■DER、技術長期展望と改修
護衛艦近代化改修は相当慎重な技術的展望に依拠して行わなければ、逆に使いにくいものを貴重な予算内で完成させかねません、これには方向性の見極めや防衛戦略全般の整合性という視点も必要となる。
護衛艦近代化改修、これにより護衛艦の能力は最新鋭護衛艦に伍する水準まで底上げが可能で、しかも機関部や船体老朽区画も一新されるため、それならば広く何故やらないのだろう、と思われるかもしれませんが、難しいのは近代化改修の方向性と費用対効果です、場合によっては多くの予算を掛けた場合でも方向性が異なれば能力を十分発揮できません。
わかば、護衛艦の近代化改修の難しさを端的に具現化したものと云えば、奇妙な生涯を送った護衛艦わかば、の存在を挙げる事が出来ます。大日本帝国海軍駆逐艦梨、雑木林と揶揄されながら先進的な機関配置や生存性設計等から名艦に数えられる松型駆逐艦の一隻です。大戦末期、量産された松型駆逐艦は、柿、樺、梨、椎、榎、と同時に就役しました。
駆逐艦梨は就役から半年少々、不運にも呉にて米空母機動部隊による対艦攻撃を受け沈没しました、終戦から二週間少々前の話です。しかし終戦後、駆逐艦梨は損傷が軽いことが判明、草創期の海上自衛隊は護衛艦、当時でいう警備艦として復旧させる方針が決まりました、1955年に浮揚補修が開始、1956年に警備艦わかば、として自衛艦旗を受領します。
DER,種別は松型駆逐艦が護衛駆逐艦であった事から米海軍呼称に則りDE種別に類別されるのですが、警備艦わかば、はここに高性能レーダーを搭載しレーダー警備艦DERという区分を拝領し再就役します。主要装備は艦砲や機関砲や対潜兵装に魚雷というものは想定せず、高出力のアメリカ製SPS-8Bを搭載、艦橋後部は全部CICに充てるという設計です。
警備艦わかば改修は川崎重工神戸造船所にて実施されましたが、SPS-8B高角測定レーダーは納入が1960年まで時間を要する事が判明します、これで、わかば、再就役から4年間は肝心のSPS-8B高角測定レーダーを抜きに運用される事となる訳ですが、DERという運用区分はそのまま維持されることとなります、つまり、SPS-8B高角測定レーダー待ちという。
わかば、再就役から試験航海を経て和歌山県の串本港へ寄港した際、航空自衛隊へ移管されたばかりのレーダーサイトが置かれた串本分屯基地より航空自衛隊の隊員を艦上へ招き、わかば乗員も串本分屯基地を訪問するという機会に恵まれましたが、レーダー指示器と目標表示装置に多重無線機の配置は、航空自衛隊要撃管制官からも高く評価されたとのこと。
バッジシステム等は開発中、当時の航空自衛隊はレーダーサイトが補足した目標情報を距離と方角から位置を画定し電話で防空指揮所へ通知、電話をリレーし戦闘機をスクランブル発進させ、レーダーサイトから無線を通じて誘導する、という牧歌的な、迎撃も侵入も、亜音速時代故の運用となっていましたから、わかば方式は非常に先進的だったのです。
DERの運用はレーダーピケット艦、後述しますがデータリンク能力等も付与されていまして、レーダー情報の中継能力やレーダーサイトの代替任務も対応出来ます、しかし、諸般の事情からその能力を最大限発揮する機会に恵まれませんでした、それは運用の基本方針が転換してしまった為、若しくは将来見通しの不確定要素を押して改修した為、とも言われています。
北大路機関:はるな くらま
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
護衛艦近代化改修は相当慎重な技術的展望に依拠して行わなければ、逆に使いにくいものを貴重な予算内で完成させかねません、これには方向性の見極めや防衛戦略全般の整合性という視点も必要となる。
護衛艦近代化改修、これにより護衛艦の能力は最新鋭護衛艦に伍する水準まで底上げが可能で、しかも機関部や船体老朽区画も一新されるため、それならば広く何故やらないのだろう、と思われるかもしれませんが、難しいのは近代化改修の方向性と費用対効果です、場合によっては多くの予算を掛けた場合でも方向性が異なれば能力を十分発揮できません。
わかば、護衛艦の近代化改修の難しさを端的に具現化したものと云えば、奇妙な生涯を送った護衛艦わかば、の存在を挙げる事が出来ます。大日本帝国海軍駆逐艦梨、雑木林と揶揄されながら先進的な機関配置や生存性設計等から名艦に数えられる松型駆逐艦の一隻です。大戦末期、量産された松型駆逐艦は、柿、樺、梨、椎、榎、と同時に就役しました。
駆逐艦梨は就役から半年少々、不運にも呉にて米空母機動部隊による対艦攻撃を受け沈没しました、終戦から二週間少々前の話です。しかし終戦後、駆逐艦梨は損傷が軽いことが判明、草創期の海上自衛隊は護衛艦、当時でいう警備艦として復旧させる方針が決まりました、1955年に浮揚補修が開始、1956年に警備艦わかば、として自衛艦旗を受領します。
DER,種別は松型駆逐艦が護衛駆逐艦であった事から米海軍呼称に則りDE種別に類別されるのですが、警備艦わかば、はここに高性能レーダーを搭載しレーダー警備艦DERという区分を拝領し再就役します。主要装備は艦砲や機関砲や対潜兵装に魚雷というものは想定せず、高出力のアメリカ製SPS-8Bを搭載、艦橋後部は全部CICに充てるという設計です。
警備艦わかば改修は川崎重工神戸造船所にて実施されましたが、SPS-8B高角測定レーダーは納入が1960年まで時間を要する事が判明します、これで、わかば、再就役から4年間は肝心のSPS-8B高角測定レーダーを抜きに運用される事となる訳ですが、DERという運用区分はそのまま維持されることとなります、つまり、SPS-8B高角測定レーダー待ちという。
わかば、再就役から試験航海を経て和歌山県の串本港へ寄港した際、航空自衛隊へ移管されたばかりのレーダーサイトが置かれた串本分屯基地より航空自衛隊の隊員を艦上へ招き、わかば乗員も串本分屯基地を訪問するという機会に恵まれましたが、レーダー指示器と目標表示装置に多重無線機の配置は、航空自衛隊要撃管制官からも高く評価されたとのこと。
バッジシステム等は開発中、当時の航空自衛隊はレーダーサイトが補足した目標情報を距離と方角から位置を画定し電話で防空指揮所へ通知、電話をリレーし戦闘機をスクランブル発進させ、レーダーサイトから無線を通じて誘導する、という牧歌的な、迎撃も侵入も、亜音速時代故の運用となっていましたから、わかば方式は非常に先進的だったのです。
DERの運用はレーダーピケット艦、後述しますがデータリンク能力等も付与されていまして、レーダー情報の中継能力やレーダーサイトの代替任務も対応出来ます、しかし、諸般の事情からその能力を最大限発揮する機会に恵まれませんでした、それは運用の基本方針が転換してしまった為、若しくは将来見通しの不確定要素を押して改修した為、とも言われています。
北大路機関:はるな くらま
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