も、あります、ね。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
古都鞍馬本町鞍馬山へ毘沙門天を奉じる鞍馬山探訪記、一週間という日々の幕間水曜の夜に新特集“京都幕間旅情”としてその風景をお伝えしましょう。

写真特集京都幕間二〇一六、北大路機関も創設十一年を経て多くの方に様々なお言葉と感想を頂きまして、大半を占めましたのがこの京都俯瞰風景や日本旅情の名所旧跡を巡る探訪記や列車旅を思い浮かべる話題の再開を、という事でした。確かに言われればその通り。

鞍馬寺は京都市左京区鞍馬本町に位置しまして、尊天を奉じています。尊天、これは毘沙門天王と千手観世音菩薩と護法魔王尊を三身一体として掲げる信仰で、旧海軍巡洋戦艦鞍馬やヘリコプター搭載護衛艦くらま艦名は戦を司る毘沙門天を掲げる所縁が考えられます。

京都幕間、と冠しまして、一週間の中間に当たる水曜日くらいは、様々な日本を再発見できる写真を紹介しよう、という試みです。榛名の旅、という特集を第二北大路機関へ掲載している次第ですが、ここは鞍馬の旅、ということで鞍馬山を紹介する事としましょう。

北大路通りから歩いて二時間ほど、休日に天気が良い日にはちょっと散策してみたくなるのが鞍馬の山々です、京都産業大学前を宝ヶ池の方へ、そして都市から静かな方へ奥の方へと大文字の舟形を望見しつつ叡山電車に沿って鞍馬川を辿れば、貴船とそして鞍馬です。

暗部山の古名を持つこの地に寺院が建立、770年遡ればかの鑑真高弟は鑑禎が毘沙門天を安置し、796年東寺の藤原伊勢人が貴船神社からのご神託を夢枕に受け鞍馬寺を建立する事となり、都花月名所に歌われる暗部山を鞍馬山としてここに寺院を拓き、今に至る、とも。

くらま、は尊天を示す天竺のサナトクマーラが名を転じたといわれ、天竺での信仰がヒンドゥー教へ通じ、ヴィクラマディチャとなった、という話がありまして、この名前は現在インド海軍がロシア空母アドミラルゴルシコフを改修し2014年再就役した空母の艦名です。

このお散歩、紅葉の時期などは北大路は大徳寺の木々よりも少しだけ早く色づきますので、道を辿るとともに季節が秋めいてゆく輪郭のない季節の雰囲気を心で浴びるのも、この鞍馬散策の醍醐味ですが、実のところ落葉続く冬の気配に気を配らねばならないのは、と。

鞍馬山は山岳信仰とされ、鞍馬天狗と称されるように山伏修験の地と共に山を讃える精霊天狗もまた鞍馬を最高位の山として今も巡るとは鞍馬の方のお話、紅葉よりも、新緑の季節に透明な春の訪れと育ちゆく森の木々を楽しめる晩春初夏の道行が、勧めたい風景です。

京都、寺社仏閣名所旧跡を期待されると、京都駅前の喧騒と四条の町並みに驚かれることが多々ありますが、これは古都という定まりのない単純な見識で街を理解するためでして、もともと京都はその時々の最先端の都市技術が盛り込まれ続けた日本の現代都市でした。

先端都市京都、我が国の首都であり、大陸との外交に臨み日本国家統合の拠点であり続けた風格と都市計画、そうでなければ室町の東寺に超高層建築物を築き、東山の清水寺に巨大舞台を広げ、西と東の本願寺にへ巨大な仏殿へ人々を集めることはなかったでしょう。

日本最先端の街京都、しかし特に自然へ触れたいときに思い出したい風景の一つが永く変わらない鞍馬の山々で、しかし京都なのですから、道中道筋は、ちょっと一休みという寄り木は多々あり、急に肌寒くなれば恰も天候が散策を阻むならば、立ち寄れる場所も多い。

平安の時代には修険道の聖地とされた鞍馬の話も今は昔、疲れたらば叡山電車に乗ればよいのですし、ね。もっとも、紅葉の時期等この鞍馬へ日本全国は勿論世界から人が集まる時機ですと、正直電車を待つよりも何駅か歩いたほうが、早いのではと思う事も、あります、ね。
北大路機関:はるな くらま
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