北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】北野天満宮御土居,梅花祭の梅香誘う早春に浮かぶ安土桃山洛中防壁の遺構

2017-03-01 20:17:30 | 写真
■京都御土居,早春に際立つ
 御土居、京都史上唯一の防壁である遺構は特に北野天満宮御土居が有名です、しかしこの地は梅園であり椛園、木々が茂る季節には青々と輪郭が隠れ、先んじた今頃が御土居を散策するには逆に丁度良い。

 北野天満宮御土居、京都は8世紀以来の我が国首都としての役割を担ってきましたが、我が国の大都市には欧州の中世における大都市を防護した防壁にあたる防衛線は構築されていなかった、と紹介されます。無論城壁があれが市街地開発に支障あるのですが、ないが故に我が国の都市は防衛を蔑にしている、という視点も。

 それでは我が国は無防備都市により構成されていたかと問われれば、真逆であることは近世の城郭の配置からみてとれるものでして、地域全体を防衛線とする総構構造、江戸時代の江戸防衛への数多くの城郭の配置や地形防御、都市を大型化し包囲そのものを難しくしたという施策を採りました。

 安土桃山時代、日本全土が戦国時代にあって戦火が絶えない時代へ終止符を打った豊臣秀吉は、京都を覆う御土居を造営し、防備を固めました。防備とはいえ邪魔である、防壁の平時の利用、様々な理由からその多くが江戸時代までにとり終されましたが、今回紹介する御土居は北野天満宮に現存するその一部です。

 北野天満宮、その梅園と椛園は季節の移ろいを実感できる風情ある庭園ですが、その一角が城郭の外堀が如く深く削られ、そして石垣を思わせる定礎石により確実に保持されていまして、この部分だけを見ますと恰も護岸工事の遺構にも見えるもの、これが御土居です。

 京都については、そもそも我が国統治機構が実質的には受権制度に近い制度を用いており、朝廷の権威の下、我が国の守護者、征夷大将軍を任命する、という選択肢を採っていますので、入域する勢力に対しては域外において夷敵を討ち果たす、それ故防衛線を必要としない歴史があります。

 御土居は、この歴史において全国平定を成し遂げた豊臣秀吉が、京都を明確に防衛する態勢を構築する事で、時代変化と共に京都に到達し政権を奪取するという戦国時代の権力闘争、故に日本全土が戦場となり人々の安寧が脅かされる状況を憂い、造営された防壁です。

 先ず洛中洛外を定むべし、豊臣秀吉はそもそも京都の成り立ちを時の文化人細川幽斎へ問うた際に京極と九条と鴨口とを結ぶ九重の都、との答えを受け、洛中洛外を明確にできるよう御土居を造営する事としたのです。南北約8.5kmと東西約3.5kmもあるが此処を囲う。

 鞍馬口という地名、京都には口という地名が幾つかありまして荒神口や丹波口という地名はバス停等で乗車していますと気付くものですが、鞍馬口という地名は北大路駅を一つ下った駅名、鞍馬山とは距離が10km以上あり戸惑いますが、鞍馬口とは鞍馬山の入り口ではなく御土居の出入り口を示します。

 防衛線としての御土居ですが、北野天満宮にある御土居の遺構をみますと、5mの堤部分と5mの堀の部分から構成され、高低差は実に10mと防御線としては充分な規模、短期で建設した事は凄く、単なる境界線ではなく城塞都市の一端といえるほどの規模です。豊臣秀吉は南北8.5kmと東西3.5kmもの御土居を整備しました。

 応仁の乱以降、御土居が造営されるまでは、京都は戦災により荒廃しており、寺社仏閣は自衛のために個々に城塞のような構造を維持していました、現在の京都市内全てが市街戦用都市特火点群であった訳ですが、豊臣秀吉は戦時は終り平時なのだから個々の防壁を改め、代えて御土居造営を理由にと、この区画整理を行った訳です。

 鴨川に沿って御土居が造営されたことで、期せずして御土居は鴨川氾濫への堤防の役割を果たす事となり、御土居造営後河川氾濫が抜本的に解消、河川氾濫の湿気と泥濘や害虫発生という衛生状況悪化が生む疫病蔓延等の災厄もこの防壁が洪水から洛中を守った事で解消され、また、この跡地は明治の東海道本線建設にも転用されました。

 防壁とはいえ、遺構は大半が取り壊されました、やはり平時の都市計画に邪魔だったのでしょう。しかし、同時に進めた京都区画整理により応仁の乱戦災からようやく復興を果たしました。ただ遺構はすべて失われた訳ではなく、ここ北野天満宮のほか、北区紫竹、北区大宮、北区鷹峯等に残っており1930年に京都市史跡に指定され今に至ります。情景の梅花は三分咲きですがそろそろ、見頃となっています。

北大路機関:はるな くらま
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